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2012.05.31
 明日編集者とデザイナーが打ち合わせに来るので、いささか泥縄的に仕事場の部屋掃除。客でもないと掃除しないからなあ。ところでまだ前の話題を引っ張っているが、城島が法廷で述べた陳述で、彼女は一人の男性を自分が別れ話をしたら自殺しちゃったといっているのだが、なぜ別れ話を持ち出したかといえば、彼の家に行ったら風呂場にカビが生えていて大変汚かった、冷蔵庫に塩や油を入れるという変なことをしていた、セックスしようとしたら大人のおもちゃを出してきた、それでイヤになった、というような話があるんだが、ここらが妙にリアリティがあるなあと思ってしまった。自分が大変に名器の持ち主で、だから高級買春クラブでセレブにもてた、なんていうのは明らかにあんたのドリームでしょ、という感じだけど、ここらの話は、40過ぎまで独身で、ネットで彼女を捜さなければならない悲しいおじさんの恋の終わりとして、すごく現実味があるエピソードではあるまいか。だまされた男がバカだとは言わないが、結局「金で嫁を買う」「ただのセックス相手で家事労働者を確保する」つもりだったから、要求された金を出してしまった。拒まれたらまさか自殺はしない、金返せという話にはたぶんなったはずで、木嶋もそうやってイヤになった男なら、殺すのも殺しやすかったろうなと思う。被害者を純情と美化する気はしないな。

2012.05.30
 木嶋佳苗事件の本が立て続けに2冊出た。1冊がこの前『読了本』で触れた北原みのり『毒婦』で、もう1冊が佐野眞一の『別海から来た女』講談社だ。どちらも木嶋の故郷別海の取材による「前歴」と裁判傍聴で、材料はほぼ同じなのに、驚くほど印象が違う。角川の「本の旅人」で、エッセイストの酒井順子がやはりこの事件を取り上げていたが、これもまた全然違っていて、いまさらだがノンフィクションというのは対象以上に書き手を反映してしまう鏡だなあと思った。
 北原のタイトルの「毒婦」は一種の反語であって、悪女とか、ファム・ファタールとか、いろいろあるでしょ、女を異物、怪物、だからこそ魅力的な偶像として指さすときに使う、古いことば、そのようなもののひとつとして出している。毒婦も悪女も男性視線からすると、当然美しくなくてはならない。男にとって女の第一の価値は美であり、その美によって女は栄え、また堕ちる。ところが木嶋被告は、少なくとも平均的な意味で歴然と美女ではない。にもかかわらずあたかも美しき悪女のように振る舞って、しかもその犯罪を成功させている。なぜか彼女の獲物にされた男たちの多くは、金の要求に易々と応じたあげく、一服盛られて殺されてしまうのだ。そんな彼女に同性の、一種のファンがつくというのも理解できる。木嶋の犯罪は、女を選別する権利があるとなぜか平気で思っている男と男社会への、復讐のようにも読めるからだ。北原は決して木嶋に共感したり、同情したりはしないが、そうした女性からの視線をもって事件と裁判を語っている。
 一方でベテランノンフィクション作家佐野の本は、まったくもって無惨だ。売春に走った東電の女性社員はまだしも彼のロマンチシズムの範疇だったのだろうが、木嶋は理解出来ないとしても無理はないが、最初から「凶悪な毒婦もしくは女モンスター」という週刊誌ジャーナリズムからそのまま持ってきたレッテルを貼り付けたかと思うと、自分も木嶋佳苗に殺されかかったなどと言い出す。なんのことかと思えば、別海に取材に行ったホテルで木嶋にのしかかられる悪夢と胸の痛みに苦しめられ、東京に戻って病院に行ったら狭心症の疑いがあるというので心臓病のバイパス手術を受けることになって九死に一生を得たのだそうだ。いくら木嶋が毒婦でも、夢の責任まで押しつけられてはたまらないだろう。のしかかられるって、つまりあなたは彼女に欲情していたんじゃないの。他でも映画「エクソシスト」の悪魔に憑かれた少女や、なんの関係もない殺生石の伝説を持ち出したり、ぼけてるのかおっさん、という感じだ。
 酒井のエッセイもかなりひどい。彼女によると木嶋が話題になっているのは、ブスのくせに美人みたいな犯罪を犯したせいで、多くの女性は彼女のブスのくせに分をわきまえない態度にいらついている。自分を含めて中途半端な容姿の女がブスを嫌うのは、「あんたなんかといっしょにされたらたまらないわ」という同類嫌悪の現れなんだそうだ。三人称で話しているが、つまり酒井自身が「私も美人じゃないけどあそこまでひどくないわよ」と思っているからだろう。いいけどね、別に。
 私は別段木嶋佳苗を英雄視する気も、弁護する気もしない。ひでえ犯罪者で、少し情緒方面に欠落があるのじゃないかと思う。しかしその一方で彼女の獲物にされた男たちにも、同情する気はしない。そもそも婚活サイトで女を探す男、というものが非常にキモチガワルイ。買売春とどこが違うんだろうかと思う。そもそも彼らはなんで結婚したいんだろう。只でセックスしてくれ、ご飯を作ってくれ、洗濯をしてくれ、両親の介護をしてくれる相手が欲しいから? そんな都合のいい人間がそのへんに転がっているくらいなら、あなたが40,50まで独身でいることもなかったんじゃないの。差し出すものはお金しかないんでしょう。それもコツコツためたささやかな貯金しか。
 私はこの事件、ブスが美人みたいな犯罪を犯した、わけではないと思う。木嶋が美女だったら逆に成功しないはず。婚活サイトの男性は、目の前に素晴らしい美女が現れて色好いことを並べたら、もっと簡単に「これは詐欺じゃないか」と思ったろう。木嶋の容姿だから「ああ、やっぱりな」と思って「これなら俺だって釣り合わないこともない」と安心して、誘いに乗ったのだ。木嶋はそうした男の反応を、もちろん最初から読んでいた。美貌ではなく醜貌を武器にしたのだ。その意味でも、男社会の容貌による女選別を逆手に取った犯罪で、革命的だった。

