#049 - 教皇パウロ六世
私は、教皇様が非常に大きな家の中で、テーブルのそばで跪き、頭を両手に埋めて泣いておられるのを見ました。家の外には多くの人達がいました。彼らのうちの何人かは石を投げ、他の人達は教皇様をののしって汚い言葉を使っていました。可哀想な教皇様、私達は教皇様のためにとてもたくさん祈らなければなりません。
ヤシンタ(ポルドガル、ファチマの子供の幻視者)
ファチマのルチア自身の証言による
祝福された人
ローマの永遠の都に居るあなた方の父、教皇パウロ六世は、祝福された人です。何故なら、彼は自分の十字架を運んでいるからです。あなた方の教皇様は祝福された人です。何故なら、彼は殉教するだろうからです。
1977年6月18日 聖母
大きな間違いはありませんでした
私の子供達。あなた方の教皇様、ローマに居る教皇パウロを、有罪と決め付けないで下さい。彼は過去に人間的な間違いを犯しました。私の子供達、私はそれは認めます。彼も人間であったのです。しかし、大きな間違いはありませんでした。
1978年6月18日 聖母
御助けを
私の目に、今、パウロ教皇様が見えます。本当のパウロ教皇様です。彼はとても痩せています。とても青白く見えます。そしてとても悲しげです。彼は口を開いて、こう言っています、「御助けを! 御助けを!」。そして彼の胸の上に、磔刑になった主の御体があるのが見えます。
1975年10月2日、ヴェロニカ
十字架の道
あなた方の教皇様の心は苦悶のうちに叫んでいます。「汚れなき御母、私に、この先も耐え忍ぶことのできる力をお授け下さい。あなたは私に、これが十字架の道であることをお示し下さいました。私は御父の御旨を受け入れます」と。
1974年5月22日 聖母
フマネ・ヴィテ
産児制限について書いた教皇パウロ六世の回勅は正しいものです。それは人類が従わなければならないものです。そこには罪の正当化が何もありません。そこには胎児への殺人のための言い訳が何もありません。
1976年10月2日 聖母
治世の終わり
あなた方の教皇様、私達の苦しんでいる子供である教皇パウロ六世は、間もなくその治世の終わりを迎えようとしています。どれだけ多くの者が、彼の心を引き裂く苦悶に関して責任があることでしょう。枢機卿達、司教達、あなた方のうちのどれだけ多くの者が、傲慢と、この世的な気晴らし、喜び、力などへの愛によって、彼に背いてきたことでしょう。
1978年5月20日 聖母
黒いマントの聖母
聖母は今、左に移動なさろうとしておられます。それは、空に居る彼女ご自身からすれば右への移動となります。彼女はとても悲しげに見えます。そして、彼女が着ている黒いマントは、まるで彼女がお葬式か何かに臨んでいるかのように見えます。とても悲しいです。
1978年8月5日 ヴェロニカ
[翌日、教皇パウロ六世は、この預言的幻視の正しさを証明するかのように帰天された]
天国に居ます
私の子、そして私の子供達よ。今日はあなた方に嬉しい知らせを持って来ました。私はこれをあなた方に、永遠の御父からのものとして伝えます。あなた方の教皇様は、今日、私達と共に天国に居ます。
1978年8月14日 聖母
石を投げています
ヴェロニカ: 私はパウロ教皇様を見ています。彼は大きな部屋の中に座っています。机があります。しかし彼はあまり健康そうには見えません。とてもお体の具合が悪いように見えます。彼はご自分の目を開けていることができないようです。彼の頭が右に倒れます。彼はすぐに体を起こしますが、今度は左に傾きます。今、彼はお体をテーブルの上に乗り出しています。外で叫び声がするのが聞こえます。人々が叫んでいます。そして彼らはあらゆる石を投げています。そしてドアのところに来ようとしています。彼らはなおも叫んでいます。
そしてパウロ教皇様は... 今、彼は踏みつけにされ、聖母のご像の隣りで跪いておられます。彼は聖母に祈り、そして声を上げておられます。涙が彼の頬を伝っています。
おお! おお! ドアの外には枢機卿達が居ます。五人の枢機卿達です。彼らは自分達の背中の後ろにナイフを隠し持っています... そして右側の向こうに別の窓が見えますが、その中に司教達のグループが見えます。そこには、二、三、四、五... 全部で十五人か十六人の司教達がいます。彼らも皆、背中の後ろにナイフを隠し持っています。
1972年7月25日
可哀想な教皇様
