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2011.06.30
 サイトのトップとリンクのページにUNCHARTED SPACEというサイトへのリンクを張りました。
 このサイトは主として主催者真中耕平さんの、書評を掲載しています。本格ミステリが中心ですが真中さんは大変目配りが広く、講談社BOXのような若い書き手の作品も、新本格以前のミステリも、また皆川博子先生の作品リストを制作されているように、幻想小説の方面も読まれています。またその書評はいわゆるネット書評にありがちな、自分の主観的好悪を絶対基準にして切りまくるような偏狭さがありません。そのために読んでいてもとても気持ちが良く、いつでも同意見というわけではないのですが、自分の読書ガイドにも利用させてもらっています。ここでお勧めされなければ読まなかった、あたら傑作を見逃してしまうところだった、という思いをしています。
 篠田の小説もかなりの数読んでいただいていて、その書評はすべて名前から検索出来るようになっています。今回は建築探偵のシリーズを改めて『未明の家』から順次取り上げてくださるということなので、許可をいただいてリンクさせてもらうことにしました。私のところへ届く読者からのお便りでは、とにかく「ミステリでなくてもいい」ということばが非常に多いのですが、真中さんは基本的にこのシリーズをミステリとして味読し評価してくださっています。作者としてはやっぱりミステリとして書いていますので、ミステリのところもちゃんと読んでねと思うのですが、真中さんは「ぼくはキャラには萌えません」という方なので、「こういう読み方もあるんだなあ」という意味でも覗いてみていただけるとよろしいかと思います。

2011.06.29
 今日も暑かった。エアロバイクを漕いだらさんさんと汗が噴き出てもー。原稿はやっと50頁に到達。21歳の神代さんが悶々としてます。そして作者は暑さに悶々。これからはエアコンの効いた喫茶店でプロットを立てて、戻ってきてパソコンに向かうというパターンにしようかな。暑すぎて頭が働かない。

 読了本『死劇「ラビリンス」』 辻真先 劇中劇が面白そうだった。辻先生は演劇にも造詣が深いので、こっちのお芝居自体を見てみたい気がする。ミステリの方はちょといまいち。こういう犯人像を持ち出して説得力があるには、もう少し書き込みが欲しい感じ。
 『儚い羊たちの祝宴』 米澤穂信 新潮文庫 かなり技巧的な短編を集めたゆるい縛りの短編集。ただ「ああ技巧的だな」と感じさせてしまう、つまり小説の中から技巧が突出してしまっている感があるのが、減点の対象です。

2011.06.28
 いや暑かった、つーかいまも暑い。とうとう短パンタンクトップ濡れタオルに冷えピタシートである。でもって原書房書き下ろし。今年の夏はもうずっとこの調子だなあ。

 読了本『内臓の発見 西洋美術における身体とイメージ』 小池寿子 筑摩選書 副タイトルどおりの内容で、こういう具体的な話の好きな篠田には大変面白かった。古代から中世の医学も、ただの迷信じゃんと思っていたけど、経験に基づいてなんとか身体の仕組みを理解して病気の治療に役立てたいという、人間の必死の営みだったのだなあ、などとも思って。しかしこの本でびっくりしたのはカラー口絵に載っていたヘラルド・ダフィット作「シサムネスの皮剥ぎ」という残酷な処刑図でありまして、といっても一緒に驚いてくれる人はそうはおりますまい。これってかの小栗虫太郎『黒死館殺人事件』の冒頭近くに登場する、黒死館の壁に飾られていたという絵画の一枚「シサムネス皮剥死刑の図」そのものなんですねえ。日本ではけっして有名とはいえない15世紀ブリュージュの画家のこんな絵を、小栗はいったいどこで見つけたんでしょう。

