第十二章 カテキズム2000
その年は、新カテキズム(要理)作成のために必死に働いた。
私が創設を夢見ている「普遍教会」に合ったカテキズムだ。
子供たちの心をかたどることが、「自己尊重」を教えるすべての教理にとって、非常に大事な部分である。
子供のときから無神論を教え込むことが大事だというのは、キリスト教の教理の神秘的部分が、私が所属する「真に優れた存在者」以外の者に対して、憧れの気持ちを誘うからだ。
これを教理の問題に当てはめれば、二十世紀末までは、人間がみな不自由人であると考えさせておくのが賢明だ。そのための薬は、西暦二〇〇〇年に与えられると期待していい。
人間の言葉から、特定の用語が完全に削除されなければならない。これらの言葉を、子供がまったく聞かないようにすることが最善である。
それで、宗教的な教えを単に覆い隠すより、全く新しいカテキズムを作成するほうがはるかに好ましい。教会は、しばらくの間、「全世界の良き兄弟たちの集会場」に等しくなる。このカテキズムは、老朽化したキリスト教徒の愛徳(チャリティー)に取って代わる、「友愛」のひとつになるのだ。
「愛徳」(チャリティー)という語も追放し、「愛」(ラブ)という語に置き換えなければならない。この語は人を現実的にして、どんな曖昧な行為にもふけらせることができる。
私は、曖昧な関係が隠し持つ大きな力を尊重してきたし、これからも尊重し続ける。
この新カテキズムを準備しているあいだに、実際の要理から、徐々に修正を加え、あるいは削除するべき部分をすべて抽出した。
また、この確信を「黒髪」にも分かち合いたいとの熱い気持ちが込み上げてきた。
巡礼と聖母マリアが起こすという「奇跡」の話をしてくれることによって、この仕事を楽にしてくれたのは、彼女なのだ。
私は、このような宗教現象は、それがどのようなものであれ、すべて彼女自身がつくりだしたものなのだ、と熱心に説明した。彼女は、呪うように、すべてを否定した。
私は彼女に言った。
「見えないものや感じられないものはみな、君自身がつくりだしたものに過ぎないのだよ。どうして、そんなに怒るのか分からない。」
「分からないというのは、私の信仰がすべて、天から私に啓示されたものであることを、ご存知ないからです。そんなことをみな考え出すなど、とてもできることではありません。」
「君自身がそれを考え出したとは言ってはいない。それは真実だ。君は先祖を模倣しているに過ぎないのだよ。それだけさ。」
「いいえ、模倣以上のものです」と彼女は言った。
私は、たとえば、彼女が信じている「御聖体におけるキリストの現存」は、彼女自身の信仰の強さに応じて現存を現わすが、信仰をまったく持たない人には何の現存もないのだ、と冷静に話した。
彼女はこれを認めようとはしなかったが、私にとっては、プロテスタントの範に倣って、彼女をこの流れに乗せることが重要だった。
私の本当の目的は、信仰をすべて抹殺することだったのだが、これは必死で隠した。その前に、彼女を宙ぶらりんな状態に入れる必要があった。
私は、キリストに癒された人には、常に信仰が求められたという福音書の個所を引いて、信仰といわれるこの力が、本当は治癒を起こしているのだと彼女に説明した。
だが、彼女は子供のように頑固だった。キリストは信仰を高めようとしたのであり、それは体の癒しよりはるかに大きな祝福なのだと言ったのだ。
私は、独創的信仰の外には宗教者は誰もいないと説明した。幼児洗礼が愚かしいのはそのためで、大人になるまで待つべきなのだ、洗礼そのものさえ、いつかは幼稚な古代の魔術的行為として禁止されるようになるのだと。
彼女は泣き出し、「しばらく会うのはやめましょう」と言った。
私もこれに喜んでしたがった。実際、するべきこと、考えるべきことが多く残されていたし、それ以上に、離れていれば彼女ももっと柔軟になると思ったからである。女は悲しみには耐えられないものである。自分はどうかというと、彼女に強い愛着を持ちすぎ、自分の強さを見せつけることができなかった。
