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2006.08.31

 昨日はつれあいと「ゲド戦記」を見に行こうと思っていたのが、上映館を調べるのでネットの検索をかけたら、あまりにも悪評さくさくで、金と時間を使って不愉快になるのもどうよと思って止めた。本屋で徳間書店のアニメ絵本を見たら、書店店頭で流している予告編とは大違いのひどい絵、ストーリーもすか、総じて宮崎アニメの劣化コピー縮小再生産、見に行かなくて正解だった。それにしても、わざわざ依頼してくれた原作者のル=グインも、これじゃ当てはずれで失望するしかなかったろうね。
 天気は悪く、目当てのレストランは予約入らず、いろいろ当てが外れた一日だったが、本屋で山ほど本を買い込んで、後はビール飲んで、ワイン飲んで、歩いて、またビール飲んで、カクテル飲んで、と一日中あっちこっちで飲み食いしまくって、まあ息抜きは出来ました。そのわりに体重も増えなかったしね。
 今日は理論社は置いて、講談社の『館を行く』の手直し。ようやくレイアウトが決まり、雑誌連載時のデータも後半が来たので、それを当てはめて文章を削る。こういう仕事は新しく書くより、単純作業っぽくてさくさく進むから好きさ。

 読了本 『タフの方舟』1.2 ハヤカワ文庫SF 猫とキノコが好きな主人公が出てくるのよ、と柴田よしきさん大プッシュなんで買ってみた。久しぶりのSFでとても面白かった。そうだよなー、昔は篠田、ミステリよりもSFだったよなー、といまさらのように思い出す。ほんとに高校のときはミステリなんて見向きもしなかった。
 しかし帯の「宇宙一あこぎな商人タフの冒険を描く」を見て、もうちょっと爽快な悪漢小説を期待したのだが、タフの売る物がバイオ技術とかクローン生物なので、どうしてもエコロジーとかが絡んできて、すかっとした感じとは言えない。もうちょっと複雑な、苦さの残る読み味だった。

2006.08.29

 理論社の書き下ろし。自分の中で「8月中にはこれくらいは」と設定していたノルマは達成したので、例によって数独などやりながらゆるゆると進める。もっともノルマはあくまでページ数なので、規定の300頁にきっちりほどよく収まるかどうかは、それこそ神のみぞ知る状態。なんとなく、当初考えていたのとは違った展開になってきそうな予感もあるが、まあなるようになるであろう。いままでもそうだったから、というだけの、なんの客観的な根拠もない楽観ですが、その程度で一応落ち着いていられるというのだけは少なくとも年の功。世間智というものです。
 ペーパーお送りします、のお便り。宛名カードを入れて下さる方は有り難く使わせてもらっていますが、住所を記入し切手を貼った封筒はちょっと困る。というのはA3を四つ畳みにしたペーパーは普通の小さな長封筒では入らないからです。篠田は定型ぎりぎりで送れる大きさのものを使っています。したがってせっかく封筒を同封して下さっても、それは使えません。切手も水に濡らして剥がすことになります。二度手間ですからなにとぞよろしくお願いします。

 明日は仕事を休みにして外出しますので、日記の更新はお休みです。

2006.08.28

 仕事続行。しかし午後になって『館を行く』のページデザインのフォーマットが来たので、理論社の仕事を中断してそれに手元のデータを入れてみる。そうしたら1回12ページで収まるという話だったのに、20ページを超えてしまう。というわけでやり直し。なにが間違っていたのかわからないけど。

2006.08.27

 ここ数日、というか、宇山さんの訃報を聞いて以来抜けない憂鬱のせいで、いよいよ原稿が進まない気分でいたところが、友人と電話の長話でストレスを解消させてもらったらだいぶ楽になった。悩んで解決することなら悩む必要があるけど、悩んだところで死んだ人が戻ってくるわけでもなし、あれやこれが雲散霧消するわけでもない(この部分、差し障りが多すぎるので具体的には書けず)。
 人には努力して出来ることと出来ないことがあるので、出来ないことで悩んでこけるのは無益というよりは傲慢である。小説家でしかない篠田に出来るのは小説を書くことだけ。他人様の小説を読んで、たとえ「なんでこれがそれほど売れているのかor誉めたたたえられているのかor面白いといわれるのか、そのたもろもろ、全然わからん」と思っても、じゃあそのわからんことを理論づける理屈を考えよう、などとは思うだけ無駄。評論家じゃないし。自分が自分の面白いと思うものを書き続け、読者に提供し続ける以外に出来ることもするべきこともないのだ、と思う。当たり前すぎることだけどね。
 50過ぎて我ながら、青臭いことを考えているなあと思います。でもそういう青臭い部分が自分から消えてしまったら、小説を書くこともなくなる気もします。

