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2011.08.30
 今日も晴れて少しさわやか系になってきたかなと思っていたら、夕方になってやたらむーっと湿度が高く気温も高くなってきた。台風が接近しているらしいので、そのせいかもしれない。明日は夜友人と飲むので、日記はお休み。どうせ東京に出るなら、江戸東京博物館の特別展に行ってこようかと思う。原書房の書き下ろしを書いて以来都電がマイブームで、本屋に行ったら類書がたくさんあるんで驚いたっす。子供の頃、不忍通りを走るチンチン電車に乗って上野に向かうと、不忍池の方へぐうっと曲がってしばしが都電専用軌道で、右手は池、左手は上野の山、頭の上を動物園のモノレールがまたいでいて、ときどきお猿の電車の走っているのが見える。それがなんとも祝祭的な気分を発揮していて、子供心にも胸が弾んだものであります。

2011.08.29
 今日も晴れてそこそこ暑くなったが、35度の猛暑は戻ってこないのでほっと胸をなで下ろす。これだと9月も前半はどーっと暑かった去年よりは、少し楽なんじゃね? 100円ショップの肥料が効いたか、ゴーヤ新しい枝がばしばし。しかし東北の仮設住宅に暑さ対策だと行って、今頃になってゴーヤの苗を植えたプランタを、それも馬鹿高い金をかけて配布しているという、しょうもない記事が今朝の新聞に載っていた。緑のカーテンが出来るには短くても一月はかかるんだから、いまさら遅すぎ。どこかの業者だけ美味しい思いをすることになるんじゃないの?

 読了本 『東尋坊マジック』 二階堂黎人 実業之日本社 まとまりがよく読みやすいとはいえ、濃くて独特の文体とこれでもかの不可能興味、というのが二階堂さんの持ち味だと思うのだが、それにしては薄味。水乃サトルは空気の読めないオタク探偵だがそのあたりのひんしゅく買いぶりも今回はおとなしめで、事件とトリックもおとなしめで、二階堂節が感じられるのはヒロインの「危ないですわ」「大丈夫ですわ」ということばつきだけだった、というのがちと残念。

2011.08.28
 久しぶりに晴れて少し秋っぽい。しかしゴーヤは最近また勢いが復活して、久しぶりに雌花が咲いた。他にも雌花はあるので、あともう何本か収穫できるかもしれない。しかし、花がついても咲くとは限らないし、咲いてもどれくらいの大きさに育つかはわからないんだよね。

 読了本『放送禁止歌』 森達也 光文社知恵の森文庫 放送禁止歌という法的な規制があるわけではないし、民放連が決めているわけではない。かつては「要注意歌謡曲指定制度」というものがあったが、現在はその制度自体消滅している。にもかかわらず、自主規制としての放送禁止歌はいまも存在し、しかも自主規制ではなく上からの規制のような幻想が一人歩きしている。ただ著者は闇雲に表現の自由を唱えているわけではない。たとえば竹田の子守歌は、赤い鳥などが歌ったよく知られている歌詞とメロディの前に、京都府下の被差別部落で歌われていた子守の少女が歌った原曲があり、その歌を部落外の人の前で歌ったことを悔いながら亡くなった老女がいた、ということがわかる。それを踏まえて、解放同盟でも竹田の子守歌に複雑な思いを持つ人もいれば、いい歌だし歌われてほしいと言い切る人もいる。つまり一朝一夕に「禁止」「禁止なし」と裁断できるような問題ではない。臭い物に蓋で、問題化しそうなものは避けて通るというのは、単に手間を惜しんでそのことを考えないようにしているからでしかない。
 この問題に触れると、結局自分に引きつけて、創作における差別語狩りのことを考えずにはいられないんだけどね。篠田は基本的にことばの規制には反対です。問題化したら、はっきりいって抗議されたら、その時点で誠心誠意考えたいと思う。しかし自費出版ではない以上、出版社の意向、「そんなめんどくさいことはやらせないでよ」という自主規制を、はねつけるだけの力はありません。だったら君の本なんか出さないよ、といわれたら終わりですから。

