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9月29日

読了本

今日はヴェネツィア編のデータをメール送稿したのと、ツレの帰宅にそなえて沖縄料理の材料を買いにわしたまで行っただけ。なぜか秋口になると不眠傾向が強まってきて、あんまり心身の調子がよろしくない。
読了本
『フーゲンビリアは死の香り』『列車内での悲鳴はお静かに』『南の島のお熱い殺意』『自由の女神にないしょで殺人』『犯人のお好みは麻婆豆腐だった』 辻真先 新潮文庫 海外を舞台に取材無し資料だけで書くトラベルミステリのシリーズ。レギュラーは辻ワールドの一番名の知れたヒロイン、可能キリコの愚兄克郎と彼の恋人で添乗員の萱庭智佐子。彼女は呪われた添乗員で、ツアーに行けば必ず死体が転がる・・・
『検死審問』『検死審問ふたたび』 パーシヴァル・ワイルド 創元推理文庫 マニアでは有名な古典的名作だそうだ。イギリス流のひねくれたユーモアが全編に横溢しているが、うーん、ごめん。ちょぃとかったるかった。
『評伝 川島芳子』 寺尾紗穂 文春新書 『清朝の王女に生まれて』 愛新覚羅顕き 中公文庫 東洋のマタハリなんて異名もある、清朝王族のひとりで日本人の養女になり、スパイ容疑で処刑された川島芳子の伝記と、彼女の同腹の妹が書いた回想記。今年になって戦後処刑されたのは別人だったという説が出たけど、あれは結局どうなったんだろう。
『自然な建築』 隈研吾 岩波新書 『磯崎新の「都庁」』 平松剛 文藝春秋 どっちも現代建築についての本なので、嗜好の真ん中からはずれてます。でも平松さんの本は叙述に工夫があって面白く読める。
『奇跡のリンゴ』 石川拓治 幻冬舎 青森で無農薬でリンゴを作るという不可能事をなしとげた人のドキュメント。無農薬とか減農薬とか気軽にいうけど、現代の農業はすでに農薬無しでは不可能になっているという事実の方が衝撃的な本。
9月28日

物語の行方(3)

一昨日、昨日の続き。今日でおしまい。
小説というのは、考えたことを全部書くものではない。削る作業というのがけっこう大きい気がする。『龍』のラスト、ローマ編ではかなり登場人物が増えてしまい、クライマックスの時に彼らが一堂に会するのではなく、同時進行的にラストに向かうことになってしまったため、メインにした龍・セバの戦いの他は後でざっと説明して終える形になった。あれもこれも全部書くと、山場が間延びしてしまって効果的ではない気がしたからだ。そのせいで、ヴェネツィアの少年吸血鬼についてのラストも、間接的説明だけに終わってしまったが、これはかえってぼんやり謎めいた印象が残って良かったかも。なんでもかんでも書くというのは、無粋な気がするのですよ。長けりゃいいってものではない。グイン・サーガもやはり、後になるほど間延びしておりましたでしょ。あ、でもグインの正体については結局、謎のままで終わってしまうんですかね。トリ・ブラの吉田直さんは構想ノートの一部が刊行されて、あの世界の全体像は一応かいま見えた形になったけど、栗本薫さんの場合そういうものは出ないんだろうか。
話は戻るが、間延びを避けるのとははまた違った意味で、削ったというか、書かなかった話もある。たとえばフランス革命恐怖政治下の、龍(そういう名前ではまだ無かったが)とライルの出会い編、世紀末ロンドンの切り裂きジャックが出てくる編、明治鹿鳴館での透子のひいおばあちゃんとのエピソード編、どーっと古代にさかのぼって龍が津軽で反乱軍を指揮する話なんてのも、考えてはいた。最後のやつは津軽のアビが龍の相方になっていて、この女が透子もおとなしく女らしく見えるというくらいの野生っぷりで、もしかすると龍も少し尻に敷かれ気味だったのではないかと思うんだけどね。もちろん現代を舞台にして、不死の吸血鬼を主人公にした話だって、まだ書こうと思えば書ける。でも依頼もないし、小説全般で他にもやりたいことはもう少しあるので、取り敢えず龍に関しては、きれいなラストもつけられたし、だらだら蛇のあんよはしないでおこうと思ってます。
 
