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2009.05.31
 『黎明の書』第三回150枚弱で一応ラストまで。しかし体調(どちらかというと頭調?)がいまいちなので、こういうときは小説がたるんでないか、くどくなったり重複はないかと、自分に厳しく考えないといけない。幸いまだ〆切まで時間は充分あるので、読み返して手を入れよう。
 東京にお住まいの皆様、銀座で店頭に置いてあるPR誌「銀座百点」の六月号に篠田がエッセイを書いております。お気づきの方はよろしく。

 読了本『時のかさなり』 ナンシー・ヒューストン 新潮社 新潮クレストブック 久しぶりに優れた小説を読んだ、という濃密な気分。ある一家の60年4世代を時間を追っていくといっても、まず語り手がいずれも6歳の子供であることに驚き、さらにそれが現代から過去へとさかのぼっていく構成に驚く。現代の6歳の少年と、その父と母、父の母、つまり祖母、祖母の母、つまり曾祖母。それが次の章では、前章の少年の父が6歳で、祖母は若い母となり、その夫が現れる。次章では母が6歳の視点になり、最終章で曾祖母の6歳が視点になる。そこでようやく一族にまつわってきた謎が開示されるのだが、そこまで来ればもう一度前に戻って第一章をエピローグとして読み返さざるを得ない。最初の章で現れた意味の分からない名前やつながりの見えない事物が、過去へ行くことによってどういう位置づけなのか見えてくる。謎解きのミステリにおいては、事件が起きてそこから過去へ推理によってさかのぼるわけだが、これもまあその点では似ているとはいえる。ただしこちらは推理ではなく事実として提示されるので、明確であり、ある意味逃れようがない。残酷な小説だともいえる。

2009.05.30
 昨日今日、『黎明の書』で頑張ってます。ゴーヤのにがにがくん、高さは1メートルを超し、今日三つ目の花が咲きました。明るい黄色のなかなか可愛い花。しかし前のふたつはあっさり落ちてしまって、さあ、この残った細い茎みたいなのが、ゴーヤに育つのだろうか。今はとてもそんな風には見えないねえ状態です。ブルーベリーは実になるのがちらほらで、やっぱりベランダじゃ、蜂も少ないしちゃんと受粉しないんだろうか。綿棒持ってこすってみたりはしたんですがね。

2009.05.28
 26と27,奥日光に新緑を愛でに行った。特に目的は中禅寺湖の西側の林間にあって、車の入れない小さな湖、西ノ湖(さいのこ)。これがとても美しくて、『翡翠の城』を書く前だったらここを舞台のイメージにしただろうなあという感じ。戦場ヶ原は上高地と比べるといまいち景色が単調だったが、最後は湯元の温泉寺で、源泉すぐ横の新鮮そのものの温泉に浸かり、といいたいがあまりに熱くて湯船にはほとんど入れず、掛け湯でしっかり硫黄臭くなって帰宅。
 帰ってネットに繋いだら、栗本薫さんの訃報があってびっくり。同世代の同業者の死というのは、やはりなかなかきついもの。しかし個人的に親交があったわけではないので、「グインの豹頭の謎は解かれないまま終わるのだろうか」というのがちと気になる。篠田はグイン・サーガは102巻か3巻くらいで挫折したのだ。100で終わらないというのは、なんだかずるいぞという気がして、内容的にもダラダラというか、なんだかゆるくなってしまったなあと。それからもときどき立ち読みはしていたのだが、文庫一冊の内容が普通ならせいぜい一章分で、ちょいちょいと拾い読みすれば話は追える感じで、やっぱり買おうとは思えなかった。でも売れ続けていたらしいから、商品としての価値は依然あったわけだ。
 読者的にはどうなんだろう、と忌憚のない感想が聞きたい気がする。終わってしまうとつまらないから、終わらないでくれた方が嬉しいのか、それで作者の病死で話が途絶しても、別にかまわないものなのか。だって終わらせずに書き続けたら、いつかそういう日は来るよね。それでもとにかく長く続いた、というので満足なものなのかしら。篠田は物語の畳み、つまりクライマックスからエピローグにかけて、というのが一番の読みどころ、読ませどころだと思っている。いくら掴みが面白くても、ここが竜頭蛇尾になってしまった小説は失望が大きい。がんがん謎を出して、わくわくさせておいて、はぐらかしたような終わり方をして「さりげないでしょう、文学でしょう」みたいなのは、正直ずるいとしか思えないし、金返せと思う。
 栗本薫はもちろんそういう訳じゃないけど、闘病を続けていたということは、「旅の途中で倒れるかも」という危惧は覚えていたのではなかろうか。それでも畳まずに書き続けたというのは、作品を書き続ける快楽に淫したんじゃないかと思えてしまう。あるいは書き続けることで、自らを励ましていたとかね。だったら他人が批判するわけにもいかないが、同人本じゃないんだし、それはやはりプロのするべき事ではないのではなかろうか。これから作者の残した原稿が発表されて、そこに『豹頭王の花嫁』(最終巻のタイトルと作者が予告していた物)があったなら、ごめんなさいですけど。
 建築探偵はね、そういうことにはしたくないとずっと思っていた。別に死にそうな病気は持っていないけど、先のことは分からないし、死ななくても創作力は衰えていく可能性が少なからずあるわけでしょう。そんなことになる前に、ちゃんと決着はつける。それがいままで愛してくれた読者さんたちへの、お礼と落とし前といいますか、まあそんなつもりなのよ。それが出来れば篠田がその翌日死んでも、物語はしばしはあなたの胸に残すことが出来るわけで。だからもう、終わらないでとはいわないでね。

