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2010.03.31
 今日は友人を案内して千駄木の安田邸へ。安田財閥創始者の子と孫が住んだ家だが、決して豪邸ではなく、接客についても考えられてはいるが、家族の住まいとしての性格もきちんと具えているところが、大正らしいといえる家。庭のしだれ桜を見せたくてこの季節にした。お客さんが多いので、いささかせわしなくなってしまうのだが、それでもこの桜は一見の価値がある。二階の座敷の窓枠が額縁となって絢爛。今回はここでお抹茶と桜の花の塩漬けを載せたおまんじゅうがいただけて、その緑の色の美しさにほれぼれとする。
 そこから根津神社、S字坂を通って東大本郷キャンパスへ。安田講堂前地下の学食はちょうど時分時で混み合っていたので、友人の趣味に先につきあう。彼女はピンホール写真の愛好者なのであります。ランチは赤門ラーメン。茹でた中華麺と茹でもやしに麻婆のたれをかけたもので、見かけは真っ赤だが全然そんなに辛くはなくて、わりかしいけた。390円也。その後立原道造記念館に入ろうとしたらお休みで、仕方なく東大ミュージアムへ回る。こちらも展示が終わったばかりで会場が手前しか開いてなかったのが残念なり。生協の売店で「東京大学植物園のど飴」というのを購入して帰宅。構内に実ったぎんなん、かりん、ゆずを飴にしたもの。ぎんなんはほんとにそこはかとなくぎんなんの香りがしました。
 ちなみに東大生協では、東大せんべい、東大まんじゅう、東大クッキー、東大ゴーフル、東大ワインなんてものも売っております。子弟がみごと難関を突破したら、親御さんがふるさと土産に大量購入、とかするのでありましょうかね。ラベルのださっぽさが、なんとなくそんな感じを思わせました。

2010.03.29
 ジャーロ編集部に問い合わせてみた。ジャーロはこの春の号がお休みになったので、次号からリニューアルだとばかり思っていたのだが、次の号は6月でこれは季刊の夏号の日付なんだそうだ。その次が11月発売で、年三回は3月7月11月になるのだという。しかし篠田の新連載は6月号からでいいんだそうで、でも140枚なら二度に分けさせて欲しいというお話。つまり140枚でジャーロの今年分の仕事は済んだというわけで、取り敢えず送稿する。明日は続きについていま思いついていることをメモって、31日は文京区千駄木の安田邸にしだれ桜を見に行く予定だが、この寒さはいったいなに? 身体が強ばって寒さで疲れてしまうよ。

2010.03.28
 昨日と今日でジャーロの原稿を修正。ほぼ140枚。一度に載せてもらえるか、分けないとならないかは聞いてみないと判らない。
 読了本『こぼれおちる刻の汀』 西澤保彦 講談社 西澤さんの初期ミステリは非常に奇矯なSF的設定のある世界で起きるものがほとんどだった。しかしそれは特殊ルールのもとでのミステリを書くために持ち込まれたもので、SFではなくあくまでミステリだと思って読んだ。しかし今回の話はデビュー前に西澤さんが書いた2本のSF短編と、1本の本格ミステリを融合させておちをつけるという、他にない成り立ちを持っていて、ミステリ部分は非常に特殊な殺人動機が物語のキーとなるという、これまた西澤ミステリのひとつの特徴をはっきり見せているのだが、出来上がった作品全体の印象はSFだと感じさせる。なにゆえかという話をし始めると、すごく字数が必要そうなので、ここではパス。しかしこれが西澤作品の原点だと思う。帯には「西澤保彦の最終到達点」とあるが、まだ生きている現役作家に対しては、これは不的確な、はっきりいったら失礼なコピーではないか?
 『西洋挿絵見聞録 製本・挿絵・蔵書票』 気谷誠 アーツアンドクラフツ 古本屋を舞台にしたファンタジーを描いて、改めて新刊書と古書は別物と考えなくてはなるまいと思い至った。新刊書は数物であり、通常の商品に近いが、古書は基本的に複数そろえることが難しい1点物だ。新古書店は別としてだが。印刷本の登場は安価に複数の書籍が得られるという意味で、手写本の時代から大きな変革をもたらしたわけだが、西欧においては印刷は基本的に本文にのみ適応されるもので、それに購入者はそれぞれ自分の好みの装丁をほどこして書物を完成させた。つまりそこにおいて、本は再び唯一無二の存在になる。そのような存在としての本を愛する著者による、豪奢な1点物としての本たちの物語。もはやここには戻れないし、本がそのような絢爛たる存在であることを止めたからこそ、自分たち庶民は本を享受できるわけだが、そのような存在があることも忘れたくはないと思う。

