←2006

2006.12.28
 さて、本当に今年の仕事も終わり。仕事場の片づけや掃除、今日は最後のジム。年始は早々に仕事をすることにして、その代わりゲラの山はいまは見ないことにした。幸い書きかけの小説を越年させることなく済んだので、いつになく心穏やかな年の瀬を迎えている。
 来年は来年で開幕当初からすごいことになっているのだが、そこはそれ。いまはとにかく考えない。というわけで、本年の「仕事日誌」は本日をもって閉めます。本年もたくさんのご愛顧をありがとうございました。また来年もなにとぞよろしく。ではどうぞ皆様、良いお年をお迎え下さい。
 年初はどんなに遅くとも、1/3あたりには日記を始めたいと思います。つまり、仕事もその頃から始めます。

2006.12.25
 今日は仕事場の掃除をして、あとはもらいものの入浴剤でのんびり汗を掻く。だらっとお休みして良い気分。夜は本日は中華。豚の角煮に八宝菜。明日は外へ出かけるので、日記の更新は28かな。そろそろ仕事は収めているので、あまり更新しないかも。お許しあれ。

2006.12.24
 夜七時、無事「桜の園」の手直し終了。これで明日は仕事場の大掃除が出来る。今夜は一応クリスマス・イブで、我が家はローストチキン。

2006.12.23
 我ながらしつこく「桜の園」を手直ししている。しかしあんまり未練がましくしていても、だんだん良いか悪いか自分でもよく判らなくなってきてしまうので、25日までに終わらせて今年の仕事納めとする予定。300枚にまるまる一ヶ月かけてしまった。

2006.12.22
 「桜の園」の第三章を手直しして担当に送稿。これで前の方の伏線を手直ししたら、本当におしまい。桜の話なので、来年4月からミステリーズに掲載して貰う予定。これだと枚数が一冊分には少ないので、最低あと一本は書かないと。神代ものは許されるなら全部で三冊にしようと思っている。いま作中時間が1992の春なのだが、神代さんは1994の春から一年間研究休暇をもらってヴェネツィアに行き、それを機会に蒼は文京区の神代邸を出てひとり暮らしを始め、京介も大学近くの下宿に移って、シリーズ本編の第一作『未明の家』が始まることになるからなのだ。クロニクルをきれいに埋めたいという欲望がありまして。その第一冊『風信子の家 ヒアシンスのいえ』も、来年4月刊行の予定です。建築探偵本編は比較的「大きな話」だが、こちらは日常とまではいかないにしてもわりと「小さな話」で、丹念に伏線を張っては回収するタイプ。こういう方が自分の資質には合っているのかもしれない、と思う。

2006.12.21
 昨日もまたちゃんと眠れなかった感じなのだが、もうそのこと自体に慣れてしまって、低調だろうとなんだろうと仕事できればいいや、という感じ。テンションは低いが物語は〆です、というわけで「桜の園」、81枚で一応おしまい。まだ細かいことをいろいろと直さなくてはならないけれど。
 黒豆も焦がさず煮上がりまして、今月号のビーパルに「黒豆のケーキ」の美味そうなレシピがあるので、材料を買っておいて正月にこれを作ろうかな。うちの場合、クリスマスは年末の忙しい中なので、ほとんどなにもしない。といって正月になにをするかというと、これは絶対面白そうという本と、美味しい食べ物と酒を用意して寝正月で過ごすのであります。年に一度、朝から酒飲んでいいのも正月だけ。
 あーっ、でもその前に年賀状だっ。
2006.12.20
 数年前から正月用に黒豆を煮ることにしている。黒豆というと「きれいに煮るのは難しい」となぜか思いこんでいたのだが、そんなことは全然ない。実に簡単。ネットで検索してみるとやり方はいろいろで、それは料亭式の柔らかくした豆を蜜につけては加熱し、みたいなのだと大変だろうが、篠田がやるのは砂糖醤油塩重曹を入れた熱湯に豆を入れてしばし放置し、煮立ててあくを取り、あとはひたすら弱火で煮るという、ただこれだけ。こんなに簡単なものなんてないくらい。難しいというのはただの迷信という点では、梅干しと良い勝負だが、梅干しの方が手間はかかる。
 昼は、柴田よしきさんのブログで「コロッケ蕎麦」の話題が出ていて、妙にうまそうだったので、久しぶりに作って食べた。うまかった。篠田の場合、これはうどんではない、蕎麦である。もっとも、天ぷらならぬコロッケを載せるなんてそれは邪道だという人もいるけどね。いいじゃん、うまいんだから。
 黒豆に注意が行ったせいで、今日は61枚まで。もうじきだもうじきだ。ああ、でも年賀状書かないとなあ。

