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2008.05.28
 不眠症状が急激に悪化して、今朝も3時頃に目が覚めてしまった。で、そういうときはなにを考えているかというと、新しい小説のプロットが浮かんでいたりして、今日も吸血鬼物の新機軸がすずろに立ち上がってきたりして、それは大変によろしいのだが、頭がぼけているのも事実で、銀座までとんぼがえりに買い物にいったり、その途中ではベッドで考えついた小説のプロットをメモしたり本を読んだり、帰ってきてからもローマ編の仕上げをするくらいの元気はあるのに、いま自宅に戻ってきたら明日の朝北海道に取材に行くのに、肝心の待ち合わせ場所を書いた紙を忘れてくるようなあほをしているのだった。現実処理能力が低減するらしい。でも小説は書けたりする。
 というわけで29から31は不在です。

2008.05.26
 『龍の黙示録』完結。25から26、1日半で64枚というのは久々の記録だと思う。まあ、ラストの決まっていた部分はかなり早くなるだろうとは思ったのだが、昨日は夜の11時くらいで切り上げて、今日は目が覚めたので朝の六時からパソコンに向かっていた。朝は目が覚めたら、無理に寝ていないで仕事した方が能率がいいのかも知れない。
 いったん書き終えて、直しを入れて良しとなったのが午後3時くらいで、さすがに真っ白に燃え尽きた気分。寝っ転がってぼーっとする。そのぼーっ気分は実をいうとまだ継続している。あああ、終わっちゃった。いや、主要キャラはみんな健在だし、続けようと思えば続けられるんだけどね。でもまあ、みなさん元気で鎌倉に住んでいますというラストだと、なんかその後も彼らはそこにいます、という感じがして、それはそれでいいんじゃないかとも思うのでありますよね。
 しかしやっぱり篠田、セバスティアーノ君好きですわ。これを機会にってこともないけど、美形でない主人公というのも、もっと書いていければいいななどと思ったり。でも、セバ君はセバ君で、美形でないキャラのワン・オブ・ゼムというわけでもないしな。
 連載原稿が12回分なので、小説ノン今年の11月売りの12月号まで連載。本は来年になってからノベルスの上下巻で刊行されると思います。来年にはそんなにお待たせしないで出せると思われ。どうかお待ちになってやって下さい。
 ちなみに、土曜日に作ったハンバーグは玉砕しました。仕事で頭がいっぱいの時に、料理もしようなんては思わない方が良さそうです。

2008.05.24
 予定通り水分量の多い田舎パンロデブ3度目の挑戦、プラスハンバーグ。パンは前回が60点なら今回は70点くらいかな。布取りして仕上げ発酵はちゃんとしても、布を外したとたんに生地がだれるんだよねえ、どうしても。今度はカンパーニュのバスケットに入れてやってみるべえか。
 原稿はやっぱりあんま進まなくて74枚まで。夕方になったら頭が痛くなってきてあれあれ〜と思ったら、朝飲む降圧剤を飲み忘れていたことに帰宅してから気づく。やっぱり少し血圧が高くなっていた。やばいなあ。もはや薬無しでは生きられないか。
 しかし、明日は予定通り仕事場泊まりにして、目鼻が付くくらいまでは原稿勧めます。というわけで日記の更新はお休み。

2008.05.23
 医者に行くのはぎりぎり来週に延ばして、今日はエアロバイクも漕がないで原稿。やっとこ30枚。56枚まで。いまの労働時間だと、30枚が物理的な限界かもしらん。しかし最終回はエピローグも含めて短くても120枚くらいにはなりそうなので、へたをすると月末の取材旅行の準備をする暇もなくなってしまう。というわけで、日曜日は仕事場に泊まって書けるだけ書くことに決定。でも、明日はまたパン焼くぞ、なんて思ってるんだけどね。少しくらいはそういう息抜きがないと、どうかなってしまう。