2012.05.29
 靴馴らし足馴らしに山へ、といっても例によって大気の状態が不安定、というわけで仕事場近くでせいぜい歩くことにする。天覧山から多峯主山、ぐるっと回って夕飯の買い物をして、ようよう15000歩なり。後は本読み。やはり3時過ぎから雷雨となり寒気も。

 読了本『ヴィクトリア朝時代のインターネット』 トム・スタンテージ NTT出版 19世紀モールス電信が作り出した情報網は今日のインターネットのそれと非常に良く似ていた。情報の伝達速度は飛躍的に速くなり、世界は確実に狭くなったが、そこで起きた現象は、ネット詐欺やハッカー、ネット恋愛まで、現在のネット社会でも似たように繰り返されている。つまりどれだけ画期的な発明も、人類を根本的に変えることはない、という教訓でもあるようだ。しかしこれを読んでいて、18世紀のヨーロッパに電話を持ち込んだ高野史緒の『カント・アンジェリコ』を思い出した。久しぶりに再読してみようかな。

2012.05.28
 午前中は晴れていたのに午後から曇ってきたと思ったら、またまた雷に土砂降りの雨。しかし自宅の方は大量に雹が降ったそうだ。大して離れていなくても違うものだね。今日は仕事しながら、皮付きのバラ肉でラフテーを煮る。かつお出汁で煮るので、大量のおかかの出汁を取った残りがもったいないと思い、砂糖と醤油を入れて鍋でから煎りした。おかかふりかけというか、猫まんまの元みたいなのが出来たけど、うちはあんまりご飯は食べないので、うーん、他に使い方は?
 最終話は28頁で一応書き終わったので、明日は新しく買った登山靴を馴らすのに、少し歩き回るとしよう。でも、今日みたいなあんな雨が来たら困るな。

