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2011.02.28
 昨日のぽかぽか陽気と打って変わった寒さに震え上がる。極端すぎるってばさ、もー。買い物に池袋まで出ようかと思ったが、あんまり寒いので、銀行だけ出かけて後は引きこもり。ひたすら 『魔女』の直し。装丁もミステリーランド版とはがらりと変えて、写真を使うことにした。いただくお便りには「その後の彼らのことが読みたい」という声がとても多いのだが、ミステリじゃない日常雑記を、いまのようなきびしい出版状況で刊行することは不可能。これは日常雑記ではないけれど、「桜井君は元気でやっています」というひとつの答えとしても読めるように、書きくわえをすることにしましたので、なにとぞよろしく。

 読了本『死者を起こせ』 フレッド・ヴァルガス 創元推理文庫 35歳のインテリ失業者、歴史学者3人組が、電話も引かれてなけりゃあ屋内にトイレすらないボロ館で、かろうじて家賃を3分割して共同生活。そこにもうひとり犯人を見逃して首になった元老刑事が加わった野郎4人が探偵役。展開はいまいちたるいのだが、連中のキャラが立っているんで面白く読める。ミステリとして傑作とは言わないが読み物としてはグッド。同じ主人公でもう一冊翻訳されているようなので、買うつもり。
 『世界ぐるっと朝食紀行』 西川治 新潮文庫 トルコの焼きたてパン、ベトナムのフォー、香港の飲茶とおかゆ。食べるのは好きだが高級店に興味はないから、三つ星がどうのといわれてもときめかない。その点朝食はどこの国でも、むやみと高くはないし、でもちゃんとその国ならではの食べ物になっている。記憶を刺激されて唾液が分泌する一冊でした。

2011.02.27
 なんだかむやみと暖かい。宅急便郵便を出しに外に出ると身体がびっくりしている。金沢で買ってきた白磁の花生けに桃の花を生けた。といっても、いまはまだつぼみばかり。咲いたら白い壺によく映るだろう。
 角川版『桜の園』が出た。春の季節にはふさわしいか。内容に変更はないので東京創元社版をお見逃しの方はチェックしてやって下さい。
 『黎明の書』の方はどうせ今月中に区切りはつかないのだし、3月前半にやる予定だった『魔女の死んだ家』の直しを始めることにして、まずは読み直すが、うわ、なんかアラが目立つ。この時点でもまだあまりにというか、いまだってそうだけど、なっちゃないなおまえって感じで、ちょとめげた。日暮れて道遠し。どこまで行くつもりだ?

2011.02.26
 旅から戻ってきた。京都も金沢も23から24は素晴らしい上天気。京都から北陸本線で金沢入りし、もう一度波津さんの原画展をたっぷり見て、この前は見損ねた併設の四高記念館の展示も見て、知り合った学芸員さんと本屋や元県庁の建物を見学。その後彼女の車で北前船商人銭屋五兵衛の記念館を見る。本当は北陸の平賀源内といわれる大野弁吉のからくり記念館を見たかったのだが、水曜日は休館だったので。北前船は函館からのつながりで、前回の三国にも関連はあって興味深いが、銭五といわれたこの人はいろいろ謎が多く、ロシアと密貿易をしていたとか、アメリカに渡航したことがあるとか、タスマニア島に彼の名を刻んだ石碑があったとか、伝説がさまざま。最後は藩の政争に巻き込まれて悲劇的な最期を遂げたから、よけい伝説が膨らむのだろう。 夜は主計町の町屋を改装した居酒屋へ。ちょっと京都っぽいが、あちらのけばけばしさはなく上品。
 翌日はガイドブックと地図を鞄に詰め込んでひたすら歩く。泉鏡花記念館などにも寄りつつ、基本はガイドブックでチェックした洋風住宅などを探して撮影。ランチはひがし茶屋街という、昔の色町がきれいに保存されているところで食べることにしたが、ここらはきれいなものの、観光ぽすぎて萎える。食べたとろろそばはアルデンテでなかなか美味だったが、上に飾った金箔は要らない。どうも金沢の観光関係は、金箔を食べ物にトッピングすれば豪華で目を惹くと信じているらしいが、黄金を不老不死の薬と信じた中国の皇帝でもあるまいし、金は分解されないから味はしないし身体に毒はないとはいうものの、わざわざそんなものを口に入れたいと思わない人の方が多いんではなかろうか。激しく再考を促したいぞ。夜は大正時代の銀行を改築したビストロで白ワインとシーフード。なかなか美味であった。
 25日は一転して空暗く雨の降る肌寒い曇天。旧陸軍の兵器庫を改造した赤煉瓦の歴史博物館は、建物がとても良かった。赤煉瓦というのは、こういう暗い空の方が良く映る感じ。あとは近江町市場までわしわしと歩いて、富山の白エビ刺身丼白エビの天ぷら付きを食べ、香箱がにを購入。その他加賀野菜、日本酒、和菓子など、ついつい食べ物ばかり買ってしまう金沢の旅であった。

