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2010.05.30
 昨日今日と、また寒くて身体がたまげている。土曜日に、8月に文庫にする『Ave Maria』のデータが来たので、もう少し後回しにしようかとも思ったが、結局手を付けてしまう。幸いそんなに「ぎゃあ」なところもなくて、というか自分の作品にしては珍しく「わりといいかも」な感じで、さくさくと直し。これなら6月の第一週には送り返せそうで安堵。
 明日からもう一度函館に行く。追加取材。これが終わったらもう言い訳抜きで、建築探偵ラストに入らなくてはならない。なんかこうもたついているのは、結局ラストを書くのが気が進まないからなんだなあというのは自分でもとっくにわかっているのだが、だからといっていまのようなどんどん本が売れなくなっている時代に、ずるずるだらだらと自己模倣を続けてじり貧になっていつの間にか消滅、みたいなのは一番イヤなので、書きます。断固として。こんなラストならない方が良かった、とかいわれないように。
 今度は二泊三日なので、6/2の夜には帰宅。日記は早くとも3からになりましょうか。

2010.05.28
 今日はようやく5月らしいさわやかな晴天になったが、明日はもう曇りらしい。夕方の空はどんよりした雲で覆われていた。
 スタバに出かけてどうにかこうにか、建築探偵の頭の部分のプロットを立てる。ようやく第一章と、第二章の半分くらい。手探り足探り。
 新しいデジカメが到着。リコーのCX3。しかし操作になれるまでが大変に面倒くさい。こう新しいものを覚えるのがおっくうだというのは、老化現象以外のなにものでもないなと思いつつ。まあ、年取る前から、あんまり好きじゃなかったけれどね。
 読了本『少女外道』 皆川博子 文藝春秋 ちょいと久しぶりの皆川先生の新刊。まずは柳川貴代さんの装丁が素晴らしく愛らしい。花切れのピンクからして、まるでよくできた工芸品のようである。こんな美しいものを、どうして電子書籍なんぞに置き換えられるものか、と思う。読み捨て御免のペーパーバックとは、日本の本は違うのである。こんな美しいものが2000円足らずで手に入る。安いじゃないかといいたい。暴言? なににお金を使うかは人それぞれだけど、篠田は食事は自炊するし服はユニクロで充分。そのユニクロの、安売りジーンズが1990円だ。裸で本を抱えているわけにはいかないが、取り敢えず着る物があるなら、その分のお金は本に回す。美人じゃない方がこういうときは気楽だね。
 そして収録された短編は、そのほとんどが幼い少年少女を主人公とし、太平洋戦争の投げかけた影をモチーフとしている。世界は多く暗い。陰惨だといってしまってもいい。愛らしいピンクと花模様に包まれていればなおのこと際だつ暗さだ。最後に置かれた「祝祭」の絢爛たる落日の景も、この暗さの果てに現れるからこそひときわあざやかに目を射る。一方、これ一編だけいささかトーンを異にする「巻鶴トサカの一週間」は、世話物めいた現実的な筆致でひとりの老女の弔いを描くが、それが最終頁で突如幻想に向けて飛翔する手際もまた凄まじい。皆川先生以外の誰がこんなふうに生と死の境を飛び越えられるか。天才の筆ここにあり。

2010.05.26
 函館で撮ってきた写真を、今回は大判のスケッチブックに貼りこんでコメントを付け、少し他のものも貼って、などと小学生の夏休みの宿題、みたいなことをしていたのだが、取り敢えず完成してやれやれとめくり返したら写真同士が張り付いてインクが写ってしまうというアクシデントが発生。どうも仕事場のプリンターで印刷したやつがダメみたいだ。やはり堅牢さに問題があるのだろうか。こんなことなら光沢ではなくマットで印刷すれば良かったと思うものの、まさかもうやり直す気はしない。仕方ないから写った写真だけもう一度プリンタで刷り直して、そこは透明な袋にでも入れることにするか。
 そんなことをごたごたやっていたら、講談社文庫の担当から「8月刊のをそろそろ入稿したいんですけど」と電話が入るが、そちらがデータを送ってこないのだから当然なにもしていない。勘違いしていたといって、これまで何年も同じやり方で続けてきたのに、とちょっとムッとする。誰も文庫化に際して、データをいじったりはしないのか。しかしゲラだけで済ませようとすると、きっと直したいところが目についてそれはそれでストレスフルなことになるのだ。