2012.05.27
 昨日の続き、ホテル・メランコリア最終話2日目。

 読了本『木蓮荘綺譚 伊集院大介の不思議な旅』 栗本薫 講談社文庫 伊集院大介もの最後の長編と聞いて、思わず購入した一冊。物語はミステリとしては、破綻しているわけではないが、ありそうな犯人像とありそうな展開、つまりそこには意外性が全くないので、かえってあっけにとられてしまう。ただし主要人物の造形や舞台の雰囲気は、例によって見事に作り出されている。時を経た古い住宅と花木の茂り、そこから聞こえてくるピアノの音というのは、作者と同年代の篠田にとっても「いつか見た景色」で、懐かしさを掻き立てる。作者はミステリなんかより、そのモデルは自分の住む近くにあったという家を、文章で表現し定着させたいという、ただそれのみを思ってこの話を書いたようだ。しかし元本の刊行が2008年6月で、亡くなったのが2009年5月。ということは死のほぼ一年前ということで、それに気づいてみると木蓮の咲く昭和の住宅の春景色と、それを眺めて感慨に耽るもはや青年とはいえない年齢に達した伊集院大介の心境を、ゆっくりゆっくりといとおしむように、いささかたるいくらいのペースで書き記す作者の、最後の春が行間から透けて見えてきて、なにがなし感慨を覚えないではいられない。

2012.05.26
 『閉ざされて』の手直しは送稿してしまったので、『ホテル・メランコリア』の単行本に書き下ろすラストの話を書き出すことにする。単行本の体裁が決まってから書くつもりだったのだが、後で直すにしても取り敢えず書いておいた方が分量とかわかっていいと思ったから。そうたくさんは書かないつもり。

 読了本『ナチ戦争犯罪人を追え』 ガイ・ウォルターズ 白水社 まあ、タイトル通りの内容のノンフィクションなんだけど、とにかく大部で多数の固有名詞が出てきて、戦中戦後現在まで時間軸も入り乱れ、すごく読みづらい。おまけに同じページで人名のカタカナ表記が違っていたり、校閲がずさんだ。こういう本ならば人名の索引くらいはないと困る。そして、アイヒマンはハンナ・アーレントが『イェルサレムのアイヒマン』で描写したような、「凡庸な悪」ではない、もっと積極的にユダヤ人虐殺に関与した悪人だというようなことも書いているが、ナチを狩り立てる側の人間も正義とはいえない、そのあたりもけっこう詳しく書かれてはいるので、読者としてはなかなかに救われない気分になる。だがそれにしても、文章の整理が悪すぎる。かさばるほどには内容がなかったので、つまり高価な書籍代には比例しなかったので、かなりがっかりだ。

2012.05.25
 『探偵小説と叙述トリック』にクリスティの『アクロイド殺し』を巡る部分がかなりあって、再読してみようかなと思ったら本棚になく、いたしかたなく新刊を購入。ディテールは忘れているからねえ、やっぱり。でも、この作品に感じた一種の違和感のようなものは記憶していたので、その辺を確認。それは記憶していた通りだった。そして自分の感想というのは、ミステリの読みとはずれているらしいなと思った。だけど釈然としないんだもの、といってこの先の話をしようと思うと、『アクロイド殺し』の犯人や結末をばらしてしまうことになる。もしかしてこの日記を読んでいて、「自分はこれからまさにあの小説を読もうと思っていたところなのに、よくも結末をばらしてくれたな」と怒り狂う人が、絶対にいないとは限らないからね、止めておこう。前にうっかりグイン・サーガの新刊を読んで、驚いたあまり「アルト・ナリスが死んだ!」とここに書いたら、「読む前だったのに」と抗議のお手紙が来たのでありましたよ。

2012.05.24
 徳間からちっともゲラが来ないと思って催促したら、7.8月の刊行予定を、いまになって後倒ししてもらえないかというようなことをいってきた。3巻の刊行と間が空かない方がいいって、なんか言い訳っぽくていやーな感じ。こうして本が出せなくなっていく、ということかな。売れなくなったんだから仕方がないといわれれば、まあそれまでの話だが、この調子じゃ今年は大赤字になりそう。なんとも意気が上がらない篠田でありました。