2009.05.25
 昨日作ったニンニクの冷たいスープは、我が家のスペシャリテ。あんまり他で聞かないのでレシピなんぞ書いてみます。二人前でニンニク、普通の大きさなら2玉、2粒ではないよ、ばらして皮ごと鍋で茹でる。ゆでこぼしを最低3回はやって、指でつぶれるくらい柔らかくなるまで火を通す。うちではこのときローズマリーの枝を放り込んで香りを付けます。後は裏ごしして、コンソメキューブ1を200ccの湯で溶いて冷ましたものと、卵黄1ケ、生クリーム100ccをまぜて食卓へ。ニンニクはあればフードプロセッサでつぶしてからざっと漉すと簡単。要するにビシソワーズのニンニクヴァージョンです。真夏のばてたときなんかにも美味しくいただけるのでお勧め。

 明日明後日、日記の更新が止まります。次回は木曜夜。

2009.05.24
 仕事の方はあまり代わり映えがしないので、ちょっと違った話題を。先日うちで購読している毎日新聞の夕刊に寺山修司の短歌が掲載されていて「王国の猫が抜け出すたそがれや 書かざれしかば生まれざるもの」というのだが、これが妙に北斗学園のイメージと合うなあと思ってしまった。不思議とロマンティックな響きが、あんまり寺山らしくない気もするけど。
 高校の時に石川啄木の短歌をせっせと読んで啄木調の歌を詠み、大学では会津八一ゆかりの先生の講義を聴いて奈良の仏を詠った歌に親しみ、万葉集も読み、同じ頃塚本邦雄の歌とも出会ったがこちらはなかなか難しくて、心からいいなと思えたのは少数、という程度には短歌は親しみがある。寺山の短歌はわりと好きで、暗記しているものもいくつかあるくらいなのだが、この歌は全然知らなかった。
 寺山で、ある程度ちゃんと思い出せる好きな歌は「サ・セ・パリも 悲歌にかぞえむ 酔いどれの少年とひとつマントの中に」というの。乾いた叙情とでもいいますか、31文字の向こうにドラマがほのかに浮かび上がってくるような気がして、好きなんです。5/7/5、17文字の極限までのそぎ落としと比べると、31文字というのは意外に長くて、語れてしまう分説明的になったり、だらしなくなったり、ただの愚痴の垂れ流しになったりしかねない危険はあるんだけど、定型詩というのは感情が荒れ狂ってどうにもならないようなとき、それに縛りをかけて言語化することを可能にしてくれる。いまやすっかり枯れてしもうた篠田にも、そんな疾風怒濤の時代がございました(苦笑)。

