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2006.09.29

 『仮面の島』の直しをやり、おまけに書き下ろした「蒼によるヴェネツィア案内」と文庫版あとがきもつけて午後メール送稿。後はぐんにゃり。自分の小説を何年かして読み返すと、自己嫌悪でがっくり来る場合と「ふうん。まあまあ面白いじゃない」と思うときと両方あって、これは幸い後者であった。犯人の動機も意外性があると思うし、そんなに悪くないと改めて感じると、「じゃあ、なんでもう少し読まれないの」と思って、今度こそ確実にめげるんだけど。まっ、それは篠田のせいではありません。

 明日は夜出かけるので日記はお休み。さあて、10月ですな。

2006.09.28

 今日は午前中はジム、夕方は連れ合いの展示会が最終日なので搬出を手伝う。それ以外は『仮面の島』文庫直し。前にざっと直してプリントしてあったものを読み直して赤を入れる。週末にはゲラが2本立て続けに来るはずなので、のんびり垂れるのは一日でおしまい。そのほか今日は皆川博子先生の『伯林蝋人形館』を読み終えたが、これについてなにがしかのことを書くためには、せめてもう一度は読み返さないと無理なので、感想はもう少し後で。

2006.09.27

 予定通り一日垂れて、寝転がってひたすら本を読んでいた。それも資料本ではなく小説を。だいたい仕事をしているときは、「早く終われ早く終われ」と呪文のように唱えているのだが、いざ終わるとその世界の話から頭が切れなくて、続編を考えたりしてしまう。で、次の仕事にかかる前の脳洗いとして、わあっとまとめて小説を読むんである。

 読了本『トーキョー・プリズン』 柳広司 占領下の日本、戦犯を収監した巣鴨プリズンで不可解な事件が起きる。探偵役は記憶喪失の戦犯、ワトソン役は従兄弟を探しに来たニュージーランド人の私立探偵という、凝りに凝った設定のミステリ。面白く読んだ。ただ、なんていうんだろう、この作者は必ず現代の日本以外の意外な舞台を用意する人なんだが、その異なる世界がいまいち薄っぺらい。そして、本格ミステリとしてみた場合も意外性はあるんだけど、トリックとかいまいち。
 『赤々煉恋』 朱川湊人 怪奇幻想短編とでもいうんでしょうか。妙にじめっと湿度のある作品揃いの短編集。巧みな書き手だとは思うものの、肌に合うか合わないかという基準だと、自分的にはちょっと苦手系。
 『クドリャフカの順番』 米澤穂信 高校文化祭ABC事件。学園物を書き終えたばかりだったんで、なおのこと興味深く読んだ。野間美由紀さんのミステリマンガ「パズルゲーム・ハイスクール」をちょっと思わせる、軽やかでウィットに富んだ世界。ビター・テイストは抑えめ。小市民の星を目指している人たちより、こっちの方が篠田は好きだ。(そういう別シリーズが米澤さんにあるわけです。)

2006.09.26

 理論社の書き下ろし、こまこまと手を入れて本夕刻送稿。はああ〜終わった。疲れた。もう取りあえずそのことは考えたくない。いつまでもいじっていると、よけいどんどんいいのか悪いのかわからなくなってくるので、取りあえずは断念して手元から離すことにしているのです。少し時間が経って読み返すと、また直したいところは変わってきたりするしね。タイトルは『王国は星空の下 北斗学園七不思議』です。刊行は来年の、さて、何月になりますかまだ未定。でもこいつを片づけないと、来年の建築探偵の書き下ろしのための時間が確保できないので、先にやってしまったのでした。
 業務連絡。講談社文庫のKさん、少し休んでから文庫やりますので、せめて明日一日は虚脱させて下さい。

 訃報が続く。翻訳家浅羽莢子さんが亡くなられた。翻訳という仕事は、外国語が出来る以上に日本語が出来なくてはならない。直訳だけなら機械でも出来る。その意を汲んで、文体の香りを保存して、文法構造もまったく違えば文化的背景も異なる言語に移し替え、しかもそれを小説として読めるものとするというのは、よく考えてみれば自分の小説を書くより遥かに困難な事業である。
 浅羽さんはタニス・リー、ジョナサン・キャロル、ドロシー・セイヤーズといったいずれ劣らぬ難物作家を、自在に日本語で読める小説に再創造してくれた。リーの『闇の公子』から始まる平たい地球シリーズは篠田のことのほか愛する小説で、中でも『熱夢の女王』は思い出すだけで目頭が熱くなるような大傑作なのだけれど、それも浅羽さんの訳業でなければこれほど素晴らしく感じられはしなかったろう。実はシリーズ中で一作だけ翻訳家の違う本があるのだが、それ、欧米で賞を取った作品なのに、それだけが読みにくく明確なイメージを結ばないのだ。
 悲しむことばすら浮かばない。ただ、彼女の残した作品の数々をこれから読むことで長い喪に服したいと思うばかり。

