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2011.11.29
 今月中の割引クーポンがあったので、仕事場から日帰り温泉に。バスを逃してどうしようかと思ったが、グーグルで調べたら徒歩でも34分だと解ったので、なんだそんな近かったか、と歩いていった。濡れ手ぬぐいと本を持って岩盤浴に。一時間以上がんばってたっぷり汗を掻き、手ぬぐいであかすりをしてお湯に浸かり、牛乳を飲み、休息室で顔にパックしてしばしごろん。マッサージ器を使おうかと思ったが、ちょっと贅沢して足もみしてもらう。足裏かなり痛い。

 読みかけ本『現代の建築保存論』 鈴木博之 王国社 どうもこの方の文章は硬くて読みづらい。ひとつ面白かったのは近代から現代の建築史を論ずるのにジェークスピア、『リア王』のせりふ、「えい、必要を論ずるな」を引用していた件。必要を論ずる時に切り捨てられていくもの、それはリア王においては付き従わせる家臣や騎士の数だったが、建築においては装飾とか歴史とかがそれにあたるのかも、という。必要を論ずれば無駄と言うことにされて切り捨てられていくだろうものの中に、実は捨ててはならぬものが含まれているのかも、というのは、今の時代忘れてはならない視点だよね。事業仕分けに喝采していたら、実は、とかさ。人はパンのみにて生きるにあらず、とも申します。

2011.11.28
 昨日よりさらに暗い。しかし明日は雨らしい。旅の荷造り始める。その他は読書のみ。専門書ではあまり読者の興味を引かないと思うので、タイトルだけ書いておきます。
 読了本『建築の世紀末』 鈴木博之 晶文社 『建築物を読みとく鍵』 ガイアブックス

2011.11.27
 朝から薄曇り、なんとなく肌寒い。散歩に行く気がしない。未読本の山からより分けておいた建築本一山から、なかなか読みそうにない本を取り上げて読む。それからポメラを使ってみるが、キーボードの配列などは同じはずなのになぜか字が見つからなかったり、ABCの方が目に入ってしまったりして、スムースに入力できない。これは慣れるまで大変かも。

読了本『ゴシック・リヴァイヴァル』ケネス・クラーク 白水社 ホレス・ウォルポールのストロウベリ・ヒルに、ウィリアム・ベックフォードのフォントヒル・アベイ、ラスキンとラファエル前派。扱われている内容はとても興味深いのだが、いかんせんイギリス人にとっては周知のことや著名な建物でも、素人の日本人には未知の場合が多すぎて、理解が行き届かない。大量の注と内容を補足する写真や図版が欲しいが、そうなると本が厚くなりすぎてダメなんでしょうね。
 ちなみにこれはポメラで打ったのだが、えらく時間がかかりましただ。

2011.11.26
 講談社から転送されてきた読者お便りに返事を書く。残り物のきなこを何かに使えないかとネットを調べ、一番簡単なきなこのクッキーを焼く。薄力粉と砂糖とオイルときなこを混ぜて丸めて焼く、という究極の簡単レシピ。カタログハウスで買った室内あったかブーツが届く。めちゃぬくいが、足だけ熊のキグルミ状態である。人間ダスキンだ、という感じもする。だがまあ、これでかなり暖房器具を使わないでもだいじょうぶ、という感じはある。つんどく本から建築関係書だけを抜き出して別山にして、京都旅行まで出来るだけこの山を減らすことにする。うちに帰るとポメラが届いている。なにげに消費的な生活だなあと思う。こいつの使い方にとっとと慣れて、払った代金分は活用しないとな。

 読了本『東京の階段 都市の「異空間」階段の楽しみ方』 松本泰生 日本文芸社 著者は早稲田の理工の非常勤講師らしい。確かに階段というのは、坂と違って車が走れないし、ちょっと異空間という感じはある。写真が素人写真で、ついている文章も凡庸であんまり面白くないが、テーマと狙いでまあ篠田のような物好きにはそこそこ面白い。金沢にはW坂と暗闇坂という、いずれも名前は坂だが階段があります。魅力的な景観なんで、小説に使いたいと思いながらいまだ果たせず。東京の坂は自分の生まれた土地、本郷にも多いんだけど、この本の写真はやはりいまいち。