私は、大学で二つの講座をとる許可を得、それによって、神学生であることを知られずにこの集団に入れるようになった。長官は、必要と思った時には、いつでも平服を着用することを許可していた。彼は、修道服は廃れたと認めているようだった。これからの司祭は今までとは全く異なるものになることを、私たちは言葉を交わさずとも理解し合えた。
人間が、時代に応じたものになるのは当然のことだ。私の目から見れば、教会は極めて後向きである。トレント会議以来、教会が一歩も前進できていないので、失った時を埋め合わせるべきことを証明することは容易だ。
私はまた、アキレスに代わる人材を見つけなければならなかった。自分では私書箱に行くことも、手紙を暗号化することもできなかったからである。それだけの時間的余裕がなかった。
私には信頼できる男が必要だったが、戦時中で、そのような人材を捜すのは困難だった。最後に、大学のある教授に接触せよとの指令が来た。
初めは、実際的な動きのように思えが、その老教授に会ったときには、不快を覚えた。自分には、人を判断する感がある。この男には裏切りの臭いがした。
いずれにせよ、私書箱の鍵は手渡したが、彼に暗号解読の仕事をさせる前に、上の人間に相談することに決めた。だが、受け取ったのは、問答無用で従えとの指令だ。
私は、このことに大いに悩み、もう一人の連絡員を見つけて、彼に同じ仕事を任せることに決めた。こうすれば、少なくとも戦後に両者を比較することができると考えた。
私は、自分の疑いが正しいに違いないと思った。正しくあって欲しいという気持ちが先立ったが、特に、AA1025の署名をした同じ文書を託した二人の通信員の価値を比較したかった。 
教授が裏切り者であれば、戦争のドサクサにまぎれて計画を破壊することを考えていない限り、私の文書を慎重に改竄するはずだ。いずれにせよ、第二の通信員を雇うだけの理由が私にはあった。
私は、苦学生の中に彼を見出した。彼は熱しやすい人間だったが、その情熱が私を捕えた。私は、共に輝かしい未来を作れるのだという希望を彼に植え付けた。エゴイズムや貪欲な精神を刺激するのは党の慣わしではないが、この青年には冷たい愛を培わせる必要があると見た。
この問題を解決している間に、「黒髪」に会いたいという気持ちが強くなってきた。このような気持ちは、軍事共産主義者にも、党の未来の最高指導者にも、相応しいものではなかった。
私はすでに神学校生活を三年過ごし、あと三年が残っていた。それが過ぎてから、私がローマでより高度な教育を受けることに、誰もが賛成した。私は、自分が神学校の教授になるのだと考えた。名前以外すべて異なる、まったく新しい聖職者をつくりだせる教会の中心人物である。
私の人生はすでに決まっていたのだし、それ以外の人生は望んでいなかった。だが、岩のように強い砂の一粒が入り込んでいることを、認めないわけにいかない。
自分が軽薄な男だったら、「黒髪」をおもちゃにしか考えなかっただろう。だが、私は彼女の恋人でさえなかった。
彼女が自分の確信を共有しないあいだは、恋人になる気はない。私は、男女のつながりは完全でなければならないとの信念だ。心と精神の一致がなければ、体の一致もない。
でなければ、売春と変わることはないのだ。
地上のすべての宗教を破壊しようとする男が、二十歳の娘一人言いくるめられずにいる。何たる滑稽な立場に自分はいるのだろうと思った。
彼女とは別れるべきなのかも知れない。戦時下のロシアにいる叔父が、こんなことを知ったら喜ぶまい。その一方で、平和な時代ほどには自分が監視されてはいないことも知っていた。
だが、自分の勇気を削ぐ何かが存在するということが、私としては一番つらかったのだ。
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