2006.09.25

 理論社の書き下ろし、一応ラストまでたどり着く。数独パズルを成功させたような達成感がある。篠田の小説の書き方って、思いつくまま作り上げた設定の中から、物語を掘り出していくような感じだから、トンネルが貫通したっていうか。もちろんこれからいろいろ手を入れて、伏線を追加したりしないとならないんだけど。怖いのは読み返してみたら全然いけてなくて、ちゃぶ台をひっくり返したくなる可能性ですね。

 読了本 『凶鳥の如き忌むもの』 三津田信三 講談社ノベルス トリックはいい、という話だったんでその点は期待して、前段の民俗学的なうんたらかんたらはざっと読み流しする。で、トリック。こりゃあかんでしょう。現実世界を舞台にしている以上は。いくら大型の鷲だって、夜は飛ばないよ。他にも絶対無理、ばれる、というか、トリックとして成立しないという要素があるんだけど、そのへんを書くとネタバレになるから書けない。でも、このトリックを成立させるには民俗学的なしつらえなんかじゃない、こういうことが可能な異世界でも作るしかないでしょ。そういう点をないがしろにしていいと思うなら、ミステリなんか書きなさんな。

2006.09.24

 昨今の天気予報のあたらなさ加減というのは、いったいなんなのだろう。この週末は曇天笠つきという予報に終始していたのに、今日は見事な秋晴れ。まあ、良い方に外れるのは悪くはないが、自宅周辺の人出はすさまじい。
 こちらは、季節を味わうのは味覚くらいというわけで、二日がかりで栗の渋皮煮を作る。味見はまだ。仕事の方はまだ理論社。クライマックスのアクションシーンを一日書いていたので妙にくたびれた。明日はここは終わって、牧歌的な〆のシーンというか、残務整理場面を書けるのではないかと期待。

2006.09.23

 ついこないだまでは朝蝉の鳴き声で起こされていたのに、いまは夜更けるとともに虫のすだく声、金木犀の香り。というわけで秋たけなわ。ただしダルな小説家の日常には代わり映えも無し。毎日仕事です。理論社は300頁から少しはみ出しても差し支え無し、というお許しを一応頂いたのでホッ。といっても、あまり延ばすのは自分の首を絞めることになる、といいながら、今日はまた昨日まで書いたところをちまちまと書き足したりして。ちょいとアクションシーン。実はアクションシーンは苦手なんだけど、物語の要請のしからしむところ、です。

2006.09.22

 ファンレターの返事、知人の闘病見舞いはがき。午後から理論社。絶対300頁では収まらない。といっても50頁もはみ出しやしないだろうけど、短編ならともかく、長編をちょっきりの長さで収めるのはとても無理だ。って、プロの言うせりふじゃない?
 午後、知人の訃報を聞く。一応まだ公式発表はしていないということなので、固有名詞は出さないが、10歳上の宇山さんと違ってこちらはほぼ同世代。それも亡くなる一月前までは、それほどの病状も感じさせないブログを書いていて、仕事もしていたという見事さで、絶句するしかない。
 原稿の方はクライマックスにさしかかっているので、それでも手は止まらないのだが、書きながらもその人のことを考えたりしていると、意識がふたつに裂かれるような一種異様な感覚に襲われる。

2006.09.21

 理論社書き下ろし、クライマックスと〆の部分のプロットを一応作り終える。こういうときはコーヒーを飲みながらたばこを一服したくなるが、止めたので我慢。というか、わざわざ買いに行くのも面倒くさいし、ずいぶん高いし、洒落たパッケージを台無しにする警告メッセージを読んでいるだけでいやあな気分になるので、まあ吸うのは止した、というところ。つまり篠田にとっては、あの警告は禁煙に役だっているね。
 今日はジムに行く日なので、書き下ろしの新しい章を書き出すのは止めて、届いたばかりの『館を行く』のゲラに目を通し始める。

2006.09.20

 理論社の書き下ろし、書き上げた部分を読み直してチェック、手直し。しかし、やはり前半をゆっくりと書きすぎた感じがなくもない。書き上げてから削るか。いつになっても〆切は守るがページ数は守れないだめ小説書き、篠田。