2011.02.21
 2月が28日だということを失念していた。明日の夜から旅行に出て、戻りは25の夜なので、残りは3日しかない。それではとてもいま書きかけている短編は終わりそうにない。それくらいはよ気づけよ。ともあれ日記はしばらくお休み。夜行バスで京都に行って宇山さんのお墓に墓参りし、それから金沢に行って2泊してきます。

 読了本『モーツアルトの食卓』 関田淳子 朝日選書 モーツァルトがなにを食べていたかは、せっせと書いた手紙が残されていて、けっこうわかるらしい。異なる時代の食文化について知るのはいつも楽しいが、18世紀が楽しそうという気はあんまりしない。旅から旅への音楽家生活は食の方面でもいろいろ過酷で、健康に悪そうだから。

2011.02.20
 朝からどんよりと肌寒い天気だが、本日は篠田の33回目の結婚記念日。よくもまあ破綻せずにここまで来たものなりと感慨新た。ケーキとワインでお祝いします。旅行が迫ってきたので、ばたばたと荷造り。スーツケースを宅急便に出す。

2011.02.19
 昨年急逝した作家北森鴻さんを偲ぶ会が行われることになり、篠田もその発起人の末席に名前を連ねたので、本日はその打ち合わせということで、出版クラブ会館で会合。東京に出るのでついでに、買い物やギャラリーなどの予定をきちきちに詰め込む。久しぶりの神楽坂は土曜日というせいもあるのか、やけに人出が多かったが、以前行き慣れたコーヒー専門店などがまったくなくなってしまい、なんだか落ち着かない、在り来たりの店ばかりになってしまった感じがある。打ち合わせが終わった後で、コーヒーを飲もうと言ったらファミレスしかないのだから、なんだか嫌だ。それとは全然関係ないけど、ひとつ判明した本日のビックリ。北森さんと篠田は誕生日がまったく同じでした。他にも同じ誕生日の人というのは、高校の時にもいたし、いまも他で聞いた覚えはあるのだが、なぜか全員男性だというのは、なにか意味があるんでしょうか。

 読了本『ふしぎ盆栽ホンノンボ』 宮田珠己 講談社文庫 この著者の本は『晴れた日は巨大仏を見に』『東南アジア四次元日記』を購読していて、目の付け所が面白いなあと思っていたのだが、今回はヴェトナム名物の変な盆栽。そうです、ヴェトナム人は盆栽が好きなのです。しかもそれは日本の盆栽とはかなり違っていて、全体に大きめで、作りがラフで、岩が多用され、ミニチュアの人形なんかが載ったり、池で金魚が泳いだり、噴水になっていたりする。そのへんまでは篠田も知っていました。ホテル、お寺、教会にも似たようなものがあったりして、折衷建築がこちらのツボなんで、外来文化のヴェトナム化の手法には、こういう変な盆栽というか、池に岩組みたいなものが好まれるのかなと思っていたのだが、この筆者はヴェトナム盆栽に入れ込んで何度も当地に出かけ、香港や中国も見、とうとうこんな本まで書いてしまった。おかげでヴェトナム文化に対する理解が深まったかというと、そのへんは微妙なんだが、久しぶりにあの国の湿気たっぷりのぼわあああっ、とした、身体の硬い部分やしわがゆるんで伸びるような空気を思い出しました。

