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2011.03.31
 昼間の気温はずいぶん上がってきたが、今日も夜は寒い。桜が咲いても夜桜なんかで浮かれているんじゃないぞ、と上の方から声がしているのかもしれないね。4月から西武線はまた走る電車が増えて、地下鉄との相互乗り入れも復活するらしい。電気が足りているなら、走っていただけるのはありがたい。平日の特急はまだ走らないらしいけど。そして取り敢えず停電は金曜もお休み。このところ土日はやってないから、そこまではないと思って良いのか、な?
 励ましのお便りが欲しいとここで泣き言を書いたら、本当に送って下さった方がいらっしゃいました。ありがとうございます。うるうる。現実が厳しいほどに、自分のことばにどこまでの力があるのだろうと思えば不安ばかりで、毎度よろよろしています。6月にノベルスがちゃんと出せるかどうか、正直な話予断を許しません。紙不足で、被災した子供の教科書が足りないなんて聞くと、小説なんて後回しだよな、そうだよな、とうつむくしかない。でも、取り敢えず作業は進めるしかないので、希望を持ってがんばります。もうじき桜も咲くし。
 明日はツレが夜用事があるんで、日記の更新はお休みさせて頂くかも知れません。

2011.03.30
 気温が上がってきたおかげで、明日も停電はお休みだそうだ。暑くなればまたエアコンが使えない分寒いより大変だろうから、その前のしばしのお休みということでほっとさせてもらおう。仕事についてはいまのうちに、ノートパソコンを買うことも考えるべきかな。執筆を始めると、自分の都合でなく仕事の時間を断ち切られるのがなおさらしんどいだろうから。昨日からジャーロ連載のゴシックロマンスの続きを考え始めたが、まだ書き出せない。
 上野の山はお花見宴会自粛だそうだ。いや、上から「自粛して下さい」といってくるんだから、自粛ではなく他粛というか。そりゃまあ夜桜というのは電力を食うだろうし、薄ら寒いところで車座になって紙コップでビール飲むのがいいことだとも思わないけど、イシハラシンタローごときにえらそうにいわれたくないわい、というのは正直な話。花見しますよ、暖かい昼間にね。昼酒飲んじゃう。楽しめる時には楽しむんだ、あとで悔いないですむように。

 読了本『東京を弄んだ男』 斎藤貴男 講談社文庫 たまたまだけどタイムリーすぎる読書で、すごく嫌だった。頭は悪いし、差別主義者で、戦争好きで、ひとつとしていいところなてない。なんでこんな人間に東京都民は票を入れるのか全然理解できない。本のタイトルは過去形になってるんだけど、ヘタしたら過去形にならないんじゃないかと思うと、さらに嫌だ。

2011.03.29
  午後になって外に出てみたら、せっせと歩くと暑く感じるくらい気温が高かった。しかし桜はつぼみは赤らんでいるものの、まだ一輪もほころばず。やはり東京よりはずいぶんずれるようだ。今日と明日の停電はお休みだそうで、ちょっとほっとする。しかし停電が多い地域と少ない地域の差がかなりあるとかいう不満も出ているらしい。mixiのニュースに載っていたんだけど。23区内が停電しないのもおかしいという不平も多いとか。でもなあ、そこら中が停電でへこむよりも、都心くらい明るくにぎやかにしていてもいいじゃない? それだってこれまでよりは、節電しているはずなんだし。無駄は減らすべきだけど、萎縮するのとは違うと思う。関西圏はせいぜいがんばって経済活動をして、関東の分も稼いで下さい。

 読了本『幻視者のリアル 幻想ミステリの世界観』 千街晶之 東京創元社 著者が幻想ミステリについて語り論じた文章を集めた評論集。幻想ミステリというとなんだかコアな、狭くてマニアックなもののようにも感じられるが、ジャンルの区分けがどんどん曖昧になっている現代の文学傾向からして、そのカバーする部分はとても広い。ミステリもホラーも純文学も、幻想の要素がふくまれるものは珍しくないというか、皆無なものの方がむしろ珍しいくらいだから。初出で読んでいる文章も多いが、こうしてまとめて読むと改めて、著者の目配りの良さとバランス感覚が感じられる。建石修志氏の表紙挿画がステキ。

2011.03.28
 お天気に関しては昨日と同じ。晴れているのにひやひや。このところ桜の開花は毎年早まって、いつもなら「少し気が早いお花見」という感じになる頃だというのに、寒さは寒し。加えて自粛ムードで桜祭りなど各地で軒並み中止。いや、しかしそれではテキ屋さんが大変なのではないか。東北新幹線新青森まで開通でそれと意気込んだ青森の温泉地がキャンセルに頭を抱えているといわれても、寸断された鉄道を乗り継いで温泉に行く気にはさすがになれないのだけれど、近場のお花見くらい、それも節電しつつだったらいいじゃないかと思うんだけどね。ガソリンも一応で回り始めたし、鉄道も間引き運転で特急はなし、便利な乗り入れ線も無しだけど、一応走ってる、走ってないところもあるけど。だからひたすらがまんがまんだけでなく、節電は心がけつつも少しずつ、日々のささやかな楽しみも取り戻していきたい。今日の停電は9時20分に始まったが、1時間ちょいで復旧した。それはありがたいのだけれど、もう少し早く予定が決まってくれないかなあ。この日も結局朝にならないとわからなかった。あしたもどうなるのかわからない。

