←2010

2010.04.30
 北海道ではハイキングというか、初心者向けコースの山登りをすることになったので、脚力をつけておかねばならない。というわけで連休の合間、仕事場近くのいつもの山に登りに行く。ポットにお茶を積めて、コンビニでおむすびをふたつ買って、あとはすたすた。行って戻るまで2時間ちょいの行程なので、どの程度足しになるかはわからないが、まあ新緑を眺めながらの山道は悪くない。ランニングは全然したくないが、ウォーキングは好きなのだ。
 仕事の方は建築探偵の読み直しを依然続けている。書き出しのシーンが決まらない。いや、決まらないのはそれだけじゃないんだけど・・・

2010.04.28
 水曜日はレディスデーで映画1000円なので、「アリス・イン・ワンダーランド」を見てきた。うん、まあ、1000円ならいいかというくらいだった。ヒロインのアリス19歳は視覚イメージ的にぴったり。あとの登場人物はオリジナルのようなものだから、合うも合わないもない。ジョニー・デップがいくら変な役好きでも、原作まんまの「キチガイ帽子屋」はやらないだろうと思ったら、案の定彼はほとんどヒーローで、話は勧善懲悪+ヒロインの成長譚で、「ああ、結局ディズニーよねえ」といいますか、善が勝ってめでたく健全な予定調和。ま、絵はきれい。そして残酷シーンもないし、お子様が見ても大丈夫。
 しかし篠田は変なところが気になった。ワンダーランドから戻ってきた19歳のアリスは、気に染まない求婚を断固退けて、亡き父の知り合いだったおっさんの貿易商のところで働かせて貰うことになる。彼女が「中国を相手に商売しましょう」といったくらいで、そのおっさんがなんでそうも感動して彼女を雇う気になったのかさっぱりわからないままだが、時代がビクトリア朝なら、自立したワーキングウーマンとなったアリスは中国とインドで悪名高い三角貿易をやって、インドを搾取して中国人に阿片を売りつけるんだろうか、と思ったら、どこがディズニーだ、ハッピー・エンドだといいたくなってきてしまった。

2010.04.27
 今日はまた雨で寒々しい。早めにもらったジャーロのゲラをチェックする。函館取材の計画を最終的に固める。あんまり頭の調子が良くなくて、なかなか仕事が進まないまま、時間ばかり経っていく気分。

 読了本『よいこの君主論』 ちくま文庫 マキャベリの『君主論』は、少なくとも手元にある岩波文庫は訳文が古くてあんまり読みやすくないのだが、イタリア旅行の時持参していったので思い出深い一冊。かつてはすごい悪書のようにいわれ、教会から焚書にあったりもしたのだが、人間洞察の書であり、なんというか実に身も蓋もない。「人は自分のもちものが奪われたときよりも、父親が死んだことの方を早く忘れるものである」とかね。いまの鳩山さんに聞かせてやりたいようなことばがたくさんあるんだが、それを「ある小学五年生のクラスにおけるグループの消長と覇権争い」を例にして、学習マンガのパロディ風に仕立てた一冊。なかなか毒っぽくて笑えるけど、こういう本は元本を知らないといまひとつ面白がるポイントがわかりにくいと思う。だけど元本はまた、当時のイタリアの政情や上げられる過去の事例を知らないと判りづらい。塩野七生さんの『マキアヴェッリ語録』という格好の一冊があったんだけど、この本いまは手に入らないのかな。

