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2007.01.31
 のろのろじりじり、です。栗山深春です。書いていて「ああ、この場面は彼でなかったらダメだなあ」と痛感。先へ行くとたぶん他の人の視点が入ってくるだろうけど、いまんところは前回お休みの熊さんでした。
 読了本 『Dr.キリコの贈り物』 矢幡洋 河出書房新社 仕事の資料として買ったのだが、そうか、この事件って実はこういうことだったのか、と1998年の記憶もおぼろな出来事を振り返った。ネットで青酸カリを売ったやつが、それ飲んで自殺者が出た後自分も自殺した、というのは一応覚えていたのだが、「自殺しないためのお守りとしての毒薬」という逆説が、別に言い訳なんかではなくて、売った当人はそれを信じていたのだけれど、ほんとに飲んじゃう人がいたというひとつの、ある種滑稽な悲劇。人が人を助けることの難しさを改めて思う。
 篠田は身近な者の自殺を経験した人間として、絶対に自殺を肯定するつもりはないけれど、じゃあ「死にたい」という人間を、体を張って止められるかといわれたら、それは無理だろうなとも思ってしまう。気質的にはメランコリ入りやすい方なんで、自殺したい人と話していたらこっちが説得されちゃいそうな気がする。でも、やっぱり死んで欲しくないです、誰も。いつかは必ず終わる人生なんだから、それまでは無理に頑張らなくてもいいから、だらだら適当にでもなんでも生きてみようよ、と思います。ほんとに苦しんでいる人には、すごく無責任なせりふですね。自己嫌悪。

2007.01.30
 じりじりのろのろと建築探偵続行中。これからしばらくはまたこの「続行中」が続くと思って下さい。長編は一日にしてならず、です。友人のお母様が「建築探偵、終わらせないでと先生にお願いして」などとおっしゃったそうですが、お母様、そんなこというてたらば京介の前に篠田が死んでしまいますがな。

2007.01.29
 えー、やっとこすっとこ書き出しました、建築探偵。ラストから三番目のお話です。といってもこの先「どこが建築探偵やねん」という話になりますんで、そのへんはご承知置き下さい。いや、別に「建築」がメインでなくても、その都度その都度ちゃんと印象的な建築物は登場させているつもりなのですが、どうも最近は「建築が出なくて残念」というようなお便りをいただくことがあるんで、念のためです。
 以下、ちょっと私信。久しぶりにお便り頂いた柏の「みくママ」様。新作はもっぱら蒼と京介で話が進むのだとばかり思っていたら、なぜかごひいきの山梨産クマ男が視点人物として復帰致しました。ツキノワグマ、上高地で雪に埋もれる、かも知れません。どうぞ、お楽しみに。
 我ながらますます「一寸先は闇・書いてみないと判らない」。仮にもミステリ作家が、いいのか、こんなことで?! いや、いいとは思わないけど、仕方がないんだな。プロットが立てられるまでなんていってると、このまま動けなさそうなんで、もう走り出して走りながら考えることにしたよん。

2007.01.28
 書くことがない。ファンレターや献本のお返事をまとめて書いた。その後は、一昨日は香山リカの離人症についての本を読み、昨日は28歳のライターの自殺についての本を読み、今日は82歳の精神科医の本を読んだが、今日のはただの爺さんの繰り言みたいな内容でつくづく辟易。そのほかに仕事から逃亡する意味で、講談社ノベルスの某人気作家のシリーズ物の新刊を読んだが、それはすでに全然ミステリではなく、まとまった小説といっていいかどうかも危ぶまれる代物で「こんなもんが売れるなら、真面目に小説なんか書いてられねーよなー」などとやさぐれる気分になってしまってまったく逆効果。わかってます。これって負け犬の遠吠えです。売れれば勝ちです、資本主義の世の中ですから。

