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2011.04.30
 やっとこすっとこ「ホテル・メランコリア」の第五話を書き出している。連休中には書き終えたいと思っているのだが、まだわからない。

2011.04.28
 仕事場のベランダでローズマリーの紫の花が盛りを過ぎたと思ったら、タイムの花が咲き始めた。直径5ミリほどの、白にピンクが滲んだ可憐な小花。ブルーベリーとすずらんも咲き出している。少し湿度が高いが冬物の洗濯。

 読了本『死んだ女は歩かない』『同2』 牧野修 幻狼ファンタジアノベル 『大正二十九年の乙女たち』 牧野修 メディアワークス文庫
というわけで、突然牧野修祭り。ノベルスは超人美女たちがゾンビやモンスター相手に暴れ回るSFバイオレンスアクションだが、文庫の方は女子美術学校に在籍する才能豊かな四人の乙女たちの青春を、リリカルに、ときにはやっぱりバイオレンスに描く。設定は微妙にパラレル・ワールドの関西で、絵画を模倣する猟奇犯罪が起きて、意外な人物が探偵役に現れたりもするが、SFでもホラーでもミステリでもなく、やはり青春小説としかいいようがない。結末もどことなく『スタンド・バイ・ミー』だしね。 

2011.04.27
 映画「ダンシング・チャップリン」を今度こそ見に、再度銀座へ。堪能して帰ってきました。バレエも、チャップリンも、興味のど真ん中ではないのだが、美しい映画だった。草刈民代さんもバレリーナを引退するのだが、チャップリンを踊ってきたバレリーノ、ルイジ・ボニーノも60歳でそろそろ限界だというので、その舞台を記録し、かつダンサーたちが舞台を作り上げるまでの横顔を、周防監督の映画作りの過程も含めて、メイキング・フィルムとし、それを前半に収める。不思議な作りの映画ではある。人の身体の動きが作り出す芸術は、もっともプリミティブで根元的な表現かもしれない。

2011.04.26
 どうも最近夕飯をツレにまかせているため、たまに「今夜は作るよ」ということになった場合、一日料理のことばかり考えてしまうような気がする。今夜はトルコ料理にしようというので、メインの肉と魚は夜やるとして、付け合わせの野菜料理二種、ほうれん草の炒め煮と焼き茄子のサラダを昼のうちに作っておき、それとパンも焼いて、まあそれだけなのだが、仕事の方は『魔女』の再校ゲラをやはり休み前に送り返してしまえ、というのをやったのと、後は雑用で郵便局や銀行に行っただけでなんとなく一日過ぎてしまった。いや、実は読書の方が牧野修祭りで、『死んだ女は歩かない』という、タイトルだけ聞いたらどんな話かよくわからないでしょ、でもこれがSF設定のバトルアクションもので、暴れるのはことごとくかっこいい女性ばかりなんです、が、とても面白くて、2冊目に手を出したら途中で終われなくなってしまったというのもある。牧野さんのヒロイン・アクションものだと、以前に『黒娘』というのがあったが、こちらはひどい男が女を虐待したりレイプしたり惨殺したり、というシーンが延々あって、それに対する復讐としてヒロインが暴れるのだが、そっちも性がらみの暴力が多くて、すっきり楽しめるというわけにはいかなかった。今回のは性の要素が減退して、アクションは肉体損壊から死に至るんだけど、痛いようなリアルさよりスコンと上に抜けているので、その辺も安心して読めます。

2011.04.25
 今日は映画「ダンシング・チャップリン」を見に銀座のテアトルに行ったのだが、なんと初回も二回も席が売り切れというので、もともとキャパの小さい小屋らしいが、ひえーん、まさかそれほどとは。仕方なく水曜日のチケットを買い、近くのINAXギャラリーで建築家村野藤吾などがインテリアに関わった戦前日本の豪華客船に関する展示を見た後、カフェでお昼。そこでツレとは別れて北青山へ、角川書店の『閉ざされて』の表紙を描いていただいた藤田新策さんの原画展をやっているということで、行くつもりだったのだが今日とは思わなかったので住所もうろ覚え。ただ外苑前で降りて、ブラジル大使館の近所とだけは記憶していたので、首尾良く到達。Mayaという名前の画廊であります。第2会場の地下ギャラリーに行ったらご当人がいらして、しばしおしゃべりさせてもらった。印刷で見ている絵でも原画で見ると全然印象が違っていて、折原一さんの『行方不明者』のブルーグレーの水の色とか、なかなか美しかったです。ご本人は絵のムードとはちょっと違う、どっちかってえとファンキィなお兄ちゃんでしたが。

