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2011.09.28
 秋の軽井沢へ一泊二日で旅行してきました。建築探偵的には碓氷峠で元鉄道線路脇にあった丸山変電所の赤煉瓦建築を見学。夜は万平ホテルのアルプス館で、ちょっと不思議な和洋折衷の部屋にお泊まり。洋間なのに床の間がある。そして風呂は猫足の舟形バスタブ。しかし篠田はちびなので、舟形バスタブはヘタすると溺死の可能性がある、とてもデインジャラスなものなんであります。昔マレーシアのカメロン・ハイランドにいったときもクラシックなリゾート・ホテルで、そこのバスタブが浅くて滑りやすくて、お湯に浸ろうとしたらほとんど寝湯で、立ち上がろうとしても滑っちゃう。翌日は軽いハイキングといっても、なめてかかったらけっこう長かったぜよ、の1時間で見晴台へ。熊野神社でカラスのお守りなんか買って、バスで戻ったらストールを忘れてきたのに気づいて車で戻ったり、もー、我ながらアホ。その後ルヴァン美術館というのに行って、ハルニレテラスでパン食べて、ツルヤで買い物して、帰りは横川のサービスエリアで釜飯を買ってこれがお夕飯。あああ、遊んで帰ったら仕事のメールがどば。
 しかし、この軽井沢は「20周年記念ね」ということだったのに、今日ツレがいうことにゃ、「1992年からじゃ、20周年は来年じゃないのか」。ええい、まけといてよっ。

2011.09.25
 せっかくウォーキング日和になったのだからと、買い物のついでに散歩コースへ足を延ばす。昨日よりは雲が多いと思ったが、日の出る時もあって、そうするとまた背中が暑い。どうも陽射しが強い、という印象がある。こんな時期になってゴーヤの雌花がひとつ咲いた。しかし今日も青虫一匹発見。いまからでは大きくなるまで木が持たないかもしれないと思いながら、咲いたものを放置するのも可哀相なようで、隣の雄花を引っ張ってきて花心にちょめちょめする。
 活字倶楽部が版元が変わって、書籍扱いになった。急に発売が延期になったというので、またひとつ、なじみの雑誌が消えるのだろうかと心細く思っていたところだが、一応これまで通り季刊で存続するらしい。夏秋合併号の「文学少女のためのコミケ入門」という頁に、コメントみたいなものを書いてます。
 明日明後日外出につき、日記の更新は水曜日になります。

2011.09.24
 ようやっと秋晴れ。自宅近くの曼珠沙華群生地に行くと朝からすごい人出。林間の道も渋滞。しかし川の小橋は流されて橋脚だけが残っていた。水の威力はすごいなあ。

 読了本『名画の言い分』 木村泰司 ちくま文庫 西洋美術は見るものではなく読むもの、という趣旨で古代ギリシャから印象派まで、西洋美術の主流の鑑賞ポイントをお教えしますという、受験参考書のような本。役には立つが、あじの開きの骨だけもらったような味気なさ、というのも正直なところ。もともと美術史に興味のない人が、これを読んで「うむわかった」ということにはならないので、入門書とも言い切れない。西洋美術にすでに興味があって、何枚か好きな絵、あるいは好きな画家がいて、その作品や作者は美術史の流れの中ではどういう位置づけになるんだろうか、というようなことを知りたい人には一番有用かもしれない。著者は印象派が好きらしく、そこにくると急に骨に肉が付き始める。文中で話題になる絵画のほぼすべてをカラー図版で(ただしとても小さいので鑑賞用にはならない)収録してあるのはグッド。
 『えびな書店店主の記』 蝦名則 港の人 古書店の主人が店の目録に載せた編集後記を集めた本らしい。篠田はネット「日本の古本屋」に登録しているので、そこからのメルマガに紹介されていた。なぜ買ったかというと、ピエロ・デッラ・フランチェスカの絵を全点見ようという目標を立てて、そういう旅をされたというので、あまり日本人でこの絵のことを書いている人がいないように思い、珍しやと手を出した。故有元利夫が愛したあの絵です。私は全点どころかほんの一部しか見ていないけど、彼の作品を思い浮かべると他のどの画家よりも「ルネサンスのイタリア」という感じがする。静けさや、澄んだ色や、構図の遠近法の端正さが快いのであります。