2006.08.26

 理論社のこの先のプロットを立てつつ、数独をやる。昨日あたりから、これまで歯が立たなかった中級レベルのが解けるようになってきた。といっても1問解くのに数日がかりになるので休み休み(仕事しろって)。
 新刊本をいただいたお礼と、ペーパーの返事を書いて出す。「龍」シリーズの文庫下ろし『唯一の神の御名』が出る。笹川良晴さんの解説が非常に行き届いていて有り難い。
 夜は仕事場の近所の蕎麦屋に酒を飲みに行く。土曜の夜だというのに客がひとりもいないのが心配。つまみも質の割には安くて、そばもいいんだが。

2006.08.25

 いま書いている理論社の書き下ろしの舞台になっている学校のイメージモデルが、三鷹市にある大学ICUなのだが、そこがオープン・キャンパスをやるというのをサイトで読んだので朝から出かけていく。我が母校早稲田のオープン・キャンパスは、校友の同窓会という感じで、企業からの寄付で樽酒のお振る舞いがあったり、サークルは豚汁を作って売っていたりという砕けた有様なのだが(このとき大隈講堂の時計塔内にツアーで入った、その成果が「ベルゼブブ」という蒼ものの短編になっています)、こちらは基本的に受験を考える高校生を対象とした大学ガイダンスといった雰囲気。明らかに場違いなのだがずうずうしくパンフレットなどもらい、ぱちぱち写真を撮ったりしました。学生によるパイプオルガンの演奏なども聴けました。

 今日のお便りは千葉県八千代市のIさんから。週に一度図書館のパソコンで日記を見て下さっているそうなので、それなら『うつうつひでお日記』の吾妻さんなみの代わり映えのしない毎日でも、まあ退屈しないでもらえますね。
 高校を出ての就職もようやく五ヶ月ですか。私も大学は夜学だったので、あなたと同じ年頃には昼間は最初保険会社に勤めていました。肉体的よりも精神的にきつかったですね。本ばかり読んでました、ほんとに。印象に残っているのは人気のない昼休みのオフィスで開いていた大江健三郎の『万延元年のフットボール』。あれから三十年以上経っているのに、そのときの自分の、なんていうんだろう、神経がすうすうするような孤独感はありありとよみがえります。そんなことを思い出させてくれてありがとう。

2006.08.24

 今日もまた代わり映えのしない一日。仕事と週に一度のジム通い。毎日新聞の数独、4回トライしてようやくクリア。ニコリの本を買ったのだが、やさしいやつはやってしまって中級から上はほぼ手つかず。解きのテクは全然進歩しないのである。
 台湾版をプレゼントしたSさんから礼状をいただく。漢字を拾い読みするの、けっこう面白いですよね。会話のあたりなら「あそこかー」とわかるし。まだ残っていますので、ご興味のある方は遠慮なくどうぞ。
 それからSさん、鮎川先生の作品で何か読んでみようと思うなら、創元推理文庫に入っている「三番館のバーテンさんシリーズ」がお勧めです。短編の安楽椅子探偵もので、読みやすいし、いろんなミステリの要素が素直に入っていて本格ミステリの見本帳みたいです。ただし鮎川先生はお酒は飲まれない方だったので、そちらの蘊蓄は期待できません。そういうタイプがお好きなら、北森鴻さんの香菜里屋シリーズ、こちらは講談社文庫、です。

 読了本『風果つる館の殺人』加賀美雅之 カッパノベルス いままではこれでもかとばかり不可能犯罪を連発し、トリックを凝らし、話についていくだけで非常な忍耐がいる書き手だったが、三作目でずいぶんリーダビリティが高くなり、小説として面白く読めるようになった。ただその分ミステリとしての難易度は下がった感じがあるので、マニアには不満かも知れない。第二の事件の真相が非常にわかりやすく、それがわかると犯人がわかってしまうのが辛い。それからプロローグの官能シーンはご本人の資質にマッチしているとは思われないので止めた方が良い。客が逃げます。

2006.08.23

 今日もあまり変わりなし。仕事のみ。数独は今日の毎日新聞に載っていたのが難しくて頓挫。ちっとも腕が上がらない。もらいものの本、推協賞受賞作だという平山夢明という人の短編集、一編読むが気持ち悪くて全然好みでないので止める。講談社ノベルスの新しいメフィスト賞の作品も、やっぱり気持ち悪いので無理して読むのは止めることにする。気持ち悪いのは好きじゃない。でも、そういうのが好きな人はきっとたくさんいるのだろう。そういうのが好きな人はきっと篠田の小説は読まないのだろう。別にいいや。もうしばらく本を出してもらえる程度に読者がいてくれれば。
 暑くて、なんとなく厭世的な気分になっております。

2006.08.22

 この日記を楽しみにして下さっている方がいらしたら、大変に申し訳ない。今日も昨日と同じ、理論社の書き下ろし原稿書きで一日暮れた。新しい本を読む余裕もなし。実は講談社ノベルスの1冊を読もうとしたら、その1冊がどこかに雲隠れしてしまい、もう1冊はどうも好みでないようで進まない。そんなわけで書くことがないのであります。でも真面目に仕事はしてるからね。