2010.04.25
 昨日は府中市美術館へ「歌川国芳展 奇と笑いの木版画」を見に行く。先日遊んだ友人が「いい展示だったよお」というていたし、国立博物館で買った猫のカードの元絵を描いた人だと聞いたので、晴れたことだし出かけてみた。これ、当たりでした。猫は、ポーズのリアルさがなんともいえない。変に可愛く誇張してないのに、「あるよあるよこういうポーズ」という感じで、顔がゆるんでしまう。猫だけでなく他にも、明らかに西洋絵画の影響を感じさせる忠臣蔵ものの絵とか、不思議なものがいろいろありました。
 読了本『犬として育てられた少年』 紀伊國屋書店 アメリカの児童精神科医が書いた、虐待が子供に与えるトラウマと、そこからの回復の過程を、具体例に基づいて平易に語った本。読み終えてから思わず、『原罪の庭』を取り出して再読してしまった。挙げられる事例はおおむね、ハッピーエンドではなくても希望の明るさを感じさせて終わる。ベビーシッターの家族から繰り返し性的な虐待を受けていた子も、母親が殺されるのを目撃した後で死体と共に放置されていた子も、犬の檻で暮らさせられていた子も、適切な対応によって失われていた能力のかなりの部分を回復し、成長の道を進み始める。例外は2人の少女を殺してレイプした18歳の少年で、彼は他人に共感と同情を覚える心を失っていて、医師は両親の無知から来る不幸なネグレクトの事実を突き止めるが、彼に失ったものを回復させることは出来ない。不幸な生い立ちを持ってしまった子供がこの少年のようになることは、パーセンテージとしてはそれほど高くはないが、そうなってしまったものを治療する道は、いまのところないのだ。

2010.04.23
 昨日は午前中ジムに行った後、友人の陶芸家天野緑が久しぶりの個展を開いているので、文京区西片町のスタジオを訪ねる。小学校中学校の頃からの知り合いだから、いい加減古い。見かけはお互い変わったが、頭の中身はあまり変わっていない、だろうか。というのは、自分は大学生くらいからは変わっていないとは思うものの、さすがに中学生以前だと地続きという感じがしないからだ。もっとも天野の方は、作品を見ても男前というか、思い切りが良く勢いがあるというか、その点昔のままだという気がするのだが、自分のことというのはよくわからないので、あちらから見れば「お前も同じ」といわれるかもしれない。「昔からそうだよ」。いや、その「そう」の中身がわかんない。うじうじといじけっぽいとかかな。
 帰りに池袋の西武で関西の有名店「551蓬莱」の豚まんの店が出ているというので、7階まで上がってみるとすごい人出。最近のデパートでこんなに人が多いの見たことない。そしてお目当ての豚まんのところは一番の大行列。篠田は行列は嫌いです。しかしここまで来て諦めるのも癪だというわけで、並びましたよ、なんと1時間近く。そうして手に入れたそのものは・・・うーん、並んで悔いなし、また食べたい、という−どのことはなかったな。これなら中華街の永楽の方が美味かも。
 今日は朝から西武に行って、本屋と無印で買い物をした後東長崎に回り、眼科と婦人科、医者のはしご。どちらもほとんど自覚症状があるわけではないので、なんやめんどうだなー、と思いつつ、視力と眼圧の検査。さらに血圧に血液検査に骨密度。でもまあ、あと20年くらいは生きるつもりなんで、仕方ないか。
 仕事場に戻って、サイトの篠田のトップ頁を全然直していなかったことに気が付く。あわてて直しました。とはいっても、ここで書いている以上のことはなにも載せてないんですが、刊行済みに上の2冊を並べ、予定の方に一応建築探偵のタイトルなど入れて、でも刊行予定日は勘弁。