2009.05.23
 昨日は友人と東京大学の博物館へ。リニューアルしてから、前から行ってみたかったんである。それからランチして谷中方面に散歩。最後は池袋、ジュンク堂のカフェでお茶して解散。風が強かったけど、暑すぎずにまずまず散歩日和でした。今日はうだうだ仕事。講談社から文庫とメフィストのゲラ。なんで同じ日に届くんだよー。
 活字倶楽部の今号、カラーの投稿ページに美しい久遠アレクセイのイラストを発見。ちょっと嬉しい。

 読了本 『贋作王ダリ』 スタン・ラウリセンス アスペクト かつては間違いなく天才だったひとりの画家が、後年助手の絵にちょっと筆を加えるくらいのことから、果ては白紙にサインして金を稼ぐ(サインした紙に後からリトグラフのたぐいを印刷し、ナンバーと自筆サイン入りの限定版として売りさばく手口)ようなことをしていた、というスキャンダラスな事実を、ダリの専門ディーラーをしていた男が書いたノンフィクション。まあ、どこまでが本当でどこからがフィクションかはわからない。近代以前は高名な多産画家が、実は工房主催者で実際筆を執っていたのは助手たち、なんてそう珍しい話じゃなかったし、投機目的でダリのサインのあるリトグラフや水彩画が大量に出回った時代があるというのは事実らしいし、ありそうなことではある。でも、後期の作風の変わったダリはほぼ贋作、というのはちとショック。溶けた時計なんかより、「最後の晩餐」とか透明感のある絵の方が好きだったんだよね。

2009.05.21
 昨日は菓子作りが趣味の友人の主催で、新宿御苑緑陰のお茶会。その後薔薇を観賞。『虚無への供物』に登場する往年の名花ピース、わずかにピンクを滲ませた大輪の黄薔薇など。今日は仕事。『黎明』ようやく90枚。こちら次回で終わり、じゃないけど、第一部完なわけ。メフィストの方も次回で一応完結の予定だし、なんだってこういうことが重なるかね。しんどいじゃないか。
 長いこと読んでいたあるシリーズものの小説が、久しぶりに新刊が出て、それも2分冊で完結だというので、そりゃもう勇んで買い込んだのだけど、この終わり方はうーん、かなり微妙だった。まあ、物足りなかったわけですね。ひとつの決着ではあるけれど、ほとんどの問題はエンドマークの向こうに先送りというか、「彼らは生きているわけだし、後は想像してちょーだい」という感じで、なんかはぐらかされちゃった感じ。
 物語を終わらせるというのはつくづく難しい、といまさらのようにプレッシャーだ。読者様に「物足りない」「はぐらかされた」といわれないように、建築探偵を終わらせられるのか、自分。それくらいならだらだら続けた方が楽かもよ。で、少しずつ皆様に見放されて、ほんとに終わった時は誰も気が付かない、とか。いやあ、そりゃやっぱりいやでしょ。愛して頂けたからこそ、いままで続けてこられたんだし、「ああ、これまで読み続けてきて良かった」と思って本を閉じてもらいたいでしょ。読者の方もそう思われるだろうけど、誰より自分がそう思う。だからまあ、なんとか頑張ります。頭はげても。

2009.05.19
 だらだらと洗濯したりパンを作ったりしながら仕事。『黎明』やっと78枚。でも明日も外出。

2009.05.18
 今日は友人に誘われて文楽見物初体験。いまはブームなんだそうな。しかし予想外に面白かった。なるほど、歌舞伎の様式化された演技は、もともとに人形浄瑠璃があって、それを人間が模倣するところから出発しているのだなあ、ということがいまさらながらよくわかった。太夫の語りも聞き取れないところは字幕があるし、イヤホンガイドも要所要所に解説をしてくれるので、鑑賞にはまったく不自由がない。友人はどっぷりとマニアなので、そういうことも要領よく教えてもらい、何事につけても先達はあらまほしきものかな、である。

