←2010

2010.06.30
 岩手県の山の中の温泉に行ってきた。山道のどん詰まりで、すがすがしいまでに温泉の他なんにもない。渓流沿いに露天風呂が7つあって、どれもその場から湧いたお湯を掛け流しにしている。これ以上ないくらい新鮮なお湯で、この湧き口から近いというのも大きなポイントだ。温泉成分は沈殿したり揮発したり酸化したりするものがあるから、長く引き湯したりすると温度が下がるだけでなくいろいろ変化してしまう。湧いたところで浸かるというのがほんとにほんとの温泉。
 しかし、湧き立てが熱くて入れない風呂もあって、水でうめるシステムもないので、どうするかといえば縁に座ってときどき足をつけたり、後はひたすら手桶でかぶる。しかも混浴。20年前くらいに行って、けっこうたじろいだもんだけどね。今回もそれはいくらかたじろいだけど、女性専用タイムは避けて、空いてそうな時間に夫と入った。温泉テレビ番組の影響か、「バスタオルの貸し出しはないんですか」などと帳場で尋ねている女の人の顔を見たら、けっこうお歳を召していたりして、誰もあんたのヌードなんぞ見ないわい、などと腹の中で舌を出してしまう。
 いまや減りつつあるらしい、日本の温泉文化、混浴。いえ、別によそのおっさんのヌードも見たくはありませんが、つれあいと時間を決めて待ち合わせるのが面倒なんで、それならいっしょに入れる方が快適だと思うんでありました。ああ、でも、よそのおっさんならいいけど、知り合いの男性と混浴で顔を合わせたら、それはやはりたじろぐかも知れませんね。なぜだろ。

2010.06.27
 むちゃむちゃ湿気っぽい。クーラーは入れないけど、原稿に赤を入れるのは少し冷えてないと、というわけで外へ。日曜日でいつものスタバは混んでいたので、それ以前によく使った珈琲館に久しぶりに入る。フードメニューがえらく増えていて、それも安いのにビックリ。ボリュームのあるトーストサンドに身にサラダが付いて、ブレンドと800円というのは、スタバのフードが高いから安く感じたが、コーヒーが「あれ?」。まるでアメリカンのように薄くて物足りない。これでは珈琲館の名前が泣くぜ。
 仕事はようやっと第二章が終わり。43頁。第三章を1頁だけ書く。蒼視点の章だから、ここはさくさく進むといいなあ、と希望的観測。でも明日明後日は不在。

2010.06.26
 昨日は表参道に荒木経惟の写真展を見に行く。22年生きた猫チロの最後の日々を撮った写真。以前は女の子らしくころっと丸かったチロがやつれて、入院して点滴していたのだろう腕の傷も治らないまま、死に向かっていく映像は正直かなり見るに辛い。しかしアラーキー、とうとうひとりぼっちになってしまったね。篠田は彼の死んだ奥さん、陽子さんのエッセイ本『愛情旅行』が大好きだったのだ。
 それから銀座に出て、パン屋のカフェでランチ、ちょっと買い物、前から行ってみたかった金沢の酒造がやっている日本酒バーで軽く昼酒をやり、若菜の漬け物とキムラヤのパンを買って帰宅。その間読んでいたのが、

 読了本『冥府神の産声』 北森鴻 光文社文庫 しばらく品切れになっていて、未読だった北森さんのデビュー第二作。これはまたがらりと趣を変えて、最初は社会派ミステリかと思わせておいて、結論はほとんどSFになる。しかしそのSFのSFたる由縁の部分が、ミステリとしては隠されていた驚くべき真相になるので、その現実から飛翔した真相がちらりと見えたと思った時にはもう物語は終わってしまう。で、なんとなく狐に摘まれたような、あっけにとられてあっけないというような気分のまま、本を閉じざるを得なくなる。ネタバラシを避けるためにはこんな書き方しかできないのだが、SFだったらここからが勝負でしょ、というか。それまでの、情報量たっぷりなリアルな世界と、真相が乖離しているように思われてしまう。失敗作というほどではないけれど、いささかどっちつかずだと思った。