 読了本『司政官全短編』 眉村卓 創元推理文庫 篠田は高校の時SF読みだった。翻訳物でなく当時最初の黄金時代を迎えていた日本SFをもっぱら読んだ。というわけでSFオールタイムベスト10を選ぶと、どうしてもその頃に読んだものに集中してしまうのだが、その頃よりはだいぶ後になるのに絶対外せないのが、この眉村卓の司政官シリーズの長編『消滅の光綸』なのだ。原住民がいる植民惑星で、原住民と植民地球人の和を計りつつ政治をする司政官。彼は政庁ではたったひとりの人間で、彼に従うロボット官僚の組織を従える。ロボット官僚はその特定の惑星に属しているが、司政官は5年ほどで異動していくトップ。ちょっとだけ現代の地方自治体の政治を思わせるシステムに、唯一の人間として君臨するエリート司政官の孤独、そして連邦軍やさまざまな植民者、そして丹念に作り込まれた異星人の社会や生態がクロスする。これは面白いですよ。いわゆるSFを読み慣れていない人にも、とても面白く読めると思う。『消滅の光綸』は天災を前にして全住民の安全な移住というきわめて困難な課題に取り組む司政官の物語だが、この短編集は司政官制度の発足直後から、そのシステムが制度疲労を起こし始めた時代まで、さまざまなタイプの星が登場する。久しぶりに読み直してみようかな、『消滅の光綸』。なんか最近新刊を読むより、読み直しが楽しいんだよね。仕事でテンパッてると新刊読みづらい、というのはあるんだけど。

2008.05.22
 昨日は横浜の県立神奈川近代文学館でやっている「澁澤龍彦回顧展」が6/8までなので見に行く。のんびり昼過ぎについてランチなど食べていたらけっこうな時間になってしまい、生原稿を子細に読んでいたらあらら2時間が流れ去っていてびっくり。しかし澁澤の一著述家としての生涯の仕事を通して見ていると、「ああ、なんと多くのものをこの人からもらっていることよ」といまさらのようにびっくりする。澁澤がいなかったらイタリアにはまってイタリアを題材にした小説をこんなにたくさん書きはしなかった。『ヨーロッパの乳房』を読んでボマルツォに行ったんだよなあとか、別にその後も特に意識しないまま、パレルモまでいったのも彼の旅と重なっているなあ、とか、唐十郎の状況劇場も何度も行ったなあとか、集合写真の中でまだ紅顔の美少年風の唐の隣で、なぜか中井英夫が大笑いしているなあとか。
 今回は、彼の没になった処女短編は「サド侯爵がサン・ジュストの幻を見る」という話だったと知って、これまたびっくり。全然知らなかったけど、篠田も高校生の時世界史のレポートに、ほとんど小説まがいのサン・ジュスト話を書きました。サン・ジュストってなにといわれても、面倒だからここでは説明しない。そらまあ、池田理代子の「おにいさまへ・・・」にも出てきたくらい、いまは知らないけど昔はミーハー的に知られた名前ですから、素晴らしい偶然ってほどでもないけど、やっぱり嬉しいじゃないですか。自分が好きだと思っている花が、憧れの先輩も好きだったとわかって嬉しい乙女心とかさ(誰が乙女やねん)
 ローマ編の最終回は、今日は午後ジムだったのでやっと26枚。しかしここはもう作った話を書き終えないとしかたがないので、果たして100枚で収まるんやらどうやら、とにかく必死こいて書くしかない。明日は運動のたぐいはすっぱり諦めて、書くべし書くべし。