2011.04.24
 『魔女の死んだ家』の再校ゲラを読み直し、少しだけ直しを入れる。担当は連休いっぱい休むそうなので、その直前に返してもかえってうざいだろうから、休み明けに入稿してもらうように、それくらいのタイミングで返送することにしよう。その休み明けには文庫に下ろす『失楽の街』のデータが届くことになっていて、こちらは6月に戻さないとならない。その前に文蔵の「ホテル・メランコリア」をもうひとつ書いておきたいので、これを連休中の仕事ということにするか。この数年、ゴールデンウィークはツレがグループ展をやっているので忙しく、どこへ行く予定もないんである。予定がなければ、零細自由業者は働くだけ。この連作は予定では7作で、ラストは全体を上手くまとめる話にしないと、とは思っているのだが、まあなんとかなるだろ。

 『バベル島』 若竹七海 光文社文庫 ホラーっぽいノンシリーズ短編を集めた文庫オリジナル短編集。中では表題作の「バベル島」、イギリスの島でブリューゲルの描いたバベルの塔そっくりの塔をひたすら建てている貴族の男がいて、というのが一番気に入ったけど、半分も読まないうちにオチがわかってしまうのが、短編としてはいささか辛い。だったらむしろこれを、執拗な描写とともに長編にしたら、建築ゴシック・ホラーになるんじゃ、と思ったが、それは篠田のような建築フリークにしか受けないマニアックな作品になってしまう、だろうなあ。ううむ、でもそれなら書いてみたいなあ。

2011.04.23
 単なる偶然以外のなにものでもないとは承知しているのだが、震災以来いろいろ落ち着かないというのは、篠田自身の身には特別なにも起きてはいないのだが、下記の友人の連れ合いの死去の他にも、同業者の母上が逝去するとか、親しくしている人に病気が発覚するとかそういうのが立て続いてしまって、しかしこちらはなにが出来るわけでもなく、ただあわあわと焦ったりするばかり。今日は精神的地震酔いとでもいうか、頭がふらふらくらくらして、離人感まで湧いてきてしまって、まったくやれやれである。粉をこねてパンを焼いたり、エアロバイクを漕いだりしていると、少し気持ちが落ち着くのだが、またぶりかえしてくるので、なかなかやっかい。

 読了本『老いへの不安』 春日武彦 朝日新聞出版 精神科医の書くものでも、香山リカがどっちかといえばアップ系なのに対して春日さんは紛れもなきダウン系。どっと気が滅入るというほどではないのだが、じんわり効いてきて、でもウェットではないので、少し乾いた笑いがでるような感じ。はっきりいってあんまり前向きな、「がんばりましょうっ」的な言説はそうでなくても好きではないので、この方の著作はほぼ制覇している。生きていれば誰だって老いるわけで、老人を笑うのは自分を笑うのと一緒だとはわかっている。でも老人らしい老人のロールモデルがいないというのは、その通りだけど、気が付いてみるとそれは老人に限ったことではなく、「大人らしい大人」だって、「若者らしい若者」だって、いまやロールモデルなんてないよね。そう考えるとあの、津波の後の平野を見るような気がする。

2011.04.22
 お連れ合いに急逝された友人の家に、2泊3日泊まり込んできた。といっても別になにをしたというのでもなく、膝をつき合わせてお茶を飲みながらひたすら彼女の話を聞き、話し相手を務めただけのことで、役に立ったか立たないかというほどのものではない。それでもまあ、彼女は大変に「人持ち」な、つまり人望のある人で、友人が次々と泊まり込んだり食事を持ってきたり、だったのだが、篠田はその切れ目の繋ぎをして好き勝手なことをいったり、食べたりしていただけである。仕事がちょうど切れ目で、タイミング的にも絶妙であったが、篠田は他人様の家では眠れないし出せないというていたらくなので、3日が限度でありましたね。
 帰りはリブロで本を買って、たいめいけんのオムライスを食べて仕事場に帰った。しかしまったく、人間いつ死ぬかなんてわかったものではない。そのときになって出来るだけ後悔しないように、精一杯生きたいものであります。