2007.01.27
 まだ建築探偵が書き出せない。資料のつもりで精神医学や自殺に関する本をまとめて読んでいると、なんだかだんだん気が滅入ってくる。ミステリというのは多くの場合犯罪が物語の素材になり、人間の悪や罪を凝視することになる。これが最近どうも辛い。犯罪の登場しない「日常の謎」タイプのミステリというのも最近はとても多くなって、たくさんの読者を獲得しているのはわかっているが、建築探偵はどうもそういう世界とは違うようなのだ、基本的に。
 それに「日常の謎」ミステリを書ききるのには、非常な筆力と魅力的な素材が要る。事件の派手さや深刻さでは人目を惹けないのだから。それに大した謎でもない、単なる勘違いみたいなことを謎めかしておいて、「なんでもありませんでした、悪い人なんてどこにもいませんでした」というのは、読者を納得させるのが相当に難しい。少なくとも、毎度そんなことをされたら、篠田が読者だったら、怒る。
 久しぶりに北村薫さんの円紫シリーズでも読み返してみようかな。最初にあれを読んだときは、まだ篠田はデビュー前で「ああ、こりゃすごいわ。こんなんとっても書けんわ」と感嘆したものだった。

2007.01.26
 朝、理論社から3月の新刊のキャライラストが届く。描き手はやまだないとさん。とても良い感じ。
 医者に行った帰りに、池袋のリブロでまた少し資料系の本を買って、それから地下鉄で銀座。沖縄県のアンテナショップわしたに行って買い物。いまだに沖縄には足を踏み入れていないが、沖縄の食べ物は大好物なのだ。皮付きの冷凍豚バラ肉と、瓶売りの泡盛古酒と、豆腐ヨウと、ええい、沖縄そばも買って明日は沖縄ナイトだっ、と大荷物を担いで帰る。あれもこれも買いたくなってしまって実に困る。
 読了本『逃亡日記』吾妻ひでお 日本文芸社 『失踪日記』の便乗本。でも面白い。篠田の立ち回り先と、彼がホームレスやっていたあたりの場所が、妙に近いのが笑えたりして。いや、時間軸はずいぶんずれてますが。
 『スピリチュアルにハマる人、ハマらない人』 香山リカ 現代の日本人は現世的、個人主義的、非宗教的であるにもかかわらず、死者の生き返りや転生を信じている人の方が圧倒的多数だ、という不気味なお話。だったら殺人なんて大して深刻なこっちゃないやというわけで、ミステリが売れなくなるのも当然かもしれないね。ちなみに篠田はハマらない人です。霊魂があったら絶対に化けて出そうな死者に心当たりはあるが、出たためしがないもんな。

2007.01.25
 昨年秋刊行された『建築探偵桜井京介館を行く』が、ごく少部数ではあるが増刷されることになった。それにともなって上記赤字の他、いくつか文章の不具合を訂正した。出来るのは2/13以降。もしもこれから買ってやろう、というお気持ちのある方は、出来れば増刷分を探してやって下さい。
 理論社の新シリーズミステリーYA!の初回配本になる『王国は星空の下』は、3/12に書店搬入だそうな。久しぶりにシリーズ物でない、新しい話を書いた。一応児童ものではあるけれど、よろしかったらどうぞ。
読了本『夢と魅惑の全体主義』井上章一 文春新書 いったい何の本だ、といいたくなるような、それもどことなく物騒な雰囲気すら漂うタイトルだけど、ムッソリーニから解き始めてヒットラーからスターリンと、独裁者の表現としての建築を論じた本。そうした第二次大戦あたりのいわゆるファシズム時代から、日本の戦中に話が及んで、「日本型ファシズム」の特殊性が浮き彫りにされる。とっても面白いよ。
 
2007.01.24

 
昨日は久しぶりに日本堤のカフェ・バッハを訪ねて、コーヒー豆を購入。ついでにチーズケーキを食べて、その後会う友人のために焼き菓子をお土産に。今度時間を作って取材させて貰うことになった。いずれ、蒼に珈琲の入れ方を教えてくれた喫茶店のマスターが登場する話を書くときが来るはずである。まっ、それだけでなく篠田が美味しいコーヒーの入れ方を習いたい、というのがあるんだけどね。その喫茶店は京介が高校時代から通っていたなじみという設定なので、高校生京介編、なんてのも書いてみたいと思っている。そう、書きたいものは色々あるんだよ。手と頭が動かないだけで(だーっと涙)
 今日はひれでもどうにかこうにか、物語が動き出す予兆を感じた。いくつか足りないものがあったんだな、という感じ。それと当初の予定に反して、今回は再び深春が視点人物として浮上しそうになってきた。単一視点ではなく、蒼や京介の視点も入り交じることになりそう。書き出すまでもうちょっと。