2008.05.20
 いやあ、昨日の夜から今朝の嵐はすごかった。風雨の音で早朝から目が覚める。っていっても、なにもうるさくないときも目は覚めるんで、これはもう仕方がないんだけど。この三日ばかりコーヒーを絶ってみたが、目の覚め方はそれほど違わないみたいなんで、それも気にしないことにする。どっちにしろ昼寝もしないんだから、朝ちょっと頭が重いくらい気に病んでもしゃあないや。
 仕事は昨日書き上げた第11回の直し。昼過ぎに終えて、スタバに最終回のプロットをやりにいく。どうにかなりそう。依然として枚数は良く分からないけど。でも今日は4枚しか書かなかった。ある人物の葬儀の場面があって、モデルの人がいるんで、ネットで調べたら勘違いが判明。でも、モデルはモデルだから、別にこの通りに書くことはないなとまた考え直す。とても罰当たりなことを書いてる気がずうっとするんだけど、いまさらそういうことを気にしてもしかたない。基本設定がそもそも罰当たりなんだから。イエスから血をもらって不老不死になった吸血鬼、なんてもの自体がさ。
 とにかく来週の後半は北海道に取材に行かねばならないので、それまでにせめて初稿だけは最後まで書かないとあかん。間に合いそうもなかったら仕事場に泊まって夜まで働こうっと。でも、どうしても見たい展示があるので、明日は横浜の県立近代文学館に行ってくる。日記の更新はお休み。

2008.05.19
 102枚で第11回終わり。しかし怖いことに、あと100枚で終わるという確信がないぞ。何枚だろうと終わらせることには変わりないんだけどね。

2008.05.18
 昨日今日ともどこにも行かずお仕事。ようやく73枚まで。もう、こうなったらさっさと終わらせたいぞ。しかし昨日は夕飯に餃子と島らっきょうのチャンプルーを作った。餃子は小さめで皮ぱりぱりの感じにしたくて、ワンタンの皮を使ってみました。島らっきょう、実に美味い。近所で沖縄ものを売っていたところで見つけたので、半分炒めて、半分は塩漬け、といっても半日程度、少量の塩をまぶして放置するだけ。前にわしたショップでもらった「雪白」という塩を使ってみたら、心なしかいつもより美味だった。来週はまた医者に行かなくてはならないので、その帰りにわしたショップに行ってこようっと。

2008.05.16
 朝方夢ともうつつともつかない状態で、ローマ編のクライマックスの構図がぱっと見えた。なにぶんにも相当数のキャラを組み合わせて、それぞれになんらかの決着をつけていかなくてはならないので、そこらへんの配置がどうもすべらかに行かないとずっと思っていたのだが、これで八割方はOKかという感じ。しかし別段映画が見えたわけではなく、どちらかというとマンガのラフというかネームというか、そんなふう。それも絵柄は丹野忍さんではなくて、なぜか氷栗優さんぽかった。つまり、セバスティアーノもそこそこ美化されておりました。
 昼間は少ないイーストレシピでブリオッシュを仕込む。バタがなくてマーガリン。しかしこんなリッチな生地は久しぶりで、パン焼き機のこね機能ではこねきらず、しかたなく取り出して手でちょっとこねこね。昼になったら急にまた眠気が襲ってきたので、パンは室温で発酵させたまま、またスタバまで行って、今朝の夢で見たことをメモにする。それからまた戻って第11回の執筆。エアロバイクをさぼったので一応19枚まで進行。ブリオッシュはえらく柔らかな生地で心配したけど、出来はまずまず。中にラムレーズンをいれたのと、ブルーベリージャムを入れたのを焼いてみました。でもまあ、やっぱりこういうお菓子みたいなのよりは、しっかり食べ応えのある食事パンが好きだね。

2008.05.15
 午前中はスタバ。野球場のビールみたいな巨大紙コップで本日のコーヒー・グランデを飲みながら第11回のプロットを練る。万全とは言い難い感じだが、なんとこれでやってみよー、という程度にはなったのでよしとする。今月中にこちらが片づけば他の仕事にも手が付けられるはずなので。
 しかし13日に久しぶりで神保町三省堂本店に行った時には、なにがなし憂鬱な気分になってしまったよ。というのはひとつには、ここ、ノベルスの棚がないのだね。飯田橋の駅ビル本屋もそうだったけど、新刊ノベルスさえ置いていないわけです。涙流れて止まず、ですよ。篠田のようにノベルスで育ててもらった物書きといたしましては。でも、ノベルス復活の目ははっきりいってないもんねえ。
 もうひとつの憂鬱は、これも三省堂です。レジのお姉さんが、まるっきりマクドのカウンターなの。マニュアルのしゃべりで「ありがとうございますーまたおこしくださいませー」とゾンビみたいにてれれとした声で言われた時マジ泣きたくなった。いまはねえ、スタバだってもう少し人間らしいしゃべり方をしますよ。まして書店でしょ。たのむ、どうにかしてくれ。