2006.08.21

 今日も仕事だけ。合間は頭休めの「数独」だけで、日記に書くこともなし。

2006.08.20

 今朝も暗いうちに一度目が覚めてしまったが、どうにか頑張って眠る。昨日届いた手紙のペーパーを発送し、後はじわじわと理論社書き下ろしの続行。疲れたら「数独」をやるが、篠田はいたってへぼなパズル解きなので、難しいやつは平気で頓挫する。しかし無念無想になるにはいい。本を読むと無念無想にはなれないからね。
 ジブリの「ゲド戦記」を見に行こうかと思って、上映時間を調べるのにネットを当たっていたら、悪評さくさくの書き込みを大量に見つけて、どうしようかと思う。つまらない映画を見たときって、疲労感だけ残って、せっかくの休日が色あせてしまったりするんだよねえ。今年の夏はどこへも行けないままだし、わずか半日の休みがパーになってしまったら泣くに泣けない。

2006.08.19

 今日は朝から迷うことなくエアコンを付ける。今朝は目が覚めたら夜中の二時で、また不眠症再発かと青くなったが、その後エアコンを付けたらどうやら寝られて良かった。省エネにはならないが、とても無理です。エアコン無しでは眠れないし仕事できない。
 理論社書き下ろし、じりじり進行中。目下の不安は300頁に過不足なく収まるかってことで、だいたい前半調子に乗って書きすぎると、後半が忙しくなるって、プロにあるまじきせりふっすね。

 今日の回送お便りは初めての方おふたり、どちらも大学生の女性の方です。堺市のNさん、武庫川女子大の絵葉書ありがとうございます。実は昨年取材に行きました。メフィストで連載していた建築ルポのために。この秋に本になります。『桜井京介館を行く』です。よろしく。つくば市のOさん、はい、金田一少年読んでましたよ。私好きです、高遠は。感想お便りでは悪評まみれの今回の悪役、作者的には書くのは大変楽しかったのでした。裏で操ってるといえば、作者こそ最大の悪役なわけで、そういうときは非常にシンクロしてしまいます。
 人間の中にはああいう冷酷さというのも確かに存在しているはずで、悪を自分の外にあるものとして断罪するのではなく、自分もひとつ間違えばそういう罪を犯してしまうかもしれない、というのを念頭に置いて読んでいただけたらと思います。私がもっとも嫌悪するものは、自らを悪と自覚して悪を為す者ではなく、自らを正義と疑わずに悪を為す者ですから。どこかの國の大統領みたいにね。

2006.08.18

 暑い。しけっぽい。頭が働かない。眠い。理論社書き下ろし、じわじわ。好みで仕事場は広くして、よけいなものは置いていないのだが、冷暖房代は高くつく。

 読了本『メディエータ』 メグ・キャボット 理論社 幽霊が見えて触れる高校生霊能者のスザンナがヒロインで、アメリカのベストセラーらしいが、これはボツだった。この手のオカルトがらみのラブとアクションはライトノベルの「よくある素材」だが、スーパーナチュラルなサイコアクションが展開するのかと思いきや、幽霊はナイフを掴んでヒロインを殺そうとするし、ヒロインはその幽霊を投げ倒して、ぶん殴って、床にたたきつける。なんじゃこりゃ。ホワイトハートだってスニーカーだって、もっと気の利いた怖さもすごみもあるアクションを書いた作品があるだろう。アメリカ人の好みが日本人と違うというより、これはもう手塚治虫以来のまんがの伝統と、それの上に築かれたライトノベルの伝統が優れているからだと思う。せっかく版権取って翻訳するなら、もう少し吟味して優れた原作を探すべき。

2006.08.17

 午後から講談社の担当が来て、『桜井京介館を行く』の本作りについて話す。前のKさんが新生メフィストの編集長に抜擢されたので、今回から替わった新担当だが、彼女は雑誌作りが長かったので、こういうイラストや写真をレイアウトする本には大いに手腕を発揮してもらえる感じ。篠田も小説以外の本を出すのは初めてなので、初めてのことばかりで大変だが面白い。しかし写真の整理が悪くて、古い写真とかどこへ行ったのかわからなくて、けっこう青ざめたり。
 なお講談社ノベルスは来年25周年なんだそうだ。フェアということで、力を入れて売り出すらしい。といっても篠田はとても予定外の仕事が入れられる状況ではないので、予定通り建築探偵第13巻で参加する。それと本編が15巻でラストなのは変わらないとして、それまでの間に京介の高校時代の話を一本、ラス前の番外編という感じで出すことになるかも知れない。これは前から書きたかったものなので、京介に関する謎がすべてあからさまになる前にやっておく方が良いかな、と考えた次第。でも、来年中は無理だよ。たぶん本になるのは再来年。そんな先まで予定が入ってくるというのは、なんと有りがたいことだろうか。ばりばり働けるのも60歳までかという感じで、もうしばらくはぎちぎちのペースで頑張ることにする。
 明日からはまた頭を、理論社の書き下ろしの方に引き戻さねば。

