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2008.01.31
 今日は仕事は休みにして一日外出。まず武蔵野線に乗り継いで松戸市立博物館に行く。常磐平団地の生活再現展示が目当てだったが、それはほんの少しでやや期待はずれ。やたらと外見ばかりが立派な施設で、いったいどれくらい来館者があるのだろうと首をひねる。それから電車を乗り換えて柴又へ。前に来たのは学生の時だからざっと30年は前。その割には変わっていないというべきか。胡麻油の香りに濃厚なたれの味が特徴の天丼を食らう。天丼はやっぱりこうでないとね。江戸前の味です。帝釈天の法華経レリーフは、外周にガラス張りの覆い屋が出来て見やすくなっていた。隣接する庭園は和風建築に囲まれているが、昭和の和風建築はやはり洋風の影響を受けていて、そのへんが折衷大好きの篠田には見て楽しい。その後歩いて江戸川縁へ。寅さんミュージアムも入る。実は篠田はまともに一本も寅さん映画を見たことがない。特に見たいとも思わない。にもかかわらず、映像でさわりを見ると既視感とある種の懐かしさを覚えるというのが不思議。隣接する山本邸。大正の富豪の邸宅だが、長屋門を人造石洗い出しモルタルで作ってステンドグラスを入れたりしている遊び心が楽しい。玄関脇に洋間の応接室がこじんまりと付属。大正の洋館は明治と違って、軽やかでおしゃれで居心地がよい。日当たりの良い和室の縁先でのんびりくつろいでコーヒーを飲む。冬の一日の休日としてはまず上出来。帰りは帝釈天の参道で草餅を買って帰った。

2008.01.30
 今日から『緑金書房午睡譚』を改めて書き出す。午後はジム。

 読みかけ本『黄昏かげろう座』 久世光彦 作者が愛した詩や物語、映画を素材に、それぞれをひとつの舞台に見立てた夢幻的エッセイとでもいうか。この本を神保町の古本屋で見つけて購入したのは、その中に西条八十の詩「トミノの地獄」について書かれた一文があったから。皆川先生の名作『聖女の島』で引用されていたあの詩、といっても、知らぬ人にはなんのことやらだが、一読忘れがたい印象を胸に刻まれた。しかし久世はこの詩を愛しながら、『聖女の島』とは出会わなかったらしい。作者生前にこの本を読んでいたら、手紙くらい書いたのに。もう声の届かないところに行ってしまったんだなあ、と、そぞろ胸が痛んだ。別に篠田は久世の熱狂的ファンではなかったのですが、最近いくつか読んでおります。

2008.01.29
 久しぶりに古本屋回りをしたり、古本関係の本を読んだりしていたので、喜国雅彦さんの本を再読したくなって本棚から担ぎ出してきた。『本棚探偵の冒険』『本棚探偵の回想』箱入り本二冊なので「担ぎ出し」といいたくなる。拾い読みのつもりがついしっかり読んでしまい、これでは仕事というよりお楽しみだから、今日はやらないつもりだった小説ノンのゲラも片づけてしまう。メフィストの第一回を書き終えたら、こっちの続きも書かないとならないんだなあ。

 読了本『私の神保町』 紀田順一郎 晶文社 古本エッセイ。すごく長い時間をかけて書かれている文章なので、ときどきそれがどれくらい前の話かわからなくなって「あれ、あれれ」などと思ってしまう。初出は後ろではなく、各編の頭に付けておいてほしかった。

2008.01.28
 神保町に出かけて久しぶりに古本屋巡り。目的のひとつは平凡社ライブラリの『一古書肆の思い出』で、第3巻だけが見つからず、アマゾンのマーケットでも他の古本屋サイトでもアウトで、もしかしたら日本特価書籍にはあるのではないかと目星を付けていったら、ほんとにあった。ここは新刊書が5パーセント引き買える本屋だが、東洋文庫とか、こういうのは新刊でなくてもある。それから平台中心に覗いて回って、裏通りの小さな本屋の平台100円均一で皆川博子さんの『トマト・ゲーム』文庫を見て、持っているけどつい買ってしまう。店内では『忠臣蔵殺人事件』と『世阿弥殺人事件』、どっちも文庫は持っているけどノベルスは持って無くて、500円だから一も二もなく買う。篠田は基本的に本は読めればいい主義なのだが、皆川さんについてだけはコレクター。他の収穫は久世光彦『黄昏かげろう座』。久世さんも本はたくさん出ていると思ったが、文庫に落ちていないものも多く、文庫も品切れになりつつある。ほんとに足が速いというか、速すぎるよ。コレクターになりたくなくても、ならざるをえなくなっちゃうじゃないか。
 昼はランチョンで名物のメンチカツとビール。喫茶店にも入りたかったが、気がつくと3時近かったので今日はそこらで引き上げて、仕事場に戻って北斗学園の「登場人物紹介」を仕上げてメール。「龍」の連載ゲラが来たけど、明日はまだやらない。お天気も悪いようだし、ぬくぬくと仕事場に収まって本を読むぞ。