2010.05.25
 読了本 『樹霊の塔 伊集院大介の聖域』 栗本薫 講談社文庫 グイン・サーガの購読を105巻で止めて以来、すごく久しぶりに栗本作品を購入。裏表紙に書かれていた筋が、「独特の文化を持つ過疎の村に出かけたヒロイン森カオルが孤立状況で奇怪な事件に遭遇し伊集院大介が助けに行く」というような、これは名作『鬼面の研究』の再来ではないかと思ったからだが、やっぱりというか、当然というか、作者はすでに本格ミステリ的な結構を目指す意志は失っていたようで、奇怪な事件もその解決も脱力物。もともと背景描写より人事に関心の強い作者のことゆえ、舞台となる村の異界性は文章を追っても一向に鮮明にならず、それにはっきりいって体調が思わしくなかったのではないだろうか、文体も話の運びも勢いが無くて、唯一生彩あるのが村の女主である老女の描き方だった。追悼の気持ちを込めて『鬼面の研究』を再読しようかしらん。
 『薔薇を拒む』 近藤史恵 講談社 近藤さんらしい繊細で残酷なミステリ。謎に引かれて一気に読まされ、最後に見せられる絵の救いの無さに暗澹としつつ頁を閉じる。ただ「ゴシック・ミステリー」という帯のことばにはいささか違和感があるけれど。ゴシックということばから連想される、怪異な、幻奇的な、大仰な、こけ脅かしや稚気めいたものはなにもない。むしろ瀟洒な、薄いガラスやレエスのような、ひんやりと冷たい感じ。良い香りがして口当たりも甘いのだけど、底には毒が潜んでいる。映画、それもフランス映画かなあ。

2010.05.24
 梅雨寒ですね。勇んで冬物をしまい込んでしまったのに、背中がすうすうして落ち着かない。建築探偵ラストのプロットを練りにスタバに行って、戻ってさて、それを整理してと思ったら、睡魔にとらわれて朦朧。夕方になったら仕事場のマンションで小火騒ぎ。なにがあったのかよくわからないんだが、火災報知器が鳴り響いて消防車が何台も来て、でも別に放水したりはしなかった。どこかの部屋が煙りモクモクになったようだけど。

2010.05.23
 昨日はまずは千駄木の島薗邸へ。普段は公開されていない昭和初期の住宅の見学ツアーが、雑誌「東京人」に出して当たったのだ。この手の企画は年に一度くらい掲載されたのだが、いままで何度もトライしても当たった例がなかった。前は講師が藤森さんだったりしたからかな。今回20名のご招待で、20人も来ていない。そんなに大きくはない個人住宅だから、そうたくさん人が来てもどうもならないと思うが。
 洋館部が玄関と玄関前の間、書斎、食堂とサンルームで、それ以外が和風建築。昭和16年に建て増しされた二階は、和室に洋風の床の間のある和洋折衷室と多様。一階は部屋の広さの割に天井高が高く、雨戸ではなくガラスの二重窓になっているなど、医師らしい健康に配慮した工夫が見られる。建て主は脚気の原因がビタミンB1の不足にありと発見した人物だそうな。脚気問題は明治の日本の、特に陸軍を騒がせた大問題で、原因が容易に特定出来なかった。当時軍医の森鴎外も確か病原菌説を採っていたはず。
 12時前にそこを辞して天王洲アイルへ。銀河劇場で「罠」というミステリ劇を見る。先日「薔薇と海賊」の会場でチラシをもらい、そこに書かれていたプロットが面白そうで、足を運んだもの。三ヶ月前に結婚した金持ちの妻が、別荘から喧嘩の末失踪した、と夫が警察に届けて十日。彼女の行方は未だ知れず、夫は心痛で酒浸りになっているが、そこへ神父に連れられて現れた女。彼女は「あなたの妻よ」というが、夫は別人だと騒ぎ出す。神父は確かに失踪前にあった夫人だと請け合うが、夫は主張を変えない。なぜか結婚式の写真は引き出しから消え、別荘のために知人は周囲におらず、夫は自らのことばを証明出来ぬまま狂騒状態に。果たして正しいのはどちらか・・・
 夫のことばが正しく、自称妻と神父がグルの悪党なのか、あるいは夫が精神に異常を来しているのか。冷静なのは妻の方で、夫は錯乱しているようにしか見えないが、やがて妻の方にも不審な挙動が現れる。まさかどんでん返しがないってことはないだろうなあ、と思っていると、案の定ちゃんとどんでん返しはあって、タイトルの「罠」の意味もそこに結びつくが、まあミステリずれした人間には予想の範囲内ではありました。しかしこの夫役の役者、あんまり演技が上手くなくて、やたらギャースカ、ヒステリックにわめき散らすのには閉口。彼に感情移入させて、同情させて、はらはらひやひやさせなくてはならないのだから、もう少し共感を呼ぶような演技をしてもらいたかった。ましてあのオチならば。ネタバレせぬように書いているので、この程度。
 壊れたカメラの後釜をさがすのに池袋のビックカメラに行くが、ある程度絞っていったにもかかわらず、人混みと喧噪でくらくら。いろいろありすぎてわけわからん。買い物は苦手だよお。夜はサイゴンでベトナム料理。この店は全然お洒落じゃなくて、でも美味しいから好きです。