 『ルードヴィヒ二世の生涯 生い立ちの謎から死の真相へ』 シュミット村木眞寿美 河出書房新社 従来語られていたバイエルンの王様像とはいろいろ違うところのある作品。ひとつ驚いたのは出生の疑惑問題。父親のマキシミリアン二世が病身で不能だったんで、跡継ぎを得るために王妃が他の男性と、という、まあありがちなお話だけど。知らなんだ。それと最終章にアメリカ人作家に王様が語ったエドガー・アラン・ポー賛美のスピーチというのがあるのだけど、これ、ソースがなんでどこまで信用できるのかわからない。テープレコーダ回したわけもないしね。全般に妙に主観的な叙述が多くて、書き手のドリームが露出しているところは少々読んでいて痛かった。おかげで全体がどこまで信用できるのか、首をひねりたくなる。

2011.08.27
 昨日はちょっと用事があって西荻に行ったのだが、駅に着いたときにはもうぱらぱら降り出していて、なにほどのことにやあらんと折りたたみ傘を差して歩き出したところ、どんどん降り方がひどくなって道路が川になって、遭難はしませんでしたが傘も役に立たず濡れ濡れ。本日もなんとなく雨疲れにて候。
 篠田のデビュー作『琥珀の城の殺人』東京創元社版の奥付が1992年8月25日なので、今年の8/25には「わーい、20周年」と書いてやろうと思っていたのに、全然忘れていたよ。まあ、そんなもんだね。

2011.08.25
 しんねりと蒸し暑い。こういう天気も意外とこたえるね。

 読了本『父の詫び状』 向田邦子 文春文庫 銀座百点に連載された向田邦子の第一エッセイ集。日本でエッセイというと日常の雑事雑感をなんていうことなく、ちょいと洒落た言い回しなんかを使ってさらっと書いたもの、みたいな感じがあるけど、これを読むと「技あり」っていうか、故山本夏彦が「向田邦子は突然現れてほとんど名人である」と、彼にしてはほぼ絶賛といいたいことばを用いて誉めた理由がとてもよくわかる。文庫本で10頁前後のさして長くもない文章の中に、異なる話題を三つか四つ並べて、ほうほう、と軽く面白がらせておいて、ラストですっとまとめる。するとバラエティに富んだいろいろな「ちょっと面白い話」や「ちょいとひねった挿話」が、実はひとつのテーマに沿って周到に配置されていたということが、初めて腑に落ちることになっている。文庫版の沢木耕太郎の解説も、そのあたりの勘所をつかんで読ませるが、後段にいたってその執筆中に向田邦子の事故死の報が入ったことがわかり、読者はまた愕然として、航空機事故の起きた1981年当時に引き戻されずにはおれない。

2011.08.24
 朝のうちはまだ涼しかったが、午後になってから夕方へと、どんどん蒸し暑くなってきた。仕事は『黎明の書』の続き。どう考えてもあと4冊くらい書かないと話にけりが付かない。でも書かせてもらえそうにない。だったらちゃんと完結できる見込みの仕事をしたいんだけど、長い話ばかり考えるのがいけないのよね。そうなのよね。

2011.08.23
 仕事の区切りがついたわけでもないが、担当と会う予定がキャンセルされても本屋とか行くつもりだったのでやはり同じ日に外出。リブロで本を買い、新橋に出てカタログハウスで洗濯槽クリーナーを注文。ついでに脚マッサージ器をしばらく使わせてもらう。ほんとは欲しいんだけど。それからは漬け物の若菜に寄って季節の漬け物をいくつか買い、沖縄県のアンテナショップで泡盛の一升瓶を購入、リュックから頭が飛び出た状態で帰宅した。我ながら代わり映えがしないけど、このルートが篠田の気晴らし道です。ええもう全然お洒落じゃありません。食い気と飲み気だけです。

2011.08.22
 仕事をたらたら続けながら、パンを焼く。今日は久しぶりに手抜きでパン焼き機に全部やってもらう。全留粉と強力粉を半々にしたパンに甘みは蜂蜜、胡桃のみじん切りをプラス。夕飯はうち産のバジルのジェノベーゼにハムステーキ。ビールのおかずにあぶらげのなっと詰め。

