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2009.08.31
 角川書店に送稿した書き下ろしについてOKの回答あり。刊行は未定だが来年前半の見込み。ゲラは今年中に出して貰うよう要請。これで懸案が片づいたので、明日からメフィスト連載の決着をつける作業に入る予定。
 上に書影を掲げた北斗学園七不思議の第3弾、『アルカディアの魔女』は9月11日書店配本。厚みが増した分1680円と、ちょっとお高くなりました。どうぞよろしく。

 読了本『ここに死体を捨てないでください!』 東川篤哉 光文社 ユーモア+本格ミステリが持ち味で順調に作品を発表し続けている方。死体の捨て場を探してのドタバタというのは決して珍しい設定ではないので、ちょいと今更だなと思いながら読み出し、最初はやたらオーバーアクションな登場人物たちに引き気味だったが、読み終えてみるとトリックからクライマックスでの死体の果たした役割まで、きれいにピースがはまっていて、「おお、本格だわい」と膝を打った。本格ファンなら途中のギャグがうざくとも、読んで損はないと思われ。
 『ホペイロの憂鬱』 井上尚登 東京創元社 JFLに所属する弱小サッカーチームの雑用係が主人公だが、ほのぼのといってもミステリ味はごく薄く、サッカーに興味のない篠田としてはどこで面白がればいいのかわからない。無理にミステリにしなくてもいいんじゃないの、とすら思う。日常の謎というのは、無理にミステリ味を添加した**(ここにスポーツとか、グルメとか入れる)小説のことじゃないんで、首無し死体や密室が出てくるミステリよりむしろ難易度が高いんだってことを、たまには『空飛ぶ馬』でも読み返して思い出すべきだと。
 『イオニアの風』 光原百合 中央公論新社 ギリシャ神話のような神話に長年の創作が堆積して錯綜した物語群を、現代の視点から再創作しようというのは、物書きにとっては労多くして決して割に合うものではない。原典は相矛盾し、古層ほど不条理を極め、そこから一貫したストーリーを紡ぎ出すだけでも一苦労だ。現代人にとって承伏しがたい部分を書き改めていけば、不条理故のインパクトが薄れて、妙に痩せて貧相な物語しか残らなくなったりする。光原による語り直しはギリシャ神話の原型的な力強さを手放した代わりに、神話の輪郭を得ることで現代小説が容易に逃れられない自意識や歪みから登場人物を解放することに成功した。ぶっちゃけた話、大変に面白い。豊穣な物語に耽溺する喜びが理屈抜きで味わえる。

2009.08.29
 昨日は映画の試写会に行った。「ウェイブ」というドイツ映画。これは1969年にアメリカのハイスクールで起きた実話を元にしたノンフィクション小説を、現代ドイツのハイスクールでの出来事に置き換えて映画化したもの。プロットは原作に沿っていて、高校の歴史の授業で生徒に独裁制の恐ろしさを実感させようと考えた教師が、いわば「ナチごっこ」のようなことを始める。だらっと好き勝手にしていた生徒たちに「先生には敬称をつけて呼ぶ」「発言する時は必ず許可を得てから立ち上がって」といったシンプルなルールを徹底させるところから始めると、最初は戸惑ったり反発したりしていた生徒が、次第に乗ってきて自分たちから規律を求めるようになっていく。原作では教師がこのグループに「ウェイブ」という名前と独特の敬礼を与えると、生徒たちはますます熱中し、ウェイブはクラスから全学へ拡大していく。
 映画では原作小説ほど生徒たちは素直ではなく、反抗や疑問を最初から表明する生徒も現れるし、あからさまにナチスを連想させる細部は多少ぼかされている。ドイツの子供たちは幼い頃から反ナチ教育を受けていて、それこそ耳タコなのだ。しかし「うんざりしている」とは思うものの、その理解は表層的なものなので、やがてほとんどの生徒がこのナチごっこに熱中していく。グループ名や敬礼、制服などは生徒たちが合議で決めていくことになっている。ただウェイブのロゴを夜中町中に悪戯書きしに行くシーンなどは、全体主義的な行動とは明らかに無関係で、いまの子らしさのリアリティは生まれた反面、原作のひたひたと当たり前の生徒たちがナチ化していく怖さは薄れてしまっている。教師の位置づけも少し原作と違っていて、彼が自分のしていることにどこまで意識的なのかがいまいち明確でない。ただの熱心教師ではなく、同じ学校の教師である妻や同僚たちに対するコンプレックスを抱えているという設定からして、独裁制の恐ろしさを教えるという大義名分が、いつの間にか生徒たちを統制する快感にとりつかれていて、それを意識できない、というのがシナリオの趣旨なんだろうけど、そのへんが演技として明確に示されてはいない感じがする。
 原作でももっとも印象的なのは、クラスのオチコボレ生徒がもっとも嬉々としてウェイブの新秩序に同化していくところだが、こちらのオチコボレ君はもっと極端な行動に走ったあげく、原作とは違ったラストを迎える。これは映画をドラマチックにしようという意図だったのかもしれないが、ちょっと疑問。まあ現代ドイツの高校生では、集会でいきなりヒトラーの映像を突きつけられて、改めてショックを受けて夢から覚める、というふうにはいかないだろうけれど、その生徒を止めようとしたときに教師は、結局強権的な指導者の論理しか持てなかった。だから彼はいわば敗北し断罪される、ということか。結末を書かずにおくので、ちょいとわかりにくい文章になりました。

