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2010.07.31
 しんねりむっつりと暑かったですねー。ついエアコンつけないままで昼間いたりすると、午後からどんどん蒸し暑くなって頭が停滞してしまう。それくらいならエアコンつけろよ、てなもんですが、つい億劫がってあげくは頭が煮えてるんだから、ほんともうバカであります。
 明日は仕事場で夜まで働いてきます。
 読了本『FLAT HOUSE LIFE』 アラタ・クールハンド 中央公論社 旧米軍ハウスなど、平屋の洋風住宅(貸し屋)を自分流に住みこなす人たちのお宅拝見写真集。篠田は自分の住まいにいろいろ工夫やデザインをしようという気持ちは全然無くて、こういうものを買うのは小説の中で「この場面にはこんな家」「この人物の住まいはこんなふう」ということを描写するときに、参考に使うのであります。

2010.07.30
 180頁超えました。今週も日曜の夜は仕事場に泊まるつもり。
 昨日のニュース、111歳の老人実は30年前に死亡。大阪のマンションで幼児2遺体放置。いつの間にか人が死んでいて誰も気が付かないなんてあり得ない、とミステリ者はつい思うが(それがありなら殺人にトリックを用いて犯行をごまかす必要がそもそもないし)、現実では全然ありなんだ、と気がつかされる恐ろしさ。しかし、子供を放置して死なせた上逃げたんだろう母親は、まだしも理解可能だけど、30年以上自宅の一室に老人の遺体が寝ていることを承知で、その家で生活できた人間の気持ちは、かなりわからん。しかも肉親。なまじなホラーよりよほど怖い気がする。
 英語圏のことわざで「食器棚の中の骸骨」というのがある。どんな家庭でも日常の裏に恐ろしい秘密のひとつやふたつ隠されているものだよ、という意味らしいんだが、とても不気味だなと思うのは、食器棚と骸骨というかけ離れたものの組み合わせの落差が情動を刺激するからだと思う。ふすまを隔てた隣室のミイラというのも、同じようなものだが、たとえじゃなくて現実だってのがなんともなー。

2010.07.29
 雨は思ったほど降らず、風は強いが気温はあんまり下がらない。湿度がすごい。書き上げた章についてまた少し直したいところが出てきてしまい、書き直しと書き足しで173頁。さすがにこのへんにしようというので、明日こそ次の章に入る。今度はまた蒼の章だが。
 漫画家波津彬子さんのデビュー30周年記念原画展が金沢で開かれるのだそうで、そこにパネルで展示するからコメントをいただきたいという依頼をいただき、少し嬉しく照れくさい。金沢にはずーっと昔に行ったきりなので、こういう機会だから行ってみようかとも思っている。「石川近代文学館」というところで、会期は10/9から11/30と1/4から2/28で、展示替えがあるらしい。
 読了本『黙阿弥オペラ』 井上ひさし 新潮文庫 ものぐさで劇場にはなかなか足を運ばないが、戯曲を読むのは好きである。久しぶりに井上ひさしを読んで、またちょいと追いかけてみようかなと思った。この芝居はてま上演中なんだけど、原稿が気になって劇場まで足を運ぶ元気はない。無念。河竹黙阿弥はあの沢村田之助に当て書きしたことでも知られる幕末の狂言作者。歌舞伎の名せりふというのは意味が分からなくてもリズムがいいので、切られ与三郎とか「しがねえ恋が情けの仇」お嬢吉左とか「月もおぼろに白魚の」ちゃんとじゃないけど覚えているんだが、どっちも黙阿弥の芝居だった。それから早稲田に黙阿弥の孫にあたる教授がいて、演劇論とか講義が面白かった記憶があります。