 読了本『ハプスブルク家の食卓』 関田淳子 集英社 ハプスブルクでたぶんもっとも有名な麗しのエリザベートは、ダイエットマニアなのに甘いもの好きで、そうした偏った食生活は特にウィーンにとどまっているときにひどくなったという。なんだか妙に身につまされる話である。しかし宮廷生活のストレスから解放される旅の空では、けっこう美味しく食事もしていたようで、彼女が暗殺者の凶刃に倒れる全日の料理メニューが残っている。肉料理、山の湖の鱒料理、アイスクリームやデザートなど、豪華すぎないがなかなか美味しそうで、エリザベートがその最後の晩餐を楽しめたことを、心から祈らずにはいられない。

2011.08.21
 雨の音で目が覚めてしまった。文句ばかりいっても仕方がないが、涼しいを通り越して少し寒いくらい。身体が暑さ仕様になってしまっているからだろう。それでもエアロバイクを漕げば、けっこう汗は出るんだけど。今週会うはずだった担当の風邪が治らないというので、渡すはずだったホテル・メランコリアの短編はメール便で送る。いただいたファンレターに桜のカードを送る。『黎明の書』の初めの方を再度読み直しながら、ちょこちょこ細かい直しを入れる。さっさとゲラを出してくれたらそれで直したんだけど、全然仕事してくれないから仕方がない。しかしどう考えても2冊や3冊で終わる話ではないので、この調子では書き下ろしで続けることも可能かどうか、はなはだおぼつかなく、自分の中のテンションを保つのに苦労する。出せないなら出せないとはっきりいってもらえば、すっぱり書くのを止めるなり、他の版元を当たるなり、動きようがあるんだけど、中途半端な状態というのが一番情けない。売れる作家ならこんなことにはならないと思うから、腹が立つ前に情けなくなるんである。

2011.08.20
 さすがに涼しくて楽。しかし今年のゴーヤははやばやと終わったらしい。雌花がすでに咲かない。収穫は大小15本、1926グラム。これでもう少し湿度が下がってくれれば、申し分ない。未練がましくいじりまわしていたホテル・メランコリアの短編を、これで最後とチェックしてプリント・アウト。時間に余裕のあるときは、ゆっくり手直し出来るのがいいんだが、下手をするとやりすぎてしまう。この後の仕事をどうするか決めていなかったのだが、そのうち原書房の進行が決まってゲラなど出てくるだろうから、それまではまったく急がないというか、出してもらえるのかどうか全然わからない徳間の長編を書き嗣ぐことにする。

2011.08.19
 雨が降って涼しくなったが、なんだかやたらと眠い。

 読了本『退屈な迷宮 「北朝鮮」とは何だったのか』 関川夏央 新潮社 1887年89年91年の三度にわたって、普通の観光客として北朝鮮を見てきた著者によるルポ。このときすでにあの国の経済は破綻し、民政は危機に陥り、もはや韓国主導の統一しかないという印象だったらしい。だから副題も過去形なのだが、恐ろしいことにあの国はそれから20年経ってもまだ、当時の延長線上に存続している。そのことが改めてつくづく恐ろしい。かといって、日本になにが出来るかと言えば出来ることはあまりない気がする。

2011.08.18
 朝の内に例の短編をしつこく読み直し、細部をまた少しだけ直す。後は牛乳胡麻パンの仕込みをしただけで、ジムに行くまでひたすら読書。今日読んだ本はなかなか面白かった。↓

 読了本『巡礼コメディ旅日記』 ハーペイ・カーケリング みすず書房 キリスト教圏で名高いスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼というのは、日本の四国八十八カ所霊場巡りのようなものだと思っていたが、その行程はもっとずっと過酷らしい。巡礼宿もあるが、ほとんどのところは中世的な素朴さというかぼろさ不潔さで、野犬の出る道、迷いやすい森、過酷な登り、トラックがひっきりなしに行き交うのに満足な歩道もない国道など、全行程は800キロ。そのほとんどを40日かけて歩いた(たまにバスや列車も使ったけど)ドイツ人コメディアンの旅日記。書き手は決してがちがちのカトリックではなく、わりと世俗的な人物だし、輪廻転生を信じていて、それはどうよと思ったが、仏教にも興味があって、まあこういうなんでもあり的なのが現代の知的なヨーロッパ人の平均値かもしれない。劇的な見神体験はなかったけれど、小さな奇蹟や貴重な体験や出会いがあって、うん、なるほどね、という感じでした。