2009.08.27
 『ガラスの仮面』の44巻が出たのでさっそく買って読む。グイン・サーガは100越して終わらなかったときに投げちゃったのだが、こっちはまだ読んでいる。しかし、あまりにも話が進まない。前の巻の時もそう思ったが、今回も全部おなじみの人たちがおなじみのことをやっているだけ。マヤと亜弓はそれぞれコンプレックスに悩み、速見真澄は相変わらず片思いのグルグルから一歩も出られないていたらく。ラスト近くで亜弓さんが**、という展開が現れたが、これも連載ではずーっと前に描かれていたので、やっとそこまで来たかという感じ。真澄の婚約者の紫織がジェラシーに身を焦がしているので、きっとマヤに陰湿な意地悪を仕掛けたりするんだろうな。ほとんど水戸黄門の世界化しちょる。
 『久生十蘭従軍日記』はもうちょっとで読み終わる。中井英夫は十蘭のファンで、『虚無への供物』のヒロインの名も彼から取ったというのは有名。今回この日記を読んでいて、ふたりのちょっとした縁に気づいた。十蘭がジャワに行ったのは1943年で、滞在中ボイテンゾルグ植物園というのにわざわざ見学に出かけているのだが、当時世界的にも有名なここの、園長は日本人で、中井猛之進といった。字、間違ってるかも。しかしとにかくこの人は中井英夫の実父であります。十蘭は特別植物に関心があったわけでもないらしく、日本語のできるインドネシア人にガイドをしてもらって、オオオニバスとかをざっと見ただけで、残念ながら園長については出てこない。
 日記の中で延々「のむ・うつ・かう」だけしていて、「これのどこが従軍記者なんだ」といいたくなった十蘭は、ジャワ滞在四ヶ月を経てやっと御神輿を上げ、ジャワ島の東からニューギニアまで、前線見物に出かけた。さすがにこのへんは敵飛行機の空襲がやってきて、あわてて防空壕に避難したり、乗った飛行機が帰路落とされて顔見知りの乗員が全員死亡したり、戦争っぽくはなってきているが、兵士としてではなくただの見物人としてそこにいるせいか、おおむねお客様扱いで暢気この上ない。おまけにまた時間があると、接待所みたいなところに行って飲んだりやったりしてるし。さすがに前線で麻雀はまずいらしいが。

2009.08.26
 書き下ろしの原稿を献上した担当者から相変わらず返答が無く気持ちが落ち着かない。しかしこういうときこそ仕事とは直接関係ない本を読むチャンスと思い直し、『久生十蘭従軍日記』を読み出す。従軍記者といっても、戦争中のインドネシアで日本人の小説家がなにをやっていたのかというと、はっきりいってほとんどは「のむ・うつ・かう」しかやってない。日本人は占領者支配者なのである。朝から酒を食らって邦人同士で麻雀やって、夜はインドネシア人や中国人の女を買いに行く。買春がとても当たり前なのが、やはり一番異様に感ずる。当時久生は四十二歳で、日本には二十一歳の若妻がいて、彼女のために洋服やら時計やらせっせと買って送ってやったりしているのだが、それと「女を買う」ことはなんにも矛盾しないらしい。しかも、嬉々としてというか、すごく切実に性欲が募ってというかでは全然なく、なんとなくめんどくさそうに、男同士で飲みにつきあうのと同じような感じで、売春宿に行く。ろくな女がいないとか、汚いとか、病気が心配だとかぶつくさいいながら、それでも行く。頻繁に行く。そうか。この時代の男というのはこういうものだったんだ、と呆れる。たぶん彼ら自身も、「男というのは女を買う機会があったら買うもの」という規範に基づいて行動しているんだろう。別に特別にセックスしたいからというわけではなく、ご飯を食べるみたいに女を買う。男でも女でも、こんな時代に生まれなくて良かったと切実に思う。