 読了本『犯罪ホロスコープ1 六人の女王の問題』 法月綸太郎 カッパノベルス これは面白い。本格ミステリとして、過剰なところはどこにもなくするすると読める。褒めているんですよ、もちろん。著者のことばにある通りの「プロのお仕事」です。

2008.01.27
 午前中に昨日の残りの作業を終えて、発送をすませ、後はお休みにした。昼から入浴剤を入れた風呂につかってミステリを読む。いや極楽。夜になって、理論社の北斗学園にくっつける登場人物表の文章を少し考える。これは語り手の男の子に入らないとならないので、すっかり頭が切れちゃってて難しいかなと思ったんだけど、試してみたら「アキ」はとっとと現れた。ただしこの本、間際になってイラストレータやデザイナーが変更になったので(別に篠田が望んだわけではない)、予定通り二月に出るかどうか微妙な状態。

 読了本『吹雪の山荘 赤い死の影の下に』 東京創元社 1994年以来(!)刊行が待たれていた伝説のリレー小説本格ミステリ。当然ながら各回読みどころはあるけれど、途中で予定されていた書き手が交代したりして、四苦八苦の跡がとにかく「ご苦労様のお疲れ様」という感じで、苦労されたんだろうほど面白いミステリになっているかといわれると、かなりディープなミステリマニアと、笠井さんたち執筆陣の大ファン以外はそれほどでもないんじゃないかと思う。これだったら1999年に出た『堕天使殺人事件』の方が、みんな好き勝手にやらかした破天荒な迷走をまかりなりにもミステリとして決着させた芦辺拓さんの力業によるところは大きいとして、ジェットコースターみたいで面白かったんじゃないかなと、まあこっちは篠田も参加していたので我田引水だといわれりゃそれまでですが、もともとリレーミステリなんてお遊びというかお祭りというかそんなものなんだからなあ、と思ったのでありました。

2008.01.26
 今日は一日仕事場から出ず、カッパノベルスを一応最後まで終わらせる。途中何カ所か字体を変えてもらいたいところがあるので、データとは別にプリントアウトも送ることにして、そいつにチェックを入れているとまだミスが見つかったりして、本当に我ながら注意力散漫というか。しかしこれで、長らくこだわってきた長崎とキリシタンについては一段落。龍のローマ編からずっと聖書が手放せないような状態が続いていたけど、あんまりそっちにばかり深入りすると読者を置き去りにしかねないので、そろそろ方向転換かななどと思う。とはいえ、長崎の教会はまだ半分くらいしか見て回れていないんで、機会があればまた行きたいとは思うのだけれど。

 読了本『「弱い父」ヨセフ』 竹下節子 講談社選書メチエ 竹下さんの本は、篠田がキリスト教の勉強をするのに非常に役に立っているのだが、これはいままで取り上げられることが少なかった聖母マリアの夫ヨセフについて書かれた本。ヨセフというのは非常に地味で影が薄い印象があるけれど、「祈りの取りなしをしてくれる聖人」としては西欧ではいまなお絶大な人気があるのだそうで、しかし古代から中世あたりまではやっぱり影が薄かったそうな。実は五島列島の教会に行ったとき、あちこちでハンサムなヨセフと少年イエスの像がまつられていて、それがとても珍しかったのだが、ヨセフ信仰を盛んにしたのはフランチェスコ会だというから、もしかすると五島に入った宣教師がそちらの人だったのかなあとこの本を読んでいて思った。
 権力をふるう強い父ではなく、受け入れ、守り、助ける父としてのヨセフというのは、フェミニズム的に見てもとても現代的だ、といわれて、「おおなるほど」と膝を打った。中でもぐっときた文章を書き写しておきます。

 人がほんとうに自立するには「母親以外の人間」に肯定されることが必要だとしたら、父とは、子供を絶対肯定する、母親以外の大人の別名なのだろう。ある人がまだ弱く小さい時に、その存在を肯定し受け入れることで、母親以外のすべての人がその人の父になれるのだ。それはきっと聖ヨセフが、私たちに遺し伝えてくれたことのひとつに違いない。

2008.01.25
 脳がしもやけになりそうなくらい寒い。それに寒いと腹が減るので、つい食べ過ぎるような気がする。
 カッパノベルスは直しが一応最後まで来て、プリントしてまた頭から見直している。そうするとまたまたあちこち直したいところが出てくる。この週末中には片を付けたい。
 四月からのメフィストで始める新作、『緑金書房午睡譚』のイラスト担当が決まった。というか、依頼して承諾してもらった。始めまた波津彬子さんにお願いしたいものだなあなどと思っていたのだが、試作品を書き上げてみたらあの流麗な絵柄とはちょっと違ったトーンだなと、篠田も思ったが編集も思い、未知の漫画家さんにお願いすることになった。佐原ミズさんという、少女漫画家ではなく青年誌に描いている方。非常にさわやかで。水彩の淡彩がぴったりな絵を描かれる。作品を拝見したら、逆にイメージが膨らんできた。カッパが終わったらそちらに入る。こうご期待。