2011.08.17
 休もうにもこう暑いと本を読む気にもなれないので、結局プリントアウトを持ってスタバに行って赤を入れる。冷房が効きすぎている感じで、1時間ほどで撤退。駅の南口からバス停3つ乗ってまたハーブ園に行き、虫除けのアロマスプレーを購入。ターメリックの花というのを初めて見た。風があって涼しい日陰も少しだけあったので、そこで一休みして帰って短編の直し。これでいいとするか。

 読了本『新・日本の七不思議』 鯨統一郎 創元推理文庫 基本無理筋。中では「空海の不思議」の逆転の発想が面白かった。

2011.08.16
 短編に手を入れて取り敢えずは終了。明日は一日くらい休んで、その後また読み直すか。というわけで、エアロバイクを50分漕いでから昼風呂に入り頭皮洗いなど。出たら汗が止まらなくて往生。

 読了本『宮澤賢治 雨ニモマケズという祈り』 新潮社とんぼの本 宮澤賢治のこれまで明らかにされていない若き日の恋とその終焉。

2011.08.15
 短編一応書き終えたが、担当と会う予定が一週間先に伸びたので、一度冷やして読み直して手を入れることにする。ラストの方とか、もう少しひねれそうな気がするのだ。

2011.08.14
 ホテル・メランコリアの第6作「百合、ゆらり」を書き出す。やはり書いている方が、暑さは感じにくいみたい。ぼけたみたいに暑さや喉の渇きを感じなくなっている。なんてのじゃなければいいけど、水物はやたら飲んでるので、まあそういうこともあるまい。しかし駅まで行って戻ったら、汗が止まらなくなって往生。着ているものやタオルがたちまちべしゃべしゃになるので、洗濯ばかりしてる。
 昨日は仕事場のベランダになっていたゴーヤを収穫し、太い部分は輪切りにして種を抜いてエビの叩きを詰めて揚げ、端の方は薄切りにしてカレー味のゴーヤ入り焼きそばにした。もうひとつ、向田邦子さんのエッセイに出てきた超簡単酒のつまみを作った。水で戻したわかめを油炒めにし、おかかと醤油を混ぜておしまい。昼間は食欲がないが、夜は食べられるので痩せません。

2011.08.13
 恐ろしく暑い。午後から曇ってきたが全然気温は下がらず、風も止んでかなり耐え難い。しかし一応短編のプロットは組めたので、明日から書く。結局仕事をしているのが一番の消夏法という感じだし。

2011.08.12
 暑い暑いと繰り返すのもマンネリなんで止める。昨日ギブアップした皆川作品を読むためにスタバに行き、読み始めればもう頁をめくる手が止まらない。100頁くらい読んだところで、人のテーブルを侵略してくるしつけの悪い幼児にげんなりして席を立ったが、どこか日陰の涼しそうなところで続きを読もうにも河原はバーベキューの人だらけ、人のいない寺のベンチに座ったら蚊の猛攻であえなく撤退。結局仕事場に戻って汗を流してから続きを読む。いやあ、面白かった、というわけで↓。

 読了本『開かせていただき光栄です』 皆川博子 早川書房 18世紀のロンドンとわかるよりなにより、いきなり悪臭紛々たる死体解剖室で、妊娠六ヶ月の若い娘が解剖されようとしているところに警察が来て、さあ大変、墓地から盗んだ死体だから隠さなくては。先生はぼんやりで対応能力おぼつかないが、若い弟子たちがよってたかって遺体を、かねてから準備の隠し場所に格納。無事追い払ってやれやれ再開となったら第2波が。弟子は気絶する、取り出した死体は別の者にすり替わり、しかも顔のない死体まで現れて、とかなりすさまじいドタバタ。と思ったら、一転場面は変わって、田舎から生き馬の目を抜くロンドンについたばかりのいかにもなお上り少年、さて彼の正体は・・・ と、いままでの皆川作品とはかなり雰囲気の違うにぎにぎしさとユーモアが濃厚で、進むほどに話はもつれあい、盲目の名司法検事とその姪、いかがわしい新聞発行者に正体不明の悪漢、ニューゲイト監獄の地獄に秘密倶楽部、人も舞台もめまぐるしく変転し、最後は法廷のどんでん返しからしめやかな墓地の場へ。めいっぱい堪能しました。アラウンドエイティーの皆川先生にこんな生きの良い長編を書かれて、あたしゃどうしたもんでしょうってな感じ。