2010.07.28
 目が覚めて時計を見たら2時半だった。クーラーはつけてあるのに、暑くて目が覚めてしまったのだ。眠れない眠れないとごろごろしながら、小説の続きを考える。こういうときはわりと、「あ、そうだ」という感じになることが多い。だんだんと、少しずつだが、先の展開が固まってきた、かな? とはいいつつ今日は進まなかった。昨日書いたところを直して1ページだけ増えた。あとは少しノートにメモ。午後になってあまりに暑いのでクーラーつけたら、室内温度が32度で、そりゃ冷えぴたシート貼っても頭動かないよ。
 読了本『誘拐犯の不思議』 二階堂黎人 光文社 二階堂作品にしては過剰さのない、わりと普通のミステリなので、好みの問題はあるが、うーん、ちょっと物足りない? って感じ。アリバイトリックと帯にも大書されていて、読んでいると、このへんにトリックがありそう、というのはなんとなく予想が付いてしまう、というのも少しばかり残念なんじゃなかろうか。もちろん篠田はミステリを読む時、推理なんかしないので、ありそう、から先には進まないでスルスル読んでしまうんだけどね。

2010.07.27
 やたら暑いので元気なのはゴーヤばかりなり。昨日から雌花の開花ラッシュ。明日も続きそう。しかしどれくらいちゃんと育ってくれるのかな。今日収穫したのは今月6日に開花した分だが、少し曲がりであんまり大きくならなかった。今夜は沖縄。冷凍庫に入れてあった皮付き豚バラ肉でラフテーを煮たのだ。コラーゲンたっぷりでこれは美味いのだよ。
 本日169頁でこの章が終わり。次の章のプロットは、実はまだ立っていない。今月中に200頁はかなり苦しくなってきた。でも基本的に夜は仕事ないの。美味しいお酒と美味しいご飯のために。

2010.07.26
 仕事場に泊まって外に出ず、エアロバイクも漕がないと、なんと500歩も歩かないのだ。まずいなあ。でもまあ163頁。
 読了本『小鳥を愛した容疑者』 大倉崇裕 講談社 十姉妹、コロンビアボア、ケヅメリクガメ、モリフクロウと、さまざまなペットが事件に絡む連作。絡み具合がとてもいいんです。なんていうか、そうだ、とってつけたの逆。レギュラーのキャラもかわいいです。ペットの豆知識も得られます。得たからってどうなるもんでもないけど。うちにも昔ケヅメリクガメがいたんですよねー。庭に放しといたら盗まれちゃったんだけど。
 『トムラウシ山遭難はなぜ起きたか 低体温症と事故の教訓』 山と渓谷社 去年の7月に北海道で起きた集団葬難事件のドキュメント。関係者への緻密なインタビューで事件を再現し、問題を分析。一番責任があったと考えられる添乗員が死んでるんで、個人攻撃にはならないけど、「かなりベテランらしいのに、こんな判断ミスをするなんて、なぜ」という釈然としない気分はどうしても残る。まあ、結果論なんだとは思うが、結局ツアー登山、旅行会社がお膳立てして、まったく面識のない人たちにガイドを付けて登山に送り出す、というものそのものがひとつ間違えば大事故に繋がる危険をはらんだものだ、ということはいえる。だって、自分の力量を客観評価出来なくて、力の劣る人が混ざっちゃったらそれだけでパーティ全体が危機に陥るんだよ。いくらツアーは便利だからといって、肝心なところを会社任せにするのって、いびつだし間違ってると思う。山なんてそれこそ自己責任の世界だし。

2010.07.24
 いま書いているのは現在の京介が過去の(中学の)自分を回想するという場面なので、またなんか雰囲気が違うものだなあと、自分で書いていながら感心したりする。前巻の京介はそれよりちょいと若いわけだが、視点は神代さんなので、内観がまた違うでしょ。子供の時の京介の本音というのは、素直じゃないけどいろいろ可愛いです。
 明日はまた仕事場に泊まり。目指せ200頁。