2008.01.24
 雪は消えたが風が冷たい。仕事場の部屋は広いので暖房が効きづらい。いや、広いのは好きなのでいいんだけど、寒いものは寒い。膝掛けをしていても、篠田はお茶をいれたり辞書や資料を探しに行ったり、しょっちゅう立ったり座ったりしているので、つい膝掛けがじゃまくさくなってしまって、横に置いていてまた寒くてというようなことを繰り返している。日本海側の方たちの苦労を考えれば、それどころの話じゃないんですけどね。
 どういうものかうどんとスパゲティでは、同じ量を食べてもスパゲティの方が体重に響かない、気がする。というわけで、今日の昼はもらい物のイタリア製細めのスパゲティを80グラムゆでた。包装に「5MINUTI」と書かれてあったので、深く考えず5分でざるにあげたら、これがあなたアルデンテなんてえもんじゃない、ばりばりで。しかたなく電子レンジで追加加熱して食べましたけど、イタリア人はほんとに5分しかゆでないのかな。向こうで食べた範囲じゃ、そんなに堅くなかったと思うんだけど。

 読了本『骨董掘り出し人生』 中島誠之助 朝日新書 テレビでおなじみのあの方の半生記。小説みたいな人生です。骨董屋の目利きのよしあしはものをくるんだ風呂敷の様子でわかる、なんてのは大変面白いです。

2008.01.23
 雪である。正直いって篠田は雪が苦手だ。ただ寒いからというのではなく、窓の外で降り続けている雪を見ていると、その中に埋められてしまうような、一種狂おしい恐怖感めいたものを感じてしまう。去年の秋に福島の温泉に行った帰り、新潟に出て関越道で帰ってきたのだが、お米の魚沼のあたりを走っていると、どこも民家の作りが違うのですね。一階はほぼガレージで、壁のそばにはしごが置かれていたり、二階の窓が窓でなく下まで開く作りになっていたり、雪は少なくとも2メートル以上積もるんだねというのがそれを見るとわかって、それだけでビビってしまった。大変だなーっと。
 仕事の方はどうやら、カッパノベルスの先が見えてきた感じあり。終わったら2.3日は本を読むつもり。

2008.01.22
 本日は仕事は休み。婦人科の医者に行った後、池袋で某社担当と会う。いまつきあいのある中で一番古い彼が退社することになり、引き継ぎ。物書きにとって担当の交代というのは、没を食らうことの次くらいにいやなこと。事情があるので如何ともしがたいが、あまり明るい気持ちにはなれない。

 読了本『古本屋開業入門』 喜多村拓 燃焼社 だからといって作家を廃業して古本屋になろう、などというわけではなく、小説の資料として。古本に関するエッセイは多々あるが、お客ではなく店の立場から、それもえらくなった人ではなく実地のハウツーを語った本で興味深い。聞いたことのない出版社だが、池袋のジュンク堂の棚で見つけた。

2008.01.21
 まるきり昨日と同じく、カッパノベルスと運動。お昼はダイエット。雪は降らなかったけど、寒いことには変わりがない。といっても、今年は一度も水道が凍らないので、やはり地球温暖化かしらん。

 再読でトールキンの『ホビットの冒険』を読んでいる。前から再読したかったんだが、なぜか我が家の本棚から本が雲隠れしてしてしまって、いたしかたなく再度買った。ついつい『指輪』を思い出しながら読んでしまうので、全体のトーンが違うのがなんとも不思議。ホビットに関わることは、そんなに違わないけどね。
 しかしなんでも「ロード・オブ・ザ・リング」のピーター・ジャクソンが、これをまた映画にするんだとか。「おおそれはいい」と喜びはしたものの、今回改めて読み返す内に、不安がむくむくと湧いてきてしまう。なぜかといいますとね、『ホビットの冒険』には色気がないんですよ。中年親父のビルボに、若くても髭のドワーフ集団に、これまた髭の魔法使いガンダルフが主人公のグループでさ、他に出てくるキャラだって、女性がひとりもいないし、エルフはちょい役だし、あとは鷲とか、熊人ビヨルンとか、悪い巨人とか、悪い龍とか、ゴクリとか、そういうのばっかりなんよ。
 まあ、『指輪物語』だって原作は、フロドは50歳だし、エルフの姫君アルウェンだってほんのちょっとしか出てこないんだけど、ほんのちょっとでも出ていれば、それをうわっとふくらますことも、まあ出来なくはないよねえ。それでもアルウェンの出演シーンはかなり強引で、「ここいらねーわ」といいたくなるところも少なくなかったけどさ。でも『ホビット』はねえ、ないんだよ、ふくらまそうにもそもそもが。原作を強引に改編して、女性キャラを出したりしたら、それはいやだなあ、と思う篠田でありました。