2011.02.18
 雨は上がって陽が射したが、風が強くて寒い一日。仕事相変わらず。

 読了本『修道士の首』『五つの首』 井沢元彦 講談社文庫 織田信長を探偵役にしたミステリの、連作短編集と長編。歴史上の人物を探偵役にしてミステリをやる例は少なくないが、日本史で一番名探偵ぽいのは織田信長だなと今更のように思う。最後の悲劇を読者は百も承知、というところがまたよい。ただしこの作品では、信長のキャラ立ちが楽しいので、純然とミステリとしてどうかというと、かなりビミョー。

2011.02.17
 栗本薫『ヒプノスの回廊』を読む。それでわかったこと。表題作は2006年に100巻達成記念本(本屋で見た覚えがないので、どんな体裁のものだったのか知らない)に掲載された短編なのだが、没後金庫からでも出てくるんじゃないかと思った結末、グインの謎や彼がラストにどんな選択をするかといったことは、なあんだ、みんなここに書いてありましたよ、という。その内容についてはここでは触れない。知りたい人は本を買って読むこと。しかし、白戸三平の『カムイ伝』の主人公が抜け忍カムイではないように、グイン・サーガはすでにグインが主人公ではない。膨大な群像劇で、そこには例えば『指輪物語』の冥王サウロンのような、物語全体を統括する巨大な存在はないので、グインの謎に決着がつこうがつくまいが、この物語は終わりようがなかった。どの人が死のうが、どの国が滅びようが、生きている人がいれば終わらない。人間の世界は幾多の喜びと悲しみを載せて、それでも続いていくよ、というのがテーマなんだ。言い直せば、この物語はあまりにも大きく育ってしまって、もはやグインひとりの謎とは釣り合わなくなってしまっていた。
 だから、これは推測だが栗本薫は、確信犯的にグイン・サーガを閉じなかったのかもしれない。極端な話、自分が何年か後には病気で逝く可能性が高いということまで考えて、旅の途上で物語を閉じることなく中断せざるをえなくなることまで予測して、だからむしろ安心して終わらさなかったのかもしれない。私が終わらせなかったのだから、この世界はまだそこにある、続きを書きたい人がいれば書いてもいいよ、というように。それはそれでひとつの選択だな、と思う。だから昨日の日記の「無責任だ」という発言は訂正する。それは自分のやり方ではないけれど。
 ただ、デビュー当時から彼女の作品を読んでいた者としては、「ヒプノスの回廊」の出来はちと辛い。イメージは湧くのに文章をきっちり練る集中力が持てないというように、文体は乱れ、ワンセンテンスに不用意に同じ表現がだぶるような文章が頻発する。栗本は決して美文家ではなかったが、ここまでたるんだ文章を書く人ではなかった。他の作品でも、没前3ヶ月に書いたという短編では、途中明らかに説明もなく場面がすっ飛んでいたりして、それがひどく痛々しい。そんな状態でも書き続けた精神力には驚嘆するけれど。
 最後にひとつだけ。表紙のイラスト、ひどいよ。なんだこれは、タンノ。作者に変わって飛びけりのおしおきだ!