 『中廊下の住宅 明治大正昭和の暮らしを間取りに読む』 青木正夫他 住まいの図書館出版局 日本の近代は西欧文明との相克の歴史だなあ、と毎度おなじみの感慨に駆られる、これもテーマ。庶民の住宅はいかにあるべきか、という専門家やお上の視線と、自分がどんな家に住みたいかと思い、どんな家を建てるかという庶民、持ち主の視点のずれとかも面白い。接客ということを重んじた明治からの流れが、各室の独立性を確保して接客空間と日常空間を分離する中廊下式を生み、大正デモクラシーあたりから家族生活を重視して接客を軽んじた居間中心型に移行せんとしたが、戦時下から戦後の物資不足住宅不足が云々かんかんというのが住宅史の常識なんだけど、実態は果たしてどうだったか。専門家は居間中心型を理論的に志向してしきりに普及させようとしたが、それは施主の欲望からは外れていて、むしろ儀式的空間としての床の間つき座敷を求める声が多かったそうだ。そしていまや自宅での儀式的な接客や、家族行事は絶滅したに等しいが、なお「食事は椅子とテーブルでも日本間は欲しい」という日本人が多いそうだ。ちなみに篠田の自宅は居間中心型で、仕事場はマンションで中廊下型ですが、どっちも畳の部屋はありません。なぜか畳の部屋も白いご飯も、我が家ではお外で、温泉旅館とかね、たまに遭うとありがたいけど日常はなくてもいいものになってしまっております。

2011.11.25
 姉とツレと3人で、神楽坂でランチ。少し裏道に入ったところの、昭和の民家を改造したようなイタリアン。目の玉が飛び出るほど美味というわけではないが、2500¥にしては味もボリュームもお得感というレストラン。おかげでまだ全然腹が減らない。老けると量が食べられなくなるものなんだよ。

 読了本『死んだ女は歩かない3』 牧野修 幻狼ファンタジアノベルス うん、おもしろかった。

2011.11.24
 旅行の日程はようやく立て終えた。少し長い旅行をする時は、たいていこうやって詳細な予定を立てるのだが、いざ行ってみると予想外の面白いものが目について、その予定をあっさり放り出してしまったりする。独り旅だから文句をいう人はいない。予定というのはもともと変更するために立てるようなところがある。予定があるから「ここは違うところに行っても、これはどうしても見たいからまた別の日に来る余裕はある」と考えられるから。それともうひとつ、予定を立てるのが純然と面白いからだ。地図を見て、交通機関を調べて、見たいものと見たいものをうまく繋いで、そこに入りたい店を組み合わせたり。こうして行くまでに充分楽しんで、帰ってからはもらってきたパンフや写真を眺めつつ整理してまた楽しむ。行く前・行ってる時・行った後、と三度美味しいのである。篠田はけちだから、かくもしつこく楽しみ尽くす。
 予定は立ったが買ってまだ読み終えていなかった京都本を読む。『京都の平熱 哲学者の都市案内』 鷲田清一 講談社 恩田陸さんのエッセイに紹介されていた本。京都生まれの京大の先生が我が町への愛を語るような本。はっきりいってガイドには使えないが、まあ、京都の人のこだわりみたいなものは少しわかってくる。でも、ここに住むのはよそ者には難しそうだな、と思う。