2011.03.27
 日射しは日々明るくなってきているのに、どうも空気が冷たい。ひやひやとした寒さがいなくならない。昼間暖房無しで過ごしていると、どうも身体が硬くなってくる。しかし先週今週と土日は計画停電がお休みで、そのことにとてもほっとしている自分がいる。それが休日という感じ。といっても仕事はお休みではないというか、停電がなければ安心してパソコンに向かっていられる。今日は文蔵の「ホテル・メランコリア」連作の第三回に、簡単な手直しをして送稿する。〆切は5月の頭なんだけど、4月はジャーロをやるつもりなので、できることは先にやってしまおうということ。普通の出版社でこれをやると、まず確実に迷惑がられるというのは、仕事の手順が狂ってしまうからだが、幸いこちらは間にフリー編集者のMさんが入っていて、彼女も篠田と気質がよく似ていて時間に余裕があるに越したことはなしというタイプなので、その点非常にありがたい。明日はたぶん停電が9時20分からなので、歯医者の予約が午後に延びた。まあ、不便は不便ななりに、けっこう世の中は回っていくんである。案ずるより産むが易し、というわけで、気楽に行こうぜ。

 読了本『出版大崩壊 電子書籍の罠』 山田順 文春新書 今年になって読んだ電子書籍関係の本の中で、一番悲観的だけど困ったことにかなり説得力がある内容だった。ウェブ上にあるコンテンツは基本的にタダ、というのがすでにユーザーの了解事項になっているがゆえに、対価を求めるコンテンツはその質とは関わりなく常に無料コンテンツに負け、ゆえに電子書籍は常にコスト割れになる宿命であり、つまり従来の紙の本のような手間暇をかけたテキストを作り出すことは不可能になる、紙の本を電子データにしてもそれは素人の自費出版本などの大量のゴミの中に埋もれてしまう、というのが結論。今回の震災で、伝記がなくちゃ読めない電子書籍よりやっぱり紙の本、という流れが生まれないかと期待しているのだが、紙不足→電子書籍なら紙が要らない、となってしまったら困るなあ。それでも50年かそこらで、いまのような出版業は姿を完全に変えざるを得ないのかも知れない。

2011.03.26
 昨日で『幻想建築術』の直しを終えて送稿。夜は18時21分に停電したが、一時間半ほどで点灯。しかし暗い中で夕飯をわさわさと、落ち着かないまま食べてしまった。いやもちろん、そんなことで文句を言うのは贅沢だけどね。
 今日はカンパーニュを焼いて、冷凍庫に残っていた牛すね肉を赤ワインと香味野菜でマリネにし、これも冷凍庫に残っていた冷凍ブルーベリーをジャムに煮てしまった。それからいただいたお便り全てに返事を出し終える。郵便の遅れが発生しているようなので、お手元に届くにはそれなりの時間がかかると思いますので、どうかよろしく。もしも届かない場合は、申し訳ありませんが再度ご一報下さい。

2011.03.24
 週1で通っているジム、先週は休みだったが、今週は停電の間を縫って営業しているというので、電車で行って汗を流してくる。ここは風呂があるのだが、そこの小さい陶器の湯船に入ったら、身体がずっぽりはまってしまったような感じで動く気がしなくなった。かなりくたびれているのかもしれない。明日は停電の時刻が夜になるので、日記の更新はお休みします。

2011.03.23
 雨は上がったが依然寒い。しかしまだましというのは、明るければ照明をつけないで済むからだ。暖房も使っていない。真冬でなくてまだよかった。スーパーに牛乳を買いに行ったら、一家族1本だそうで、それでもいつも飲んでいる低温殺菌牛乳が久しぶりにあったので買う。ヨーグルトを作るのと、仕事場で飲む分の低脂肪乳と、合計3本必要だったのだ。でも、買い占めではありません。スーパーなど3カ所廻り、おかげで運動不足になることはない。それと今日はうちの地域は、結果的に計画停電お休みだった。おかげで午後からずっと続けて仕事ができて、『幻想建築術』の直し、二度目の最後まで。このプリントアウトをもう一度読み直してチェックし、取り敢えずの完成とする。
 今とても気になっているのは、紙の倉庫というのが東北地方太平洋岸にたくさんあったそうで、今後書籍雑誌の本文用紙の不足が予想されるとのこと。売れそうもない本ほどより厳しく部数が削られ、あるいは刊行が先延ばしになるなどということもあるのではないかしらん。果たして今やっている仕事も、本にできるのだろうかなどと思えば心細いこと限りなし。しかし、電気がなければお手上げの電子書籍よりは、やっぱり形のある本でないとなあ。そう思いませんか。