 読了本『アーサー王最後の戦い』 ローズマリ・サトクリフ 原書房 サトクリフ版アーサー王三部作のラスト。面白うてやがて悲しき。しかしこの作家はつくづくランスロットが好きなのだな。
 他に『探偵小説と叙述トリック』 笠井潔 『ガウディの伝言』 外尾悦郎 光文社新書 を読了

2012.05.23
 打って変わって晴れ。朝からリュックをしょって池袋へ。いつものように、本屋とムジと食料品売り場。強力粉1キロ、準強力粉2.5キロ、担いで帰る。笠井潔さんの評論『探偵小説と叙述トリック』を購入。しかし3000円って、高いな〜と思わず慨嘆。

2012.05.22
 雨はともかくこの寒さは何?!という感じで、本日は外出は止めて終日仕事。『閉ざされて』を最後まで直して、文庫版のあとがきを書く。このさい思い切ってネタバラシ。文庫を買ってくれるお客様へ、ちょっとおまけという感じでもあります。

2012.05.21
 雑誌のふろくについていたメガネを使って、朝は日食観察。しっかりと見えました、リング。でも思ったより赤っぽく見えた。
 仕事場に行ってパンを焼きながら、仕事は昨日の続き。パンは白神こだま酵母でコッペ型の葡萄パン。あたたかくなってくると二次発行はそのへんに置いておくだけで膨らむから気楽。こねは機械にやらせて、我ながらとても適当なパン作りです。そろそろ粉がなくなってきたので、明日あたり東京へ準強力粉を買いに行こうかな。うちのあたりでは売ってないんだ。

2012.05.20
 朝仕事場に行ってメールを開こうとしたら、Windowsセキュリティのユーザー名とパスワードというのを請求され、なんだかわけがわからない。解決までにそれで一時間以上費やしてしまう。結局直ったんだけど消耗。仕事は昨日の続き。来月少し長い山歩きに出かけることになったので、最近さぼっていてあまり歩いていないよなあ、と思い、早めに仕事をしまって自宅まで軽ハイキングコース経由で歩く。山はなんなく越したけど、建て売り住宅街に出てから、通ったことのない道を選んで歩いていたら迷ってしまい、だいぶよけいに歩くことに。まあ、歩くのが目的だからいいんだけど。

2012.05.19
 角川の単行本で出した『閉ざされて』の文庫下ろし作業を始める。この話はかなり自分ではギリギリ、いやなにがって感覚的に、ということだけど、な気分で書いたので、そんなに直したいという感じはしない。でも反響があまり無くて、読者がどんな感じに読んでくれたのか作者としてはいまひとつわからないので、大ネタバラシなあとがきでも書いてしまおうかと思っている。作品にぐたぐた説明を付けるなんてやぼだけどね、それはわかっているけどね。

 読了本『毒婦 木嶋佳苗100日裁判傍聴記』 北原みのり 朝日新聞社 練炭殺人の裁判と、事件のノンフィクション。犯人像が従来の殺人者、特に女性殺人者の定型から大きく外れているというのは確か。しかしなんていうか、被害者にもうひとつ同情する気がしないというのは、投資詐欺にあった被害者と少し似たような一種の「さもしさ」を、男性被害者たちに感じてしまうからだろう。被告が美人ではないというのが、嫌な意味での好奇心を掻き立てた記憶があるけれど、被害者たちは彼女が美人でないからこそ安心してお金を出したのだと思う。この程度の容姿の女なら婚活サイトで相手を探すこともあり得るだろうし、金を出せば自分になびいてくれるだろうと思った。そこがさもしい。そして、敢えていってしまうならそこに被告の、犯罪者としてのあっぱれな目の付け所がある。これまで女は美しくなければ男に選ばれないし、勝利することは出来ないと信じこまされてきた。しかしそうではない。「美しくはないがしかし**」という形のアピールがあり得るのだ。ただしその勝利、そのゴールは結婚ではない。「美しくない女だから金で買える」「買ってやる」と思いこめる男を捕まえたなら、搾り取るだけ絞って捨てるしかない。うっかり結婚などしてしまったら、こういう男が何を言い出すかはわかりきっている。あるいは手っ取り早く、消してしまうか。ただ、全員が練炭自殺では、あまりに粗雑で見え透いている。同じような犯罪を企てるなら、殺し方はもう少し工夫した方が良いと思います。