2010.03.26
 花冷えにしても寒すぎるんではないの。昼間晴れた時は気温が上がってきたと思ったが、夕方になったらまた寒く、しかも雨。ぶるぶるぶる。
 今日は横浜の歴史博物館に「彩色立面図に見る日本の近代建築」という展示を見に行ってきた。岡義男という建築家が、現況と図面資料から描き起こした立面図が写真と共に展示されていて、しかしその絵が有機的に味があると思ったら、線が全てフリーハンドなのだった。建築には当然縦線横線直線がいくらもあるが、フリーで引かれた線の微妙な揺らぎが絵に息吹を与えている感じ。ミュージアムショップには横浜の建築、歴史関係の資料がたくさんあり、またまた散財してしまう。PHPの短編連作は一応横浜が舞台だから、と自分に言い訳しつつ、こういう本を買うことが好きなんだね。
 読了本『プロカウンセラーの聞く技術』 東山紘久 創元社 ほとんどの人は聞くより話す方が好き、と著者はいう。そうだな、と自分の実感からも思う。しかし篠田はわりと、人の話を聞くのが好き。愚痴を聞かされるのは苦手だけど、その人が好きなことや興味を持っていることを一生懸命語る、それを聞くのは楽しい。自分の知らないことや普段は興味を持てないことを、そうして聞くのは面白いと感じる。だからまあ、カウンセラーの人が相手の悩み事や愚痴を聞いてあげるのとは、決して同じではないんだけど、逆に自分が語るのはそんなに好きではない。悩みの告白や愚痴も、自分がしゃべるのと人のを聞くのと、どっちがいいといわれたら、聞く方がいいと思ってしまう。自分はいいたくない。なぜなのだろう。昔、親に愚痴ったら説教で返された苦い思い出なんてのもあるけど、まあそれがトラウマになったというほど大げさなものではないだろう。
 私見によれば、人の欲望は詰まるところ「自己を表現したい。そしてその表現した自己を他人に肯定して欲しい」ということに尽きると思う。しゃべって聞いて欲しいというのも、まさしくこれだ。篠田に「表現したい、受容されたい」という欲望がないわけではない。いや、むしろ人よりそれは強いだろう。しかしその欲望は、小説を書いて刊行する、という形で達成されているのだ。おしゃべりによる表現よりも、小説による表現の方が自分には向いていると思うからそうしているというだけのこと。聞いて欲しいなら、聞きたいと思って貰うテクニックと内容を身につけないと、と考える方が自分の気持ちにかなう。
 秋葉原の事件の犯人の、ケータイサイトに残した書き込み。聞いて欲しい、受け入れて欲しいと赤裸々に思いながら、テクも内容もない書き込みしかできず、ひとりでふてくされたあげくに暴発した馬鹿な男の子のことを、いまもときどき考える。彼こそしゃべる技術、表現する技術を身につけて欲しかったと。

2010.03.25
 伊豆の温泉に行ってきた。水仙がたくさん咲いていた。桜もソメイヨシノではない山桜がかなり咲いていた。天気はいまいちだったが、やはり伊豆は暖かいと思ったら、雨になって、今日はまたすごく寒い。花冷えなどということばもあるが、東京の開花宣言が出た後に、夜ならともかく昼間からこんなに寒いなんてあるだろうかと、首をひねってしまう。
 読了本『コティングリー妖精事件』 ジョー・クーパー 朝日新聞社 1917年のイギリスで少女たちが妖精を写真に撮った。これが評判になって、心霊科学にいれこんでいたコナン・ドイルが真物と折り紙を付けたりしたのだが、その女性が晩年の1982年になって妖精の絵を紙に書いて切り抜いてハットピンで固定して撮影したと告白した、というのがその事件。著者は妖精ビリーバーで、晩年の2人の女性と面識があり、マスコミへの発表に先だって写真のトリックについて告白を受けている。写真はトリックだが妖精は実際にいたし、見た、というのが彼女の主張で、著者もそれを肯定しているらしいが、妙にごたごたと整理の悪い書きぶりで、時間が行ったり来たりして読みづらい。
 問題の写真については、フェルメールの贋作と同じような物で、つまり今の目で見るとなんでこんなものを立派な大人が本気で信じたのか、そちらの方が不思議な感じがする。絵に描いたようにしか見えない。もちろん写真がトリックであることと、彼女たちがなにかを見た、少なくとも見たと信じたことと、伝説に語られているような妖精が実在することは、全然直結しない。妖精が物質的な存在でないなら、写真に撮られることはなさそうだし、写らないからいないということにもならないだろう。人は物質的に存在しないものを見ることが出来るし、その人にしか見えないから存在しないといってしまったところでなにがわかるものでもない。要するに霊の存在と同様、それは世界を認識する方法の差なのだと思う。