 読了本『ポリス猫DCの事件簿』 若竹七海 光文社 若竹さんの葉村市という架空の都市を舞台にしたコージー・ミステリの一環、江ノ島を思わせる海中の小島は野良猫と人間が共存する観光の島。『猫島ハウスの騒動』は長編だったが、今回は駐在所のおまわりさんとそこに居着くポリス猫を主人公にした連作であります。猫好きにはポリス猫くんの、いかにも猫らしい活躍ぶりに頬がゆるむが、前作以来のおなじみキャラ、人も猫も、も楽しい。しかも短編は独立していながらちゃんと全部読み通すとおちがつく。何かと落ち着かない昨今では、こういうお話が読んで楽しくてよろしいです。

2011.03.22
 本日の大ちょんぼ。仕事場の鍵を自宅に忘れたまま行ってしまい、ツレに届けてもらうはめに。貴重なガソリンを要らぬ事で消費してしまった。本日の計画停電は12時20分から15時15分。その間を縫って仕事をし、停電の間にパンをこねる。白神こだま酵母のクルミパン。今日も寒い。

2011.03.21
 マンガ家坂田靖子さんのブログで、金沢でもトイレットペーパーやティッシュペーパー、ミネラルウォーターが品薄になっているというのを読んだ。どう考えても無意味な話だが、やっぱりそれは先行き不安感をものをかき集めることで埋めたいという、心理的な補償衝動なのだろう。篠田もスーパーに行くと、なんとなく以前より多めに買いたくなってしまうところがあって、えらそうなことはいえない。だがそこは人間としての理性で、「これは無意味な行動だぞ」と自覚して、ぐっと踏みとどまりたいものだ。牛乳やほうれんそうから放射能が検出されたなどというと、またそういうものがやたら廃棄されたり、品薄になったりしそうだが、その数値はほとんど意味がない程度のものなので、そこも突っ走りそうになる不安をぜひ押しとどめて欲しい。
 今日は朝は寒かったが、時間が経つほどに気温が下がってきて、しんしんと底冷えがするが、停電は回避されてほっとした。西武線も明日からは一応全線終日運行になるらしい。通勤の人は混んで大変だと思うが、申し訳ないけどその心配のない人間は安堵。自宅と仕事場間の移動についても、バスより電車の方が値段が安いんであります。帰り道雨の中で、満開の白梅がほろほろと花びらを散らしながらかおりを漂わせていた。この春は余裕がなくて、ちゃんと梅の花を見てあげられなかった。もちろん被災地の人なんて、花を愛でる余裕などないだろう。桜の咲く頃はもう少し、いろんなことがいい方向に動いておりますようにと、祈りたい。

2011.03.20
 今日も停電は無し。有り難し。薄曇りだが暖かで、昼間は暖房をつける必要もない。明日は雨だというから、明日の分の食料を買っておこうと10時5分過ぎに駅ビル地下のスーパーに行くと、行列ができて入場制限をしているのでぎょっとする。しかし5分も待たずに入れ、中は特定の食品以外は一応ある感じで、なにも行列までする必要はないって感じ。無い物はインスタントラーメンと、乾麺ではうどん。そばはある。主食になりそう感覚のものが買い占められているということか。しかしもしも地震にやられたら、そういうものは水と火がないと食べられないんだし、あんまり意味がないよなあ。アウトドア屋で山行用の携行食品でも買い占める方が実際的。でもきっと買い占めというのは、漠然とした不安感の穴埋めという情緒的なものなんだろう。
 仕事は『幻想建築術』の直しが、一応ラストまでたどりついた。これは今月中に終わらせるつもり。そうしたら3月に入っていただいたお便りの返事を書こう。
ここのところ全然お便りが来なくなって、山のように刷ってしまったポストカードが悲しい。もしも地震で自粛しているつもりの方がいらしたら、そんなのはかまいませんからぜひお便り下さい。これまでも手紙を下さった方に、こちらから送ってしまいたいくらいです。これを機会に「みんな手紙を送り合おうよキャンペーン」でもやりたいくらい。長い物を書かないと、と思うと大変で、かえって面倒で実行できなくなるから、「お元気ですか。私も元気でやっています」というような、とても簡単なご機嫌伺いを、みんなで送り合いませんか。急ぎの用事でないんだから、少しくらい時間がかかってもかまわない。年賀状もそんなようなもんだけど、決まり切ったときに来るのじゃないから、サプライズで楽しい。興味がない相手から来たなら、返事する必要はない。あわてることもない。でも、なんとなく疎遠になっていたりするような人に、とんとんと軽くノックするようなハガキ一枚。とってもさびしいときだったら、そのハガキ一枚で泣きたいほど嬉しくなってくれるかもしれないよ。