2011.11.23
 朝仕事場に来て、時間を気にする必要のある仕事はないのだ、と思うのは、少しだけ気の抜けたような、しかしほっと肩がゆるむような気分。今日は暖かいのでベランダを片づけて、伸びすぎて形の悪くなったローズマリーの枝を落としたりする。それから仕事場の中を少し片づけて、つんどく本をチェックし、読んでないけどこの先も読みそうもない本を本棚に移したり、日本の戦前大正昭和、といった、ある程度作品を想定している本はその時にまとめて読むというつもりでこれも別の場所に移し、主として献本の小説本も紙袋にまとめる。これはお楽しみ用というわけで、それでもまだまだ本はあり、「あ、面白そう。これは読まないと」などと思いながらまた山に戻す。週の半分くらいは読書に使えればいいんだけどね。
 午後からは天気に誘われて少しお散歩。近くのお寺なんかもけっこう紅葉がきれいだ。

2011.11.22
 ずーっと時間を気にしながら書いていた徳間の原稿が上がったので、少し休もうと思う。今日は例によって定番のお買い物コース。帰ってきてから京都旅行の資料整理。しかし地図を睨んでいるだけでも、この街の一筋縄でいかなさがひしひしと迫ってくる感じ。住人でもないのに、とてもとても書けるものではありませんね。
 読了本『空想探偵と密室メイカー』 天祢涼 講談社ノベルス メフィスト賞作家の第3作。ただし篠田は初読の作家。なんというか、とても不思議な読み味の小説だった。つまらなくはない。かなり面白く読める。しかしヒロインが好きなミステリの探偵を空想すると、その探偵がヒロインに憑依したような状態になり、推理をしてみせるというのは、どこかで読んだような設定だなあと思っていると、決してその空想された探偵がヒロインの別人格だとか、隠された推理能力の発現だとかではない、ということがわかり、推理は迷走するばかりで、じゃあこの設定にどんな意味があるの???と思っていると、ちゃんと意味というか、それが伏線となるような設定は出てくるのだが、それが五分五分に照応し均衡を保っているかというとなんか微妙にバランスが崩れているような感じもあって、なんなのかなあ、これは、もしかすると父と娘の再生を語るいい話なのか? などといよいよ首をひねってしまうのだった。

2011.11.21
 今日から寒くなるはずだったが、昼間はけっこう陽射しが強い。ゴーヤを取り払う。これがけっこう時間がかかった。仕事は原書房のインタビューのゲラを返したのと、『黎明の書』をまたちらっと手入れして送稿したこと。あとは京都旅行用の資料整理。

 読了本『蟻の階段 警視庁捜査一課十一係』 麻見和史 講談社ノベルス 鮎川賞受賞者の新米女性刑事を主人公にした警察ミステリ第2弾。登場人物も事件もリアリティがあってバランスが良い。ただそのバランスの良さが、翻せば突出して感じられる部分がない、という印象を与えてしまう。つまりなんか、悪くはないけど印象が薄い、という感じなのだ。同じ女性刑事でもたとえば柴田よしきさんの緑子なんかだと、事件の犯人側もすさまじいが、ヒロインに対する男性刑事のセクハラのすごさといったらもう吐き気がしてくるくらいで、そこが忘れがたい印象となっているのだが、本作は全然そういうことはなくて、でもまあ現実はこんなもんなんじゃね? という、そこが良くも悪くも、という感じ。

2011.11.20
 今日は法事というか、まあそういったもんで朝から。それは昼過ぎに終わって仕事場に来たのだが、やたら気温が高くて身体がたまげたせいか、妙にぐったりしていて、なかなか仕事を始める元気が出ない。こういうときに「霊」だかなんだかの話題の好きな人は、「ついてきた」とかいうのでありましょうか。やはりそういうのは現実の解釈の方法に過ぎないと思うんだけどね、いっている当人が「肩が凝った」というより「私の肩の上に浮遊霊がついてきちゃったせいで、どうも重くて困りました」というのが楽しければ、まあそれはそれでいいんじゃないか。でも、そういう人が友達だと、きっとリアクションに困ります、篠田。
 『黎明の書』を少しだけ書き足して、これで終わりにすることに。いつまでも置いておくとめんどいんで、明日送稿してしまおう。どうせゲラがでるのは来年、本になるのは半年以上先の話だ。
 唐突にポメラを買おうと決める。京都旅行の旅行記をノートに手書きするのはいいとして、それをまた整理してサイトに載せる気力が続かない気がするので、あちらで打ってまんま載せれば良かろうという手抜きな考え。ノート・パソコンの導入について長らく迷ってきたが、いよいよ高機能化するパソコンは重いだけで自分には使いこなせまいという結論に達した。ネットもテレビも電子書籍も、自分には旅先で必要ないからな。