2009.08.25
 ツレのデパート出店が昨日で終わり、今日から平常シフト。といってもこちらは相変わらず半夏休みモード。怠け癖がついて困るね。昨日からジャーロの来年の連載についてちょいとメモを付け始めたが、これはまだずいぶん先のことなので、切実さはない。切実なのは懐事情というべきか。徳間のSFJapanは夏号のはずが9月頭の秋号になり、その次は来年の春号になるんだそうだ。まだ8月だというのに、財布を吹きすぎる冷ややかな風。雑誌が休刊にならずに済んで、まだしも良かったというべきか。

 読了本『新世界より』 貴志祐介 講談社ノベルス ぎょっとするような分厚いノベルスで、仰向けに寝ころんで読んでいたら窒息死しかねない危険物だが、久々に小説の面白さを存分に味わった。恩田陸を思わせるノスタルジーの色に染まった世界が、やがてとんでもない暴力とパニックの連打を浴び、さらには世界の驚くべき真相が立ち現れる。残酷にして哀切。一読の価値有り。
『少年名探偵虹北恭助の冒険 フランス陽炎村事件』 はやみねかおる 講談社ノベルス このオチはいくらなんでもあんまりだと思う。ユーモア・ミステリならなんでもありということにはならない。
『少女探偵は帝都を駆ける』 芦辺拓 講談社ノベルス 面白うてやがて悲しき物語なり。『殺人喜劇のモダン・シティ』を読み返したくなった。
『レオナルド・ダ・ヴィンチの食卓』 渡辺怜子 岩波書店 レオナルドの食生活を資料に基づいて記述すべく彼の手稿を調査したが、一言で言ってしまえば、何をどのようにして食べたか、について彼はなんにも書き残していないということがわかった、と。でも、菜食主義だったというのは伝説だったらしい。少なくとも彼の蔵書の中には、食材や調理法、食養生について書かれた本が含まれていて、食べることに全く無関心ではなかったらしいということはわかるそうだ。
『赫奕たる逆光』 野坂昭如 文春文庫 先日神保町の古書店で入手。野坂が三島について書いたというので、あまりにも接点がないような気がして不思議だったのだが、それは無知でした。これは野坂の見た三島であると同時に、三島に重ねて野坂が自分の複雑な家庭事情を語った書でもある。ふたりの作品はとんでもなく違っていたが、ふたりの境遇は奇妙なくらい似通った部分があった。しかし野坂が「三島は男色家というよりは、自分にしか愛を向けられないオナニストだった」と語る時、「人は結局己れのことしか語れない」ということばを思い出してしまう。

2009.08.22
 サイン本応募に返信2通。後は読書とジム、切り紙遊び。切り紙はもっぱら栞になった。かたちもだいたい縦長の一般的なしおりのサイズで、それでも色画用紙を二枚貼り合わせ、裏表に折り紙を切って作った切り紙を貼り付ける、デザインと色の組み合わせはいくらでも考えられて、まだ飽きそうにない。
 徳間書店「問題小説9月号」のイラスト先行短編で短いものを書いた。SF紛いとでもいいますか。

 読了本『謝肉祭の王 玩具館綺譚』 石神茉莉 講談社ノベルス 前作の『人魚と提琴』と比べるとずいぶん読みやすくなったが、その分食い足り無さを感じてしまった。もっと凄惨な話になるのかと思ったら、ラストは妙にほのぼのとしてしまって、幻想小説としても突き抜けないしホラーとしてもぬるい。ただ、リーダビリティとこのへんの感じは逆のベクトルといえなくもないので、そのへんが難しいんだけれど。不思議な玩具館は前以上によく書けていて魅力的で、こんな店があったらぜひ訪れてみたいと思ってしまうから、ほのぼののラストも悪くはないんだけれど、うーん・・・
 