2007.01.21
 昨日は都合で仕事場に泊まったが、ちゃんと眠れなくてズダボロ。正直言って小説脳はかなり不調であります。明日明後日も都合により日記の更新はお休み。水曜日にはもう少し明るい日記が書けることを祈りつつ。

2007.01.19
 
いい加減建築探偵を書き出さなくてはならないのだが、なんとなく雑用じみたものが来て、ちっとも気分が集中できない。
 「龍」の2月の新刊に載せるトリノの市街地図というのがFAXで送られてきたのだが、間違いだらけで使い物にならず、あわててコンビニに現地のツーリスト・インフォメーションでもらった地図をコピーしにいく。3月に理論社から始まる「ミステリーYA!」というシリーズについて記者会見をするから、それに出て自著について語ってくれないかなどというメールが来る。めったにないことではあるが、3月のその頃ならそれこそ建築探偵の追い込みに入っていなくてはならず、そんなことをする時間の余裕も気持ちの余裕もないだろう。
 篠田は小説を書くこと自体には決して飽きることはないと思うが、それにまつわるもろもろのわずらわしい雑用が急速に耐え難く感じられてきてしまっている。つまりそれだけ余裕がないのだろう。昨日は睡眠がズダボロだったので、今夜は薬を飲んで眠ろうと思う。
 読了本『貴婦人と一角獣』トレイシー・シュヴァリエ 白水社 いまはパリの博物館にあるタペストリが、どのように作られたかというテーマの15世紀を舞台にした歴史小説。なるほど、この時代の壁掛けってこんなふうに作られるのね、と勉強になる。しかし日本でも西欧でも、昔の女の人ってかなり悲惨だといまさらのように思う。飢えたり凍えたりする心配のない金持ちの生まれでも、幸せなのは子供時代だけ。後は自由意志もなく顔も知らない男に嫁がされて、それでも男の子が生まれなかったら人間扱いされないんだから。

2007.01.18
 篠田の悪癖のひとつに、いまやらねばならない仕事の二つか三つ先の仕事のプロットが突然浮かんで書きたくなってしまう、というのがある。今日も建築探偵の新作のことを考えていたのに、神代さんもののイメージが浮上してしまい、そういうときはそれが素晴らしい傑作のような幻想を覚えたりして、もちろんそれはただの幻想なんだけどね。プロット以前のかけらというか、今回の場合は犯人と被害者の間の感情といいますか、殺意が湧き立つ瞬間、みたいなものがもわわっと兆した。
 長編、かな。もしかすると、神代さんがヴェネツィア派絵画を専門に決めたことと、なにか関わってくるのかな。神代青年の話、というのも一部からコールはあるのですよ。そうなると、ミステリーズで掲載している1992年から3年あたりの連作(これも結構回顧ものだったりするけど)の時代を現時点に、さらに過去の事件がプレイバックする構造になって、複雑化するから、長編のボリュームが必要になるかも知れない。って、いつ書くんだ、そんなもん。
 ファンレター1通。横浜のTさんから熱いお便りを頂く。とても有り難い。励みになります。京介のこと、ご心配すみません。講談社ミステリーランドの『魔女の死んだ家』は、時代を特定していませんが、作者内設定としてはシリーズ終了後の彼のつもりです。名探偵というのは、フーテンの寅さんのように、ふらりと現れて事件を解いて「どうぞお幸せに」といって立ち去るのが花だ、というのが篠田のイメージなので。