読了本『電気人間の虞』 詠坂雄二 光文社 一筋縄ではいかない曲者新人作家の第3作。面白かった。しかしどう面白かったか語ると、ネタバラシになってしまいそうで、うっかりしたことがいえないんです、はい。前作『遠海事件』は、読者をある方向へ巧みに誘導しておいて、話のキモは実はそっちではないんですよ、ははは、すいませんねえ、と意外な結末をつけるミステリだった。意外性は高く、「えっ」と思いはしたが、それは関節はずしっちゅーか、ミステリ的どんでん返しをしかけるために小説を殺すといったやり方で、でもむしろ安直だよね、なんだかはぐらかされた気がするなあと思い、篠田はあまりほめなかった。今回はそれとは逆な印象。小説としてはいいと思うが、本格ミステリとしてはOKなのかな、とちょっと思う。すごく真面目なミステリ読みは「えー」といいたくなるかも。西澤泰彦さんの某作品を思い出した分、衝撃はまるて感じなかったけど、篠田は真面目なミステリ読みではないので、篠田的には○です。その上でひとつ聞きたい。ラストの1センテンスは笑うところですか? 
9月27日

物語の行方(2)

昨日から続く。
そんなわけで書き手にとってのマイ・フェバリット・キャラはセバなのだが、『ヴェネツィア編』で設定等がいい出来だと思っているのは、200歳の少年吸血鬼だ。キャラ自体はぬけぬけとヴィスコンティ紛いをやらかして、臆面もない美少年だが、「吸血鬼が現代社会で快適な貴族生活を送るためのシステム」が、我ながら過不足無いと思うわけ。早い話が人間によるサポートがシステム化されているわけだけど、発想の出発点は本家吸血鬼、ブラム・ストーカーの『ドラキュラ』で、ロンドン侵攻を前にわざわざそちらから呼び寄せた弁理士ジョナサン・ハーカーを迎える伯爵が、召使いひとりいなくてすごく大変そうだった、というところからである。御者になって出迎えに行ったと思ったら、城の大扉の内側に待ちかまえていて主然と迎え入れる、というだけでもいい加減忙しいのに、夕飯は食わせなきゃならないは、ベッド・メイクはせねばならんは、その間に家事などしそうにない三人の女吸血鬼のために、赤ん坊をさらってきたりもしなきゃならない。それにしたってお城の掃除は? ワイングラスの磨きは? 古いままの台所じゃ、ローストチキンひとつ作るんだって大変そうだなあ、などと、つい同情してしまう。
別に吸血鬼でなくても、お貴族様に貴族らしい生活をさせるのには、そりゃあもう手間がかかるのだ。イギリスで、昔ながらのマナー・ハウスにエドワード朝時代の生活を再現するプロジェクトというのがあって、お屋敷を維持するためにどれだけのマン・パワーが必要かつくづく感じ入った。封建時代の辺境の城じゃ、大変さはこれの比ではあるまい。マインド・コントロールをした召使い集団というのも考えたが、それもずいぶんとわずらわしい。わずらわしくないくらいやすやすと人間が操れるなら、今度は伯爵の力が強すぎて人間に勝ち目が無くなってしまう。やはり自発的に協力してくれるのが一番いいんである。で、人間と吸血鬼が合意の元に共存するシステムが、社会として成立しているとしたらどんなだろう、ということで書いているのが、徳間SFJapan連載中の『黎明の書』であります。少年吸血鬼は愛情によって召使いたちと結ばれているが、制度としてあるならそういう感情はあまり必要なくなってくる。西欧中世の社会とオーバーラップさせると、わりかしすんなりディテールが決まる。
龍の方では彼らの話はどこまでも脇筋なので、考えたことは全部は書けなかった。ちょっともったいないという気分もあって、光文社の書き下ろしアンソロジー『異形コレクション』に、「幻想探偵」というテーマをもらったとき、ヴェネツィアの彼の前日タンを一本書いた。連作短編1冊分くらいは書けそうな気はするけど、依頼はないだろうなあ。
9月26日

物語の行方(1)

