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2007.02.28
 小説家が百人いれば、小説の書き方も百通りあるに違いないと思うのだが、それでもすごくおおざっぱに二分すれば、きちんと道行きからクライマックスから結末まで考えついてから書き出す人と、そこまで決めずに書き出してしまう人に分かれると思う。そして後者には、結末はきっちり決まっているけど道行きは不明な人から、ミステリだけど犯人すら決まってませんと豪語する内田康夫先生みたいな人まで、決まっていない度はいろいろな人がいて、だからたぶんきっちり決めてる人の方が数的には少ないんじゃないかな、と思ったりする。ちなみに篠田は後者で、それも決まってない度かなり高めの方である。もちろん長編は、だけどね。建築探偵は、一応150頁越えたので、次なる目標は200頁。三月の第一週までに。

 読了本『戦後創成期ミステリ日記』 紀田順一郎 松籟社 本格ミステリ大賞評論部門の候補になったので読みました。もう少し面白いかなというか、古きを温ねて新しきを知る、ヒントになってくれるかなと期待したけど、やっぱ昔の話は昔の話ね、という感じの方が強かったです。昔を今になすよしもがな。

2007.02.27
 昨日と完全に同じだけど、自分で決めたノルマの二月末に150頁というのはどうにか達成できそう。だからって、書き上がるまではほっとしている場合ではないのはいうまでもない。

2007.02.26
 すみません、書くことがない。仕事してます。借り物の本とかも読んだのだが、あまり好みとは言えなかったので、それについては書かないし、後は合間に数独くらいであります。当面こんなもんかなあ。今月中に150頁のノルマは間に合うかっ。

2007.02.25
 今日は本格ミステリ作家クラブの会議で東京に出たので、仕事の方は新しい章に手を付けた、というにとどまった。まじでやばい。

 読了本『少年検閲官』 北山猛邦 東京創元社ミステリフロンティア トリックと動機、この異世界を設定したことに必然性がある。リアルな世界でやればバカトリックが、メルヘン風の物語に溶け込んで効果を上げた。その分衝撃力はないけれど。
 『秘密の花園』 三浦しをん マガジンハウス イタイ少女小説。このイタさは生物学的に女に生まれてきたものなら、たぶん誰でも覚えはあるだろう。しかし篠田は女であることを学習しないまま子供から大人、そしていまやロートルになりつつあり、文化的に女になり損ねた、いわば女失格人間なので、そのへんで全面共感には至らない。
そう、女というのは学習してなるものなんである。別段意識的に学習を拒否したつもりはないのだが、全然興味が持てないままに他のことにうつつをぬかしていたら、いつの間にかそうなってしまったんだよ。別にもう良いけど。
 『まほろ駅前多田便利軒』 三浦しをん 文藝春秋 貸してくれた友人が「えっちのないボーイズラブ」といっていたが、まさしくその通り。過去に傷をもつ野郎ふたりの、すれ違う心と行動を描いた小説。それでも文藝春秋から出て、この程度汚しが入っていれば直木賞を取れる時代なんだねえ、いまや。ふうん、と感心いたした。

2007.02.24
 普段から引きこもりのような生活をしているから、たまに友人が来て長話をしたりすると、神経が興奮してなかなか眠れない。これはいつもの不眠とは違うので、もういちいち気にしないんだけど、今日はやっぱりいまいち。仕事は次章のプロットを立てるが、書き出す元気でなくてつい未読本の山に手を伸ばしてしまう。
 読みかけ本 『少年検閲官』 北山猛邦 東京創元社ミステリフロンティア 北山さんの小説はデビュー作から世界終末の幻想に満ちていて、それと本格ミステリの物理トリックが彼しか書けない奇妙なアトモスフィアを醸し出している。小説技術はずいぶん高くなったかんがあるが、その雰囲気は健在。しかし、周囲を森に囲まれた閉鎖的共同体で、その森に恐ろしい怪物が住んでいて、家のドアに赤い印が、というあたりで、どうしてもM・ナイト・シャマランの「ヴィレッジ」を思い出してしまった。鳴り物入りの試写会だったけど、全然評判にならなかったなー、あの映画。少なくとも新本格の読者には、まるで意外でないトリックだったから・・・