2011.09.23
 昨日は午前中は夏の再来のようなてかてかの暑さなのに、午後からまた大雨が降り、その後に急に涼しくなるというあわただしい天気。今日も曇りや小雨で終始して、ちっとも秋らしいさわやかな空がやってこない。だらだらと進まない原稿を書いてました。

2011.09.21
 眼科でもらっている眼圧を下げる目薬が無くなりそうで、今週は祭日のおかげで医院の開いている日が少ないものだから、台風の中を朝から出かける。いつもは年寄りがたくさんいて一時間やそこらは待たされるのだが、さすがに今日は空いていてわりとスムースに終わり、薬を入手して池袋。文房具、本、雑貨、食品とお決まりのところを回って一時半には帰着できたが、この頃から風雨が強くなってきて落ち着かない上に、朝方雨音で早く起こされたせいか、はたまた気圧のせいか頭が重くぼおっとしてきて労働意欲湧かず、結局仕事場から早めに撤退。

2011.09.20
 昨日まではちょっと動いただけで汗だらだらだったのに、今日はいきなり肌寒くてびっくり。ゴーヤを二本収穫。今年は数は出来ているが、100グラムにもならない小さいのが多い。しかしうちは二人暮らしだから、ちょっとした副菜を一品ゴーヤで作る場合は小さい方が使いきりでいい、ともいえる。昨日作ったのはスライスして軽く塩したゴーヤを、梅おかかであえたもの。自家製の梅干しの種を取って少しの間塩出しし、叩いてみりんと合わせおかかを加えた、それであえたのです。もう一品、塩味の野菜焼きそばにゴーヤを入れたのもなかなか良かった。
 やっとジャーロ書きだし。

2011.09.19
 依然ジャーロの第四章書き出しに苦慮。

 読了本『灰王家の怪人』 門前典之 南雲堂 こういうのを「本格ミステリの大作です」といって差し出されると、「いやもう本格ミステリけっこうです、たくさんです」といいたくなってしまう。いまどき捨て子で、土蔵の座敷牢で、そのトリックじゃないネタ明かしがこれで。不可能状況です、謎ですといわれても、グロくて突飛なだけで美しくも何ともない。でもまあ、きっとこういうのが「おお重厚な本格ミステリ」「幻想的な謎と論理的解決」といって大好きな人もいるんだろうから、趣味嗜好の問題といっておこう。

2011.09.18
 ジャーロはこれまでの書き散らしたメモの整理まで。

 読了本『黄金夢幻城殺人事件』 芦辺拓 原書房 『真夜中の探偵』 有栖川有栖 講談社 どちらも本格ミステリの書き手と見なされている作家の、本格ミステリのメインからは多かれ少なかれ離れた作品。前者は劇の上演台本を改めて戯曲化したものを中心に、その前説やメタ的エピローグに、いままで本にならなかった他の短編も収録した、ちょっと変わった成り立ちの作品集。主人公の「少年探偵スバル」は篠田が子供の時のマンガ「まぼろし探偵」やら「ビリー・パック」やらを連想させるが、作者に「萌えてください」とアジられても、残念ながら半ズボン少年に萌えツボはないので、その点についてはそういう趣味の人におまかせする。話は普通に面白いが、芦辺作品のレベルからいえば絶賛までは行かない。
 後者は理論社のミステリーYA!シリーズとして刊行された『闇の喇叭』の続編。私立探偵が非合法化されたパラレルワールド日本を舞台に、探偵たらんとする17歳少女が、国家権力の弾圧に耐えながら事件に立ち向かう。孤独な少女の心情はハードボイルドっぽく、奇妙な殺人事件のトリックを彼女が解き明かす部分は本格だが、特殊設定の外枠の比重が高く、その分印象はミステリよりもパラレルワールドSFぽい肌触り。版元の都合で絶版になった『闇の喇叭』も講談社から再刊されているはずだが、本の中に最終ページの広告以外、その種の説明が一切なされていないというのは、やはり不親切ではないかな。

2011.09.17
 接近する台風の影響か、湿り気を含んだ風が強い。ジャーロの連載、リセットした頭を戻すべくこれまで書いていた連載分を読み返すが、どうも乗れなくて苦慮。