2006.12.19
 本日はほとんど仕事場から出ないで48枚まで。やはりラストが近くなってくるとスピードが上がる。
 しかし昨日はなぜか寝付きが悪くなってしまって、朝になっても寝た気がせず。そんなときには甘酒が良いといわれたので、苦手の甘いものだがショウガをたんまり入れて朝は一杯の甘酒から。眠りの質が悪い割に頭痛がしなかったのは、もしかすると甘酒の御利益かしらん。カロリーはちょいと気になるのだが、体重計と相談しつつ、でも痩せても具合が悪くちゃなんにもならないからね。
 読者からのお手紙二通。これは確実に御利益があります。

2006.12.18
 駅前のスタバでコーヒーを飲みながら「桜の園」のラストまでのプロットをざっと立てる。なぜわざわざ茶店に行くかというと、仕事場にいるとつい数独に手が伸びてしまうからなのだ。もー、中毒ね。「中度」と「高度」を買って、前者でけっこう苦労しているから、我ながら大したことはない。
 まあ、プロットは一応ラストまで出来た。原稿を見せた担当からも、ずっと会話、ずっと回想でも緊迫感があってOKといってもらえたので、勇気百倍。年末までになんとかラストまでたどり着きたい。300枚の中編は600枚の長編の半分のエネルギーで書き上げられるかというと、そんなことは全然ないんだなあ。

 ネットで有り難いことのひとつは、古本が検索できることである。先日上野の国際子ども図書館に行ったのだが、販売している資料といったものは全然ない。そこのロビーに閲覧用に置かれていた『国際子ども図書館事業記録集 明治の煉瓦建築「旧帝国図書館」の保存と再生』という写真たくさん入りの資料本があったのだが、無情なことに「非売品」。ううう。で、だめもとで「日本の古本屋」という検索サイトで引いてみたら、一件だけだけどありました。それもわずか2000円。送料ふくめて2300円という予想外の安さで、新本なみの美本を入手。嬉しいやら有り難いやら。えらいぞ町田の高原書店。と、感涙にむせんだのでありました。
 この上野の図書館は、安藤忠雄がどうたらするよりずっと前から篠田の関心を持つところで、いつかこいつを題材にファンタジーを書きたいと思っていたのだけれど、それは果たせずに終わってしまうかも知れない。でもまあ、モチーフのかけらは他の話にも生きているしね。建築探偵でなくても、篠田の書く小説は近代建築から離れられないのだよ。

2006.12.17
 いよいよ今年もおしまいが迫ってきた。年末は家の予定もいろいろあるので、実質的に落ち着いて仕事出来るのも25日までで、黒豆はその前に煮なくてはならぬ。今日はポストへ行った他は一日仕事場。万歩計の歩数は4000歩にも達しない。「桜の園」の最終第三章を400字換算で14枚ほど。