2010.03.22
 天気がいいときは出来るだけ1時間くらい散歩して、お寺の池の鯉と亀におふをやったり、ハイキング未満の山の下を歩いたり、公園で桜のつぼみの具合を確かめたりするのだが、今日はなんとか今日中にジャーロの第一回を書き終えてしまいたくて、でかけずにがんばる。でも、夕飯のためにパンも焼く。テキストではバゲットも焼けることになっているのだが、うちのオーブンはやはり小さくて思うようにいかない。ま、オーブンのせいにしておこう。今日は普通のバゲットではなく、水種を使ったポーランド風のバゲットというのをやってみたら、これがいままでで一番美味しくできたのでほっとする。原稿もどうやら予定していた最後までたどりつき、しかし現時点で130枚超えていて、書き直すともう少し増えるだろう。さて、新生ジャーロはキャパはどれくらいなのかしらん。

2010.03.20
 最近日記が滞りがちで相済まぬ。別にあまり変わったことはしていないので、仕事はジャーロの第一回がもう少しというか、まだ終わらないというか、ずるずる伸びている。あまり伸びると、二度に分けないとまずいかも。先日は神奈川県葉山の美術館に出かけ、せっかくここまで来たのだからと新江ノ島水族館に行ってクラゲを見てきた。クラゲのゆああんゆああんとした漂いぶりはなかなか好きで、飼えるものなら飼ってみたいくらいだが、わりとすぐ死ぬらしいので無理だろう。しらすとアジフライを買って帰った。今日は散歩した他はクルミ入りのパン、ノアを焼いて、それからバターを作った。
 どうやるかというと、出来るだけ脂肪分の多い生クリームを買って、空き瓶に入れて後はひたすら振るのである。5分くらい振ると堅く泡立てた時のようになって、瓶の内側にへばりつくが、これはまだ序の口なので、まだまだひたすら振る。15分経過してもあまり状況に変化はなく、このへんでかなりイヤになってくるので、少し休んでまた振る。するとどこかの時点で突然手応えが変わってくる。ふたを開けて覗いてみると、クリームがでこぼこしてきている。あの、ホイップクリームをつくるとき泡立てすぎるともろもろになるから注意、というその状態である。さらに振る。と、個体と液体が分離して、じゅっぽんじゅっぽんというような音がしてくる。そうしたら液体はコップに移して、いましばし振ってから冷蔵庫に入れる。できたてのバターは美味です。ついでに分離したミルクも美味です。最初に塩を入れれば有塩バターになるが、無塩のままパンにたっぷり載せて食べる方がよろしいかと。
 通販のカタログにスイッチオンで生クリームがバターになる機械が載っていたが、30分空き瓶を振り回す根性があればそんな機械は要らない。たまの楽しみ。最近料理などでは出来るだけバターは使わないようにしているのだが、パンに載っける時とパンケーキに載っける時ははいたしかたない。
 読了本『黒十字の騎士』 パタースン ヴィレッジブックス 12世紀のヨーロッパ。自由身分になれることを当て込んで十字軍に参加した村の男が、命からがら逃げ出して故郷の村に帰ってみると、妻は正体不明の黒い騎士団に誘拐されて行方知れず。非道な領主がやったに違いない、なんとしても彼女を助け出すと決めた男は怒りのままに森を突っ走り、イノシシにやられて瀕死のとき、突然現れた美しい貴婦人に助けられて城へ連れて行かれ看病を受ける。歴史小説というよりおとぎ話。登場人物が全部現代人。途中まではこの話はきっとSFで、ヒロインはタイムスリップしてきた21世紀人に違いないと信じて読んでいた。しかしこの設定で中世のリアルをやると、主人公の行く手には悲惨な運命しか待っていないことは明白で、そんなものは誰も読みたくないだろう。おとぎ話だからこそ主人公の冒険は成功し、怪我はしても破傷風にもならず、めでたしめでたしで終わるのでありました。