2009.08.20
 書き下ろしは手直しして入稿してしまったので、今日は一日読書で沈没。

 読了本『安徳天皇漂海記』 宇月原晴明 中公文庫 素材を丸のまま放り出したような処女作と比べてずいぶんとリーダビリティが上がって、幻想小説としてだけでなくエンタメ伝奇としても楽しめる作品になった。皆川博子先生の力の入った解説もファンには嬉しい。澁澤ファンが喜ぶかどうかはちと微妙か。
 『レニ・リーフェンシュタールの嘘と真実』 清流出版 これは大変面白い。もちろん『意志の勝利』を見たから、どんな人だったのかな、という興味が湧いて手に取った評伝。非常に強烈な女性だったのだね。まあ、男尊女卑のナチ支配社会で頑張るには、これくらいでないとということなんだろうが、少なくともお友達にはなりたくないというか、そもそも女の友達はいない、男は、これというのとはさっさと寝てしまって、恋愛関係がとぎれた後もなんだかんだといっては呼び出したり金を引き出したり、それが結構通ってしまうということは、やはり男性の目にはなかなか魅力的な女性だったんでしょう。そうやって成功した女性は情勢が反転すると魔女のように石を投げられるわけだが、彼女はそれでも反省の振りすらせずに生き抜いてしまうので、そういう意味でもすごい。

2009.08.18
 渋谷へ『意志の勝利』を見に行ってきた。1934年のニュルンベルグにおけるナチス党大会を記録した映画。ドイツ国内では現在も一般上映が封印されている、DVDも手に入らない、禁断の映画なのだ。面白いかといえばストーリーはないし、行進とか演説とかがほとんどで、たるいといえなくもない。しかしヒトラーのパフォーマンスつき演説がたっぷり見られるし、そのヒトラーを迎える群衆の、スターにキャーするのとまったく変わらない熱狂ぶりは興味深い。なんというか、幸せな祝祭気分にあふれていて、この人たちはこれから5年後10年後15年後にはどうしていだろう、なにを考えただろう、戦後になってこのときのことを思い出したことがあるだろうか、などと考えると、なんだか涙ぐんでしまう。
 そうした歴史的な感慨を別にすると、監督のレニ・リーフェンシュタールという女性は、たぶん思想性などない、完全にミーハーというか、いまなら腐女子だなと思う。彼女はヒトラーに萌え、ヒトラー・ユーゲントの少年たちに萌えていたのだよ。男の子たちがパンツ一丁でレスリングをしたり、頭を洗ったり、とか、ヒトラーを一目でも見ようとつま先立ちしたハイソックスの足下とか、フェチっぽいんだ、目線が。ヒトラーのポーズもね、なんかいちいち「マイン・フューラーを素敵に撮っちゃうわ」って感じで、それはプロパガンダ映画というよりミーハー映画です。
 でも、そんなふうに思うのは他人事だからだとも思う。自分の親や祖父母がそこにいるドイツ人は複雑な気分にならざるを得ないだろうし、いまが不幸で戦争の記憶がないドイツ人は「けっこうこの時代ってよかったかも」と思わないでもない。そういう影響力はあると思う。

2009.08.16
 書き下ろし、取り敢えずエンド・マーク。もちろんこれからプリント・アウトに赤を入れることになるが、ラストにたどり着いたことだけは間違いない。へろへろ。

 読了本『虫とりのうた』 赤星香一郎 講談社ノベルス ジャンルとしてはホラーなんだと思う。文章はこなれている。でも篠田は基本的にホラーのツボがないので、「ありがちな設定とありがちな展開とありがちな落ちだなあ」という気しかしなかった。たとえば鈴木光司の『リング』を読んだ時は、怖くはなかったが、ありがちな設定と展開と落ちかと思わせて、それを突破するパワーと描写力があって、これは新しい小説だなあと感心したものだったが、これはなんとなく『リング』の縮小再生産のように思えてしまうのだ。この作品で『リング』の呪いのヴィデオに相当するのが、「虫とりのうた」という童謡とそれにまつわる都市伝説なのだが、こういうものはそれ自体に魅力がないとあほらしくしらけてしまう。『リング』のヴィデオがしらけるどころか迫真のイメージを喚起したからこそ、後の破天荒な展開が馬鹿にならなかった。こちらの「虫とりのうた」はかなりしょぼい。おかげで後のすべてがしょぼくしか見えない。