 読了本『蜻蛉始末』 北森鴻 文春文庫 未読で残っていた北森作品。幕末から明治を生きた名のある人々と名も無き男。読み応え十分だが、なにかしんしんともの悲しい思いが胸に残る。
 『屋上物語』 北森鴻 祥伝社文庫 以前ノベルスの元本で読んで、作者の手腕に舌を巻き登場するうどんに生唾を飲み込んだが、これも今再読してみると、なんとなくもの悲しい気持ちが残る。作者がもうこの世にはいないと思うからだろうか。
 『パリの秘密』 鹿島茂 中公文庫 観光客の知らないさまざまのパリを文庫3頁のコンパクトに詰め込んだコラム。こういうのを読んでいると、猛然とパリに行きたくなる。
 『金魚屋古書店』10  芳崎せいむ 小学館 実在するマンガ作品をモチーフにした、いわばマンガのグルメもの、とでもいいたい作品も10巻目。今回は伝説のマンガ雑誌といわれているらしい「COM」が1巻全部を通してのモチーフ。篠田は創刊号から買っていました、この雑誌。中学の二年生だったかな。確か三号で気が付いて、バックナンバーを頼んで取り寄せた。親に買ってもらったんじゃなく、自分で選んで買ったマンガ雑誌というのは初めてだったんじゃないかと。「火の鳥」も面白かったけど、なんと言っても石森章太郎の「ジュン」でしたね。あまりのすごさに腰が抜けた覚えがある。作品に感動して腰が抜けたのも、これが最初だったと思う。その頃はそれだけ感性豊かだったんでございますよ。

2010.05.21
 今回の函館で見つけたもの、知り合えた人、いろいろと話は尽きないが、そろそろ話を切り上げようと思う。たぶん篠田はまた函館に行くだろうし(いや、実際問題として追加取材が最初から予定されていて、月末から二泊三日、今度はいささかあわただしい旅をしてくる)、そうなればまた日記を書くだろうし、それだけでなく函館を舞台にした小説を書きたいと思っている。ひとつはいま横浜を舞台にして連載準備をしている『ホテル・メランコリア』というタイトルの連作短編があるのだが、それと似たような形式で函館の連作短編を書いてみたい。ミステリというより幻想寄り、ホラー寄りになりそうだ。もうひとつは去年から考えているのだが、オーソドックスな少年小説の王道。東京からやってきた少年の一夏の体験に、函館山の軍事遺跡などを絡める。しかしこれには相当取材が必要になると思うので、いまやっている仕事の整理が付いてからということになるだろう。
 最後に『HO』という札幌で発行されている雑誌の六月号が函館特集で、それを手に入れて宿で読んでいたら変な記事があって、さらに土産物屋でそこに載っていたCGが絵はがきになっているのを見つけて、という経緯で知った、函館のCMをご紹介しよう。その名は『イカール星人の襲来』。公式サイトがあって、そこに行くと見られます。イカ好きの函館をイカ型宇宙人が襲ってきて、それに対して五稜郭タワーが巨大ロボットに変身して戦う、とまあ、文章にするのはすごく恥ずかしい(爆)。しかし笑えます。なにせ彼らが戦う函館の街にはちゃんと駅前のデパートを始め実在の建物が登場するし、そのくせ市役所以外は破壊していないのが涙ぐましい。さらにイカ型巨大ロボットに、活火山の恵山から巨大土偶の降臨、五稜郭は空中要塞となって飛び上がるし、笹流ダムや函館山は割れて、秘密兵器が出てくるし・・・
 というわけで、宇宙人に破壊される前に函館観光はお早めに。
 公式サイト http://www.ika-r.com/