2010.04.21
 友人が遊びに来て、当方地元のうどん屋から軽いハイキング、日帰り温泉、戻ってワインを飲みながら友人が持ってきてくれた映画鑑賞。最初の二本は中国物で、あとはクリストファー・リー主演の「吸血鬼ドラキュラ」第一作と「フランケンシュタインの逆襲」。最初の作品で吸血鬼と戦うヘルシング博士を演じるピーター・カッシングが、次の作品では人造人間創造のためには平気で人も殺すマッド・サイエンティストになっているのに、顔はまるで同じなのが珍妙。リーのドラキュラは「ああ、なるほど」だが、フランケンシュタインの怪物は、凶悪さなど全然なくひたすら哀れをそそる。しかし哀れと言えば「吸血鬼ドラキュラ」のあまりにチープなセットや、登場人物を削減し物語を短くまとめたシナリオも珍妙にして哀れか。だってこのドラキュラ城、どうみてもすぐご近所にありますぜ。
 今日は予報外れの上天気となったので、住宅街の中にあるハーブガーデンに散歩。ベランダにあるタイムがあまりに貧弱になってしまったので、新しい株を購入。そうしたらツレが今年のゴーヤ苗を購入してきたので、それも植え付け。昨年の「にがにがくん」がいまいちだったので、違うのを買ってくれといったら、やってきたのが「スーパーゴーヤ」と「ほろにがくん」。さて、どうなりますか。食べきれないほど出来たら嬉しいな。

2010.04.19
 昨日は牛すじカレーを作った。肉屋で安い牛すじを買い求め、一度ゆでこぼしてから二日ほどしつこく煮る。夜の間に固まった白い脂は可能な限りすくい取る。後は玉葱ニンジンを電子レンジに掛け、さらにニンニク、生姜トマト水煮、カレー粉、ヨーグルト、リンゴのすり下ろしなどを加えて火を通す。通常のカレーは脂の味が旨味になるが、ここは極力バターもサラダ油も使わず、カレー粉を炒めるのにグレープシードオイルを少々使うのみ。それでもコラーゲンの旨味でものたりなさはない。
 今日は横浜山手へ、PHPの雑誌でやる連載のための、イラスト代わりの写真撮影に。山手の洋館は水曜日に休みがあるので、月曜にしたのだが、他のものは月曜休みが多く、氷川丸に入り損ねた。なかなか一度で全部とは行きません。

2010.04.17
 メフィストで連載したミステリ風味のファンタジー『緑金書房午睡譚』が単行本になります。たぶん来週には書店店頭に。ただし部数が凶悪なほど少ないので、特に地方の方など手にとっていただくことは不可能だろうと思います。申し訳ありませんが、読んでやろうというお気持ちがありましたら、偶然の出会いを期待するのではなく本屋かネットでご注文下さいますよう。ISBN978−4−06−216175−6 1600円+税

 昨日は赤坂ACTシアターで新感線の「薔薇とサムライ」を見た。まあ、江戸時代の歌舞伎をいまによみがえらせたようなもの、とでもいいますか、手っ取り早くいえば生のマンガ。音と照明がとにかく派手。効果音が書き文字で背景に映し出されたり、緊迫した場面でベタフラッシュよろしく雷光が走ったり。ヒロイン天海祐希がなぜかベルバラのオスカルまんまの格好になるとか、黒髭に乙女ドレスの女装趣味海賊とか、くすぐりはたっぷり。歌と踊りはそれなり。場面転換は素早く、テンポはよく、物語の中身は、よくぞこれまでといいたいほどの無内容。でもつまらなくはない。けっこう楽しめる。江戸の人が見た歌舞伎というのは、きっとこんなようなものだったんだろう、と思ったわけ。テーマとか、思想とか、一切関係ない。ただひたすら見る人を楽しませる、それ以外はなんにもありませんといういさぎよさ。ファンになっちゃうとか、また行こうという気には、ならないけどね。