2010.03.17
 昨日はジャーロを続けてかなり進んだ。今日は猫好きの姉と横浜の大佛次郎記念館に行く。『鞍馬天狗』の作家大佛次郎は猫が好きで、猫本や猫グッズの収集もしていた。その一部を記念館で見ることが出来る。猫と写っている写真もあるが、みんなとてもくつろいだいい顔。ハンサムな作家さんだった。飼い猫が15匹になってしまい、これ以上増えたら俺は家を出るぞと奥さんに宣言した。ある日台所でご飯を食べる猫を数えたら16匹いたので、「俺は家を出るぞ」といったところ、奥さんはすました顔で「あれはお客です。ご飯を食べたら帰ります」といった、というエピソードは、何度聞いても笑ってしまう。記念館の建物も和洋折衷の不思議な建築だが、窓から外を見たら日向に三毛が香箱をしていた。帰りは中華街に降りてランチを食べ、食品屋や骨董屋をひやかす。横浜は、いつ行っても好きな町です。

2010.03.15
 ジャーロをやっている。遅々として、それでも進行中。今日は他に白神こだま酵母でパン・ド・カンパーニュを作成。発酵の具合はいままでで一番うまくいったが、こねは機械にやらせてこちらはほとんどなにもしていない。なにもしていないほうがうまくできるって???
 読了本『サツキとメイの家のつくり方』 ぴあ 愛知万博に建てられた、アニメ『となりのトトロ』の家、実現されたそのディテールから実現の過程を詳述。写真、図面多数。なるほど、フィクションの中の建物を実際に造るというのは大変なことなんだわあと改めて感心した次第。
 『ひとり百物語 怪談実話集』 立原透耶 メディアファクトリー これがすべて本当だと作者が感じていることだというのを前提にして思うのだけれど、自分、霊とか見えなくて良かったなあとつくづく思います。信じない、見られるものなら見てみたいというようなことをいう人が、恐ろしい思いをするという話もいくつか登場していたが、見たくないです。見てもいいことは特になさそうだし、死は事象の地平線の彼方であって、その向こうからは何者も戻ってこないという、自分の信念が覆されるような体験は要らない。

2010.03.12
 昨日からまたジャーロの方に戻ろうとして、1982年の時刻表など眺め始めたのだが、一度離れた頭がなかなか戻らず、つい別のことばかり考えてしまう。こういうときは以前に考えかけて放置していた小説の構想や、いまだ海のものとも山のものとも知れぬ新作の漠然たるイメージがふわふわと頭の中に漂い出したりするものなり。
 今日はチケットをもらった丸ビルの「日本クラフト展」というのに行ってきました。暖かで、銀座木村屋の二階のカフェでサンドイッチとビールのランチ。ああもう、明日から真面目に働かないとっ。

2010.03.10
 今日で、まだ連載開始は遥か先のホテル・メランコリアについての作業をひとまず終えて、明日からジャーロに戻る。第二作も編集さんにはまずOKをいただけたのでほっとする。ついでに第一作の方も、雑誌の字組で手入れを済ませておく。今日は他にはキャベツもみとパンを作る。キャベツもみは大量のキャベツを生のまま嵩を減らして、つまりたくさん食べられる簡単料理で、要は千切りにしたキャベツをボールの中で揉む。塩分は、普通の塩でもいいが、醤油でもいいし、しょっぱすぎてもてあました佃煮とか瓶詰めのたぐいでもいい。篠田はよく梅干しを使う。コツは塩分控えめにすること。しょっぱすぎたら食べられないからね。あとは風味付けにショウガの千切りとか青じそとか、味付けにおかかやしらすを入れてもよし。腹一杯食べても低カロリーだよ。
 パンは先日はコーンパンが美味しくできた。前に粒コーンの水切りが足りなくてもっちりしたパンになってしまったので、ペーパータオルなどでしつこく絞った。香り付けにサフラン水を使うので、ちょっとエキゾチック。これが砂糖と醤油の煮物の汁にも不思議とマッチする。今日は白神こだま酵母に全粒分と強力粉、本来は干しイチジクを使うのだが、干し杏が残っていたのでこれをほりこむ。チーズと合いそうだ。
 読了本『水魑の如き沈むもの』 三津田信三 原書房 篠田は正直日本の田舎の閉鎖的な村社会を舞台にした、因習おどろおどろのミステリは苦手である。好き嫌いの問題だからそこは如何ともしがたい。三津田さんのそっち方面の作品も読んでいるが、読んでもやっぱり苦手である。登場人物が多すぎて、誰が誰やら判らなくなるし、なんか世界が把握しにくい。しかし本作はそんなことはなかった、実に読みやすくわかりやすく、かつ人間関係も理解しやすく場面の映像も浮かんだ。おとろおどろが苦手なあなたも、これなら大丈夫。