 『シャムロック・ティー』 キアラン・カーソン 東京創元社 文字におけるルービック・キューブ、という書評があちらで出たそうだが、篠田的にはクラインの壺といいますか、不思議な手袋といいますか。編み模様や刺繍やビーズ飾りの精妙さに驚嘆しながら、ずーっと手袋の表をたどって、ひょいと裏返した、と思ったらあら不思議、ひっくり返しても表だった、みたいな。面白かったので、著者の前著『琥珀捕り』も注文しました。

2011.11.19
 一応『黎明の書』第2巻を終わらせる。1巻より少し短くなったが、もう力が尽きました。ぜいぜい。

 読了本『人を殺すということはどういうことか』 美達大和 新潮文庫 殺人を犯してしまった男性が無期の判決を受け、現在なお服役中なのだが、自分の罪を見つめる中で、自分以外の人がなぜ殺人を犯したか、立ち止まれなかったのか、いまは自分の罪をどのようにとらえているか、同囚の立場でインタビューしてきたその結果をひどく冷静に、分析的に書き付けた、異色の書というか。とにかく書き手が非常に知的で理性的な人物なので、読んでいると彼が殺人を犯したということを忘れてしまう。ただ、あまりにも感情的でないというところが、この書き手の精神的な問題、あるいは病ではないかと思われると、これはこれでまた人間の精神という沼の底をのぞき込むような、恐怖やとまどいがわらわらと胸に浮かび上がってくる。ただ現在の刑罰システムというのが、決して罪を犯した人間を矯正するようなものではなく、ほとんどの人間にとっては逆に犯罪のテクニックや自己弁護の理屈を学んで常習的犯罪者たらしめる、学校のように働いてしまっている、というのは、正確なところじゃないかと思えた。

2011.11.18
 午前中は仕事の続き。『黎明の書』第2巻の終わりがようやく見えてきた。早く終わらさないと京都旅行の準備が出来ない。
 午後から東京。主な目的はサントリー美術館。ここと神戸市立美術館に左右が泣き別れていた「泰西王侯騎馬図屏風」が一挙に見られる。西洋画の粉本をもとに日本の画家が描いた大作が、なぜか会津藩の鶴ヶ城に残っていて、会津戦争を免れて現代まで伝えられたというのも、よくぞ、の感あり。その他南蛮画南蛮美術、写真でも未見の作品多数あり、見応え多し。京都に残されている南蛮寺の鐘、特別公開の時にしか見られないと最近本で読んだそれも来ていて嬉しかった。けっこう残っているもんだ。そこに展示されていた織部焼きの向こう付けの意匠、これも西洋からの引用らしいなといまさらのように。

2011.11.17
 テレビの旅番組風に申せば、「晩秋の群馬に名残の紅葉を訪ねて、温泉三昧の一泊二日」でした。泊まりは草津近くの秘湯の宿、尻焼温泉関晴館。初日は榛名山を通過して川原湯温泉(例の八ん場ダムでなくなってしまうところ)の公共浴場王湯に入り、翌日は応徳温泉の日帰り施設。場所は近いし、成分表示もそんなに大きくは変わらないのだが、温度も違えば色も違い、つまりは入り心地が違う。応徳温泉というのは道の駅の裏手にあって、もとは高齢者施設として作られたらしい、全然色気のない施設だが、お湯は独特の黒い湯花が浮かび、なかなか良い感じ。帰りは軽井沢に出て、いつものように浅野屋でランチにしてパンを買い、散歩して、スーパーツルヤで夕飯用のおかずを買って帰宅。
 戻ってパソコンをチェックすると、フクさんの書評サイトで『原罪の庭』を絶賛してくださる書評がアップされていて、誕生日のプレゼントをいただいたような気持ちになった。物書きなんて他愛ないもので、誉められればそれだけでもうゴロニャンとなってしまう。特に「本格ミステリ」として誉めて頂けるというのが、まったくもってめったにないことなんで、ええ、ひときわ嬉しゅうござんす。