2006.12.16
 昨日は東京に出て創元の担当に「桜の園」の2章分230枚ほどを渡し、しばらく話をし、夜は他の編集者とつきあって11時前には戻ったのだが、他には何をしたというわけでもないのに、今日は仕事をするだけの集中力がついに復活せず、とうとうだらだらと数独ばかりやって一日過ごしてしまう。東京の人混みの中を歩いたり、他人と会って話をしたりするとそれだけで疲労してしまうのだ。来年はパーティもふくめて、出来るだけ出かけず、人と会わないようにしないと、仕事の質を確保できないと痛感する。
 とはいっても、担当編集者とコミュニケーションをするのも仕事の一部といえなくはないので、アルコール抜きのランチかなにかならもう少し疲労が少なくて済むのだろうか。それはまあ、酒は抜きの方がたぶん体にも良いよね。あーあ、歳だ歳だ。
 仕事場の向かいに空き地があって、銀杏の大木が立っていて、毎年ギンナンが実る。前は年寄りが拾いに来ているのを見ていたので、他人の楽しみを奪ってはいけないと遠慮していたのだが、どうも誰も拾わない状態が続いているように見えたので、今年は数度ギンナン拾いをした。葉も落ち終えてそろそろ終わりかと思ったら、またいくつか見えたので、割り箸片手に出動。金色の葉の間に転がっている梅干しみたいな実は、銀の杏というよりは、金の杏といいたいような。中身は翡翠だけど。そんなことを考えていたら、子供の蒼がギンナン拾いをしているイメージが浮かんだ。子供のときは、別に美味しいとは思わなかったけど、これはやはり酒の肴か。

2006.12.14
 「桜の園」第二章までを清書。この話は三章の予定なので、起承転結ではなく序破急の「破」まで来ましたという感じ。今年中に来る予定のゲラ二本はまだどちらも来ないので、それが来るまではこれの続きをやっていよう。
 しかしこの話、いままで書いた中でもダントツに動きがない話なのだ。もっぱら過去の事件が会話で話題になるので、ドラマや漫画だとしたら、登場人物が延々しゃべっている絵にしかならない。昔はこういう話の運びだと「途中で読者に飽きられるのではないか」と心配になって、なにかジタバタさせてかえって読みにくくしてしまうようなことがあったが、最近はずうずうしくなったので平然と会話・会話・会話をやってしまう。といっても、編集さんに「篠田さん、たるいですよ」なんぞといわれたら、あっさり恐れ入ることになると思いますが。
 ま、明日は打合せも兼ねて遅くなるので日記の更新はお休み。

2006.12.13
 郵便局に行った他はずっと仕事。「桜の園」の書き直しを続行中。そろそろ年末の予定とかが気になってきて、書庫の掃除とか仕事場の掃除とか、いろいろしたいことはあるのだが、ちょっと今年は無理そうかな。しかし黒豆だけは煮ないと〜

2006.12.12
 昨日は帰りが遅くなったので、日記の更新が出来なかった。仕事は「桜の園」の書いた部分に、伏線を大幅にプラスして書き直し中。一応3章になる予定だが、1章を一度に掲載して貰うには少し頁が多すぎるような気がしてきた。まあ、そういうことは書き終えてから考えればいいか。
 仕事中、間食はしないが飲物は飲む。しかしずっとコーヒーを飲んでいると絶対胃が変調を来すので、中国茶とか紅茶とかいろいろと代わり番こに飲む。最近のお気に入りは砂糖抜きのチャイ、インド風のミルクティ。あちらではかなり甘くするのが普通だが、それをするとカロリーが高すぎる。で、砂糖抜きではダメかと思ったら、そんなことはなかった。その代わり、水と紅茶葉と一緒にショウガをすり下ろしてたっぷり入れる。高級なマサラ・チャイはいろんなスパイスを入れるが、道ばたの貧乏人チャイはショウガがほとんど。しかし生のショウガが入ると砂糖抜きでもいけるよ。

 読了本『密室と奇蹟』 東京創元社 ディクスン・カー生誕百年記念アンソロジー、だそうだ。カーのパスティーシュ集。中では巧緻な作中作に短編とは思えぬほど濃厚な時代趣味を書き分けた芦辺拓のテクニックの洗練と、桜庭一樹の「きゃーっ」とあっけにとられる傍若無人ぶりを上げておこう。