 書くことがないので、前に書いた本格ミステリについての雑感をもう少し書きます。本格ミステリの芯は狭義の犯人当てにある。犯人当ては限りなく推理ゲームに近い。しかし篠田にとって本格ミステリは小説でなくてはならないから、推理ゲームの要素は必要ではあっても十分ではない。それは梅干しの種のようなもので、種を抜いたら梅干しはすでに梅干しじゃなく梅肉だけど、種が好きで種だけ食べたいという人はたぶんとても少ない。同様に、犯人当ての推理ゲームこそ小説に優って最高だ、と思う人はそう多くないのではないかと思う。
 別に自分が多数派でありたいから「多くない」などといっているわけではない。そもそも本格ミステリとは、なんてことを考える事自体おちょこの中の嵐みたいなものなんでありますから。ただミステリを書くことを仕事にしている人という少数群の中でも、そういう人は少ないんだろうと思う。篠田の属している本格ミステリ作家クラブというのがあって、そこで作家や評論家が毎年投票で大賞を選ぶんだけど、その結果票を集める作品って、ほぼ確実に推理ゲーム性の優った小説、ではないものなんですね。
 そうすると、「このミステリーがすごい」のベスト10とかとどう違うんだ、という話になってくるけど、投票で選ぶというシステムを遵守する限り、趣味嗜好の平均化の向かうところに従うというのは、もう当然のことなんで、「梅干しの種だけ食べたい」人は少数派の中でも少数派でした、ということに過ぎないんですね。一般のベスト10や賞との差異化を図るには、選出母体を厳選して、先鋭な趣味を押し出して啓蒙する、つまりまあ、昔っぽい表現をするなら「大衆運動じゃなく前衛党」でやるしかないんじゃないの、というのが以前からの篠田の感想でした。
 この日記は基本的に一般読者へのサービスで、同業者やマニアの方のために書いているわけではないので、たぶん一般の方にとっては「なんのこっちゃい」な話題はこのへんで切り上げようと思います。

2006.09.19

 昨日に同じ。早く終わらせたい。
 ところで竹本健治さんの『ウロボロスの純正音律』が出た。当代のミステリ作家が実名でぞろぞろ出てくる。篠田も出てくる。しかし、他の人は実にそっくりだが篠田だけは全然似てませんのでそのおつもりで。

 読了本 『きのこの迷宮』小林路子 光文社知恵の森文庫
       『毒キノコが笑ってる』天谷これ 山と渓谷社
キノコ本を纏めて読んでみた。柴田よしきさんはミステリ界きってのキノコ通で、秋になるとキノコ取りに行くのを楽しみにしているが、篠田は実践抜きでキノコ本を読むのが好きである。昨日の骨董と同じく、読書による疑似体験だけで満足できちゃう体なのだ。なんというものぐさで安上がりな体質だろう。特に小林さんの本は、イラストがとてもきれいで楽しい。でも、キノコを食べるのは好きだが毒キノコは怖いし、山をはいずり回るより温泉に浸かってる方がいい。

2006.09.18

 仕事の方は相変わらず理論社。で、特に書くこともないので読了本だけ。

 『骨董物語』 桐島洋子 講談社 著者自身のコレクションの美しい写真と、それにまつわるエピソードなどをまとめた一冊。篠田は蒐集趣味というのがほぼゼロというか、ものが貯まることには生理的な嫌悪感があるのだが、時を経たものを眺めるのは好きだし、それにまつわる物語を空想するのも大好き。旅先では買いもしないのに、骨董屋のウィンドウをじっとのぞき込んで、こっそり写真を撮ったりする。トリノでは、古い「舞踏会の手帖」があって、心がときめいたが、買わなくていい。旅の記憶を小説にしたり文章にしたりして、そういう形で所有しているのだと思う。というわけで、テレビの「なんでも鑑定団」を見たり、美術や骨董の本を見たりするのはとても楽しいのだった。

 『ヴォイニッチ写本の謎』 青土社 これもまた骨董の一種といえなくもない。20世紀初めにヨーロッパのどこかで発見されたという謎めいた写本。彩色口絵は、たとえば植物でもただの一枚として名称を特定できず、妙な渦巻きや植物の顕微鏡断面めいたもの、裸の女性群像が風呂に浸かっている図など、なにを描いてあるのかもわからないものばかり。そしてぎっしりと書き込まれた文字はアルファベットではなく解読不能。人工言語か暗号か。はたまた精神病者の作物か、金目当ての詐欺か、凝った悪戯か。100年近くになんなんとする無数の人々の努力も空しく、依然謎のまま有り続ける写本の正体やいかに、という本。もちろん結論は出ていないわけです。

