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2008.06.30
 本日は、郵便局に行って本格ミステリ作家クラブの会費と、ネット通販した古本の代金を払う。金額は千円程度でも振り込み手数料120円。郵政民営化というのは、やたらと手数料が高くなることと、下手をすると額面より高い記念切手を売りつけられたりする、ということだったらしい。ついでコンビニに行って、昨日のうちに片づけたゲラ2件を返送。銀座に行ったとき街頭でもらったコーヒーのパック、なんのことかと思ったらコーヒー・メーカーのマシンを7−11で売る、そのための試飲に、その機械で使用する一杯分ずつ豆をパックしたコーヒーを配っていた、とまあそういうことだったらしい。一度機械を売れば、このパックを購入しないことには使用できないので、コンスタントな売り上げが見込めるということでしょう。コーヒーの味は良かったが、ボール状の機械はどう考えても、台所にほいと置くにはかさばりすぎる。ゴミも増えるし、レギュラー・コーヒーをいれるときは豆を挽いて湯を沸かしてという手間からコーヒーを味わっているようなもの。面倒だったらインスタントで済ましてしまう。そこそこの味のものをたやすく手に入れるために、15000円ぷらす消耗品は、少なくとも篠田的には考慮の余地はない。
 なんちゃって、昨日はとうとうフード・プロセッサを買ってしまったからなあ。うちにはバーミックスがあって、ツレはそれを愛用しておるのだが、篠田はぶきっちょで使いこなせなかった。牛乳とバナナを入れたカップに、バーミックスをつっこんでぶーんとやればあっという間にバナナミルク、というのをやろうとして、調理台の上を修羅場にしてしまったくらいで、だからまあ剥き出しの回転する刃物を振り回すよりは、かさばって使える範囲も狭いがフード・プロセッサの方が無難らしい。

2008.06.29
 昨日は思いの外お天気が良くなったので、ツレと石神井公園に出かけた。カルガモの雛が5羽、母鳥にくっついていて、まだ産毛が生えてヌイグルミみたいにふくふくしているのに、水面を泳ぐ時はすごく速くてびゃーっと突っ走るのが面白く、しばし見とれてしまう。夜は石神井の行きつけのひとつで魚と寿司と焼酎を堪能。
 今日はまたまた雨である。買い物に出たときにフードプロセッサを購入。青梅を醤油につけたのと味噌につけたの、それぞれ梅を取り出して粉砕してまた混ぜて、梅醤油と梅味噌が完成。しかし梅味噌、ふつふつと発酵しているんだけど、これでいいのかなー。
 仕事は「龍」の第八回ゲラと、光文社文庫版『すべてのものをひとつの夜が待つ』の再校ゲラのチェック。明日には発送。

2008.06.27
 今日はまた晴れてしっかり暑いではないか。やっぱり気温の差が激しすぎないか。
 朝から池袋に出てまず本のリブロ。仕事関係の資料少しと、皆川先生に教えてもらった鳩山郁子さんのマンガと、北村薫さんのミステリ・ガイドで見た面白そうな本格と、前から読もうと思って手を出していなかったチェスタトンの『木曜日の男』が光文社の古典新訳文庫で出たのでそれと、ほかもまだいろいろ。あっという間に籠が重くなって配送を頼む。それから神保町、いつもの@ワンダーの均一棚で、持っていると思ったら書架になかった辻先生の『犯人』をゲット。富士鷹屋の均一台に仁木悦子さんの文庫、持ってるけどこっちの方が状態がいいよ、を見つけたけどそれは我慢。辻先生の未読単行本も見つけたけど今回はパスして長田順行『暗号と推理小説』建石さんの装本が美しい一冊をゲット。しかし暑いよー、ランチョンで昼ビールでも飲みたいけどいま飲んだら頭が煮えそうだよー、と我慢して銀座に出る。昼食は結局日本そば屋に入ってしまったりするあたり、やはり歳なのである。しかしそこでじじいが天ぷらつまみに昼酒をやっていたりして、くそっ。若菜で漬け物、プランタン地下でビゴのパンとテリーヌを購入して帰宅。欲しい本はもっとたくさんあったけど、未読本が増えすぎて見苦しいので自粛してしまった。