2008.01.20
 まるきり昨日と同じく、カッパノベルスと運動。お昼はダイエット。別にこれ以上体重を減らす必要はないのだが、食欲のままに昼食を食べてしまうとすぐ1キロや2キロは増えてしまう。それだけでなく、夜まで腹が減らなくなってしまう。ほんとは昼食べて夜は軽く、というのがいいんだろうけど、夜の食事とアルコールというのは生活の楽しみでもあり、これを無くしたら極端な話なんで生きているのかわからなくなる。別に大ご馳走を食べているわけではないのだよ。
 しかし寒いです。運動をするのは身体を温めるという意味もある。暮れあたりから自宅の書庫を片づけて、不要な本を処分し、仕事場の使い終わった本で処分しないものは棚に詰めるということをやりかけているのだが、夜は寒すぎて書庫におちおちいられない。今夜は雪だそうだ。たくさん降るのかな。

2008.01.19
 本日もカッパノベルス続行。その合間にエアロバイク、ステッパー、腹筋など。別に身体を鍛えるのなんて好きでもなんでもないのだが、体調維持はいまや至上命題だ。ついでにスカルプケアをして、造顔マッサージまでやってるぜ。
 仕事の方で話題がないので無駄話。うちの購読新聞は毎日だが、一月ばかり前から夕刊に数独パズルが毎日載るようになった。前にも書いたことがあると思うが、篠田はわりと数独にはまっている。ブームだというんだけど、他に「やっている」というのを聞いた例しがほとんどない。そんなものにはまるほど、篠田の知り合いは暇ではないということか。しかし、毎夕刊に載っているというのは、かなりせわしない。だって、あればやらずにはいられない、習慣性があるという意味では煙草みたいなもんだから。仕事場から戻ってくるとたいてい、テーブルの上にツレが読み終えた夕刊が載っている。で、どうするかというと「とりあえずこいつを片づけねば」となってしまうわけだ。帽子もコートも取らずにボールペンを握ったりして、ツレに「なにやってんだよ」とか呆れられる。こんなにはまっても、時間つぶしにしかならない、つまりほぼ何の役にも立たないというのが素晴らしい。いや、別に暇で困っているわけではないんだけどね。せめてこれで短編の一本も書ければなんても思うんだが、扱い方がわからんのだ。ふー。

2008.01.18
 カッパノベルス続行。午後ジム。また泊まり込んでまとめて仕事、するかなあ。毎日少しずつコツコツ、というのが苦手になってきてしまって。

 読了本『掘割で笑う女』講談社ノベルス 正直言って篠田に「時代劇のツボ」はない。唯一読むのは池波正太郎だが、それも「剣客商売」と「藤枝梅安」だけで「鬼平」は手を出していない。池波さんが書く江戸情緒とか、江戸の美味とか、キャラは好きなんだけど、ずっと読んでいると飽きる。つまりまあ、その程度っていうことです。
 で、今回のメフィスト賞。時代劇らしい情緒、ない。妙にライト。しかも出てくる人物の大半が地方人の若侍で、女と来たら幽霊しか出ない、つまり色気も全然ない。風景描写、風俗描写ほぼまったくない。つまり従来の時代劇の定型を、完全に逸脱している。お家騒動で地方の若侍がドタバタというところから見て、作者は初期黒沢映画のファンかもしれない。「椿三十郎」とか。
 だからまあ、「時代劇嫌い、うざい」と思う読者でも抵抗なく読めるのではないか、とはいえる。文章は、情緒には欠けるがこなれている。プロットも、潤いも色気もないが嫌みはなくてするすると喉通りがいい。淡麗辛口水のごとしだが、ひっかかりがないというのは弱点でもある。問題はこれからどんなものを書けるか書くか、ということなんだろうなあ。あーあっ、てめえを棚に上げてまたえらそうなこといっちまったよ。

2008.01.17
 今年のメフィストで新しい作品を書くことになった。日常の謎ならぬ日常のファンタジー、少しだけミステリ風味、である。正月になってからわりと好意的に書いてくれるネット書評家の方のサイトを見ていたら、篠田の『王国は星空の下』を取り上げてくれていたのは嬉しかったが、「篠田さんの作品にはいつもやおいぽい味があって」というような意味のことが書かれていて、いまさらのようにがっくりした。北斗学園は我ながらド健全な世界のつもりで、そりゃまあ中学生の男の子が群れてわいわいやってはいるが、篠田的にはそういう味を付けた覚えは全くない。深読みして楽しむのは読者の自由だが、作者がそれを匂わせていると思われるのは正直心外だ。で、いまここでなぜそんなことをいうかというと、今度の話は全然そういうのはないよ、ということ。どれだけイマジネーションが豊かな読者でも、ここに登場するキャラでそういう妄想は出来ないでしょう。出来ないと、思うよ。←少し心配になってきている・笑。
 作中に登場する古本屋のために資料をいろいろ買ってきたので、そっちを少し読むが、当面の課題は1月中にカッパノベルスなので、夕方からやっとこそっちを始める。いつも「今書かなくてはならないもの」より「その次に書くもの」が書きたくなってしまうという、それは悪癖というよりは現実逃避かもしれませんが。