2010.07.23
 本日は仕事場から出ず、しかもエアロバイクを漕ぐ気にもなれなかったので、2000歩も歩いていないていたらく。やっとこすっとこ新しい章に入ってどうにかこうにか5頁。ここの章は視点人物があの人なんで、どうもなかなか書くのに時間がかかるのです。
 読了本『道具屋殺人事件 神田紅梅亭寄席物帳』 愛川晶 創元推理文庫 非常に手間のかかっている労作で、落語に関するトリビアといいますか、ディープなトピックが満載。ネット調べればすぐに並べられる豆知識なんてのは、そもそも蘊蓄の名に値しないってことが、愛川さんのミステリを読むと良く分かります。知識ってのは一度飲み込んで咀嚼して自分の形にして出さないと意味がない。というのは原書房の元本を読んだときから感じたことだけど、今回は文庫版のあとがきが増えていて、このとき作者は結構大変な状況にいたらしいということがわかって、失礼ながらひとつ腑に落ちたことがある。この作品、ヒロインである噺家の嫁さんが、やたらと男の人にいじめられるシーンがある。ちょっとお節介だったとか、よかれと思って口を出しちゃったとかいう程度のことなのに、それをいわれた男の人がそれぞれ理不尽としか思えないような怒り方をして、そのたびにヒロインがしおれたり、涙ぐんだり、可哀相だったらない。ここまでいわなくてもいいだろうよ、と思っていたんだけど、これって作者のストレスの表面化だったのかも。こういう納得の仕方は失礼だとは思うものの、そうなんじゃないかなと思ってしまいました。ごめんね、愛川さん。

2010.07.22
 本日は献本の礼状を2通書いたのと、執筆用のパソコンが一度だけ異音を発したので不安になり、毎日原稿をバックアップしようと思ってCD−RWを買いに出かけた(田舎なんで捜さないと売ってないんです)他は、働かずにたれっとしてしまった。昼間の日中は、人が死んでも不思議はない暑さだった。夜は少し雨が降るということだったが、夕焼けがやけにきれいに赤かった。

2010.07.21
 今日で139頁、第5章終わり。明日から第6章に入る。今日まで書いていた章は深春視点で、彼が京介のことを語るせりふが多い。篠田は小説を書いていて、「へえ、こいつこんなこと考えていたのか」と本気で思うことがままあって、今回もそういう気分だった。しかしその一方で、「十五年あいつとダチをやってきた」と彼が言うときに、これまで書いてきたシリーズの蓄積をいまさらのように感じて、それなりに時間をかけてきたことも意味があったなとも思うのだった。読者もこの最終作を読んで、そういう気分を共有してもらえたらとても嬉しい。そうして言及される細部の多くは、既刊作にそのまま繋がっているので、脚注をつけてもいいんだけど、気になる方はあちこちひっくり返して捜して頂けたらなんて思います。いわゆる本格ミステリ的な謎仕掛けではなく、これまで書いてきたことが一点に結ばれて「ああ、なるほど」とうなずいてもらえたらいいのだが。

2010.07.19
 仕事場に泊まって働いてきた。やっと130頁。相変わらず多くのことは登場人物にも作者にも謎のまま、でも正しい道を進んでいるという感触はあるので、がんばって進むのだ。今日はゴーヤを2本収穫し、片方(品種はほろにがくん)は、270グラムと去年から通して最大値。味はどうかな。それからあんまり暑いので、これだけ暑ければイーストも働き放題だろうというわけで、パンを焼く。いつもはリーンな、つまり油脂もほとんど入れないシンプルパンを焼いているので、たまにはというわけで生クリームや卵を入れてリッチな菓子パンを焼く。

2010.07.17
 サントリーホールへ、パイプオルガンの見学とミニコンサートが聴ける「それいけ! オルガン探検隊」という企画に行って来た。お子さまのための企画なのだろうな、とは思っていたが、なんと世間はすでに夏休みなのだった。サントリーホールのオルガンは前にも見たことがあるが、実際の音を聞かせながらの説明や、模型を使ったパイプオルガンの構造解説は、本で読むより遙かにわかりやすくて良かった。帰りに神保町に出て、洋食のランチョンで生ビールとつまみ。料理が古風でちょっとだけいまは無きピルゼンを思い出させる。
 18は仕事場に泊まって原稿を書く。
読了本 『星を継ぐもの』 J.P.ホーガン 創元SF文庫 SFだけど本格ミステリで、月面に5万年前に死んだ宇宙服姿の遺体が発見されたが、肉体の構造が地球人としか思われない、という謎が冒頭に現れるのだが、別にミステリではない、ちゃんとSFである。