2008.05.14
 依然不眠。といっても昼寝はしない程度なんだけど、でも漠然と不調。13日は午前中10枚書いてローマ編の第10回を終わらせる。とうとう龍がローマ教皇とサシで会った。自分の書いた教皇様、けっこうそれらしいぞ、と自画自賛。東京に出るついでなので神保町へ。仁木悦子の角川文庫はあと2冊なのだが、ない。見つけにくいやつが残ったらしい。少し前に@ワンダーで揃いが出ていてすぐ無くなったしな。でも、揃いで買うのは何となく癪じゃんか。富士鷹屋で辻真先先生の『アリスの国の殺人』と、『ピーターパンの殺人』大和書房版の辰巳四郎画伯イラスト入りでゲット。
 そのあと池袋で担当編集者とというより、山田正紀先生とお話しさせて戴く。山田さんは大長編作家という印象があったのだけれど、ご本人は「20枚から50枚くらいが書きやすい」といわれて非常に意外な感じを持った。そのあとは理論社さんと打ち上げ。イラストを描いて下さった田中さんや、デザイナーさん、校閲さんなど。話は妙にクラウスに偏る。「次もクラウスは出ますか」といわれ、シリーズがやつに乗っ取られる予感に、思わずアキと顔を見合わせてしまう篠田だった。
 本日はだらだらしつつ、それでも第10回を直して確定。あと2回。がんばれ、自分。

 読了本『一少年の観た聖戦』 小林信彦 ちくま文庫 戦中の下町に暮らした小林少年が愛した映画を通じて庶民が見た「戦争」を活写した本。見たことのない映画がありありと目に浮かぶ、練達の文章に感銘。
 『アリスの国の殺人』 辻真先 大和書房 ことば遊び、タイポロジー、マンガのパロディをちりばめて、しかし物語はある意味哀切なファンタジーでもある。そうか、これ辻先生の推理作家協会賞受賞作なんだねえ。でもこれは元本にこそ価値がある。イラストが素晴らしいです。

2008.05.12
 今日はまた不眠復活。目覚めちゃって後が眠れないというやつ。頭痛がする。しかし何だね、この気候は。五月の連休も過ぎたのに寒いじゃん。なんだかんだぶつぶついいながら89枚まで。明日は理論社の打ち上げにつき日記の更新はお休み。

2008.05.11
 今日はまずまず眠れた。一日外に出ず、運動もエアロバイク30分だけでパソコンに向かう。どうにか60枚まで。今日はローマ教皇ご本人を書いてしまった。ヴァティカンで買ってきた教皇様絵はがきと、日本で買った語録みたいな本をキーボードの脇に置いて。やせっぽちのセバスティアーノにお姫様だっこされる教皇、というのは絵になるというか、ならないというか。教皇様シーンの後は、一転してティボリのエステ荘噴水庭園。どちらも一昨年のローマ行きで訪れた場所。我ながら取材旅行の成果はとことん使ってます。

 読了本『死して咲く花、実のある夢』 神林長平 ハヤカワ文庫 再読。死について考える読書の一環。死とは情報の断絶である、つまり死後の世界のことはわからない、わかれないというのが正しい、という篠田の考えはこの作品からいただいたもの。「オフィーリア飛んだ」で京介が語っていた、あれですね。
 『愛情旅行』 荒木陽子荒木経惟 マガジンハウス 再読。これまた死について考える読書の一環。愛されて逝った女は記憶の中で永遠に若く美しい。そして死の訪れを知らぬからこそ日々の喜びは輝かしい。死んだら無になるから生きても意味がないなんていうこたあない。一瞬一瞬喜びを味わえたら、それがいつ断ち切られたところでその喜びの美しさは無意味じゃないさ。