2009.08.13
 すいません。相変わらず代わり映えのしない毎日。書き下ろし、来週は19日に外出の予定が入っているので、それまでにラストにたどり着けたらいいなと思うのだが、微妙。ゴーヤ、元気がいいのはいいんだが、なにせベランダの一角だ。支柱からあふれ出した蔓の先端が、洗濯物乾し場をねらっておる。しなやかな先端がふわっと忍び寄っていたりして、それを毎度「こらこら」と押し戻したり、少しでも空きのある方へ誘引してみたり。「朝顔につるべ取られてもらい水」は風流だけど「ニガウリに物干し取られてどうしよう」じゃねえ。
 サイン本応募2通いただいています。お礼状も1通。それから今日は祥伝社の方に、龍のサイン本応募を頂戴しました。有り難うございます。しかし東名道の不通で郵便に遅れが出ているなどというニュースもあるし、お盆休みが明ける来週後半あたりの発送の方が安心かな、なんても思っています。そんなわけで、すぐに届かなくてもご心配なく。
 光文社のミステリ雑誌ジャーロが、来年から年3冊になるそうだ。来年は春号が休刊になり、リニューアル号が夏からになるらしい。篠田の新連載はこの冬の号からという予定だったのだが、そうすると始まってすぐ次が大きく開いてしまうので、リニューアル号からの連載でどうか、というお話をいただいた。実は篠田的には有り難いというのは、今年中に出るメフィストの冬号とSFJapanの冬号で、それぞれの連載に区切りをつけないとならないことになっていて、けっこう予定がタイトだったからだ。夏からなら、それまでに建築探偵最終巻に手をつけることが出来る。完成できるとは、いわないけど。だって連載が終わればそれぞれ、本にするという話になって、そうなりゃどうしたって手入れにそれなりの時間がかかるというわけで。
 ひとつ問題なのは、ジャーロの話は真冬の話で、そのために冬の稚内まで取材に行かせてもらったっちゅーのに、寒そうな話を書けるのか自分、ということだけ。でも、執筆時にぴったり季節が合うことのほうが珍しいんだけどね。そんなわけで、来年の予定もぼちぼち形になって参りました。

2009.08.11
 今朝は地震で起こされた。洗濯しても湿度が高すぎて全然乾かない。ゴーヤは少し元気になって、雌花が立て続けに咲いた。次に収穫できるのは10日くらいは先になりそうだけど。それにしても天気予報がまったく当たらないね。
 昨日は年下の友人と遊んだ。石神井公園で傘を差したまま、白ワインと彼女が作ってくれたスモークサーモンの太巻きを食す。それから彼女のところへ行って、延々とワインを飲み続ける。
 はい、今年の夏休み終了。

2009.08.08
 書き下ろし、本日で170頁。200は越すだろうが250にはならないなという見当。しかしこの見当がいかによく狂うかは、この日記を見てみてくれている方たちには周知の事実。しかしまあ、スピードアップしていることだけは確実なんで、めざせエンド・マーク。
 このほかには来月出る北斗学園の挟み込みおまけの文章を書く。このおまけは図書館では捨てられてしまうのだろうから、買ってくれた方だけ限定のお楽しみです。学校図書館なんかだったら、見返しに貼り付けるとかして残してくれたらいいだろうに、ああいうのはなんか規定が決まってるんでしょうね。でも、今日聞いたのだが、篠田が昔住んでいたさいたまの浦和の図書館では、村上春樹の『1Q84』を44冊購入していて、待ち人数が2千人越しているそうです。篠田ごときが村上大先生の売り上げダウンを心配するのもおこがましいが、その数字ってどうよ。図書館、無料の貸本屋じゃん。大先生はとんでもなく売れているんだろうけど、それにしてもたったひとつの図書館で返却待ちが2千人なあ〜 図書館篠田も大好きですが、本が売れないと物書きは飢えて死にます。マジで。飢えて死んだら本は書けないです。

 読了本『正岡子規殺人句碑』 辻真先 中公文庫 古本屋で収集した辻先生本の1冊。軽い目の旅情ミステリではあるけれど、子規と漱石が登場する小説が作中作として挟み込まれ、それが事件の真相に関わっているという構成の凝り加減はまさしく辻節。トリックも小ネタながら、マニアでも「おっ、そうきましたか先生」と膝を打ちたくなる工夫が凝らされていたり、これは実際松山で見つけた建物の構造を取り入れたのだろうな、と思う趣向があったりして、飽きさせません。読み味もさわやか。