 読了本『陽気なギャングが地球を回す』 伊坂幸太郎 祥伝社文庫 まあ、わりと面白いです。するっと読むには。でもまあ、一度読めばそれでいいわね。

2008.06.26
 寒いのでたまげる。すっかりタンクトップにサンダル履きの気分だったのに、今日はあわてて靴下を履いた。それはまあ、梅雨だから雨降らないとまずいんだけどさ。
 久しぶりに日本の古本屋サイトで、皆川さんの本の検索をかけてみると、ずっと見つからなかった『聖女の島』の元本などが網にかかる。復刊本が出たので放出されたんだろうか。にしても500円とはもったいないような、とあわててキャッチ。ついでに前から探していた仁木悦子さんの角川文庫も、検索でみんな見つかってしまう。しかしこれは古本屋で探すのが楽しみなんだし、と取り敢えずは注文しない。もひとつついでに辻真先先生を検索したら、699件も出てきてしまい、ちょいと見ただけでも恐ろしく多様な本がぞろぞろで、これ全部チェックするだけで大変だわあ、と次回に回してしまう。でも、神保町のミステリ専門古書店あたりでも、辻先生の本って全然ないんだけどなあ。どっか、あるところにはあるんだろうな。便利は便利だけど、古本屋をあさる楽しみはネットのおかげでちょっと減ったか、などと勝手なことを考えた。
 明日は久しぶりに東京の本屋、神保町も回ってまいります。

2008.06.25
 昨日とはうってかわった曇天。すると気温も下がって肌寒いような。ずっと雨が降るのも有り難くはないが、やはり晴れている方が気持ちはスッキリさっぱりするね。
 昨日M森さんと話をしたので、頭が北斗学園の方に転がっている。彼女にメールを書きながら、その場でぽろぽろとプロットが形をなしていく。実際に書き出す前の、こういう段階が一番楽しいのですね。なにをやるか方向性が決まってきて、でもまだなんでも出来るというような。ちなみにタイトルは、もう書いたっけ。「アルカディアの魔女」です。
 しかしこいつを書き出すには、もうちょっと資料本を買ってきたい。それを見てもっと煮詰めないと。どっちにしろ締め切りはずっと先だし。というわけで、今日は徳間の続きをちょいと書いてみる。なんか、書けそう。来月は仕事まみれになる予定だからな。

 今日毎日新聞の鹿島茂さんのコラムを読んでいて、なんで秋葉原の事件が妙に気になるのか、自分の気持ちがわかりました。あのオタクにもなれなかった派遣社員青年は、物書きの負の姿として読み解けるのですよ。本を書く。書いている時は「よしっ」と思う。思える瞬間がなかったら本なんて書かない。その「よしっ」の中身はといえば「良く書けた」というだけでなく「良く書けた、面白いとたくさんの人にいってほしい」「これならきっといってもらえる」という期待感なんだね。でも、99.99パーセント、そんなこたあありません。反響なんてろくに戻ってこない。本屋に行けば新刊の山の中に、自分の「よしっ」の一冊は埋もれてろくに見えず、あっという間に消えていく。まあほとんどの場合がそんな風。出す本すべてベストセラーになるような、人気作家は知らないよ。そんな人は本を書く書き手の0.001パーセントくらいなんだから、いないよ、といっちゃう。で、物書きはみんなそういう失望に耐えて書き続けているわけ。耐えなきゃやってらんない。
 秋葉原の彼は「他人に認められたい」「人気者になりたい」「誉めそやされたい」と思っていた。でも、その手段を持っていなかったから、一番安直な手段、ケータイのサイトに書き込みをするに行った。自己表現の手段という意味では、本を書くのと重なる部分は明らかにある。でも彼は、どうやって人気者になるかの工夫をする気がなかった。そんなことをするより、「いますぐ」「このままの自分をありのまま認めて欲しい、誉めて欲しい」とだけ思って、ひたすら「自分らしく」「自分に正直に」書き続けた。もちろん誰もそんなものを、都合良く誉めてなんかくれなかった。リアクションの無さにドツボにはまった彼は、刺激的な書き込みをするという、またしても短絡的で安直な手段に走った。「止めて欲しかった」んじゃない。「誉めて欲しかった」んだ。自分の欠落した貧相な自意識を、そのまま胸に抱き取って頭をなでてくれる、聖母のようななにかを求めて自爆したんだ。
 人数じゃない。自分そのものが必要とされたいというの、わかるよ。でも人間なんてほとんどの場合、人数で把握される程度の物なんだよ。だから諦めろというのじゃなくて、そういうものなんだという冷めた認識に立って、それが嫌ならどうすればいいか、考えられるのも人間でしょ。ええ、篠田だって山ほど誉めて欲しいですよ。その他大勢以上のものになりたいですよ。でも爆弾が落ちれば犠牲者何十名のひとりになるのが人間で、それはどんな有名人だってあんまり変わりないわけだし、どれだけ誉められたって称えられたって、100年もすればみんな死んでるしね。人からの反応を期待したあげくにドツボにはまるくらいなら、他人様がどう思おうと好きなことをやる方が正解だね、たぶん。