2011.02.16
 お天気がよいのは今日だけだというので、豊島区要町にあるミステリー文学資料館に栗本薫の展示を見に行く。以前に行ったのはEQに連載したきりなかなか単行本にならない笠井潔『オイディプス症候群』を読みに行った時だから、何年前だ? 入り口がわかりにくくなっていてちょっとうろうろ。で、著書とか原稿とかパネルの写真とかはまあどこかで見たような感じだったが、衝撃は絶筆。それも文字通りの絶筆らしく、リング綴じのノートに書かれた数行の文字は、乱れてとぎれて文意も通らず、ついにセンテンスが終わらぬまま中絶してしまう。ただそこから読み取れるのは、生きたいという気持ち・・・
 篠田は決して栗本の熱心な読者ではない。『ぼくらの時代』『伊集院大介の冒険』など初期作品は、いまでもたまに読み返すけれど、後年の小説はほとんど手を付けていないし、唯一読み続けていたグイン・サーガも、100巻を超えて少しのところで止めて本も処分してしまった。後になるほど物語が弛緩して停滞していると感じて、出れば買っても読み終えて満足感どころか、「あーあ」とため息を漏らすばかりになっていたのが、100巻に達してもなんの節目もなくだらだら続いていくのに「こりゃもうダメだ」と思ってしまったのだ。この作者、きっちり終わらせる気がないよ。ここまでくりゃあ客は逃げないと思ってるのか。舐めんなよ、とね。まさかこんなにすぐに、作者が逝ってしまうとはゆめゆめ思わなかった。
 読むのを止めたことを後悔は全然しないし、自分の体調が思わしくないのに、そのことも考えなかったのだろうか、それは無責任ではないのか、と思う。少なくとも篠田はそういうことはしたくないと思ったから。栗本は明らかに、物語を読者に提供して楽しんで貰うこと以上に、自分が書き続けることの快楽を優先している。それが「死にたくない、病気に負けたくない、これは私の生きている証だ」という切実な思いからだったとしても、身銭を切って本を買ってくれる読者を納得させられるだけの作品を生み出せなくなったら、プロは書いてはいけないはずだ。同人本じゃないんだから。数年前に若くして急死し、「トリニティ・ブラッド」を中絶させた吉田直さんは、最後まで作品の質は落とさなかった。そんなだから早死にしたんだ、とは思うけどね。
 でもこのノートの乱れた文字、物語を書き続けた人間が、死に向かって引き込まれながら、壁に爪を立てるようにして書き残した字を見せられると、絶句するしかない。まだ書きたい、もっと書きたい、書き続けたい、そういう声が聞こえた。

 その後池袋に出てリブロに行ったら、文庫の平台に「最後のグイン・サーガ」という帯をつけて『ヒプノスの回廊』というのが出ていた。なんだかあんまりタイミングが良くて、どこからか「ほらよ。おまえも栗本薫の爪のあか煎じて飲んで、生きてる内にもっと真面目に書けよ」といわれたような気がして、買ってしまいました。いつまで仕事させてもらえるかわからないけど、もう少し書きたいものもあるし、書けたらいいですね。

2011.02.15
 1月中に届いた40通ほどのお便りに返事を書き終えました。2月に入ってから届いた分はもう少し待っていただくことにして、仕事を進行させることにいたします。しかし、少し前までは高校生の方からのお手紙もいただいたのに、今回届く手紙のほとんどが30歳以上の方です。いつの間にか、メールではない手紙を書くという習慣が、若い方からは失われてしまったのでしょうか。だとすると、紙の本が消滅して電子書籍のみが生き残る時代というのも、案外早く来てしまうかもしれませんね。21世紀に生まれた人が20代30代になる頃には。新刊書が紙の本で出なくなっても、本そのものはかなり長く残るだろうというか、データよりブツはそう簡単には消えない。まさか焚書もないだろうし。でも、日本の企業は「乗り遅れると損」体質なので、先走って「こんなもうからないものやってられっか」と、自分の頭に自分で砂かけて潰してしまう、いうことになるのじゃないかと、それがすごく嫌。
 小学校の校長先生だという方からお便りをいただいたので、返事に「作文教育の一環として子供たちに手紙を書かせることはできないか」なんて書いてしまいました。たぶん学校教育のカリキュラムというやつは、いろんな法律でガチンコに規定されていて、教育現場の裁量でやれることはとても少ないんじゃないかとは思うのですが、まあ願望としてってことですね。小説を書くのは誰もがすることじゃないけど、手紙なら誰でも書けます。電子書籍に装丁の楽しみがないように、電子メールには便箋を選んだり文字の色を工夫したりきれいな切手を使ってみたり、という楽しみはありません。手紙もそうやってあれこれする、ひとつの作品だと思うのですよ。作文+美術工作。楽しくないですか?