2008.05.10
 数日前から見れば嘘のような寒さ。しかし篠田またちょいと睡眠障害気味。五時前に目が覚めてしまったので、今日は一日頭がぼけている。原稿が進み出すと逆に眠りが浅くなる、ということもある。目が覚めるとつい、いろいろ考えてしまうのだ。それと原稿を書く時はカフェインがないと手が動かない。スタバのグランデが応えたのかも知れない。どっにしろ、眠れないのと原稿が進まないのと、おまえ選ぶとしたらどちらだといわれたら、これは困るよねえ。今日は31枚まで。
 アメリカ在住の日本人女性からお便りをいただく。文庫とノベルスと作者本人はどちらが好きか。うーん、どちらも好きですよ。文庫はやはり手入れを重ねている分、文章はずっとよくなっているはずだ、という自負があります。ノベルスは版型としてわりと愛着があるというのと、最近は装幀の写真をずっとうちのツレの撮影してくれた写真を使っているので、これがけっこう好評でもあり、自分でも気に入っているというところはあります。去年出した『一角獣の繭』の森の写真なんかかなり好き。

2008.05.09
 今日もスタバ。不退転の決意でっというわけで、いつもは「本日のコーヒーのトール・サイズ」だけど今日は「同じくのグランデ」にする。壁際の好きな席が空いていたのもラッキーだったんだけど、近くに英語を話す外人のカップルがいて、男の声がやたらでかくて耳障り。でもなんとか奮闘1時間。第十回のプロットを作り終える。戻ってからは夕飯の料理とか、明日の朝用のパンとか、いろいろやってしまって、やっとどうにか夕方になってから原稿を書き出し、9枚書く。うん、なんとかなりそう。

 読了本 『天使の牙から』 ジョナサン・キャロル 創元推理文庫 再読。この小説、とっても怖い。ホラーの定型的な恐怖ではなく、しみじみと怖いんです。なにについての小説かというと、「死」についてなんだけど。嫌だあ、怖い、と思いながら、読み返したくもなるんだなあ。なにしろグッド・ジョブだから。
 で、なんで読み返したくなったかというと、写真家荒木の奥さん故陽子さんのエッセイを読み返したから。「死」のことを考えること、篠田はわりと多いです。でもこの前にある哲学者の「死」についての本を読んで、こんなにも自分と考え方が違うものかとびっくりした。その人も死のことを考えるというんだけど、自分の死、つまり消滅が怖いというのね。で、死のことではなく「私が消えるとはどういうことか」という方に話を持って行く。
 篠田、自分の死はあんまり怖くない気がする。消えちゃうんだもの。怖いのは自分の愛するものの死、消滅、そして残される自分を考えることです。肉体は生きていて、生きる意味は消滅してる。キャロルの小説も「自分の死への恐怖」を扱って入るんだけど、そこに至るまでの過程をねっちりもっちり見せてくれるんで、つまり肉体の死の前の緩慢な魂の死といいますか、これはやはり怖いです。愛するものを失っていって、その最後に自分の死が待ち受けている、というわけ、それも簡単には死なせてあげないよ、だから。

2008.05.08
 駅前のスタバでプロット作り。まだうまくまとまらず。午後からジム。何とか明日中には書き出したい。

2008.05.07
 昨日のパンは怪我の功名というか、こういうのもありねって感じで、生ハムやチーズを挟むとぴったりだった。気泡が粗く生地はもっちりした感じで、「昔どこかでこういうパン、買って食べたよね」とツレと話す。どこの国かいまひとつはっきりしないが、たぶんトルコではないかと思う。なんとなくパン屋の店先の様子など浮かんできて、我ながら食い意地が張っていることよといまさらのように感心する。しかし水と塩と粉と少しのイーストで、その水分量と発酵時間を変えるだけでこれだけ味わいが変化するパンというのは奥が深い。
 今日はマンモグラフィの検査。乳ガンの検診です。さんざん「痛い」と脅されて、どきどきしながら行ったのだが、痛いことは痛いがすぐ済むので、そんなとんでもないほどのことはなかった。時間も待ち時間と触診も含めて30分で終わり、やたらと気温の高い中をぼーっと帰ってくる。その途中で「龍」のラストに向けての展開で、いままで考えていなかったアイディアが浮かび、しかし矛盾は出ないばかりか、伏線らしきものもないとはいえず、「おお」と自分でたまげる。そうか、そうだったのかー。いやあ驚いた。