2010.04.15
 アマゾンのマケプレで山下りんとニコライ主教を主人公にした歴史小説を購入したのだが、これがいささか期待はずれ。山下がペテルブルグでは病気になるくらい伝統的なイコンを描くことを嫌ったはずなのに、日本に帰国してからは40年間イコン画家として活動したのはなぜか。彼女はロシア滞在中の日記が残されていて、そこで修道女たちとの葛藤の様子など生々しく書かれているのだが、その後はそうした真情の吐露もなく、内面はいわば謎に包まれている。どこかで劇的な回心があって、ロシア正教の信仰に目覚めイコン画家としての使命を自覚したならわかりやすいが、それを証し立てるものはなにもない。だから小説でその辺がどう書かれているのか興味があったのだが、はっきりいってごまかしてる。
 1998年に合った「山下りんとその時代展」の図録も買ったので、それを読んでいたら、たぶんこういうことなんではないのかな、という筋道は見えてきたが、これやっぱりどう考えても建築探偵には入らない話なんだよねえ。そしてちっとも劇的ではない。むしろ散文的。彼女は結局の所生活の手段として、イコン画家として生きていくことを選択したのではないかな、という。むろんそこにはニコライへの報恩、という意味もあったろう。そうして「いつか自分の本当に好きな絵を描けるような時が来るまで、まじめにイコンを描き続けよう。他の仕事をするよりはずっといいし」と思って働いた。女ひとり後で困らないように、こつこつ貯金もしながら。そして、恩あるニコライが病死して、ロシア革命で教会の財政が悪化したとき、60歳を過ぎていたりんはあっさり仕事を退いてふるさとの笠間に帰った。絵筆は筆立てに入れてずっと手元にあったが、彼女はふるさとではなにも描かなかったらしい。きっとそのときには「ああ、なんだ。もう私はいまから違う絵を描きたいという熱を持っていないな」ということになって、それはさびしかったかもしれないけど、「まあいいや」と坦々と受け入れたんだと思う。
 自由になったら、何でも好きなことが出来るような状況になったら、本当に描きたい絵を描こう。だからそれまでは我慢してでも、教会のために注文されたイコンを、お望みの描き方で描く。仕事だもの。そう心で思っていても、それが彼女にとって必ずしも苦痛であったわけではない。絵を描くことは好きだった。イコンだって絵には違いなかった。結局あの日々が私の画家としての営みだったんだなあ、と納得して、あとは20年のんびりと好きなお酒を飲みながら余生を過ごしたそうです。ね、劇的じゃないでしょう。

2010.04.14
 ソメイヨシノもようやく散りどき。しかし近所の散歩コースにある緑の桜、御衣黄だとばかり思っていたが、鬱金が正解らしい、はまだほとんど咲いていない。
 建築探偵のために手元に集めていた本があらかた読み終えたので、建築探偵の既刊本読み返しを開始。最初の『未明の家』から読み出そうかと思っていたが、それだと自己嫌悪で焦げ付く可能性があるので、桜井京介のキャラが濃厚に出ているのだけ読もうと思い、第2部ラストの『失楽の街』と第3部最初の『胡蝶の鏡』を読み返して付箋を貼る。最近自分の小説はあまり読み返さないので、かなり久しぶりなり。
 次から始まるジャーロのゴシック・ロマンス第3作だが、最初の章を140枚書いてしまったら、2分割で掲載させてくれといわれ、それなら今年の分は終わったぜと思っていたところが、やっぱり一挙掲載で、という話になる。なんか、そうなると年の後半がけっこう忙しいな。しかし、新刊の初版部数が泣きたいほど少なくなっているので、忙しいことを嘆く理由はないっていうか、働ける内に働けや、自分、であります。