『龍の黙示録』ヴェネツィア編を文庫下ろしにするので、例によってデータでもらって頭から手を入れている。この本が出たのが3年前だが、書いたのはその前の年で、本当にノリノリだったよなあ〜などと、大昔のことのように思うのだった。いま書き直していても、内容的にいじらねばならない部分はほとんどなくて、実写映像のようにとまではいかないが、劇場公開のアニメくらいの密度で物語が絵となって流れていく。書いたときはよくても、後で見直すと「あかん」と思うこともままあるので、今回のようにぴったり、齟齬を感じずに済むというのは案外珍しい。そしてここらへんはもう完全に作者にとって、セバスティアーノ、マイ・ラブなのだった。
今回建築探偵サイン本プレゼントをやって、こちらのシリーズも完結したところだったので、そちらに対する感想もいろいろいただいたのだが、「龍と透子にくっついて欲しかったので、セバはおじゃま虫だった」という意見が複数合り、作者としては実は驚いた。よく考えてみれば、驚くほど意外なことでもなかったとは思う。イタリア三部作の途中でもまだ、その辺の決着をどうつけるかずっと迷いながらだった記憶もあるし。しかし結局ああいう形になったというのは、龍と透子のラブラブ両思い、という絵面が、どうしても頭に思い描けなかった、というのが最大の理由である。ふたりとも不老不死になったら、途中で飽きたり離婚したくなったとき大変じゃん。つまり篠田は「永遠に続く愛」なんてものを信じていない、ということなんだろう。他人事みたいにいっちゃうけど。
それと、そもそものシリーズの出発点で、「吸血鬼もので吸血鬼がハンサムなヒーローだと、ヒロインは簡単に恋に落ちたりする。だからそうはならない女を出そう」というコンセプトがあったんである。それが第三作の『聖なる血』で、急に透子の気持ちが龍に寄っていくことになり、それは作者も計算していなかったので、「あらー、どうしよう」などとあわてたのだが、そうしたら悪役のつもりで出したセバがなにやらいい人になってきて、彼女に恋をするという意外な展開となり、もうこのへんで作者は「おまえら好きにやれ」状態になってしまったんである。
次作の『紅薔薇伝綺』は『薔薇の名前』のパロディをやりたいというプランは前からあったのだが、そこにセバが混じり込んだら、龍がおもしろがってセバをいじりたおすという、三角関係のはずがオスふたりでなにをいちゃついてる、という展開になってしまい(いや、別にやおいではありませぬ)、だがセバのキャラはどんどん育ちまくってイタリア三部作につながった。しかしトリノ、ローマと話が拡散して最後は畳むのに冷や汗三斗だったもんだから、小説としてのまとまりはこのヴェネツィア編が一番良くできている、と作者は思う。自画自賛くらいさせてくれ。
9月25日

死語

特定の書き手の本を集中して買って読む、というのをときどきやる。読めなくてもとにかく買っておく、ということもある。費用とスペースの問題があるから主に文庫。それもそろそろ新刊書店で手に入らなくなりそうな本をやる。辻先生については、ブックオフでもそろそろ手に入らなくなりかけているんだが、他に最近の集中テーマは久世光彦であります。『一九三四年冬 乱歩』を読んで、すごい人がいると思ったら死んでしまったんだが、今のうちという感じで目についたら買っている。今読んでいるのは『昭和幻燈館』中公文庫で、元本は1987年だからけっこう古いのだが、今日ここに書こうと思ったのは、そこで出てくる「死語」についての話題。
いや、なにかと申しますと、「あれも死語」「これも死語」「年寄りしか使わない」なんて書かれていることばが、篠田の現役ボキャブラリに入っているんだよね。それはもちろん会話のことばとしては、「蒼は使わないかなー」というくらいではあるんだが、地の文で使ってしまいそうなんだよ。「堪え性 こらえしょう」「息災 そくさい」「見幕 けんまく」「軽口 かるくち」「依怙地 いこじ」「理不尽 りふじん」「持ち重り もちおもり」「宗旨がえ しゅうしがえ」「到来物 とうらいもの」こういうことば、死語ですか?
 久世さんはテレビ屋さんだというにしても、20年以上前に「死語だ」っていわれてるんだけど、神代先生には普通に使うだろうことばばっかりじゃん。もしかして、篠田の小説はこういう死語がたくさん入っていて、なに書いてあるのかわからないとか、そういうことってあるのかな〜
 
某社は結局担当が変わるみたい。変えてくれとはいわないんですが、あっちから袖にされたようで。って、「袖にされた」も死語かしら。振られた、という意味ですう。
9月24日

ゴーヤに虫!