2006.09.17

 今日は気を取り直して仕事。理論社の書き下ろしを進める。300頁にうまく収まるかが 依然心配の種。他は少しの空いた時間に数独をやったのと、ネットで書評を見ていたら米澤穂信の『ボトルネック』が誉めてあったので、この際読んでなかったのも頼んでしまえ、それならあれもこれも、という感じでアマゾンで注文。すぐは読めないだろうけど、篠田は本を買い込むだけでちょっとばかりストレス解消にはなるんでした。他の買い物はあんまり好きでないんだけどね。
 あ、今日の赤っ恥。肩にトクホン貼ったまま近所に買い物に出てしまいました。絶対に見えてたな。かーっ、おばはんくせーっ。

2006.09.16

 昨日は久しぶりに東京に出て、西武でちらっと買い物した後東京創元社の担当と会ってミステリーズのゲラを戻した。夜は乱歩賞のパーティだが、出てきたついでという感じで授賞式が終わった頃に到着。知り合いと立ち話をして帰宅。つれあいとなんだかんだしゃべりながらウィスキーを飲む。
 それでもやはり出歩くと翌日はくたびれて、いささか飲み過ぎもあったか、本日は全没にし、未読本を手にして寝転がる。あとは数独パズル。しかし不調。

 『銀の砂』 柴田よしき 光文社 現代の女性小説家とその秘書と編集者、といったあたりが主要登場人物なので、妙に読み味が生々しい。読み出したら巻を置くあたわず、という感じで読み終える。
 『親不孝通りディテクティブ』 北森鴻 講談社文庫 こちらは男臭い私立探偵物。博多の屋台が毎度の舞台として登場するが、食べ物についての言及はラーメンにおでん、くらいで少なかったのが残念。

2006.09.14

 午前中ジム。午後理論社書き下ろしの続き。夕方、連れ合いの木工展を飯能のギャラリー喫茶店でするので、そこの搬入の手伝い。夕飯は飯能のファミレスに入り、あまりのまずさに倒れそうになる。別に口が奢っているわけではないと思うよ。味の素の後口で舌が痺れたり、豆腐に添えたショウガがおろし金じゃなくミキサーで下ろされているのにがまんがならないだけ。
 読了本やなんかもあるんだけど、今日は遅くなったのでまた後日。今日はミラノ在住の方からお便りを頂きました。イタリアの郵便事情は依然として劣悪なもののようですね。ご苦労様です。

 明日は東京に出るので日記の更新は土曜日になります。

2006.09.13

 昨日の夜首にトクホンを貼って寝たら今日はやや復活。肩こりかー。
 午前中はミステリーズのゲラをやる。午後は理論社の続き。
 ミステリーズはけっこう自分でも気に入っているのだが、いまさらのように「自分の書いているものは本格ミステリだろうか」「本格ミステリってなんだろう」ってなことを考えたりする。普通の読者さんには関係のないことですから、このへんさらっと読み流して下さいね。
 本格ミステリの核心ともいうべき部分は、「犯人当て」と一般的に呼ばれるゲーム的なものの中にあると思う。「犯人当て」ってなんだと思う人は、綾辻さんの『どんどん橋落ちた』を読まれるか、東京創元社、または徳間書店から出た「犯人当て短編小説アンソロジー」をご参照下さい。フェアに手がかりを提出し、故意のウソをつかない問題編の後で、読者が正解を推理する、当てずっぽうじゃなくて論理的に推理することが可能でかつ「こういうのでも矛盾しない」という余詰めが出来ない、正解は唯一でなくてはあかん、とこれが正統派の「犯人当て」ですが、もちろんそれでいて正解に達するのが難しい問題でないと、という条件も加わりますわね。
 では「犯人当て」と「本格ミステリ」はイコールかといったら、それは違うでしょう、と篠田は思うのだった。「犯人当て」はゲーム性が小説性に優先する。したがって、ゲームとしては過不足無く良くできているが、小説としてはちっとも面白くない、ということはいくらでもある。短編ならともかく、長編でこれは読み通すのは辛い。本格ミステリがこういうものだけだったら、篠田は「本格ミステリが好きだ」とはいえなかったでしょう。篠田にとっての本格ミステリは、どこまでも小説でなくてはあかん。
 しかし本格ミステリの中の小説性とゲーム性は、しばしば対立する要素となります。その場合どちらを優先するか、なんてのは抽象論は成り立たない。むしろその緊張と矛盾の間に本格ミステリは立ち上がるのじゃないか。
 この項、続くかも知れません。