2008.01.16
 実は昨日は仕事的にかなりショックなことがあって、夢見が悪いどころか悶々として寝付けない状態のまま朝を迎えてしまったのだが、今日は春のメフィストから始める新作の取材と打ち合わせで東京に出て、有意義な一日を過ごしてきた。どうも最近いまひとつ「ついてない」感につきまとわれているので、このへんで潮目を変えたいものだと思う。
 文3からファンレターの回送が来ていたのだが、日付を見ると去年の11月のものが大半でちょっとびっくりした。出来るだけさくさくと返信したいと思うけれど、「出したのに返事が来ない」と思っている人がいたらごめんなさい。もう少し待っててね。

2008.01.15
 篠田の夢は非常に単純に昼間の経験や感想を反映する。寝るまで小池真理子の『墓地を見おろす家』を読んでいたらホラーな夢を見た。マンションではなく、どこか知らない町に引っ越してきたけれど、そこが妙に人気のない町で、地理や住所がさっぱり把握できない。おまけに越してきた家の玄関がガラスの引き戸で、そのガラスが割れている。すぐにガラス屋を呼んで修理しなくてはならないのに、これでは電話をかけてもこの家の場所が説明できないとか、そんなことでぐるぐるしながら焦っている。人ごととして考えると馬鹿っぽいが、当人としては結構怖い。それが途中からファンタジーめいてきて、明るい光の差す斜面にオリーブの木が点在する美しい緑の世界がすぐそこに見えてきて、そこから誰かがやってくる、といったイメージが登場する。
 たぶん純然と、ひたすら怖いホラーというのはあんまり好きではないんだろうなあ。小池作品も「屋上には出られるんだから火を燃やせばいいのに」「いっそシーツでロープを作って、ベランダづたいに降りてみたらどうだ」「若い男が二人もいてそれくらいの思い切った手も打てないのか」といったことばかり考えてしまって、それほど戦慄するにはいたらなかった。

2008.01.14
 今日は知人の作家芦辺拓さんの夫人風呂本佳苗氏がピアニストなのだが、そのリサイタルのチケットをいただいたので、オペラシティまで出かける。こじんまりとしたホールで聞くピアノは「打楽器ですな」といいたい迫力に満ちていて、無論演奏の善し悪しなど判断する能力はなかったが、大変楽しく聞けた。プログラムはシューマンの子供の情景を始め、子供の、とつくので統一された小品集でバラエティに富み、クラシックの門外漢にもとりつきやすいのも嬉しかった。実は非常に好きだということをふいに思い出したトロイメライが、アンコールの時にもう一度聞けたのも嬉しく、「トロイメライを聞きながら」という小説のタイトルだけが浮上。内容はまだ漠然としているが、神代もので、主人公は深春、というのだけは決定しました。神代ものはなぜか、タイトルは迷わないパターンが多い。
 終わった後、柴田よしきさん、ひかわ玲子さん、厨子慧さん、すがやみつるさんとお茶。柴田さんいわく、地震の備えにはポリタンク、ガソリン、カセットコンロ、小銭の現金1万円程度、風呂に水。ポリタンクは給水車から水をもらう。ガソリンは車のため。カセットコンロは電源の切れた冷蔵庫の食料を腐らぬうちに消費するため。店が開いていれば現金が使える。風呂の残り水はトイレを流す。作家が集まっても、別に創作論とかはしないものなのよ。

 読了本『瑠璃の契り』 北森鴻 文春文庫 文庫になったらとりあえず買い、の作家の一人が北森さん。なにせ面白くて濃いです。

2008.01.13
 晴れたけど風が吹いてやっぱりめちゃ寒い。スタバで頭叩きしようかと思ってノート持って出たけど、日曜のせいか混んでて断念。とっとと帰る。頭が動かないので、カッパノベルスになるジャーロ連載の直しを、まだ手は付けないで書式だけ整える。内容とか忘れてしまっているので、いっぺん新規まき直しにしないと。
 それからまた資料のつもりで買ってきてあった東京の下町関係の写真集など見る。1950年代の初めあたりだと、戦災で焼けていないところに古い町が残っているのはそんなに不思議ではないが、1980年代に入ってもまだそれはたくさんあって、2007年の現在はそれが95パーセントはない。というのは、そういう定点観測的な撮影の仕方をしていた本があって。ここでなんで1980年代にたじろぐのか、とこれを読んでいる若い読者の方なんかは思うでしょ。20年から25年も経ったらなにが変わっても不思議はない。自分まだ生まれてないもんね、とか。しかしねえ、篠田は1977年に大学卒業して、ツレと一緒になってるの。そこから先はずーっと現在という気分なの。ところが写真で見せられると、1983年の写真でも、そりゃそういう場所を撮影しているからということはあるけど、わりと古めかしい風情が漂っていたりして、なんというか、愕然としたりするのね。老けても無理ないですっていうか。あーあっ、と。
 というわけで、今日はツレの55回目の誕生日。おいらが夕飯作るのでっていっても、大したものはしない。こないだ作って美味かった元祖カルボナーラと、カジキマグロのソテーをするだけです。