 本日『燔祭の丘』にちびっと増刷がかかりました。ちびっとですが久しぶりです。これもご支援のたまものです。ありがとうございました。

2011.02.14
桜の菓子
 建築探偵完結祝ということで、亡き宇山さんの奥様から桜の花の形をしたお菓子をいただきました。あまりに美しいので、写真に撮りました。見た目だけでもお裾分けです。

 夜になって仕事場から帰ろうとしたら雪でした。ホワイト・ヴァレンタインですね。でも去年は、場所によってはソメイヨシノの花の枝に雪が降ったんでしたっけ。日本中開花が遅れたり長引いたりして、でもそのおかげで5月に函館で桜が満開。松前のあでやかな南殿桜も、全身が桜色に染められるほどに眺められたのでした。
 今年の桜はどうなるでしょう。日本海側の大雪はまだ終わらないのでしょうか。九州の噴火も心配だし、全国に穏やかな春が来ることを祈らずにはいられません。






2011.02.13
 今日はやっと晴れた。あまり代わり映えせぬ毎日。あと数日で1月中に届いたお手紙の返事を出し終えるので、今月になって届いた分は少し待っていただいて、仕事を進めようと思う。
 3/5が北森鴻さんを偲ぶ会で、3/4が徳間三賞のパーティだというので、二日続きのパーティは辛いなと思っていたら、来るだろうと思っていた友人が来ないらしいので、徳間の方はパスすることにした。

 読了本『消えた巨人軍』 西村京太郎 徳間文庫 新幹線の中から大阪で阪神との三連戦に向かうジャイアンツの選手コーチ監督37名が誘拐され、五億円の身代金請求の電話がかかる、というお話。昔はこういう場合も実名使って問題なかったらしいなあとか、誘拐は憎むべき犯罪といっても、なんか牧歌的な雰囲気だなあとか、まったりと読んでしまった。誘拐のやり方は、西村さんの他の作品に同じのが(そっちの方が後だけど)あった点がちょいと残念。
 『同潤会大塚女子アパートメントハウスが語る』 女性とすまい研究会編 ドメス出版 石原都政の非文化的暴挙により2000年に惜しまれつつ解体された、独身女性専用アパートの軌跡、居住者のエッセイから歴史、保存運動の経緯などを収める。『桜井京介館を行く』に、取り壊し中のアパートメントを見学したルポが入っています。『失楽の街』に名前を変えて登場しています。ちょっとおどろおどろしく書いてしまってごめんなさい、だけど。

2011.02.12
 雪は止んだのに精神状態がいまいちだなあと思っていたら、またはらはらと降り出していた。でもまあ一応止んだようなので、黎明の外伝2をともかく書き出す。後は切り紙してしおり作りと、お手紙の返事くらいで、あまり代わり映えがしないです。バレンタインデーまで都心に出る機会がなさそうなので、地元の小さなデパートで買ってしまいました。あげる、といいながら自分も一緒に食べるのです。

2011.02.11
 雪である。寒いのである。そしてなぜかは知らんが気分がどーんと落ち込んで、全然仕事する気にならない。本を読む気にもならない。原因といったらこの寒さと雪くらいしか思い浮かばない。雪に嫌な記憶がないかといえば、あるんだけど、だからってミステリの中の設定のように、雪を見れば必ずトラウマがうずいて特定の行動を取ってしまう、なんてことはないんで、遊びに行けば雪見の露天風呂に大喜びするくらいだから、我ながらいい加減なもんだ。しかしとにかく今日は完全にお手上げ状態で、少し早めに仕事場から引き上げてきてしまった。

 読了本『欲のない犯罪者』 井沢元彦 講談社文庫 歴史物や歴史ミステリが多い作者の、やや珍しい現代物ミステリ短編集。トリックよりもツイストの効いたプロットが読みどころ。東京創元社の『本格ミステリフラッシュバック』は、少し前の時代に書かれた本格ミステリを作者別に紹介したガイドで、この本で面白そうなタイトルを見つけると手帖にメモしておいて、新古書店に行ったときなどにチェックするんであります。
 『ちあき電脳探偵社』 北森鴻 PHP文芸文庫 昨年物故した北森さんが、デビュー翌年に小学三年生に連載したミステリ。子供の時からこういうものを読んでいれば、正しいミステリ愛好者に成長するのではないかな。しかしこれは文庫は文庫として、小学三年生の子供が手に取れるような児童書としても刊行してもらいたい気がします。