2009.05.17
 午前中はサイン本の発送作業。今日までで148名様、礼状は69名様からいただきました。
 千葉市花見川のTさん、おっしゃる通り神代さんのシリーズは本編で登場したキャラをいろいろ再登場させてます。といっても、時間軸はこちらの方が前になるのですが。桜は、若い頃はなんとも思わなかったというか、大島さんの「花見は嫌い」が自分の実感だったのですが、なぜか年を取るにつれて心に染みるようになりました。不思議なものです。栃木県さくら市のTさん、人間が生きていくって本当に楽じゃないですね。そんな辛い時間を我慢するのに、私の小説がいくらかでもお役に立てたなら、物書きにとってこれほど嬉しいことはありません。横浜市都筑区のSさん、わざわざ切手有り難うございました。
 建築探偵の残部は上に書き出しました。いよいよ残り少ないですが、私のところにあるよりは喜んでもらって下さる方の手に渡る方が、きっと本も幸せだと思います。龍シリーズの読者の方で、「龍でもいいから」ということでしたら希望していただいてかまいません。こちらはあんまり冊数はないのですが、最初の巻は4.5冊、他も2冊くらいならあります。文庫もあります。
 『黎明の書』67枚まで。集中力が続かなくて、一日10枚しか書けない。しんどい。でも励みます。

2009.05.15
 北斗学園の新刊に掲載される(かもしれない)登場人物相関図を作成。もっとごちゃごちゃしてしまうかと思ったが、わりとあっさりするすると形になった。しかしこれは登場人物表の代わりにはならないし、おまけの別刷りがいいところじゃないかな。明日からはまた『黎明の書』に戻る予定で、中世関係の資料本を読む。
 お手紙転送あり。3通はサイン本、1通礼状。軍艦島ツアーのパンフを送って下さった長崎市のMさん、有り難うございます。ネットでNPO法人がやっているツアーを見ていたのですが、他の会社でもやっていたのですね。こちらは説明がついていない分安いのかな。でもこぎれいに見物する施設が出来ているようなので、案外実際に見てがっかり、というのもありかなと思うと、なかなか決心がつかないのですよ。でも、それはそれとして長崎にはまた行きたいです。天主堂も全部見終えていないし。しかしなぜに九州の醤油というのは、あんなに甘いのでしょうか。先日銀座で鹿児島県のアンテナショップでランチをしたのですが、味はいいけど甘いんだ。後でじわっと甘さが効いてくる。
 にがにがくん、順調に成育中です。蔓は丸まってしまうので本体の高さで観察することにしたけど、1週間で20センチ以上伸びました。いやってほど生る、というのを楽しみに、毎日「がんばれよっ」と声をかけてます。苦いのが苦手な人は、種と綿を良く取って、塩で揉んで水にさらすと苦みが和らぎます。最近の家のブームは、そうやった生のゴーヤとパイナップルを合わせて、軽く油をふったゴーヤのサラダです。

2009.05.14
 読了本『訪問者』恩田陸 祥伝社 5年以上前に小説ノンに連載されたまま、本にならなかったミステリがようやく刊行された。会話主体の室内劇で過去のとある人物の死の真相が究明される、という点では名作『木曜組曲』を彷彿とさせるが、実はそこに現在進行形のあることが隠されていて、というあたりをあまり書くとネタバラシになってしまうので自粛。かっちりとまとまりのよいウェルメイドな逸品という印象。ただ、いつもの恩田作品と比べるとどこか物足りなさを覚えるのはなぜだろうと考えたら、美味しい料理の描写がほぼまったくなかった。そこだけは残念。だって、いかにも有能そうな家政婦さんがいるんですよ。彼女がどんな食卓を作っていたか、知りたいじゃありませんか。