2007.02.23
 友人が遊びに来たので昼間から料理。その子がトルコ料理を食べてまずかったと嘆いていたので、トルコ料理にする。といっても、トルコ料理は日本で手に入らない食材が多い。それも決して特殊なものではなく、ただの野菜や肉が味が違うのだ。味付けはせいぜいが塩とこしょう、あとはトマトとヨーグルトくらいなので、日本の野菜のように素材の味がたよりないと、どうしてもまがい物にしかならない。
 作ったのは、インゲンのトマト煮、にんじんのサラダ、かきのフリッターにヨーグルトソース、ネギのパイ。かきは本来ムール貝だが、日本で売られているムール貝は味がいまいちなのでかきで代用。ニンニクを入れたヨーグルトで食べる。ネギのパイはこれもトルコで売られているユフカという薄い生地を使うのだが、ないから春巻きの皮で代用。幸い好評だったのでほっ。最後はトルココーヒー。
 さあ、明日からまた真面目に仕事だ。

2007.02.22
 春の伊豆をドライブしてきました。しかし休んだ翌日はどーも仕事にならない。明日担当が来るので部屋の片づけをしたり、写真をプリントしたり、下田で買ってきた金柑を煮たりして一日過ごしてしまう。
 読了本 『所轄刑事・麻生龍太郎』柴田よしき 新潮社 普通の刑事物だと思って読むと、やっぱり驚くだろうなあ。いや、ちゃんと普通の刑事物なんだけど、主人公は彼だし、及川純ちゃんも出てくるし。なんだいと思った人、『聖なる黒夜』を読もう。
 『スロウハイツの神様』 辻村深月 うーん・・・ 正直よくわからなかった。小説についての小説というのは、その作中作品がいかに魅力的に感じられるか、というのがひとつのポイントになるわけで、ここで絶賛されている作品にいまいち惹かれないというのは、篠田がそう若くないからなんだろうな、と思う。

2007.02.19
 昨日は仕事場に泊まり込んで原稿。それでようやく132頁に到達。半分は来ていないなあ。でも、今回はかなりきつい話だなあ。というか、シリーズの読者の方たちからはきっと「ぎゃあ」とか「いやーっ」とかいわれるのではないかと思われ。ええ、特にラストがね。でも、なんといわれようとも、書く。読者様は大切だけれど、いくら哀願されてもそれくらいで物語の筋がひん曲がると思っちゃいけません。
 それから「終わるなコール」もお気持ちとしては大変有り難いのですが、いくらいわれてもいまさら方針は翻らない、というか、どなたも死にませんので、取りあえず区切りはつけます。もしも事情が許したら、今回の次に過去編をやったら、最終巻の前に「京介高校編」を連作短編かなんかでやってみたいな、と思ったんだけど、これはちょっとどうなるかまだわかりません。そういう蛇足は、最終巻の前のちょっとほっと一息、という感じで入れるのもいいんじゃないかな、と思ったんですけどね。変な引き延ばしはしないでとっとと手の内を見せろ、か、高校生の京介を先に見たい、か。そのあたりご意見をうかがいたいですね。