2012.05.18
 依頼無いけど書きたくなった話、ファンタジーの連作予定「銀猫堂メモワール」の第一話を書き上げ、応援してくれる懇意のフリー編集者に送る。今日は仕事はそれだけにしてあとは読書。ローズマリ・サトクリフのアーサー王もの、三部作の二作まで読了。思ったよりストレートで新解釈はあまりない。モルガンが単純な悪役としてえがかれているのがちょいと不満だ。たぶんアーサー王伝説のエピソードというのは、イギリス人にとっては一昔前の日本人が真田十勇士の名前とエピソードをよく知っているのと同じようなものなんだろうし、そこを尊重して明らかな矛盾や性格の首尾一貫に留意するくらいで、忠実な再話をしたということなんだろうな。作者の愛情はかなりの程度ランスロットに捧げられている感じ。しかしランスロットがブ男だったというのは知らなかった。伝承としてそういうのがあるんでしょうね、きっと。まあ、戦っている時は甲の面防を下げてれば顔は見えませんが。

2012.05.17
 昨日は朝一で渋谷、bunkamuraミュージアムに「レオナルド・ダ・ヴィンチ美の理想」展を見に行くが、わりと大したことはなかったというのは、もともとレオナルド派といわれる人たちの絵は、正直いってヘタなのです。比べる対象がレオナルドのオリジナルだから、これはもうどうしようもない。というか、イタリアの地方美術館などに行くとヘタな人は一杯いたんだなあということをつくづく感じさせられ、やっぱり名前の残っている画家というのはちゃんと上手い人なんだということをいまさらながら感じるんだが、そのヘタな方の絵をたくさん持ってきて、レオナルドと関連づけて展示しているんだが、その展示の仕方がいまいち工夫が足らなくて、ただ並べただけという感じでした。レオナルドの真作「ほつれ髪の女」はいいですけど。
 その後、薬用植物園で罌粟を見て、また都心にとって返して三菱一号館で「型紙スタイルという展示見る。日本の小紋なんかの染めに使った型紙が明治以降海外にもたらされて、アール・ヌーボーやリバティ・スタイルのテキスタイルなどに大きな影響を与えた、というわけで、その型紙と西欧の作例が平行して展示されていた。過去の日本の手仕事のすごさに瞠目させられた。

2012.05.15
 昨日の読了本感想にちょっとだけ書き足しした。依頼無しの短編はやっと終わらせ方が見えてきたが、今日は前夜の睡眠がいまいちでエネルギー不足。でもまあ、ここまで書いてきたものが無駄にはならなそうなのでそれは良し。明日はお出かけにつき日記はお休み。

2012.05.14
 ジャーロのゲラを戻す。古道具屋の話の続きを書く。まだうまくピントが合っていない感じ。

 読了本『サイバーテロ漂流少女』 一田和樹 原書房 これはミステリというよりSFという感じ。まあ、つまらなくはない。

 『何日君再来物語』 中薗英助 七つ森書館 戦前戦中の中国で流行し、忘れられてはまた復活する歌、中国人も日本人も歌った「何日君再来」の作詞者作曲者を捜すノンフィクションに、その歌を長く歌った中国人女優の幸いとはいえぬ一生を物語風に加えた一冊。抗日ソングか、日本の謀略ソングか、毀誉褒貶する評価の真実はどこに。戦前上海の映画事情のあたりが、『双頭のバビロン』とクロスする。1929年に上海でヒットした映画が「木蘭従軍」だったというところで、皆川読者はにやりとするのだった。作者は推協賞受賞者。ただし物語部分の文体は低俗で、鑑賞するにはちと辛い。曲名で検索するとYoutubeでたくさん出てくる。中には李香蘭の名前が付いている映画の断片みたいなのもあって、相手役の二枚目は池辺良のようで、日本軍が悪役に描かれていたから戦後の映画には間違いないけど、そこでは日本軍が「その歌のレコードをかけてはならん」と弾圧していた。つまりここでは抗日ソングだった、という評価なのだね。