2007.01.17
 ええっと、昨日の読了本。作者は、青春小説で音楽小説で本格ミステリでパラレルワールドもので伝奇でもある小説を書きたかったのだと思う。で、確かにそうである、と。その中でも一番出来が良いのは音楽+青春の部分。作者自身の体験が活かされているのではないか。文章によって音を感じさせ、存在せぬ楽曲とその演奏を彷彿とさせるという点で、作者の文章力は大いに認められる。しかしそれら多ジャンルの小説的要素が融合しているかというと、あんまりしていないのが辛いところ。
 青春小説なら主人公がやけにコンプレックスが強くてうじうじしている割に、出てくる女性全員からもてまくるのも可愛らしいし、カラオケシーンも必要でしょう。彼が魅力的に見えるように、単に「紅茶好き」という設定で済ませるのではなく、「歌が上手い」とだけいって済ませるのではなく、紅茶の銘柄からアンティーク・カップの蘊蓄、オペラのアリアの歌詞に原曲総ルビもつけるでしょう。しかしミステリのつもりで読んでいると、そのへんがじゃまくさく感じられてしまう、というのは、これはもう読者によっても感想が違うと思うのでいたしかたない。篠田の『アベラシオン』は、一応蘊蓄すべてがクライマックスの謎まで繋がっていくように計算していたつもりだが、資料の丸写しは退屈だ、というようなことをわざわざ匿名の葉書に書いて送ってきた読者もいたから(いっとくけど、丸写しにしたところなんて1行もないぞ)。
 ミステリの部分は『毒入りチョコレート事件』をやりたかったのだろうが、この800頁に渡る大長編のボリュームに見合っているかというと、いまいちである。動機はともかくとして、ミステリとしてはね。せこい、と感じてしまうのは、とにかくそれに着せた衣が分厚すぎるからだ。
 しかし一番文句をいいたいのは、タイトルのセンスだ。これだけは勘弁して欲しい。それが嫌でいままでタイトル書かなかったの。でも、しょうがないから書きます。『天帝のはしたなき果実』。なんかねえ、この言語感覚がもう、理解できない。はしたないってあなた、ポルノみたいじゃん。

2007.01.16
 資料読みを続ける、はずが、昨日友人と話題にした本が、とにかく分厚くて片手間に読んでいたらどれだけかかるかわかったものじゃない、という気がして「ええい、先に片づけてしまうか」と読み出して、読み続けて、もうじき終わる。その友人は否定論だったので、全然期待しないで読み出したから、「そんなにいうほど悪く無いじゃない」という気がしている、いまのところは。まあ、ミステリの場合最後まで読んでみないと評価しづらいというところはあるからね。
 ただ、長い。あまりに長い。長すぎるよ。単に事件が起きて、推理があって、犯人が指摘されるというだけのミステリじゃなくて、音楽小説でもあり、青春小説でもあり、他のいろんななんたらかんたらであり、というものを書きたかったのだろうけど、事件が起きるまでに200頁かかるんで、特にその辺は「読んでも読んでも進まない」感が強い。事件が起きてからも、別に事件の展開とは何の関係もない高校生のカラオケのシーンを延々と読まされたりするのも、なんだかなあという感じはある。正直言って。
 それから、これは内容とは関係ないようなものだが、新しげな活字が妙に読みづらくて、本の喉が異様に狭いからそれについても読みづらくて、そうでなくても800頁だから開きづらいし、疲れる。物語に没入するためにも、本というブツがそんなところでおかしな存在感を発揮しなくてもいいと思うんだけど、違うのかしら。
 いよいよ末尾になって、話はファンタジーじみてきた。果たして最後まで来てどう感じるか、予断を許さない。と思うだけで多少の誉めことばではあるか。講談社ノベルスの今月の新刊です。