2008.01.12
 めちゃめちゃ寒い。寒くてノウミソも固まってる。昨日から読みかけだった第37回メフィスト賞の『パラダイス・クローズド』を読了。設定だけ聞くとマンガ以外のなにものでもないけど、文章がちゃんとしていたので、あんまりその点についてはしらけることもなく、するすると読める。キャラは立っているが浮ついてないし、蘊蓄は本の引き写しという印象はなく、というのはキャラの口を通すことでちゃんとその人物のせりふになっているから。しかし読了して「面白いミステリを読んだ」または「面白い小説を読んだ」と心から思えるかと聞かれたら、少し頭をひねる。
 作者がなにをやりたかったか、というのはまあわかるんだ。本格ミステリの骨法を脱臼させて、別の面白さを持った、でもやっぱりちゃんと本格ミステリだといわれるような作品を書こうと考えたのだ、と思う。捕まえた犯人に向かって「おまえが作ったつまらねえ密室トリックなんか知ったことか、解明なんかしてやらねえ」という探偵、というのは確かに意表を突くし逆説的で面白い。その後の死神少年の啖呵も魅力的ではある。
 しかし、いい加減長いんだよ。犯人がわかってから、その先がだらだらと。どんでん返しが仕掛けられているわけでも無し。そして最後に探偵じゃない別の人物が密室トリックを解く。でも、ドラマは完全に終わっているから蛇足にしか感じられない。しかも、探偵が「つまらねえトリック」と笑ったそいつが、ほんとにつまらない。いや、それは書き方のせいもあると思う。このトリックだって演出によっては、魅力的に見せることも出来たはず。でも、敢えてそうではなく、つまらなそうに放り出した。それが実はすごいトリックなら衝撃だけど、あんまりそうとはいえないので、「ああ、ほんとにつまんないねえ」と失笑して終わり、と。
 でも、この作者の本は、また読むとは思う。やっぱり読む読まないの決め手は日本語力で、読むこと自体が苦痛であるような文章は、よほどのことがないかぎり読まないから。次もこの調子で脱力させられたら、少し考えるけどね。

2008.01.11
 今日は完全休暇。池袋にツレの誕生日プレゼントを買いに行く。ついでに本屋を一回りして、ごく控えめに買い、最後は食品売り場で、こないだ作ったリゾットが美味かったのでポルチーニのドライ、それと生パスタを購入。帰路で『占星術殺人事件』の再読終わり。以下、ネタバレはしないつもりだが、未読の方は読まない方がいいと思う、念のため。

 この作品のトリックは一読忘れがたい独創性を持ったもので、本格ミステリとしてはいうまでもなく名作ということになるだろうけれど、篠田的にはいまいちな気がしたものだった。その印象は今回も変わらなかった。というのは、これはミステリとしてはまったく欠点ではないだろうが、作品にほどこされたオカルト性や伝奇性、さらに226事件の年といった時代性のすべてが、トリックを成立させるためにのみ存在しているがために、読了した後でどうしても「なあんだ、だからか」という手品の種明かしをされたみたいな拍子抜けめいた感覚を持たずにはいられないということだ。今回読み返すと、特に伝奇的な装飾がかなり濃厚にほどこされているのだなと、いまさらのように感じたのだが、そこらへんが記憶から抜け落ちていたというのも、そのようなものがある必然性に乏しい証のような気がしてしまう。
 反面、過剰に天才でない変人ミタライと、過剰にへなへなでないお人好しイシオカ君のコンビは、「このころの方がずっとおもしろい」と感じてしまった。少なくとも社会性において、イシオカ君は完全に時と共に退歩した感が強いです。

2008.01.10
 昨日書き上げた「龍」の第六回を読み直し、赤を入れ、直してメール送稿。ついでにジャーロの添付ファイルを作業用パソコンに移す。「龍」の続きを書くのは少なくとも来月以降なので、テーブルやパソコン周りに散らかった資料をとりまとめて別室に移す。毎度ながら病気が治って床上げをしたような解放感。といってもまだ完全に終わった訳じゃないというか、もう一冊分は書かないとならないんだが、ここにきてシリーズ当初からのさまざまな伏線が繋がってきましたというか、いや繋がってないのもあるんだけどね、なんとなくここらで区切り付けます、という感じではある。だらだらするのはやなんだ。
 今年初めてのジムに行って汗を流して、今日はおしまい。『占星術殺人事件』再読しています。ミタライ君とイシオカ君のせりふ回しが、最近とは全然違うのがおもしろい。ミタライ君全然天才っぽくないただの変人だし、イシオカ君けっこうえらそうだし。って、そこは面白がるべきところじゃないのか。どこをどう手を入れてあるのか、までは島田さんの熱狂的ファンではない篠田にはわかりません。明日はちらっと買い物に出て、仕事はお休みにしようと思う。

