2006.11.05

司祭達からも両形態拝領に慎重な声

両形態拝領に関して一部の教会で動きがあったようです。
まず、聖イグナチオ教会の今月の教会報から、粟本昭夫神父様の御文章。
パンとぶどう酒
 ミサによって聖変化されたパンとぶどう酒を両形態で信徒が拝領することそれ自体は、それが適時で、適当な方法であれば別に問題はないはずです。
 しかし、場合や事情によって、それらが不適当な方法で拝領されるときには、特に聖血が床面にこぼれ落ちて人に踏まれたりするようなことが起こってくるなら、その拝領の適、不適が指摘されるのは当然のことでしょう。
 聖血の拝領の仕方、方法については信徒の間でも司祭の間でもいろいろと議論や意見もあるようです。当教会の主任司祭の許にも、たびたび信徒の方から現在の聖血の拝領について不適切ではないかとの意見も届いています。主任司祭は教区の責任者とも話し合っていますし、教区の方もローマ聖座と連絡をとり、その意向を打診しているとのことです。
 秘跡についても、第2バチカン公会議の後、さまざまな議論が生まれ、素朴な信徒の方々が戸惑うことがあるでしょう。専門的神学的見地からは許されることであったとしても、それがそのまま司牧的にも適当であるか否かは別問題で、その適応には経験ある賢明な判断が必要でしょう。善良で敬虔な多くの信徒の方々の素朴な信仰心を傷つけないように慎重に配慮されるものです。
 聖体にしろ、聖血にしろ、それがキリストの御体・御血である限り、いかなる場合でも粗略に扱われることは決して許されることではありません。
 信仰は理屈で処理されるよりも、愛深い信仰心をもって対処されることが望まれます。両形態の拝領が許可されているからといって、両形態で拝領しなければならないこともないし、正当な許可事項であっても、その適応が不適当であったり、弊害があるなら、その方法に問題があるのであって、許可事項が不適とは言えないと思います。実際の適用に当って御体や御血が粗略に扱われたり、軽率に感じられるような手法は絶対避けるべきではないでしょうか。
 御血が滴となって落ちたり、他に付着したりしないよう、授ける方も、拝領する方も、至聖なる秘跡に対する深い敬虔と畏怖の念をもって接するべく細心の注意を怠ってはならないと思います。
粟本昭夫
また、カトリック西千葉教会においても、今年の1月に、主任の小林敬三神父様から次のような報告があったようです。
報告事項
小林神父より
1. 聖体拝領について
当教会では従来、両形態の拝領を行なってきた。御血の拝領についてはご聖体と同様、不敬になることのないよう何度か注意をしてきたが、床にこぼす等、十分に注意が行き渡っていないと判断し、御血の拝領はよい方法が見つかるまでしばらく取りやめることにした。
(参考)両形態の拝領については、日本の教会は早くからローマに申請して許可を受けている。日本の司教協議会は「参加者一同が両形態の拝領の意味をよく理解しており、支障なく*全員に両形態で授けることができると司式司祭が判断した場合」に認められることになっている。
* 即ち不敬がないこと
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