2011.03.19
 今日は一日停電はなく、西武線も池袋まで終日運行ということなので、婦人科の医者行きを決行。その後震災以来初めて池袋に出る。街には出ないでリブロとムジと食品売り場のみ。デパートは照明が少し落ちている以外は変わりないが客はさすがにかなり少ない。「いい加減平常心に戻らないとね〜」などとよくわけのわからない言い訳をしつつ、予定の文庫本、塚本邦雄の『西行百首』とか岡嶋二人の『ダブル・プロット』の他にも『Window Scape』フィルムアート社、『イタリア修道院の回廊空間』彩流社、『愉快な家 西村伊作の建築』INAX出版、と不要不急の本をどかどか買ってしまう。篠田はショッピングでストレス解消はしないのだが(服とか買うのはむしろストレス)、不要不急の本を買うのはストレス解消になります。
 地下の食品街、やはりパン屋が妙に混んでいるが商品はいつもどおりある。レジの行列長い。しかしいつもパン用の小麦粉を買っている売り場、棚ががらがら。やはりパン焼きに走っている人がいるのか。まさか買い占め? 篠田は震災前に少し多めに買い込んでいたので、買いすぎたって虫が付くだけだし、近くのスーパーになかったくるみだけ購入。スーパーになっている売り場でも、牛乳はなかったがヨーグルトとかたくさんある。朝のパンが終わっていたので、今日は作れないから少しだけカンパーニュを買う。昼間は20分に1本準急が走っていたので、一本待って座って帰る。

 本当はここのところ『折れた竜骨』『謎解きはディナーの後で』『私たちが星座を盗んだ理由』『縛り首の塔の館』『深泥丘奇談・続』などなど、ミステリ系は読んでいたのだが、集中力を欠いた状態なもので、評めいたことは書かない。圧倒的な現実から来るストレスに晒される状態では、仕事をするより読書することの方が難しいようだ。建築探偵へのお便りもぱったり途絶えてしまった。こういう状態で小説を読もうという人の方が少数かも。この先も仕事、あるかなあ・・・
 不安に落ち込んでいる物書きに愛の手を。励ましのハガキ一枚でけっこうです。甘えるなって?

2011.03.18
 昨日は市販の睡眠改善薬を1錠。少しぼけているが、電車の時間が気になるのでばたばたと支度。仕事場で停電が始まる前にメール・チェックと一仕事。9時20分開始。暖かいのでストレッチとヨガの木のポーズ左右3分ずつ。少し紙切り。停電が終わってからだと時間がもったいないと思い、その前に昼飯を済ませ、12時15分終了と共に外に出るが、店舗はどこも1時半からになっていて目的を達せず、銀行で窓口払い込みと、コンビニで買い物。風が今日は止んでいるので、歩く分には暑いくらい。スーパーの開店を待って大行列。自宅の冷蔵庫が頼りにならないから、毎日買い物に来るしかないというのはあるね。これがもっと気温が上がってきたら、冷房は我慢しても冷蔵庫がダメというのは、かなりきつい気がする。ネットで今日の二巡目の停電はないというのを読んだので、午後は六時まで仕事する。ばたばたと着替えてバス停に行くと超満員だった。坂を上り下りするので混んでいるとかなり怖い。明日は途中まで車が使えるので、東長崎の婦人科に行くことにした。電話で確認すると、普通にやっていると「なんでそんなことをわざわざ聞くの」的な返事。あのへんは計画停電しない場所なのだろう。神戸の地震の時はこちらが他人事じみていたし、自分にトラブルが降りかからねば全然実感はなくて当たり前か。

2011.03.17
 ガソリンを使わないために、朝は朝だけ走っている電車で仕事場へ。10時開店のスーパーで牛乳と豆腐を買い、午前中はとにかく仕事。『幻想建築術』の直しを続行中。12時20分の停電なので、その前にパソコン二台をシャットダウンし、わさわさと昼食を書き込んで食器を洗い、雑用を済ませていると電話の明かりが消えている。晴れてはいるが風が冷たく気温は低い。陽が回ってしまうとたちまち部屋は冷えてくる。停電前に着替えて厚着をしていたので、まあそのへんはOK。ガスは使えるので残り物をかき集めてミートソースを煮るが、手元が暗く鍋の中が見えないので懐中電灯をそばに置く。浄水器のフィルターの予備がないことに気づく。いつもは車でホームセンターに行って貰っていたので、それがダメだと歩ける範囲で探すしかない。明日の用事。15時15分電気が点くがネットに接続してみると、今夜は寒いので予定外の停電が起きるかも知れないとのこと。迷ったがパソコンはもう一度シャットダウン。昨日ちゃんと眠れなくて頭が使い物にならないので、早く帰ることにした。電車は動いていないが、比較的近くまで行くバスがあるので、これを使った。まあ、探せば代替手段はなんだかんだとあるものだ。あとは、東長崎の医者に行く方法を見つけないとな。電車があるうちに帰ってこられるかどうか。

2011.03.16
 昨日は夜6時半から8時20分まで停電。蝋燭をつけてトランジスタラジオを聞きながら夕飯。真冬ではないがけっこう寒い。明かりが点いてから入浴。酒を飲み過ぎる。しかし余りよく眠れず。更年期以来、精神的に不安だと血圧が上がり不眠が出る。今朝は仕事をしながらスーパーの開店を待ち、食料を買う。月曜日ほどではないが、やはり狂騒的。防災無線で計画停電の開始時間がずれている。しかし結局は東電のサイトが正解だろうと思い、30分前に仕事中のパソコンを止め、ネット用のパソコンもシャットダウン。午後3時20分停電。最初の内はまだ陽の光があるので、プリントアウトに赤入れ。少し紙切りして遊ぶ。暗くなってそれもできなくなったので、LEDライトで読書。マンションでは停電すると水も止まることに気がつかなかった。アホ。午後6時10分点灯。
 開店時間に買い出しに行くのは可能なので、食料は一応手にはいるが、ガソリンがそろそろ危ない。近辺のスタンドは休業なのに車の列ができて、あそこにいる人は開くまで何十時間でも待ち続けるのだろうか。仕事場と自宅の間は、最悪歩きでも1時間ですむので、いざとなったら歩くしかない。しかし電車が今の運行状況だと、打ち合わせに都内に出る事もできないので、この状態がずっと続くと厳しいな。