2010.07.16
 やっと110頁。しかしあまりにも進みが鈍いので、また近いうちに仕事場泊まり込みで書きます。

 読了本『酔いがさめたら、うちに帰ろう』 鴨志田穣 講談社文庫 ついこんな本を買って、つい読みふけってしまったから原稿が進まないのですわなあ。西原理恵子の元夫でアル中やったあげくガンでなくなったカメラマンの書いた私小説、といっても誰も小説としては読まないんじゃないかな。アル中小説には、これも亡くなった中島らもの『今夜すべてのバーで』という大傑作があるのだが、それと比べれば凝縮度は低くて、上質のブランデーと発泡酒くらいの違いはある。でも発泡酒の方が親しみやすいとはいえるし、サイバラ側からもっぱら読んできたあの人たちの日々が、連れ合いの方からはどんなものだったのかな、という好奇心もある。そういう意味でも読んでつまらなくはなかった。
 しかしそれでも良く分からないのは、負のスパイラルとでもいうところに落ちていくアル中の心理。一度はまるとよほどのことでないと抜け出せないらしい、というのはわかるんだけど、そこへ行くまでの必然性というかさ。たぶんそれはドラッグと同じなんだろうな。アル中になる人って、アルコールをドラッグとして使用しているわけでそれはもう、ご飯食べながら「今日はお刺身だから日本酒」というのとは全然別のものだと。つまり精神と肉体を変容させるクスリとして接種している。それが普通の飲み物を仮装しているというか、境目なく混ざってるからまずいんだとは思うけど、境目は酒にではなく飲む人間の方にあるわけだから、法的な規制をするのも難しいし困りますな。

2010.07.15
 建築探偵、5章目に突入したのだが、書いている途中でいきなりその人物に中国茶を入れさせたくなる。別になんの理屈もないのだが、なんかそういう場面が書きたくなってきたのだ。自宅に戻らないと資料がないので、そこで足踏み。まあ、今日はジムだったので、時間もそんなになかったから。
 読了本『能海寛 チベットに消えた旅人』 江本嘉伸 求龍堂 昨日書いた本です。素材は申し分なく面白いのだが、ノンフィクションとしてはいまいち書きぶりが平板で生気がない。しかし『暁の密使』と合わせて読むと、北森さんがこの限られた資料に、どう想像力を働かせて補完し、小説に作り上げていったかがよくわかって、その辺が再度面白い。

2010.07.14
 今朝の新聞に「立原道造記念館が財政難で休館」という小さな記事を発見。記念館は本郷の東京大学そば、弥生美術館の並びにあって、立原の遺品などを展示、充実した資料集も刊行していた。立原は夭折した詩人として知られているが、同時に東大の建築学科を卒業した建築家でもある。篠田が「風信子の家」でモチーフにしたヒアシンスハウスの自筆図面など、とてもいい風情なのだ。9/26までの木から日、祝日開館。興味のある方はお急ぎを。
 北森さんの『暁の密使』で主人公になった人物のノンフィクション『能海寛 チベットに消えた旅人』 江本嘉伸 求龍堂 を、日本の古本屋で入手。表紙に本人の写真が出ていて、北森さんが描写した人物そのままに見える。迫真の歴史小説を読むと、どこまでが事実でどこからが作者の想像か、その境目が気になって、後追いの読書をすることに。
 仕事続行。まだ終わりは遙かに遠い。幻の都のように。