2011.04.19
 今日も天気が荒れ模様。午後から雷雨になったと思えば、夜になったら雨は上がったのにやたらと寒い。今日はジャーロの資料をまとめて他の部屋に移し、お便りの返事を書く。一日手紙書きで終わった。『魔女』の再校ゲラが来たが、戻しは連休明けでいいので取り敢えず急ぐことはない。ジャーロのゲラが来るのもその後だろう。あっと、そろそろ本格ミステリ大賞の投票をしないとならない。といっても、今年はまだ決めていないんだな、これが。
 明日からお連れ合いを亡くした友人の家泊まりに行くので、しばし日記の更新は止まる。金曜日に復活予定。

2011.04.18
 天気予報は晴れだったのに、朝から頭上に黒っぽい雲が蓋のように被さって、どうも頭がスッキリしない。ジャーロの第3章を一応最後まで書き上げ、プリントアウトをチェック。本当はこの後2、3日放置して、冷静になってから読み直せばいいのだが、それほど気持ちの余裕がなくて、取り敢えず送稿してしまう。しかし章の切れ目までと思って書き続けたら、120枚越してしまった。はた迷惑な書き手だなあ、我ながら。
 週の後半は用事が入るので、ジムを済ませてしまう。『魔女の死んだ家』の再校ゲラが明日届く。建築探偵外伝といったサブタイトルをつけたらどうかという、編集部からの提案は今回については止めてもらった。いや、なんか表紙のデザインに似合わないなあという気がしたもんで。出来ればこれを手に取ってから本編に入る人がいて欲しい。それには外伝とつかない方がいいかも、とも思うし。
 自宅に戻ると常連の読者和歌山のNさんからイラスト入りの感想お手紙。この方は神代さんのファンで、描いてくれる神代さんがとてもカッコイイ。しかしモイラと神代さんのツーショットは彼女だけだろうなあ。非難囂々というほどでもなかったが、とまどいや「えー」という声が多かったのも事実。でも、ごめんなさい。あれについては作者は確信犯です。

2011.04.17
 仕事場の近所の河原にある蕎麦屋に、名残の桜を見ながら蕎麦を食いに行く。桜はまだ残っていたが、風向きの加減が桜吹雪にはならず。しかしそこの蕎麦は、近所にあるのが申し訳ないくらいには美味い。稚鮎の天ぷらをつまみに昼酒を一合飲り、割子蕎麦を。帰ってからは真面目に仕事を続けて、ようやくジャーロの連載、今回分の終わりが見えた。

2011.04.16
 むやみと暖かい。なにをしているかというと原稿を書いている。結局自分にはこれしか出来ることがない。

2011.04.15
 友人と小金井公園で花見をする。ソメイヨシノはすでに散っているが、いろいろな種類の八重桜や山桜が絢爛と咲き誇っている。

2011.04.14
 桜は足早に過ぎてゆくが、気が付けばけやきの緑が梢を包んでいる。ああ、上高地に行きたいなあ。

2011.04.13
 今日は上天気というより、むしろ暑い。友人のお連れあいの葬儀に列席、その後東京まで出たのだから買い物でもしていこうかと思うが、香典返しの箱をかかえてデパートへ行くのもどうか、という感じでまっすぐ帰宅する。精神的疲労感で結局午後も仕事にならず。情けなし。
 京都在住の読者から「今関東へ郵便や宅急便を送るのは避けた方が良いといわれた」という手紙が届いたので、これも一種の風評的過剰反応か、と思う。関東のほとんどは被災地ではないし、余震はときどきあるものの、郵便も宅急便も普通に届いている。「避けた方が」といった人も何かを確かめていったわけではないはずで、そうした不正確な情報の集積が、悪意からではないのに、風評被害を生むことにも繋がっていくのだと思う。確認を取ることは簡単にできるので、自分の危惧や悲観的な想像を安易に口に出すことはお互い慎みましょう。

2011.04.12
 石神井川に沿って中板橋から王子まで歩く花見。今年は去年より遅くなったので、ソメイヨシノはかなり終わっていた。だが、早いの遅いのちょうどいいのと、そんなことを言い合えるのも暢気な話。連れあいを亡くした友人は、これからきっと桜を見るたびにそのことを思い出さなくてはならないのだろうな、と思う。しかし、かすかな後ろめたさを覚えながらも、花は美しいし酒はうまいのだ。万を超す人が亡くなり、その嘆きの声が北の地で消えていなくても、顔を知っている人の死を承知していても、幸せは感じられる。宮沢賢治の「世界全体が幸福にならなければ」ということばは、たぶん彼のそうありたい願望であって、人間の真実ではない。それが悪であり罪であるなら、人間の存在は悪であり罪である。そこから出発するしかない。我々人間とはそういうものなのだということを忘れないようにしよう。

