←2010

2010.02.28
 ゲラを終わらせて、データに反映させておしまい。牛乳パンはいまいちだったので、白神こだま酵母の食パンを冷蔵庫発酵させてみるが、成形発酵がいまいちで、これまでの出来映えに及ばず不本意なり。激辛数独の一番新しい巻は、また一段と難しくて三分の一くらい出来ないのが残ってしまう。それでも何度もトライしていると、出来るのもあって、今日はようやくまたひとつ完成。我ながらむなしいことをしているなと思う。しかし他人様の書いた小説を読みたくないし、資料も読みたくないときには、多少の気晴らしになる。

 読了本『蝦蟇倉市事件』1,2 東京創元社 70年代生まれの若いミステリ作家を集めた書き下ろし競作短編集。鎌倉をもじったらしき「蝦蟇倉」という海辺の小都市を舞台にしている。いわゆるシェアワールドものだが、作者たちが楽しんでいるというのは、よくわかる。読者が楽しいかというと、そのへんは微妙。共通の舞台になっている町が魅力的かというと、かなり首をかしげたいところがあって、なにしろ年間平均15件も不可能犯罪が起こって、警察に不可能犯罪課があって、名探偵が勤務しているという設定なのだから(名探偵が解決できたなら、それは不可能犯罪ではなくて単に知能犯罪では)、シリアスではなくもっぱらギャグっぽい作品にした方が、まだしもトーンがそろってよろしかったのではないか、という気がした。バラエティに富んでいるという言い方も出来るが、シリアスな話とバカミスがなまじ同じ舞台で起きているのが、靴の左右を取り違えて履いているような不快な違和感を覚えるのだ。
 『棺の中の悦楽』 山田風太郎 光文社文庫 池袋リブロは山風ミステリー傑作選の4以降を全然入れてくれないので、アマゾンで購入。これは「悽愴編」と銘打った山風ノワールの世界。敗戦後日本を舞台にいずれ劣らぬ無惨話ばかりだが、読み応えがっつりで、不思議と下劣なものは感じさせない。

2010.02.26
 天気は悪いが変にむあっと暖かい。コンビニ、ポスト、銀行のついでに少し散歩。気温が高いからパンの発酵も進むだろうかと久しぶりに牛乳パンを作るが、オーブンで温めても一次発酵が3時間かかる。ついでに台所に残っていた花豆を煮る。『緑金書房』の再校ゲラ届く。ジャーロの原稿は時刻表が届いてからと思っていて、その前にこっちのゲラを済ませるつもりだが、どうせ週末にかかるので今日はもう少しだけジャーロを進行させる。フィギュアスケート女子の成り行きが気になるが、仕事場にはテレビはないので、ネットで結果だけ確認。

2010.02.24
 ジャーロの連載、現在時点が1982年の1月なのだが、主人公たちが列車に乗ってある場所へ向かう場面が出てくる。昨年篠田も取材で同じ路線に乗ったのだが、考えてみればこのときはまだ国鉄の時代。時刻表も全然違っているだろうと思ったら、そのへんが気になってきてしまった。別に鉄道ミステリではないので、適当にごまかしてしまうかとも考えたのだが、古本の時刻表というのは売っていてそんなに高くはない。国会図書館に調べに行くことを考えたら、まあ買ってしまってもという程度の値段。物語に大きく関係するわけではないといっても、調べれば判ることを放置してしまうというのもあまりいいことではない気がするので、買うことにしました。それが手にはいるまでは、原稿の進捗もとどこおらざるを得ない。仕事場には捨て忘れた2000年の時刻表が転がっていたのだが、こりゃ捨てない方がよさそうだね。