2008.06.24
 マイスリー4分の1錠でまずまず安眠。今日はぺかっと晴天で、編集者が来るので朝から仕事場の掃除。明るいのでゴミと埃が目立つこと。しかしこういう機会でもないと、なかなか掃除しないのでね。
 午後から理論社のM森さんと歓談。基本は北斗学園第三作のプロットの話と、理論社のサイト内の北斗学園のページに掲載するメッセージなどについての打ち合わせ。主人公三人組の会話とかね。こういうお遊びは、書いていて実に楽しい。それに加えてM森さんは篠田といろいろ趣味が合うので、話も大いに盛り上がるのである。星座占いも血液型占いも信じない篠田だが、彼女は篠田と同じ巳年で蠍座の生まれ。「蛇蝎の女でーす」といったら誰かが嫌な顔をしていたな。ちなみに歳は二回り違う。皆川先生が篠田の母と同年齢だから、三人そろえば女三代なんであります。

2008.06.23
 今朝も暗いうちから目が覚めてしまい、しばらくしてもう眠れないなあとトイレに行くと4時だったりして、5時間も眠れていないのでは死む、と思うとなぜか午後になっても昨日よりはましだったりして、要するに「寝てない」と思うよりは眠っているのかも知れないが、ちゃんと眠れている実感がないという、はなはだ始末の悪い状況が続いている。
 明日は理論社の編集さんが打ち合わせに来訪する予定なので、仕事場を少し片づけて掃除機をかけて、それからサイトに掲載する短文の見本を作成。あと、次回作のプロットを立て始める。たいてい最初の内はとっちらがって、どうしていいかわからないままウロウロするのだが、そのうち卵の黄身と油がふと気が付くとマヨネーズに変化するように、なんとなく物語らしいものがかたちをなしてくることになる。

 読了本『カストラチュラ』 鳩山郁子 青林工藝舎 皆川先生ご推薦のマンガ。清朝ならぬリン朝中国の宮中に纏足のカストラートが飼われていて、その生き残りが革命後の中国に現れるという、アナクロニズムの技法を駆使したマニエリスティックな作品。体温の低い淡々とした描線の奥にフェティシズムの凶熱がうごめいている。ピラネージの「牢獄」をもじったひとこまや、カプラローラのファルネーゼ宮螺旋階段写しの絵、フィレンツェの解剖学博物館の蝋人形は解体された美少年となり、ついには「解剖学の天使」となって時空を翔る。風船のように肥満したカストラートが歌う歌はマザー・グースもじり。いや驚いた。こんなすごい作品があったとは知りませんでした。皆川先生教えて下さってありがとう。

2008.06.22
 今朝は雨音で目覚めさせられたといっても、そんなに早く目が覚めた気はしなかったのだが、午後からなんだかぼーっとしてきて頭が痛くなり使い物にならない。