2011.04.11
 午後の仕事を始めようと思ったら天気がおかしくなってきて、雷がすぐ近くで鳴り出し、パソコンを使うのがためらわれ、しばらくして遠ざかったなと思って仕事をしていたら、今度は五時過ぎにぐらぐらっと。それでも震度はせいぜい4か、もっと下のようなのに、福島はまた6.これはきついなあ。大地が揺れるというのは、人間の根元的な安心感を奪い取るね。あわててネットに繋いだら、余震の多いこと。こちらでは感じられないが福島では震度1クラスなら数え切れないくらい起きている。地震酔いかほんとに揺れてるかわかんないじゃん。

2011.04.10
 知人の作家さんのお連れ合いが病死された。ご本人は私よりだいぶ若いけれど、彼は同世代だったと思う。もっとずっと落ち着いた、大人だな、という感じの方だったけれど、仕事がすごく忙しくて、海外出張なんかもしょっちゅうだったのが、風邪をこじらせたようで熱が下がらない、息が苦しいというので病院に行って家で寝ていたけど抗生物質が効かなくて夕方になると熱が上がる。おかしいというんで、震災直後の混乱期だったけれど、どうにか入院させてもらった。少しして大きな病院に転院して、ICUに入っている、ただの風邪でも肺炎でもなかったということになったものの、いい治療を受けているんだから大丈夫だと思っていた。先月末から知人のmixi日記が更新されなくなったので、すごく心配で、毎日祈るような気持ちで何度もmixiを覗いて、様子伺いのはがきを出してみたりもして、そうしたら今日。
 いくらちゃんとした治療を受けていても、ついこないだまで元気にばりばり働いていた人でも、たった一月足らずで亡くなってしまうということが、本当にあるんですね。利己的ですけれど、東北で万を超す人が亡くなっていても、やはり顔を知っているひとりの死がこたえます。悲しいし、怖いです。篠田は大変に臆病なので。

2011.04.09
 遅れていた桜の常で、気温が上がると一気に開花する。もはやうちの周辺も満開。今日は天気が悪くて朝から雨もよいだったが、ソメイヨシノの花というのはピーカンのときより、むしろ空が暗く曇っているときの方が、紅色っぽくあでやかに見える。そのへんも陰影礼賛といいますか、日本っぽい気がします。

 お便りの返事にまたお便りをいただいたのですが、差出人住所氏名をお忘れでした、某所の畠山さん。派手やかな封筒に見覚えがあったので、たぶん前に頂いた方からだろうと思って開封しましたが、本当は無記名の封筒は開かずに捨てることにしているんです。嫌なことがありましたから。どうかお便りを下さる皆様、投函の前にもう一度ご確認を。

2011.04.08
 昨日はベッドに入って、あ、眠る、と思ったところで地震。埼玉は震度3くらいだったはずだけど、けっこう大きく感じた。そろそろ安心したころのだめ押しって、効くよね。いわゆる怪談紀伊國坂効果、「その恐ろしい顔っていうのは、こうだったですかい」ってやつです。地震酔いが復活して、トラックの振動さえびくりとしてしまうのが我ながら情けない。
 東電の計画停電が、取り敢えず4月5月見送りと決定した。気温が下がらなければだいじょうぶでしょうというなら、もう少し早く決めて欲しかった。これまではほとんどの場合、毎日前の日になって「明日もやりません」だったから、ほっとはするけど落ち着かないし、工場なんかは停電はあると決めて計画を立てるしかないから、途中とぎれると作れないもののラインについては止めておくしかなかったという話。やらないといっていてやるというと非難されるから、やるといっておいてやらない方が罪が軽いだろうと思っていたのだとしたら、それは単に東電の保身でしょう。
 でも、避難所やなんかで苦労している人たちのことを思うと、停電がなくなることを手放しで喜んで良いのか。電車も通常ダイヤに近いところまで復旧したし、ガソリンも高いけど出回っているし、これで停電もないとなるとあっさり忘れそうで、そんな自分が嫌です。