2010.02.22
 昨日一昨日はいくらか暖かかったので、昼間は散歩に出かけた。今日はまた曇りだったので、部屋に籠もって一日仕事。ジャーロを書いている。その他は、こう寒いとパンの発酵があんまりうまくいかないので、去年煮た栗の渋皮煮にブランデーをかけて、パウンドケーキに焼き込んでみた。トラディッショナルなレシピでやったもんだから、かなり砂糖が多くて甘いケーキになったが、まあ、これはこれでいいとしよう。

2010.02.20
 昨日は二ヶ月に一度の医者の日。婦人科と眼科。いずれも自覚症状が特にあるわけでもないのに、ほんの数分の診察と薬のために時間を掛け少なからぬ金をかけることが嬉しくはなく、毎度なんとなく憮然とした気分になる。その後池袋でリブロと無印、銀座でパンの木村屋とわしたショップという、マンネリコースで帰宅。
 今日はジャーロを書き出すつもりだったが、ひと月前にやりかけたことはほぼ頭から抜けていて、どこから手を付けるつもりだったかも思い出せず。暖かいと言われた割に仕事場の室内は冷え切っているので、飯の買い物のついでに遠回りして散歩。坂道を早足で上がるといくらか発汗。戻って前に書いたノートを見直し、どうにかこうにか記憶を引きずり出す。

2010.02.18
 起きたら外はボタン雪。雪の朝に「わあい」と思うより「寒いー」と感じてしまうことで、自分の老いを痛感する。いや、眺める分にはきれいだけど。
 神代もの長編の背景のアウトラインを一応作り終えた。ほんとに概略だけだけど、物語の現時点が1968で、そこに登場する人物の造形に強い関わりを持つ男の生まれたのがほぼ100年前、1860年で、彼の妄執がふたりの息子の人生を決めて、彼らは画家を目指すことになるのだが、やはりその時代なら目指すはパリでしょうというわけで、その頃のパリは、世界は、日本人は、というのをいろいろ調べながら、想定に見合う経歴を組み立てていく。その頃はちょうど藤田嗣治がパリにいました。
 忘れてはならないのは戦争のこと。篠田は1953年の生まれなので、1968はもちろんすでに記憶のある時代なのだが、今回資料をあたりながらいろいろと登場人物の人生を組み立てていて、1968っていま、つまり2010から見ると、すごく1945、つまり敗戦の年に近いよねえということを痛感。1968に生きている10代20代だって、いまの同世代と似た部分、つまり若さ故の痛みや苦しみやままならなさや大人への怒りを抱えているんだけど、戦争中アメリカ軍の重爆撃機B29に焼かれた焼け野原は、もう建物が建って消えていたとはいえ、ちょっと振り返ればその記憶を生々しく持つ世代はいくらでも生きていた。戦後生まれにとっても、戦争はそんなに遠いものではなかった。そこだけは現代と歴然と違う。歴然と違うってことを、まだいくらか実感として想起できる、篠田はぎりぎりの世代のような気がする。だからそのことを書こうと思う。いろんな形で繰り返し。21世紀のリアルは若い人に任せます。
 第二次大戦が正義の戦いだとか、アジア人を独立させるための戦いだったとか、そんなことは毛頭思わない。でも日本人庶民は加害者でありつつ、紛れもなく被害者だった。ベトナム戦争でアメリカの北爆は非人道的と非難されたけど、ハノイの中心地はほとんど燃えていないってことを、あっちに旅行して気がついた。東京の下町の焼かれっぷりは遙かにすさまじいのに、民間人の大量殺戮は問題にもされなかった。そのことくらい記憶しておきたい。そりゃあ枯れ葉剤の方が隠微だけどさ、戦争を終わらせるために必要だった、で、原爆も民間住宅への無差別爆撃も許容されたらたまんないでしょう。