2008.01.09
 光文社からジャーロ連載『美しきもの見し人は』のデータが添付ファイルで送られてきたけど、「龍」の第六回が押し詰まってきたのでそっちは後回しにして続ける。で、一応終わった。もちろんこれからプリントアウトを読み直すわけだが、ここで上巻の終わりということになるのであります。で、うまくいったかなあというと、自分ではよくわからんのよ。昔は書いててわりと「いいじゃん」とか自分で思えたもんだけど、最近はなぜか全然そうでなくて、書き終えて後から読み直して「ああ、思ったほど出来悪くなかった」なんて思うのがせいぜいだから、書くことがかなりしんどい。
 結局篠田の更年期はもっぱら、精神面に出ている感じがある。鬱が出やすいのだ、特に仕事に関連して、被害妄想チックな考えがしきりと湧いてきたりする。仕事はそりゃあ微妙に下り坂だったりはするけど、それが鬱の合理的な理由になるかというとそうでもないんじゃないか、という理性的な判断はあって、それでも気が滅入ることには変わりがない。だからこれってホルモンの減少が精神に反映している以外のなにものでもない気がするんだなあ。とにかくあと数年は堪え忍ばなきゃというか、ここを過ぎてまた精神状態が変われば嬉しいなとは思うんだけど。
 講談社ノベルスの献本が来たら、なんと島田さんの『占星術殺人事件完全版』というのが入っていて、なんとなくうわっと思う。昔最初に読んだのは図書館で借りた講談社の単行本で、たぶんあれが最初の版だと思う。悪いけど「日本語あんまり上手くない人だなあ」と思った。もちろんその後文章はずいぶん変わられました。というわけで、読み返してみますかね。

2008.01.08
 一行目昨日と変わらず。いよいよ書くことがなくなってきた。食べ物の話題だってそうそうないしね。昨日は七草がゆとカキフライだったけど、「おいしかったです」だけだし。
 しょうがないから今日は園芸ネタ。仕事場のマンションはベランダが広い。東向きなのでけっこう日当たりがいい。なんとなく植木鉢が増殖する。園芸に趣味は全然ないんだけど、実は。アジャンタムが勝手に増えるものだということは、ここにきて初めて知った。気がつくと他の鉢に出てきてるの。で、それを植え替えるとがんがん育つ。昔浦和にいたときは何度枯らしたことか。ある程度の日照がないと駄目なものらしい。
 ミントはわりと枯れずに育つ。伸びてきた茎を新しい鉢に導くと、そこで根が出て増殖する。これは夏場は刈り取って、干してお茶代わりに飲む。さほど美味いとも思わないけど、仕事場にいる限りはなんかしら飲んでいるので、バリエーションのひとつとして重宝。
 肥料とかめったにやらないから、果樹のたぐいは駄目。ブルーベリーを植えて数年たつが毎年つく実の数が減っていく。柔らかいハーブ類も虫が付くのでなにかと面倒だ。ハーブじゃないけど尺取り虫が増殖したときは大変にキモかった。
 冬場の楽しみはローズマリーの開花。派手ではないが小さな薄紫の花が延々と咲く。今年はプランターと大きな方の鉢両方が咲き始めて、毎朝の水やりも楽しい。これは葉が堅くて虫が付きにくいのも嬉しいのだが、その代わり肉のローストくらいにしか使えないので、そっちの楽しみはいまいち。昔イギリスに行ったときにやたらと生け垣になっていたっけな。地中海地方にもあるけど、寒い土地でも問題なく生える木なんでありましょう。今思い出したけど、フィレンツェの画家ポントルモの日記で「ローズマリーの入ったパンが好きでよく食べている」という記述があったっけ。レシピが知りたいものだ。ピザ生地に葉っぱをさして焼く、というのはあるね。あ、園芸ネタが食べ物ネタにシフトしかけてる(笑)。

