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2005.08.31

 『旧宮殿にて』を読了したが、ミステリ的なおもしろさという点では「二つの鍵」だろう。遺言状を特殊な鍵で施錠した金庫に入れて死んだ商人の相続人の中から、レオナルドが犯人を論理的に限定する。ただ演出がつたないのか、せっかくの見せ場でサスペンスがいまひとつ盛り上がらない。それと、この時代いかに不審な死を遂げたからといって、解剖にされるのが当然ということにはならない。毒殺の疑いがあって死体を調べる、といったことはあり得たとしても、レオナルドが解剖したようなのは引き取り手のない行き倒れや貧民の死体に限られる。物語の展開としてそういうシチュエーションが欲しかったことはわかるが、それならそれなりの理由付けをして欲しい。
 重箱の隅だろうか。だが、死体をどのように扱うかというのは宗教と社会のありかたを示す非常に大きな要素だと思う。死体解剖が当然視されない社会だからこそ、レオナルドが解剖をすることは忌み嫌われたのだ。少なくとも木綿のカーテンや馬車よりはミステリに関係が深いし、せっかく過去の歴史を舞台にして書く以上は意を用いて欲しい部分だと思うのだが。(そういう意味で、昔篠田が創元推理に書いたレオナルドものミステリ「石榴の聖母」はたくさんミスしてます。懺悔します。)
 読了本『もののたはむれ』 松浦寿輝 文春文庫 芥川賞受賞者だから純文学の幻想文学というのであろう。なんというか、奇妙な味わいの短編集。だるーく物憂い気分に浸れる。良くも悪くもおっさん臭い世界だが、脂ぎってはいない。

 2005.08.30

 「龍」の新刊『紅薔薇伝綺』と菊地秀行先生の解説をいただいた文庫版『東日流妖異変』がそろそろ書店に出ます。よろしくっ。

 今日の読みかけ本『旧宮殿にて』 三雲岳斗 光文社 ミラノ時代のレオナルド・ダ・ヴィンチを探偵役に、チェチリア・ガレラーニとルドヴィコ・イル・モロを脇役に置いた連作短編集。すごくよく勉強しているという印象なのだが、ことルネサンス時代のイタリアとなれば、篠田にあら探しされることには耐えなくてはならない(笑)。
 まず、この時代貴族が快適に乗り回せるような馬車はまだありません。荷車のたぐいだけです。なぜかというと馬車が軽やかに走るためにはふたつの必須条件が要るからです。その1 タイヤとサスペンション その2 舗装道路 どっちもこの時代には望むべくもありません。
 この時代には木綿は比較的高級で希少な繊維でした。綿は熱帯の植物なんで、ヨーロッパでは栽培できず、せいぜい輸入のエジプト綿が少しあるくらい。インドだって海の彼方です。だもんで、薄い白い木綿のカーテンを掛けた大きな窓、というのはかなり時代錯誤です。カーテンは室内装飾と防寒を兼ねたどっしたりとしたものがあるくらいだし、ガラスが使われる前の窓は必要最低限の小窓がほとんどです。
 第二話では白いカーテンがトリックがらみで欲しかった、ということなのだとは思うけれど、やはり興ざめな感は否めず。西洋時代ミステリは難しいですね。篠田の作品にも実のところこの手のミスはいろいろありますよ。どうぞ、あら探しを楽しんで下さい(いやほんと)

 2005.08.29

 今日は湿度も低くさわやか。安心してのったらのったらする。

 読みかけの本 『輪廻体験』 ポール・エドワーズ 太田出版 輪廻転生説に対する大まじめな反論本。実のところ篠田も「死んだ人が生まれ変わる」という考え方は「信じてはいないが嫌いではない」。死という絶対に免れない過酷な事態を、人間の心がそういう考え方で慰撫して耐えるのは、アリではないかと思っている。理不尽なかたちで例えば子供を亡くした親が、その次に生まれた子を「死んだ子の生まれ変わり」と考えるのをとがめ立てたいとは思わない。だがその親が年下の子供に兄姉の身代わりを強制するようなことをしたら、これはすでに罪だろう。つまり「生まれ変わり」と思いたい自分と、でもこの子は別の人間だという理性を持った自分を、使い分けなくては狂信である。
 こないだ読んでいた『サイキック・マフィア』でも信者を食い物にするインチキ霊媒師の話が出てきたが、こちらでもターミナル・ケアに業績のある真面目な女性医学者が、死に際の看取りから輪廻説にのめりこみ、あげくは交霊室で信者をレイプするようなインチキ霊媒師に入れをあげるエピソードが出てくる。彼女は降霊中に電気を付けられて、素っ裸の霊媒を見せつけられてもまだ信じることを止めようとしない。出発点はとても敬虔な、宗教的な感情だったろうに、行き着いたところはそれかと思うと、人間の理性の落とし穴には暗然とせざるを得ない。皆様、オカルトは面白いけど理性も大事です。私が本格ミステリを好きなのは、それが狂信とは対極のところに立つからです。夢を見てもちゃんと戻ってきましょう。