 結婚記念日なんで、ちらっと伊豆へ行ってきます。つーわけで、明日明後日は日記はお休み。つかの間の休息で空気入れて、きつい話をがんばることといたします。

2007.02.17
 理論社のミステリーYA!のシリーズのパンフレットというのかな、そんなもんが出来てきた。こんなにくれてどうすりゃいいんじゃい、というくらい、どさっはオーバーだけど8枚くらい封筒に入っていたんで、今度お手紙下さった方への返事には同封しちゃいます。
 光文社カッパノベルスの「カッパ・ワン」というのは、メフィスト賞スタイルの新人登竜門で、最初は本格ミステリの新人がどっと出たのだが、今回はファンタジーに歴史伝奇である。後者は世紀末、じゃなく20世紀初頭のウィーンだそうだ。15年前に18世紀の中欧を舞台にミステリを書いて応募して、「なんで日本人がそんな縁もゆかりもない外国の過去の話を書くか」といわれた篠田としては隔世の感あり。言った人はもう仏様でございますが。でも、時間無いから読まない(笑)
 原稿の進行がどうもいまいち遅い。六月刊なら四月中に上がれば良いんだと思っていたが、よく考えるとジャーロの次の〆切にぶつかる。そんなことは最初から判っているはずなのだが、あまり考えたくないので知らないふりをしていたのだ。知らないふりをしてみたって、事態は変わらないんだよ。というわけで、明日は残業。仕事場に泊まって夜まで働きます。日記の更新はお休み。

2007.02.16
 陽射しは明らかに春なのに、風は冷たい。といっても、季節が一月も前倒しになっているのは、やっぱり異常なのだろうけれど、仕事場におこもりで近所のスーパーくらいしか行かない小説書きには、季節の移ろいもいまひとつぴんと来ない。
 友人からバレンタインのチョコをもらう。甘さ控えめ、チェリー丸ごと入りの濃厚なもの。いい気になって食べるとダイエットがパーになりそうなので、ちびちび一日に一個ずついただくことにする。根が貧乏性なので全然苦ではない。
 別の友人から三浦しをんさんの本を借りる。先にエッセイから読み出してしまう。『桃色トワイライト』、原稿しつつもついぱらぱら。そうしたら、気がついたら蒼視点の文章が三浦調になってるっっ。まずい、というのであわてて本をしまう。篠田は意識的な文体模写というのはめったにやらないけれど、昔から感化されて自然と文体模写、というのはときどきあったのだ。こういう危険な書物はとっとと読んでしまいませう。

2007.2.15
 来月理論社から出る新レーベルミステリーYA!の、『王国は星空の下』の表紙デザインが出来てくる。いまさらのように「そうか、これっていまの10代のためのレーベルなんだよな」と感じた。というのは、講談社のミステリーランドは箱入り上製本背布装という装丁で、それは子供のものという以上に大人のノスタルジーをそそる作りだし、内容はそれぞれでずいぶん幅があるけれど、篠田の作品にしても「10代に読んでもらう」というよりは「大人に子供の頃を思い出しつつ読んでもらう」という性格が強かった気がするのだ。なにせ依頼のことばが「宇山を喜ばせてよ」というのだから、「よっしゃ」といって彼に向けて書いた。
 しかしこちらは、装丁からしてポップで、しかもソフトカバーで価格も抑えめで、中学生高校生に買ってもらって読んでもらう、という狙いがはっきり出ている。なおかつライトノベルではないという。後は内容だ。彼らに「なにこれ」といわれたらこっちの負け。しかし揉み手をしてご機嫌をうかがう気はないよ。変に媚びてすり寄る気もない。「自分の考えとは違うけど、こういうのもありだよな」と思ってもらえたらいい。「また読んでやってもいいよ」といってもらえたら大勝利だ。さあ、結果はどう出る?

 読了本『日本海・豪雪列車殺人号』 辻真先 光文社文庫 辻先生のミステリはなぜかいつも明るい。これみよがしのギャグをちりばめているわけでもないのに、軽やかなユーモアがあって、世界の隅々まで理知の光が差しているような不思議な鮮明さ、美しさがある。これって、いまの本格ミステリが失っている最大のものじゃないかしらん。

2007.02.14
 気がついてみたらバレンタイン・デーだと愕然。いつもはせめて東京まで出てチョコを選ぶのだけれど、今年はちょっと余力がなくて地元のデパートにテオブロマの製品が並んでいたのをいいことにそれで済ませてしまう。手間暇かけるのが愛の証だとしたら、かなり手抜き化しておりますね、自分。
 しかし今月20日は結婚記念日で、それまでに100頁は終えておかなくてはというノルマを己れに課しているので、なんともいたしかたない。なにかそういう中間目標があると、それまでにという気持ちも起きる。長編一本を延々書き続けるには、やっぱり一里塚が欲しいわけね。ま、そのノルマはどうにかクリヤできそうです。