2006.12.10
 本格ミステリ作家クラブの会議に出るので、今日の仕事は『風信子の家』にあとがきを書いたことだけ。帰りにちょっと池袋のデパートに寄ったら、とにかく人間が多いのでぐんなりしてしまった。本屋も見るつもりで、新聞の書評切り抜きを持っていったのだが、とてもあちこち見る気になれない。
 先日書いた、トリノのブック・フェアのカタログに載せた文章の原文を下記に掲載しました。こんな場所でもないと、日本の方の目には触れないはずなので。

 日本語には『縁』ということばがある。元を質せば因縁という仏教思想に由来する概念だが、日常の用法としては『運命』などよりはるかに意味合いは軽い。理性的に考えれば偶然としかいいようがない状況で、人と人、人と物や場所が結びついたと感じたとき、それを「縁があったのですね」「不思議なご縁です」といった言い方でうなずき合い、共有する。それでどうしたといわれたら困るのだが、私は日本語で生きる人間のひとりとして、こういう非論理的かつ情緒的な表現が嫌いではない。
 私とトリノ、そしてトリノにある満月書店との関わりも正しく、「縁があったのですね」といいたくなるような、伝言ゲームめいた連鎖の結果だった。
1,聖骸布に興味を持つ友人に誘われて、十年前トリノを訪れた。
2,数年前知り合いの作家から「イタリアで幻想小説のアンソロジーを出す企画があるのだが、参加する人はいないか」というネットの呼びかけがあった。それをきっかけにマッシモ・スマレ氏と知り合った。
3,日本の雑誌に書いている吸血鬼を主人公にした幻想小説のシリーズが、話の舞台をイタリアにすることになった。citta'magicaトリノを使ってみたいと思い始めた。
4,いままで意識しなかったが、マッシモがトリノ在住だというので、取材旅行のときに彼を訪ねることにした。
5,彼に連れられて満月書店訪問。
 奇想天外というほど飛躍があるわけでもないが、最初から計画したわけでもないのにそれからそれへと鎖が繋がった、という感がある。こんなときに「面白い偶然ですね」というよりも「ご縁ですね」といいたいのが、情緒的日本民族なのである。
 もともと旅行は好きだし、小説家をしていて取材もするので、日本国内や海外へ出かけることは多いのだが、どこの国へ行ってもどこの街に行っても書店には入る。その国のことばが出来なくとも、写真集や絵はがきを買ったり、本の値段を見て一般的物価と較べてみたりするのが面白い。トリノで驚いたのはとにかく書店が多いことだ。イタリア語は読めなくても、本屋が多いというだけで本好きの私には嬉しい。
 日本ではいま急速に本が売れなくなってきている。また町中の小さな本屋が潰れて、その変わりに全国展開する大型チェーンのブックストアが増える。店員はアルバイトで、本について尋ねたり相談したりしても手応えのある答えが返ってこないことも多い。
 しかし書店は商店であり、書籍は商品であるにしろ、それはある意味特殊な性質を持っている。特定の目的を持ってある一冊を探すにせよ、漠然と「こういうものが読みたい」という気分だけで店に入るにせよ、数が多く、読んでみなければそれが自分の求めるものであるかわからないために、出会いと選択はしばしば困難である。晩餐のために一本のワインを選ぶように。売れ筋ばかりを並べた大型書店が無意味であるとはいわないが、専門知識を持ってアドバイスをくれる店員と、その個性を反映した品揃え、陳列を売り物にし、本と読者との『縁』を演出してくれる個性的な書店がこの世界から消えてしまうなら、我々の読書はなんとさびしく味気ないものになってしまうことだろう。
 アジア関係の書籍を専門に扱う満月書店には、主の趣味と個性が隅々まで満ちあふれている。オーナーのフェデリコ・マダロ氏は中国語が専門で、店内には中国語の悪口の研究などという大変に珍しく興味をそそる彼の著書も置かれている。現代の日本ではもっとも望みにくい種類の贅沢な空間だ。我々日本人はコンビニエンスストアの利便さを選んで、人と物が出会う『縁』の空間を失ってしまった。それでもこんな書店が自分の街にもあって、日常的にサロンのように出入りして、おしゃべりをしたり本を探したりが出来たらどんなに良かろうに、と夢見ない本好きはおるまい。
 日本人にとってイタリアは長らく憧れの国だが、いまだにイメージするものはゴンドラとトマトスパゲッティだ。しかし現代日本を舞台にしたサスペンス小説の翻訳に芸者の写真が使われているところを見ると、イタリア人の日本イメージも現実にはほど遠いらしい。現実と遊離したファンタジーも悪くはないが、現実はもっと多様で興味深いのだから、おかしなカーテンを引いたままで二十一世紀も過ごすのは馬鹿馬鹿しい。そろそろそんなものは取り払って、我々の間の『縁』を、もう少し深く親しいものにしていきたいものだ。
 