2011.03.15
 今日はやるのかな、の計画停電。うちは第二グループなので、これからということ。ろうそくで夕飯もいいけど、風呂に入れないのがいささかわびしい。それと困るのはガソリンがないのと、電車が走らないこと。うちのような半端な田舎は、車がないと不便な場所がとても多い。篠田は運転できないので、歩きと電車を愛用するが、西武、その電車が全面運休っておまえ〜。勤め人はどうもならないじゃないか。まあ、阪神淡路の時に「東京でなくてよかった」とテレビで失言して関西人を激怒させたバカがいたそうだが、今回はそこまで涼しい顔もできないというのは、甘受しましょ。でもお願いだから東京都民、あの元小説家だったとは信じがたい言語感覚の失言大王を、四選させることだけは止めてね。

2011.03.14
 うちは仕事場も自宅も、計画停電の第二グループ。日記はだいたい夜に更新していたので、それがままならなくなります。実際に始まってみないとどんな感じになるのかまだわかりませんが、仕事も限られた時間にだけやって、電車もあんまり動かない、車も信号が止まって危険だし、ガソリンは売り切れだし、灯りがないと本も読めないというのがきついけど、東北の人たちのことを考えたら命あってのものだね、贅沢なんていえないわけで、こうなったらじっと人生でも考えながら、蟄居するしかありません。お便りの返事は出そうと思うけど、被災地以外への郵便はだいじょうぶなんだろうなあ。とにかくがんばりましょう。そんなわけで日記の更新が滞っても、どうかご心配なく。

2011.03.13
 今朝になると知り合いから、海外の友人からも安否の確認や、日記を見てのメールが届いている。神奈川県庁に勤める友人は、地震の直後にホテルを押さえたそうだ。さすが。愛川晶さんの無事も確認できた。書斎は本が崩れてえらいことになったが、お宅もご家族の方も怪我はなくて済んだとのこと。しかし、小学校時代の恩師で年賀状のやりとりをしている方が、いまはおひとりで岩手県の施設にいるのだった。なにもできないけど落ち着かない。加えて今回いただいた手紙を取り出して確認したら、中におひとり仙台市の方がいらした。茨城県や長野県の方も心配はある。お前は自分の読者しか案じないのか、とは言わないで下さい。少しでも縁のある方に気持ちが向いてしまうのは、人間なら当然のことでしょう?
 いつも篠田はカジュアルというか、気楽な服装しかしなくて、スカートはまず滅多にはかないし、靴はスニーカーかウォーキングシューズで、被災した時家まで歩いて帰れる服装というのがコンセプト、などと半分冗談で思っていたのだが、全然冗談ではなかった。今回荷物はふたりともリュックだったので、全然楽ではあったのだが、足が革靴で、歩きやすい靴ではあったのだが、足の底に両方ともまめができてしまった。だが間違っておしゃれなんかしてなくて良かった、とつくづく思う。この場合ハイヒールでは自殺行為。
 いつまでも遊んでいるわけにはいかないと、PHP文芸文庫に入れていただけることとなった『幻想建築術』の手入れを始める。これは今は亡き季刊幻想文学で連載をさせてもらい、その後祥伝社からハードカバーになったきりの作品で、めいっぱい、ファンタジーではない硬派の幻想文学を目指したのだが、そこはなにぶんにも篠田のことで、さほどハイブロウなものではない。久しぶりなんで自分でも忘れております。
 しかし仕事をしていても、昨日のテレビニュースで見た津波の真っ黒な色が目から消えない。あんな色をしているとは思わなかった。人間の営みの無力と、悪意など介在しない、圧倒的な死と破壊の存在をいまさらのように痛感し、戦慄止まず。「神」というのは本来ああいうものかもしれません。創造者で審判者でなおかつ慈愛の父なんてものはあり得ないと思う。あって欲しいと人が願い、あれかしと祈りつつ動くそこに立ち現れる幻影なのだと、つまり愛は神にではなく人に属するものだと思います。