2011.11.14
 徳間の書き下ろし、ずっと400字詰めで書いていたのだが、それをノベルス字組に流し込んでみると、思った以上にページ数は進んでいたんだということがわかる。そういえばこれは講談社や光文社と違って、18行2段でなく17行2段だったのだ。というわけで、少し章の構成を変えて、盛り上がらないまま書き進めていたラストはごそっと削って時間を飛ばそう、てなことを考える。
 明日は篠田の58回目の誕生日。外出につき日記の更新は木曜までお休み。

 読了本『義経幻殺録』 井沢元彦 講談社文庫 ずっと探していた一冊を先日ブックオフで発見。芥川龍之介が探偵役になる歴史ミステリだが、前作の『ダビデの星の暗号』よりこっちの方がずんと面白い。清朝の開祖の祖先は義経だった、という、まあいまでいえば単なるトンデモ話だが、戦前の一時期は決して笑い事では済まなかっただろうというのはよくわかるし、そこに日本の大陸進出が絡む陰謀話は、とてもコンパクトに出来ているが、もっと細部を書き込んで大長編にしてくれたら良かったのに、という感じ。脇役として登場した某人物の扱いも気が利いていて、久しぶりに小説を楽しみました。

2011.11.13
 読者へ手紙の返事を書く。建築探偵完結記念ポストカードはまだたくさんありますので、欲しい人はどうかもらってちょーだい。冬物を出す。京都旅行の支度をする。掃除をする。といったことをまぜまぜにだらだらと続ける。こんなことばかしりていてはまずいっ、と徳間の書き下ろしの続きをやる。京都に行くまでにけりがつく、かなあ?(自信なさげ)

2011.11.12
 昨日の雨とうってかわった暖かい晴れ日。婦人科の医者からもらっている降圧剤が少なくなったので、医者に行って、ちょっと池袋で、帰るとちらかった仕事場を片づけねばならず、結局今日も一日ほぼ仕事にならず。かくてはならじと龍ローマ編文庫のあとがきを書く。今回は光原百合さんが解説を書いてくれたのだ。

 読了本 たくさんあって感想を書いている気持ちの余裕がないので、ほとんどはタイトルだけ書いておきます。
『隅の風景』 恩田陸 新潮社 巻末のおすすめ旅の本のセレクトが面白い。京都関係をさっそく購入。参考にさせてもらう。
『日本ボロ宿紀行』 上明戸聡 鉄人社 ボロ宿といっては申し訳ない渋い日本旅館から、ボロ宿としかいいようのないホラーな宿まで。
『井上ひさしの日本語相談』 井上ひさし 新潮文庫 いつも校閲の指摘に頭を抱えるアホ小説家自分なので、勉強になった部分もあるが頭が着いていかない部分も。日本語ってムズカシイ〜
『絶頂美術館 名画に隠されたエロス』 西岡文彦 新潮文庫 タイトル通り。まあわりとおもしろいです。
『もうダマされないための「科学」講義』 光文社新書 大宅瑛子推薦 3.11以後を生きる我々には必要な知識
『第四の男』 石崎幸二 講談社ノベルス 『欲のない犯罪者』 伊沢元彦講談社文庫
『彼女が追ってくる』 石持浅海 ノンノベル 相変わらず後味が悪い。

2011.11.11
 江戸東京博物館へ「世界遺産ヴェネツィア展」を見に行く。けっこう充実した展示内容で、工芸があったり絵画があったり建物の模型があったり本物の大理石製井戸枠が来ていたり。刺繍も華やかな18世紀の衣装や袋物、昔の風俗のわかるピエトロ・ロンギの絵とか。しかしカタログの印刷があんまり悪くて、買う気になれなかった。