2010.06.25
 今日は一日外出していたのだが、昨夜北森さんのデビュー作『狂乱二十四孝』を再読し終えたので、そのことを書く。うろ覚えでもそう思ったのだが、これが絶筆となった『暁英』と不思議なほど似た部分のある作品で、まず時代設定が明治、それも江戸の香りは色濃く残りながら社会は決定的に変化してしまった明治初期。登場人物の過半数は実在の人物で、多士済々。中でも河鍋狂斎(暁斎)という実在の人物が大きな役割を果たすのも同じ。しかも枠物語の形を踏んでいて、こちらは実在する狂斎の幽霊画がモチーフとなり、絶筆作は実在した建築鹿鳴館がテーマとなる。
 たださすがに小説家としての処女作は、実在人物たちの生気あふれる描写は魅力的なものの、これを十二分に活用しているとは言い難く、視点がめまぐるしく変化するためにやや読みにくく、架空の人物として探偵役を務める16歳の少女お峯のキャラも魅力的に立っているとはいいにくい。そんな短所が見事に反転しているのが『暁英』だ。
 登場人物の数はこちらも多く、視点も変わるものの、コンドルというひとりの英国人に比重が置かれていて、読みづらさはまったくない。そして実在の、それも自分が一定のイメージを形成している、コンドルや狂斎といった人物について、違和感がまるでなく、実にリアル。しかも魅力的。えらそうに聞こえたら申し訳ないが、北森さんは十五年の作家生活で見事に上達洗練の道を歩んだのだ。だからこそ、言うても詮無いことながら、「あたら」の嘆きは深いのである。

2010.06.24
 今日明日は完全に梅雨の中休みらしい。仕事、やっとノベルス40頁突破。一応第二章終わり。まだ手直しすると思うが。んでもって、今回は全然ミステリではないので、なにが起きているかというとなにも起きてはいないのだが、異様な緊張をはらみつつ、という感じ。二章は門野と美人秘書だったが、次でやっと蒼が出てきます。問題はその先がいろいろわからないということだが、もう書き出しちゃったんだから、このまま行くしかないぜ。

2010.06.23
 九州は記録的な豪雨らしいが、その分関東は空梅雨ぎみではないだろうか。昨日は全然降らなかったし、今日は降ったけど後は止んだ。明日はまた降らないらしい。しとしとじめじめは嬉しくないけど、降らないのも困るんだよなあ。
 昨日は友人に誘われて東村山の花菖蒲を見に行くが、やたら蒸し暑くて青息吐息。しかしその友人が知っていた酒造メーカーに立ち寄って生酒4合瓶を一本購入。夜飲んだらこれがすばらしい当たり。微発泡うすにごり純米生酒。もっと甘いのかと思ったらさっぱりしていて口当たりが優しく、いまごろのべたついた気候にはぴったりで、あっさりと飲み終えてしまう。日本酒も奥が深いのう。豊島屋酒造という会社です。
 今日は真面目に仕事続行。第二章が終わるかと思ったが、終わらなかったぜ。

2010.06.21
 原稿、やっとノベルスで30頁に到達。はー、先は長い。
 ゴーヤ、昨日今日と雌花がひとつずつ咲くが、雄花がひとつも無し。仕方なくて昨日は取っておいた前日の花のしべを、今日はまだ咲いていない花を解体してしべをつけてみるが、ダメかも知れない。明日はどっちも咲きそうなのでやれやれ。

 読了本『闇の喇叭』 有栖川有栖 理論社 ミステリーYA!久しぶりの新刊。パラレルワールド日本を舞台にしたミステリというと、つい最近も石持浅海の『この国。』を読んだばかりだが、あちらは「特殊条件を設定した異世界でその条件下で成立するミステリをやる」という趣向+「現代日本社会に対する皮肉的寓話」だった。こちらにも同様の性格はあるが、アメリカの原爆実験が最初失敗して原爆投下が遅れた結果、ポツダム宣言受諾が9月にずれこみ、その空きにソ連が北海道を侵略して、北海道が独立した、北朝鮮と韓国のような分断国家となる、という前史にページ数が割かれ、ifの歴史小説的な側面が強くなっている。そこに徴兵制や方言の禁止、英語制限による言い換えの圧力といった第二次大戦前の社会的出来事が重ねられて、なおかつコンビニやケータイといった現代の風俗はそれで存在しているために、「現代日本社会に対する皮肉」が寓話的というよりはもう少し大きく、重く読後感に来る。
 そこへもってきて殺人事件が起こり、犯人は誰か、どうやってやったのか、容疑者のアリバイはトリックか、といった本格ミステリ的な展開もあるのだが、その事件というか、犯罪が「もうひとつの日本」ならではのものだったかというと、必ずしもそういう感じではなくて、これなら我々の現実でもあり得る事件だったろう。ただし、そこから先の展開はまた、この世界ならではの意外性と、重たい読後感が来て、ミステリを読み終えたカタルシスには乏しい。早い話が少し暗くなって、うわあ、ずしーんと落ち込むのです。