2010.04.12
 昨日は汗ばむ気候で今日はまた雨のぶるぶる日和。なにもこう律儀に、上がったり下がったりを繰り返さなくても良さそうなものだ。昨日は名残の桜を見に近くを散歩したが、今日は仕事場を出ずにひたすら建築探偵のための読書。新しく買い求めた本もあり、以前買っておいた本の再読もあり。そして資料読みというのは芋づる式に繋がっていくものなので、こっちは小説には関係ないよなあ、と思いながら、知識の隙間を埋める本をまたネットで検索して注文してしまったり。
 ロシア関係、東方正教会関係の本を読んでいると、皆川博子先生の長編『冬の旅人』のモデルとなった日本人画家山下りんの名前が出てきて、この人の描いたイコンはたくさん残されてはいるのだが、絵としてはどうも弱い。いっちゃなんだが、いまでも教会関係の書店に行くと売られている、なんだか変に甘ったるくて感傷的なイエスやマリアや天使の絵、あんな感じなんである。つまり、我々がイコンといって真っ先に思い浮かべる、あの中世的でアンリアルな、しかし力強い絵とは違うのね。
 その辺の話に深入りすると長くなるし、現物を見せないまま絵について語るのもむなしいから止めるが、作品の弱さに反してこの人の生涯は面白い。明治八年に茨城の田舎に生まれた少女が、「絵が描きたい」という思いひとつで上京、浮世絵師の弟子になったが満足できず、東京美術学校に入学。しかしイタリア人教師のフォンタネージが病気で帰国してしまうと、後任のお雇い外国人は「下手」といって学校を止め、そこで知り合った女性の招きで正教会の洗礼を受け、ロシアの女子修道院に行けば絵の勉強が出来るというのでペテルブルグへ渡る。ここでもいろいろ思うに任せぬ事があって、修道女たちと対立したり、鬱勃たる怒りのあまり病気になったりして二年で帰国し、一時教会を離れるが結局その後数十年は正教会のイコン画家として勤務。60過ぎで故郷に隠棲してからは絵筆も取らず、独り身の悠々自適を二十年楽しんで没した。
 皆川先生の作品のヒロインの、デーモニッシュな激しさはないが、こちらのヒロインもなかなか魅力的な感じはする。茨城県笠間には彼女の遺品を集めた資料館があると、先日焼き物を見に行ったときに初めて知ったのだが、ときどきしか開館していなくて見損ねた。書くことはないと思うけど、今度は開館日に合わせて行こうと思っております。

2010.04.10
 このところ建築探偵のための本読みをしている。長編の場合は特に、漠然と世界が見えてきたら、それと関係のありそうな本をまとめて積み上げて片端から読んでいく。読む内に連想で「あれも」「これも」ということになり、本棚を引っかき回したり本屋に走ったりする。そうして読んだ本の「ここ」という箇所はメモを取ったり付箋を付けたりするが、それでその本を片づけてしまっていいものではなく、結果として開いたままの本や地図が仕事場の床に広がっていくことになる。足の踏み場もないというのは大げさだが、場所によっては踏み場に迷うかなというくらいには。前途遼遠なり。

2010.04.08
 昨日もついでがあって電車に乗る。予定は午後なので、横浜の歴史博物館に建築立面図展の展示替えした後半を見に行く。フリーハンドで引かれた直線の微妙な波打ちの美しさにうっとり。それからちょっと銀座を回って池袋、講談社の担当K氏と会う。不景気な話題しか出ない雑談には、もはや苦笑するしかない。驚いたのはミステリーランドのシリーズ(篠田が『魔女の死んだ家』を書いたやつ)が今年いっぱいでおしまいになるということ、それも理由が予想外だった。本文用紙がメーカーで製造中止になってしまうからなのだと。装丁家の祖父江慎氏が選んだ、わずかにクリーム色がかったマットで柔らかな質感のとてもいい感じの紙。いまどんどんこうして、本の本文用紙が無くなっているのだという。それにつけてもこのシリーズは、私にとっては、そしてそれ以上に新本格ミステリにとって、無くてはならぬ人だった編集者宇山さんの最後の仕事だと思えば、それが新刊も出せなくなる、既刊本も増刷は不可能になる、それもこんな理由でというのが、無念としかいいようがない。
 アマゾンのキンドルは、少なくとも日本ではそう簡単に普及しないだろう、というのも出た話題だった。篠田は元々保守的な人間で、ケータイ小説は無論のこと、長いテキストをパソコンの画面上で読むのも基本的に好きではない。原稿はパソコンで書くが、読み直しは必ずプリントしないとダメ。だからそういうものを購入するつもりはまずないものの、やはりこれって欧米的な書物の享受のしかただと思う。そもそもペーパーバックというやつには、本としての美しさや完成度ってないでしょう。本文は裏移りのするようなざら紙で、そこにただひたすらテキストが黒く印刷されているだけで、あれならキンドルの方が読みやすいよ、ということはあるだろう。それにアルファベットは漢字より、画数が全然少なくて単純で、横書きだし。まあ、技術というのは需要があれば進歩するものだし、その程度の困難はあっさり乗り越えられて、紙の本は趣味的な贅沢品という社会があっという間に来るのかもしれないが、できるだけ遅くあってくれ。
 それはともかく、講談社ミステリーランドを、欲しいけど高いからどうしよう、なんて迷っている人がいたら、いまのうちにネット本屋ででも購入して置いた方がいいですよ。いまのところ島田、綾辻、森の三大だけはノベルスになっているが、今の状況だと果たしていつか文庫に降りるか、そのへんも怪しいんじゃないかな。