2011.02.10
 『黎明の書』の続きは、先に外伝の2を書くことにして、プロットを立て始めた。この物語は中世ヨーロッパ風の異世界で、農民を主体とする人間の社会に、寿命も長く身体能力に優れた吸血鬼が支配階級として君臨しているという設定が基本。もともと近代娯楽文学における吸血鬼像の開祖が、プラム・ストーカーのドラキュラで(正確に言うと他にもあるんだが話か細かくなりすぎのでパス)、あれはルーマニアの寒村にかつてその地を支配していた貴族が、いまは吸血鬼としてなおも君臨している、というのが物語のオープニングだったから、吸血鬼のイメージと中世貴族のイメージは重ね合わせやすい。城に住んで農民を支配しているとか、残酷で流血を好むとか、共通した感じが無理なく出てくる。しかし、架空のお話であるから、そういう世界のことをこまこま書いていくと、どこかで破綻してぼろが出る可能性はある。というわけで、ぶっつけで書いちゃうことが多い篠田も、ある程度プロットとか、細部の設定とか、書いておかないとまずい。
 この話は前にもしていると思うのだが、なんでそんなことを考えたかというと、そもそもはストーカーのドラキュラがすごいお城に住んで、大貴族という感じで振る舞っているにもかかわらず、城の中には召使いがひとりもいなくて、ロンドン進出のために招き寄せたイギリス人の司法書士をお城に泊めている間、彼のために食事を用意したり、ベッドメイクをしたりしているんだよ、ドラキュラ伯爵が。それはあんまりお気の毒でしょう。貴族様が家内労働なんかしちゃいけません。沽券に関わる。それで、吸血鬼貴族にちゃんと貴族的な生活を送っていただくにはどうしたらいいか、ということを考えて、ひとつ書いたのが龍の黙示録シリーズのヴェネツィア編に登場した吸血鬼美少年を愛して守る人間召使い一団体、という設定だった。
 しかしご主人様ひとりに、ヒエラルキーのある使用人、上は執事から下は小姓まで数十人というのは、中世の支配階級なら当たり前のことだったのだよね。なにせ機械化以前に快適で美的な生活を送ろうと思ったら、人海戦術しかないってことは、ビクトリア朝メイドまんが『エマ』なんか読んでもわかるでしょ。たかだか100年チョイ前まではそれでした。イギリスのマナーハウスは美しいが、真鍮のドアノブを金色に輝かせるためには、一日中ひたすらお屋敷中のドアノブを磨いているメイドさんの存在が不可欠。放置しておくとすぐ変色してしまうんです。文化とは富の不均衡が生んだもの。大衆社会が往事の文化を失っていくのは、仕方のないことなのですね。話がそれた。
 まあともかく、そんなことを考えながら仕事しています。

 明日は雪だそうだ。出かけようと思ったが止めておこもりで仕事します。

2011.02.09
 昨日は活字倶楽部でインタビューをしてくれた編集者さんと飲んだ。マーケットリサーチでもするべえと思っていたのだが、食べ物話と彼女の青春物語で終わってしまった。今日は↓の本を読み出したら、止められなくて一日読書。

 読了本『A3』 森達也 集英社 オウムを追い続けている森氏が2005年から7年に月刊PLAYBOYに連載していたドキュメンタリー。オウムをきっかけに、日本の司法とマスコミと世論が、どんどんやばい方に行っている、ということを痛感させられる本。そしてここには死刑は是か非かという問題が当然のようにからんでくる。篠田は昔から、いまも、迷いつつも死刑廃止論者。犯人を吊したって殺された人は戻ってこないから。こんなことをいうと必ず、「遺族の悲しみ苦しみを思え」「おまえは自分が愛するものを殺されてもそういえるか」という声が飛んでくると思う。そういえるかどうかは、そのときになってみないと正直な話わからない。だから、誰も殺されていないただの人間として「死刑には反対です」という。被害者遺族になら「なんてことをいうんだ」と殴られても仕方がない。でも、「自分は想像力を働かせて遺族の悲しみを思い、死刑に賛成するんだ」という人には殴られたくない。ほんとかなって思う。正論に荷担するのはたやすいから、かえって疑いたくなる。それに、被害者遺族になるのも可能性なら、加害者になる可能性も、冤罪を着る可能性もあるもの。想像力を使うなら、そっちの立場に自分がなった場合もぜひ想像して、もういっぺん「死刑賛成」「死刑必要」と大声で言えるかどうか考えてみて下さい。