 読了本『米山勇の名住宅鑑賞術』 米山勇 TOTO出版 明治から戦後の著名な住宅17軒を訪問見学し、毎回のゲストとともに鑑賞の要点を教えてくれる。似たような本はこれまでにもあったが、この本が優れているのは撮り下ろしの写真が豊富なこと、専門用語の解説がかなり細かいこと、そして必ず平面図がついていること。篠田は建築本を読んでいつも「なんで平面図がないんだーっ」と叫ぶことが多かったので、そこがとても嬉しい。図面を見るのは昔から好きだし、頭の中で建物を再構成するには写真と文章だけでは足りないからだ。なお、この本には建築探偵で登場した建物のモデルになった建物が多数あります。那須の青木周蔵邸→『月蝕の窓』、鳩山一郎邸→『花の形見に』、駒井卓邸→『胡蝶の鏡』、朝香宮邸→『美貌の帳』。建築探偵ではないけど原美術館は『閉ざされて』の函館の家のイメージモデル。まだ使ったことないけど、使いたいのが青淵文庫(飛鳥山公園に建つ渋沢栄一ゆかりの建築)と、細川護立邸かな。

2011.09.16
 仕事場の掃除をする。ジムに行く。本を一冊読む。で今日はおしまい。どんな本だったかというと↓

 読了本『剣の道殺人事件』 鳥羽亮 講談社文庫 最近は書き下ろし時代劇文庫がたくさん出ている作家だが、デビューは1990年の江戸川乱歩賞、でこれが受賞作。全日本学生剣道大会の試合中に、突然ひとりの選手が腹に凶器を突き立てられて倒れた。衆人環視の中、誰も凶行に気が付かなかった。犯人は透明人間か、という出だしの掴みは強烈。実はなんでこれを読んでいるかというと、神代さんのことを考えていてもう少し剣道のことを知りたいのうと思ったから。この作者はたぶん自分でも剣道をやっている人なんではないか、剣道の試合や剣道関係の描写は非常に生彩があるので、篠田の目的は達せられたが、それではミステリとして、また小説としてどうだというと、デビュー作らしい稚拙さがかなり強い。
 当初の不可能興味は半分も行かないうちにだいたい想像がついてきてしまうし、犯人もそうすると決まってしまうのだが、それはまあいい。犯人が「現代人かよ」といいたくなる特殊な精神構造をしているのも、剣道ってそういうものかもと思えばまあ納得できなくもない。効果的でない多視点(こういう話なら視点人物は警察側ひとり、素人探偵ひとりで充分話を回せるのに、その場その場の人物を視点にするからだらついてしまう)とか、全然ミステリマニアでもない剣道青年がいきなり「密室」とか「ダイイングメッセージ」とかいって、名探偵紛いのもってまわった推理の真似をするへんてこさとか、それもデビュー作にはありがちなことかも。かなり気に障るのは女性の書き方が、ヘタを通り越してご都合主義以外の何者でもないのだが、それもねえ、まあよくあること。世評の高かった『テロリストのパラソル』だって女の書き方は紙人形だったから。
 しかしこの話の素人探偵は「京介」というのだよ。「京介」が剣道青年で、伯父が刑事で、恋人に突然自殺されて剣道を止めて、伯父から相談を受けて素人探偵を買って出て、それは恋人の自殺と剣道試合の不可能殺人が関係あるのではないか、という直感からで、その直感は案の定正しいのだが、恋人の死の真相を探ってるにしては全然彼女のイメージが彼の中に希薄だし、恋人の友人という女の子が積極的に近づいてくるとたちまちそれを許してしまったりして、こら、てめーには節操ちゅーもんがないのか。なんだいこの男は。しかも「京介」。だはは、勘弁。

2011.09.15
 原書房のゲラ、一応最後まで終わらせる。少し休んで仕事場の掃除をしてからジャーロの連載に取りかかる予定。久しぶりなので話を忘れてしまったよ。だめだめだなあ。

2011.09.14
 秩父に行ったとき同行の友人が植物に詳しい人で、「これクルミだよ」というので青い実がたくさんついた枝を一本持ち帰った。中に桃の種くらいの堅いものが入っているのを、包丁で剥いてさらにたわしでこすると、ほんとうにクルミの殻だ。先が鋭くとがったオニグルミというやつ。面白くなってせっせと剥いていたら、気がついたら指と手のひらが黒くなっていて、これが洗ってもこすっても落ちない。ハンドソープでもクレンジングオイルでもほとんど状況が変わらず、怪しい茶色でお猿さんの手みたい。取り敢えず他人と会ったり握手したりする必要はないけど、見るたびになんとも見栄えが悪くてめげる。
 今日は原書房の長編ゲラ。昨日プリントアウトを再読して細かい直しを入れたので、それとゲラの指摘を会わせて直しながら双方の直しを相互に転記。これを改めてデータに反映させた上でゲラを返却する。思ったより時間がかかるが、なんとか今週中に終わらせたい。