2011.08.11
 今日も昨日より暑いと感じたが、途中で雷雨。気温が下がるというほど降らなかったが、それでも夜の気温は昨日よりはややましか。今朝は皆川博子さんの新作に入ろうと思い頁を広げたが、あまりの暑さと内容の濃さで、頭が着いていかずにギブアップ。秋風が発つまで待つべきか。明日はスタバでも行ってエアコンの効いているところで再チャレンジしてみるか。
 読むつもりだった本が読めないので、なんとなく書架に目をやり、9月に出る『幻想建築術』文庫版の解説をお願いした島村菜津さんの『イタリアの魔力』などをぽろぽろと読み返していたら、「神代さんがイタリアに留学した後の話、というのもありかな。大学の友人たちと、幽霊が出るという伝説のある田舎の古城に出かけて、そこで奇怪な事件に遭遇して、やっぱり美術品が絡むんだ。もしかするとそこに謎めいた美少年が登場したりして、これが『アベラシオン』のアベーレだったりするのかなあ」なんてことをほろほろと考える。こういうまだ海の物とも山の物ともつかない状態の、妄想をもてあそんでいるときが一番楽しいんですね。実際に書き出すと、楽しいとはいってられなくなる。いや、実は書き出す前のプロットを立てている時が一番しんどいかも。
 今日いただいたファンレターの方は、68歳と70歳でした。ありがたく拝読。週末にはお返事を書きます。

2011.08.10
 昨日より暑い。エアロバイク60分漕ぐと汗が止まらなくなる。だらっとしてひたすら水物をとりつつ本を読むが、やはり仕事しているよりしていない方が暑いのだ。おまけに午後になったら猛烈な眠気に襲われ、しかし暑くて満足にうたた寝もできない。

 読了本『日本・マラソン列車殺人号』 辻真先 光文社文庫 1979年から書き継がれてきた辻先生の持ち探偵のひとり、トラベルライター瓜生慎シリーズの最終巻。うた心寂しく読了。先生のシリーズでも時間は経過するので(リアルよりはゆっくりだけど)、最初見知らぬ他人として出会った主人公と美女はその後結婚し、生まれた息子が成長して二十歳になろうというところまで物語が連なった。感慨深いものがある。自分が持ちシリーズを終わらせておいていうのもなんだけど、うーん、先生お元気なのにそう急いで畳まれなくても、といいたくなってしまった。
 『本棚探偵の生還』 喜国雅彦 双葉社 ミステリ大好き古本大好きのマンガ家喜国さんが送る、爆笑にして奥深い古本エッセイ第3弾。いまどきハードな箱入り、今回は加えて別冊と二冊組。電子書籍なにするものぞの、本に対する愛とこだわりにみちみちた、作品と呼びたいような本。本好きならば一家に一冊といいたい存在感がぐっとくる。でも私は、本は好きだけど古本者にはならなくてよかったなあ〜、と日下三蔵さんのおうちの写真を見て思いましたです。ああなるとすでにホラーの領域だもんね。

2011.08.09
 暑い。去年は9月になって建築探偵が書き終わったら夏が終わって秋風が吹いたけど、今年は書き下ろしが終わったら夏が戻ってしまった。そして仕事をしている時より、していないでだらっとしている時の方が、より暑く感じられるのでした。

 読了本 『藤田嗣治 本のしごと』 林洋子 集英社新書ヴィジュアル 藤田がかかわった書籍関係の仕事、主に挿絵のそれを、ほとんどカラーで紹介し、表紙や扉にも彼のカットを多数使用した目に楽しい本。しかしこれを買ってしまったほんとの理由は、藤田が所有していた人皮装丁の奇書、というのに食指がうごいちゃったからでした。
 『翼のある依頼人 慶子さんとお仲間探偵団』 柄刀一 光文社 作者あとがきによると、コージーよりのミステリを目指したらしいし、帯にも「癒しの本格ミステリ」なんて書いてあるけど、それはいささか疑問。さらっと読んで「おお」と思えたのは表題作が一番。書き下ろしの中編はこれでもかの不可能興味を相当に無理のある真相でねじ伏せたいつもの柄刀節。かわいいイラストはあんまりそぐわない。
 『トールキンによる福音書 中つ国における〈神の国〉のヴィジョン』 ラルフ C.ウッド 日本キリスト教団出版局 『指輪物語』の中にカトリックであったトールキンによるキリスト教的ディテールと構想を読み解く論文。『指輪』はルイスの『ナルニア』と違って、キリスト教的ではなく北方的、異教的と見られる場合が多いので、カトリック側からのそれに対する反論という性格もある。ああなるほど、と思うところも多いが、篠田はキリスト教徒ではないので、すべてのよき思想はキリスト教に属するといいたいような論理にはちょっと疲れた。