2011.03.12
 11日はツレと二人東京にいた。銀座から新宿へ向かう丸ノ内線の車中で、車両が停車したと思ったら、停まっているはずなのになぜか異様な、海の上で波に揺すられているような振動。地震か、とは思ったものの、あまり長く感じたのでかえってそうではないような気がした。少しの間停車していた地下鉄が、新宿御苑駅まで徐行運転して、そこで外に出なくてはならなくなったときもまだ、それほど事態を深刻には感じていなかった。まあ、街は人が建物からあふれ、なにか時ならぬ感が漂ってはいたものの、そのまま歩いて西武新宿の駅に向かうと、やはり電車は止まっていて、駅周辺は人だらけ。改札の前で待っているのも芸がないと、高田馬場方面に向かって歩くが、ここでもまだ電車は動かない。結局池袋まで歩いてしまう。ここで5時過ぎくらい。喫茶店でお茶でも飲もうかというが、考えることは皆同じ。デパートもスタバも閉まっている。ヤマダ電機でしばらく災害ニュースを見る。
 とにかく腹が減っては戦にならぬ、かといって大きな店はかえってやっていないというわけで、誰もが敬遠しそうなぼろい雑居ビルの三階、エレベータ動かしていいのか的なベトナム料理店行きつけに行くと、客はいないが店はやっていて、いつもの春巻きやパパイヤサラダ、バインセオなどをベトナムビールにベトナムワインで食らう。そろそろ状況が変わったかと7時過ぎに駅に行ってみるが全然ダメ。ダメどころか、駅はシャッターを下ろして難民を追い出そうとしている。この寒空にどこへ行けっちゅーねん。ホテルにと思うが、考え甘過ぎ。メトロポリタンのロビーは難民で埋まっていた。さすがにここにいたって事態の深刻さを痛感したが、幸いツレの友人が巣鴨に住んでいて、電話が通じ泊めてもらえることに。というわけで、さらに池袋から大塚を通って巣鴨まで歩く。途中でへばらなかったのはベトナム料理の御利益だろう。
 余震にびびりながら朝を迎え、西武線は朝から運転を再開したというので、都電との乗り継ぎで無事帰宅。なぜか仕事場も自宅も被害はゼロに等しく、棚から落ちたものも壊れたものもほぼまったくなかったから、東北の被害の悲惨さを思えば申し訳ないようなものだが、さすがに今日は仕事する気力なし。

 あまり友人の多くない人間なので、函館はまあ無事だろうと思うとして(しかし昼間出かけた目的のひとつは、丸ビルでやっている日本クラフト展であったのだが、函館の知人の見事な作品が無事だったろうかと少し気になった)、福島在住の作家愛川晶さんは何事もなかったろうかと心配でならない。愛川さん、落ち着かれたらmixiに日記でもつぶやきでもアップして下さい。

2011.03.10
 昨日銀座の伊東屋で伊予和紙の桜便箋と封筒を買った。黒を大胆に使ったのは去年のデザインで、今年はもっとやわらかなパステルカラーの、万人向きのものになっている。季節ものは季節に先がけるくらいでないと使えないから、今月か来月がせいぜいだなあというわけで、便箋を使いたいばかりに皆川博子先生にご機嫌伺いの手紙を書く。用事があったり返事が必要だったりという場合は、メールや電話になるので、大した用事はないけれど、ちらっと書いてみましたという場合は手紙、それも手書きの手紙がいいなと改めて思う。手紙を書くのが趣味、ということにしようかな。
 鳩居堂ものぞいたのだが、こちらは文具より紙ものの懐紙とか、和紙を貼ったトレーとか、かわいいシール、封筒に忍ばせる文香などなどグッズがたくさんあって、どれもそんなに高くない。紙だから耐久性はものすごくは期待できないけど、この値段で気の利いた和風デザインのものがあれこれ選べるというのは、日本ならではだなあ。シルクスクリーンの手作りぽいハガキだって、150円かそれくらいだ。日本の工芸の名品なんて、お金持ちでない限りめったに買えるものじゃないけど、普通の庶民がこういうきれいなものを選んで手元に置いて使うことができるというのは、誇っていい文化じゃないかしら。欧米人の買い物客が多かったのも無理はない。軽くかさばらず壊れにくく高くもないから、海外へ持ち帰るのも楽だよね。

2011.03.09
 フリー編集者Mさんと、今年PHP文芸文庫に入れてもらう旧著『幻想建築術』の字組などについての打ち合わせ。なお今月中旬発売のの文蔵4月号(PHP)に、「ホテル・メランコリア」の第二回が載る。その他、彼女とやった「北斗学園七不思議」シリーズの受け入れ先についての話。しかしやはりそう簡単な話ではない。単行本の出し直しというのはまず無理なので、文庫で、その代わり既刊3冊から出し直してもらう方向で、ただし普通の文庫ではどうしても大人の本の印象になってしまうから、そこはラノベ的になってもいいからビジュアル要素も強くして、中学生くらいの層に手にとってもらえるような本・・・まあ、難しいけど希望は持ち続けよう。

 読了本『論理は右手に』 フレッド・ヴァルガス 創元推理文庫 先月『死者を起こせ』を読んだフレンチ・ミステリの第二作。相変わらず、面白いのか退屈なのかいまいちよくわからないのだが、なんとなく頁をめくってしまう。だいたい今回の探偵役が内務省の調査員を首になったのに、自分で勝手に調査や監視を続けているおっさんで、ペットはポケットに入れたヒキガエルというのだから、相当に変。日本のミステリはやはりアングロ・サクソンのラインで、こういうヘンテコさは乏しいですね。だれかやらない?