ゴーヤは病虫害に強いというので安心していたのだが、葉っぱが枯れてそろそろ終わりね、でもまだ花は咲くわねと思っていたら、イモムシがついてしまった。それがまた葉っぱによく似た色合いで、かなりでかい。うぎゃーっ。足のないのは苦手なんだ。踏み台置いて覗いていたら、茎に偽装するようにじーっとしてみたり、その知能ありげなところが、またなんともキモい。雄花でも花はきれいだし、香りもわりと好きなんで、もうしばらく置いておこうかと思ったけど、虫は、虫は〜
9月23日

読書メモだけ

今日も仕事は龍の書き直しだけ。
 
読了本 『十和田湖畔に死体が踊る』『奥志摩の海を死体が泳ぐ』『長崎雨の港に死体が祈る』 辻真先 徳間文庫 万年失恋美人葉月麻子が突然結婚して引退した後を継ぐ形で始まった無責任男、夢瀬鬼人が探偵役、相棒が弾けた美少女伊奈川莢というシリーズだが、いまいちふたりにインパクトが乏しかったのか、3冊だけで終わってしまった模様。例によって旅情プラス本格ミステリ、トリックたっぷりではあるのだが。

ウズベク料理

昨日の夕方日記を書き込んだら、なぜか「一時的にサービスを利用できません」なる表示が出て、投稿も下書き保存もできず、書いたものがパーになってしまった。今度は大丈夫かしらん。
 
ツレの病院は板橋なのだが、駅からそこまで行く商店街に、トルコ、ウズベク料理、なる店があるのを発見。前から気になっていたので、病院へ行く前に昼飯を食いに入った。休日のせいか家族連れもいて、けっこう繁盛している。店の作りは安食堂系というか、ただスペースがあって、壁に写真のメニューが貼ってある、まあインテリアなんぞはなにもない有様。ラグマンというのはここでは、羊の細切れ入りトマト味野菜炒めを、讃岐うどんのような堅い手打ちうどんにぶちかけたもので、わりと食える。うどんが堅いせいか腹ごたえもあって、これで600円ならまあいいかという感じ。先日入ったバーミヤンの野菜あんかけ焼きそばなんかと比べれば、はるかに美味である。
先日友人と行った青山のトルコ料理レストランは、そりゃもうインテリアから、皿の盛りつけから、店員のサービスから、最上級だったのだが、あまりに高級すぎてお尻が落ち着かない。無論お値段もそれに見合って最上級。それは店のせいではなくこっちのせいで、もともと自分がしてきた貧乏旅行での味覚体験が下敷きにあるからだが、最近はこういう安いけれど本場っぽい味の外国料理レストランが増えてきた気がして、それは大変に歓迎すべき変化だと思うのだった。
9月22日

たらたらと

渋皮煮は今回は少し砂糖多めでやってみる。といっても栗の50%程度。多いレシピだと80%だったりして、そりゃいくらなんでも甘納豆じゃあるまいし。
仕事は龍ヴェネツィア編の直しをたらたらと、ゆるゆると。
 
読了本 『北斗星ロイヤル個室で誰が死ぬ』『秘境西表島で〜』『南九州噴煙の下で〜』『南紀仙人風呂で〜』 辻真先 徳間文庫 古本屋で買いためたまま読んでいなかった辻先生の本をまとめ読み。これは失恋美女葉月麻子が探偵役のシリーズ。ただの旅情ミステリかと嘗めていると、ぎょっとするほど刺激的なトリックが登場したりして、全然あなどれない。しかし某ブック・オフからも先生の本は消えつつあるのう。
 
『身代わり』 西澤保彦 幻冬舎 こちらはばりばりの新作。しかも嬉しやボアン先輩にウサコ、タックにタカチの四人組が久々の登場。事件は鬼畜で奇想天外だが、この連中の語りと宴会があれば、なぜか抵抗無くするすると読めてしまうというわけで、ぜひお読みあれ。
9月21日