2007.01.15
 今日から建築探偵のための資料読みを始める。といっても、具体的な資料というよりイメージ、ムードのための参考本とでもいったところだ。
 最近新聞に書いてあったのだが、学生のレポートがネットからのコピーとペーストのまんまだ、というの。それは篠田の時代にも、資料丸写し、コピーの切り貼りというのは駄目なレポートの代名詞としてあったけど、たぶん現代のレポートはパソコンで作っているわけだから、自分の手で書き写しどころかタイプもしない、まんま貼り付けだったりするのだろう。それは、篠田だって調べものにネットは使う。重宝する。しかし、ネットの調べものだけで小説は書けない。
 友人と昼間ミステリの話を電話でして、「最近のペダンティックなミステリがつまらないのは、なんでも勉強したこと全部書き並べてしまうからではないか」と、その友人がいっていたことが、このネットのコピーとだぶってきたのだよ。自分で探し出した資料ではないから、重要度や信頼度の差が判らない、ただどれもこれも断片的に差異無く広がっている知識の切片でしかないわけだ。本を探して、読んで、たどって、さらに調べて、その補助としてネットを使うのじゃなく、全部がネットで済ませているんじゃないだろうか、その手のペダントリイは。
 小説の蘊蓄は、調べものの博覧会じゃありません。一度自分で口に入れて咀嚼して、飲み込んで、自分のものにしてからもういっぺん取り出して再構成するんです。調べたものの十分の一も使えれば良い方。それだけの元手がかかっている。手軽にネットで調べた見せかけの蘊蓄と、そうでないものの区別が、読者にも編集者にもつかなくなったら。もうそんな時代になりかけていると思うんだけど、別にいいや、篠田はそうなったらもう書かないから。
2007.01.14
 ジャーロの連載原稿、昨年書いてあったものに手を入れ、メールで送稿。さあ、これで建築探偵より前に済ませておかねばならない仕事は全部終わった。いよいよ取りかからなくてはならない。なんというか、追いつめられた気分。いや、書くのが嫌だというのではないのだが、書かなくてはーっっっ、というプレッシャーがひしひし。
 そんなわけで、今日の午後だけはお休みということにして、野菜たっぷりのけんちん汁が食べたくなったので、近くのスーパーで根菜やらなにやら買ってきて、でもさすがに今日の昼には間に合わない。エアロバイク漕いで、もらいものの入浴剤を入れたお風呂で一息つき、もらいもののミステリを読んで、数独をやって夕べとなる。
 読んだミステリについては、タイトルだけ上げておく。明日からは資料読み。
 読了本『ハンプティ・ダンプティは塀の中』 蒼井上鷹 東京創元社
『密室殺人ゲーム王手飛車取り』 歌野晶午 講談社ノベルス

2007.01.12
 「龍」ローマ編はプロットを四章分立てたあたりで行き詰まったので、ここで止めておくことにして、〆切が迫ってきたジャーロの連載『美しきもの見し人は』の第三回。書いてある原稿を読みながら赤を入れるが、見事に細部を忘れ果てているので非常に不安なり。
 明日は外食するので日記の更新は多分お休み。

2007.01.11
 数少ない篠田の趣味のひとつ、料理。最近は毎日のおさんどんからは解放されているので、ますます趣味的にトンボーロを作ったり、梅干しを漬けたり、暮れは黒豆を煮たりするのだが、今年は久しぶりに薫製をやることにした。マッチで火を付けられる薫材が出来て、ずいぶん簡単になったのだが、キモは煙をかける以前の、塩漬けと乾燥にある。燻煙は一種の仕上げ。スペイン風の生ハムは一週間塩漬けにした肉を、ひたすら風に晒して乾燥させる。熟成した肉は高級ハモン・セラノの夢くらい見られる程度の味になる。この他今回はベーコンと、物は試しでロースハムをつけ込んだ。一週間後に取り出して、ベーコンは塩出し、乾燥、燻煙。ロースハムは塩出しの後で紐で巻き、70度から75度の湯でゆっくりと茹で上げる。
 今夜は鴨鍋。池袋に美味しい鴨屋があるのだが、そこは高いので、買ってきたフランス産の冷凍鴨肉でどこまでその店の味に迫れるか試してみることにした。要するに食いしん坊なのであります。ダイエットは、これ以上増えないようにだけ注意して、また夏になって食欲が落ちたらやるわ。
 仕事もしています。「龍」ローマ編のプロット作りをゆるゆると。しかし、そろそろジャーロをやらないとあかんなあ。依頼書が来てしもうたわい。

2007.01.1001.10
 今日は中目黒まで、山口晃の個展を見に行った。一言で説明するのが難しいのだが、昔の洛中洛外図みたいな、絵巻物鳥瞰図細密描写、しかもアナクロ+建築幻想、というような絵を描いている人で、先月の東京人に対談が載っていたので。ああいう大作が展示されているのかと期待したので、ちょっと外された。
 帰ってきてから「龍」トリノ編の著者のことばを書く。弾けまくったヴェネツィア編からは別人のようなやや暗めなことば。まあ、なんとなく。
 ネットを見ていたら、吉祥寺のミステリ専門書店TRICK+TRAPが閉店するという。ここでサイン会をするのが夢だったのに、ショックだ。