 驚いたといえば『闇の聖杯』でまたミスを見つけてしまった。53頁、某キャラ初登場の場面で「背が高い」と書いてある。後で再登場して名前が出た時は「小柄」になっている。すまん。おおぼけです。古宮杏奈嬢は「小柄」な方が正解でした。

2008.05.06
 今日はやっと五月らしい晴れなので、散歩とか出かけたい気分だったのだが、そんなことばかりもいうておられん。光文社文庫のゲラを読む。『すべてのものをひとつの夜が待つ』、しかしこの話、読むのしんどい。自分が書いといてそんなこというかいって、だってほんとにみっしりなんだもん。気が抜けへんの。
 で、読みながら昨日の失敗が悔しいので、同じパンに再チャレンジ。ロデブという田舎パンで、水分量がめちゃ多くて緩い生地をじっくり発酵させる。昨日は微妙に涼しいかったので、生地を入れたガラスのボールをお湯を張った鍋につっこんでいたら、熱が伝わって生地が乾いてしもた。今日は暖かなので、ビニールとタオルにくるんでベランダに出して、温度計も入れてときどきチェック。1時間ごとにカードでまぜてガス抜きを繰り返すこと3回。四時間半にしてキャンバス布の上で最終発酵。よしっというので天板に移そうとしたら、打ち粉が足りなくて布にひっついてて、慎重にはがしたけど結局平たいクッションみたいなパンになってしもうた。くくくくくっ。でも今日のは食べられるもんね。生ハムでも挟んで食べるもーん。

 『闇の聖杯〜』で誤植一カ所判明。読者様からのご連絡のおかげです。143頁4行目の「アキ」は「ハル」の間違い。ごめんなさーい。

2008.05.05
 原稿の方は直しを終えて一応確定となったのだが、パン作りに失敗。水分量の多い田舎パンにチャレンジしたのだが発酵のさせ方を誤った。夕飯はこれとポトフの予定だったので、あわてて簡単な食パンを仕込んだが、これもあせってやったせいか成形発酵の生地の上がりがあかんで、息抜きどころか、という話になってしまった。くくくくくっ。

2008.05.04
 98枚まで来てローマ編第9回は一応完結。いやあ、4日間で100枚弱書いたのは久しぶりだぜ。自分、やるじゃんと自画自賛したいところだが、あと300枚で終わるのかどうか、いまひとつ確信が持てないのでめでたさも中くらいなり。いじめられっ子セバくんにも今日はちょっぴりいいことがあった、かな。いや、当人が喜んだかどうかはいまひとつわからないのだが、でもまあそうすごく悪いことではなかったでしょう。透子姉さんと**、ですから。
 明日はこの手直しをして、またパンでも焼くか。パン焼きが最大の息抜きになりつつあるな。

2008.05.03
 さすがに毎日30枚は書けない。今日は27枚。善良でウザくて可愛いセバ君は今日もがんばってます。そこら中からどつき回されても、彼はめげない。めげてもすぐに立ち上がる。こういう人の方が全然挫折を知らない人よりも実は強いんだと思います、篠田。
 今日『闇の聖杯〜』の最初の読書カード、転送されてきました。有り難うございます。間違えて1巻買ってしまった方、ごめんなさい。でも騙したわけじゃないんですよお。シール下さいのお便りも届きました。新潟県の方、明日早速投函しますね。切手と宛名カード、入れて下さって有り難う。こういう皆さんの声援が心の支えです、ほんとよ。