2007.02.13
 小説書きの日常は全然変化がない。仕事場から一歩も出てないし。エアロバイクを漕いで、数独をして、原稿を書いて、新刊は読みづらいので再読。恩田さんの『黒と茶の幻想』を読んでいる。恩田さんでもテンションが高い小説はちょっと読みづらいので、これは今の気分にはちょうど良い。しかし今回は先に『三月は深き紅の淵を』を読んでいたので、そこの第一章にかなり事細かに、熱烈に語られる幻の本としての『三月』、なかんづくその第一章としての『黒と茶の幻想』が記憶に残っていて、それとはずいぶん違うのだよな。語り合う四人の個人的な物語というのはあまり関係なく、もっと幻想的な謎が数々語られたように書かれている。それこそミステリの謎として提示されたら「島田流冒頭の幻想的な謎」だというような。うーん、こっちが読んでみたかった。

2007.02.12
 恩田さんの解説を書く作品『黄昏の百合の骨』を再読し始めたら、おもしろくて止められなくなって全部読んでしまう。ついでに解説を書き出してしまう。それから、「あ、いかんいかん。明日で間に合うことは今日しない、が今年のモットーだってのに、一ヶ月も先の〆切の解説を書いてどうする」と我に返る。まあ、一週間先の〆切のゲラはまだ放置してあったりするんだけど。建築探偵もじわじわ。

2007.02.11
 相変わらず建築探偵の原稿を書いている。今日はそのほかにパンを焼いた。といってもキーボードを叩きながら粉をこねるわけにはいかないから、パン焼き機に生地をこねてもらう。それと、ネットでパン焼き機で焼くときもある程度生地がまとまってからイーストを添加して、さらに混ざってから油脂を加える方がよくふくらむと書いてあったので、それも実践してみる。生地がこね上がって一次発酵が終わったら、取り出して丸めて仕上げ発酵してオーブンで焼く。今日のは残り物の全粒粉と強力粉の半々に、レーズンを加え、三分の一を小さな丸パン4個に、残りを型に入れて角パンに焼いた。出来はまずまずである。機械のままで焼くと、底に穴が開いちゃうんでね。
 恩田さんの講談社文庫を送ってもらった。『三月は深き紅の淵に』から始まる3作。これで他の方の書かれた解説を読んで、傾向と対策を練るのだ。

2007.02.10
 そろそろ「龍」トリノ編が書店に並ぶ頃であります。なにとぞお買いあげのほどを。それから恥ずかしいミス。篠田がトリノに行ったのは2005年でした。カバー袖にはちゃんとそう書いてあるのに、あとがきで2004年と書いてしまった。ぼけ。
 ドロナワ(泥棒を捕らえて縄をなう)は毎度の事ながら、執筆中の建築探偵がらみである映画のヴィデオを見る。ほんとはDVDが欲しいのおと思ったのだが、もう絶版でアマゾンのマーケットで16000円。ヴィデオは5000円。しかしヴィデオならうちにあったのである。昔本屋で買ってたぶん一度も見ていなかった。この当時の定価で3880円でありました。しかしDVDの画質に慣れると、ヴィデオはどうも粗いね。
 移動した昔の担当から電話。何事かと思ったら恩田さんの文庫の解説依頼。時間がないから断るつもりが、なぜかいつの間にか受けたことになってしまっている。さあ困ったぞ。恩田さんみたいな名前も売れて固定読者も多い作家の作品に、いまさらどんな解説をつければええんじゃい。あ、そうか。売れるに決まってるから、逆になに書いても良いのか(おい)。