2009.08.06
 仕事は相変わらずじりじりと。しかし150頁は超えたので、あと100頁くらいで終わるだろう。八月末までにクリヤという目標は、一応達成できそうだが、ここで気を抜いてはならん。
 ゴーヤは昨日第8号を食べた。うなぎのかばやきとの和え物。「にがにがくん」という品種はどうやら売られているものよりやや小振りな、200グラムくらいがマキシマムらしい。種のまわりに柔らかい果肉がついて、これがあざやかな真っ赤になっていて、食べたら甘かった。ということは、これ以上置いておくと外見も黄ばんで食べられなくなるんじゃないだろうか。
 今日講談社文庫『angels』の見本が来た。表紙は元本の彫刻家さんの別の作品をお借りしている。なかなかにかっこいい。帯は「夏休み、学校の死体。誰もが怪しい」と、これもなかなかかっこいい。図らずも作品中季節と刊行季節が一致しました。シリーズ未読の方でも、これだけで楽しめますよ。でも解説もなかなかに行き届いたのをつけてもらい、元本のミステリ的な穴もふさぎましたので、お手にとっていただけると、とても嬉しい。それから「イン☆ポケット」のもうひとつのあとがきにも自著宣伝を書かせて貰ってます。

2009.08.04
 仕事のことは相変わらず代わり映えしないので、それ以外のことを書く。
 ゴーヤは雌花が昨日ふたつ、今日ひとつ咲いたが、昨日は雄花がひとつも咲いていなかったので、果たして実になってくれるのかどうかわからない。家庭菜園の先輩友人に聞くと、やはり今年は気温が低いので、ゴーヤの勢いはいまいちだという。
 読了本『おさがしの本は』 門井慶喜 光文社 以前に『図書館のプロが教える調べるコツ』という本を読んで、ああ、これってちょっとミステリの推理と似てる、ということは図書館のレファレンス係を探偵役にした日常の謎ミステリなんてありだなあ、と思った。本書はまさしく篠田が想像したとおりの、図書館レファレンス係を主人公にしたミステリ。で、絶賛面白かった〜といえれば万歳なのだが、残念ながらそれほどでもなかった。なんでなのかなあと少し考えたが、ひとつには主人公が魅力的でない。「生まじめでカタブツの図書館員」帯より、は確かにその通りなんだけど、その彼が思いがけず新任の副館長に楯突いたりするところは、あら、まじめなだけじゃないのね、気骨もあるのね、と思えるはずが性格が一貫してない、ご都合主義と感じてしまうのは意地が悪すぎるだろうか。日常の謎派に時折見かけられる、「いくらなんでもその解決は無理じゃねえ?」という解決もあるし。いや、ネタバラシになるから具体的にはいえないんだけど、2話めはそんな印象。3話めは一種の書名クイズだけど、問題を難しくするためにヒントがひねり過ぎな感じ。そういう設定は作ってあるけど、そもそもレファレンスの仕事じゃないし。本業の方で魅力的な謎をやってほしかった。いただきものです、すいません。

2009.08.02
 まーったくなんざましょーか、このお天気は。8月だっちゅうのに肌寒いは雨は一日降り続けるは。これじゃお米もどうなることか。
 などと憤りつつも、篠田は昨日も今日もお仕事。昨日はスタバで頭を叩いて、いま書き続けている書き下ろしの『サンドリヨン(仮題)』の、結末に至る道筋がやっとこかいま見えてきたか、という感じ。100頁も書き終えた後でおまえはそれをいうか、と我ながら思うけど、ほんとなんだから仕方がないっす。
 後はにがにがくんに「雌花咲けーーーっ」と念力を送り、切り紙を少しやり、朝食べるパンがなくなったので今日は白神こだま酵母でブリオッシュを焼く。しかし卵が大きかったからか、やけに種がゆるい上に、肌寒いから放置しとけばゆっくり発酵するだろうと思った生地がべろーっと膨らんでしまい、それをどうにかとりまとめてアルミケースとパウンド型に入れて、今度はオーブンで仕上げの発酵をしながらエアロバイクを漕いでたら、またまたべろーっとあふれ出してしまい、それでもどうにか焼いた。まあ食べられないってことはあるまい。
 サイン本応募、幸手のY田様。篠田も子供の時から建物の見取り図を見るのが大好きでした。地図も好きでした。建物はミステリに、地図はファンタジーに繋がってるみたいです。サイン本は投函してしまいましたが、濡れないで無事お手元に届きますように。