2010.02.16
 今日も寒い。うちの周りでは雪が降っている。寒いけど今日は友人と上野の国立博物館に土偶展を見に行った。これがけっこう面白かった。土偶の人体はリアルではない。いわば抽象化されている。芸術表現(といってしまっていいかは迷うところだが)としては、原始が抽象でその後に写実が来て、現代においてふたたび抽象が目立つようになる。これが不思議といえば不思議。しかしイノシシの形をした土偶なんてのもあって、これはかなりリアルに作られている。やはり獲物を希求する気持ちからだろうか。ま、しかしわりと可愛いイノシシではあるのだがね。それとすばらしい巨大な火炎式土器があって、これはもう、うねる装飾の完成度といい、迫力そのもので言葉を失う。いいものを見せて貰いました〜という感じ。
 それから表慶館を覗くとここでもすばらしい陶器や磁器がさりげなく展示されていて、現代の人間国宝の作品なんかと比べても勝っていて、こうなると人類の進歩などというものは、あまり当てにならないなと思う。ただし工芸の分野とか、富の不均衡無しにはとうてい達成できない高度な技術というのがあって、それが現代に再現不可能なのは、もう当然のこととして諦めるより無いだろうなあ、などとも思うのだった。つまり、精巧を極めるブラーノ・レエスは、そのために視力を失う多くの若い女性たちの犠牲があって初めて可能になった、というたぐいのことです。現代の金持ちがどれだけ大金を積んでも、民主主義の社会ではそうした犠牲の上に成り立つ作品は存在し得ない。

2010.02.14
 いやー、なんかもう寒いっす。今日は久しぶりに晴れたけど、それでも寒い。ましてこの時刻になれば、またもやしんしんと冷気が。
 明後日からはジャーロなどといったのだが、少し気が変わってしまった。別に隠すことでもないから書いてしまうが、原書房に献上する予定の作品は、ここをチェックしてくれている人には別に注を付けなくてもいいだろうと思うのだが、神代さんの青春時代の話になる。ところがふと考えてみると、その事件のことが多少なりと神代さんの中に記憶としてとどまっていて不思議はない。学生時代に出会った非常に印象的なひとりの青年がいて、神代はそいつにかなりさんざんな目にあわさるのだが、彼の中では「救えなかった友人」としてとどまっているのだろう、と。するとそれは建築探偵ラストにも濃度はともかく影響してこないだろうか。
 『黒影の館』の、あの少年はまだ子供だったが、数年後の再会のときはいろいろなことが変わってきている。その変化に神代は遠い日の「友」を思い出さずにはいられない。というわけで、あと少しだけそっちのプランを立ててみることにした。
 資料として毎日新聞社の『シリーズ20世紀の記録』というのを再読している。その年にどんな事件があったか、なにがはやっていたか、誰が死んだか、といったことを、写真たっぷりにまとめた本。いまその『1968年』が、再刊行されているけど、篠田が持っているのは旧版。神代は1964年にW大に入って、途中1年だぶって、69年に大学院に進む。68年に何があったかというと、東大闘争、安田講堂の攻防戦。生まれた家が本郷だったので、まだ中学生だけど見物に行ったっす。
 しかしこの時代の写真を見ると、えらい昔っぽい。いまとは風景も人の服装も顔つきも、ずいぶんと違います。そういうことをあんまりこまこまくどくどと書いても仕方ないとは思うんだよね。変わったこともあれば変わらないこともあるんで、その変わらない部分を読んで頂きましょうと思うのだが、しょうもないミスはしないように気を付けないとなあ。うちのテレビはまだモノクロでした。パソコンもワープロもFAXも影も形もなくて、電話は当たり前のように電電公社貸与の黒電話でした。でも東海道新幹線は走ってました。いまよりだいぶ遅いけどね。