2006.09.12

 どうも体調が良くない。頭が重い。書き下ろしの後半のプロットをどうにか作り終えただけで今日はおしまい。

 読了本 『バーティミアス サマルカンドの秘宝』 理論社 魔法使いが特権階級として政府を収めるパラレルワールドのロンドン、魔法使いの弟子が師匠に内緒で悪魔召還に成功するが・・・「ハリ・ポタ」よりなんぼか面白いと思ったが、登場人物がほぼ全員性格の悪い嫌な奴なので、どんどん読みたいというまでの気分にはならず。

2006.09.11

 気候のせいなのか体調悪し。妙に体が重くて、午前中仕事場でひっくり返ってうつうつと過ごす。昼近くなってどうにか起きあがり、駅前までちょっと買い物。本屋を覗いたら、なんと『エッジ』の最終巻が出ていた。この本のことは『失楽の街』のあとがきで書きました。講談社ホワイトハートの、篠田の大好きなシリーズでした。でも、いま買っても読めない、というのは書き下ろしで頭いっぱいいっぱいなので、もうちょっとしてからね、と見送って帰宅。仕事続行。

2006.09.10

 一日ずっと外に出ずに仕事。理論社の書き下ろし。例によって前半分程度しかプロットを決めないまま書き出しているから、我ながらスリル満点だ。主人公は中2の男の子三人なのだが、気が付いてみると「ぜったい13歳でこんなこといわないって」というような会話になってしまっている。だってしょうがないじゃない。そうでないと話が進まないんだもの。これはリアルじゃありません。ファンタジーです、ファンタジー。
 いただいたお便りの中に、「学園物楽しみにしています。蒼の話のときは、あまり学校行事とか出てこなかったので」というのがあって、うん、向陵高校の文化祭くらい書きたかったんだけど、文化祭とミステリをからめるアイディアが取りあえずなくて。今度の話は続編OKなので、先々文化祭はやってみたい。体育祭は嫌いだからパスしますが。しかし少なくともその一年以内に、続編を書ける可能性はゼロだな。建築探偵もあるし、「龍」のローマ編もあるし、どうしたって前からの仕事の方が優先だもの。って、まだ書き終えてもいないのに続編の心配してる場合かって。
 次号次々号のミステリーズに前後編で載る「思いは雪のように降りつもる」のゲラが到着。今回はいままで書いた神代物の中では、一番気に入っている話です。いろんな意味で。
 最近業界的に「本格ミステリの定義」といったテーマがけっこう話題になっているようだけれど、小説家、評論家、読者、それぞれの立場でも定義というのは変わってくるものだと思うんだよね。少なくとも篠田は定義という物差しを片手にして、それに見合う寸法の話を書く、という仕事の仕方は出来ない。「こういうのだけが本格ミステリだ。おまえが書いているのは全然本格ミステリじゃない」といわれれば、ああさよですか、といって引き下がるけど、定義があって小説があるわけじゃないもん、逆だもん。「人それぞれ」と思うのは、なあなあを良しとする衰退した相対主義だっていわれても、そんなことでお客さん放り出して喧嘩するほど暇じゃないよ。篠田は本格ミステリは大好きですが、本格ミステリマニアではないんです。文句あっか。

2006.09.09

 なにによらず依存して、それがなくては生きていけない、とか、仕事が出来ない、とかいうのは嫌だなあという思いが常にあって、たとえばノートパソコンは買わない。旅先で日記を付けるのは絶対ノートに鉛筆だし、この前トリノでも「龍」の原稿はレポート用紙に手で書いた。もちろん帰ってからパソコンで打ち直したから、下書きをしたという程度のことなのだが、漢字を忘れている対策には電子辞書を使っても、手で書くということを完全に止めたくはない。いざとなれば鉛筆一本白紙一枚でなんとかなる、という物書きの手軽さを完全には失いたくないからだ。
 しかし家でしこしこ仕事をしていると、やはりネットによる調べものの簡便さは本当に有り難い。構想を立てるような、ある程度深い調べ物は別として、小説を書いているときというのはごく些細なことで「あれ、どんなだっけ」というたぐいのことがいくらでも出てくるものだ。ちなみに今日調べたのは「ボウガン」でした。