2008.06.21
 蒸し蒸しである。暑いような、寒いような、夏風邪を引くには絶好ねってな天気。唯一いいのは紫陽花がきれいなことかな。仕事場の近くの神社では、白から薄水色、青、紫、ピンクとまことに百花繚乱、いくら華やかでも水彩画を思わせるほんのりした色彩が紫陽花ならではで、目の楽しみではある。花が咲く前ここの木には青虫がついて、葉っぱがえらい勢いでレエス編みみたいにされていたんだけど、花は食わないらしい。
 文庫『綺羅の柩』の再校で、疑問点がついていたのにメールで返事。八月に出るメフィストに載せる短編のゲラ、鉛筆の部分だけさっさと見て終わらせる。ゲラ読むの嫌いです。揚げ足取られるのが好きだって人は、まあいないわな。無くてはならない課程だとは承知しつつも、毎度むかつきを押さえられない小人物、我。
 その後は少し吸血鬼物の続きのプロット。あーあ、やっぱり神様降りてきたまんまだなあ。どうか没になりませんように。

2008.06.20
 久しぶりにパンを焼く。冷蔵庫に残っていたラムレーズンと胡桃を入れて、ライ麦粉の分量を増やしたライ麦カンパーニュ。ライ麦粉はグルテンがないので生地は扱いづらいし、膨らみ方も普通の小麦粉より小さくなるんだけど、わりと上手に出来たんじゃないかと思う。味の方はこれから。
 仕事は吸血鬼ものの原稿を整えて、とりあえずメール送稿。発表の形態とかなーんにも決まってない、ほとんどこれは持ち込み原稿ですね、という感じ。でもまあ、物語の神様が降りてきちゃったんだから、仕方がないですわ。どこも引き受けてくれなかったら、また同人本で出すか(笑)。
 ここらでそろそろ頭を切り換えて、書きたいものより書かねばならんものへ、気持ちを振り向けないといけないわけですが。年取ると腰が重くてねー。あ、よっこらしょっと。

 読了本『ICO 霧の城』 宮部みゆき 講談社ノベルス ゲームのノベライズというのは、これまで2作くらいは読んでいるんだが、どれも元になったゲームは全然知らないので、普通の小説として読んだ。読めたといいますか。今回の作品はしかし、「このへんがゲームなんだろうなあ」と思う部分がとても多かった。舞台になっているのがやたらと込み入った構造の城、構造が不明な城といいますか、で、途中その種の描写や説明がやたらと入るのだけれど、それを頭に浮かべるのが結構大変な感じがする点。剣とか、指輪とか、魔法の本とか、次々とアイテムが登場して、それを正しい方法で用いると新しい局面が開けるところとか、そもそもRPGをやったことのない篠田でも推測可能な「ゲームっぽさ」、みたいなのを感じる。で、物語の、善悪二元論を外すやり方とか決してつまらないわけじゃない、よく考えられているなとも思うのだけれど、なーんかね、心に響くものがないんだよ。先入観かしら。

2008.06.19
 吸血鬼ものは一応140枚ほどで第一章が終わった。しかし当初の予定より膨らんでいる。かなり膨らんでいる。最初の予定では100枚で主人公たちの出会いから旅立ちまで書いてしまうはずだったのが、まだ旅立てない。それまでにはもう100枚は書きたい感じ。しかもこれって、ボーイズラブではなくジュネでしょう。古式ゆかしい。人間と吸血鬼というか、異種の間の、せつない恋なんですわ。心が通じ合ったとしても、それ以上どうなるものでもない、恋。
 しかし少年ふたりというと、別に『風と木の詩』とか『トーマの心臓』とかはいいませんで、篠田的には『銀河鉄道の夜』がオリジンなんですわ。「ぼくたち、どこまでもいっしょに行こう」という、決して果たせない誓い。あれの場合ジョバンニがそういうときにはカンパネルラはすでに死んでいて、しかもすべてはジョバンニの夢、つまり独り語りに過ぎないという、二重のへだたりがあるわけだけど、生きていたって子供時代のそういう誓いは、初恋と同じくらい決して果たされることのない、はかない夢だよね。
 だからまあ、いま書いているこの話も、ラブ・ストーリーや吸血鬼話以上に、そういうニュアンスが強いんだっと作者は思っているんだけど、しかし誰が読むんだろうなあ、こんなもの。次第に自分の嗜好が、市場のニーズと乖離していく気がするぞ。