2011.09.13
 なぜか仕事というやつは、来る時は踵を接してくる。原書房のゲラを読んでいたら、ジャーロの〆切が来月半ばだという。えー、再来月あたりだと思ってた。やべえ。かなりタイトじゃん。というわけで、徳間書店は地平線の向こうに消える。仕方ない。一度にひとつずつしか出来ないんだもん。原書房上げたらジャーロぎりぎりまで頑張るしかない。パーティもあるのに。うー、温泉行きてえ。

 読了本 余裕無いのでタイトルのみ 『五色沼黄緑館藍紫館多重殺人』 倉阪鬼一郎 講談社ノベルス 『密室殺人ゲーム・マニアックス』 歌野晶午 講談社ノベルス 『無名仮名人名簿』 向田邦子 文春文庫

2011.09.12
 今日、今シーズンで初めてヒガンバナを見た。晴天が続いているせいか、空気の湿気が抜けてきてさわやかになってきた気がする。今日は風もあった。しかし「秋だ」というにはちょっと陽射しがきついなあ。
 原書房のゲラが仕事場でなく自宅に届いてしまったので、今日は徳間を続ける。手を止めなければならないと思うと、なんとなくもうすこし書き続けたい気がしてくる、我ながらへそまがりな性格。

2011.09.11
 暑いです。頭ぼけます。仕事進まないです。
 明日は原書房からゲラが来るから、本になるかならないかわかんない徳間の原稿はそろそろ投げます。情けないことに、編集者に不義理されるとモチベーションが下がって創作意欲も衰えるらしいです。おまえ何様よって、自分でも思うんですけどね。依頼がなくても書くか書かないか。書きたいと思う気持ちはそう簡単には消えないと思うけど、それを作品にまで鍛え上げるパワーは、消える可能性が高いですね。趣味じゃないんで、読者がいてくれて初めて意味が出来るのがエンタメだと思うし、お前の小説なんて誰も求めないよといわれたら、それまでよ。もう書かなくていいんだ、と思うのは、きっとさびしいけど、すごくほっとすることでもあるという気がする。自分と世界をつないでいた、太い鎖が消滅するわけ。そんな日が来る前に死にたいという気もするけど、そりゃ考えても仕方ないことだし、死ななければそうやって順にいろんなものを手放して、いずれ彼岸へ渡るんだろうね。津波にさらわれたり、ビルが崩壊して、いきなり不慮の死を迎えねばならなくなった人に比べれば、それも幸せだとは思うけれど、いきなり難病になって死んじゃう人だっているんだし、どんな形にせよラストが来るまでは、無様でもなんでも生きていく。まあそれだけね。

2011.09.10
 なんかもー、めちゃめちゃ蒸し暑い。一度涼しくなって「あー、今年はもう秋かしら」なんていっていたもんだから、この暑さがやたらと身に応える。しかし真夏の真昼をエアコン使わずに乗り切ったんだから、いまさら使うのも悔しいやん。ていうか、室外機の前ゴーヤのカーテンでふさがってるし(ホント)。というわけでひたすら暑さと闘ってるから全然仕事が進まないよ。
 PHP文芸文庫の『幻想建築術』は15日ごろ書店配本。今日は表紙を描いてくれた建石修志さんに礼状を書いた。昔、季刊幻想文学に連載したかなりディープな幻想文学ですが、まあ篠田の書くものですから、純文学っけはゼロです。エンタメです。

2011.09.09
 昨日は友人と秩父へ、天然氷のかき氷が評判の店にいこーぜ、という話になって、でも電車で直行ではつまらない。せっかくお天気も秋晴れだし、しばらく歩こうというわけで、秋風と道野辺の草花を楽しみつつてくてく。途中農産物の直売所に出くわして安さに感動したが、まさか茄子やイチジクをかついで歩くわけにも行かないしと泣く泣く諦め、秩父鉄道の途中駅から長瀞まで乗って件のかき氷屋に行くと、ウィークデーなのにまさかの大行列。神社に参って戻ってみると行列はさらに膨張し、1時間でもまず無理だろうという感じ。さすがにそれは馬鹿臭い。近くにもう一軒、そちらが本店なのかな、店があるというので行ってみたらそちらは定休日で万事休す。しかたないねー、というわけですっぱり断念して、山の中の日帰り温泉までまたまた歩く。これが3時間650円というリーズナブルなお値段で、ほどほどに田舎っぽくぼろけている加減が実にわたくしの好み。今風のお洒落なスパとか、ああいうのよりはずっとよろしい。おまけにそこで食べた宇治金時ミルクのかき氷400円がとてもきめ細やかで美味であった。これでいいやん。入浴後は牛乳飲んで、日本酒の生酒飲んで、帰りのバスに乗り遅れてタクシー呼んで。家に帰り着いたら万歩計が33000超え。さすがに今日は使い物になりませんでした。ダメじゃん、自分。