2006.12.09
 
『風信子の家』一応最後まで到達。しかし寒いな。

 昨日の話題の回答です。氏名敬称略。
 1番 舞城王太郎 なるほどって感じ。しかし「暴力」と「純文学」と「覆面」が並ぶと、かなりただならない雰囲気が漂いますな。
 2番 嶽本野ばら 羅莉塔 はロリータの音訳だったのね。でも「教主」ってのはなかなかすごい。ちなみに台湾の広告では羅の字にくさかんむりがついてます。
 3番 ボーイズラブとファンタジーの作家、榎田尤利。彼女を「癒し系」と規定したのは大変正しいのではないかと思います。
 4番 森博嗣 これはもう、まんまって感じですね。
 5番 実は、これが、篠田です。耽美っすかい。その上大師って、オームみたい。しーん・・・

2006.12.08
 このところは薬無しでどうにか眠れていたのだが、今日はあかんのでぼけている。友人の妊婦が、「天気が悪いとつわりが苦しい」といっていたけど、今日は確かに天気も悪い。それでもひっくり返っているわけにはいかないので、仕事。『風信子の家』直しを続行中。
 あまり話題もないので、台湾版翻訳日本ミステリの話題を。『原罪之庭』の中に挟み込みがありまして、ライトノベルなどは表紙イラストがそのまんま掲載されているのだが、そこに中国語であおり文句が載っているのだよ。さて、下記の作家は誰か、当ててみましょう、皆様。
 1.暴力純文学覆面作家
 2.日本羅莉塔教主
 3.療癒系心理作家
 4.本格派理科系推理第1人
 5.耽美系空間推理大師

 ミステリじゃない人も混じっていますので、全問正解は難しいかと。答えは明日。

2006.12.07
 今日は仕事はお休みで連れ合いと東京へ。まず竹橋の近代美術館工芸館(ここの建物は昔の近衛司令部の洋館)へ「ジュエリーの今」展を見に行く。しかしこれは完全に期待はずれ。少し昔の作品は良かったけれど、現代になるとはっきりいって「こんなもの身につけられるわけがねーだろっ」としかいえないような代物の連続。とにかくばかでかいのだ。指に嵌めたら手を下に下ろせない指輪とか、服が垂れ下がるだろうブローチとか、肩こり必死の巨大ネックレスとか。これつけて美しく見えるってなら、モデルが身につけた写真くらい添えて貰おうか。要するに現代美術の言い訳に「ジュエリーです」といっているとしか思えなかった。説明プレートに材質の表示が一切ないのも、ジュエリーの展示としてはまったく解せない。やれやれ。
 となりの近代美術館の常設展をちらっと見て、地下鉄で上野へ。芸大前の黒田記念館が公開日だったので、ここもちらっと入り(明治のアトリエ建築というか、天窓のトップライトが確保された明るい室内が感じ良い)、それから隣の国際子ども図書館へ。木曜日の二時から建物のガイドツアーがあるので、それを予約しておいた。それほど目新しいことはなかったけど、昔の閲覧室、いまは「本のギャラリー」という展示室になっている大部屋に、かつては書庫に通じるドアだったギリシャ神殿のような装飾があるのだね。そこにはドアがふたつあるのだが、書庫に通じているのは片方だけで、もう片方は配電盤が入っているだけの見せかけのドアだった、というのを初めて知ったのが収穫。
 来年3月に出る理論社の『王国は星空の下』に図書館が登場するのだが、そこには昔の出納カウンターも残っていることになっていて、でも、話には登場しないんで書けなかったんだよね。建物フェチの篠田だから、どうかすると話そっちのけで建物の描写をしたくなってしまったり。いや、だからしてないんだよ。
 