2010.06.20
 昨日は池袋で本など買った後神楽坂、本格ミステリ作家クラブの総会と授賞式パーティ。人に揉まれるのは疲れるから苦手だけど、こういう機会でもないと作家さんとは会えない。編集さんはまあ、仕事で会うけど。思いがけず福島から愛川晶さんが来ていて、彼の親友であった亡き北森鴻さんの絶筆『暁英』を来る前に読み終えたばかりだったので、少しその話をする。その感想はこれから書くつもりだが、ちょっとここだけでは書ききれないと思う。余裕が出来たら別に発表するわけではなく(場もないし)、この作品については語ってみたいと思っている。
 3次会まで行って、ぎりぎりの電車で仕事場まで戻り、もらったジャーロを見ながら睡眠。今回からゴシック・ロマンスの第3弾『私はここにいます』が始まった。今回のイラストは小島文美さんで、なかなか美しい。編集長とも会ったので、次の〆切がきついのでたぶん枚数は減ります、といまのうちに断っておく。
 今日はだらだらしてなかなか動けないまま部屋でのたくり、夕方になってやっと少しだけ原稿を進める。

 読了本『暁英 贋説・鹿鳴館』 北森鴻 徳間書店 明治とジョサイア・コンドルと鹿鳴館をモチーフに、明治初期日本の社会と政治が多くの実在人物と絡み合う歴史伝奇。実は篠田はもうずいぶん昔、10年くらい前に北森さんから、コンドルと鹿鳴館について書く、という話を電話で聞いていた。篠田が「鹿鳴館の設計図って残っていないんですよ」というと、「いや、そんなもん捜せば出てきますよ」とこともなげにいうので、あれあれと内心呆れた。篠田はコンドルには前から興味があり、文献も集めていたし、『美貌の帳』を書くに当たってそれを読み込んでいたから、「知らないというのは怖いもの知らずで恐ろしい」などと失礼なことを考えたものであった。しかし今回の作品を読んで、北森さんが鹿鳴館の設計図が残されていないことと、写真などでわかるその意匠がかなりヘンテコなことを結びつけて、相当にトンデモナイ物語を紡いでいたことがわかった。
 このトンデモナサについては読んで頂くとして、これを「ああとんでもない」とたまげることが出来るのは、ある程度コンドルについて知っている人間の方なんですよー、とえらそうに威張ってしまおう。だからあえて歴史小説ではなく、歴史伝奇と書いてしまう。そして建築史を素人ながらしつこく読んできた人間としては、北森さんの説は面白いけどやっぱりあり得ない、とは思う。コンドルの仕事の流れ、思考のラインの中で、鹿鳴館はとびきり特異だというわけではないからだ。
 しかし北森さんの描く若きコンドル、彼の教え子たち、風狂の絵師暁斎、その他政治家や実業家、外国人といった人物像の、なんとまた生彩に富み、リアルな息づかいを感じさせることか。それがあるからこそ、プロットはぎょっとするようなトンデモなのに、小説として実に面白い。そして彼らの動きを追いストーリーを追っている内に、「もしかしたら」という気さえしてきてしまう。つまり小説としては、充分あり、なのだ。そんなのあり得ない、という常識に、作家の想像力が勝利を収めているのだ。
 思えば北森さんのデビュー作、『狂乱二十四考』もまた明治の世に、暁斎の鬼気迫る幽霊画から物語が始まるのだった。そしてまた暁斎が大きな役を演ずるこの作品が絶筆になるなんて、そんなつじつまが合う話があるかよっ、と腹立ち半分我が膝を殴りたくなる。物語は鹿鳴館の真の設計者が誰だったか、というのがわかるあたりで、つまりいよいよ終盤一歩手前というあたりで途絶してしまっている。きちんとノートを作り箱書きを作って執筆に当たったという北森さんの、この先のメモは残されていないのか。
 小説家は、書くことがある内は死んではいけない。こんな切ない思いで、完結していない小説を手に呆然としなければならないなんて、そんなのもう味わいたくない。それもみんな私より若い作家なんだ。死ぬなよ、こら。

