2006.11.12

司教様からメール

と云っても、札幌の司教様のことではありません。
私は前回の日記で、以前のカトリック新聞に載っていたある司教様の御言動に対して批判めいたことを書きました(いや、「めいた」ではなく、はっきり批判でしたが・・)。すると、驚いたことに、なんとその翌日、その司教様御本人から私のところにメールが届いたのでした。心臓が一瞬止まりました (・・;ゞ
どうしてこんなに反応がお早いのでしょう。きっとどなたかが司教様にお伝えしたのでしょうね。
司教様はそのメールの中で、御自分の言動に「軽率さ」があったことをお認めになり、今後このような「教会当局者の発言としてふさわしくない言動で皆さんをつまずかせたりすることのないよう気をつけたいと思います」とおっしゃって下さいました。そして私個人にも、「不快な思いをさせたことをお詫び致します」とおっしゃって下さいました。
私は、その司教様のいわば「ふとした一言」は、その司教様お一人のことではないと思っています。それは今や私達の教会に致命的に蔓延した悲しむべき「一般傾向」です(つまり「ローマ離れ」のような心、指向性のことですが)。だから、今回その司教様からそれ自体は喜ばしく感謝をもって受け取らなければならない内容のメールを頂いても、依然私は、一昨日に書いた記事を掲載し続ける意義を感じます。(このサイトの取るに足りなさのことを思えば、かなり大袈裟ではありますが。)
削除すべきかどうか悩みました。事実、一度はそのページごと削除しました。しかし、結局、画像を修正し個人名を伏せた上で、この記事を残そうと思います。
この司教様御個人の名誉に関しては、司教様が私に与えて下さったメールの内容によって、既に回復されていると思います。私は今、この司教様を、その素直さと謙虚さによって尊敬しています。
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