2012.05.13
 昨日のシュウマイは失敗。玉葱をフードプロセッサでみじん切りにしたせいか、それとも昼のうちに種を作っておいたからか、水が出てしまってうまく包めなかった。点心類はすきなのだが難しい。塩麹の料理本をもらったので、試してみようと思って麹の固まったやつを買ってくる。塩麹に30分ほどつけた鶏肉を焼くというのが美味そう。これなら簡単で失敗することはあるまい。かもすぞ〜
 前からぼちぼち考えていた古道具屋の話を、試しに書き出してみた。まだものになるかどうかわからない。

 読了本『檻の中の少女』 一田和樹 原書房 『キリストゲーム』の人のデビュー作。こっちの方が「あり得る話」に終始している分、変な不均一感がないし、物語も首尾一貫している。ハードボイルド風の主人公も、好きにはなれないが許容範囲。どんでん返しは意外性より納得性が強い。つまり最初からフェアに、なにかありそうに書かれている人物が真犯人だったから、「あっ」というより「ああやはり」という思いの方が強かった。そして動機や犯行方法も不自然ではない。しかしラストの犯人の告白一人称は、なまじ納得できるだけに、まったくもって救いが無く、なんともやりきれないイヤ感満載の余韻を残す。

2012.05.12
 少し仕事の間が空いたので、久しぶりに仕事場の床を掃除する。テーブルの上を片づける。最近はお客がないので、四人で充分食事が出来る広さのテーブルの上が、ろくに空いていない状態。それから服の入れ替え。冬物をしまって夏物を出す。昼前にジャーロのゲラが来るが、戻しには10日ほど暇があるので、今日は読書と数独で一日のんびり。夜はシュウマイやニラまんじゅうを作る。

2012.05.11
 午前中に『胡蝶の鏡』の直しを終える。午後にメール送稿。その後「ホテル・メランコリア」のゲラをチェック。データも直して完了。宅急便で返送。これで取り敢えず手持ちの仕事は片づいたので、もらいもの本から未読のものを一冊。

 読了本『ヘルたん』 愛川晶 中央公論新社 帯に曰く「推理と介護のフュージョン」。しかしこれもまた、昨日の『キリストゲーム』と同じような水と油感を覚えてしまった。ラノベ的なくすぐりとリアルさとミステリ要素がバラバラで、だまのあるシチューみたいな違和感を強く感じさせるんである。タイトル、表紙イラスト、気の弱い無駄に美形な主人公青年、あり得ないほど賢い猫、先輩美人とのすごい偶然の再会、浅草裏に蟄居する元名探偵の老紳士、このあたりがラノベ的な要素。その一方で主人公のいじめられっ子であった悲惨な過去や、すごく嫌な教師、そして彼が取り組むことになる在宅ヘルパーの仕事や介護現場のディテールは、とてもリアルに書き込まれている。で、そこに日常の謎ビター寄りって感じのミステリが混じる。小説としてのまとまりについては、さすがにキャリアを積んだ愛川さんは新人とは比べものにならず、つまらないということはない。充分おもしろい。しかし、しかしなあ、なんである。
 リアルな介護小説じゃ誰も読まないだろうから、読者サービスとして美少年や過去のある美女や元名探偵をにぎやかに盛りつけて、表紙やタイトルもライトっぽく、というのは、戦略としてありなのかもしれないが、相乗効果の逆になっていないか、と失礼ながら書いてしまおう。自己評価の低い主人公が、介護というハードな現場で自己を見出していく展開はかなり感動的である。しかし、ファンタジーなら不思議でもなんでもないが、化け猫でもない猫が、人間に向かってうなずいたりはしない。これではせっかくの介護関係の生彩ある描写まで、嘘くさくなってしまう。元名探偵の設定も面白いし、作者は続編を書く意欲があるらしいのだが、これもリアルというよりは新本格ミステリ的なもの。一作の中にさまざまなリアルの水準が混在するのは、やはり小説としてはうまくないと思う。

2012.05.10
 仕事は『胡蝶の鏡』直しの続き。それと「ホテル・メランコリア」の最終回ゲラが来る。これは明日の仕事。午後はジム。しかしまたすごい雷雨。雨が行った後はやたら涼しくなる。