2011.11.10
 ジムの近くにシネコンがあるので、今週は三谷幸喜の喜劇映画「ステキな金縛り」を見に行く。久々に楽しく笑わせてもらった。こういうひねりの効いた喜劇というのは実にいいです。西田敏行がジョーバに乗っているシーンで爆笑してしまったよ。でもひとつだけ枝葉末節的ないちゃもんをつけてしまうと、別に金縛りはステキではない。物語のきっかけだけど。

2011.11.09
 昨日は友人と小金井のたてもの園へ。久しぶりに新公開の建物が加わった。港区白金台にあった乾物屋大和屋本店と、青梅の街道沿いに立っていた旅館、万徳旅館。どちらも大変に見応えがある。この後西ゾーンには以前四ツ屋駅近くの高台にあった三島邸が再建されるらしい。これはドイツ人建築家ラランデの作品で、三島由紀夫の『鏡子の家』の舞台モデルとなったことでも知られる洋館。だから三島邸、というんじゃないけど。この三棟はいずれも10年以上前に解体されて、部材として保管されていた。東京都の予算が付かなかったからだが、今回ようやく形を取り戻すこととなったのが大変にめでたい。園内のうどん屋で武蔵野うどんを食べ、自然林風の風情漂う園内と、さらに外の小金井公園を散策。ちかくのスーパー銭湯で入浴して、東伏見駅前の焼鳥屋でいっぱい。いや、三杯。
 昨日は18000歩歩いたから今日はいいや、というわけで、外に出ずに今日は真面目に仕事してました。239枚まで。しかし、こんやは冷えるね。

2011.11.07
 217枚まで。本に引かれて20枚書けず。反省。明日は外出につきお休み。

 読了本 『邪馬台』 北森鴻 浅野里沙子 新潮社 昨年一月急逝した北森さんの中断した連載を、婚約者の浅野さんが書き継いだ、蓮丈那智シリーズの長編。連載は小説新潮で、すでに終盤にさしかかっていたらしいが、雑誌をチェックしていないので、北森さんの連載分には手を入れていないのかどうかとか、そういうことはわからない。
 以下、内容に言及しますので、知りたくない方は読まないでください。


 文章的に、木に竹を接いだような違和感はまったく感じさせない。キャラの立て方やせりふ回しもちゃんとそれらしい。冬狐堂宇佐美陶子や、雅蘭堂越名集治など他シリーズのメンツも登場し、以前の作品に関する言及もかなり多いなど、シリーズの集大成を思わせる話の運びになっているのは、かなり早い時点からなので、当然それは北森さん自身の構想だったのだろうと考えられる。ただ通読してみると、どうもよくわからない。蓮丈の二人目の助手佐江由美子の妹がさしたる必然性もなく唐突に現れて、またそのまま消えてしまうとか、助手の内藤が交通事故にあって二ヶ月病院に閉じこめられるが、それはただの事故だったらしく、内藤がベッド・ディテクティブに徹するだけで、物語的にまったく必然性が感じられないとか、納得のいかない部分がいくつもあって困惑させられる。邪馬台国を巡る蓮丈的推理は目新しく、おお、と思わせるものを含んでいるのだが、登場人物がかわるがわるカメラの前に現れては、意見を交換して入れ替わるといった静的な印象しかなく、つまり物語の躍動もスリルもなく、仮説をせりふ割にして読んだというような印象しか残らないのだ。単行本にする時に手を入れるつもりだったとも考えられるが、中絶のまま本になった徳間の『暁英』の方はそんな感じはないので、やっぱりよくわからないとしかいいようがない。

2011.11.06
 仕事場の周囲はお祭りだけど、こちらは関係なく黙々とお仕事。やっと202枚まで。書き忘れていたみたいだけど、原書房の本は来週の半ばくらいには書店に出るようです。よろしくお願いします。