 読了本『天使が開けた密室』 谷原秋桜子 創元推理文庫 富士見ミステリー文庫から出ていた本の再刊。初読のときはヒロインの性格が密室を解く鍵だったというオチに感嘆したものだった。しかし再読すると、そういうミステリ的な仕掛けは仕掛けとして、このヒロインの性格は読むには辛い。よい子なのだが、とにかくやたらと泣くのだ。無論涙というのは計算尽くで出るものではないのだが、女が泣くと世間では必ず「泣けばいいと思って」といわれる。まるで問題を回避するために故意に泣いているというように。そうでなくても取り乱しているところに、そんなことをいわれたらまったく救われない。自己嫌悪にもなる。それを思い出すから、小説やドラマの中のよく泣く子というのは女性に受けないんだ、というのは私見ですが。

2007.01.09
 昨日は「正月明けに」といわれたゲラを全部返送してしまったので、一日お休みということにして、ぐーたらと数独をやったり、小説を読んだりして過ごした。「ポケット数独 中級編2」ほぼ5週間でクリヤ。しかしこれのおかげで、明らかに読書の時間が減っているんだよなあ。小説の方はいただきもののミステリで、ちょっと誉められない感じなので書名は上げない。誰が犯人か、という謎で引っ張ってきていて、犯人が話の後半以降にやっと顔を出すというのは、やっぱりいかんのではないかと思う。本格ミステリかどうかということ以上に、なんかこういうのじゃつまんないよ、と感じてしまう。
 他に読み終えた本は『論理の蜘蛛の巣の中で』巽昌章講談社で、メフィスト連載時に『アベラシオン』を取り上げて下さったもんで、普段はあんまりミステリ評論とか読まないのだけど、買ってみました。しかし篠田には評論脳が欠けているので、これが正しいとか正しくないとかいえなくて、時評なんだから作品名の索引くらい巻末にあってもいいのになあ、などと枝葉末節だけ書いておく。
 評論といえば年末最後の読了本が『探偵小説と記号的人物』笠井潔東京創元社なのだが、これまた自分に引きつけてしか理解しようがなくて、自分の書く人物は「キャラ」なのか「キャラクター」なのか、などとばかり考える。建築探偵を書き出したときは、桜井京介は「名探偵」で、蒼は「探偵助手」という、それぞれ設定だけがまずあったから、これは「キャラ」だったと思う。でも書いているうちにそれがただの「設定+描写」だけの記号ではなくなってきた、というのが書き手の実感なんだけど、もっと頭のいい人にかみ砕いて説明して欲しい。まあどっちにしろ篠田に書けるのは二十世紀のミステリだけなんだとはわかるけど。
 今日は「龍」ローマ編のプロット作り。さしもばらばらのカードだった物語も、しつこく睨んでいるうちに次第にそれなりの繋がりが見えだした、気はする。でも、そろそろ時間切れというか、建築探偵やらなくちゃ。

2007.01.07
 晴れてくれたのはうれしいが、日が傾いてくるとまあ寒いこと。窓の外を吹きすぎる風の音が、ひよよよーおっっっ、と実にそれらしい木枯らしの響きでなにやらもの悲しい。正月の間に増えてしまった体重を引き戻すべき篠田、飲み物も出来るだけローカロリーというわけで、砂糖抜き生姜たっぷりのチャイなどすすりつつ仕事。
 今日は理論社のゲラの続きと、南雲堂から出る本格ミステリのムックに載る対談のゲラ。読み返してもどうも意に満たないので、思い切って自分の発言をほぼ全部書き直すことにする。話したままをそのまま書いてもニュアンスは伝わらないし、かといってやはり人の手で書き直されたことばはどうも自分の発言らしくないからだ。

 明日は都合により仕事場泊まりになるので、日記の更新は一日開きます。

200701.06
 どうもおかしな天気である。去年の暮れ近くもそうだったが、関東の真冬で雪ならともかく、こんな台風みたいな吹き降りがあるなんて。近くのコンビニまで郵便の投函や宅配便の差し出しにいくのも億劫で、一日仕事場で過ごしてしまう。自転車も少し漕いだが、これでは3000歩も歩いていない。
 仕事は「龍」のローマ編は一遍止めて、理論社のゲラを見る。やはり〆切が決まっているものは、先に片づけてしまわないと気になる。枚数的にはそんなに多くないので、一応一日で最後まで読み終えるが、直しについて保留にした部分もあるので、やはり出すのは月曜日。
 