2008.06.18
 鬱は昨日よりいくらか軽くなって、外を散歩してきたらけっこう気分は楽になったんだけど、やっぱり労働意欲というほどにはいかなくて、なんとなくてれてれしてしまう。しかし夕方になってメールを開いたら、皆川先生からメールが来ていて、それがとてもやさしいおことばだったので、「こっ、こんなことはしておられんっっ」といってようやくふたたび吸血鬼ものの続きを書き出す。

2008.06.17
 旅行前から精神的にはわりと軽快な状態だったのに、ここに来てどーんと鬱が押し寄せてきてしまった。原因らしきものは多少ないとはいえないのだが、元気だったらなんでもないようなことや、むしろ励みになるべきたぐいのことばかりで、その点でも自分の精神状態が健全ではないという自覚はあるのだが、だからといってどうなるものでもなくて、どーんと鬱のまま一日過ごす。一日で済めばいいんですがね。

 京都旅行中の読了本 『殺人交叉点』 フレッド・カサック 創元推理文庫 最後であっと驚かされるミステリだと聞いたので読んでみた。確かに驚いたけど、そして読み返してみて作者のミス・リードのうまさには改めて感嘆したけれど、じゃあ「素晴らしいミステリを読んだ」という満足感があったかといわれると、うーん・・・ 瀬戸川猛資いわく「小手先芸もここまで来れば芸術品」。そういわれればそうかもしれないが、やっぱり篠田はもうミステリってそんなに好きじゃないのかも。

2008.06.16
 今日は旅行で着たものを洗濯して、皆川先生などに礼状を書いて、あとは仕事場の片づけなどをしてまったりと過ごす。しかし来週は理論社の担当と打ち合わせの予定。北斗学園の続きのことなど、少し頭を絞る態勢に入らなくてはいかん。
 皆川先生の講演内容は、熱烈な皆川ファンの方がサイト上に詳細を究めて文字化してくれつつあるので、篠田がやらなくてもいいかなー、などと怠けたことを考えている。UNCHARTED SPACEというサイトです。だもんで自分が印象に残ったことを少しだけ書いておく。
 『総統の子ら』を読んで、皆川さんはドイツの戦中と日本の戦中を重ね合わせて思い入れしているのだなと常々思っていたが、そのへんはご自身の口から確かめられた。現代の日本人にとってナチとヒトラーは悪の代名詞だが、なにせ戦前は三国同盟だし、ヒトラー・ユーゲントは日本に来てブームになったりしたのだよ。きっとすごくかっこよく見えたのだろうね。
 皆川作品というと、幻想性と豊かなイマジネーション、というものが浮かぶけれど、実はずいぶん取材にも行かれ、そこで得た見聞を作品に活かしておられるというのは、『死の泉』クライマックスの岩塩鉱山が、取材に訪れたヒトラーの別荘の近くにあるのを偶然教えられて、その塩の結晶のまばゆさが作品にそのまま取り込まれているということなど。『薔薇密室』に登場したナチの地下基地とトンネルも、実際そうしたものが造られていたという証言を取材先で得られたのだそうだ。皆川さんのイマジネーションを現実が追認するかのように。物語の神様が憑いている方です。魔女と呼んでしまったけれど、むしろ巫女でしょうか。
 あと、ファンにとって嬉しいのは作品予告。東京創元社のミステリーズ!では世紀末を挟んでウィーン、上海、ハリウッド三都をめぐる物語が始まるそうな。他にもエリザベス朝のイギリスとアイルランドを舞台にした『海賊女王』、ヴィクトリア朝ロンドンにトマス・チャタトンがからむ『マグノリア偽書』。なんとまあ・・・読まずに死ねるかということばは、こういうときにこそ使うべきでしょうね。