2010.07.13
 今日は仕事休みで一日外。横浜の神奈川近代文学館に「開高健の世界展」を見に行った。篠田にとってもツレにとっても、いろいろ一口では言えない思い入れのある作家。いきなり入り口のところで、1965年2月ベトナム戦争に従軍し、200人の大隊が17人になる状況を生き延びた直後、東京の週刊誌編集部にその経験を語った電話録音が流されていて、その生々しい声に聞き入る。ここの文学館の展示は、三島、澁澤、乱歩と見てきて、毎度その充実ぶりに感嘆を深くするのだが、今回もまたその印象を強く持った。原稿用紙に残された手書き文字の原稿の数々は、まだ「書く」ということがしたたかな血肉を具えた営みであった時代、すぐ目の前なのにすでに戻りようのない過去、をいまさらのように思い知らせる。
 書棚にある開高の小説やエッセイを端から読み返したくなったが、そんなことをしている場合ではないので、取り敢えず封印。後は、ここもどんどんナンジャタウンみたいに虚構化しつつある中華街に行って、目当ての店はテイクアウト専門になってしまっていて、次に行った店は半端な時間で閉まっていて、しかたなく適当にソバなど食べて、耐えきれずにビールも飲んで、それから氷川丸で仕事関係の写真撮影。あとは焼き豚など購入して帰宅。

2010.07.12
 あ、暑い。大変に蒸し暑い。先が思いやられる気候であります。
 今日、建築探偵最終巻100頁に到達。しかしまだ全然先の展開が読めない。一寸先は闇。視点人物がしらないことは篠田も知らない。まともな小説家はこういうことはしないので、小説家志望者も決して真似をしないように。

2010.07.11
 先の展開についてちょいと悩み中。おまけに今朝は暑かったせいか夜中に一度目が覚めてしまい、その後なかなか眠れなくて往生する。しかし昨日作った食パンがけっこううまくできて、今朝はバタートーストに蜂蜜をたんまりと、高カロリーで行く。明日は何とかプロットをまとめなくては。
 読了本『空想 皇居美術館』 朝日新聞出版 天皇家には京都にお帰りいただいて、後の土地にどーんと美術館を建設して、日本美術の超一流品を展示しようという、実現の見込みのない、つまりプランだけの芸術作品としての「皇居美術館」というもの。東京の中心にある判断停止的空虚に対する思考実験として面白い。篠田は天皇家に京都へ引っ越してもらって、後の皇居に新しい建物をおっ建てたりしないで、そのまんま美術館と公園として公開すればいいと思うよ。皇居で今も行われている儀式のたぐいは、遠くからの伝統に基づくというより、明治になって伝統風に捏造されたものらしいから、あんまり興味はないけど、それ以前の伝統なら京都で守るべき。天皇家の政治的利用がいかんというなら、そもそも明治以降の歴史が全部いけないので、あの方たちは国家元首でも象徴でもなく、文化方面のことだけなさる「日本伝統文化の守護役」みたいなものになってもらえばいいんじゃないかな。

2010.07.10
 昨日は医者ふたつ、リブロでちょっと買い物、わしたショップで買い物。西武線と有楽町線を使って動くので、主観的にはあちこち行ったつもりなのに、歩数が6000歩くらいしか行ってない。
 今日はしっかし暑いねー。いよいよ冷えピタシートを冷蔵庫に常備してないと、頭がオーバーヒートしてしまう。今日は確実に血圧が上がってるなと思ったら、そんなに上がってなかった。血圧ではなく仕事して熱が上がったか。
 読了本『暁の密使』 北森鴻 小学館文庫 ああ、もったいないと思いながら未読の一冊を読み終えてしまった。チベットへ潜行した日本人というと河口彗海くらいしか思い浮かばなかったが、この物語の主人公も実在した僧侶であるらしい。小説があんまり面白かったので、解説に上げられていたノンフィクションも即ネット本屋で注文してしまった。しかし北森さんという作家は、関心の範囲が非常に広範なようでいて、明治初期の日本と日本人という大きなくくりのなかにそのモチーフが入ってくる場合がとても多いのだな、ということi、いまさらのように気づかされる。そう考えるとモチーフが違う作品もまた再読して、別の北森さんらしさを見つけたりしてみたくなって、いつまでも再読の旅は終わらない。つまんない小説読むより、よく書けた作品を再読する方が楽しいもんね。