2009.05.12
 今日は植物好きの友人と、西武拝島線東大和市駅近くの都立薬用植物園に行く。主目的は開花中の罌粟の花を見ること。おお、ついに見られたぞ。憧れのパパヴェル・ソムニフェルム。塚本邦雄が唯一のミステリ『十二神将変』で描写した、苦い香りが風に乗って花へ届く。高さ一メートルを超す高い茎の頂きに、大げさにいえば赤ん坊の頭くらいの純白の花がつき、散れば巨大な罌粟坊主が残る。これを薄く傷つけて、にじみ出る液体を集めて乾燥させたものが生阿片。当然柵の向こうに見るだけ。しかし薬物成分を含まぬ罌粟はすぐそばで眺められ、これまた百花繚乱。他にも漢方薬になる植物、薬草、香草、毒草などが広からぬ園内を埋めて、これぞまさしく魔女の花園。ヒマラヤの青い罌粟も温室で大事に開花していたし、カカオの実はごろごろ生ってるし、カモミールは花壇を埋めて甘い香りを放っている。しかもあなた、入園料ただですよ。また季節を変えてこよう、罌粟の咲く頃にはもちろんまた来ようと心に決める。帰りは野火止用水から多摩湖自転車道路を小平まで歩き帰宅。あとは行く前と戻ってから北斗学園ゲラの続き。ああ、充実の一日だった。つきあってくれたNさん、有り難う。

2009.05.11
 サイン本の発送に郵便局に行って、そのままスタバでSFジャパンの続きをやろうと思っていたのだが、北斗学園3のゲラが午前中に来るというので、予定を変更してそれを待つ。ゲラ受け取って、編集者に返事を書こうと彼女のメールを読み返していたら、やはり北斗学園を先にやりたくなってきた。外に出る用事を済ませて、残り物のバナナで黒糖バナナマフィンを作り、それから久しぶりに主人公アキラと再会。
 本当はこいつのこと、もっともっと「男の子」にしたいんだよね。「毎日かあさん」のお兄ちゃんみたいな、人間以前のはちゃめちゃな。でも、彼に語り手はやれないものなあ。やらせたら道尾秀介さんの『向日葵の咲かない夏』になっちゃうもんなあ。ちなみにこれは傑作です。すごく痛切な話なので本棚にあっても読み返す気にはなれないのですが、そう、あれは水たまりのどろんこの中でマジに地球の命運をかけて戦ったりしてしまえる男の子心を、大人になって再現することが出来た、という意味でも希有な作品かも。篠田はでも天才にはほど遠い凡人なので、わかりやすいお話しか書けないのだ。

2009.05.10
 昨日送られてきたサイン本の発送処理。本を入れるのにちょうどいい封筒が切れていたので、買いに出たら暑いのでたまげる。うちにはまだ灯油のストーブが出てまっせ。なんで寒いから暑いにいきなりなるんじゃい。

 後は仕事、SFジャパン。書きながら前に書いたことを参照するのでバックナンバーを手元に置いて、ついでに読んでいなかった短編を読んだり、連載をまとめて読み直したり、する。昔篠田はミステリよりもけっこうSF読者で、高校生の時に小松左京の『果てしなき流れの果てに』と光瀬龍の『百億の昼と千億の夜』を読んで頭がつんとやられて、なんて遠い記憶もあったりするのだが、ここしばらくSF系とは離れてしまっていて、この雑誌ももらうけどあんまり読まない状態だったのだが、久しぶりに読むとにゃかにゃか面白い。もっともかけらも理系でない脳みそなので、あまり先端科学してるようなSFは、努力もせずにあっさり白旗である。
 というわけで、今日は49枚まで。にがにがくんは蔓がくるくるし始めてしまったので、メジャーで測れなくなりました。そろそろベランダにアブラムシが出だしたようで、ミントが真っ先にやられてる。仕方ないから刈り込んで干してます。ミントティー、美味くはないけどノンカフェインだし。