2010.06.18
 午後から雨が降り出したが、梅雨の雨というよりスコールみたいにどしゃどしゃ降っている。気温は高い。まあこの季節に雨が降らないと、それは困るのでいたしかたないのだけどね。仕事しないとならないから、天気が良く立って外へ出かけるわけにはいかないし、しかし万歩計が全然進まないので、なんだかそれが負い目のように感じたりする。原稿は例によってじりじりと進行中です、担当様。
 東京創元社から2冊出ていた神代教授のシリーズが、角川に引っ越すことになった。そのへんは大人の事情です。版形を変えて出してもらって、その後で新作も、ということなんだけど、来年は連載が2本と書き下ろしの約束もしているので、新作の刊行時期はちょっと不明。しかし『風信子の家』は11月。「かぜのぶこ」と読んだ人がいたそうなのでご注意。ヒヤシンスです。わかりにくいって? ごめんなさい。
 明日は本格ミステリ作家クラブの総会と受賞パーティなので日記の更新はなし。サッカー・ファンには迷惑な日取りになってしまいましたね。

2010.06.17
 やっと第二章を書き出す。こちらは作者ごひいきの門野じいさま登場。容貌は渋沢栄一をギョロ目にしたような顔、といってどこまで通じるか知らないが、深谷市民がいたらわかってもらえるね。駅前に妙に頭でっかちの銅像が建っている。澁澤ゆかりの建築は王子の飛鳥山と、深谷にも移築されたものがあって、これがとても洒落たもの。
 函館で知り合ったブックカフェのオーナーから『緑金書房』の感想メールをもらったので、お礼に神田一誠堂の写真をポストカードにして送る。データでなしに、焼いた写真からでもはがきに印刷出来るんだと、今頃になって驚いたりしてます。
 ゴーヤの雌花一番が開花。さっそく雄花を取って受粉する。デルモンテのスーパーゴーヤという苗は、ネーミングはどうかと思うが、やたらと花付きがいい。隣のプランタのほろにがくんはいまだにひとつも咲かないのに。さて、今年は食べきれないほどゴーヤが生るでありましょうか。

2010.06.16
 原稿のあまりの進み遅さに自分でイヤになって、仕事場泊まり。ようやく最初の章を終わらせた、と思ったら、翌日の今日になってじりじりと書き足したり直したりで、それ以上進まず。やっぱりのろい。とろい。どうもいかんなー。それでもまあ、ノベルスで正味17頁、一応完了としておくか。
 読了本『この国。』石持浅海 原書房 パラレルワールドの日本は現実と似ていて微妙に違う、いやあな感てんこもりの世界。死刑は公開処刑、小学六年生で人生が選別され、外国人が働く娼館は公営で、お飾りの軍隊が存在し、コミケ紛いの博覧会は国の肝いり。そういう世界で起きる事件は確かにミステリなんだが、そのミステリ的なストーリーより設定のイヤ感が印象に残る連作短編。一応誉めてます。