 西原理恵子さんの『毎日かあさんB背脂編』に感想のはがきを出したら、特製トートバッグが当たったよ。1000名様のひとりになりました。きっと山のように届くだろうから、まず無理だろうと思ってたんだけどね。まあ、たまにはいいこともないとさ・・・

2006.08.16

 今日はまあ蒸し暑いこと。しかしだらーっとして伸びて、未読本の山を削っているだけなら、これくらいでもクーラー無しで生きていられるんだよね。しかし仕事するためにはクーラーつけないわけにはいかない。パソコン前にいると、機械の熱でそうでなくても暑いし。
 というわけで、午後になってからやっと重い腰を上げて理論社の書き下ろしに取り組む。いままで書いてきたものとは、全然設定も舞台もキャラもかぶらない話なので、取り付くまでに少し時間がかかる。しかし担当に見せたプロローグを書き足して、主人公が登場する場面を書き始めると、どうやら彼らの性格とか関係とか自然に書けてきて、流れ始めた感じがある。ただ今回は本文300頁という制限があるので、あまり調子に乗ってだらだら書いていると、前半ばかり長くなって後半で急がねばならなくなるような無様なことになるだろう。用心用心。
 読者からのおたより三通到着。たぶん文三は宇山さんの葬儀などで忙殺されていて、手紙もしばらく停まっていたのではないかとも考えられる。明日か明後日には投函いたしますので、覚えのある方はいましばしお待ち下さい。

 読了本『アインシュタイン・ゲーム』 講談社ノベルス 『円環の孤独』でデビューした人の二作目。終始おちゃらけた、すべりっぱなしのギャグだらけの文体にしらける。肝心のミステリのトリックは正直な話「まさかこうではあるまいな」のまんま。探偵がそれに気づくきっかけはただの偶然。枠部分の過去の事件は、手がかりがちゃんと提示されていないのでアンフェアな気がするし、ちゃんと提示されていたとしてもしょうもない。ほとんど読んでいる時間の無駄というくず・ミステリ。あーあ、えらそうなこといっちゃった。

2006.08.15

 第二次世界大戦が、日本の無条件降伏受諾によって終結した日。「終戦記念日」ということばはウソとはいえなくても事態を糊塗しようとしている意図が見えて好きではないのだが、故山本夏彦翁は「自虐よりは自己正当化の方が人間の精神としては健康。ゆえに健康とは嫌なものである」というておられた。進歩派を撃つと見せて返す刀で保守派もばっさり、である。どっちにしろ人間が生きているというのは、罪深いし「嫌なもの」なのだと思う。だから死んだ方が良いとか、そういう短絡的なことをいってるわけじゃないよ。それでも自分が生きているというだけで、それが他者にとっては「罪」であったり「嫌なもの」であったりすることはあり得る、ということは忘れずに生きていきたい。

 昨日理論社の担当と本の装丁やイラストの話をして、ひとつ思い浮かんだ翻訳物児童文学の本があって、しかしそれは友人に貸したままだった。「いつでもいいよ」といったのに「返してくれ」というのも嫌で、ネット書店で検索したところ1000円で売られていたので注文する。アマゾンのユーズドショップでは、それはなぜか載っていなかったのだ。こういうときはネットがやはり有りがたい。
 仕事の方は理論社は一旦凍結して、『桜井京介館を行く』の単行本化について考える。あまりたくさん書き足しはせず、「近代建築ブックガイド」とか「建築探偵の舞台モデルになった場所で、一般でも気軽に見物できる場所」といったコラムを何本か付け加える方向で行こうかと思う。作中に登場した建物をパースか平面図で描いてもらう、なんてことが出来たらいいのだが、実際問題として可能かどうかわからない。
 昨日は突拍子もない時間に隣家の犬が吠えまくり、目を覚まさせられてしまったおかげで眠い。少しぼーっと昼寝をする。

2006.08.14

 理論社の担当と会うので、その前の午前中にプロローグ場面を書いてみる。まあまあ思うとおりに書けたが、例によって篠田らしくジジとババの対話で、こんなにしぶくてヤングアダルトになるのだろうかといささか不安を覚える。もちろん次の章からはちゃんと話が転がり出して、生きの良い少年たちが活躍することになっているのだが。
 担当と会ってまた翻訳物のヤングアダルトノベルを貰う。表紙はライトノベルとは一線を画したマンガチックではないイラストだが、カラーリングはあざやかなチェリーレッドにエンボス加工という派手やかさ。理論社の本はこれまでもらった限り、わりと表紙が色鮮やかでポップな印象が強い。次作のカラーはちょっとそういうのとは違う。登場するといえば森の緑と夕空の澄んだ藍色。しかしそういう色は、書店では映えないかも知れない。装丁に関しては営業がけっこう発言権があるらしいので、不安ではある。心配したってしょうがないけどね。
 担当に来年の予定を説明するので紙に書き出してみて、やや忙しいかなとは思っていたのだが、自分の限度を超えて仕事を入れてしまったような不安感がいまさらのように迫ってきた。しかし、もう遅い。要するに、予定の倍とはいわない、1.5倍のスピードで仕事を片づければなんとかなる、はずなのだ。あまり厳密に考えると、目が回るので考えるのは止める。これで冬にローマに行く時間、あるだろうか。なさそう。でも、行きたいんだよなあ・・・