 読了本『薪の結婚』 ジョナサン・キャロル 創元推理文庫 キャロルの小説は分類が難しい。幻想小説だけどファンタジーと呼ぶとずれるし、しばしば恐怖の感情を喚起するけどホラーというのも当たらないようだ。おまけにプロットを説明しても、読み味を伝えるには役立たない。だいたい物語は現実のように不条理で、魅力的な人物が唐突に死んでしまったり、大好きと思わずにはいられないキャラが突然牙を剥いたり、恐ろしいっちゃないし、結末もしばしば悲劇でやりきれなかったりする。なのに読み終えて少し落ち着いた時に感じるのは「グッド・ジョブな小説を読んだ」という充実感と満足感なのだ。続けて読むのはきついけど、時々ふっとその細部を思い出したり、読み返したくなったりする。
 キャロルには浅羽莢子という希代の名翻訳家がいたが、彼女は思いもかけずあまりにも早く逝ってしまった。まるでキャロルの小説みたいに。だが、今回の翻訳家もいい。新しい人みたいだけど。

2008.05.02
 本日31枚書いた。ひさびさの記録なり。これもやはりセバスティアーノへの愛でしょうか。少しゆがんだ愛だけど。というのは龍がセバをいためつけるシーンが延々とあったりして、そのへんを大いに楽しんで書いたりしているもんで。でもこういう、弱いのか強いのかわからないけど基本的に善意の人というのは、ある意味とてもウザイもんではないかなどと、深く彼を愛しつつも思ってしまったりする。その点では龍に共感するところもあるわたくし。
 今月号の「日本推理作家協会報」に会員の短文投稿欄で、今年のテーマ「私の飲み物」というのに書いた篠田の文章が載っている。なにかというと、愛するカフェ・バッハさんのことを書いたのだ。興味のある向きは協会のサイトに行くと、会報は読めるはずです。

 読了本『死刑』 森達也 朝日新聞社 今日読んだわけではない。昨日一昨日だ。簡単に感想が書ける本ではない。実は今日も仕事でいっぱいいっぱいなんだけど、いつまでも置いておく気もしないので。うーん。篠田はやはり基本的に死刑には反対。抑止力がない。冤罪が怖い。実行者に過大な負担を強いる。被害者遺族の応報感情をこういう形で発揮するのは釈然としない。まあ、こういうことはみんな言われ古した論点だから。でも、森さんの「僕は彼らを救いたい」という結びのことばに圧倒された。篠田は性善説ではないから。他の人のことはわからないが、自分のことはいくらかわかるよ。自分の黒いところは自分には見えるからね。善じゃないもん、ちっとも。

2008.05.01
 今日も仕事場の隣では家を解体しているし、マンションは排水掃除が来るので待ってないとならないし、おまけにとんでもない音痴の歌声が拡声器から流れていると思ったら、すぐ近くの神社の境内でメーデーの集会をやっているらしい(推測。最初は右翼かと思ったがインターナショナルを流していたので)。こういうときは落ち着かなくてどうもなんないから、「龍」の連載ゲラのチェックを先にやって、それからパンが食べ終わっていたので残り物の干しいちじくを入れたライ麦カンパーニュを仕込んで、そこらで掃除は終わったのでノートを持ってスタバへ。次の100枚のプロット作り。
 一応どうにかなる。書き出して10枚まで。今回はごひいきのセバスティアーノが出ずっぱりなのでとても嬉しい。プロットを作っていて、「いかにもそのキャラらしいせりふや展開」を思いついた時と言うのは、釣り糸に獲物がかかる当たりが来たという感じで、「おおっ」と思うのだが、セバ君の場合はなんとなく顔がニマニマしてしまう。ヘタレだヘタレだといわれ続けていた彼も、ここにきてちゃんとパワーアップしておるのですが、依然微妙にぼけているというか、天然なずれ加減がすでに個性。でも、命のやりとりをしかねない相手も助けちゃって、助けるだけでなく朝ご飯を勧めてしまうあたりが、彼なんであります。
 しかしここまで来ても、予想してなかった展開があったりして、予定の枚数で収束するのかどうか自分で確信が持てない。その点が一番のスリルとサスペンスだわ〜
 ちなみに本日のパンもグッドでした。ライ麦入りの生地にナッツやドライフルーツを入れると、多少発酵に不足や過剰があっても、「味はいいし」といういいわけがつくので、篠田のようないい加減なパン作り人間には有り難いのでありました。