2011.06.27
 一日薄暗かったが、気温も低めで楽だったからオッケー。『幻想建築術』のゲラ返す。歯医者でクリーニング。あとは書き下ろし。

 読了本『伝説「バラ星雲伝説」』 辻真先 大陸ノベルス これも最近アマゾンのマケプレでゲット。辻先生は初期のテレビ局で製作をしておられて、そのあたりを素材にした作品がいくつもあり、「バスどおり裏」とか「お笑い3人組」とか「不思議な少年」とかのタイトルが懐かしい篠田としては、面白く拝読している。今回の作品もそれだとは、手にするまで知らなかった。しかしタイトルの角書きが「長編ユーモアサスペンス」というのはかなりおやおやで、これはSFファンタジーといいたいところなんだけど、1990年当時ではそういうことをいっても通らなかったのかも。でも、本格ミステリではないけれどちゃんと伏線が引かれていて最後に意外な結末があるので、ミステリですとも言える。そういう意味では適当とは思えない「長編ユーモアサスペンス」も、意外性の演出には一役買ったとはいえそうだ。しかし先生、このタイトルは語呂が悪いし覚えにくいです。どうも先生の作品は、タイトルがなあ、という気がするときがままあります。先日書いたユーカリさんシリーズも、似ていて紛らわしいのがけっこうあったし、昨日の『幻影城で死にませう』なんてのも、なにもそこまで茶化さなくてもというきがしてしまいました。

2011.06.26
 昨日に打って変わって今日は涼しいっていうか、肌寒い。ずっとお仕事。

 読了本  『幻影城で死にませう』辻真先 朝日ソノラマ 最近アマゾンのマーケットプレイスで入手。敢えて古色蒼然の懐かしの探偵小説、と作者のことばにある。海辺に建つオーベルジュ幻影城を舞台に連続殺人が起きて、という趣向だが、オートマタやらトロンプルイユやら謎めいた白髪黒衣の美青年やら、それらしいものがたくさん出てくるのに、作者がその設定に照れてしまっているのか、せっかくの趣向を自分でぶちこわすように語り手役の可能克郎がドタバタしたりドタバタしたりドタバタしたりしている。おかげでせっかくの舞台もペンキ塗りの書き割りに見えて、懐かしがるにはちょいと足りない。事件の真相は江戸川乱歩っぽくおどろおどろしいし、幻影城が突然孤立化させられた理由なんて、「おおっ」という感じだし、これでもう少し描写を緻密に、文体をそれらしくしたらミニ黒死館くらいの雰囲気が出たんじゃないかと思えば、なんだかもったいない。逆におどろおどろになりすぎない、軽い読み味が作者の特色ではあるんでしょうが。

2011.06.25
 昨日は、というか今朝は、暑くて熟睡できず。おかげで今日は少しぽけている。仕事連日どおりのふたつをだらだら。その他インド風のチキンカレーを、減オイルで製作。

読了本 辻真先先生のマープルもの、ユーカリさんシリーズの中公で出た分を読了したので、せっかくだからタイトルだけでも並べておきます。
『旅は道づれ死体づれ』1984『殺したい子に旅させよ』1985『旅の死体は殺し捨て』1986『鬼ごっこだよ国立探偵』1986『死体は走るよ国際列車』1987『殺しもあるよ国境紛争』1988『死体も歌え奥信濃』1989『知床岬に夏は死ぬ』1990『佐多岬・北緯31度の墓標』1991『伊豆恋人岬殺しの眺望』1992『伊良湖岬に死体がひとつ』1992『津軽海峡死景色』1993
シリーズがここで終わったというか、続巻が書かれなくなったのは、モデルにしていた方が亡くなられたからだと聞きました。探偵のキャラはとても好きだっただけに、改めて残念。

2011.06.24
 昨日は急遽友人に誘われて、池袋にシリア料理を食べに。「パルミラ」という店、いうまでもなくシリアの遺跡都市パルミュラから取った店名で、1980年に行きましたよ、パルミュラ。暑い季節だったんで、あんまり観光客はいなかった。空が真っ青で遺跡は白くて、目の玉に焼け付くようでした。ところで、中東系のレストランはそれなりに東京にはあるようだけど、メニューは意外にまぜまぜ。ここでも明らかにトルコのものや北アフリカのものが混じっているが、ケバブは先日いったトルコ料理のボスポラス・ハサンより美味かった。場所がいまいちのせいか、わりと安い目の料金設定なのも好感が持てた。
 今日はお便りの返事を書いてから、『幻想建築術』のゲラと『黄昏に佇む君は』の進行をそれぞれ。しかし暑いよ。風が熱風だったよ。明日は天気が下って気温も下がるというので、ちょっとほっとしています。