 読了本 美術関係の本で目について買ったやつをまとめて読むつもりで、最後の一冊が時間がかかってしまった。
 『近代美術事件簿』 瀬木慎一 二玄社 日本の芸術家はずーっと芸術とはあんまり関係ないようなコップの嵐をやっていたのねー、という本でした。どっちかというと、原書房の書き下ろしの前に読むべきような本だったけど、幸い「しまった」というようなことはなかったです。
 『偽りの来歴 20世紀最大の絵画詐欺事件』 ソールズベリー他 白水社 贋作事件の本も書き下ろしの前にまとめて読んで、かなりげんなりしたもんだけど、これは多視点で贋作絵画を描いた画家、描かせた詐欺師、引っかけられた人、気がついた人、捜査陣、いろいろな人物のカメラアイで事態が進行することと、贋作を本物に見せるために美術館の資料室に名士として出入りして、そこに嘘の資料を混ぜてくるという、コロンブスの卵的手口を大々的にやらかしたという、事件の目新しさが非常に印象的。テレビの「何でも鑑定団」など見ると、中島誠之助さんが「箱が大事、来歴が大事」とよくいうけど、そこを偽造するだけでなく、参照すべき資料室に似せ資料を紛れ込ませるというのは、確かにお見事でしたわ。
 『FBI美術捜査官 奪われた名画を追え』 ウィットマン他 柏書房 盗品の絵画を買い手と偽って買い取ると見せて摘発する潜入捜査官の手記。しかしへえと思ったのは、ひとつ、アメリカ人は独立戦争や南北戦争の歴史資料に萌えるらしい。ふたつ、アメリカにも「何でも鑑定団」そっくりのテレビ番組はある、しかしそこに登場する古物商が、有名になったことを利用してご先祖のお宝を買いたたいたり取り上げたりという、詐欺事件が起きたそうです。

2011.11.05
 粛々と仕事。第四章を書き進める。183枚まで。

 読了本『妖櫻忌』 篠田節子 角川文庫 日本幻想作家事典の篠田節子の項に載っていた未読の作品を読んでみた。キーパーソンの女性が物語の開幕時にはすでに死んでいるにもかかわらず、その女性を巡って物語が展開するタイプの話で、その定型はデュ・モーリアの『レベッカ』が最初だろうか。これは合理で落ちるミステリもあれば、オカルトにいってホラーで終わるタイプもある。さらにこのタイプの下位分類として、死んだ女性が作家である、という作品群があると思う。なぜかどちらも男性よりは女性の方が作例が思い浮かべやすい。で、この作品もそのひとつ。死んだ人物が作家だとなると、性別にかかわらずやはり作中作がそれらしく出来ているか、というのがひとつポイントになるが、さすがにお達者。しかし「これまでも書かれているタイプ」を大きく超えたという感じはしなくて、終わり方もまあこうなるだろうな、という結末でした。出版社の編集者に、なんか某社で著名な編集さんの口癖が引用されているのが、ちょいと笑えます。井上夢人さんの長編エッセイ『おかしなふたり』を読み比べると出てきます。それから宇沢という編集者は、たぶん宇山さんがモデルですね。
 『書物輪舞』 赤城毅 講談社ノベルス 古今のフィクショナルな奇書珍籍が登場する、広義のミステリ。いつも楽しく拝見しています。仕事場には基本的に小説本は置かないんだけど、このシリーズだけは並べてある。といっても読み返すわけではないんだけど、なんとなく。