2008.06.15
 久しぶりの日記。京都から戻ってきました。今回は皆川博子さんの同志社大学講演会を聞くのが一番の目的で、そのついでといってはなんだけど亡き宇山さんのお墓参りをするのと、さらに時間があったら京都の国立博物館に行ってこようかな、くらいがプランで、これはいずれも無事クリア。お墓の前で飛行機雲を眺めてきた。博物館は展示品のレベルが高いなあと感嘆した。野々村仁清とか普通にあるもんね。その他イノダでコーヒーも飲んだし、錦でだし巻き卵と漬け物も買ったし、財布も無くさなかったし穴にも落ちなかったので、まずまずであります。
 皆川さんの講演については必死にメモを取ってきたので、出来るだけ再現したいと思うのだが、怒濤のように語られた読書遍歴など、知らない作家や作品が多数で正確を期するにはネットでチェック程度の手間はかけざるを得ず、今日はちょっとご勘弁。ホテルは宝ヶ池のプリンスで、目の前が比叡山と国際会議場なので、つい窓を開けたまま寝たら3時間くらいで明るくなってしまい、強度の睡眠不足でへろへろなのだよ。

2008.06.10
 エアロバイク30分漕いだ他は仕事していたんで97枚まで。これって恋愛小説だよなあ、といまさらのように思う。しかし篠田はリアルな恋愛とか、等身大の恋愛には全然萌えられない体質なので、間違ってもベストセラーになるような恋愛小説は書けないです。距離と差があるほどに、つまり困難度が高いほどにぐっと来る。というわけで今回は身分の差、プラス生物的な差、貴族様と孤児、吸血鬼と人間。これならふたりとも雄、なんてのは困難とも言えないでしょう。とはいえ少年2人と、姫君と下僕じゃやっぱり微妙にニュアンスが違う。主従ものならまあ近いかな。あっと、でもボーイズラブではないです。つまりセックスは無しです。といっても血を吸う、吸われるというのは、なまじなセックスなんぞよりよほど色っぽいものだと思いませんか。ボーイズラブが当たり前のようになる以前の、ジュネに近いかもしれません。篠田はやはり明るく楽しい学園ラブよりは、ジュネの世代です。あのころは決してジュネイコール男同士ではありませんでした。昔の傑作で、確か14歳くらいの少年と70過ぎの老女の恋(年齢うろ覚え未確認)というのがあって、たまげたけどとても良かった、という記憶があります。

 明日は半日仕事休んで、堀切菖蒲園に花を見に行ってきます。帰りは京成立石で一杯希望。というわけで、日記はお休みです。あさっても。夜用事があるし、週末は京都なので、もしかすると日記の更新は日曜かな。

2008.06.09
 仕事71枚まで。どうもいまひとつ掴めなかった主人公の心情が、ようやく手の内に入ってきた。14歳という設定にしては考え方がおよそ子供らしくないんだけど、孤児という設定なのでいろいろ苦労もしているし、この時代寿命も短いから精神的にはとっとと老成せざるを得なかった、というのは無理がないでしょう。
 昔読んだ本にあったのだが、ヨーロッパにおいて「子供」という存在が現在のような形で認知されたのはすごく遅い、というのだね。正確に何世紀からか忘れたけど、19世紀とかそれくらい。つまりそれ以前は、未成年というのは単に未熟な人間で、たとえが悪いが病人か身障者のような、つまり十全に働けない人間の欠陥品みたいなものだった。大事にするとか可愛がるとかいうものではない。ばんばん病気で死ぬから、保険のつもりでたくさん生んで、でもあんまり思い入れはしないでおこう、というくらいの感じか。近世までの若年労働者の信じられない悲惨さなんてのも、貴族社会でも母親がいっさい育児をしないで下層階級の乳母にまかせっきりにしておくなんてのも、そういう考え方があったからです。そう思うと、やっぱり文明って一応は進歩しているんだと思いますよね。

2008.06.08
 昨日はパン・ド・カンパーニュ上級をまずまず成功させた。自己評価80点。どこが上級かというと水分量が多くで生地がやわいから扱いが難しい。でも、もっちりして気泡の多い、食感のいいカンパーニュが出来る。減点はちゃんと正円にならずにやや楕円形になっちゃったあたり。火加減についても今少し工夫の余地ありか。