 読了本『キリストゲーム』 一田和樹 講談社ノベルス ばらのまち福山ミステリー文学新人賞受賞者の第三作。読むのは初めて。作者の職業経験を生かしたリアルなサイバー関係の部分とある程度リアルなキャラ、マンガのようなフィクションとラノベのようなキャラ、水と油が混じらずにむらむらになっているような印象。小説としてはかなり未だしの感あり。

2012.05.09
 昨日はもらいものの只券で八景島シーパラダイスへ。水族館好きなのです。しかしここは設備が古いせいか、アクアミュージアムそのものはいまいち。千葉県の湾内に迷い込んできたつがいのジンベイザメが、ちかぢかと見られて良かったけど。それから丸い水槽でじっとしている座布団みたいなマンボウとか。あと触れるエリアがあって、シロイルカの背中は意外とやわらかい、セイウチの背中は意外とあったかいというのがわかった。ラッコがなにか肌色の棒みたいなものを持っているから、あれもえさかと思ったら、そうではなくてやつのぺ*スであったらしい。身体やわらかいのね。夜は中華街で紹興酒と、浅利の塩焼きそばとか。
 今日は『胡蝶の鏡』のルビをつけていたら、待っていた資料が届いた。竹中工務店の京都伝道院修理報告書のコピー。160枚くらいあるのですげえボリュームだが、小説に使うのはほんのちっとだよ。でも、タイミング良くこんなものが出てきたおかげで、文庫下ろしに書き足しが出来てラッキー。ちなみにこの巻の京介はかなりこれまでと違って変です。みんな気がつかないかもしれないけど、全般にハイテンション。まあ、はしゃいでいるといってもいい。それって先への伏線だからね。ちゃんとつじつまはあってるのさっ。

 読了本『這いよれ! ニャル子さん』 逢空万太 GA文庫 さる人が面白いというので、試しに買ってみました。いまどきはやりのライトノベルってどんなもんじゃらほいというわけで。クトゥルーの邪神が宇宙人で、性格の悪い美少女になって出てきて、主人公につきまとったり主人公を守って戦ったりする。それだけのお話。クトゥルーねたのくすぐり多数。うる星のラムちゃんをもっと凶暴にしたような感じかね。性格悪いといえば、主人公の少年も決して善人ではなく、なにやら殺伐としたラブコメという印象。まあつまらなくはないが、続けて買おうとも思わない。しかしこれのせいで、東京創元社のクトゥルーもの原典に増刷がかかっているんだそうな。

2012.05.07
 『胡蝶の鏡』の直しを一応最後まで。後は資料の到着待ち。明日は一日外出予定、日記の更新はお休みします。

 読了本『増加博士の事件簿』 二階堂黎人 講談社ノベルス ミステリ・ショートショート、クイズという感じ。
 『股間若衆 男の裸は芸術か』 木下直之 新潮社 駅前とかになんとなく立っている男性裸体彫刻について、歴史から現在まで調査しつつ、深くなにかを追求したかというと、するすると表面をなでさすって終わったような、微妙に物足りない本でした。だからといってこれ以上、こういう主題についてなにがいえるかというと、よくわからないんだけど、あの具象的な人体を表現した彫刻というのは、男にしろ女にしろなんのためにあるのかよくわからない、見て楽しいとか美しいとも思えない、奇妙なモンですね。

2012.05.06
 少し散歩でもしようかなと思ったら、雷雨である。止んだと思ったらまた降ってきて、これでは危なくて出かけられないし、かといってパソコンをつけるのも落雷が怖い。ぶちぶちいいながら直しの続行と読書。

 読了本『「安南王国」の夢 ベトナム独立を支援した日本人』 牧久 ウェッジ 戦前からのベトナム独立運動と日本人の関わりを、森達也の『もうひとりのラストエンペラー』を補完し、より広い視野と細部をもって書き記した著書。日本がフランス統治下のフランス領インドシナ、いわゆる仏印に対して持ったさまざまの関わりが、どのように対米を含むベトナム戦争へとつながっていったかがわかる。