2011.06.22
 いっ、いよいよ夏が来ちっゃたかなっ、という今日のお天気。だけどまだまだ、これくらいではエアコンは使えませんよ。ユニクロのブラワンピースで首廻りは涼しくして、仕事中は水で濡らしたタオルを首に巻いたりしてね。もっと暑くなったらこのタオルに保冷剤の凍らしたやつを巻き込んで、頭には冷えピタシートだよ。来るなよ、宅急便。仕事は原書房の書き下ろしをゆるゆると。現代の枠は何年にしようかずっと迷っていたが、蒼が21歳の2000年に決定。そして作中時間は神代さんが21歳の1966年。篠田が大学に入ったのは1972年だが、この頃はまだ木造平屋の校舎が建っていたんだ。田舎の小学校みたいだよね。他の部分がいつ建ったかはよくわからないので、文学部のたたずまいは勝手に6年後の1972年仕様で行きます。早稲田じゃなくてW大だからいいんだ。
 ところで昨日の打ち合わせで、「やっぱり建築探偵の、エンドマーク以後の話を書いてくれ」といわれてしまい、「まだネタは中編一本分しかないんです〜」と泣き言を言ってきた。取り敢えずはそのネタのある分を来年のメフィストに献上して、後も書いて本にしようといわれているのだが、それはネタが見つかるかどうかということなんで、請け合えない。全然請け合えませんですっ。あとは『幻想建築術』PHP文芸文庫版のゲラをやっとります。

2011.06.20
 今日は朝からムシっとして暑い。真夏の暑さを予期させて、それだけでぐんなりしてしまう。梅雨寒用に出してあった薄手のセーターを洗濯してしまう。ファンレターの返事を投函しにいって、切手を買って、少し遠回りして散歩しようと思ったら雨が降ってきて帰らざるを得ず。原書房の書き下ろし、やっと再開した。しかし夕方になって、歯医者の予約があったことを完全に失念していた事に気づく。ぽけてるやん。
 明日は夜打ち合わせなので日記の更新はお休みします。

2011.06.19
 昨日は光原百合さんと銀座で会って、ランチをしながらおしゃべりして、神楽坂に出て本格ミステリ作家クラブの総会と授賞式パーティ。二次会だけでとっとと引き上げたが、やはり疲労残りで使い物にならず。久しぶりに読者からの手紙が回送されてきたのだが、消印を見ると一月近く置かれていたらしいものもあるので、消印の古いもの順にお返事していくことにして、取り敢えず2通。『魔女の死んだ家』もよろしく。

2011.06.17
 明日は本格ミステリ作家クラブの総会と大賞受賞パーティ(なので日記の更新はお休み)だが、その前に光原百合さんとランチの約束がある。いま彼女とメールで話題になっていることのひとつが、クランクインしたらしい映画「ホビット」のことで、あれやこれやと話題が振れているうちに、前からやってみたいこと、「指輪物語」のパロディというか、補完話のことが頭に膨らみだしてしまう。で、テーマは何かというと「ガラドリエル様一代記」。指輪戦争が終わった後、ロリエンでくつろぐガラドリエルが来し方を振り返るという構成なのだが、文体とかそういうこと以前に難題が山積している。書誌的にいって、ガラドリエルという重要なキャラが浮上してきたのはかなり後になってから、トールキンが「旅の仲間」のロリエンのシーンを書き出してからなんだそうで、彼女の生きてきた軌跡というのは「シルマリリオン」にもちらちらとは見えるのだが、わかっていないことが多すぎる。作者の未定稿のメモにも、相互矛盾していることが書かれていたりして、パロをやるにもどの説を採用するかということから決めなくてはならないので、かなりやっかいな話なだ。つまり、そんなことしているほど暇ですか、あんたは、ということなのだが、暇でない時こそそういうことがやりたくなるのが人間の性でして。ああ、今日も仕事が進まなかった・・・