2010.03.08
 最近我が家のリビングのエアコンが夜中に勝手に点いているという怪奇現象が立て続けに起き、昨夜もそれで目が覚まされてから眠れず、不調。頭痛がすると思ったら顔がほてって夕刻血圧高し。しかし連作ホテル・メランコリアの第2作を一応書き終え手入れも一度。明日もう一度読み直したら完成ってことで。書きたくなったものを、一番書きたい時に書けるというのはまことに有り難し。

 読了本『戦艦陸奥』 山田風太郎ミステリー傑作選の5巻、戦争編。といっても風太郎ミステリのほとんどすべてに、戦中から戦後に日本人が味わった体験が反映している。この巻には傑作の呼び声高い『太陽黒点』が収録されていて、これもまた戦中派と戦後派第一世代の戦いともいえる物語。後味は非常に良くないのだが、一読の価値有り。
 『極限脱出 9時間9人9の扉 オルタナ上下』 黒田研二 講談社BOX ゲームの小説化らしいが、そのゲームは全然知らないので、黒田さんの功績がどれくらいの割合になるのかがわからない。知らないことを考えずに読むと、ミステリとしてちゃんと面白かった。誘拐されて集められた人間が否応なく自分の命をかけて脱出ゲームをさせられるというのは、なんかもうやたらとある設定なので、ああまたかと思ってしまうが、読み終わればちゃんと意表を突く展開と結末になっている。それ以上のことは意外感を殺ぐことにしかならないので黙っておこう。しかし1400円の上下巻というのはずいぶん高い気がする。ラノベの文庫で出せば半分以下だろうに。箱入りといってもなんだか安っぽいし、イラストはとんでもなくヘタクソだし、内容が良かった分なんだかパッケージのマイナス感がもったいないなと思ってしまいました。ごめん、A元くん。ババアの感想よん。

2010.03.06
 昨日ポカポカ今日は曇りと雨。もう天気を嘆くのもまんねりですなあ。昨日はちょとわけあって不眠。朝起きたら血圧高し。完全にストレスゆえだが、だからといって降圧剤を飲む以外に出来ることはない。もちろん自分が悪くてこういうことが起きている可能性はあるのだが、どこがどう悪くてどうかすればリカバリの道があるのかどうか、考えても眠れないばかりでさっぱりわからないのだから考えるだけ無駄。不眠になると集中力が落ちて、なかなかパソコンの前に座れなくなるのだが、座ってどうにかネジを巻けば原稿を進捗するので、それでよしとすることにする。ここは基本的に読者のためのサービス頁なのだが、ちいともサービスにならないようなダルな話題ばかりで誠に相済まん。と、とにかく仕事はしています。