2006.12.06
 今日は「桜の園」を続けるのではなく、『風信子の家』の単行本版手入れをする。こちらは3月の予定だったが、理論社が創刊ラインナップに入って3月になったので、4月にずらしてもらうことにしたのだが、読み直してみてもけっこう力が入っている。建築探偵シリーズの読者の方が細かい部分は楽しめると思うが、視点人物が46歳男性なので、ここはぜひ篠田の読者としてはあまり多くない壮年男性にも読んで頂きたい気がしているのだ。『館を行く』の購入者はいつもの小説より男性が多いそうだし。
 我ながら、神代視点で小説を書くと、ちゃんと語彙や価値観がそれらしくなったりするのだよ。蒼はなにせ大人ばかりの中で言語を獲得したので、普通の子供よりは明らかにボキャブラリが古いところがあるのだが、神代さんになるとこれが歴然と違うのだね。なんでそんなことが出来るか。篠田の中には46歳男性もいるからだよ。まあ、神代さんはその年齢にしては若いというか、子供っぽい部分が多いとは思うけど、男というのはメンツさえなければ本質的にいくつになってもがきっぽいものだからね。違う?

2006.12.05
 今日は昨日と比べてまた一段と寒い。講談社の貴賓室(!!)を借りて北海道新聞のインタビューを受ける。1時間以上の長きにわたったのでびっくり。雑誌の場合だとこれくらい話したら8頁くらいにはなると思う。それでもテープ起こしからしたら半分くらいに削るのだよ。新聞というのはまた違ったものなのかも知れないが。
 さて、明日は出かける予定はないので、一日こもって原稿が書ける。

 読了本『黄金の灰』 柳広司 創元推理文庫 ハインリヒ・シュリーマンのトロイアの発掘現場で、掘り出された黄金の盗難と殺人が起こる、というミステリ。子供時代、文学に興味のない篠田の好きな本は『ピラミッドの秘密』とか『謎のアンコール・ワット』といったノンフィクション歴史物でした。シュリーマンの発掘物語も昔そうして読んだ記憶があるのだが、実像のシュリーマンというのは相当な変人で、その自伝には大量のフィクションが含まれていた、らしい。これの前に同じ作者の、ダーウィンを主人公にした『はじまりの島』を読んだが、今回の方が面白く感じたのは、シュリーマン自身の謎に言及した部分の魅力もある、といったら作者に悪いか。前作も今作も、「この状況、この犯人ならではの犯行動機」が設定されているところがミソ。
 『スキャンダル戦後美術史』 大宮知信 平凡社新書 画家の戦争協力問題、前衛アート運動、絵画バブル、芸大受験の矛盾といった、日本固有の美術界の問題を扱っている。とても面白いのだが、参考文献がいっさい上げられていないのが残念。調べものには使えない。

2006.12.04
 ライトノベル作家の高殿円さんとランチをして、午後いっぱいしゃべりまくる。親子に近いほど歳は違うとはいえ、歴史物+BLのおたくにへだたりはない。そして我々の萌えはいかにトレンドでなかろうと「へたれ攻め」であることを熱く確認し合う(してどうする)
 『アベラシオン』ノベルス下巻の増刷が出来。386頁と398頁のレイアウトに少々手を加えてあります。それから『Ave Maria』が少しだけ増刷されることになった。いま、ここに登場するW大の大島庄司教授が出ずっぱりになる「桜の園」を書いているので、ちょっとばかり嬉しい。