 読了本『カンニング少女』 黒田研二 文藝春秋 クロケンさんの本格ミステリーからやや距離を置きました路線、第二弾か。しかしこれ、小説の戦略として同意できない気がする。高校生のカンニング共闘作戦で読ませるのがテーマなら、もっとドライにそっちへ話を向けたピカレスク・ロマンにするべきだったのでは。カンニングの理由を作るためにあり得ないような閉鎖的な大学や変な助手を出したあげくに、「美しい姉妹愛」や「最後はホロリ」はしらける。ミステリ的なしかけ、せりふのダブル・ミーニングも効果的とは言えないし。ヒロインがけっこう可愛いからかえって惜しい。

2006.08.13

 宇山さんの訃報を聞いてから10日経った。その間に宇山さんだった肉体はこの地上から消滅した。では、その魂は。「死んだら人の心の中に行く」とはいままで繰り返してきたことばだし、間違っているとは思わないが、それをもって納得して事足りるにはまだしばらく時間がかかりそうだ。なにより、ここで彼の名を語り止めてしまうことが怖い。すべてが過去になってしまいそうで。だからといって「宇山さん、天国で見ていて下さい。これからも宇山さんの精神を受け継いで本格ミステリ・ジャンルの発展のために頑張ります」なんて、お約束のしらじらしいせりふは嫌い。ただ、ひとつの時代が自分の上に確実に過ぎ去ったことを痛感するのみ。

 東京創元社ミステリーズ! の最新16号に「神代宗の日常と謎」第三弾が掲載されている。今年中にあと2回載って、来年3月単行本化。この話は蒼が神代家に同居してから、教授が一年間の在外研究でヴェネツィアに行くまでの間の期間を舞台にしている。神代の離日とともに、同居していた蒼と京介も別々の住まいを持って文京区西片町の神代宅を後にし、1994年『未明の家』でのシリーズ開幕となる。というわけで来年の単行本化の後も、「神代宗の日常と謎」はもうしばらく続きます。

 読了本『二島縁起』 多島斗志之 創元推理文庫 『不思議島』に続いて瀬戸内海の島を舞台にしたミステリだが、こっちの方が篠田的には面白かった。作者の描く女性は男性作家が創造する女性の一典型という感じで、その女性が視点人物であるとかなり不自然で、正直言ってキモチワルイ。精神の持ちようが男性的で、そのくせ物腰や口調は過度に女っぽいのだ。もちろんそういう女性だっているけどね。
 今回の主人公は脱サラして妻と子を置いて海上タクシーを動かす中年男で、女性キャラは脇にふたり登場するが、これまた典型的であっても脇役なら気にならない。つまり男性の幻想が多分に含まれた女性像で、男性である視点人物を通して描かれるならそれがむしろ自然に思えるからだろう。たぶん篠田が描く男性を男性読者が読むと、同じようなキモチワルサを味わうんだろうな。
 本格ミステリ的なプロットと仕掛けはわりと早い内から予想が付くので、不自然ではない分意外性は乏しいが、海上アクションの描写にはやはり生彩があって楽しめる。

2006.08.09

 理論社書き下ろしのための、設定メモをパソコンで打つ。取りあえずは新しいパソコンと一太郎に手を慣らさないといけない。設定はあまり完璧に作るより、書きながらいろいろ考えて増やしたり訂正したりしていく方がいいのだが、舞台になる学園の地図をイラストレータさんに作ってもらえるらしいので、そのための資料として作っている。枚数はいつもの建築探偵などと比べるとずっと少なめなので、そのつもりでいないといけない。『魔女の死んだ家』は少女小説だったが、今回は少年小説がコンセプト。タイトルは近々正式発表します。

 明日は宇山さんのお通夜、明後日は告別式、その翌日もちょっと予定があるので日記の更新は三日間お休みします。ふたりで楽しく飲んだくれたこととか、本格ミステリ作家クラブ特別賞の授賞式で宇山さんに花束をあげて、舞台の上で抱き合ったのは嬉しかったとか、思い出はいくらでも尽きないが、いつまでもぶちぶちいいながら垂れているわけにもいかないとは思いつつ、吉田直さんのときのように、こうやって死んだ人の記憶をまたひとつ背中に担ぎながら人間は生きていかなくてはならんのでしょう。これからはたぶんますます、親しくさせていただいた人や敬愛する知人の死を見送る機会も増えていくのだろうしね。そしてまあ、いつか自分もその中に加わる。痛い思いや苦しい思いをするのはもちろん嫌だけど、死んでこの世から消えるということ自体は、ものすごく嫌だという気もしないと思うのは、それがまだ現実的ではないからだろうか。でも、若くたって死ぬことはいくらでもあるんだし、少なくともそのときに後悔しないで済むように、毎日ちゃんと働いて、美味しいお酒は飲んでおこう。したいことはして、行きたいところには行っておこう。北陸で蟹三昧とか、沖縄の島でリゾートとか、鶴の湯温泉の露天風呂とか。(歳が歳です、欲望がまったりになってます・笑)。