2010.02.12
 2/10は角川の編集さんと打ち上げ。月島の路地の奥にある小さな飲み屋さんで、絶品のかわはぎ刺身やアジフライをいただく。お酒を飲んだ翌日は二日酔いでも頭が働かないので、11は全休。今日12は原書房の編集さんと打ち合わせ。こちらは長編書き下ろしなので、連載以上にきっちりまとまった時間を用意しないとならない。というわけで、書き出すのは来年になるだろう。
 プランを二つ用意してあったのだが、その片方がOKとなる。篠田的にはもう片方にも未練はあったのだが、なにせこちらはイタリアや他へ取材に行かないとならないので、それはとても無理ということでお預け。どこか金持ちの版元を口説き落とすしかない(無理か)。まっ、そういうわけで決まった作品は、珍しくタイトルもすでに決定しています。『黄昏に佇む君は』。お耽美なタイトルっすね。でも自分的にはかなり気に入っています。1960年代の東京の私立大学が舞台になるので、昔のことを頭をひねって思い出さないとならない。いえ、篠田が大学に入学したのは1972年なので、それよりちょっとは前の話だけど、でもまあ50年前だ。半世紀の昔となりゃあ充分古い。白髪も増えるはずだよ、やれやれ。
 明日はチョコ買いに東京に出るので、明後日からジャーロ着工予定。ああ、もういっぺんそこまで頭を引っ張り戻さなくちゃ。切り替えがヘタなんです、自分。

2010.02.09
 4月に出る『緑金書房』の表紙ラフが波津彬子さんから届く。やはり波津さんにお願いして正解だったな、と思う。
 新しいお仕事についての打ち合わせ。PHPが文芸に力を入れるというので、文庫サイズの雑誌「文蔵」に連載をさせて頂くことに。といっても、今年の連載はまずジャーロだし、SFJapanも続く予定だし、無論建築探偵も書かないとならないし、というわけで、連作短編を年の後半遅くからやらせていただくことに。PHP文庫の文芸文庫というのも秋から始まるというので、単行本で出たきり文庫に降りていない幻想小説など売り込む。こう不景気が続くと、単行本はマニア的なファンのためのみに出して、あとは文庫を買って頂くというふうにでも考えるしかない気がする。文庫なら単価は安いし場所も取らない。
 立松和平さんが亡くなられたそうだ。62歳とこれまた若い。いつまでもあると思うな人生の残り。仕事できるときにしないとなあ。しかし仕事すると血圧上がるんだよなあ。不眠も出るんだよなあ。働かない方が長生きできそうな気もするけど、おまえ、他になんの能があるのといわれれば、なんにもないもんなあ。酸素と水と食料を消費する分くらい、読者に喜んでもらえる仕事をするのも務めだよなあ。

 明日は夜間外出のため日記の更新はお休み。

2010.02.08
 書き継いでいた短編を一応書き終える。50枚くらいか、などとほざいていたが結局69枚。予測の精度ってこんなものよ(居直り)。本当はせめて一日くらいは冷やしてから、読み直して手を入れる方がいいと思うのだが、明日は打ち合わせなので取り急ぎ手入れ。しかし書き終えたばかりは頭が腰を抜かしたような状態なので、部屋にいると、ぼやっと数独などに逃避してしまう。プリントした原稿持ってスタバへ。コーヒーは仕事場で飲んだので、新製品らしい紅茶のラテを飲む。ショートサイズでもトールサイズでも、同じティーバッグが入っているようなのは、少し釈然としないぜ。
 戻ってきて、ああ、今日はエアロバイクも漕いでいないとあせりつつ、原稿に手を入れていたらFAX。なんか最近FAXを使うことが滅多にないので、紙詰まりを起こしてしまったりして、よけい焦る。ともかく一応最後までやって、まだ未定稿だから、と自分をなだめつつメール送稿。
 昨日は夜久しぶりに血圧が上がって頭痛。仕事をしていると血圧が上がるのだった。遊んでいれば上がらないのであります。こう寒いと散歩にも出られなくて、その点も困るんだけど。ひとつ区切りがついたせいか、血圧はいくらか下がりました。やれやれ。