2011.09.07
 昨日の担当がよんどころない事情で来月から少しの間休みに入るので、前倒しで次回のメランコリアのデータを送稿する。ついでに北斗学園のデータを、文庫の字組に流し込んでページ数を出してみる。1と2はいずれも290頁からもうちょっとというところだが、3はかなり分厚い。400頁近くなってしまう。思い出してもこの話は、後半に構想がぶわっと膨らんでしまって、というのはプロットを立てずに小説を書く悪癖の結果以外のなにものでもないのだが、これを100頁削るのはまず無理。だったら上下二巻にさせてもらえないか、などと野望を抱いてしまう。その後は相変わらず、徳間の出してもらえるかどうかわからない原稿を書き続ける。

 読了本『ダビデの星の暗号』 井沢元彦 角川文庫 前から探していた本の1冊をブックオフで発見。若き日の芥川龍之介が伊達騒動に関する暗号の謎を解くという趣向で、こういう小説は実名のキャラがいかにそれらしく、魅力的に書かれているかがひとつのポイントになる。その点はとてもグッド。伊達騒動というのは歌舞伎の外題にもなったお家騒動で、こちらは現代人にとってそれほど魅力的な謎とはいえないが、それでも幕府と外様大名と京都の朝廷の暗闘が透けて見えてくるあたりはかなりスリリング。ただ作中の現在時である明治時代に起こる殺人と、それに関わる謎めいた人々の構図はあんまりぱっとしない。日本ユダヤ同祖論というのは実際この時代に流行したトンデモ説のひとつだけれど、教養豊かな芥川龍之介が、籠目文や安倍晴明印、つまり六芒星形や、五芒星形をまるで知らないなんてことがあるもんだろうか。明治のインテリは西欧に目が向いていたから、こういうことにはかえって無知だったのかな。

2011.09.06
 今日は神楽坂で担当編集者と会い、ホテル・メランコリアのその後と来年の単行本化、PHP文芸文庫で引き取ってもらう北斗学園のスケジュールなどについて話す。この付近は以前は何軒もコーヒー屋や喫茶店があったはずなのに、気が付くと旧来の店は全滅していて、代わりにあるのはチェーンのセルフ店と飲み物以上にフードに重きを置いた新興カフェ。これはけっこう食べ物も飲み物もちゃんとしたものなのだが(紅茶にはちゃんとミルクが出てくる、クリームではなくて)、居心地という点ではやはりちょっと違う。東京で「普通の喫茶店」は絶滅危惧種なのだ。京都には魅力的なカフェがたくさんあるのに、なぜ、とちょいと悲しくなる。

2011.09.5
 今日までまだ台風の余波。風は収まってきたが空は暗く、湿度は高く、夕方雨降り。ホットコーヒーを飲む気になれない。お昼になぜか「シラス干しを入れた和風のスパゲティが食べたい」という欲望が盛り上がり、ペペロンチーノ風で少し醤油を入れて刻み海苔で仕上げようと思ったが、スーパーに行ったら小松菜があったので、これをいれてパスタを減量することに。50グラムの平たいパスタ、茹でる最後に小松菜投入。ニンニクはオリーブオイルでゆるゆる加熱して、パスタと小松菜投入、醤油とシラス。美味かった。出来れば山盛り食べたいところを、ぐっとこらえました。
 PHP文芸文庫の『幻想建築術』は9/13発売決定。原書房の単行本『黄昏に佇む君は』は11月初旬の発売予定。これが著書の55冊目かな。今年は本の数は多いけど、完全な新作は2本目なんだ。まあ、旧著が出し直ししてもらえるというのは、この本が売れないご時世には贅沢な話だよね。