2010.06.14
 梅雨入りの梅雨寒。ゴーヤの二番花。しかしいまんところ雄花のみ。仕事はのとのと続行中。あと三ヶ月こういうふうにしか書けないわけね。長編の書き下ろしってつくづくしんどいわ。
 新刊『逆想コンチェルト 奏の1』 アンソロジー 徳間書店 1700円+税 神林長平さん以下、どっちかっていうとSF畑よりの作者の、イラスト先行短編競作。篠田の作品も、まあどうにかこうにかSFです。書店に並ぶのは6/18か19あたりだそうです。
 読了本『琅邪の鬼』 丸山天寿 講談社ノベルス 中国武侠神仙ドタバタミステリ とでも申しますか。クライマックスにはちゃんとアクションシーンの対決があったりして、少し笑う。
 『パリ、娼婦の館』 鹿島茂 角川学芸出版 19世紀のパリにあった娼館とはどんなものであったか、営業システムからビジネスの仕方、インテリア、おかみと亭主、身を売る女と買う男の生態を詳述する奇書。現実の犯罪ノンフィクションはごめんだけど、切り裂きジャックの話は生々しさが薄れて少しロマンぽいのと同じに、現代のフーゾクの話をされても困るけど、昔の話はまあそれなりに。豪華な装丁がそれっぽい。

2010.06.12
 ぬかりなく蚊遣り(といってもコンセントに挿すたぐい)を仕掛けて寝たのに、朝方向かいの老人施設の門前に飼われている犬が突拍子もない声で鳴き出して、起こされてしまう。犬が相手では理由を問いただすわけにもいかないし、ちょいとばかり困った話だ。
 困った話といえば、足の指の傷がくっつかない。体重がかかると傷が開いてしまうらしい。うち続く流血って、大げさだけどさ。
 これは困ったのじゃない話。ゴーヤの一番花が、雄花だけど開花。今年は二本植えたのでたくさん生るといいな。ブルーベリーは花付きが悪くてダメダメなので。しかし今年はオリーブが初めて二本花が咲き、もしかすると実が生るかな、少しでも、という様子。しかし生のオリーブって、どうすれば食べられるのかな。うちのベランダは基本ハーブとか、食べられるものばかりなんです。

2010.06.11
 今朝方は蚊に起こされてやや睡眠不足。担当が仕事場に来るので片づけと掃除をしないと、というわけで朝からバタバタしていたら、ベランダの敷居につま先を引っかけてばったり転ぶ。最初は膝を打っただけだと思っていたら、ズボンを脱いだら膝がすりむけていて、まるでガキだよ。そのうち変につま先がべたべたして、なにか液体でも踏んだろうかと思っていたら、右の足の親指がぱっくり切れて血が出ていた。おかげでそこら中についた血の跡を拭いて回るはめに。まあ、掃除するつもりだったんだからいいんだけど。
 担当は講談社ノベルスで、早い話が建築探偵。遅くとも9月一杯といってしまう。だって10月はジャーロの第二回を書かないとならないからさ。つまりそんなわけで、何とか今年中には出しましょうということに。来年には来年の予定があるので、その辺がのばせる限度では、まあ、ありますな。書けるのか、篠田?
 読了本『江戸猫 浮世絵猫づくし』 東京書籍 先日の国芳展の作品とダブルものが多いのだが、いやあ、江戸時代の人は猫をよく見ていますなあ。近代以降の絵の中の猫を集めた画集なんかも、以前本屋で見たことがあるけど、「下手」「変」というものがかなりある。藤田嗣治や熊谷守一は良かったけど、たとえば竹久夢二なんて全然あかん。それと比べるとやっぱ最高は国芳だけど、他にもいろいろ、うふっと笑えたり、なごんだりできる絵があります。ま、猫好き以外には関係ない本。

2010.06.10
 やっと、ようやく、ほんのちょっと、1ページにも足らないだけ書いた。ま、「千里の道も一歩から」、というやつです。
 読了本『ベル デアボリカ』 坂田靖子 朝日新聞出版 ちょっと不思議でコミカルな軽ファンタジーの作家という印象が強かった坂田靖子さんのシリアス異世界ファンタジー。中世ヨーロッパ風のお城は歴史フェチの篠田にもリアルっぽいと感じさせる細部があるが、ここは魔法使いが現実の脅威として存在する世界。数日前に日記で書いた栗本薫トワイライト・サーガのような「剣と魔法もの」といえる。
 ところで私見では、「剣と魔法もの」の肝は「魔法」よりも「剣」である。剣に十分なリアリティと魅力がないと、「魔法」がどれほど耽美に妖異に書き込まれていてもバランスが悪い。例えば栗本が念頭に置いていたはずの「野蛮人コナン」のシリーズでは、魔法に文明の爛熟と退廃がだぶらされ、高貴にして生命力にあふれた野人コナンの剣がそれらを打ち破るというのが基本パターンだった。トワイライト・サーガは魔法の使い手の美少年と、剣を振るう戦士が相棒になって悪しき文明と戦う形だったが、作者の筆は明らかに美少年に偏っていて戦士は凡庸で魅力に乏しく、それが最大の難点。
 このマンガでは「剣」を担う小国の若き王ツヴァスが、なかなかに魅力的。勇猛果敢さと同時に、弱いものを哀れみ、その痛みを見過ごせぬやさしさを持った、実にいい男だ。魔法使いヴァルカナルはまだ手の内を完全に見せていないようだが、非情さと子供のような純真さが併存する一筋縄ではいかない性格。ツヴァスのようなまっすぐ人間にはとても大変な相手だが、2人の関係がこれからどうなっていくかもとても楽しみ。