2011.06.16
 一泊二日で岐阜の新穂高温泉に行って参りました。お天気は梅雨の合間で晴天とはいかず、ロープウェーで登っても穂高は雲の向こうに、見えたと思ったらたちまち隠れて、真っ白になったらまたちらり、とじらしてくれること。しかし温泉と山の幸は堪能してきました。それから今回は途中の遊歩道で、銀竜草の開花に遭遇。葉緑素を持たない白と半透明な植物で、別名幽霊草。確かに「なんだこいつはっ」といいたくなるような、ちょいと不気味な花です。しかしうつむいた花の中を覗くと、花心は紫色の珠がひとつ。なかなか印象的なおもざしをしていました。はー、仕事しなくちゃ。
 『魔女の死んだ家』が少しだけ増刷。一カ所訂正しました。初版を買ってしまったが、どこを訂正したか知りたいという方は、ご一報下さい。そんなことが気になるの? と呆れるような些細な場所です(笑)

2011.06.13
 歯を磨いていたらいきなり詰め物が取れる。あわてて歯医者へ行く。いろいろ面倒なり。でも明日明後日は遠出するので、その前でまだ良かったというべきか。そんなわけで日記の次回更新は木曜日です。

読了本『贋作』クリフォード・アーヴィング 早川書房 『贋作への情熱』レアル・ルサール 中央公論社 仕事の資料として読んだもの。1965年に上野の西洋美術館が贋作を掴まされたことで日本にも有名になった画商詐欺師フェルナン・ルグロとその周辺について、前者はルグロの扱った贋作を描いたと名乗り出たハンガリー人エルミア・ド・ホーリィを主人公にしたノンフィクション・ノベルで、オーソン・ウェルズがこれを原作に「フェイク」という短編映画を作ったことでも知られる。後者はルグロの秘書にして愛人として前者にも登場するカナダ人が、「自分こそが贋作絵画の描き手である」という主張のもとに、自らの生い立ちからルグロの死後の事件までを事細かに書き上げたもの。読み終えてげんなりしてしまった。
 クリフォード・アーヴィングというのは、その後ハワード・ヒューズの伝記を書くといって手紙を偽造して出版社から多額の前渡し金を詐取した手口から見ても、これまた詐欺師以外のなにものでもない。詐欺師が詐欺師をネタにして小説を書いたわけ。しかしハプスブルグ家の帝国に仕えた銀行家の末裔の転落と冒険の物語としてはけっこう面白く書けている。しかし後者はそれほどの文才がない書き手によるためか、饒舌の裏がみっともなく透けて見える。ルサールは専門の美術教育などまったく受けたことのない19歳の純朴な田舎者で、広い世間を見たくて両親の元を離れ、一文無しになったフロリダで魅力的なフランス人の画商ルグロと知り合い、彼に心を惹かれる。ホテルの部屋に転がっていた絵はがきを手本に、本の手すさびのつもりで描いた水彩画がルグロに絶賛され、有頂天になったルサールは「君の個展を開こう」というルグロの言葉を信じて絵を描き続けるが、彼はいつまでも約束を守らず、しかもルサールが絵を描いていることを人に知らせまいとして、ときには狂ったように暴力をふるう。ルサールは次第に疑惑を抱き、ときには殴られたりしながらも彼を信じよう・・・
 要するにルサールは贋作者としての自己顕示と自己弁護という、相反する欲求を満たすべく似たようなエピソード(絵を描く→ルグロを疑う→丸め込まれる)を延々と書き連ねる。私は専門家も騙せるような本物そっくりの絵を似せるつもりもなく描けてしまう天才ですという主張と、でも他人様を騙して金儲けをするような悪い考えは全然ありませんでした、私も騙されていたんです、という主張。そしてルグロがどれだけ異常な男で、しかし魅力的でもあるので自分は彼の支配から容易に自由になれなかった、でもこんなひどい目に遭わされたんです、私以外の彼の周囲にいた人物もみんな私を騙したり金を奪ったりしたんです、だから私は悪くないんですという弁明。あとは、同性愛者差別と思われては不本意だが、はっきりいってホモの痴話げんか。
 ここで話題になっている画家、ヴァン・ドンゲン、アンドレ・ドラン、ラウール・デュフィあたりは全然興味が持てないし、本物だとしても欲しくないなあとは思うんだけどね、素人が真似して描けそうかといえば描けそうな気はする。でも、素直に絵を描きたいという衝動に身を任せる天才少年が、取り敢えず目の前の風景や人物でなく、絵はがきを見ながらその真似をして描き出したというところで、もうおかしいという気がします。
 贋作者の心理みたいなことが知りたくて読み出したんだけど、読み終えても不快感が消えないので、困ってしまう。あと二冊、別の贋作者の自伝みたいなものがあるんで。