2011.09.04
 台風も昨日で終わりかと思ったが、今日もけっこう風が強いし、一度はバラバラっと音立てて雨が来て、五分も続かずに止んだり、落ち着かない天候だった。夜になってやっといくらか気温が下がってきた感じ。去年は9月も前半は猛暑の続きだったけど、今年は暑くなったり寒くなったりやたらと変わるお天気で、ひたすら暑いよりはまだましかも知れないが、そろそろ疲れたよ。秋になって欲しい。

2011.09.03
 今日は朝から強風。仕事場のベランダでゴーヤを絡めていたよしずが倒れかかり、引き起こしてもまた倒れる。風向きと反対から麻ひもで引っ張ってみる。これで大丈夫かな。昼間買い物に出たときも、ときどき歩けなくなるくらいの風で、しかし雨はないからまだましかと思っていたら、自宅に帰る頃の時間になって雨も降ってきてマジ嵐。明日も傘マーク。おまけに蒸し暑いからけっこうしんどいね。

 読了本『昔も今も』 サマセット・モーム ちくま文庫 モームと言えば高校の時の英語の副読本。サミング・アップ、『要約すれば』というタイトルの短いエッセイ集だったけど、内容はほとんど覚えてない。手紙の返事はとっとと早く書こうね、早ければハガキ一枚でも失礼な感じはしないからね。というような文章があった覚えが。これはまあ、いまも実行してる感じだけど、今回は書店で見かけて、ニッコロ・マャベリとチェーザレ・ボルジアが出てくる歴史小説だというんで、「へえ」と思って手に取った。ルネサンス歴史好きには美味しいシチュエーションなんで、どんな感じかなあと思ったんだが、好きやわ、このマキャベリ。自己を冷静に評価しているようで実はうぬぼれが強くて、現実主義者のくせに変に青臭いところがあって、自分をとても狡猾だと信じているわりにドジ男くん。難しい外交交渉のさなかだっていうのに、知人の後妻がえらい美女だというんで、この女を落としてやるべえとコメディア・デラルテ紛いの陰謀術数。けちなくせにさんざんお金を使って、精緻な罠を巡らせて、いよいよってところであっさり失敗する。そして皮肉などんでん返し。『君主論』は当時の教会から悪魔の書といわれて禁書にされたんだけど、当人は出世もせずに、共和国の小役人の座もなくして田舎暮らしで一生を終えた。やっぱりかわいげのあるドジ男くんでした。というわけで、さすがに上手いです、モーム。

2011.09.02
 台風のおかげで終日荒れ模様。雨が止んで日が照りつけたかと思うと、すごい勢いで叩きつけるような雨が降り、また止んで、今度は風が吹きまくるというようなありさまで、おまけに空気は湿度と温度でサウナのよう。かなりきついのであった。

 読了本『日本ボロ宿紀行』 上明戸聡 鉄人社 古くて懐かしい風情の、ぼろい日本旅館を趣味で泊まり歩く方の旅行記。篠田も今風のやたら豪華絢爛な宿というのはあまり好きではありません。食べきれないほどお夕飯が出ても困るし、心のこもった手作り感或るお総菜が出てきて、美味しい酒が飲めればいい。温泉などは多少ボロ感がある方が気持ちがしっくりする。ここでも「ボロ宿」といったら悪いでしょー、といいたい、感じの良さげなお宿がいろいろ登場。しかしマジでこれはぼろいっ、というようなところもありました。那須の老松温泉というの、こりゃ確かにホラーだわ。あーあ、どっか温泉行きたい。

2011.09.01
 昨日は両国の江戸東京博物館へ、都電メインの展示を見に行った。原書房の書き下ろしで都電を出したら、神代少年が子供の頃都電が大好きでひとりであちこち乗りまくっていたという設定が突然浮上してきて、そっちの小説は書き終えてしまったのに、都電ノスタルジーが収まらなくなってしまったのだった。子供の頃やった遊びで、都電の線路にビールの王冠とか、釘とかおいて引かせてぺたんこにする、というのがありました。
 リンクを付けましたフクさんのサイトUNCHARTED SPACEで、『灰色の砦』の書評が掲載されました。例によってとても丁寧に読んで下さっていますので、よろしかったらご一読。こちらのページで、自分では読まなかった古典や、逆に若い書き手の作品を教えられることも多々あります。フクさんは所謂ネット書評家にありがちな、辛口のけなしに終始するタイプとは違い、広い視野で長所を見つけてくれるので、安心して読むことが出来ます。キャラ萌えはしない、ミステリとして、小説として評価するという一貫した態度をかねてより信頼しております。