2010.07.08
 日差しが強いのであわてて日よけのつばのでかい帽子を買いに行ってしまった。今日はジムで明日は医者。なかなか落ち着いて原稿が進められない。ゴーヤはかってにばしばし花が付くが、実の方はいまいち大きくならない、15センチくらいで足踏みしてしまうのだ。
 読了本『死闘館』 伯方雪日 東京創元社 格闘技と本格ミステリが三度の飯より好きな人にはたまらない作品、かもしれない。なにせ舞台がニュージーランドの山奥に立つ日本館で、登場人仏が主人公以外全員マオリ族の格闘技の達人とゆー。なかなかの珍品だとは言える。しかし建物の屋根に関する記述が珍妙。編集者はまともに原稿をチェックしているんだろうか。

2010.07.07
 今日もじっとり。午前中は『AveMaria』のゲラをやる。午後からまた建築探偵。前途多難。
 読了本『薔薇の家、晩夏の夢』 倉阪鬼一郎 東京創元社 耽美な暗号ミステリ、とでも申しますか。いつもの倉阪流背負い投げの技がないのが、ちょいと物足りないのではないかと思われ。

2010.07.06
 今日も昨日に同じくで、万歩計も大差なし。建築探偵83頁。ゴーヤはここに来て「ほろにがくん」の雌花が3つも咲いたが、果たして大きくなってくれるかわからない。仕事もこのまま突き進めるやら進めないやら、相変わらず一寸先は闇。
 読了本『七人の敵がいる』 加納朋子 集英社 フルタイムのワーキング主婦のヒロインが、小学生の息子を抱え、PTAに学童保育に地域の子供会にスポーツ少年団にと悪戦苦闘する。このヒロインが泣きながら耐えるタイプとは正反対で、正しくないと思ったことはどんな場でも口に出してしまうので、当然ながら地雷踏みまくり敵作りまくりとなるのだが、そこで折れも倒れもせずに、己れを貫きつつ敵からも学んでたくましく難関をクリヤしていくまことに痛快なエンタテインメント。これテレビドラマにしたら面白いんと違う。まあ、ドラマは見ないんで私は見ることはないと思うけど。いやあ、でも普通の視聴者はこのヒロインには共感しないだろうというので、変にそのへんがなるい話に作り替えられちゃうかも。ドラマになったとしてもぜひ原作も読みましょう。

2010.07.05
 仕事場に籠もってパソコンに向かっていたら、60分エアロバイクを漕いだにもかかわらず4000歩しか万歩計が進まなかった。建築探偵74頁。
 雨はドシャバシャのスコール雨で、梅雨の風情なんて薬にしたくもないね。

 読了本『美しき姫君 発見されたタ゜・ヴィンチの真作』 白水社 新聞で写真を見て、これは本物くさいなと思ったら、やはり本物だった。前に日本のテレビで茂木某とか、タレントがよってたかってどこを叩いてもへたくそな偽物にしか見えない絵をダ・ヴィンチの本物だと思わせようとジタバタしていたけど、これは違うよ。新聞で見たときは、ちょいときれいすぎるかもとは思ったけどね。
 『秘花』 連城三紀彦 新潮文庫 普段読まないような小説に偶然手を出した。この作者は小説が上手い人だとは思うけど、女性の心理を描く手つきとか、なんとなくキモチワルイ。話の眼目は戦中戦後の名古屋の遊郭で働く少女の生きようを描いた部分だと思うのだが、最初語り手は彼女の娘が中学生の娘を持つ母になっている現代で、母親の隠していた秘密は何だったのかという、少しだけミステリ仕立ての始まり方で、読み終えてから全体を眺めてもどうもバランスが悪いと思ったら、新聞連載小説で依頼の時点から作者は、東京、名古屋、北海道を出してくれといわれていたのだった。そんな依頼の仕方ってあるんだね。