2007.01.05
 ゲラのチェックを終わって、ローマ編の展開を考える。実を言うとオープニング・シーンが決まっていない。だいたいどういうかたちで始まるかが見えると、取りあえず物語は流れ出すのだが、ローマという街がなかなかに巨大すぎて、「ここがローマだっ」というようなポイントが定めにくいのだね。ヴァティカンはもちろん重要な舞台だが、『聖なる血』がここから始まっていたし、いずれ主要な背景になるのはわかっているから、それでなくてとなると、観光名所シリーズトラベル伝奇といたしまして、絵になりそうな舞台ならやはりコロッセオあたりかなあ。19世紀くらいまでは、草ぼうぼうで荒れ果てていて、なかなかにふぜいがあったらしいんだけど、いまは観光遺跡として整備されてしまって、どうもねえ。さもなければ龍の思い出の場所、ハドリアヌス帝のヴィラの遺跡とかね。でも、夜でないと。ええ、昼間は煮えてましたから。真夏だったからだけど。

 読了本 『中庭の出来事』 恩田陸 新潮社 
 去年最後の読了本もあるんだけど、そっちは書くのに時間がかかるので、これは今年最初の読了本。年の後半の恩田さんの新刊は、読まずに正月まで取っておいて、思い切り没入する。イッキ読みできるように。これも恩田テイストのミステリアス・ロマンでありました。

2007.01.04
 いよいよ平常営業。朝から仕事場で昨日の続き、ゲラチェック。その後であとがきを書く。読み返しながら当然考えることは次のローマ編だが、伝奇というやつは風呂敷を広げるのはいくらでもだが畳むのが大変で、まったくもって呆然としている。一応ここで『聖なる血』からやってきた対ヴァティカン編が決着することになるのだが、なんといっても困ったことに主要な敵キャラがほぼ全然死んでないんだよね。んでもって、当然新しい敵も増えるわけなんだよね。
 そいつらを全部片づけて、主人公たちのいろんなごたごたにもけりをつけてやらにゃならない。なにせラスト(一応第1部の、ということで)は、鎌倉の龍の家で幸せなお茶会だ、とこれだけは決まっておるのだから、そこになんとしても到達しないとならない。しかし篠田、最近ますます「書いてみないと判らない病」が篤くて、はたしてそれだけのすったもんだがノベルス一冊で片づくんでありましょうか。建築探偵だってこれからが大変だってときに、なにも持ちシリーズのふたつともが一緒に修羅場に突入しなくてもいいでしょうに。
 自分で好きこのんでそうしてるんだろうって、違いますよ。私はそこまで破滅趣味じゃありません。小心のあまり早め早めに仕事を片づけて、楽できるかと思うとちっとも楽なんかしてないんで、今年はあんまり先走るのは止めようと思うんですが、とにかく地道に堅実にとだけ心がけているはずなのに、でもなぜか、こーゆーことになっちゃったんですよ。体はへろへろだっていうのに、その上まだシリーズとか増えそうな気配もあったりして、大丈夫かといわれたらそりゃもう自信を持って「大丈夫じゃありません」と答えるしかないんだけど、いったいどうなるんでしょうね。篠田の2007年は。これぞまさしく神のみぞ知る、であります。あっ、でもデビュー15周年なんだってさ。自分としては専業になったのが1994年なんで、なんとなくそっちを基準に考えちゃうんだけど、最初の『琥珀の城の殺人』は1992年です。現在講談社文庫って、品切れかな。
 
2007.01.03 
 明けましておめでとうございます。本日から仕事場に復帰しました。今年の仕事始めは2月に出るノンノベル『魔道師と邪神の街』のゲラチェックからです。年末は早めに仕事を終えて、久しぶりに真面目に仕事場の掃除や書庫の整理をしていたので、去年から山になっていたゲラ、「休み明けによろしく」に早々に着手しなくてはならなくなりました。うちの正月はいつも決まって寝正月、飲み正月、食べ正月で、せめてカロリーを消費すべく二日とも1.2時間散歩に歩いていたのですが、体重計に載ると敢えなく2キロ増。夏からの成果をパーにしないよう、せっかく買ったサイズダウンのジーンズが入らなくならないように、気を引き締めていかなくては。