2009.05.09
 読了本『最後の一球』 島田荘司 講談社ノベルス 島田流演歌というか、ナニワブシというか。こういうものを書かせるとこの人は本当に上手い。下手に書けばしらけるか、ご都合主義、とってつけたような「いい話」かよ、と失笑したくなるようなプロットを、ぐいぐい読ませる。ただし、ほとんどミステリではない。ミステリを、というより普通に小説を読み慣れている人なら、プロローグとタイトルでラストの真相はほぼ見通せるだろう。だからといってつまらないわけではない。予想したとおりに話が進んでいく快感がある。ミタライくんが元気です。

2009.05.08
 久しぶりにがつんと不眠が来て、暗いうちから目が覚めてしまう。頭痛しきり。しかしずるずると予定通り、パンを焼きながらSFジャパンの連載を書き出す。前回を書き終えた後に少しだけ書いた分があるので、それを修正しつつ19枚まで。しかしパンはちょっと水分量をしくじって、やや過発酵気味、まあ食べられるけど。
 にがにがくん、今日の夕方で13センチ。がんばれよー。
 4月に出た『桜の園』で著作リストのタイトルが50に達した。タイトルなので文庫などの再刊は数えず、「根の国の物語4部作」とか、「この貧しき地上に3部作」とかはすべて1タイトルとして数えているので、冊数はこれよりずっと多い。しかし50というのは、まあそれなりにちょっとした数字じゃないかい、と誰も誉めてくれないので、自分で自分を誉めておく。

2009.05.07
 今日も肌寒い。連休明けたんだろうと(だって勤め人じゃないし、実感皆無だから)、書き上げたメフィストの原稿をメール送稿する。ほんとの〆切は来月末のはずなので、いくら何でも早すぎてかえってご迷惑かもしれないけどね。後はたらたらとSFジャパン。理論社のゲラ待ちで、それまでは書き出さないつもりでいたが、引っかかっていたところについてひとつ解決策を思いついたので、書き出してみようかなという気もぼちぼちしている。今日はジムにいったので、「気がしている」あたりで時間切れ。明日もまだ「気がして」いたら、書き出してみよう。ゲラが来るのは月曜日の予定だしね。
 ゴーヤのにがにがくん、成長著しいので、メジャーで測っておくことにした。二本の支柱の間に張ったシュロ縄が目印。今日の夕方でその一番下の段から、つんと出た蔓の先端が9センチ6ミリ。

2009.05.06
 昨日今日と雨降りで肌寒いったらない。しかし「にがにがくん」は伸びる伸びる。24時間で2センチは伸びてるんじゃないか。早く花咲け実がみのれと、我ながら気が早いがゴーヤレシピブックを片手に待ち受ける。
 仕事は昨日からSFジャパン連載の構想を立て出す。これまでの二回分を読み直したら、なんかディテールに淫してテンポが鈍い気がしてきてしまい、特に今回は四回で一冊にまとめるなら起承転結の転。それなりに大きく話を動かさねばなるまいというわけで、転がし方を検討中。どちらにしろ書き出すのは、理論社のゲラが来てそちらを終えてからである。
 というわけで、今日は連休最終日でもあり(あんまり関係ないけど)、仕事場のクローゼットの片づけを最後までやってしまうことに。天袋のような高い位置にあるもの入れから、またまた読者のお便りが一山出てきて自分でもびっくりする。結局ミカン箱2箱は充分あった。これは仕事場を作ってからで、それ以前のぶんがまだかなりの量自宅の方にある。読み返しはしないけど、捨てる気もしないので、改めて箱に詰めて収納。死んだ後に出てきてもしょうがないので、いつかの時点で焼却せざるを得ないとは思うのだけれど。
 焼却といえば、親の死んだ後に親の家にあったものはほぼすべて処分してしまったのだが、半ば押しつけられるようにして持ち帰ったもの、自分の子供の時の写真少しと、母のノートと、母の作品、袋物のたぐいが出てきてそれは他にどうしようもなくふたたび天袋へ。それから創作ノートのたぐいが一山出てきて、デビュー作の『琥珀の城の殺人』とか、書き上げてしまった後のノートはまあいいっちゃいいんだけど、構想して書けなかった作品についてはなんとなく始末が悪くて、どうしようかという感じになってしまう。ガリ版刷りの作品集とかね、捨てるに捨てられず見るに見られず、恥の記録みたいな感じであわててしまいこむが、ふと思い返してみると進歩していないというか、30年前もやりたいことはあんまり変わってないじゃんという感じで、それはそれでなかなかに気が滅入るものでありましたよ。
 お天気が悪いと鬱になるから、早く晴れて。