2011.03.08
 『美しきもの見し人は』の光文社文庫版は10日頃書店に並ぶ予定。ゴシック・ロマンスだけど、真相は推理可能なように伏線は充分引いたつもり。そういう意味では本格ミステリかも。
 『魔女の死んだ家』の直しを終えて送稿。かなり直した。ミステリ的には穴だらけじゃん、とつくづく思った。しかし、気がつかなかったの、宇山さん。って、文句つけるのもどうよ。
 金沢に行った時「老舗交流館」という、昔の時計屋さんを保存して展示スペースになっているところへ立ち寄って、卯辰山工芸工房というところで研修を受けた陶芸家さんの花生けを買った。それに桃の花を投げ込んでみたらなかなか良かったので、写真にとって絵はがきにして「老舗交流館」さんあてに送ってみた。そこにいたボランティアの女性が感じよくて、30分も立ち話をして、展示されている作品も手に取らせてもらって、迷ったが帰りにまた寄って買ってしまったのであります。本はスーツケースに詰め込んで返送したけど、日本酒の四合瓶とカニのトロ箱とこの花生けで、帰りはかなり大荷物だったのだが。そうしたらそのボランティアさんから返事のハガキが来て、面白いことにその方の名前が篠田真由美とは一字違いだった。まあ、「*田」という姓はたくさんあるし、「真由美」という名前も最近は全然はやらないが、篠田より少し若い世代の頃は流行したようで、おたよりにも「真由美」さんはときどきおられる。でもこういうとき、日本語では便利な言葉があって「ご縁ですねえ」という。偶然には違いないんだけど、「偶然ね」というよりは「お互い名乗りもしないまま、あんなに楽しくおしゃべりできたのは、ご縁があったのね」という方がなんとなくいいですね。

2011.03.07
 花粉は大したことはないのかと思っていたら、ハイキングに出かけたツレが鼻ずびずび、まぶたまで腫れてゾンビのようになって帰ってきた。鼻づまりの苦しそうないびきが耳について安眠出来ず。今日はまた寒くて雨降りで、この間に回復するだろうか。

読了本『写楽 閉じた国の幻』 島田荘司 新潮社 謎の絵師写楽の正体に対する、これまでなかった仮説を提出しているが、小説の形で書かれている分、使われている資料が本当に存在しているのか、フィクションか、基礎知識に欠ける身ではわかりにくい。仮説そのものは大胆かつ興味深いものなので、むしろ歴史ノンフィクションの形で書かれた方が、島田の筆力なら面白く説得力の高い読み物になったのではないかと思う。
 直接証拠が無く想像をふくらませるしかない部分については「江戸編」として、浮世絵の版元蔦屋を視点人物に、彼の周辺にいた戯作者や絵師を配して、会話主体の物語が間に差し挟まれているので、そちらをふくらませて歴史小説として書くという選択肢もあり得たと思う。しかし実現された部分はそれほどの書き込みはなく、しかも「歌舞伎を愛していた」などという、絶対江戸人が口にしそうもない言い回しが頻出するのは、わかりやすいがつや消しでもある。
 現代のパートでは中年の浮世絵研究者と美貌の日蘭混血女性教授と編集者が、写楽の謎を追いかけるが、冒頭いきなり主人公の息子が回転ドアに挟まれて死亡するという衝撃的な事件が起こり、これが写楽とどう絡むかというとあまり絡まない。妻と舅がビル管理会社や回転ドア製造会社を相手取って裁判を起こし、これに対する攻撃として男の浮世絵研究の著作が言いがかりに等しい非難を浴び、彼は自らの尊厳のためにも写楽研究に没頭するのだが、それについても話は尻切れトンボで、そもそものきっかけとなった謎の肉筆画の正体も明かされないままだ。
 作者の中にはこれを単なる歴史ミステリとして完結させるのではなく、鎖国の江戸=閉じた国と、閉鎖状況にある感が強い現代の日本を並べて、江戸に風穴をうがった写楽の大首絵の意味を、より現代的なものとしてとらえ直したい構想があったように思われる。しかしその意図は、可能性だけをほの見せて終わってしまっている。つまらないとはいわないが、写楽について絶大な興味を持っている人と、島田荘司の熱狂的なファン以外は取り敢えず読まなくていいと思う。

2011.03.06
 昨日神楽坂の日本出版クラブ会館で、昨年1月に急逝した作家北森鴻さんを偲ぶ会が開かれ、100名余の参加者で賑わった。北森さんの葬儀は実家の山口県で行われたため、東京の作家出版社は誰ひとり参列できなかった。そのことを嘆いた北森さんの親友、作家愛川晶さんが奔走して、今回の業界でもあまり例を見ない「偲ぶ会」となった。挨拶は本格ミステリ作家クラブの辻真先会長、推理作家協会の東野圭吾理事長、献杯の合図は北村薫氏、愛読者代表としてタレントのピーコ氏、発起人代表愛川晶氏、その後インタビュー映像を含むDVDの上映、声優による作品朗読など盛りだくさんで、手作り感のある暖かい会となった。山口からはご両親とお兄様が出席されたが、思いがけぬ逆縁の悲しみに会われたご両親がいくらかでも心慰められたろうかと願わずにはいられない。