2011.11.04
 原書房に献本リストをメールで送る。それから光文社文庫の異形コレクションがまたショートショート集をやるというんで依頼が来て、8月に書いたまま全然忘れていたののゲラがいきなり来たので、それをチェックして封筒へ。今日はジムだけどその前に映画。「三銃士 王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船」 馬鹿映画だと聞いていたが、本当に馬鹿でした。原作からもとんでもなく離れているし、なにせ荒唐無稽。精神的な深みなんてものはかけらもない。人物の位置づけや関係を変えてしまっているのに、原作で登場するメインプロット、フランス王妃を罠にかけようとするリシュリューの陰謀をくじき、王妃を助けるためにダイヤモンドの首飾りを取り返しに行く任務、というのを無理矢理突っ込んでしまっているものだから、物語がとんでもなく不自然。しかし登場人物のキャラは立ちまくりで、三銃士それぞれも魅力的だし、女スパイのミレディはめちゃめちゃ強くてかっこいい。オーランド・ブルームがバッキンガム公爵で、これがリーゼントヘアに耳飾りという扮装もアホならやることなすことアホ(誉めていえば色悪というような役所なんだけどさ)で笑えてしまう。18歳のダルタニヤンはなかなかにチャーミングで、宿敵ロシュフォールは原作とブレが少ない数少ないキャラで、ふたりのちゃんばらはなんとノートルダム大聖堂の屋根の上。滝沢馬琴の時代から、屋根の上の立ち回りというのは好まれるものなのか。まあともかく2時間近く、笑って楽しませてもらいました。馬鹿はこの場合いちおう誉め言葉っす。でも値段は1000円が上限適正価格っすね。

2011.11.03
 文化の日って晴れの特異日じゃなかったっけー。一日どど曇りでした。相変わらず仕事してました。3章が終わって4章に突っ込んで166枚まで。しかしこれからの展開は、またちょっと考えないとならない。
 『黄昏に佇む君は』の見本刷りが到着。今年初めてということは、かなり久しぶりのハードカバー。値段は正直言って高い。1800円ぷらす税。でも柳川貴代さんデザインのとてもきれいな本です。中身はもちろんちゃんと面白いです。建築探偵外伝と帯に書かれていますが、そっちは読んでなくても問題なし。でも読んでいる人には、それはそれでサプライズが埋まっておりますので。書店に並ぶ日は、担当に聞いてまたここに書きます。

 読了本『晩年計画がはじまりました』 牧野修 角川ホラー文庫 私の牧野さんに対する期待値は大変高いので、これくらいだと「まあ平均?」くらいに思ってしまう。ヒロインは福祉事務所の若きケースワーカーで、そこで関わる人間と福祉の限界などという、そりゃもうリアルホラーでしょうよ的な世界がじわじわイヤ感を掻き立てていくと、そのうちサイコというかスーパーナチュラルな事件が起こりだし、でも怖いのはむしろやはり前半。あることの原因がヒロインの中学時代にあると判明するあたりから、ちょっとありがち臭が漂ってきてしまい、そうするとあんまり怖くなくなってきて、ラストはバッド・エンドだけど、これもそれほど衝撃力はなくて、全部「まあ平均」な感じだった。しかし後書きを読んでいたら、牧野さんも311の後原稿が書けなくなったそうで、ああ、やさしい人なんだなあ、と思う。

2011.11.02
 池袋。ロフト行って、リブロ行って、リブロになかった文庫本を一冊買いにジュンク堂に行って、無印良品に行って、帰る。リブロでは、先日ひかわ玲子さんから勧められた『平和を破滅させた和平』という、オスマントルコ帝国末期とアラブ情勢について書かれた二巻本を買い、さらに新聞の読書欄で見つけた『ハドリアヌス』を買う。後者はあのマルグリット・ユルスナールが小説に書いた、実は篠田も龍シリーズの中編で登場させた、ローマ帝国皇帝に関するノンフィクション。すごいディレッタントで、旅行好きで、建築好きで、自分が愛した美少年に死なれたらその子を神様にしちゃったという、まあなかなかにはじけたところのある皇帝さんです。しかしこの3冊でなんと1万円越すのだよ。うへえーっと思ったが「いや、こういう本をおいらが買わなかったら誰が買う」と思って、よいしょっ、と購入してしまう。なにか資料に、なるかしら・・・

2011.11.01
 139枚まで行ったけど第3章が終わらなかった。でもいい加減疲れたので、明日はちらっと池袋まで買い物に行く予定。読む本はつんどくが溜まる一方なので、今年も神保町の古本市はパスかなあ。