栗の渋皮煮

昨日は自宅近くの曼珠沙華群生地に行ってみるが、とんでもない人出でたまげる。最近毎年人が増え、観光バスもばんばん来るが、林の中にべったり朱赤の曼珠沙華って、そんなにきれいには見えない。どちらかというと緑の中に数本咲いて、その形がくっきり浮かび上がるのが印象的なのでは。日本で花の名所というと、観光番組でもいろいろ登場するけれど、どこも必ず「量で来い」みたいな感じで、全然ピンとこないんである。近所でも混みまくりの河原や林より、川沿いの抜け道の方がいかにも田舎びた景色の中に点在する鮮烈な赤、という感じでいいんだけどな。川の水もきれいだし、鯉や鴨もいるし、ときにはカワセミも見られるし。でもここが押すな押すなになったら嫌だから、黙っておこうっと。
曼珠沙華祭りの売店に出ている農協で栗を買い、毎年渋皮煮を作る。今年も現在作業中。アクは抜きすぎない方が好み。
9月20日

連休

世間は連休で天気は晴れだが、貧しい自由業者にはなにも変わりなし。版元某社から音信不通になった『緑金書房』は取り敢えず最終回のラストまでは書いたが、手入れをするのは少し後にして、先に龍の文庫下ろし手直しをやることにした。これは〆切が10月半ばなので、『緑金』よりは先なんである。12月に出る文庫の〆切が2月前って早くない? まあいいけど。
9月19日

補足

前項に補足。この作品は写真に撮ろうとすると、光を当てざるを得ない。そうすると柱の足下に影が落ち、柱にも影と光のコントラストがつく、当然ながら。つまりそこに記録される映像は、闇の中でぼんやりと目に知覚された作品とはまったく似ていない。記憶の中にしかそれは存在しないのである。

不思議な体験

昨日は川越市立美術館に行く。川島町遠山記念館、北浦和県立近代美術館に続き、3カ所目の「長澤和俊展」。ここにある作品は5点だけなのだが、そのうちの1点は今回の作品の中でもっともスゴイかもしれない。二重の暗幕で閉ざされた室内は、最初一歩中に踏み入れても、文字通り自分の鼻が見えないほどの暗さ。部屋の広さも形もまったくわからない。しばらくすると目が慣れて来るというのだが、待ってもとにかく暗い。なにかあるようだというのはわかるが、それはたぶん意図したのではない壁の隙間から洩れる光があるからで、その光に目をやるとまたよけい闇が見えなくなるという案配。しかし壁に沿ってのろのろ歩いていて、ふっと気がつくとほの白いものが見えてくる。それは細い大理石の柱で、それが四十九本、神殿の列柱のように立ち並んでいるのだが、それまで何も見えなかったところにほんのりと白いものが浮かび上がってきて、幾何学的なラインをみせる不思議さ。それでもかろうじて見えるそれは、現実の存在というより幻のように見え、無限の広がりさえ感じさせる。他の人間がいなかったら、壁際にずっと座りこんでいたかった。
9月17日

愚痴

例の某社の件、趣味と感覚がずれているから、と編集者にいわれた件。あまりにも当然のようなメールだったので、こちらの方がずれているのか、おかしいのかと内心かなり動揺してしまい、信頼できる友人に手短に愚痴てしまう。愚痴をいうのは正直苦手だが、メールなら垂れ流しにならず、簡潔にとりまとめて「これこれこういうことがあって」と説明できるので、まだしも出しやすい。そして友人、いずれも篠田よりかなり年若いが、ひとりはイラストレーターでひとりはフリーの編集者から、少なくとも篠田の感じた「それはいくらなんでもプロのいうべきことではないのでは」という疑問は肯定してもらえたので、ちょっと胸をなで下ろす。特に編集者さんの、「いまこの出版不況の中で、編集者という仕事の意味がぶれてしまっているのではないか」という返事には、なるほど、とうなずいた。同じ編集者でも、業界で一、二の高給与を誇る某社社員と、経費すらろくに出してもらえないままがんばって仕事しているフリー編集者は、同じ作家といっても篠田とたとえば宮部みゆきさんが同日には語れないくらい違いがあるはずで、自分のことばかり考えていたけど、いまさらのように彼女の苦労に思いを致す次第だった。いわれないと気がつかないという点では、篠田もあまりえらそうなことはいえないね。ごめんよ、M森さん。

