2007.08.05

教皇自発教令「スンモールム・ポンティフィクム」を完全否定する投稿を載せるカトリック新聞

カトリック新聞本日号の「意見異見私見」で、酒井新二という平信徒の方が言っている。
「教皇のこんどの書簡はこの時代の大きな流れに逆行するものである。」
断定である。完全否定である。
私は以前からちょっと気になっていたのだが、「意見異見私見」という欄はどういうものなのか。
平信徒の見解を載せるところである。「声」の欄と違うところは、字数、そして「論理的な見解」が求められていることである。
しかし、どうして投稿者の顔写真入りなのか。取材された信者なら写真が撮られて載せられることは自然だが、なぜ投稿が採用された信者が顔写真まで載せられる光栄(?)に浴するのか。「声」の扱いとは全く違う。
確かに、「声」の欄にあるものとは文章の重みが違う。しかし、それを超えて「意見異見私見」の欄は、平信徒にあてがわれた場所としては特別のもの、いわば「特別待遇」の場所なのだという気がする。
もっと言えば、この新聞を発行している人々の「お眼鏡」にかなった人達が登場する場所なのだ。
「スンモールム・ポンティフィクム」に関する今迄のカトリック新聞の流れを追ってみれば──
2007年7月15日号において、古い典礼の写真に「公会議前のミサでは、司祭は会衆に背を向けて司式する」というネガティブなキャプションを付け、
2007年7月22日号において、梅村司教様が、それはルフェーブル問題だけに関係しているかのように言い、
2007年8月5日号において、カトリック新聞から特別待遇された平信徒が「それは時代の大きな流れに逆行するものだ」と断定したのである。
私は、酒井氏の今回の断言は、ほぼ、梅村司教様の本音、あるいはカトリック新聞の本音と等しい──それを “代弁” したものだろうと思う。
酒井氏はカトリック新聞においてはレギュラー執筆者であるらしい。謂わば、カトリック新聞社とは心を許し合った仲なのである。
因みに、こんな記事があったりする。
澤田氏と酒井氏の対談」(鷺沼教会信徒 山内智恵子
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