2010.05.20
 本日は帰宅してから読んだ、函館関連書を2冊ご紹介。
 まずは『時計坂の家』 高楼方子 リブリオ出版 函館をモデルにした古い港町。母方の祖父が家政婦と暮らす坂の上の古い家に、夏休み、12歳のふー子がひとりで泊まりに来る。決して無愛想ではないが、向かい合えば緊張せずにはいられない祖父。母は実の父も、彼の住む家も敬遠して近づかない。それはなぜか。やがてふー子は、若い時に死んだとだけ聞かされていた祖母にまつわる秘密に気づき始める。そして背後にちらつく、亡命ロシア人天才時計師の影。踊り場の窓に下げられた錆びた懐中時計が動き出す時、窓は不意に扉と化して開き、そこにあるはずのない緑の園と小道が出現する・・・
 濃密な雰囲気と幻想みが、函館を思わせる異国風の寂れた街の風景と溶け合って、全編を押し包んでいる。その中をさまようふー子の視点はみずみずしく、だが幼い。それが本書の魅力で同時に弱点でもある。作者が構想した世界と物語は、12歳の少女の目で語るにはあまりに大きく深いからだ。小さな節穴から向こうを覗いて、ある程度見えたと思ったらもうおしまいになってしまう、そんな感じ。消えた祖母の抱えていた思いも、残された祖父の苦悩も、時計師の中のデモニッシュな欲望も、ふー子の手に余る分十全には描かれない。それが作者の意志だったのだとしても、この物語をもう少し対象年齢を上げたゴシック風の幻想小説にして、より鮮明に細かに書いて欲しかった。
 『レイモンさんのハムはボヘミアの味』 シュミット村木眞寿美 河出書房新社 これも函館名物のひとつ、ハム、ソーセージのメーカー、カール・レイモンは、明治の函館にやってきたドイツ人だった。旅館の娘で英語を話せた勝田こうと恋に落ち、ふたりは日本から駆け落ちして結ばれる。こうの一人称で書かれる物語は、彼女が港町函館に生まれ育った読書好きの少女で、シェークスピア全集とゲーテ全集を手元にそろえる教養人であったことを教えてくれる。夫の故郷カールスバートで彼女は、愛読したゲーテゆかりの場所に立つ喜びを噛みしめる。さらに驚いたのがレイモンが単なるソーセージ職人ではなく、ヨーロッパ統合の理想を持つ思想人であったということ。ハプスブルク帝国の崩壊と中欧の混乱を肌身で知っていた彼が、平和への道と信じたのがヨーロッパ統合だったが、いまのEUの状況を見るといささか思いは複雑だ。
 それはともかく元町にあるカール・レイモンの店は、篠田が函館に行くと必ず一度は訪れる場所。製品は駅の土産物店でもデパートでも売っているが、ここでは自家製のソーセージなどなどが食べられるのだ。長い焼きソーセージを一切れのフランスパンで挟み持って食べるのは、昔篠田がベルリンの屋台で食べて美味さに涙したあれを彷彿とさせる。
 というわけで、函館話は明日も続きます。