不眠復活

ここ数日はわりと眠れていたのだが、今日は4時過ぎに目が覚めてしまい、読みかけの本を読んで、目を閉じたらなんか明るく、時計を見たら六時半。
 
読了本 『最後の冒険家』 石川直樹 集英社 ツレの本。熱気球で多くの記録をうち立て、2008年太平洋横断に挑んで消息を絶った冒険家神田道夫の行動の軌跡を、04年最初の太平洋横断に副パイロットとして同行した著者が記したノンフィクション。高所恐怖症の篠田には絶対経験できない世界だが、空高く飛ぶより夜の嵐の海に不時着する方がもっと怖いなあ。物書きとしては情けないが理解不能、想像不能。人間って不思議だとは思うが。
 
『TOKYO殺しのトレンディ』『幽霊の殺人』『「亡霊荘」の殺陣』『TOKYO死街戦』 辻真先 ケイブンシャ文庫 霊感体質のある快男児大日向陽を主人公にしたシリーズといっても、テイストはそれぞれ違う。『TOKYO〜』の2作は字で書いた活劇マンガ、『幽霊』は書き下ろし劇の戯曲を小説仕立てにアレンジしたもので、プロットはミステリ。『亡霊荘』もそうかと思ったら、こちらも相当にドタバタでした。
 
『夜明け前の殺人』 辻真先 実業之日本社 宮澤賢治がモチーフの『殺人の多い料理店』1996,北原白秋を扱った『赤い鳥。死んだ。』1997に続く、島崎藤村が主題の、ノンシリーズ長編ミステリ。こちらはどシリアスで、はんにんのそれなりに切実な動機が虚妄であったと判明するラスト、「スーパー」を思わせる魅力的なキャラを待ち受ける無惨な結末まで、かなりテイストはビター。
9月16日

プロはいないのか

もめている某社の件。部長から「メールではなくせめて電話でお話しさせていただきたい」というメールが来ていたので、「こちらのいいたいことはすでに書いたことに尽きている」と返信する。だいたい電話というやつは、こちらの都合もかまわず生活に闖入してくるので、仕事していて意識が浮遊しているときなんかに、あーだこーだいわれても、まともに主張などできるわけもない。こちらから送った連載分の手直しにも目を通していないようで、話をしようにもどうもならないではないか。
いまメールを開けてみると、今度は担当からメール。自分がいいと思うイラストを篠田がそこまで気に入らないなら、自分とは趣味も感覚もずれているようなので、担当を変えてもかまわないなどという。仕事は趣味ではありません。趣味が合わない作家は担当できないというなら、そらどう考えてもプロではない。プロの編集者が仕事をえり好みして、「この作家とは趣味が合わないから担当は出来ない」なんていうわけないでしょうが。さすが大某社だこと。あまりに馬鹿馬鹿しくて、もー勝手にせーよという気分になってしまった。いや、連載の決着はつけますけどね。本になるかどうかは危ういですなあ。

青梅

昨日は友人と青梅へ。最初パン屋好きの彼女が調べてきた山中のパン屋へ、30分車道をひたらすてくてく。ログハウス風のベーカリー・レストランで、11時半なのに席の半分は埋まっている。石窯焼きのパン食べ放題で、たった800円や900円というのは安い。もちろんパンは美味い。こんなど外れた場所でも満席になるのは当然か。
それからまた歩いて青梅の街に戻り、赤塚不二夫博物館などを見学。まあ、これはそうたいしたことはない。それから青梅線で御岳まで乗り、川筋を歩いて沢井へ。酒造メーカーの庭で多摩川を眺めながら日本酒と豆腐など。少しずつ暗くなってきた川沿いをこんどは軍畑まで歩き、30分待って戻りの電車へ。青梅で乗り換えて二つ先の河辺に行き、駅前の温泉に入る。いわゆる日帰り温泉施設だが、源泉掛け流しの浴槽があり、アルカリぽくてお肌すべすべである。ああ、久しぶりに一日遊んじまった。
 
