第二部では何をとりあげていますか。
第二部では、祈り一般について、また特に主の祈りをとりあげて説明しています。
祈りとは何ですか。
祈りとは、心を神に上げて、神を崇め、感謝をささげ、必要なものを願い求めることです。
祈りにはどのような種類がありますか。
祈りには、心の内でささげる祈りと、心を集中し、信仰の精神をもって声を出して唱える祈りとがあります。
祈りにはその他にどんな種類がありますか。
このほかにも、信者の私的な祈りと、教会の公的な祈りとがあります。
私的な祈りとは何ですか。
私的を祈りとは、自分または他人のために個人的にする祈りのことです。
公的な祈りとは何ですか。
公的を祈りとは、教会の名において聖職者が信者の救いのためにする祈りです。また宗教上の行列や巡礼あるいは教会内で信者が一緒に唱える祈りも公的な祈りと呼ぶことができます。
祈れば神が必要な恩悪と助力をくださるという希望は何に基づいていますか。
祈れば神が必要な恩恵と助力をくださるという希望は、全能で慈悲深く忠実な神の御約束とイエズス・キリストの御功徳に基づいています。
だれの名によって恩恵を乞い求めますか。
私たちは、イエズス・キリストの名において必要な恩恵を乞い求めなければなりません。つまり、イエズス・キリストがお教えになり、教会がその通り実行しているようにすべての祈りを「主イエズス・キリストによって」ということばで終えるのです。
なぜキリストの名において神に恩恵を乞わねばなりませんか。
キリストの名において神に恩恵を乞わねばならないのはイエズス・キリストこそ仲介者であり、キリストを通してのみ神の座に近づくことができるからです。
祈りにはそんな力があるのに、なぜ聞き入れられないことがよくあるのですか。
何度も祈りの聞き入れられないことがあるのは、永遠の救いの妨げになることを求めたり、正しい態度で乞い求めなかったりすることが多いからです。
神には特に何を願わねばなりませんか。
神に特に願わねばならないのは、神の栄光と私たちの救い、そして救いを得る手段です。
この世の善を願うのは正しいことですか。
神の御旨にかない、永遠の救いのさまたげとならないことであれば、この世の善を願うのは正しいことです。
神は私たちの必要とすることを御存知なのに、なぜ改めて祈り求める必要があるのですか。
神は私たちの必要とすることを全て御存知ですが、私たちが神を全ての善の与え主として認め、謙虚な心で従うことを示し、神の恩恵にあずかることができるように祈り求めることを神がお望みだからです。
効果的な祈りをするため一番大切な心構えは何ですか。
効果的な祈りをするために一番大切な心構えは、恩恵の状態にあること、あるいは少なくとも恩恵の状態にありたいと望むことです。
長い祈りをするためには他にどんな心の準備をしなければなりませんか。
良い祈りをするために、特に潜心、謙遜、信頼、忍耐、忍従の心をもたなければなりません。
潜心して祈るとはどういうことですか。
神とおはなししているという自覚のもとに、尊敬と信仰の心をもって祈り、気を散らさないように努力すること、つまり祈りと関係のないことを考えないように努めることです。
気を散らせると祈りの功徳は減りますか。
わぎと気を散らせたり、注意が散慢しないように努力しないとき祈りの功徳は減ります。しかし神と静かに語り合えるようできる限り努力をするなら、祈りの功徳は減るどころか増加することになります。
潜心して祈るためにはどうすべきですか。
祈りを始める前に、気を散らせる原因となるものを全て遠ざけること、そして祈りの間、私たちをみつめ私たちの申し上げることに耳を傾けて下さる神の御前にいることを考えなければなりません。
謙遜に祈るとはどうすることですか。
私たちは価値なく、無力で哀れな状態にいるということを正直に認めると共に、正しい姿勢で祈ることです。
信頼して祈るとはどうすることですか。
祈りが神の栄光と私たちの真の善を求めるものなら必ず神が聞き入れて下さるという確固とした希望をもって祈るということです。
忍耐強く祈るとはどうすることですか。
神が直ちにお聞き入れにならない時も、あきらめずに、さらに熱心に祈り続けることです。
忍従して祈るとはどうすることですか。
これは神の御旨は受け入れなければならないということです。神は私たちの救いに必要なことは全て御存知ですから、たとえ祈りが聞き入れられない時にも、神の御旨として受け入れることです。
よい祈りなら神はいつもお聞き入れになりますか。
よい祈りなら神はいつも聞き入れて下さいます。ただし永遠の救いに役立つ仕方でということであって、かならずしも私たちの望み通りということではありません。
祈りの効果は何ですか。
祈りによって私たちは、何物にもまさって主なる神に依存していることを悟り、天上の事柄に思いをはせ、徳に進歩し、神の御慈悲を得、誘惑にうち勝つ力を与えられ、苦難のときには慰めを受け、困窮に際して助けの手に支えられ、最後まで耐え忍ぶ恩恵を得ることができるのです。
特にいつ祈らなければなりませんか。
危険や誘惑や死に直面したとき特に祈らなければなりません。そのほか、朝夕そして一日の生活のうち大切なことを始めるときなどにひんばんに祈らなければなりません。
だれのために祈らなければなりませんか。
全ての人のために祈らなければなりません。つまり、自分と両親のため、目上の人、善行者、友人のため、また敵のためにも、さらに罪人や教会から離れてしまった人たちの改心のため、また練獄の霊魂のために祈らなければなりません。