2010.05.19
 今や日本全国どこへ行っても、チェーンのファミレスやファーストフード、コーヒーショップが目に付く。街の風景もそれにともなって、「どこへ行っても同じ」になっている。それは決して都市ではない。都市紛いの田舎、つまりどちらの美点も失った、単なる人の集まりで、何の魅力もない。住宅はあっても、誰もそんな場所でお金は使わない。交通費を使っても、もっと気の利いた店のあるところへ出て行って消費する方がいい、ということになってしまう。
 カフェに限らず、函館には「ここにしかない」というものがいくつもある。それほど高踏的な話ではなく、なにせここには古民家カフェはあってもスタバはない。マックがなくて、その代わりに知る人ぞ知るラッキーピエロがある。函館人のソウルフード、と勝手に命名してしまう、ハセガワストアのヤキトリ弁当がある。これがB級グルメ心をそそって止まない函館の二大名物である。
 面白いのはラッピもハセストも、注文してから出てくるまで10分くらいは普通に待たされるということだ。マックのように、出来上がって後ろに置かれたバーガーが出てくる、なんてことはない。チャイニーズチキンバーガーの甘辛唐揚げ鶏はちゃんと揚げたて、ヤキトリ(なぜか豚肉とネギの串焼きをこう呼ぶ)も、もうもうと煙を上げながら火の上で炙ってご飯の上にセットされる。味の基本はどちらも砂糖醤油だが、甘さはわりと抑えめで、甘党では全然ない篠田も美味しくいただける。ヤキトリ弁当で酒が飲める。どっちも500円玉でおつりがくる値段だというのに、函館人は出来たてでないと承知しない。そのこだわり方がいいじゃないか。
 余勢を駆って函館報告はまだ続きます。仕事しろよ、自分。

 読了本『カラマゾフの兄弟』 ドストエフスキー 光文社古典新訳文庫 こういうときでもないと読めないだろうと思って、5分冊になった文庫をスーツケースに詰めていった。松前のバス停で、渡島当別の待合室で、ハリストス正教会の脇のベンチで、と読み継いで無事読了。しかしこれってそんなにすごい名作なのか。すいません。純文学に鈍感な篠田はいまいちピンと来ませんでした。読みやすいのは有り難いのだが、とにかく登場人物の大半が錯乱していて、興奮していて、ヒステリー状態で、やたらめったらしゃべりまくる。それもひたすら事態を混乱させ、紛糾させる方向に。読んでいる内にいらいらしてきて、「おまえら、いい加減にもう少し冷静に、理性的にしゃべれよっ」「ええい。口に出す前に深呼吸でもしたらどうだ、このバカども!」とわめきたくなる。殺されるオヤジもオヤジだし、冤罪を受ける長男も、これじゃ怪しまれて当然だろうの自業自得状態。無神論者(?)のイワンは腰砕けで、天使のアリョーシャ君は無力で影が薄い。まあつまらなくはなかったけどね。同じ訳者の『罪と罰』も読んでみようかな。だから仕事しなさいって、自分。

2010.05.18
 去年は電車で江差と大沼に行ったが、今年は松前、渡島当別、恵山に行った。松前はちょうど桜の開花期に当たったからで、だからといってこちらでも桜はたくさん見たし、それほど大きな期待を持っていたわけではないのだが、物事はやはりちゃんと自分の目で見なくてはなりません。松前は非常に多様な品種の桜が見られるだけでなく、「南殿 なでん」という名前の八重桜がメインになっていて、ソメイヨシノ主体の関東の桜とは風景がまるで異なる。実をいうと篠田は八重桜というものには多少偏見があった。わりと色が濃くて、重なり合う花びらもボタボタと重たげで、なんていうか粋じゃない。野暮ったいという気がしていたのだが、南殿は白に紅色がほんのりと滲む感じで、実に優美、あでやか。それが見事に満開だった。
 渡島当別はトラピスト修道院のある駅で、裏手の山に登れば女人禁制の修道院の中が展望できるということだったのだが、不信心にして不謹慎な篠田の人格を見抜かれたか、雨と霧で真っ白け。なーんにも見えませんでした。でも牧草地の濡れていよいよあざやかなエメラルド・グリーンと、森の新緑は忘れられない。修道院の売店には修道士さんがいるのかな、という期待もあっさり裏切られたけど(やっぱり不謹慎)、定番のクッキーに限定品の金色のバター飴、絵はがきやパンフレットを購入。その後日本で初めてじゃがいもを栽培した川田男爵の資料館に行き、ポテトが彼のイギリス娘との悲恋の思い出だったなどというロマンティックなお話を聞き、しかも彼がミステリ愛好者だった(愛読書にアンソニー・バークリーの『ピカデリーの殺人』があったよ)ことなどを知る。お昼は資料館となりのレストランでポテトグラタンを。
 恵山は東側の半島の先にある活火山で、登る気まんまんだったのだが、雨が止まないので断念。予約していた元国民宿舎の送迎バスに行きも帰りも乗って、温泉に浸かって、美味しいホタテやうにを食べてきました。それが作品に生かされるかどうかは、さあこれから。