2010.06.09
 建築探偵ラストを書き出さなくてはと思いながら、自分で自分にかけたプレッシャーがきつくて、プロットのメモすら書けない。逃げ回るために本に手を出したり散歩に出たり。そんなことしたってどうにもならないのに、我ながら馬鹿な話だ。今日の逃げ場本は『萩尾望都 KAWADE夢ムック』 内容は特になんて事はないが、自分のようにほとんどデビュー当時から見ていた読者としてはそれなりの感慨も。一番最初は「雪の子」の雑誌掲載で、「ケーキケーキケーキ」なんかはその後で読んだっけか。紛争で騒然とする大学のラウンジで「小鳥の巣」を掲載していた別冊少女コミックを読んでいた記憶がある。
 最近作もすごいとは思うものの、実は初期作品の方に忘れがたいものがある。「3月兎が集団で」というコメディがとても好きで、本は持っていないのに頁がほぼすべて思い出せるくらい。近年の「バルバラ異界」とか、すごいとは思うもののすごすぎて愛しいとまではいえない。触れたら手が切れますという感じで、その作品世界に心が遊ぶことは出来ないのだ。今回の本は、まともな初出つき全作品リストと全著作リストがないというのが納得できないな。

2010.06.08
 昨日はK書店の担当と飲み会。その前にリブロで少し本の買い物をするが、それにつけても本が高くなったなーとため息が出てしまう。西洋史ものとか美術史ものとか、そんな豪華本ではないのに2500円超えているのがざらで、そういうものを何冊か手にするとあっという間に1万円超えてしまう。単価が高いということは、とりもなおさず刷り部数が少ないということだ。小説本でも同程度の装丁と厚みで、1600円の本と1300円の本があったら、前者は6000部程度で後者は1万超えているというところか。そうして刷ってもらえない作者の本はさらに高いと言うことで売れにくくなるから、また部数が下がる。これが現代の悪循環。しかし出版社は、売れない本には刷り部数を抑える以外のどんな対策も取らない。売れる本は広告でも宣伝でもしてもらえて、ますます売れるということになる。如何ともしがたし。
 栗本薫の本でまだ再読していないものがあった、というわけで書架から取り出したのが『カローンの蜘蛛』『カナンの試練』という2冊。トワイライト・サーガと名付けられた短編集で、グイン・サーガの時代からたぶん数百年後の中原を舞台に、神秘の力を持つ美少年ゼフィール王子と剣士ヴァン・カルスが旅の途中に出会う出来事の冒険奇譚。栗本薫の本流は描写より人事、という篠田の主張からするとはみ出す作品群だが、栗本はもともと「野蛮人コナン」や「最後の大陸ゾシーク」など、剣と魔法ものファンタジーのファンで、グイン・サーガも開幕しばらくは暗い魔法や怪奇と神秘の色合いが強い。しかし物語が展開するにつれて魔法は科学に吸収され、一種の三国志的な戦いと政治と人々の愛憎が織りなす歴史絵巻と化していくので、作家としての本領はやはりそっちだったのだと思う。
 読了本『P2』 新潮文庫 フリーメーソンの流れを汲む強大な秘密組織がローマ教皇ヨハネパウロ1世の暗殺を行ったというお話。『ダ・ヴィンチ・コード』のようなトンデモ化はない分リアルでもあるが、これが事実だったとしても、キリスト教徒じゃない人間にしてみればいまさらなあ、としか思えないのは作者が下手だから。物語が無い。ただ暗殺の秘密を秘めた書類を巡って追いつ追われつがあるだけ。映画やテレビのシナリオを書いている人らしいので、例によってこれも「映画にしたらまあまあかも」だが、小説として読んだら退屈なだけ。どうせ善玉は殺されないでしょ、と思うから、本気でハラハラもしないし。徒労っぽいから読まない方がいいよ。