 読了本『芸術とスキャンダルの間 戦後美術事件史』 大島一洋 講談社現代新書 美術品の贋作事件や盗難事件についてのあれこれ。この手の本は好きなので、新刊が出るとたいてい買うのだが、なぜか前の本はたちまち消えて無くなる。昔書店で見て、タイトルすら忘れて、ほんとにそんな事件があったのかしらと思っていたレオナルドのデッサンを巡る事件が、一行だけ書かれていて嬉しかった。
 『フィレンツェ・ミステリーガイド』 市口桂子 白水社 ちょっと変わったポイントを語るガイド本。郊外の街で行ってみたいところはあるけど、みんな交通が超不便。イタリアってそうなんだよなあ。

2006.09.08

 『館を行く』の掲載写真とブックガイドに載せる書影用の本を箱詰めする。午後から気を取り直して理論社の書き下ろしに再チャレンジするが、一太郎11の場合書式設定の文字数と実際に打ち込める文字数がかなりずれる。場合によっては行がずれてしまうので大変に上手くない。というのでフォントを換えたりいろいろやっていたら文書が壊れて開かなくなり、今日一日の仕事がパーになるかと真っ青。幸い別ファイルにコピーしたら問題なく開けたようなので、ほっとする。たいして進んでないのに疲れた。

2006.09.07

 今日からまた理論社の書き下ろし。しかしかなり間が開いてしまったので、テンションを取り戻すのが難しい。頭の切り替えが下手だから、とても雑誌連載何本も、というような真似は出来ないんである。書いた分を読み返してみると、どうもテンポがのろいような気がする。これで300頁に収まるのか心配。しかしまあ、書いてしまってから多すぎたら削るしかないのだろう。
 週一度のジムから戻ったら講談社の文庫担当からメールが来ていて、延ばしてもらった『仮面の島』の文庫下ろし、9月末か10月頭には直し終えたデータが要る、とのこと。おちおち書き下ろしもやっていられない。ああ、なんでこんなに忙しいんだろう。本は売れなくて、パイは縮む一方なのにね。

 読了本『家をつくることは快楽である』 藤森照信 王国社 元祖建築探偵のエッセイ集を久しぶりに読んでみた。藤森さんが設計した自宅や赤瀬川源平さんの家についての話、たてもの園に再建される前の前川国男邸の話、戦争中日本にしばらく滞在したブルーノ・タウトの話などなど。近代建築に興味がある人なら、雑誌東京人に掲載されたものだが「岩崎久弥と東京」が面白い。いまは公開されて誰でも見られる湯島の岩崎邸についての話だが、施主の末娘で昔ここに住んでいた女性のインタビューに基づいて、当時の財閥当主一家の生活ぶり、建物の使われ方が記されている。主人の家族7名に使用人は48人いたそうだ。また娘は母屋で両親達と暮らしたが、息子達は敷地内の寮のような施設で縁者から選ばれた優秀な学友たちと共同生活をしたのだと。休日以外は親とは会えず、質素な食事と家庭教師つきの厳しい学習の毎日。風呂焚きや洗濯は自分でしたそうな。なんとなくイギリスのパブリックスクールの代わりみたいね。

2006.09.06

 『館を行く』の直しと書き下ろしを終え、プリントアウトとデータを宅急便で発送。ファンレターのお返しペーパーの発送と、献本の礼状、ペーパーがなくなったのでコピーをしに雨の中を外出し、今日はお休みにすることにして、山になっていた本を手に取る。といってもいささか疲れ気味であまり重たい本には手が出ず、『蹴りたい田中』田中啓文ハヤカワ文庫、とか、『誰にも行けない温泉 最後の聖泉』 大原利雄 小学館文庫 とかを読んでしまい、あ、家で読むなら文庫じゃないものの方がと思って手に取ったのが『探偵と怪人のいるホテル』 芦辺拓 実業之日本社。
 本格ミステリ作家芦辺拓のデビューが実は、いまは亡き季刊幻想文学の新人賞であったということは、どれくらい知られて、あるいは知られてないのだろう。芦辺さんは資質的に幻想の血を強く持っておられる。今回の一冊はその幻想文学新人賞作品(中井英夫、澁澤龍彦に選ばれた、なんという羨望止まざる作品!)や、更にそれ以前に書かれたという芥川を彷彿とされる王朝物などを含んだ一冊。個人的に好きなのは「古風な大阪弁の語り」が纏綿たる情緒を醸す「黒死病館の螢」。ミステリだけでなくこういう系譜の作品もぜひ書き続けていただきたい。