2010.04.06
 昨日はあいにくのお天気だったが、ついでがあったので東京に出て、雨の桜を愛でた。花の下で宴会をするつもりでなければ、人の少ない雨の日もまた良きかな、である。今日は貴重な晴れ日だというので、仕事場近辺を散歩して、桜巡り。河原にある日本蕎麦屋で天せいろ。昨日王子の立ち飲み屋で、おでんを食べながら昼からコップ酒をやったので、今日はアルコールは自粛。若い頃は桜なんて大して面白いとも思わなかった、というか、我々の時代の若者は、大人がもてはやすものを「通俗」として排斥して当然、という感覚があった。桜とか富士山とか、俗だし、なんだか右翼っぽくて、ださいとしか思えなかった。この歳になってようやく、年々歳々花相似たり歳々年々人同じからず、の思いと共に季節の美しさを素直にむさぼる気持ちを持てた。
 自宅に戻ったらマイミクさんの日記で佐藤史生さんの訃報を知り愕然。1月に宮城まで原画展を見に行った漫画家さんです。なんで新作が出ず、こうもぱったり消えてしまったのかと思ったら、ご病気だったのだ。展覧会場には、そんなことを予期させるものはなにもなかっただが。東京で追悼展をやって欲しいぞ。作品も再刊して欲しいぞ。時代に先駆けすぎた作家だと、宮城行き前に手持ちの本をまとめて再読して、つくづくと思った。このま埋もれてしまうのは、惜しい。
 それにしても、ほぼ同世代の死はひときわこたえる。季節は巡っても人生は巡らない。やばい。ふらふらしている場合ではないぞ、と思いつつ、だがそのふらふらする気分すら、いま、56歳の自分の現実としてある意味愛しい。生きることは老いること、出来ることを少しずつ手放して死への準備を整えること。全てを受け入れ、満喫しながら、ゆっくりと、いつか終わる人生の下り坂道を一歩一歩味わい尽くすしかないなあ。物書きとしては、いつもこれが最後の一作のつもりで。
 読了本『オオカミ少女はいなかった 心理学の神話をめぐる冒険』 鈴木光太郎 オオカミに育てられた少女の話といえば『ガラスの仮面』の作中劇を思い出してしまうが、少し常識的に考えてみればおよそありそうもないこの話が、日本の心理学の教科書には未だに実話として書かれているんだそうだ。他にも信憑性に乏しいのに、なぜか一般にというより学会的にも漠然と信じられているたぐいの話、サブリミナル効果でポップコーンが売れたとか、幾何学的錯視は遠近法を知らない未開人には起こらないとか、そういう「神話」を解体する本。結論はいずれも妥当で、片口は平明だが、冒険というほどスリリングな感じはしない。まあ読み物としては面白いし、「へえー」とは思える。それにしちゃ本が高いけど。2600円は、いくらなんでもね。
 『さくら』 野呂希一写真 浅利政俊解説 青菁社 桜の写真集といっても、風景写真だけでなく、桜の品種を解説してアップの花が多数載せられている。その名前が実に優美。楊貴妃、胡蝶、衣通姫、朱雀、琴平、九重、泰山府君、御車返・・・今度また函館に行くのだが、松前にも足を伸ばすつもり。ここには桜見本園といって、桜の品種を多数集めた庭があるそうな。花期がずれるので、5月でもいろいろ見られそう。どうかここでは、花見につきものの下卑た騒音があまりありませんように。