2011.08.08
 今日あたりから台風前の暑さが戻ってきた感じ。といっても湿度の高さは今の方が。
 光文社の書き下ろしアンソロジー異形コレクションで、またショートショートをやるのでという依頼が来ていた。来た時は書き下ろしが終わっていなかったので放置していて、それともうひとつ、なんとなく3.11を視野に入れて、復興とか癒しとかそっちをテーマにしてもらえれば、という趣旨があったのだが、ACじゃあるめえし、「いい話」なんておらあ嫌ェだよっという気持ちもあったのだ。きっとそういう方面なら、太田忠司さんや光原百合さんがよろしいんじゃないですか、なんてね。でも書き下ろしのラストと直しをやっているうちに、ひとつ話の思いつきが湧いてきたんで、書いてみた。非常に我ながらあざといのだが、上限が400字8枚という短さだから、凝ったプロットもディテールも入らない。あざとくてもしかたねえじゃん、という感じで送ったら、取り敢えず編集者からはOKが来た。編者の井上雅彦男爵がなんといわれるかわかりませんが、まあ取り敢えずひとつ仕事は果たした気分で、今日は暑さにむせびつつ読書。だらだらと。

 読了本『江戸・東京 歴史ミステリーを歩く』 三津田信三編 PHP文庫 1998年に同朋舎から三津田さんが企画編集したワールド・ミステリー・ツアー13の東京編を再編したもの。独特のたたずまいがあった元本を思い出すと、やはりチープな印象のぬぐえない文庫はちょっとばかり寂しい。将門や四谷怪談、七不思議スポットは他にも類書がありそうでいまいち。井上円了、江戸川乱歩、伊東忠太あたりを扱った章が篠田的には面白かったが、やはり分量が少ない分表層的。まあ入門書としてはお勧めかと。
 『モップの精と二匹のアルマジロ』 近藤史恵 実日ジョイノベルス 魅力的な女性探偵でプロ清掃人のキリコを主人公にしたシリーズ4冊目。途中でヒロインは結婚しているので、久しぶりのキリコと大介の生活に、級友の家庭をのぞき見るような気恥ずかしさと楽しみがある。ミステリとしてはかな早い時期から「これはてっきり」と思っていたことがあっさり外れました。

2011.08.07
 昨日は「長編アップしました祝い」をやりに大泉学園の和食ダイニングで一杯やってきたのだが、夜暑くて上手く眠れず。今日はツレの意見を入れたところなどをるる手直しして、原書房に送稿。あとはのんびり。ゴーヤ2本収穫。夕方すさまじい雷、雨は少なめだが濃い灰色の雷雲が頭上に浮かんで、その様あたかも巨大な龍の腹部を見上げるがごとし。
 文庫版『失楽の街』の装丁をアップしました。書店に並ぶのは12日ごろ。今回はツレの撮った江戸川アパートメントの写真。こうしてみるとモノクロみたいで地味だが、タイトル文字がほんのりピンク色のグラデーションで美しい。中に東京の地図を入れるなど、ノベルス版にはないおまけもあります。