 今日届いたお便りは、栃木県の、篠田と名前が同じ方。中学の時からもう九年も読み続けて下さっているそうです。ありがとうございます。明日ペーパーをお送りしますね。

2006.09.05

 今日も一日『館を行く』の作業。書き下ろし分の「建築探偵の舞台モデル紹介」を書き上げ、直した分も含めて全体を読み直して再度手直し。たかだかそれだけのことしかしていないのに、気が付くと夕方。今日も仕事場から一歩も出られず、エアロバイクを漕ぐ暇もなかった。仕事をしまうときには肩はがちがち、頭痛でぼーっとする。イラストと写真のたくさん入った本を作るのが、これほど面倒だとは思わなかった。もう二度とこんなことはしないぞ。

 お便り2件。北海道のHさん、充実した大学生活を送っておられるようでなによりです。名前で男性に間違われた、ああなるほど。それは大変でしたね。私は「香澄」というのは男性の名前だとばかり思っていたのですが、女の子にもいるようですね。でもなにせ蒼のそばには、名前のトラブルに関しては深春がいますから、いまさら焦ったりはしないんじゃないでしょうか。ちなみに深春という名前は、本当にさるところで見かけた男性の名前でした。台湾版『未明の家』お送りしますね。
 高松のUさん、で読み方はいいんですよね。もしかしたらKさんかな。上京されたおりに岩崎邸とカフェ・バッハにいらしたそうです。コーヒー、美味しかったですか。あそこはケーキもいけるんですよ。私も、もう少し涼しくなったら出かけてみようと思ってます。

2006.09.04

 渋谷へ映画を見に行く。「トリノ24時からの恋人たち」。なんとも不思議な感触の映画だった。トリノの国立映画博物館があるのは、もとはユダヤ教のシナゴーグとして建てられたという奇怪な塔状建築モーレ・アントネッリアーナなのだが、そこで夜間警備員をする青年マルティーノと、彼が片思いをしていたファーストフードの店員アマンダと、アマンダの恋人で自動車泥棒を稼業にするワルのアンジェロの、普通の言葉でいえば三角関係だが、とんでもなくドラマチックな事件もなければ、修羅場になるわけでもなく、けなしていえばぬるいのだが、そのぬるさが妙に心地よいというか、ほんわりとした感触と、ほのかなユーモアを感じさせる洒落た映画なのだ。古い無声映画を愛し、他人と会ってもほとんど満足に会話の出来ないマルティーノ、いかにもイタリア男なアンジェロ。監督はモーレという舞台を使って映画を撮りたい、というところから企画を始めたそうで、確かにこの舞台無しにこの映画ははあり得ない。モーレはトリノ人の若者のデートスポットだけど、イタリア語の説明が読めなくても映画博物館の展示物は理解できるから、もしもトリノに行く人があったらぜひ訪ねてみてねとお勧めのスポットでもある。この映画も、いい加減「ゴンドラ」とか「トマトのパスタ」とか「アウトレット」とかでないイタリアを見たいな、という人にはきっと面白いと思う。


2006.09.03

 午前中小説ノンの直しの続きをやって、終わらせてゲラを宅急便で発送。午後は『館を行く』の直しの続きをやる。普通に原稿を書いているときは、そんなに長く緊張が続かないので、自然と適当に休みが入ることになるが、直しの場合はついそれを忘れて続けてしまうので、一段落すると体がボキボキいったり、腕がどうかしたりする。今日も右腕の肘から先が痺れた。肩も二の腕も痛い。でもいい。明日は仕事しないで映画見に行くんだから。

 読了本
 『誰にも行けない温泉 前人未湯』 小学館文庫 日本列島にはつくづく、ありとあらゆるところで温泉が湧いているんだなあ、と感心。しかし湯が湧いていれば入れるというものではない。そこまで行く道がいる。浸かるためには湯船が要る。入るためには熱すぎてはあかん。快適であるためにはある程度のプライバシーと、清潔さも必要。というわけで、「湯があったら入る」というポリシーの著者は、多くの試練を乗り越えつつ、決して快適とはいえなそうな温泉にも根性で浸るのだ。しかし、モデルでもないただの男性のヌードがこれだけ大量に入っている本というのも、まあ他にないだろうね。
 『ハナシにならん! 笑酔亭梅寿謎解噺2』
 田中啓文 集英社 やっぱおもろいですわ、このシリーズ。最初の巻と比べるとミステリ度は下がったが、そんなの全然気にすることない。見てくれは完璧にいかれたヤンキーなのに根は真摯で真面目な竜二君と、爆裂不良アル中親父の梅寿師匠のかけあいが何とも言えません。上方落語なんて全然知らないけど、それでもこれだけ楽しめるというのが、どれほどすごいことなのか、同業者なりゃこそよくわかる。
 しかし私は東京の蕎麦も好きですが、大阪の粉物も大変に好きです。うどんは讃岐よりは稲庭ですが。なんでも食べようと思えば食べられるというのは、まことに有り難いもんで。