 読了本『シクラメンと、見えない密室』光文社文庫 『時を巡る肖像』実業之日本社 
 柄刀一作品二連チャン。いずれも骨格のしっかりした本格ミステリだが、この二作はいずれも、その上に小説としての肉付きを豊かにまとわせようとしているところに好感を持った。
 『銃姫』 8巻 MF文庫 高殿円のブレイク作、いよいよ第一部完結間近。改めてこの作品は、いまどき珍しいほどの正統派少年ものだと思った。主人公の成長物語に世界構造にまつわる謎の探求と宝探しが絡んでいる。「少年もの」はマンガであれ小説であれ、そしてファンタジーでもスポーツでも学園ものでも、骨格にこの成長物語+謎解きあるいは宝探しが存在していた。だが、気がつくとマンガやライトノベルの世界で、そういう正統派はむしろ希少種、絶滅危惧種となりつつあるようだ。男性作家が異形の日常性に自閉し、女性作家がむしろ世界に向かって己を解き放とうとする主人公を描くのが最近の傾向らしい。
 来年篠田が理論社から出す『王国は星空の下』も、正統的少年ものを志向している。いちおうファンタジーではなく現実の現代日本を舞台にしているので、世界構造まではなかなか物語は及ばないのだが、成長と探求は物語を駆動するエンジンとしてなお有効だと言うことを痛感した。体力が及ぶ限り、この話も続きを書きたいと思っている。

2006.12.03
 「桜の園」の第二章を104枚で終わりに。明日は出かける用事が出来たので、ちょっとほっとして残りの時間は読書。もっとも今週は出る用事が続くので、あんまりのんびりもしていられないのだが。
 イタリア、トリノで開かれたブック・フェアのカタログに、あちらで知り合った書店オーナーの奥さん(日本人)から文章を頼まれて、そのイタリア語訳が載ったカタログが送られてきた。オールカラーの非常に豪華なもの。トリノは街を歩いていても大小の書店が多い印象があるが、こうしてカタログで写真を見るとあらためてそう思う。それも日本人の感覚からすると「ブティックみたいにお洒落」な雰囲気があって、我が国の書店とはだいぶ違ったものだなと改めて思う。日本の新刊書店の場合「雑誌は置きません」「マンガは置きません」といえるのはほんの少数だろうし、それらを置けばいくら店の作りがお洒落でも店頭の色合いは限りなくひっくり返したおもちゃ箱に近くなるので、そのへんはいかんともしがたいのだろうとは思うが、個性豊かな棚作りの見られる書店が減っていくのは本好きにとっては我が身を削られるように悲しく寂しい。
 日本でそのカタログの文章が公表される可能性はないので、ここに貼り付けようかと思ったのだが、データを持ってくるのを忘れた。近日中に読んでいただくつもりです。
 
2006.12.02
 月が変わっても代わり映えのしない物書きの生活。週末だろうと代わり映えのしない物書きの生活、というわけで、今日も「桜の園」の続きを書く。やっと80枚を越えて、第二章の終わりが見えてきた。

2006.12.01
 12月。「時の流れるのは速いなあ」とみんないうけど、そりゃまあ自分が53歳といえば「もうそんなに経ったのか。それにしちゃあ進歩がねえなあ」とは思うものの、それをもってして「時の流れが速い」とはちっとも思えない。あっという間に時間が過ぎるなら、それこそあっという間に原稿が書き上がるだろうよ。全然さ。毎日働いても、ほんと虫が這うようにしか進まねーよっ。
 今日は「桜の園」の続きを書いていたら、時代的な矛盾に忽然と気づいてしまった。なにげなく戦後の青春を書いていたのだが、その当事者達は戦中の青春だったことにしばらくしてから気が付いた。遅いって。長編ならもう少しきっちり年表を書くのだが、今回は中編なので、「背景だからいいか」とざっとした設定だけで済ませていたら、その背景がふくらみだしてしまったのだ。我ながら、なんといい加減な仕事ぶりであることよ。