2011.04.07
 今日になって初めて、夜になっても暖かいと感ずる。周囲の桜もようやく五分咲きくらいになった。
 電気というもののことをつらつら考える。東電の震災前のオール電化推進キャンペーンみたいなことを思い返すと腹が立ってならんとばかり思っていたのだが、問題は東電にあるというより、もう少し大きな話なのではないか。電気は作って余っても貯めておけない。ということはたぶん、流しっぱなしの温泉のようにあふれて消えていくだけなんだろう。しかし電力会社にとって電気は紛れもない商品。売れれば売れるものを、みすみす流しっぱなしにしてしまえばお金にはならないわけで、なんとももったいない、と考えるのも当然だろう。発電力に余裕があるんだから、あるだけ売れるようにオール電化を推進する。需要が増えればもっと発電しなけりゃならない。CO2を削減するためにも原発は役に立つ、クリーンなエネルギーです。日本の原発はソ連とは違って絶対に事故など起こしません。いけいけどんどん、と。
 問題はその「発電力に余裕」で「クリーン」の部分が、実は看板に偽りありだったということだけど、その「貯めておけない」をもう少しどうにかする方法も研究してもらえないかな。山梨県の方に、夜間電力で水を高いところに上げておいて、昼間それを落として発電している発電所というのがあって、東電のPR施設みたいなところでその模型を見せられて、「でも、水をあげるエネルギーは、落ちるエネルギーよりよけいかかるでしょ?」と質問してしまった。そらそうだよな。そうでないとエネルギー保存の法則が成り立たない。職員の人は、なんという馬鹿な素人に説明せねばならぬことよ、といいたげな情けない顔で、「夜間は電力が余りますから」てなことをいっていました。つまりそれは電気を一度位置エネルギーに変換して保存する、一種の蓄電池だったと考えればいいわけですね。貯めておけないから、安定供給というのが問題になって、太陽光や風力発電のネックになる。作れる時に作って、効率よく貯めておければずいぶん話は簡単になりそうな気がするんだけど、こっから先は物理科学超苦手の篠田の手に余ります。理系の方、よろしく。

2011.04.06
 今日は本当に気温が高かった。散歩に出たらフリースのブルゾンが着ていられなかった。でも家の中はなんか寒いんだよね。ともあれ飯能の桜もようやくほころんできた感じ。週末は天気はいまいちらしいが、そろそろ花見ができるだろう。近所のスーパーで岩手宮城福島の酒を探したが、埼玉県は地場にもけっこう造り酒屋が多いため、そうした地酒を別にすると後は全国区の大手メーカーのみの店がほとんど。ひとつ見つけたのは宮城県塩竃市の浦霞。今年の花見はこれで行くか、って、ひたすら飲む口実を探してるだけじゃん(爆)
 こちらに書いた「手紙を送り合おうよキャンペーン」に共鳴して、友人に久しぶりに便りを書いてみました、という便りを下さった長野県のKさん。有り難うございます。大した用事のない手紙って、いいものでしょ? 別に篠田は日本郵便会社の回し者ではないので、メール便の方が安いものについてはもちろんそっちを使っておりますし、仕事に関してはメールばかりです。実は、電話が嫌いなんですよ。かけるのもかかるのも。特に篠田のような仕事をしていると、原稿に没頭している最中の電話というのは有り難いの反対だったりして、その点パソコンのメールは自分の手が空いた時に見られるから助かります。携帯のメールは電話同様勝手に人の時間に割り込んでくるからやっぱり嫌。そして手紙は落ち着いて読めるし、読み返せる。それにメールと違って、文字や紙の選択や、いろいろと出して下さった方の人柄を感じ取れるところが好きなのです。

2011.04.05
 今日も昼間は暑いほど、朝晩は冷や冷や。この季節って毎年こうでしたっけ。なんか、違うような気がしてしまう。
 新聞に「ボランティアも義捐金もありがたいが、むしろ東北の産物を買って産業の立て直しに一役買って欲しい」という趣旨の、現地の方の声があって、そうだよなあ、福島の野菜だって買うけどなあと思う。スーパーで酒のコーナーに足を止め、酒造メーカーの場所を見るが、こういうところに並ぶ酒は大手のものばかりで、岩手宮城福島あたりのはほとんどない。だったら今度東京に出る時、県のアンテナショップに行くべしと思ってネットで調べたら、同じようなことを考える人は山ほどいて、アンテナショップはどこも盛況だそうだ。それについてはまず良かった。

 読了本『世界ぐるっと朝食紀行』『世界ぐるっとほろ酔い紀行』『世界ぐるっと肉食紀行』 西川治 新潮文庫 思い煩うこと多い日々には、この手の罪のない本が一番読んでいて楽しい。美味しい食べ物と酒の嫌いな人間はあまりおるまいし。