2010.02.06
 やたらめったら寒いのだった。これではもうたれ込めているしかないぞ、というわけで、万歩計の数字はろくに動かないが、そこは諦めて仕事。短編書き続ける。実はラストの付け方で少々迷い。他にツレの注文でわかめ入りの食パンを試作してみたが、やはりわかめの塩気のせいか膨らみ方がやや弱い。味はどうかな。

 読了本『復員殺人事件』 坂口安吾 角川文庫 雑誌の廃刊で中絶した坂口のミステリに、八年後高木彬光が書き足して結末を付けた作品。犯人の指し示すという「樹のごときもの」の解釈が、明らかに坂口が予定したそれではなく、大きなひねりを加えてあるのが面白くはあるんだけど、ちょい苦しいかなあという感じ。
 『竜の涙』 柴田よしき 祥伝社 『ふたたびの虹』のばんざい屋が再登場した連作。北森さんの十兵衛や香菜里屋と同じくらい行ってみたい小説の中のお店のひとつですね、このばんざい屋は。今回はそれと同時に「女と仕事」という副テーマがあって、それがばんざい屋の女将の仕事と響き合うところに妙味あり。超絶なプロの仕事というより少し素人っぽい、作れそうな(無理だけど)料理というところもまたよいのである。

2010.02.04
 昨日はついでがあったので、新宿区中井の林芙美子記念館に行ってきた。実をいうと林芙美子の作品はひとつもまともに読んだことがない。子供の時彼女の出世作『放浪記』の一部抜粋みたいなのを、なにかで読んだ覚えがあるのだが、行商の親について旅から旅へと巡る少女の切なさや痛みがダイレクトに来て、そういうものを文学として楽しむにはこちらは子供に過ぎる。ひりひり痛い痛いというわけで、以来手つかずのまま。
 中井の家はベストセラー作家になった林が37歳で建てた家で、ずいぶん勉強もし、建築家や大工とも時間をかけてプランを練った成果が見事。数寄屋風の気取らない、使いやすそうな平屋で、客間より茶の間、そして風呂トイレ台所にお金をかけたのがよくわかる。絵も描いたという林は、とても美意識の高い、センスの優れた、でもそれをとんがらすのではなく、さりげなく居心地良さに溶け込ますことの出来る人だったのだなと、作品を読んでもいないのに、なにかわかったような気にさせられるのだった。
 椿や山茶花の咲く広い庭がまた、さりげなくも美しく実に秀逸。ふきのとうの芽吹きや、福寿草の金色の花、そしてそろそろ梅がほころんでいる。あちこちに置かれたつくばいの水がすべて清らかに掃除されているのにも、心から感嘆させられた。これで入場料たったの150円なり。えらいぞ、新宿区。
 今日は隣の青梅市の市立美術館で、なぜか開高健の写真展をやっているというので、ツレと出かけていく。恥ずかしながら、開高健は篠田とツレの若き日の文学的偶像でありました。まだ学生時代、小説を書いているという篠田に、ツレ、といっても無論結婚前ですよ、こいつが「これを読め」といって貸してきたのが『夏の闇』でありました。文学的な感動というのは、ストーリーにのみあるのではないということを教えられた本。文章の照り、張り、艶のみで読者を酔わせ引っ張っていく。脱帽でした。かといって篠田が恐れ入ったかというと、そこはあっさり「こっちに行っても無理だよな。じゃあやっぱり好きにやろう」というわけで今に至ります。純文学は肌に合わない。エンタメ命。ストーリー命。

2010.02.02
 昨日から新しい依頼のための連作短編の最初の一本を書き出した。わりと短く、50枚くらいでまとめられるかなと思うのだが、この種の予想は篠田の場合しばしば狂うので、あまり責任持ってはいえない。
 郵便局に行くついでにもよりの書店を覗いてみたが、角川の新刊なし。やっぱりこう部数が少ないと、地方の書店にまでは回らないのだろうなあ。というわけで、ここを見てられる方で買う気でいらっしゃる方、どうかネットで買ってやって下さい。1680円なので送料は無料のところもあるよ。