2011.08.05
 昨日はまあ眠れました。長編が終わったらいつもはまず仕事場の片づけと掃除、というのが毎度のパターンというか、頭の整理のつけかたなのだが、今日はなんとなくそういう気にはなれず、前から読む時には毎日少しずつなんかじゃなく、時間を作って一気に読もうと思っていた一冊を読んだ。これが実に面白くて、しかも驚天動地な展開だったのだが、なぜ驚天動地かというと、ううむ、それを書くとネタバラシになってしまう。先入観抜きで読んだからたくさん驚けたというのはあると思うが、これを書かないと普通は読まないだろうもんなあ。作者は芥川賞その他有名な賞をたくさん取っている、業界的に見れば純文学者なのだけれど、篠田は基本的にいまの純文学なんて手を出さないから、たいていの人もそうだろう。でもこれ、すてきにエンタメです。
 なんで読んだかというと毎日新聞の書評が面白そうだったからなんだけど、三島由紀夫が市ヶ谷で死なずに無期懲役で牢に入れられて、27年後に仮釈放で娑婆に帰ってきて、その後は家族などとも一切没交渉に、しかし印税収入とかあるんでしょうね、優雅な死人のように生活している、というのが最初の方の流れで、連作短編なんだけど、最初は「三島由紀夫」であることを消費し尽くしてもはやなにものにも動かされぬ老人の淡々としてアンニュイな日々、かと思っていたら、それがだんだんと奇妙な方へ流れていく。幻想的なシーンがあってそれが彼の妄想ともなんともつかない、と思っていると、けったいな老人倶楽部に参加させられて、そこに三島作品をもじったような場面がつぎつぎと現れ、これも幻想か妄想かコンゲームかさだかでない。あげくに彼の夢のために建てられた西伊豆山中の塔と館で俗物たちを交えたパーティが開かれたと思うと、猟奇的な殺人事件が勃発し、しかも現場は不可能な密室状況。で、どういうオチが来るかと申しますと、なかなかにワハハ。まさかこんな話になるとは。あああ、だいぶばらしちゃいました。でも三島ファンと本格ミステリファンにはお勧め。かなりお勧め。

 読了本 『不可能』 松浦寿輝 講談社

2011.08.04
 篠田の不眠症状は寝付きは良いけど途中覚醒、その後がいまいちというタイプで、しかし一番深くて質の良い睡眠は最初の方にあるものだそうで、かなりダメかなと思ってもそれでわりとどうにかなっていたのだが、昨日はその寝付きがダメで、眠りがひどく浅く夢ばかり見ていたということは、つまりレム睡眠しか取れなかった、身体は休んでも脳が休んでくれなかった、つまり〆にかかった小説の方がどうにも気になって頭の切り替えが出来なかったようなのでした。取り敢えず終わった、の8/2は眠れたのに、あちこち手直しの昨日はバッテン。しかしその残っていた手直し、書き足しは一応終わり、うだうだいじりまわしていてもろくなことはないから、ツレに読んでもらってその後さっさと入稿してしまおうという心づもり。自分としてはけっこう気に入っている。
 今朝メールを開いたら講談社文庫から『翡翠の城』の文庫が久方ぶりに増刷になったという知らせが届いていた。あらまあ、いまごろになって。それはもちろんとても嬉しい。そういえばこの話って、神代先生が直接登場した最初の話でもあるんだよね。紳士風の見かけにあまり品のよくない江戸っ子ことばでまくしたてる、16世紀ヴェネツィア派絵画の研究者なんてキャラ、どこから思いついたのかなんて、例によって全然覚えてない。ただ青臭い主人公たちをさりげなくサポートしてくれる、本物のいい大人が書きたいと思っていたのは確か。その人の若き日の秘密、というのが今回の書き下ろしのテーマです。

2011.08.03
 プリントアウトに赤を入れるだけで昼を過ぎてしまいまして、今日は食事もパソコン前、エアロバイクも漕がないで、歩数は500歩という状態で、でもまだ終わりませんでした。帰りに土砂降りの夕立。

2011.08.02
 書き終えました。291頁。今日はどうにも途中で止められないという感じで、残りの頁を突っ走ってしもうたです。もちろんこれからプリントアウトしたものに、いろいろ手を入れて行く必要があるわけですが、取り敢えず書き終えたという達成感はまことになににも変えがたいものがありまして、本日はへろへろと腰が抜けています。入稿済ませたら、溜まっている読みたい本を読もうっと。

2011.08.01
 ハガキを出しに行こうとしたら、配達中の郵便局員さんが「お預かりしましょうか」といってくれる。ほんとはポストまで歩いて、少しでもエネルギーを消費、とか思っていたのだが、せっかくの親切だからお受けしないと、と思ってしまった。
 『黄昏に佇む君は』は、本日268頁に達し、クライマックスはほぼ書き終えたなと感じている。予想したよりずいぶん早いね。でも、この後のエピローグが二段構えになっていて長いんです。