 仕事は例の吸血鬼もの、正式タイトルが決まらないのが辛いが、昨日と今日で51枚まで。やっぱりこれは第1話でも100枚では終わらないわねえ。中世ヨーロッパベースのパラレル・ワールドといっても、やはり書き込むべきディテールは書き込みたいし、主人公2人をさっさと旅立たせてしまうつもりだったが、彼らが後にするふるさとというか、生育環境についても、それなりに書き込んでおいた方がいいだろうという気がしてきた。

 読了本『遠まわりする雛』 米澤穂信 角川書店 単行本を買って読む数少ない作者の短編集。本格ミステリになっているのもいないのも、このさわやかで嫌みのない青春テイストは、どなたにもお勧めしやすい。ちゃんと毒な作品も書いて、バランスを取っているあたりも小説書きとして信頼できる。しかしこの本の装幀ときたら、まるで東京創元社のミステリ・フロンティアのまんまじゃない。角川、変な会社だね。

2008.06.06
 ローマの写真を貼り終えて、北海道の写真をファイルにつっこんだら、とりあえずの雑用が終わってしまったので、とにもかくにも吸血鬼ものを書き出してみる。400字詰め14枚まで。まだ世界が今ひとつ手になじんでいないし、視点人物始めキャラの性格も未確定な部分があるので、なんとなく勢いはつかない。それでもあんまり世界がぶれない感じなのは「ヨーロッパ中世前期」という世界イメージが明確にあるからだろうか。まあもちろん、現実との意識的な相違点などは多々あるのだけれど。
 明日はツレが仕事の関係で戻りが遅くなるそうなので、仕事場でパンでも焼いて残業しているつもり。日記の更新はお休みします。しかし相変わらず、枚数の見当が付かない書き手だな、自分。第1話、100枚で終わるのか?

2008.06.05
 写真を貼っていたら昨日両面テープが無くなってしまった。ついでに薬屋で「グッスミン」とか、文房具屋で封筒と便箋とか買い込む。レターセットなんて最近はあまり出番はないのだが、でもこういうものを買うのは好き。基本的に貧乏性な人間なので、細かいものをちまちま買うのが楽しいのであります。あとは写真貼りながら小説のことを考える。新作の持って行き先として予定していた出版社の担当からは幸い「つまらん、いらん」とはいわれなかったので、提出したプロットに沿ってふくらませていくことにする。
 この話、実をいって「トリニティ・ブラッド」の血を引いている。「トリ・ブラ」が「吸血鬼ハンターD」の血を引いているのと同じように。パクリではないし亜流でもない。発展的な継承だと思う。もちろん発展的というのは自分の主観であって、なんだこれは、と思う人はいくらでもいるだろうけど、篠田はこういう形で「吉田さん、忘れてないよ」といいたい。今日書店に行ったら、スニーカーの棚から「トリ・ブラ」一式が消えていた。いつかはそうなるだろうと覚悟はしていたが、いざ現実となるととても悲しい。

2008.06.04
 京都で動くのにガイドブックは持って行きたくないから、文庫サイズの地図を買う。文庫のゲラ、ゆっくり持っているのはよけい嫌なので、怒濤のようにチェックして送り返す。もらいものの新刊を一冊読む。新作については担当にメールしたが返事が来ないので、書き出すべきか否か迷う。結局その前に、ローマで撮ってきた写真をスクラップブックに整理することにする。結局なんだかんだと、建築探偵の新作を考えることから逃避しているのである。なぜかって、すごく大変そうな気がするから。

2008.06.03
 梅雨入りだそうだ。北海道から帰ってきてもやっぱり寒い。雨だったけどせっかく書いた手紙をいつまでも置いておく気にもならなくて、コンビニからメール便、郵便局からエアメール他。駅ビルの本屋で京都のガイドブックを立ち読み。夜行バスで着いて、バス地下鉄乗り放題チケットを買うには案内所が何時に開くか知りたかったから。皆川さんの講演を聞くためには、ホテルのチェックインタイムより早く大学に着く必要があるし、それには一度出かけて、また駅に戻って荷物を預けて、そこで先にチェックインだけして、とパズルのように予定を組み立てたりして。
 仕事場で「龍」の資料をとりあえず片づける。置いてあるといつまでも、書き終えた物語をずるずる引きずりそうで、頭の切り替えが付かないから。それでも文庫(『綺羅の柩』)のゲラをちらっと見たら、なんかすごくこまこまと鉛筆が入っていて、「うわーっ」という感じでてんでやる気が出ず、新しいお話の構想をメモすることに逃避してしまう。まだ話の骨格だけだけど。