2011.02.07
 『黎明の書』第一巻の直しも、一応明日で終わりそう。しかしこれ、本当に本にしてもらえるんですかね、T書店さん。いえいえ、部数がどうこうなんて申しませんよ、本にして頂けるだけで恩の字でございます。
 お便りの返事今日も続行。わりとみんな冷静で節度のあるお手紙だなあと思っていたら、今日は来ました、かなり濃いの、熱烈なのが。神代先生のファンでありました。といってもこの方も決して、やばいような文面ではなくて、ちゃんと礼儀正しいんだけど、それでも行間からほとばしる愛。いやあ、まいりました。しかし明日会う予定の活字倶楽部の編集者さんも神代ファンで。まあ、14巻から15巻の展開は、特に神代ファンにはストレスフルであったかもしれませんが。ちなみに友人の作家光原百合さんも神代ファンだそうで、わりと年齢が上(といっても私よりゃよっぽど若いです、みなさん)の、30代40代の女性をぐらっとさせる先生のようであります。よっ、女殺しっ。

2011.02.06
 今日も『黎明の書』とお返事書き。機械的な作業にするまいと思うと、お手紙を読んで返事を書くのは一日に3通が限度。それだけ心がこもっているものというのは、受け取るにもパワーを食うのでしょう。有り難くいただいております。

 読了本『銀座24の物語』 文藝春秋 老舗のPR誌「銀座百点」に掲載された、銀座を舞台にした短編のアンソロジー。皆川博子、久世光彦という、篠田が古本でも常にチェックしている作家さんの短編が入っていたので、ネットで引っかかってきたのです。わりとエッセイか自伝の一部かと思わせて、でもたぶんフィクションというタイプの短編が多い。つまりベクトルは過去に向く。ある人生があるとき、銀座という場で物語となる。銀座というのはそれだけ、印象的で特別な街なのでしょう。

2011.02.05
 相変わらず『黎明の書』直しとお返事書きで一日終わる。
 読者からいただいたお便りに「『燔祭』ということばは、第一作の『未明の家』にも登場していましたね」と書かれていて、「えっ、マジ?」とビックリ仰天。そんな覚えはないと思ったのだが、よくよく考えてみて「あのへんかな」と本を出して探してみたら、本当にありました。ノベルス版311頁、上の段後ろから2行目です。文庫版なら420ページの後ろから3行目。蒼君が危ないシーン。そしてそこに行くまでの場面を読み返していたら、これもまた父と息子の不幸な愛憎の物語だったんだなあと、いまさらのように思い出して。それじゃ京介はこの事件の真相を語る時、どんな気分がしていたんだろう。いや、この頃は全然京介が自分の手の中に入ってきていなかったんで、作者にもそのへんはわからないんだけどさ。それにしても、悩んで悩んで考えてやっとたどりついたタイトルの、あんまり一般的でない単語が第一巻に入っていたって、無意識? だとしたらおいらの無意識、グッド・ジョブじゃんか。ってか、おいらには無意識しかないのか。意識してる部分はアホか。否定しきれん。

2011.02.04
 今日は暖かくなるというので、お返事ハガキを投函しがてら少し散歩に出たのだが、風が意外に冷たい。しかし白梅はほころんでいるし、弁天様の池では気の早い亀が4匹も甲羅を干していたし、猫ともふたり遭遇。そう考えると2月にしては早いのかな、という気がしてきてしまう。