2006.08.08

 新しいパソコンで、ジャーロで新連載の『美しきもの見し人は』のゲラの直しをする。しかし窓XPというやつはネットに接続して使うことが前提となっているようで、アンチウィルスソフトやら、なにやら、やたらとネット関係のものがくっついていて、頼みもしないのに勝手に立ち上がってきて「接続されてません」だの、「このままではセキュリティがどうのこうのだのといってくる。うるさいこと限りなし。

 まだもう少し宇山さんの話題を。彼は自分が文章を書いたり、人前でしゃべったりというのは全然したくない人だった。ミステリーランドについてはインタビューも受け、自ら広告塔に努めていたようだったけれど。いま手元で少しでも宇山さんの肉声を感じられるものをと思って探したら、「本格ミステリこれがベストだ 2004」東京創元社のインタビューが見つかった。その中でとても気に入った一節があるので書き写す。

 人間を書くのならば、(中略)ありえない存在をありえるように書いて、初めて人間が書けたというのであって、日常的な人間を書いても、それは人間を書いたことにはならない。文章の無駄遣いだと思いますけどね。

 座右の銘にしたいような名せりふだと思う。

2006.08.07

 香典袋を買いに行ったり、銀行で紙幣をきれいなのに交換したり。あ、黒いストッキング買わないと。ぺかっと白い真夏の太陽の下を歩いていると、なんだかどんどん気が滅入ってきて、足下の地面に穴掘って膝を抱えてしゃがみこんで、親指の爪でもかじっていたい、などというしょうもないイメージがしきりと湧いてくる。「弔問に行った」というある作家さんの日記を読んで、そういう選択肢もあり得たか、と愕然とする。しかしたぶん自分が連れ合いを亡くしたとしたら、そういうときに彼の仕事関係の人が来て「**さんにはお世話になりました」などというのの相手をしたいかといったら全然したくない。ひとりで真っ黒に引きこもっていたい。葬式なんかしないで骨壺を抱いてどこかへ旅に出てしまいたい。そういうのって社会人としてはたぶん失格で、「いろいろ忙しくしていると気が紛れて」というのが普通なんだとは思うけれど。それに自分の思い出は死んだその人としか共有できないものだという気がして、そうすることが奥様の慰めになるとしても、まあきっと行く人はたくさんいるのだろうから、社会人失格な自分は骨壺ならぬ思い出を抱いて暗くたれ込めさせてもらおうと思って、ただせめてという気持ちで手紙をしたためて速達で送る。
 こんなに早くお別れが来るとわかっていたら、もっともっとたくさん「ありがとう」と「大好きだよ」をいっておけば良かった。

 ジャーロ秋号から始まる連載ゴシック・ロマンス『美しきもの見し人は』の第一回ゲラが来たので、ゲラ読みをする。新パソコンのセットアップはつれあいがやってくれたので、明日はこれをデータに反映させつつ再チェック。やっぱり世の中なにが起きるかわからないから、仕事は早め早めに終わらせておくのがベターだなあ。いまみたいな気分で原稿書いても、きっと満足が行くものは書けないだろう。

 『聖女の塔』読者カードのコピーをもらう。前ははがきごともらって「あ、いつもの人だ」とか名前を見られたのだが、個人情報保護法のおかげで、作者は名前は見られないことになった。なんか変だね。だからまあ、ここでお返事。シリーズ終了後も許されるなら蒼が主人公で新たにスタートさせたいという気持ちはあります。彼は文学部を卒業した後は教育学部の大学院に進み、心理学をやって臨床心理士になるはずです。しかしそれを書くためには、相当勉強しないとなあ、です。高校生の京介と行きつけの喫茶店のマスターの話、というのも前から考えているもののひとつです。それからいままで同人本として出した番外短編を本にする予定はありません。篠田のけじめです。あんまりそういう評価の仕方をしてくれる人はいないんですが、建築探偵桜井京介の事件簿は、あくまで「本格ミステリ」なのですよ。

2006.08.06

 8/4の夜、宇山日出臣氏急逝の知らせが飛び込んできた。いうまでもなく綾辻行人をデビューさせて、新本格ミステリ隆盛のきっかけを作った元講談社編集者。何時かはそんな日が来ると覚悟はしていたが、まさかこれほど早いとは夢にも思わなかった。