 
9月15日

ペスト・ジェノベーゼ

昨日自宅のプランタから摘んできたバジルの葉を、昨夜は水につけたまま放置してしまったので、目が覚めたまま台所に行き、ペスト・ジェノベーゼ、いわゆるバジルソースを作る。昔はバジルの葉をつぶすのに、すり鉢でえらい苦労をしたものだったが、フードプロセッサだと実に簡単。パルミジャーノチーズもやわらかくて、下ろし金でおろしていたらぼろぼろに砕けてしまったが、その状態で放り込めばバラバラになってまざってしまう。ああ、なんて楽ちん。我が家では最近はバジルは、ニンニク、唐辛子、豚バラ肉、厚揚げと炒めて、ナンプラーで味付けするというエスニック炒めが定番化していたのだが、今の季節のバジルは堅くて炒め物には向かない。できあがったペーストは冷凍なら二週間は保つというので、ツレの帰宅を待つつもりで冷凍庫へ。
9月14日

一日ばたばた

今日は一日ばたばたしていた。朝洗濯を二度して、自宅の植物の水やりを昨日忘れたのでもう一度戻り、時間を合わせてバスで出て、バス停から歩いて郵便局に行って簡易書留を受け取り、そこから電車で東京へ向かったが、面会時間には早すぎて、公園で時間つぶしがてら昼を食っていたら蚊に食われ、戻ってきたらもう夜。なんかビミョーにむなしい。

執筆順は次の次の・・・

仕事は『緑金書房』を書き継ぐ。例によって、いま書かねばならないのではないもののことが、ぽかぽかと頭に浮かんでくる。神代さんの大学時代の話、バンカラの彼がなにゆえあってヴェネツィア派の研究者となりしか、というのを書きたいと前から思っていて、いくつかのモチーフも決まってはおるのだ。そのタイトルを『たそがれにたたずむ君は』にしようか『君はたそがれにたたずみ』にしようかとずっと考えていたが、前者かのう、という気持ちになっています。ラブ・ストーリーみたいなタイトルだが、ラブはラブでもどうせ篠田が書くのだから、フツーの恋愛じゃありません。
 
読了本『ドント・ストップ・ザ・ダンス』 柴田よしき 実業之日本社 新宿の万年赤字無認可保育園園長にして私立探偵、花咲慎一郎の悪戦苦闘を描くシリーズ最新作。ダンスと言うよりはジェットコースターのような話で、読み出したら読み終えるまで寝られなかった。幕が下りてみると一応めでたしめでたしで、花ちゃんひとりが貧乏くじを引いているけどまあいいかー、という。本シリーズのジョーカーである「あの人」も、出場は少ないけどちゃんと顔を出して、花ちゃんをいじめてくれます。
 

2009.09.06
 昨日届いたサイン本プレゼントを処理、発送終了。総計172冊となりました。幸い残っている本も、手元の取り置きを覗いて20冊足らず。本棚を明けるという当初目的は完遂。
 仕事は『緑金書房』の直しを続行。連載のときは各回ごとに繰り返した初期設定のたぐいを、削り落としてシェイプアップを計るのが一番の目的。読み切り連載のような感じだと、どうしてもそういう作業は必要になるね。


2009.09.05
 徳間のSFJapan夏号変じて秋号が発売された。篠田の異世界吸血鬼もの『黎明の書』第三回掲載。これはあと一回書いたら、取り敢えず本になる予定。もっとも物語はまだようやく始まったばかりというか、本番は2巻目からだと作者は思っている。グイン・サーガのようなことには絶対ならないが、けっこう長いめの話になるというか、そこまで書き継ぎ書き終えられればいいなと思うとります。
 サイン本プレゼントの駆け込み応募が本日5名様到着。もちろん本棚に残っている範囲で、喜んで対応させて頂きます。文庫『未明の家』はついに底を突きそう。
 今日は埼玉県川島町の遠山記念館へ、長澤英俊というイタリア在住日本人彫刻家の作品を見に行った。この遠山記念館というのが大変見事な近代和風の大邸宅なのだが、そこにはめ込まれた現代芸術は、実に意表を突いていて新鮮だった。廊下のほの暗い船底天井に、金属のバーを曲げて作られた船の形が吊されると、見上げるうちに世界が転倒して、水の流れに透明な船が浮かんでいる様が見えてくる。縁なしの畳敷きの中に斜めに敷き込まれた畳は、金色の稲穂の原を空から見下ろしているようだ。大座敷のふすまには銅板の帯が大胆に屈曲し、その色が飴色の天井や框にしっくりと合う。他にも川越と北浦和の美術館で同時開催されているらしいので、行ってこようかと思う。