2008.06.02
 睡眠の質が低下したまんまで今日も体調いまいち。しかしいつまでもそんなことをいって遊んではいられないので、とりあえず小説ノンのゲラを戻す。それから6/14の皆川博子先生の講演を聴くために、駅で切符を買う。いろいろ迷ったが、行きは夜行バス、帰りはひかりの割引チケットを購入した。学生の頃さんざん使った夜行バスだが、ネットで見たら最近は値段も倍近くなった代わりに、独立シートの豪華仕様で女性専用車も走っているというので、一度試してみることにした。乗り心地がいいなら、また行く時は往復バスでもいいや。宿も取る。しかし土曜の夜というのは高いなあ。一度京都グランヴィアに泊まりたかったんだけど、とんでもない値段なんで止めた。
 後はたまっていた手紙書きと、北海道のパンフなんかの片づけの続き。他にも龍の資料を片づけるとか、衣類の入れ替えとか、やらねばならない雑用はいろいろあるのだが、書き上げていてもまだゲラもこれからの作品で資料を全面的に片づけてしまうのは不安もある。服にしてもなんだか寒くて、セーターの一枚くらい残しておかないとという感じだし。

 読了本『オフェーリアの物語』 山田正紀 理論社 優婉にして綺羅を尽くした物語世界は、どこか皆川博子を思わせるけれど、世界設定に多くの筆を費やしているところはいまさらのように、「山田さんはSF者なのだなあ」と思わせる。情景描写を重ねる代わりに、字面と読みを唐草のように人工的にねじまげた造語の喚起するイメージ力をもってこれに換えた、そのテクが興味深い。ミステリをプロットの芯にしているが、その部分は敢えて初心者向け。その点でミステリ読みは評価しないだろうし、この文体実験に感銘するとも思われず、しかし子供にはやっぱり敷居が高いんじゃないかなあ。どちらかといえば幻想文学愛好者にお勧めか。

2008.06.01
 二泊三日あわただしい北海道取材から帰ってきた。取材といっても「館を行く」のような、特定の目標があって出かけていくのとは違う、ほとんどイメージ・ハンティングのようなものだ。その「館を行く」最終回が小樽だったので、わりと最近北海道には行ったという感じだったのだが、函館は全然違っていて、我ながらほとんど覚えていない。昔見た時はまだそれほど建築に興味がなかったせいもあって、「こんなに町中に古い建物が残っていたっけー」という感じ。一部はきれいにして喫茶店やレストランや土産物屋になっているが、そうではなくてかなり廃れたまま放置されている商家や民家も多く、それらを舐めるように見て回る。はっきりいって、取材の第一目的である建築探偵にはほぼまったく関係ないんですけどね。もう行ってしまったから、平気でばらしてしまうとそういうことです。でもほら、なにせイメージ・ハンティングだから、どこでどう関わってこないものでもないしい。
 函館で一泊二日過ごして、午後遅い目に札幌に移動。しかし札幌というのは、東京をおおざっぱにしたような大都会という印象しかなく、函館でノリノリになった分いまいちでありました、単なる旅行者としての感想ですよ、もちろんのこと。そして、寒かった。風が強くて風疲れ。緑はきれいで花もあちこち咲いているのに、とにかく寒いんだ。タクシーの運転手さんも「今年は変」というてはりました。
 食べたものは函館五島軒の蟹クロケット、さかえ寿司北海握り、カール・レーモンの焼きソーセージ、札幌では「心」のスープカレー。それからハリストス正教会でロシア正教の資料が入手出来たのが嬉しかった。とはいえまたしても心中で「罰当たりな使い方をするかも知れません、ごめんなさい」と、こっそりお詫びをした篠田でありました。
 本日は旅の荷物を片づけて、洗濯して、買ってきた本やパンフの整理をノトノトとしていたあたりで時間切れ。明日はとりあえず小説ノンのゲラを返さにゃあ。