 篠田と彼の関わりは1992年12月。その夏に東京創元社から、第二回鮎川賞最終候補作となった『琥珀の城の殺人』を刊行したものの、別段評判にもならず、小説の依頼が来るわけでもなく、格安航空券を売るちっぽけな旅行代理店で雑役のバイトを続けながら、かえって閉塞感が募ったような重苦しい気持ちで毎日を過ごしていた。『十角館』から始まる館シリーズなどは読んでいたものの、そのあとがきに登場する編集者がよもや自分のところに電話してくるなどとはゆめゆめ想像もしない。ただわかったのは相手が講談社の編集者だということと、「中井英夫さんのところであなたのデビュー作を拝見して、これはぼくの方の人だと思ったので電話させてもらいました」という、不思議な言い回し。「ミステリはなにがお好きですか」と聞かれ、まさかろくに読んでませんとも答えられない。「『虚無への供物』です」これは本当。『琥珀の城』を書いている最中も、ずっとお守りのように『虚無』を手元に置いて読み返していた。「どの版で読まれました?」「講談社文庫です」これも掛け値なしの本当。早稲田の本部生協の平台で見つけて、知らない作家の本を買うべきか否かしばらく悩んだのだ。すると「あれはぼくが作りました!」という誇らかな声。不思議な巡り合わせのような気がした。お会いする約束をして電話の切りぎわに、「すいません。もう一度お名前を」というと、「うやまです。宇宙の宇に山」。
 お会いしたのは12/25.勤めていた渋谷の東急プラザの、いまはない一階の喫茶室だった。革の肘宛を付けたブレザーにハンチングをかぶっていた。そして終電近くまで、飲み食いしながらお互いしゃべり続けにしゃべっていた記憶がある。話題のほとんどはどんな本が好きか嫌いか、いま出ているので面白いのは、そんなことばかりで、なんだか中学生の初デートみたいだった。手帖にそのときメモした書名がいまも残っている。アゴタ・クリストフの『悪童日記』などが。その怒濤の時間の中で仕事に関することといえば「現代の日本を舞台にしてミステリ書きましょう」という一言だけだった。
 そして篠田は二本の原稿を宇山さんに送った。現代のミステリを? いいえ。一本はボツになった半村良まがいの伝奇もので、もう一本は『ドラキュラ公』。全然いうことを聞いていないのだから、いま思えば篠田もいい度胸である。しかしその『ドラキュラ公』を、「出しましょう」といってくれた宇山さんも懐が広い。1993年はゆっくりとしたペースで、原稿の直しとやりとりが進んだ。焦る気持ちを自らなだめながらの日々だった。そうして、「せっかく現代日本でミステリといわれたのに、全然違うものを出してくれるんだから、今度こそ言うとおりにしないと宇山さんに悪いよなあ」と思って書いたのが『未明の家』だった。1994年は4月に『ドラキュラ公』を出し、『未明の家』と東京創元社で寝ていた『祝福の園の殺人』が出、バイト先の社長とはめでたく喧嘩別れして、食えるか食えないかわからないけど取りあえずは専業、に踏み切った。
 宇山さんは部長になり、直担からは外れてしまったものの、ずっと篠田の仕事をみていてくれた。そして彼が最後に作ってくれたのがミステリーランドの『魔女の死んだ家』だ。現在40タイトルを数える篠田の著書の中でも、思い出深く愛着も強い二冊には宇山さんの手の跡がある。今年のゴールデンウィークには『アベラシオン』を読んでくれて、「篠田さんはもっと評価されていい人だ」ということばをもらい、「宇山賞をいただいていると思っています。それが私には最高の賞です」といったものだった。本格ミステリ作家クラブの公開開票会の後、打ち上げの席からの帰り道、護国寺の駅のホームで別れたのがふたりきりで話した最後。その後クラブの受賞パーティでは「もうじき歯がすっかり治るから、そうしたら全快パーティをやるからね」といっていた。あんなに元気に見えたのに。
 早すぎるよ、宇山さん。

2006.08.04

 DELLのパソコンは注文してから届くまで2週間くらいかかるというので、「いやあ、パソコンがなくちゃどーもならないねー」といって、これ幸いとたれぱんだのようにたれまくるつもりでいたのが、なんの悪魔の計らいか、もう届いちゃった。というわけであんまり怠けることも出来なかった。いや、これからセットアップはしないとならないんですが、はて新しいハードの使い心地はいかがでしょう。窓95からいきなりXPに進化したからって、小説書く腕が飛躍的に上達するわけでもないしね、速度が速くなったって、頭の動きが速くなけりゃあんまり意味ないし、望むのは出来るだけ長持ちしておくれ。
 明日は夜に予定が入っているので、日記の更新は休みます。

2006.08.03

 連載中の「龍」トリノ編の、ゲラチェックが終わった部分を、随時校閲も反映させながらノベルス用に直している。来年のノベルスの予定が2月で、連載終了からあまり余裕がないので、連載と平行して作業を進めることにした。なんとなくせわしいけど、連載何本も抱えてるような売れっ子作家さんの真似は出来ないので、自分なりのやり方でやるしかない。