2010.07.03
 本日ゴーヤ第一号を採取。162グラムはそんなに大きくないが、受粉したのが6/17なので、これ以上おいていても上積みはないかなと思ったのだ。実の育ち具合がいまいち、という気がしないでもない。肥料もやっているんだけど。
 建築探偵、やっとこ61頁目へ。

2010.07.02
 ゴーヤ、「ほろにがくん」の雌花二番が咲いた。しかし一番は受粉に失敗したのか、成長する様子がない。本来ゴーヤはほっておいても、勝手に受粉するはずなんだけどなあ。雄花はやたらと咲いている。
 バジルに虫が付きだしたので、ざっくり切り取ってバジルペーストを作った。以前はすり鉢ですったので、なかなか骨だったが、フードプロセッサでやると実に簡単。中に残ったペーストは昼にパスタを茹でて放り込んでさらい取ってしまう。けちです。
 今日も少し日差し後雷雨で、梅雨はシトシト降り続く雨、という季節感はもはやイメージの中にしか存在しなくなっているようだ。
 岩手に行った時、南部鉄器の小さい鉄瓶を買ってきた。三度ゆでこぼしたが、まだちょっと漆の臭いがする。内側に漆が塗ってあるようなのだ。お茶を飲むと少し感じる。でもコーヒーはこれのお湯の方がまろやかみたいな気がする。
 建築探偵、もうじき60頁超え。

2010.07.01
 『魔女の死んだ家』の中国大陸版が来た。やたらと分厚く大判だった台湾版と比べると、すっきり薄型で、しかし表紙のレタリングなどなかなか洒落ている。数日前に『王国は星空の下』の韓国版の表紙をメールで見せてもらったのだが、こちらはオリジナルのイラストで、これが「文庫にする時この絵が欲しい」といいたいくらい素敵なものだった。一昔前はアジアで出る本って妙にバチモン臭い、なんて偏見があったのだが、いやいや、そんなのはすでに時代遅れですな。

 読了本『灯台守の話』 ジャネット・ウィンターソン 白水社 崖の上の家に母と住んでいた少女シルバーは、その母を突然亡くして、盲目の灯台守のもとで暮らすようになる。灯台守は夜ごと少女に、100年前この村に住んでいたひとりの牧師の話をする。現実と物語、昼と夢が淡く滲み合って溶けているような、不思議な読み味の幻想小説。これは物語についての物語で、たぶんひとりの小説家の誕生を語る小説。ひとりぼっちの少女が物語に救いを見出すファンタジーでもある。
 『ヴェルサイユ宮殿に暮らす 優雅で悲惨な宮廷生活』 白水社 ヴェルサイユにはトイレがなかった、と昔聞かされたものだけど、それは嘘だった。でもひしめく人の数に見合うだけのトイレがなくて、その結果として悪臭紛々状態だったのは事実であるらしい。トイレだけでなく、王族に仕えるおびただしい召使い、その王族を取り巻く貴族たち、さらに彼らに使える使用人たちのためには、満足な住居はあまりに少なく、暖房も飲み水も食べ物もとにかく不足していた。ヴェルサイユがフランスの花だったのはルイ14世の長い治世のせいぜい前半で、その後は巨大すぎる宮殿は端の方から崩壊しかけていたし、システム自体がパンクしかけて、誰もがうんざりしていた。美しい庭の池は腐って、噴水は水不足で停まり、中庭は汚物であふれ、暖炉の煙突は詰まって貴族の住まいに黒煙が吹き出す。でもお金はなくて、修理の費用は出ない。フランス革命が起きた原因には、宮廷にいる人々が多かれ少なかれ現状にうんざりしていたせいもあったんじゃないか、というので、なるほどな、と思いました。