2007.02.09
 小説は前半を書いているときが一番しんどい。自転車で坂を登っているときみたいな感じで。といっても、愚痴っていてもしかたないので、そのへんのことは書かずにまた読んだ本の感想。
 読了本『霊魂だけが知っている』 メアリー・ローチ NHK出版 香山リカの本に出てきたので、面白そうかなと思って買って読んでみたのだが、香山さんと同じところで引っかかってしまった。この著者がスピリチュアリズムに懐疑論者として手を付けて、なんら霊魂の実在や死後の生への証拠を得られなかったにもかかわらず「信じた方が楽しいから信じよう」という結論に達してしまう、そのへんてこさに。
 篠田は、霊魂も死後の生も信じない。しかし実を言うと大好きだった知人のことをいまでもふと思い出して「**さん元気かな」などと思ってしまう。亡くなったんだから元気なわけはないんだが、なんとなく会えないけど遠くにいる、という感じで「元気かな」などということばが浮かんでしまうのだ。
 といっても、本当に**さんがどこかで生きていると信じているわけではないし、ましてや**さんの遺族に向かって「**さんは元気です」なんていいやしない。その「そんな気がする」は要するに自分の記憶のなせる業であり、自分を慰めるために過ぎないと言うことは百も承知である。そういう形で「亡くなった人は、その人を知っている人の心にいる」というのは正しいと思う。でもそれは、他人に押しつけるわけにはいかない個人的な感慨である、あくまでも。自分でそう思うから良いので、他からいわれるのも嫌だし他の人に言うのも嫌だ。
 なんでそれだけじゃ足りないんだろう。もっとえらい誰かに「**さんは天国にいます」と請け合ってもらいたくなるんだろう。

2007.02.08
 というわけで、今日は東京の居酒屋の話。定期購読している雑誌「東京人」に載っていた老舗、といっても全然気取ったところではなく、大江戸線森下駅からほど近い煮込みとやきとんが売りのお店。しかし知る人ぞ知る名店と見えて、5時の開店少し前に着いたらすでに行列が出来ている。開店と同時に中に入り、するとほとんどのテーブルは埋まってしまうが、予約客は二階に通される。この店に目を留めたのは、煮込みにワインが意外に会うというので、ワインを出すようにしたらこれが好評で、というのに好奇心を刺激されたからだが、白菜漬けやら刺身やら和系のつまみも充実していて、周囲のテーブルを見ると、生ビールもいればチューハイも燗酒も、皆様好きなようにやっていた。
 ギネスの生があったのでまずこれを半パイント。煮込みは我々にはなじみのみそ味とは少し違って、洋風の趣もあると思ったら、濃厚な八丁味噌にポートワインやブーケガルニをあんばいしてあるらしい。これにガーリックトーストをもらって、残った汁もしゃくって平らげる。面白いことに燗酒組もチューハイ組もこれはやっているのだ。ビールが終わったら南フランスの赤ワインをもらい、鶏レバーのテリーヌにやきとんを3種。これがまた絶妙の焼き加減で冷めてもいける。壁を見たら青森の地酒「田酒」があったので、〆はこれにして壱岐の本マグロ中落ちを追加。
 食べ物が旨いだけでなく、若者中心の店員が非常に動きが良く、客を待たせたりいらつかせたりすることがない。おかげでかなり手狭な場所にギュウ詰めだが、座ってしまえば落ち着く。かつて篠田の好きな店のひとつに浅草吾妻橋のビヤホールがあって、ここも大テーブルに相席で詰め込まれても不思議と落ち着いたものだが、ここにもどこか似たものがある。ちなみに吾妻橋ビヤホールは例の「金色のウンコビル」が作られたときに消滅した。
 年のせいか気取った今風の店は見ただけで気が進まない。かといってつるりとしたこぎれいなだけの、店員はマニュアルことばしか話せないファミレス系は金の無駄。そんなところに入るくらいなら、家で残り物を食べる。というわけで、近来まれに見る掘り出し店だったものだから、ついつい筆を極めて激賞する次第。店の名は山利喜という。