 新聞でサントリーのペットボトルに「旭山動物園の動物」のフィギュアがつくという記事を読んだので、「水管プールを泳ぎ登るゴマフアザラシ」が欲しいぞと思って、見事一発で当てる。いや、さわればわかるんだけどね。しかし残念ながら、海洋堂の製品にもかかわらずこいつは出来がいまいちだった。なんだかアザラシが幽霊みたいにぼーっと浮かんでる。目も死んでる。で、「プールに飛び込むシロクマ」はどうかしらと思ったのだが、田舎住まいの悲しさ、すでにコンビニからフィギュアつきのイエモンはんは消えていました。
 ちなみに手持ちの中で一番のフィギュアは、今市子さんの「百鬼夜行抄画集」についていた引換券でもらった、「尾白と尾黒」であります。これがめっちゃ良くできてます。

2006.08.02

 池袋へちらっと買い物に行く。星座早見盤を購入して確認したところ、こないだ書いた蒼と神代さんの短編で、書いた星空が間違っていることが判明。すぐに発表する原稿でなくて良かったー。とんだみっともないミスをするところでした。
 今日届いたおたよりで、「神代先生のイタリア時代の話はないのですか」というご質問が。学生時代の、ということですよね? あってもいいなとは思いますが、状況説明が長引きそうで短編には難しいかも。でも考えてみますね。
 それからイタリアで撮ってきた写真をプリントして、ハガキに貼って自家製絵葉書を作るなどという遊びをして一日使ってしまった。いやあ、新しいパソコンが来ないと、なかなか仕事もさ。

 読了本『彼女はたぶん魔法を使う』 樋口有介 創元推理文庫 小説としては良くできた、面白い作品なんだと思う。ただ主人公の38歳男、別居中の妻と10歳の娘と、人妻の恋人有り、しかし出合う女にはことごとく鼻の下を伸ばし、ただ手は出さない、に全然シンパシーを持てないので、途中からどんどん読むのが苦痛になった。主人公に絡む女たちもダメ。これが「女の子」であり「女」であるというなら、篠田は10代のときも20代のときも「女の子」ではなかったし、いまはもちろん「女」ではないなといまさらのように思う。しかしこれはもう個人的な事情といっていいので、軽ハードボイルドの好きな読者なら楽しめるはず。

2006.08.01

 梅雨は明けたはずなのに、朝からどんよりした曇りで8月とは思えないくらい涼しい。身体は楽だとはいうものの、贅沢をいうようだがこれはこれでなんだか心細い。
 理論社の書き下ろしのプロット作りを続行する。といってもたいていの場合、最後まで作り終わることはない。半分ぐらいプロットを立てたところで書き出してしまい、後は書きながら考えるのがほとんどだ。それでちゃんと話が終わるということに、毎度自分で驚いている。いつか「あっ、終わらない」という悲鳴で立ち往生するのではないかと、ドキドキするのだが、かといって最後までぴっちり隙のないプロットを立ててしまったら、いざ本番が退屈でたまらないのではないかと思ってしまうのだ。
 昼過ぎ、祥伝社から「龍」トリノ編の第二回ゲラが来る。鉛筆はさほど多くないので、さらっと通して読んでほんの少し手を入れる。しかし今回は差別語NGが出た。「屠場に引かれていく家畜のように」というのはいけないんだそうだ。そういう職業の人と会う機会があったら、ほんとにこういう表現に差別されたという不快感を覚えるのかどうか、ぜひ聞いてみたいといつも思う。これがいけないんだとしたら、NHKのみんなの歌で「ドナドナ」は歌ったらいけないわけね。市場に行く牛が悲しそうな目をしてるってのは、つまりそういうことでしょ。家畜をかわいそうに感じるのは、その仕事にたずさわる人に対する差別なんだってさ。畜産ものの小説なんて危なくって書けないわけだ。偽善。
 もっとも「差別かそうでないか」本質的な議論なんかしないで、ただいちゃもんをつけにくる圧力団体というのは本当にいまもある、らしいです。しかしそういう方たちはミニコミや弱小出版社には行かないんだとか。お金が取れないからでしょうか。昔、いまは亡き「季刊幻想文学」という雑誌で、うちはなに書いても絶対抗議なんかこないから平気だよといわれたんで、わざわざ使ったっけな。この「屠場に引かれていく家畜のように」を。満員の夜汽車の疲れ切った乗客の描写に。しかしおかげでそいつは絶対どこの本にも収録されない、まぼろしの作品になったのでありました。
 講談社の担当が読者カードから感想の書かれたものをコピーして送ってくれる。みんなシリーズの終わりを惜しんでくれている。建築探偵が終わったらマジで食い詰めそうだ。しかしだからって、だらだら引き延ばすわけにもいかないしね。かといって、建築探偵と差し違えて死ぬわけにもいかないから、なんとか読者の期待を裏切らないような決着の付け方をして、許されるならその後にも未練がましく番外編とか後編とかぼちぼち書きながら、余生を送りたいと思っとりますのでよしろく。