2011.06.12
 昨日のハンバーガーはいままででは一番上手くいったと思うのだが、ツレから「パテが食べていてぽろぽろ落ちた点がいまいち」といわれた。牛肉100パーセントでつなぎを入れなかったからな。なかなか、完璧なるハンバーガーへの道は遠いのである。

読了本 仕事の合間の頭休めで辻真先フェア 『殺人者レールをいく』『旅は道づれ死体づれ』『殺したい子に旅させよ』
 最初の本は旅行雑誌に連載された旅エッセイで、日本各地の特色ある列車に乗りながら、ミステリ作家としてトリックを練るという、「先生、作品にしないでこんな形で流してしまったらもったいないです」といいたいような一冊。しかし変わったものを見つけたりするたびに「これで人が殺せないか」と考えるあたり、こちらも似たようなことは考えるので、ついにやにやしてしまう。
 あとの2冊は最近は書かれていないシリーズ探偵のひとり、「ユーカリおばさん」の事件簿が一応全部買い集まったので(コバルトで出た2冊は未入手)、いままで読まないで置いておいたのを順に読んでいこうと思ったもの。辻版ミス・マープルといいたいところだが、こちらの探偵は旅に出て旅先で事件に遭遇する。2冊目は60年前の女学校時代の友人たちと再会して、その昔の事件と現代の事件をまとめて解決する。老人ならではの、時の流れの重みと悲しみがいい味を出している。

2011.06.11
 以前長崎県に旅行した時、佐世保で佐世保バーガーを食べてその美味さにびっくりした。これが本物のハンバーガーなら、マックのバーガーは生きた人間とマネキンくらい違う。第一全然ファーストフードじゃない。出てくるまでずいぶんと時間がかかり、カウンターの中を覗くと大きな鉄板の上で二つに開いたバンズとパテにじっくり火を通していた。最近関東でも佐世保バーガーを名乗ったり、そうでなくても手作りのハンバーガーを提供する店が出てきたが、妙に値段が高いというのも気に障る。というわけで、自宅で何とか似たようなものができないかとかんばる。そもそも丸いバンズが売ってないんだから、パンから作らないとならない。そうなったらパテも作っちゃおうというわけで、フードプロセッサに肉を挽かせるのだが、これもきちんとした決定版のレシピがあるわけではないので、そのときそのときの出たとこ勝負。一期一会のハンバーガーとなる。意外に難しいんだな、これが。パンと肉が分離してしまう。今日の出来はどの程度までいくか。それがディナーなんで、まだわかりません。

 仕事は1966年からの物語を構成としよう試みるが、まだ迷い中。やはり現在の枠を持ってきたいか、止めるか、そのへんもちょっと迷っている。いまふっと、現代をただの外枠にするのじゃなく、現代において最終的に物語を解決させる、というイメージが浮上してきた。つまり、その程度にまだなんにも決定していないってこと。道は遠いぜ。