 読了本『新版 馬車が買いたい!』 鹿島茂 白水社 19世紀フランス文学に登場する青年たちが、田舎からなにに乗ってパリへやってきて、どんな生活をしていたか、どんな夢と野心を抱いていたか。衣食住を文学の描写から探り出し、現代人には理解しにくくなってしまったその具体像を、豊富な図版を交えて詳述した古典的名著の増補新訂版。実は篠田は19世紀フランス文学には全然興味が無くて、すみません、『レ・ミゼラブル』も『赤と黒』も『ゴリオ爺さん』も読んでないのですが、この本はちゃんと面白い。馬車が買いたいというのは、成り上がって裕福な生活をしたいという、ほとんどの物語主人公たちの夢のシンボルなのでした。運転手つきのマイカーが欲しい、というのと同じといってしまったら、ぼろぼろこぼれてしまう具体性を、この本は教えてくれます。馬車といってもあなた、ピンからキリまで。軽快なスポーツカーもあれば、重厚なロールスロイスみたいなのもある。スポーツカーはかっこいいし、自分で手綱を取っても不自然ではない分安くつくが、夜の訪問に使ったら噴飯ものだ。しかしロールスロイスならぬ堂々たる四輪馬車には御者に従者、彼らのお仕着せも当然必要、もちろん馬もというわけで、昔のお金持ちはたいそう出費がかさむものなんでありました。

2009.09.02
 サイン本プレゼント企画、167冊の本が篠田の本棚から読者の手にもらわれて行きました。そしてこの機会にたくさんの作品感想もちょうだいしました。有り難うございます。さしあげるべき本もめでたくほぼ底をついたので、完結記念企画をなにかやるとしたら、違うことを考えないとならないけど、うーん、どうしよう・・・
 『アルカディアの魔女』は書店配本9月11日になります。よろしくお願いします。
 明日明後日出かけるので日記の更新はありません。

 読了本『ゾティーク幻妖怪異譚』 クラーク・アシュトン・スミス 創元推理文庫 昔SFマガジンで一本翻訳された短編を読んだ記憶がある。『コナン』(名探偵じゃないよ)なんかとも雰囲気が似た、遙か未来の文明が衰退して過去に戻ってしまった最後の大陸ゾティークを舞台にしての幻想短編。しかしもっと、なんていうか、隠微で退廃的なムードなのかなと漠然と思っていたので、案外そうでもないのに驚いた。するするっと読めるけど、情動を揺さぶられるところまでは行かない。こちとらがすれてしまったからかもしれないけどね。

2009.09.01
 台風一過。なにやら「夏は逝く」といいたいような気候。いつもは嫌というほど残暑に悩まされるのに、今年はエアコンもほとんどつけなかった。電気代はかからないが農業は?・・・
 メフィスト連載の『緑金書房午睡譚』、続きを書かねばならないのだが、いままで書いた分を読み返すと、どうも冗長な気がする。というわけで既発表分のシェイプ・アップから始めた。
 読了本『煙突の上にハイヒール』 小川一水 光文社 日常の謎ならぬ日常のSFとでもいいますか、現代そのままの社会に、ほんのちょっとだけ進んだ科学技術、ひとり用の背負い型ヘリコプターとか、猫の首輪にくっつける音声同録のカメラとか、介護ロボットとか、が加わったらどんな物語が、というのをあくまで私的なささやかな範囲で物語にした短編集。読み味かろやかで基本「いい話」だが、最後の一作だけは新型インフルエンザの流行がいよいよやばいかといわれる今の時期、とてもビターでヘビー。