 本日はスーツケースが届いたので、ひたすら洗濯してました。函館報告は明日も続きます。

2010.05.17
 函館から戻ってきた。いまや貴重なる夜行列車。それというのも7日間有効な「青森函館フリーキップ」をめいっぱい有効利用するため。我ながら贅沢だが、限られた時間に「あれ見て、これ見て」と詰め込む旅行は苦手で、行った先でもう訪ねる場所がなくなって、「あー退屈」と公園のベンチに座り込んでぼけっとしたり、観光地でもなんでもない街をほたほた歩き回ったりするのが好きなので。
 ついでに明治以降戦争前の近代建築が好きで、西洋文明と混交した和洋折衷が好きとなると、函館、横浜、神戸、長崎といった港町が好みのポイントの最初に上がってくる。通り一遍の観光地や団体御用達の買い物スポット、函館でいえば「五稜郭」「朝市」「波止場の赤煉瓦倉庫を改装したショッピングゾーン」といった場所は、背を向けやしないけど一度行けば充分なので、普通のツーリストはなかなか足を向けないアイヌ文化の遺品を集めた「北方民俗資料館」や、函館ゆかりの文学者、作家についての展示を集めた「函館市文学館」なども好きな場所だ。今回は後者を再訪し、ミステリ作家としては大いに関係のある久生十蘭や林不忘、水谷準といった名前の場所に長く目を止めた。
 元町公園の周辺には古い教会や、公会堂、英国領事館など、保存された洋館もあり、ここらは観光客もいるけれど、回りをぶらぶら歩くだけで何度も入場はしない。ただここらで好きなのはロシア正教の教会ハリストス正教会で、今回も入場して、少し資料を読んだ分山下りんのイコンに注意を払い、また資料類をたんまり買い込んできた。全然信徒ではないのに、物書きのいささか邪悪な関心を向けてごめんねと、半ばお布施をさしあげるような気持ちである。日曜日は10時からミサがあって、教会の鐘が聞ける。これも好き。
 今回の新しい訪問場所は、ロケーションと景色が素晴らしかったり、古い民家を利用したりと、それぞれ趣向を凝らした函館のカフェ。外人墓地の脇に海を前にして建つ「モーリエ」では、美味しいロシアンティとピロシキが食べられる。弥生町に最近開店した「三日月」は、明治の蔵、大正の住居、昭和の改装という三代の歴史がそのまま見られるカフェ。「タチカワカフェ」は外観のみ見学できた古い商家がカフェになったもの。「マウンテン・ブック・カフェ」は、おそろしく贅沢なゆったりとした空間だが、最高のごちそうは窓の外に広がる函館の風景。函館山からの夜景はあまりに有名だが、ここは視点がずっと低いので、それだけ迫ってくるものが強い。オーナーの山本さんによれば、真冬の吹雪の景色などというのも素晴らしいそうだ。しかし非常に急な坂道の上に建っているので、積雪のときはそれなりの装備と覚悟が必要だろう。住宅街に建つ「櫻の下」は再訪だが、今回はソメイヨシノの満開に来合わせられた。
 というわけで、カフェ好きにはこたえられない街ですぜ、函館。『京都カフェ案内』なんて本があるんだから、誰か、あるいはどこかで『函館カフェ案内』を作らないかなあ。

 函館報告、明日も続きます。

2010.05.09
 明日から函館に行ってきます。取材とはいっても建築探偵に直接関係ないことや、たぶん関係ないこともします。海の幸を食べたり、松前に桜を見に行ったり、温泉に入ったり。後者はまあ、いくらか関係はあるかもしれないけどね。17日の朝に帰りますので、しばらく日記はお休み。

2010.05.08
 気温が高くなってきて、ゴーヤの成長速度も速まってきた。いまごろはなんとなく園芸熱が高まって、それでもやたらと鉢を増やすわけにはいかないから、古くなったミントを空けて植え直したり。
 ここしばらくの間ずっと、建築探偵の最終巻のことを考えている。当たり前だね。それを考えないでなにを考えるんだよ、おまえ、という。しかし実のところ、脳内はかなり迷走中。ラストに向かってこれまで具体的に、または漠然と考えていたこといろいろが、うまく嵌らない感じがしてきて。打ち明けたところ、当初予定していたことが、他の作品に使われてしまって「あちゃあ」というのもあった。他の作品。ええ、世界的ベストセラー。でも、それはもういいのだ。
 ずーっと考え続けていれば、さすがに少しずつ見えてくることもありまして、なんとかなるかな、という気持ちも昨日あたりからしてまいりました。でも、書くのが辛い気持ちはやっぱりある。登場人物が痛い思いをすることは間違いないので、作者も痛いのでありますよ。