2011.06.10
 湿度が高いせいか洗濯物が乾きにくい。パンを焼く。ブレッドメーカーを買い換えようかと思ったが、ずっと使っていて最近やたらガタガタいうようになった機械が、中のパンケースを買い換えたらこね機械としては充分機能するようなので、もうしばらくこれを使うことにする。生地を分けて、丸いバンズを2個焼いた。明日はフードプロセッサで肉を挽いてハンバーガーを作ろう。
 仕事は書き下ろしの資料になりそうな本を、未読再読含めてがんがん読んでいる。何十冊読んでも、使うのはほんのちょっとなんだけどね。

2011.06.09
 原書房の書き下ろし『黄昏に佇む君は』の、過去部分の仕込みを一応終わらせた。この話の現時点は1966年なので、仕込みの部分はもちろんそれよりずっと古い頃の話、一番近いところで1952年。66年からその過去が透けて見えたり、不明の部分について推理と憶測が交錯したりするわけです。66年には神代宗21歳、やんちゃな剣道少年ではいられなくなったけど、俺の明日はどっちだかそんなのちっともわかんねーよっと、ひとりで口をとがらせている未熟な若者真っ盛りであります。そして社会では東京オリンピックが二年前に終わり、もはや戦後ではないといわれ、少なくとも働けば明日はもっとましになる、お金も稼げる、家も建てられるとみんな思ってはいたけれど、それがいい時代だったか。
 ううん、いまのような不景気な閉塞感とは全然違うけど、社会の同調圧力、こういう人生が人並みでスタンダードで、みんなそれに合わせていくべき、女は24歳までに結婚しないと行き遅れ、男も就職して結婚して妻子養って一人前、みたいな締め付けはいまよりもっとずっと大きくて、そんなの嫌だということになったらすごく大変で、でもスタンダードに合わせていくのもやっぱり大変で、あーあ、この先ずっとそれかよ、みたいな気がしたんじゃないかな。若いということはそれだけでしんどいものなんだよ、やっぱり。
 で、問題はもう少しプロットを立ててから書き出すか、えいやっと書き出してしまうか。書き出したとしても、いろいろ書きながら調べないとならないことはどんどん出てくると思うし、第一1966年の物語がどう決着するのかもちゃんと決まっていないんじゃんか、自分。まあ、いつものことなのよね〜だけどさ。そう焦らずにもう少し、決められることは決めてから船出しよう、やっぱり。

2011.06.08
 原書房の仕込み続行中。過去に起きた事件を作っていて、ちょいと密室トリックでもなんて思ったのだが、どう考えてもそのシチュエーションと登場人物の性格では、トリックなんか弄するとは思われない。というわけで、そういう小細工は止めました。無理して本格ミステリっぽさを出そう、なんて思うのは考えないことにする。そういうのはもういい。他人様の作品を読んでも、トリックトリックしたものが出てくるとかえってしらける場合が多いんだもの。
 PHPの文庫版雑誌「文蔵」の7月号発売。連作ホテル・メランコリアの第三回が載っております。これには多少トリックが出てくるんだけれど、それは自分的には必然性のある登場の仕方だと思っております。一応ミステリと幻想のカクテルを目指しておりますんですが、どうせミステリ業界(あるのかな、そういうのが?)の人は、篠田の小説なんて最初から読んでくれへんのでしょ。

2011.06.07
 仕事は今日も原書房の書き下ろしの仕込み、プロット以前。過去の事件の輪郭が見えてきた。お昼に昨日作ったカレーの残りにうどんをぶっ込んで食べたらやけに満腹してしまい、腹ごなしに散歩に出る。住宅街の庭で、二階のベランダからネットを垂らしてゴーヤの栽培が盛ん。うちのベランダのゴーヤも、今年はやけに葉っぱが大きい。さて、どんな実が付くか楽しみ。篠田は冷房効果より、ひたすら食い気でありますじゃ。