2010.03.04
 昨日は暖かくて今日はまた寒い。で、明日は20度を超え、週末はまた寒いんだって。皆様お身体ダイジョーブ?
 昨日は江戸川競艇場に行った。別にボートレースのギャンブルをしにいったわけではなく、そこの指定席ラウンジとかに展示されているコンテンポラリ・アートを見に行ったのである。コンテンポラリといっても「なにがいいたいのかまるでわからん」というようなものではなく、現代版覗きからくりとか、自動人形オルゴールとか、万華鏡とかそういったもの。桑原弘明さんの極小からくりは、まるで乱歩の「押し絵と旅する男」をいまに再現するとしたらこれか、というようなものだよ、と聞いて、ぜひ見てみたかったのだ。
 しかしそれはなんと4000円出さないと入れないプレミアムラウンジというところに展示されていて、ただしお安く見る方法がありますというのが予約して行くアートツアーというもの。案内役のお姉さんに連れられて、説明を聞きながらそのプレミアムラウンジの一角にちまちまと置かれたアートを見学し、外に出て今度は一般客で雑踏する投票所に飾られた映画ポスターやホーロー看板を見、今度は2000円なりの指定席ラウンジに上がって、そこにも展示されている左官アートの作品などを眺め、さらに競艇の賭のやり方についてレクチャーを受ける。つまり競艇場の宣伝を目的とした企画なわけだ。
 案内がついているということは、好きに見物は出来ないので、それがいささかカッタルイ。しかし料金1000円也で、パンフレットと絵はがきとボールペンのおまけがつき、1000円相当のお昼ご飯がつき、あとは自販機の飲み物飲み放題の2000円のラウンジと指定席を、どうぞ本日のゲームが終わるまでご利用下さいというのだから、コストパフォーマンスとしては充分でしょう。建物は新しいが雰囲気はうらぶれた地方競馬のようで、たむろするおっさんたちの向こうから予想屋の塩辛声が響く場末ムードと、コンテンポラリ・アートのミスマッチ感はすでにシュール。東京近郊の方にはお得感たっぷりでお勧めです。
 今日はまた少ホテル・メランコリアの短編を書き進めたが、1982年の時刻表も届いた。ううむ、この時代はすでに博多までは新幹線が伸びていたが、まだ車両にはビュッフェが標準装備だったのだなあ。東北本線は夜行列車が軒並みで、中には寝られないこと確実の寝台じゃないただの夜行急行八甲田なんてのも走っていて、北海道へ渡るのは当然青函連絡船だ。全然関係ないページまでつい舐めるように読みふけってしまい、にわかテツの血が騒ぐのでありました。仕事しろよ。

2010.03.02
 今日はやたら寒くてぶるぶる。こう毎日気温が変わると、身体がどうにかならないか心配である。今日は出かけようかなとも思ったのだが、あんまり寒いのでエアロバイクを友人から借りているDVDを見てしまう。中国の、武侠ものというんでしょうか、射ちょう英雄伝、ちょうの字が出ない。全11枚のドラマをやっとこさ見終えた。初めは歴史的背景も登場人物の関係も全然わからなくて、???(借りたからには見るしかないなー)だったけど、慣れると意外に楽しめました。
 主人公が愚直な青年で、それにやたら頭のいい、強い(技も性格も)、女の子が惚れてくっつく。この女の子、いわゆる「つんでれ」だが、「つん」が95%、つまり性格はきつくて悪い。しかし彼女はたぶん自分の性格がそうであることに自覚があって、それと正反対の、不器用で、お人好しで、人を裏切れない主人公のどんくささ、まさしくそういう部分に惚れている。だからラブの部分も「でれ」というのとはちょいと違っていて、「大好きなあんたがいつまでたっても頼りないから、あたしがなんとかしてあげなきゃダメじゃないよっ」という具合で、ラブ故にますます非常に雄々しいんである。
 一方主人公の美点は、自分がバカで不器用だという自覚があるので、女に助けられるのがみっともないなどとは思わない。助けてもらえることは「ありがとう」と素直に助けてもらい、でも依存するわけではなく自分なりにこつこつと努力を重ねる。主人公はいろいろ試練に遭うが、素直な愚かさ故にわりと師には恵まれる。で、彼女にも師にも、バカだあほだとことあるごとに罵られ、どつき回されながら、徐々に進歩して人間として成長していく。ドラマは「祖国への忠誠」や「親や師への孝養」といった、まったく現代的でない価値観で動かされるのだが、メインカップルがこのように現代的な関係なので、演歌を聴かされるようなうっとおしさはないんだと思う。
 明日は出かける予定で、明後日には82年の時刻表が届くのだが、ホテル・メランコリア連作の第2作のプロットがまとまったので、ちょいとだけ書き出した。連作短編を書くことを担当編集者のM森さんに、「自分の好きなものをいろいろあれこれ、小さな箱の中に詰めていって、会心の笑みを漏らすような気分」といったことがあるのだが、まさしくそういう感じで、なんだ、要するにこういうことがしたかったのか、といまさらのように思う。

 読了本『うさぎ幻化行』 北森鴻 東京創元社 北森さんの遺作となってしまった作品。音響技術者を巡る謎をメインに据えて、これまで北森さんが見せてくれた珍しい世界のきめ細かなディテールが物語の核となる。しかし読み終えてみると、中心部分の謎の解決はちょっと無理無理っぽいかなという印象が残ってしまった。なんとなく仕上がりが粗い感じ。このときはもうやはり体調が良くなかったんだろうか、などと考えたら、また悲しくなってきてしまった。