2010.06.06
 文庫の直し、終わったのでメール送稿してしまう。
 ここのところ栗本薫追悼再読フェアというわけで、手元にある本を片端から読み直していた。といってもグイン・サーガは処分してしまったし、本棚に残っているのは初期作品中心の文庫本のみ。『ぼくら三部作』、『絃の聖域』『優しい密室』『鬼面の研究』の伊集院大介物初期三作に短編集程度。他にも昔読んだものはいろいろあったのだが、とっくに手放してしまった。なんか篠田にとって栗本薫は、リーダビリティの高さはそりゃもう一目も二目も置くけれど、小説作品として絶賛するとか、何度も読み返したくなるという感じにはならない、微妙に距離のある感じの作家なのだった。どこかうざいというか、鼻につくものがある。
 再読のきっかけは最近文庫化された伊集院ものの『樹霊の塔』が、かつての作品の劣化コピーにしか思えなくて、なんかせつない気がしたからだが、読み返してみてもやっぱりその印象は変わらなかった。うざくて鼻につく部分はあるけれど、そして背景になる風景描写や雰囲気描写よりも、人事、特に登場人物が己れの心境を開陳するあたりにもっとも熱が入るというのは、初期から最後まで変わらないものの、初期の作品は密度がはるかに濃かった。辻真先先生や皆川博子先生のように、お歳を重ねあれだけの数の作品を書かれながら、自己模倣にも劣化コピーにもならないというのは、真に希有なことなのだといまさらのように痛感。

2010.06.05
 『AveMaria』の直し二度目、一応最後まで。明日は日曜日だから月曜日にメールで戻す予定。
 篠田はあまりテレビは好きではなくて、ニュースと「いい旅夢気分」と「アド街っく天国」くらいしか見ないのだが、ツレが「おもしろそう」と思う番組をこまめに録画してくれるので、そのときどきで「ほう、これは」というようなものと出会うことがある。ドラマは全部パスなので、ドキュメンタリー系限定だが。そこで最近はまっているのがBS日テレの「小さな村の物語 イタリア」というの。文字通りイタリアの小さな村とか町とかとその住民を、淡々と記録した番組で、臭い芝居をするタレントとか一切出てこないのがいい。最近知ったのだがDVDも出ているので、さっそく注文しちゃったよ。
 読了本『本格ミステリ10』 講談社ノベルス 本格ミステリ作家クラブが毎年一冊出しているミステリ短編セレクション。値段がそれなりに高い(1280円)のがなんだけど、バラエティに富んでいてなかなか面白く読めた。

2010.06.04
 取り敢えず函館は横に置いておいて、『AveMaria』の直しを続ける。函館に発つ前に一日半作業はしていて、一応ラストまでは流したのだが、今日はまた前に戻って見直し。明日明後日程度でそちらは終わらせるつもりでいる。