2010.05.07
 函館のホテルにスーツケースを発送。往復宅急便を使うには一日早く出さなくてはならないんだそうだ。こちらは普通の宿泊で、ゴルフじゃないので、泊まる当日の午後につけばいいんだけど、なぜかそこは融通が利かないヤマト。
 昨日というか今朝、なぜか寝室に蚊が侵入し刺されたせいで睡眠不足。書きたいことはまだあるが、頭が働かないので明日回しにする。

2010.05.06
 東大和市にある薬用植物園に、阿片ゲシの開花を見に行く。去年植物好きの友人につれていってもらったので、今年はツレと。今年は開花が遅れているのではないかと思ったが、案の定そうでした。パパヴェル・ソムニフェルムの巨大な白い花は、端の一列がようやく開花。ぎょっとするほどでかい罌粟坊主もまだ出来ていない。金網の外にある、合法に栽培できるひなげしの類もまだ満開には遠いが、その代わり冷温室に置かれたヒマラヤの青い罌粟は去年よりずっと美しいのが見られた。来週は篠田函館に行って不在なので、今日敢行したのだが、なかなか一度に全部とはいきませんね。
 しかしここは珍しい花や、名前は知っているが見たことのない植物が園内いっぱいに栽培されていて、実に眺めて楽しい。その上入園料は只。日陰のベンチで休憩も出来る。西武拝島線の東大和駅という、いささかわかりにくい場所にあるのだが、東京近郊の植物好きの人なら、一度訪れてみて損はありません。周辺には野火止浄水添いの散策路とか、少し足を伸ばせば小金井公園からもそんなに遠くはない。今日も暑かったが、小平まで歩いてしまった。ただ途中にはあまり飲食店や喫茶店がないので、こっちまで足を伸ばすつもりなら飲み物くらいは用意した方がいい。お昼は途中の蕎麦屋でもりをたぐったが、味的にはいまいち物足りず。値段は安かったし、ビールが美味しかったからいいけど。

2010.05.05
 最近の関東の天気は寒いと暑いで、その中間はなくなってしまったらしい。暑ければゴーヤはめざましく成長するけどね。風邪はどうにか押さえ込めたようだが、こういう水際で止めた状態のときは、いい気になっているとぶり返したりするから油断は禁物である。
 知り合いの読者が『緑金書房』を書店に注文したところ、一週間かかったといっていた。昔に比べればそれでもずいぶん早くなったと思うが、アマゾンなどで注文すれば早い時には翌日配達されてしまう。これでは普通の書店がネット書店に太刀打ちできぬわけだよなあ。しかしリアル書店がネット書店に勝るところは現物を手に出来るところ、と考えれば、現物がなくて注文しなければならないならリアル書店の意味がない、ということになってしまうわけで、篠田も出来るだけアマゾンではなく書店で本を買おうと思っても、それは都心の大型書店に行く以外はなく、これでは街の普通の本屋が建ち行かなくなるのは無理もない。去年函館に滞在した時にも、「めぼしい書店がない」と嘆いた(潰れている店は2軒目撃した)ものだったが。正確には駅前のデパート内に、1軒だけあったっけ。
 いよいよ函館行きが近づいてきたので、スーツケースの中身を確認。本がかなり入る。おまけに光文社文庫のカラマゾフを持ってしまった。こういう機会に読破。