2011.06.06
 予報は雨か曇りだったと思うが、晴れてとても暑かった。散歩のつもりで外に出たが、暑さに追われて早々に帰宅。その後やっと書き下ろしの仕込みを始める。篠田は長編を書く場合、いつも物語の現時点のプロットを書く前に、背景となっている過去を詰める。どんな話だって因果関係の全てが作中の現時点で生起するわけはないので、「ここにこういう人物が登場して、こっちの人物と出会って、そうしたらこういう会話になって」と話が転がり出す前に「こういう人物」の設定が存在するわけだ。どういう親からどこで生まれて、その歳までどんな風に育って。それを固めておく。逆にその辺が固まっていれば、現時点のプロットが多少曖昧でも、話は転がってつじつまは合う、はず。
 今回の現時点は視点人物である神代宗20歳の1965年なので、その親世代の親世代と、たった二代さかのぼるだけで、19世紀、幕末の江戸まで行ってしまいます。そのへんは別に書かないけどね。まあ、新撰組が京都を駆け回って血の雨が降っていた時代はとんでもなく昔のような気がするけど、ただ年表を眺めるだけでなく、そこに具体的な人物を設定して生年没年を入れていくと、そういうことになってしまうのでした。歴史はつい昨日のことです。そっちの古い方の仕込みをやっている間に、やはりパソコンは便利。ちょっとした年代の確認や法律関係のチェックとか、いちいち図書館に行く必要があるとしたらとても大変だったね。
 そうやって取り敢えず年表一枚作って、その後は視点の神代さん関係を、これまた年表式に整理していく。彼についてはあちこちにいろいろと書いているから、うっかりそこで書いた設定と齟齬を来しちゃまずいってんで、いささか注意を要します。それと、この時期って第一次早大闘争といいますか、大学が煮え煮えしていた時代なんで、まあ早稲田と書かずにW大で通しているのは、現実と違っていても勘弁ねというエクスキューズの意味もあります。篠田は早稲田でも一文でなく二文(いまはなき夜間学部)だったので、一文と二文は専攻の選び方とかいろいろ違っていたらしいんだが、そんなことはかまったこっちゃねえや、というわけで二文の記憶をまんまつっこんでます。でも時代の空気みたいなものは、たとえ事実どおりではなくても、取り敢えずそれらしい匂いくらいは出さないとなあ。昔の早稲田は全般にぼろかった。男臭かった。いい意味じゃなく。文学部キャンパスは本部よりもっとぼろくて、木造校舎はあるし、トイレが男女別でないところが結構あった(篠田が大学にいたのは、神代さんの時代の10年くらいは後なんだけどね)。そしていまと大きく違うことのひとつは、昔の大学生の喫煙率の高さだよ。ラウンジなんかもすごく煙かった。でもその頃は、それが大人になった証拠みたいな気もして、金もないのにふかしてましたねえ、ハイライトなんぞを。喫煙の害とかさして聞こえないし、ましてや受動喫煙のことなんて、誰も知らなかったから、さて、神代さんは煙草吸ってたのかしら。粋がってふかして、お姉さんにばれて、頭はたかれてたかもね。

2011.06.05
 読了本 『書物幻戯』 赤城毅 講談社ノベルス 書物狩人シリーズの新刊は初の長編書き下ろし。このシリーズはなかなか面白いので全部手元に置いてある。しかしこの話はどういうもっともらしい(ほんとかもっと思わせられる)由来と威力を持つ奇書が登場し、主人公がどういう権謀術数を駆使して勝利を手にするかそこのアイディアが読み処なので、いつもの中編の方がそのアイディアの濃度という点では勝っている。加えて今回は、「ほんとかも」の部分がちょいと弱かった。どんなトンデモナイ設定でも、せめて頁をめくり終えるまでは信じさせて欲しい。
 『毒草師 白蛇の洗礼』 高田崇史 講談社ノベルス 本格ミステリかと思ったら伝奇ファンタジーだった。毒殺トリックの新しいのかと思わせて、実は、という外し技は正直な話好きになれない。獲得形質が遺伝するならルイセンコだ。本当は最近千利休の小説を読んだので、利休キリシタン説に興味があって読むことにしたのだが、こちらも関節外しでした。それがキリシタンの根拠になるなら、篠田真由美だってキリシタンだぜ。