2011.03.04
 なんか寒すぎっ。徳間のパーティが今夜だったのだが、パスって正解だったという感じ。というわけで、我ながらまったく代わり映えしない一日。お手紙の返事を書いて、『魔女』の直しを続けて、ちょっと数独。明日は東京で北森鴻さんを偲ぶ会が開かれるので、日記はお休み。

 読了本『いやげ物』 みうらじゅん ちくま文庫 誰が買うんだろうといいたいような変な土産物というのは、土産物屋を見物すれば必ずひとつやふたつは見つかるものなんだが、それを「なんだこれー」と笑って終わりにしないで、自分で買ったあげく、類例を探したあげく、「いやげ物」というコンセプトを発明してしまったのがえらいところ、といっても、「えらいのか?」と微妙に聞き返したくはなるけどね。暇つぶしのなごみ読書には悪くないです。
 『五木寛之の新金沢小景』 北国新聞社 金沢で買ってきました本第二弾。テレビ金沢の番組を本にしたものだそうで、エッセイというよりはガイドブック。写真がきれい。いや、別に金沢を舞台にした新作を書くと決めたわけではないんだけどね、土地に行くとついその土地の関連書を買い込むのが一種の癖なわけです。

2011.03.03
 なに、この寒さは、風の冷たさは、というわけで震え上がっています。またぞろ胃の調子がいまいちなんだけど、それは寒さのせいかも。『魔女の死んだ家』の直しを一応最後まで済ませ、プリントアウト。これは元本と漢字の使い方なんかが違えてあるのと、一人称の連なりなので語り手により、せりふにより漢字を使う言葉と、ひらく、つまりひらがなにする言葉を変えようと思い、それはこれからチェックしていく。しかし終幕になって京介が(名前は書かないけど)登場したらなんだか嬉しくなってしまって、「わあ、京介が帰ってきたよ〜」などと手を叩きたくなり、「おまえ、それは到底作者のせりふじゃないじゃん。ただのミーハーじゃん」と自分で自分に突っ込みを入れてしまう。元本ではぐっと自制して、彼らしい描写もほとんど入れなかったんだが、今回は名乗りこそしないものの、はっきりと彼です。でも、いろいろな意味で「変わらないけど変わった」京介です。

 読了本『ぜったい好きになってやる!』 みうらじゅん ちくま文庫 みうらじゅんってすごく変な人だなと思うんだけど、けっこう好き。金沢の21世紀美術館のミュージアムショップで売っていて、おもしろそう、と思った本を戻ってから買いました。そうね、好きなものは多い方が人生は楽しいよね。でもヘタするとゴミ屋敷まっしぐらだな。変なものを好きになるのはいいけど、それに関するグッズを買いあさるのは、真似しない方がいいと思う。マジで。

2011.03.02
 朝は曇っていたがそのうち晴れてきて、暖かくなるかと思ったら昼頃は暗くて雨が降り、また晴れたと思ったら夜は風、となんともめまぐるしいお天気の変動なり。今日は一日パソコン前。『魔女』終わりが近づいてきたので、あとがきを書く。感想お便りを読んでいるので、なんかそれへのお返事、という感じのあとがきになりました。タイミング的にはいい感じがします。ミステリーランド版をお買いあげの方も、できればお手にとってご覧下さい。シリーズの一部として、元本からかなりの書き換え書きくわえがあり、表紙の写真もかなりいいのが決まりました。ええ、また桜です。主人公をああいう名前にしたばっかりに、やたら桜の出てくる話を書いてますねえ、わたくし。

2011.03.01
 今日は昨日より気温が上がるはずだったが、とてもそんな感じではなかったなあ。『魔女』の直し続行。穴とアラがやたらと目について冷や汗三斗。2月に到着したお便りを開封し、返事を書き始めました。

 読了本『加害者家族』 鈴木伸元 幻冬舎新書 身内が犯罪を起こして逮捕された時、残された家族がどんな目に遭うか、という本。例えば殺人を犯した人間の親が責任を感じて悶々と苦しむのは、ある程度は仕方のないところはある、と思う。被害者家族が、当の犯人は逮捕されてしまって顔が見えないから、目に見える犯人の家族に憎悪の目を向けるというのも、まあわかる。でも嫌なのはそういうことになったとき、必ず社会が彼らに私的制裁を加えるという、そのことだ。なんだって別に被害を受けたわけでもない第三者が、加害者の家に無言電話をかけたり匿名の手紙を送ったり家に石を投げたり、そんなことをするんだろう。そういうことをする人は、どういうロジックで自分たちを正当化するんだろう。その心理だけはわかりたくないし、小説に描写もしたくない。現代日本人の心象の、もっとも醜悪な部分がそこにあると思う。
 『おもしろ金沢学』 北国新聞社 金沢で買ってきた本の一冊。金沢の気質、風俗、食物、町、歴史と章を分けて各項目4頁のコラム集。「花嫁のれん」「背守り」など、波津彬子さん『雨柳堂夢咄』のファンなら思わずオッといいたいような項目が目について、やはり金沢生まれ金沢育ちのマンガ家さんだからこそ、あの世界が生まれるのだなあと考えさせられた。金沢、深いです。美味しいです。また行きたいです。