2010.05.03
 一昨日の午後から急に鼻水が出始め、新手の花粉にでもやられたかと思っていると、どうも風邪らしい。微妙にだるい。あわてて風邪薬を飲む。函館行きまでに治さなくては。さすがに足を鍛える元気もなく、昨日はほぼ仕事場に蟄居。ちょっと買い物に出たときは、やたらハイキングらしい服装の人を見かけたから、きっと山道は人だらけだろう。盛り場に出る気もしないのはもともとで、しかしだるくて勤労意欲も湧かないのが、またなんとも困る。
 冷凍の豚足を解答して煮る。沖縄風テビチ煮。コラーゲンたっぷり。しかし豚足というのは見てくれが悪いね。特に裏側のくびれのあたりの感じなんか、赤ん坊の手首みたいで鍋を開けるたびにたじろぐのだが、でも食べるもんね。
 午後になって久しぶりの朗報、舞い込む。『緑金書房』に増刷がかかったそうだ。初刷りがあまりにも少なかったからなあ。でも初刷り+増刷分の部数を最初からいわれても大喜びはしなかったろうという程度の部数だから、増刷してくれたということでその分の喜びはよけいに感じられたといえなくもない。もちろん初刷りの少なさには悲嘆したんだから、それを埋め合わせればトントンかもしれないけど、増刷ということば自体ここ久しく自分のこととしては聞いていなかったからさ。これで村上春樹の話題作初版50万部とやらの100分の1よりは多くなったよ(爆)

 読了本『テレビ疾風怒濤』 辻真先 徳間書店 日本のテレビ放送草創期、1953年から61年にNHKの現場で働いていた辻さんの回想記。この後辻さんはNHKを退社してアニメのシナリオを書く仕事をなさり、さらにその後はミステリ作家に転身していまにいたる。昔見ていたテレビ番組、「バス通り裏」「お笑い三人組」「ふしぎな少年」を演出していたのは辻さんだったのだ。そういう方とお会い出来るというのが、なんというか、いまさらだけどすごい。しかし皆様、その頃テレビは生放送だったんですよ。辻さんのNHK時代後期にはビデオテープが発明されたものの、その時代で一本のお値段が15万円! 放映が済んだら消してまた使うから、編集はするなといわれたそうなんで、だから当然ながら、当時の番組はほとんど残されていない。まあ、いまから50年前じゃ仕方がないというべきか、たった50年でそこまで変わったというべきか。
 『昭和は遠くなりにけり』 辻真先 朝日ソノラマ とてもそうとは思えないタイトルだけど、タイムトラベラーものにしてロマンチックなラブストーリーで、ミステリ色は薄い。やたらお仕事のジャンルが広い感のある辻先生だが、一方ではこだわりのテーマを何度でも変奏する執念をお持ちで、戦争を挟んだ昭和史が物語に大きな意味を持つところは、近作『完全恋愛』まで一貫している。ただこのタイトルがなあ。副タイトルの『時の回廊』の方がいいと思うけど。

2010.05.01
 1.5斤の食パン型で角ブリオッシュを焼いたのと、近場に買い物に出た他は、いただきもののミステリを読み始めたら止められなくなって読んでしまった。
 読了本『消えた乗組員』 西村京太郎 光文社文庫 これは昨日読んだもの。十津川警部も初期作品では海に絡む事件を解く事が多かった。マリー・セレスト号そっくりの状況で9人の外洋ヨット乗組員が失踪した事件が海難審判に掛けられる。一方でその空になった船を発見曳航した5人のヨット乗りが次々と殺されていき、これを警部が捜査する。これが交互に語られるが、特に海難審判のシーンは最初にほぼデータが提示された上で、次々と仮説が提出されては反駁されていくところが面白い。
 『綺想宮殺人事件』 芦辺拓 東京創元社 ミステリに関する感想はやはり絶対にネタバラシだけは避けなくてはならないとすると、これなど「なにもいってはならぬ」ということになってしまうから、うーん、困ったな。本格ミステリというのはしばしばファンタジーに傾斜するものだと思うので、帯に上がっている『黒死館』にしても『ドグラ・マグラ』にしても、リアルと幻想のせめぎ合いの中で作品が成立していると思うのだが、芦辺さんはもはやリアルであることにはこだわらない、と極めて大胆な宣言をしている、という気がする。そんなことにこだわるよりも、書きたいこと書かねばならぬことがあるのです、と。
 なにせほとんど説明らしい前振りもないまま、いきなり世にも怪奇な大邸宅と、そこに居座る怪人奇人、そしてその前で唖然とする森江春策から話が始まってしまう。すると森江がかの法水に憑依されたかのように、怒濤のような蘊蓄を並べ立てるのだ。しかしどう見ても柄ではないから、森江は颯爽とというよりは、ぎりぎり道化である。当然そこにはなにか意味がある、あるいは仕掛けがあると思って読んでいると・・・ あ、もうこれ以上はいうべきではないね。