2011.04.04
 陽射しは日々明るさを増していくのに、風はいつまでも冷たい。春らしい風って、もっとこう暖かくて柔らかいものじゃなかったっけ。午前中からジャーロを書いて、午後は散歩に。飯能の桜はやっとほころびだしている。しだれ桜はけっこう咲いているが、ソメイヨシノについてはまだまだだ。こうやって、花のことなんかで一喜一憂していられること自体、幸せに違いないんだけど。
 夕刊を読むと東北の観光地が、被害のないところまでお客さんが来なくて大変、と書かれているのだけれど、東北本線、新幹線はまだ完全復旧していないし、道路にも亀裂やなんかがあるみたいだし、いくら被災地を応援したいと思っても、いまボランティアでもない人間がほいほい遊びに行っていい状況ではないだろうにと、それはそれで悩ましい。篠田は東北が好きといっても、三陸側はあんまりなじみがなくて、どちらかというと内陸方面。去年も久しぶりに夏油温泉に泊まって、やっぱりこっちの温泉はいい、と感動して、帰りは水沢で南部鉄器の鉄瓶を買ってきてずっと使っているし、一昨年は佐藤志生さんの原画展を見に宮城県登米の石森章太郎ふるさと館に行き、登米小学校を見学し、夜は福島の高湯温泉に泊まった。どちらもまたぜひ行きたいと思っている。でも、いまはまだ早いよね。少なくとも足が回復しないと。内陸だって県内から避難してきている人たちがたくさんいるようだし、そんな人と隣り合わせて、とてもへらへら観光なんてできない、よねえ?

2011.04.03
 昨日は震災以来初めて、純然と遊びに外出。といっても石神井公園をぶらぶら散歩して、大泉学園の飲み屋で夕飯を兼ねた外飲みをしただけだが、その店は3/11に行くつもりだったところなので、念願が叶ったというか。途中こぢんまりした商店街に行き会い、小さなパン屋でパンを買い、コインロッカー式の野菜スタンドで小蕪を100円で買う。古本屋カフェなんてのもあって、また足を運びたい、とてもいい雰囲気の商店街だった。
 昨日転送されてきたお便りに、仙台の方からの手紙があった。直接の被害はなかったと書かれているが、いろいろ不自由なことも心配もあるに決まっているのに、わざわざペンを取って手紙を出していただいたことに、心からの感謝を覚える。もちろん返事は今日書いた。
 夕方になってやっと『わたしはここにいます』の第3章に着手。いつも新しい原稿に取りかかる時は、歯医者に行くのを先延ばしにしているような、ぐずぐすとした時間がかかってしまう。今回は何枚書いて良いのかよくわからないままだが、誌面が足りなければ途中で切るまでだと覚悟を決めて、書きたいように書くことにした。

2011.04.02
 昨日は『魔女の死んだ家』のゲラをチェック。漢字の統一等のチェックのみ。カバー袖の「著者のことば」を書く。この本、ちゃんと6月に出るといいなあ。
 震災後に届いたお手紙に返事を書いて、これでお送りしたポストカードは79枚。たくさんのお気持ちを有り難うございます。すべて丁寧に繰り返し拝読しております。いただいているお手紙はこれより多いというのは、お返事にまたお返事を下さる方が少なからずいらっしゃるからだが、一応それにまたお返事を書くことはしていません。また改めて、という感じでいただきましたら、そのときはまたということで。

 今朝のTBSラジオで評論家の大宅瑛子がいっていたのだが、デパートの高島屋は震災当日、商品の販売は止めたが店舗は閉めず、帰宅困難者を店内に受け入れて毛布や乾パンを配ったという。本店支店あわせて2千人以上の人が、高島屋の店内で一夜を明かしたそうだ。篠田も東京に出ていて、新宿御苑前から池袋まで歩いたものの、池袋は西武もはやばやとシャッターを下ろし、スタバなども店を閉めていて、怪しい雑居ビルの中のベトナム・レストランでしっかり夕飯を食えたのはまだ良かったが、その後は打つ手無し。JRの駅すらシャッターを下ろして人を閉め出そうとしていて、いまよりずっと寒いし、夜の9時頃にはまだ立教大学とかが避難所を提供しているという情報もまったくなかった。結局はツレの友人が巣鴨にいたので、そこまで歩いて泊めてもらえたのだが、それがなければ完全に路頭に迷っていた。店や駅を閉めた企業にも、安全面とかそれなりの理由はあったのだろうが、同じデパートでもこれだけ対応が違うのだよ、ということは、この際はっきりさせておきたいね。