2010.06.03
 5/31から2泊3日で再度函館に行ってきた。北海道は車がないと動きにくいので、今回はツレに同行してもらい、加えてノベルスの表紙用写真を撮ることも目的。空港からレンタカーを借りて東へ。恵山には先日も出かけたものの、悪天候で登山は断念せざるを得なかった。今回は車でアプローチできる逆方面から。しかしここがなんともすごかった。活火山なんである。箱根の小涌谷みたいに硫黄臭い水蒸気が立ち上る、不毛の山地と屏風のように立ちふさがる岩。空は雲ひとつ無い真っ青で、そこに飛ぶ影はありゃ鷲でしょうか。奇岩るいるいのまっことすさまじい風景。日本じゃない、地球じゃない、といいたいくらい。こんなところがあるなんて知らなかったよー、という感じ。
 車で周辺をウロウロしてから温泉のある宿へ。ここはかなり、ごめんよ、ぼろかった。飯は地元の魚づくしで、やたらとたくさんあって、美味かったんだけど、刺身はみんな白身魚で、後は醤油色したおかずばっかりで、なかなかに地味。でも、ここまで洒落くささのかけらもない宿というのも、初めてかな。夜に温泉に入りに行くと、その家の子供やばあちゃんが入ってるし。朝入りに行くと嫁が入ってるし。
 翌日は、やっぱり恵山の山頂まで上がろうという話になり、がんばって登山。予想したよりは楽だったというのは、道がかなり整備されている上に、傾斜のきついところは階段状になっているし、その階段と傾斜のない平らな道が交互に現れてインターバルになっているということで、地面を見ればいろいろな色合いの石ころに目を引かれ、目を上げれば空の青さに嘆声を放ち、飽きることがなかった。しかし風がかなり強くて、頂上などかなりの広さはあるのに、吹き飛ばされるか転げ落ちるかという感じで、高所恐怖症の篠田は正直かなり怖かったです。
 下山して車で海岸線を北上。途中「しかべ間欠泉公園」というかなりお間抜けなものに立ち寄り、そこらから内陸に入って大沼のほとり、「流山温泉」で湯に浸かる。そのまま下って「山川牧場ミルクプラント」の売店で、ローストビーフサンド、牛乳、ソフトクリームを食す。とにかく晴れ晴れで、駒ヶ岳もビンビンに鮮明。緑は輝くようで、絵に描いたような「ほっかいどー」的風景。まだ時間は早いので函館市内に入り、本日より公開されることとなった元町公園横の「相馬邸」、函館の大金持ちの元お屋敷を見学、はこだて工芸舎にちらっと寄ってから、「カフェ・ギャラリー・三日月」でお茶をして、大沼にとって返す。
 泊まりは湖畔のプチホテル。その前に夕日を撮影しようと沼のほとりに出たら、日が沈むのを待っているうちにヤブ蚊の攻撃を受ける。前夜のおしゃれ度ゼロの宿から、今度はいささかおしりがかゆいくらいおしゃれっぽい宿になったが、高級風でもさほど高級ではない。なんとなく書き割りっぽかったり。ディナーは前菜に出た新鮮なグリーンアスパラガスが絶品で、魚介のマリネはいまいちで、カブのクリームスープとメインの牛ひれはまあ普通であった。翌朝は、ホテルのベランダにアカゲラが来てえさをつつくのが見られたから、いいかな。
 朝そのまま函館へ行き、こないだ行ってみた穴澗海岸の洞窟の所まで行ってみたが、そこから先の道は途絶えていて、「寒川の渡し」は見えなかった。これも前回の残りというか、写るんですしかなくて撮影した建物をもう一度撮ろうとするが、見つからなくてかなりうろうろ。道に迷った時見つけたものは、あとでまた見つけようと思うとかなり大変だといまさらのように感じる。いつか住宅地図のコピーでも持って、函館の古建築を端から撮影してやりたいものだ。
 後は温泉好きのツレに見せたかった市営谷地頭温泉で鉄錆色の湯に入浴、まだちょい時間が早いので函館山の山頂まで車で上がって、軍事遺跡ちら見。下ってカール・レイモンで今晩用のソーセージなど購入し、駅前の朝市でウニ丼を食べる。これはウニさえうまけりゃほとんど料理じゃないわなあ。後はコーヒー飲んで時間をつぶしてから空港へ。というわけで、前回の怠惰なひとり旅とは対照的な、超満載内容の道南の旅でした。

 今日は洗濯と荷物片づけ。頭がぼけているので、朝飯用のパンを焼くのに水の量を間違えてあわてて粉を足す。一応パンの形にはなったというくらい? 後は恵山の地形図を拡大コピーして、等高線を色ペンでなぞったりして、いえっ、別に遊んでいたわけではありませぬ。ここを舞台にして大嘘を吐くつもりなので、イメージを固めるためであります。そろそろ言い訳の種もなくなったので、書き出さないとねえ。あ、でもまだ文庫に下ろす『AveMaria』が終わってない。あとちょっと。