2012.05.05
 昨日は午前中、皆川先生にファンレターを書いて、少し仕事をしてからひかわ玲子さんのお宅へ遊びに行く。愛猫ヴィゴをめでたり、まったりおしゃべりしたりして、夕飯は駅近くのトルコ料理へ。味良し、ただしちょっと高い。今日はようやく晴れたので、冬物の膝掛け類など洗濯し、スーパーに行ったらもののよい豚レバがあったので、急遽レバーペーストを作ることにして、自宅に置いてあったレシピの切り抜きをメールで送ってもらい、玉葱とレバーを炒めてそんなことをやっているうちにけっこう時間が経ってしまったが『胡蝶の鏡』の直し進行中。それと、たぶん手直しには関与しないけど、新刊のベトナム関係本読み出す。

2012.05.03
 朝は雨音で目が覚めて、八時になっても全然小やみになる気配もないので、外出は断念し、「そうだ。こういうときこそ読書だ!」と皆川さんの『双頭のバビロン』を取り出す。怒濤の勢いで読み続けたが、11時になってちょっともったいなくなって小休止。まだ雨の降る中を近くのスーパーへ昼飯の買い物に行き、戻ってまた読み続け、3時前に読了。なんというか、すごかった。好きすぎるものは分析も批評もしたくない。のめり込んで、酩酊して、終わってしまって呆然とする。ああ、酔いが覚めない。覚めたくない。実はまだその酔いの余韻の中にいます。なんか、脳の一部がこれまでなかった色に染められてしまって、もうこの色は落としたくても落ちないだろうというような、文字しかみていないのに、作品世界の映像や色彩や匂いが記憶に刻まれている。ひとつの濃密な経験をしてしまった、という感じは、これまで読んできた皆川作品の中でも随一。でも太鼓叩いてお勧め屋をしたいかというと、そんなもったいない、抱きかかえて「見せてあげないよ」と含み笑いをしていたいような、ああもう、ほんとバカになってますね。

 昨日の読了本『オカルト』 森達也 角川書店 森さんの著書はファンで大半は読んでいるけど、オカルトに対するスタンスはちょっと「うーん?」というか、篠田は基本的に、超能力も心霊現象も客観的な現実ではない、脳内現象だろうと思っているもので、でもビリーバーを攻撃するつもりは全然ない。そういう人にとってはそれがきっと現実なんで、客観的な現実なんてのもひとつの共同幻想でしかないんだろうなとは思うから。スプーンが曲がろうが曲がるまいが、自分には関係ないし、目の色変えてその現象を追求したいとは思わない。でもこの連載と同時期に角川のPR誌「本の旅人」で連載をしていた某女性ライターの、心霊ものなんかを読むと「頭悪そうだな〜」とは感じちゃいました。いや、人の趣味にけちつけるのも頭悪いし、これはこの人の本音というより芸風なんだろうとは思うけどさ。

2012.05.02
 文庫の担当者は続けて連休らしく、回答がないのでしかたなく39の16で作業続行。明日は谷根千エリアで開かれる一箱古本市に行く気だったが、天気の具合がわからなくて困惑。

2012.05.01
 朝方目が覚めてしまって、ジャーロの原稿の直す点を思いついたので、それを実行に移してから、それ以上は読み返さずに送稿してしまう。なんとなく集中力を欠いていて、これ以上いじり回してもいい結果は出ない気がしたのだ。それから少し散歩して駅前のスタバに行き、最終回分のプロットというか、書くべき要点をメモって、今回はここまで。戻ってから『胡蝶の鏡』の文庫下ろし作業に入る。今回は伊東忠太の関係で、新しい資料を加えて改訂するところが二カ所ある。しかしテキストファイルの体裁が、41字17行になっているので戸惑った。何巻か前から39字16行に変わったはずなので。しかし実のところ、この新しい字組はいまいち目になじまない。なんとなく粗すぎて、ラノベみたいな気がしちゃうのだ。文庫で買います派の読者の皆様は、そのあたりいかがですか。昔の文庫本を取り出すと、細かいんでたまげるけど。