私は再びあなた方に、あなた方の教皇様のために祈るようにと求めます。彼はとても具合が悪いのです。彼は多くの祈りを必要としています。何故なら、彼は自分の部下達によって磔にされているからです。ヤシンタのメッセージの中で言われた “小さな人”とは、本当に彼のことなのです。[下のヤシンタのメッセージを参照]
1978年6月1日 聖母
警告しました
はい、私は全ての人々に、将来世界に起こるだろうことを警告しようとしました。聖母は、ローマの “小さな父” は大きな迫害で苦しまれるだろう、そしてそれらの迫害の多くは彼自身の部下達から、彼が信頼している人達から来るだろう、とおっしゃいました。
1974年6月8日 ヤシンタ
詐称者
私の子供達、思い出しなさい。教皇パウロ六世、私達の善き教皇は、世界に向かってこう言いました、「私は、教会の中にサタンの煙が入ったと知っています」。しかし、今、誰が彼のこの言葉に耳を傾けていますか? また、過去、誰が彼のこの言葉に耳を傾けましたか? いいえ、彼らは彼を打ち倒し、彼の場所に別の者を立てたのでした。
1989年10月2日 聖母
三人の教皇
世界中の憎悪をローマの教皇パウロ六世に向けさせようとするサタンの悪魔的な計画があります。サタンの計画は、あらゆる過失と悪行を彼の肩にどっさりと負わせようとするものです。それも、彼が信頼する人々が彼を裏切ってきたのです。彼から彼の使命の完全な制御を横取りしてきたのです。私の子、今、ローマには、比喩的に言えば三人の教皇が居ます。三人の教皇。私の子、そこに教皇パウロ六世は含まれていません。その三人の男達は、サタンによって指令を与えられている者達です。
1975年9月27日 聖母
変化
あなた方は少し前の年月を振り返り、これらの変化が悪い実を結んだこと、そしてこれらは聖霊から来たものでもあなた方の教皇パウロ六世から来たものでもないということを、人々に伝えなければなりません。それはサタンが広げている蜘蛛の巣なのです。私の子、多くの人々は今や操り人形です。糸は、ベネリ、ヴィロ、カザロリ、そして彼らの追随者達が引いています。
1975年9月27日 聖母
サタンの煙
苦しみの中にある犠牲の霊魂、即ちあなた方の聖なる父、教皇パウロ六世は、善き心をもってその苦しみを受け入れている。そしてそこには、彼にとってユダであるところの者らが数多く居るのである。彼らは自らのことを光の天使として誇示するが、しかしその心は貪欲な狼である。彼らは、その違反において、教会を内部から破壊するために彼らの地位を利用してきた。私達の教皇があなた方に「内側に裂け目が生じたに違いありません。何故なら、サタンの煙が入って来たからです」と言ったのは、意味の無いことではないのである。
1978年5月20日 イエズス
第三の秘密
私の子よ。彼らは私がファチマで与えた秘密について話しています。そしてそれをごく簡単な説明で終わらせました。私のメッセージが衝撃的な内容を持っているために、それを完全な形で公表することができなかったのです。しかし、私はどれだけ、ローマの階層の最も高い地位にサタンが入り込むでしょうと、警告に次ぐ警告をしてきたことでしょうか。第三の秘密は、私の子、サタンがわが御子の教会の中に入るでしょう、ということなのです。
1978年5月13日 聖母
反キリストではありません
教皇パウロ六世のことを軽蔑して回らないで下さい。彼は反キリストではありません... 彼は反キリストの教皇ではありません。
1978年5月30日 聖母
ペンテコステ運動
そうです、私の子、多くの者達はあなた方の聖なる父、あなた方の教皇に背いています。私達は彼に、霊を呼ぶ実践を非難するようにと求めました。彼は御父のこの指示に従いました。しかし、彼の聖職者達の多くが、あなた方の教皇様に対する不従順の中に落ちました。
1974年6月15日 聖母
囚人
わが教会の中に、私が「十字架上の悪人達」と名付けるところの悪の隊形が存在する。彼らは破壊するために侵入した者達である。彼らはわが地上の家の最も高い指導階級に到達し、それを掌握している。彼らはわが家において私を再び十字架につける者達である。あなた方の教皇は、わが家における囚人である。
1976年11月22日、イエズス
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