2011.06.04
 新しい小説のプロットを作るには、座ってノートやパソコンを前にしているのではなく、とにかく歩くのがいい。買い物とかも少し遠くまで歩いて、その間木の緑を見たり花を見たり歩道に落ちる影を見たりしているうちに、にがりを打った豆乳がほわほわと固まってくるように、少しずつ物語らしいものが漂ってくる。そのへんはまだ、プロットの矛盾を意識したり、読者をたぶらかす仕掛けを考えたりしなくていいので、とても心穏やかで楽しいばかり。もちろんその後には、山のように苦しみがやってくる。というわけで、今日はまだ苦しみの来ない段階でした。

2011.06.03
 今度は暑くなって、重ね着した長袖を脱ぐ。洗濯物がどんどん乾くのと、パンの発酵が楽なのはいいですね。
 講談社ノベルスで『魔女の死んだ家』が刊行。桜井京介再臨、であります。終わっといてたった半年で復活かい、という気がしないでもないけど、もとは2003年にミステリーランドの一冊として刊行したものに、全面的な改訂書き足しを行ったもの。読み直してみたらミステリとして穴が開いているところもあったのでそこは手入れをしたけれど、元本との大きな違いはやはり京介増量です。それからあとがきには「本編終結後それからのみなさん」についても情報が入ってます。牛丼、肉大盛り、おしんこつきみたいな感じで。表紙もきれいです。舞い散る桜吹雪です。ただし部数がとてもとてもとても少ないので、特に地方の書店などは、他の講談社ノベルスは置いてあるけどこれだけない、というようなこともいくらでもあると思います。すみません、篠田のせいじゃないけど、とにかくすみません。買わなくてもいいから本屋さんで立ち読みしてみて、といえないのが辛い。

2011.06.02
 寒くてビックリ。しまいかけていたセーターを着ていたが、それでも寒くて下にもう一枚長袖を重ね着してしまう。
 仕事が一段落したので、例によって仕事場の片づけ。散らかっていた筆記具類をわけて箱に放り込む。書き下ろしのための資料を入れた箱を持ってくる。長編なのでこれからしばらくは、頭がそっちでいっぱいになる。途中、他の本のゲラなんかも来るんだけどね。出る本の部数はとても少なくなっているけど、それでも仕事があるというのは、まあ結構なことです。ただし、店頭で探しても見つからないということは、ますますあると思うけど。友人のラノベ作家さんがシリーズものの続巻をくれたのだが、その前の一冊がもらっていないのに気が付いて、本屋に行ったけどないんだ、これが。その前の前、くらいのはある。ということはやっぱり、その人も部数が後になるほど減っているんだろうな、と。
 先日見に行った映画『木洩れ日の家で』で、ヒロインの老女が一日の大半を過ごすのが二階のサンルーム。木の床に、籐の椅子と丸テーブルといったカジュアルな家具が置かれていて、ベランダにガラスを張りましたという感じに、三方が正方形のガラスを並べた壁のない窓。下の庭も隣家の敷地もよく見えて、彼女はしばしば双眼鏡で隣の様子を覗く。そのベランダのたたずまいがなにか見覚えがあるなあと思っていたのだが、函館の旧ロシア領事館にこれとよく似た感じのガラス格子を並べたベランダがあったのだ。こちらは平屋で、煉瓦造りの建物の庭側に張り出しているのだが、床は地面から階段十段ほど上がっていて、その部分は木造で、正方形の格子の感じもよく似ている。また函館に行きたくなった。

2011.06.01
 昨日働かなかったので、いい加減書きかけの原稿の片を付けてしまおうと、一日外出せず、料理せず、エアロバイクも漕がずにパソコンにしがみつく。おかげで『黎明の書・外伝』2はアップし、送稿も済ませてしまったが、今日の歩行歩数は1500歩止まりなり。まあ、明日はジムに行くからな。