2008.01.07
 仕事場から一歩も出ずに仕事、「龍」。そっちについては書くことがないので、昨日のカルボナーラのことを書く。仕事日誌というより食日誌だけどしょーがない。っていうか、食べ物の話は自分でも読むのは好きなんで、読者様のお目汚しに、であります。
 カルボナーラのチーズはパルミジャーノじゃない、ペコリーノだ、というのをなにかで読んで、それじゃあちゃんとその通りにやってみようというわけで、ベーコンでなくパンチェッタも買ってきた。これは燻煙をかけていない塩漬けの豚バラ肉やや乾燥はあり。つまりベーコンらしい煙の香りはしないというもの。ペコリーノもパルミジャーノよりは香りの薄いあっさりした味である。で、今回は生クリームを入れない「元祖カルボナーラ」というレシピでやった。パンチェッタ30グラムをバター40グラムで炒め、白ワイン10CCを振って、そこにパスタ150グラムとおろしチーズ40グラム、卵の黄身2つ。仕上げに黒こしょうとイタリアンパセリ。
 で、これがパルミジャーノとベーコンでやったのとどう違うかというと、こりゃ並べて食べ比べてみないとよくわからないけど、総じてあっさり素朴な感じ。というのはむしろ生クリーム抜きのせいであったろう。カルボナーラというのは炭焼きという意味で、山の中で炭を焼いているのにフレッシュなクリームは手に入らないのじゃないかといわれれば、まことにその通り。反政府運動のカルボネーリといわれた人々が食べたという説もあって、これまた生クリームとは縁がなさそうだ。チーズにバター、塩漬け肉に卵なら保存が利くものね。味的にも篠田はこっちの方が好きだな、と思いましたです。今度はひとりで150グラムくらい食らってみたい。パスタ好きなの。

2008.01.06
 今日は昨日と違って暖かく晴れたので、仕事場から20分のところに新しく出来たマーケットまでたかたかと買い物に行く。早足で歩くと軽く汗ばむくらいだが、往復でせいぜい5000歩というところ。仕事しないで良ければ毎日1万歩歩くのも別に苦でもなんでもないけど、外に出てばっかりじゃご飯が食べられないのでありました。でも昼は節食というのを再開したら、わりと簡単に正月前の体重に復帰したので、今日は心おきなくカルボナーラをむさぼり食らうのだ。

2008.01.05
 小説ノンの連載第二回のゲラをチェック。途中で日本語文法が崩壊しているところが三カ所もあり、しばらくめげる。それを自己嫌悪に耐えつつ終わらせてから、第六回の書きかけを続行。この週末までに終わらせられれば有り難いんだがにゃ(人格もやはり崩壊しかけている)。でもそういうことばかり書いても、読者様たちにはなんにもおもしろくないだろうから、仕事のことはさておいてまた食い物話にシフトする。
 うちの正月は元旦の朝はおせちっぽい食べ物で日本酒を飲む。かまぼこや伊達巻き、昆布巻きなんぞと、買ってきたものを食べるのがほとんど。手作りは根菜類の煮物と、篠田これだけは自信あるぞの黒豆甘煮。こっちはツレの手作りです、イワナの甘露煮。福島県の山の中のイワナを養殖している民宿に秋に泊まりに行ったから、そこで干しイワナを買ってきて煮るのだよ。市販品と違って甘過ぎなくて美味いのにゃやチーズで洋食。今年の二日はツレがニース風トリッパ(牛の胃袋のスパイシートマト煮込み)を、三日目は篠田がポルチーニのリゾットを作った。ポルチーニはイタリアの干しキノコ、リゾットはリゾット用の米を買って作るのが眼目でありますね。食感がパスタみたいであります。明日はパンチェッタとペコリーノでカルボナーラを作るのだ。ああ、体重と血圧、計らないとなあ。

2008.01.04
 読者のみなさまご無沙汰しました。&あけましておめでとうございます。篠田の正月は毎年決まっておりまして、食っちゃ寝プラス読書三昧で、休みが明けりゃ体重計が怖い、というのが毎度でしたが、本年はなんと。年の初めからせっせと歩いていました。もともと半端な田舎暮らしで、休日になればハイキングの高齢者がぞろぞろという土地なのですが、いくら低くても山登りなんてごめんだもんねー、といっていたのに、駅に置かれていたパンフレットを見たら自宅からあんまり遠くないところに登れる山があるらしい、というので、ふいと気まぐれを起こしたところ、驚くなかれ家の玄関からたった30分で271メートルの山頂に。低山といえども周りにあまり高い山がないので、純白の富士山は見えるは東京のビル群も望めるは。あんまり快適なので翌日はおむすびを作り、おせちの残りと日本酒を担いで再登頂。富士を見ながら純米酒をこぴりんこ、というわけで、まことに申し訳ないような結構な年始でありました。
 その分読書の方はあまり進まなかったのですが、年末から年始にかけて読んだ本をタイトルだけ並べておきます。『偽書東日流外三郡誌事件』『ナナフシの恋』『五つの鍵の物語』『理由』『昭和おもちゃ箱』『少女ノイズ』
 今日からは仕事場復帰。一月はジャーロの連載の手直しをする予定だったけど、なぜか出版社からデータが戻ってこないので、そちらは後回しにして「龍」の続きを続行。それにしても四日ぶりにメールを開いたら、スパムが180件も届いていてげんなりした。