2009.05.04
 昨日焼いたパンはうまくできたけど、実は食パン型は昔買った1.5斤用のしかなくて、それで260グラムの小麦粉だと丈の低いパンになってしまって、あんまり見栄えがしない。連休が終わったら買いに行くつもり。今日はまだ片づけをする場所は残っているのだが、そこはこらえてメフィストのブラッシュアップを完了。連休が終わってから送稿することに。といっても〆切は遙か先なんだけどね。
 来週の11日に北斗学園の初校ゲラが来ることになっているので、SFジャパンはまだ書き出さず、当面は西洋中世史関係の資料本を読むつもり。相変わらず詳細な見通しがないまま書いている原稿なので、そろそろ第一巻のまとまりを意識したい。

 仕事場のベランダは花盛り。ローズマリーは冬からずっと咲いていて、そろそろ盛りが過ぎた。タイムは小さな白とピンクの花が愛らしい。セージは濃い紫。ブルーベリーは散り出していて、どれくらい実になってくれるかこれからが気になるところ。オリーブは二本あるが、まだ一本は花が着かない。というわけで、おわかりの通り見事に食べられるものしか植わっていない。いや、食べられないものだってあるけどね。アジャンタムとか。
 今年の新顔はゴーヤ。ごろごろもてあますくらい生るというので、とても楽しみである。支柱を立ててシュロ縄を張ったら勝手に巻き付き始めた。朝はまだだったのに、夕方になったら巻いているので「おまえ、いつ動いたんだよ」という感じ。品種名か、買った苗に「にがにがくん」とあったので、この名前で呼ぶことにした。しっかり育てよ、にがにがくん。

2009.05.03
 ゴールデンウィークは外出しない。人混みと渋滞が苦手だからだ。今日などとうとう仕事場から一歩も出なかった。西武が勝つとカードにポイントが着くので駅ビルまで行くのだが、今年の西武は2勝以上つづけて勝たないことにしているらしい。昨日はスタバで、書いたメフィストの原稿に赤を入れたのだが、やはり休みの日というのは子供が多くて落ち着かない。しかし今日は白神こだま酵母と国産小麦で山形食パンを焼きながら、卒然と仕事場の片づけがしたくなってしまう。
 だいたい長編を一本書くと、その資料本やコピーの束、写真などが一山残る。これをダンボールに詰めて積み重ねておいたりすると、あっという間に部屋か埋まってしまう。それをもう一度開けて、捨てるに捨てられないから棚に詰め込んだりして少しは床が見えるようにする。本の山の中から2003年に講談社文3が作った非売品のノベルス、「メフィスト巻末編集者座談会」を発見。開くと故宇山部長に、長らく篠田の担当だったあー君、その前の担当だったすー君、宇山さんの後に部長になったかー君など、懐かしいメンツがずらりと並んでいて、彼らの肉声を親しく聞く思いに、思わずうるうる。それから古いFAXの束を丸めて捨てていたら、今度は宇山さんの筆跡のFAXが見つかり、これは大切にファイルに挟む。
 夕方になって、昨日直しを入れたメフィストをプリントアウト。すぐその場で第二回の赤入れを始めてしまう。明日はこの続きをやって、いい加減手から離しますか。

2009.05.01
 今日も、ジムに行ったのと残り物でカップケーキを作った(でもたぶん不出来)以外は、数独で時間をつぶしてしまった。激辛数独はやたらと時間がかかって、そのあげくギブアップしたり間違えたりで、暇つぶしもはなはだしいというか、することあるんだから暇つぶしたらまずいじゃん、とは思うものの・・・