2007.02.07
 昨日は連れ合いと東京に出かけて、入った飲み屋がとても良かったのだが、今日の処はそこは明日回しにして榎田さんの本の感想を書こう。
『始まりのエデンへ』 講談社ホワイトハート ここまで来るとだいたい話の落としどころについては想像がつくので、終わってしまうのがもったいなくてちびちび読んだ。たぶん作者の希望では、あと2冊か3冊は書きたいところを1冊にせざるを得なかったのではあるまいか。重要な場面があまりにも簡単に、せかせかと過ぎてしまうような気がする。特にヒロインが亡き母のふるさとである場所を訪れる描写は、ふと鳥肌が立つような凄みと美しさを感じさせたから、よけい「え、これだけ」という気がしてしまう。エンタメの世界では版元の都合で、書きたいだけの枚数をかけさせてもらえないということはざらにあるのだ。
 しかしそんな状況でも、作者は善戦している。決して舌足らずではない、しかるべき決着がつく。車内で読んでいたので、涙をあわてて拭いた。本当はもう少し内容に踏み込みたいのだが、そうするとたとえばここまでシリーズを追ってきて、最終巻はまだ読んでいないという人がここを見て、楽しみを削がれたと怒るかも知れない。前にうっかりグイン・サーガで某キャラが死んだと書いてしまったところ、すごい勢いでお叱りをいただいたことがある。だからまあ、未読の方はぜひ、とお勧めしておこう。全8冊だが主人公は男女2名で、特にヒロインのサラが篠田には印象深い。サラの物語を追うなら、2冊目の『隻腕のサスラ』から読み始めてもOK。最初はなにしろ暗くて、意固地で、およそ人好きのしない彼女にちょっと抵抗を覚えるかも知れないが、それはいずれ変わっていくための伏線である。

2007.02.05
 いやあ、今日はホントに書くことがない。榎田尤利さんの新刊を買ったので、読めたらこれのことを書こうかなと思ったのだが、仕事の方に時間がいってしまったので読めなかった。
 榎田さんは「魚住くんシリーズ」というデビューの連作長編で、ボーイズラブ読みでない読者をも感銘させ泣かせた作家。その後ボーイズラブをメインに、ミステリ色の濃いサスペンスものや吸血鬼の登場するファンタスティックなものなど、活躍のジャンルを広げて、今回全八冊のシリーズが完結したのは講談社ホワイトハート。最初の一冊である『神を喰らう狼』は、これはやはり一種のボーイズラブ的なスイートな世界なのかなと思わせたが、実はハードなSFであった。カタストロフ以後の地球を舞台に、科学技術に守られたシティと、荒野に住むエスニックな人々、さらにさまざまなレジスタンス勢力が葛藤を繰り広げる。一昔前なら無条件に正義とされただろうゲリラたちの中にも、抗争が孕まれるあたりがいかにも現代に書かれた作品だ。
 明日は午後からお出かけなので、日記の更新はお休み。明後日には上記作品の感想が書けるでしょう。

2007.02.04
 仕事はしていたけど、それについては特に書くこと無いので、

読了本『空から見た殺人プラン』 柄刀一 ノンノベル 実を言うと篠田はこれまで、柄刀さんの熱心な読者ではなかった。なんとなく文章が読みづらくて、するっと内容が頭に入らない感じがずーっとつきまとっていて、初期作品の『悪魔の僧院』なんかだとこれはもう内容も重い、文章も重いで、そういうもんだと思いながらふうふういって読み通したが、それ以降内容が少し軽い目になってくると、「なんでこう晦渋に感じるんだろう。篠田が馬鹿だからか」としか思えない状態で、つい二の足を踏むような時期が長く続いてきたのだった。
 それがここに来て、不思議にその読みにくさが薄れてきて、今回なんかとても良く頭に入る。物理トリックを駆使したミステリの根幹は前からずっと骨太だなと思っていたのだが、それを包む小説部分がちゃんと面白く感じる。今回の連作の中では最後の秋吉台を舞台にした話が、トリックの独創性で際立っていると思うが、それだけでなく登場人物達の性格の書き込みも過不足無く、無理なく盛り込まれていて完成度が高いなと思った。
 しかし、表紙がかあいいんだよね。やたらと。今回は菊地さんの魔界都市もなんと表紙とイラストが小畑健だし、おじさんの牙城だったノンノベルも、いよいよこういう路線にシフトするのかと、そぞろ複雑な気分もあったりして。