 読了本『平凡パンチの三島由紀夫』 椎根和 新潮文庫 50万部から100万部という、いまでは信じられないような部数を毎週売った1960年代の人気週刊誌平凡パンチの編集者が、全く文学以外のところでつきあった作家三島由紀夫と、その時代の日本社会を描いた異色のノンフィクション。三島が切腹した1970年というのは、篠田は高校生だった。つまり十分すぎるくらい物心ついていたわけだが、自分が知っているはずの時代がいかにいまとは違っているか、言い換えればその後の日本が変貌してしまったかを見せつけられて、かなり呆然としてしまう。そして三島はその時代のスーパースターでありアイドルであったのだ。彼の文学は全集をひもとけば触れられるが、晩年の彼が敢えて自らを放り込んだイロモノの世界は、こういう本がないとわかりにくくなってしまうね。
 『幻奇島』 西村京太郎 双葉文庫 昔の西村さんはこんな変わった小説も書いていました、という、沖縄のさらに南にある孤島を舞台にした伝奇ものとでもいいますか。つまらなくはなかった。でも島民が標準語でしゃべるのには違和感が大きい。

2011.02.03

桜photo1桜photo2

 友人のNさんから完結祝いとして桜の花をもらったので、その写真です。一足早い春のおすそわけ。
 活字倶楽部に載った各巻のコメントを書き直し、書き足しして貼り付けました。「建築探偵」というページの、書影の下にありますので見てやって下さい。
 今日はその他、相変わらず『黎明の書』と、読者へのお返事書き。おかあさんと娘さん、ふたりで読んでいますというお便りがありました。最初にシリーズと出会ったのは娘さんが幼稚園生のときで、その娘さんが今は高校生で、文庫を買って下さって、おかあさんとふたり作品について語り合っておられるそうです。この方に限らず、長いこと読み続けてきましたという文面を下さる方がとても多く、そうすると作中で流れた時間とご自身にとっての歳月が重なり合って、ひとつの感慨になるのだろうなと思い、私もなんだかジンとしてしまいます。作者にとっても17年ですから、まさらのように長かったなあと思います。なにせすごく老けたし(笑)。
 それから今日は視覚障害者の方で、パソコンの読み上げ機能を使ってサイトを見ているのだが、リニューアルされてわかりにくくなってしまった、というお問い合わせのメールをいただきました。身近にそういう方がいないもので、無知のゆえの間違いやご不自由をおかけすることがあるかも知れません。篠田自身は読者からのメールは基本的に受けていないのですが(ごめんなさい)、サイト管理人に質問など送って頂くのはかまいませんので、なにかお気づきのことがありましたら遠慮無くどうぞ。

2011.02.02
 仕事場からはほとんど出ず、『黎明の書』の直しと、サイトに載せる「各巻紹介」の文章と、いただいたお便りへの返事書き、三つを交互にやっています。しかし相変わらず、気持ちほどには仕事は進まず、という感じ。直しは頭の負担は少ないが、目に疲労が来るので。

2011.02.01
 昨日は友人が来て仕事場で酒盛り。枝についた桜の花をもらった。今日は少々寝不足ながら、後かたづけを済ませてからジャーロと文蔵の連載ゲラをチェックして返す。それからいただいた感想お便りの返事を書き始める。機械的な作業にはしたくないので、毎日少しずつ開封していくつもり。取り敢えず今日は一番初めの、1/12に転送されてきた3通の返事を書いた。
 サイトがリニューアルされたが、中の文章は前のままだったりするので、その辺を少しずつ書き直していくつもり。たとえばこれまであった建築探偵レギュラーキャラのプロフィールなどは、一応シリーズの片が付いた現在ではずれたところなども出ているはずで、そういうのはすっぱり削除してしまうつもりなので、そのへんよろしく。

 読了本『鴎外の恋人』 今野勉 NHK出版 先にテレビ番組で見ていたのだが、ドイツから日本まで鴎外を追いかけてきた恋人の女性が、従来漠然と信じられていたのとは違い、15歳の中流階級の少女であったこと、鴎外は彼女と結婚の意思があり、ふたりは同意の上日本に来たことがほぼ解明された、という話。テレビになくてこの本にあるのは、これについてほとんど口をつぐんできたとされる鴎外が、当時書いた漢詩を分析すると、そこに彼の決意を示す文言が読み取れるという、その分析。決してこじつけっぽくはなく、納得できる。