2010.04.04
 取材旅行のプランを立て終え、例によって陸路なので指定券は一ヶ月前にならないと取れないが、ホテルの予約は入れた。困惑したのは前回泊まった、古い銀行をホテルに改造したニューハコダテが潰れたらしいことで、じゃあどこに泊まろうかと迷うので結構時間を取られた。ここは部屋は昔ヨーロッパで泊まったほどほどに古びてぼろい安ホテルを思い出させる空気に満ちていて、シングルが4500円から5500円で、コーヒーと牛乳、パン程度の簡単な朝食がセルフで食べられる上、場所も旧市街でとても良かったのだが、そうでないとなるとほとんどのホテルは鉄道駅近くに集まっていて、値段もそれなりにする。ペンションならシングルがあるところはわりと安いのだが、心配なのは住環境。1泊だけならどんなところでもかまわないのだが、途中で移るのはやっかいだし、篠田はひとり旅の場合は特に、部屋でごろっちゃらしている時間が長い。豪華な部屋は必要ないが、最低限隣室の声が丸聞こえになるほどうるさくないこと、デスクがあって読み書きに困らない程度の照明があることが必要。
 というわけで、その辺に不安のあるペンションは見送って、前にツレとフリーツアーで使ったウイニングホテルに決めた。ここは元のニューハコダテの並び。ニューハコダテは真裏に焼き鳥弁当のハセガワストアと、ラッキーピエロが並んでいるのが最高だったが、ここもまあ近い。驚くのは同じビルの中に北島三郎記念館が入っていて、ガイドブックの写真によると紅白歌合戦みたいな派手なパフォーマンスをする展示があるらしいのだが、前はもちろん行かなかった。今回も、行かないと思う。少なくとも、桜井京介と北島三郎は、まあ、これほど似合わないものもちょっとないわなー。
 読了本『歪み真珠』 山尾悠子 国書刊行会 この装丁美しい一冊には、一緒の補助線として『澁澤龍彦 ドラコニア・ワールド』 集英社新書ヴィジュアル版 を並べ置こう。今は無き季刊幻想文学の小説賞選評で、澁澤は「もっと幾何学的精神を」と言上げた。自らを永遠の少年として生き、逝った彼が山尾の一冊を手にしたなら、少年的幾何学精神と少女的エロスを一身に具えた作者の姿をそこに見出して、妬ましさに歯噛みせずにはおれなかったのではあるまいか。

2010.04.02
 ようやっと仕事場の周辺でも桜がほころびはじめた。東京と開花がここまでずれるのも珍しい気がする。今日は雨風それほどひどくならなくて、いくらか暖かくは感じたけど、夜になるとまたひやひや感じる。これだとちょっと外で酒を飲む気分にはならないなあ。
 建築探偵を書き出すのに、やっぱりもう一度函館まで取材に行こうかなあと思って、昨日からガイドブックや時刻表、ネットもいろいろ調べている。なにを取材に行くというはっきりした目的がない、漠然としたものだから、ひとりでふららと行くしかない。そうすると、「あ、ここのサテンでお茶飲もう」「お、これ美味そう」などということになって、何が取材だよ、と自分につっこまずにはいられなくなるんだけど。
 読了本『六コの躯』 三津田信三 角川ホラー文庫 最近めっきり読みやすさと小説の面白さが加わってきた三津田さんの新作。あんまり怖くないので、ホラーが苦手な方にも安心してお勧め。猫が出ます。猫が可愛いです。袖写真の、作者の膝で耳平らになっている子は三津田さんちの子なのだろうか。