2007.02.03
 これからは特に断らない限り、毎日「原稿書いてます」なので、そのへんよろしく。
 先日つれあいのことばで忽然と気づいたのだが、今年は結婚30周年なのだった。銀婚式の25年の時は「来るぞ来るぞ」という感じだったのだが、今回はてんで忘れていて、はたと「そういわれてみれば」。体調やなんかのせいで、それどころではない気分が強かったせいかな。
 加えるにデビュー15周年。といってもこちらは、15年前に最初の本『琥珀の城の殺人』が出たものの、翌年は全然本が出るどころか、依頼もないまま、これで終わってしまうのだろうか、という気分で激しく落ち込んでいたもので、自分の気持ちとしては更にその翌年の1994年、つまり建築探偵が始まってアルバイトを止めて専業になった年の方が「篠田真由美元年」という気持ちは強いのです。でも、30と15という数字が並ぶと、なあんとなくそのことにも意味があるような気はしたりしてね。

2007.02.02
 原稿書いてます。
 「龍」のトリノ編『魔道師と邪神の街』の見本刷りが出来上がったそうな。ただし書店に並ぶのは2/10あたりから。よろしくお願いします。トリノ、いい街だったなあ。しかしなんでこんなに高いの、ユーロ。
 仕事に入っていると新しい小説を読むのが億劫で、読み返しをしたくなる。いまは北村薫さんのデビュー作円紫さんシリーズを読んでいる。最初の『空飛ぶ馬』を読んだときには、鮎川先生が「女性の文章」と太鼓判を押してるし、そういうもんかなあと思って読んだけど、いま読むとどう見てもこの理想化された文学少女は男性の筆、それも父の娘に対する憧憬としか思えなくなる。とにかく「えっ」と思うほど技巧的な文体だ。『六の宮の姫君』は、国文のレポートの書き方を勉強するような気分になる。最近大学生のレポートは、ネットのカット・アンド・ペーストが問題化しているそうだ。ネット以前の調べものの仕方を、これで学べとか思うけど、いまの若者はどういう読み方をしているのだろうか。ヒロインが卒論を書く描写が『朝霧』に出てくるが、篠田の頃はまだ原稿用紙に万年筆だった。訂正するのにインク消しを使っていたんだけど、あれは漂白剤と同じ物なので、消してすぐに書くと書いた字が後で消えてしまう。仕方なくて切り貼りをしたっけなあ。

2007.02.01
 建築探偵の方は当然ながら、相も変わらず「しばらくお待ち下さい」の続行中である。というわけで、なんとか毎日日記のネタを探し出さねばならない。
 これまた先日書いた友人の母上の話だが、食事の席で説明なしに「蒼ちゃんがどうこう」というような話をしているのを聞いて、その場にいて建築探偵を読んでいない人が、親戚の子供の話をしているのかと思ったそうである。いままでずっと見守っていたから、なんとか幸せになって貰いたい、とまあ、そういったことを言って下さったらしいのだね。
 これを聞いて篠田は、嬉しいだけでなくなにやら不思議な気分になってしまった。もとはといえば、篠田の貧弱な脳みそから産み落とされた小説中の人物なわけである。それがこの方にとっては、親戚の子供のように行く末を案じつつ思いやる対象となっている、ということは、その瞬間には蒼はある意味実在しているわけで、これは物書きのナルシシズムを別にしてもけっこうすごいことなのではないだろうか。
 自慢をしたいわけではない。読者がそのように思い入れてくれることで、蒼は活字の中の架空の存在から、限りなく実在する人物へと近づいていく。つまり読者の生き生きとした想像力による参加なくしては、そのような現象は起こりえない。小説というものは読まれることによって始めて完成するのだ、という篠田の日頃の信念の実証なわけだけど、やっぱり「ありがとうございます」というしかないな、これは。
 昔ある人から、小説家になるなら子供を産むんだって必要な経験だろうというような説教を垂れられたときに、むかついて「子供ぐらい想像力で生んで見せます」と啖呵を切ったことがあったのだよ。でも、蒼を産めたのは篠田ひとりの想像力ではなかったね。