2006.09.02

 秋らしいからっと晴れた日で体調良好かと思いきや、なんだか頭が重い。血圧が高いような感じがする。仕事が詰まってカリカリすると、こうなるのかも知れない。とにかく篠田は「いろんなことを一度にやる」というのが苦手で、出来れば仕事はひとつずつかたを付けていきたい方。そうもいかないとなると、それだけでストレスがたまる。
 『館を行く』のレイアウトやなんかをやりとりして、あとは小説ノンのゲラ。ゲラを読むだけなら100枚程度だからそれほど時間はかからないのだが、それと一緒にノベルス用の直しも済ませてしまおうというわけで、取り出してみたら先月の分は直しが済んでいなかったことが判明し、そちらからやっていたのでとうとう今日は終わらず。月曜か火曜は出かける用事が出来たので、なんとしても明日のうちに発送してしまわないとならない。そして『館を行く』にけりをつけてからでないと、理論社の書き下ろしには戻れないか。
 決して仕事が嫌なわけではない。というか、好きでやっていることだという思いはもちろんあるのだけれど、時間に追われる状態になるといらついてうんざりする。時間に追われるのが嫌だから早め早めに働いて、本的に篠田は〆切は破らない、破れないと自負してきたけど、だんだん自信がなくなってきた。逃げたい。 


2006.09.01 
 ファンレターの返事を書いて、『館を行く』の直しの続きを少しやってから婦人科の医者に行く。せっかく東京まで出たのに医者の往復だけではつまらないので、銀座に出てわしたショップで泡盛と、皮付き豚バラ肉と、豆腐ヨウともずくと島豆腐とジーマーミー豆腐を買い込んでリュックに詰めて帰る。明日は沖縄料理だ、ラフテーにゴーヤチャンプルーだ、ダイエットもたまには忘れて肉くらいしっかり食べなくてはやってられないや。

 読了本 『霧の訪問者』 田中芳樹 講談社ノベルス えらい先生だから遠慮なくけなそう。つまらない。これだけつまらない小説を読んだのは久しぶりだ。薬師寺涼子のシリーズはずっと読んでいて、パワフルではちゃはちゃなギャグ・アクションとして楽しんでいたけれど、今回は全然パワーがなくて、プロットの先行きは早々に見えてしまうし、悪役はなんの迫力もないし、第一刺身のつまのように扱われている「女装趣味者の団体」がゲイと混同している実にしょうもない書き方で、あーあってなもんだ。こんなものを書いてもたぶん篠田の10倍や20倍は軽く売れるんだろうと思えば、うらやましくないといったらウソになるけど、こんなものを書いても「つまらない」といってくれる人がそばにいないんだとしたら、さびしい王様だね、田中さん。
 『銀河帝国の弘法も筆の誤り』 田中啓文 ハヤカワ文庫 同じ田中でもこっちはだじゃれの田中さん。といっても篠田がこちらの田中さんに注目したのはジャズプレイヤーを探偵役にした『落下する緑』 東京創元社 で、ジャズなんて全然知らないのに面白いではないですか、というわけで、今度は『笑酔亭梅寿謎解噺』 集英社 を読んだらこれがまた大変にいけていて、じゃあ他のも読んでみようかなというので、第一短編集を買ってみましたというわけ。しかしこれはまあ、喜ぶ人と怒る人の割合は、えーっと、どれくらいかなあ。「あほやー」といって笑うのが正しい楽しみ方だと思われます。ちなみに落語ものは今月続編が出たので、すでに購入済み。読んだらまた書きます。
 『顔のない敵』 石持浅海 カッパノベルス 対人地雷をモチーフにした本格ミステリ短編連作、という大変珍しいもの。この作者はとにかく、他の人がやっていないようなことに作品のモチーフを見つけるのがうまい。そして小説が下手だとも思わないんだけど、なぜなんだろう、深刻なテーマであればあるほど、なんとなく胸に迫るものがなんにもないんだよね。本格ミステリにそんなものを求めるな?  うんまあ、それはそうかもね。