 2005.08.28

 昨日の短編、編集者から肯定的な返事をもらってほっとする。自分の作品の善し悪しはほんとわからん。面白いのかどうかもいまひとつ確信が持てない。
 小説ノンの「龍」、『水冥き愁いの街』の第二回ゲラをチェックして戻す。前言と矛盾するようだがこれは面白い。書いているときも勢いで突っ走れる伝奇ものは、なぜか読み直しても面白く感じる。自家薬籠中、とでもいった感じ。
 しかし、一日にひとつ仕事を片づけると、それでほっとしてしまう怠惰さ加減。やはりいくらか夏バテなんだろうか・・・

 2005.08.27

 やっと短編一本書き上がる。100枚足らずの短編に一ヶ月ってちょっとかかりすぎ、という気がしないでもない。でもあんまり体調がよくないんで、勘弁してやってくれ。

 2005.08.26

 台風一過。暑いであります。パスポートを受け取りに行った。しかしホテルを探してもらっている旅行会社からは返事が来ない。もうじき8月も終わりですな。短編書き上げたら今度は小説ノンの連載第二回ゲラ。ほどほどに仕事は途切れない方がよろしいようで。

 2005.08.25

 予想に違わず大荒れである。短編82枚。まだ終わらない。やはり90枚ちょっとにはなるか。明日は仕事場のマンションに点検が入る。天井のスプリンクラーとベランダの非常用はしご。はしごは自動でがーっと音立てて伸びるんである。最初にそれを見たときはもちろん、「なにかトリックに使えんか」と考えましたが、なんにも思いつきませんでした。まあともかく、たとえば閉め出されてもこのベランダは密室ではありません。

 2005.08.24

 いきなり涼しいんで身体がびっくりしてしまう。しかし湿度はわりと高い。短編やっと71枚まで。
 ノンノベルの新刊『紅薔薇伝綺』と文庫の新刊『東日流妖異変』の見本刷りが来た。書店に並ぶのは一週間後、8/31くらいだと思われます。どうぞよろしく。

 明日は台風で関東は大荒れらしい。ううむ。おとなしく引きこもって仕事しよう。

 2005.08.23

 今日は午前中に汐留の電通本社ビルに、フランク・ロイド・ライトが百年前初めて日本に来たときに撮影した写真の展示、というのを見てきた。写真の方はだいたい本などで見ていたものが多かったけど、関東大震災で崩壊した福原邸や現在電通が所有している林愛作邸の模型がなかなか興味深かった。

 読了本『透明な一日』 北川歩実 創元推理文庫 このところたてつづけに記憶障害をモチーフにしたミステリを読んでしまったので、それがどーも、だった。サスペンスとしてはそんなに悪くないと思うけど、好きなタイプの小説ではない。

 2005.08.22

 短編60枚まで。結局100枚近くなるか、もうちょっとは短くて済むか。

 小説ノンの9月号到着。今回はなんと月末のノベルス刊行を待たず、新エピソードの連載開幕である。はっきりいって面白いですよ。ヴェネツィアを小説の舞台にするのはこれが三度目で、昔ルネサンス期のイタリアでの軽い目の伝奇ファンタジー『堕とされしもの』というのでやって、その後建築探偵『仮面の島』でやって、我ながら性懲りもないと思うんだけど、舞台にして使うには使いやすい街なんです。特徴的だし、一種の閉鎖空間だし。それだけでなく「龍」ものとしても今回はいろいろこれまでにない趣向があるんだけど、そこは読んでのお楽しみってことで。あっ。それと長さもこれまでで最長です。7回連載で、ノベルスになるのは来年の五月の予定です。丹野さんのイラストもいよいよ麗しいので、麗しくない、ひたすらひどい目に逢い続けるキャラも約一名おりますが(笑)。

 2005.08.21

 短編48枚まで。

 読了本『サイキック・マフィア』 太田出版 ひさびさのおもしろ本。アメリカで心霊術師として成功していた男が、ついに良心のとがめに耐えかねて廃業し、客たちを欺いてきた手口を赤裸々に告白したもの。もちろんビリーバーには常に自分の信念にしがみつく道は残されているが、そもそも近代心霊主義の草分けであるフォックス姉妹の降霊術が子供のいたずらから始まったフィクションであり、一世を風靡したタベンポート兄弟が手品師に過ぎなかったことはほぼ認められているのに、同じような現象しか引き起こせないそれ以降の心霊術師が本物だと信じられる理由があるのか、という問いかけには説得力がある。しかし1976年にこの原著が刊行された後も、著者の元同業者たちは多くの客を集め続けている。死んだ人の霊魂と交流するというのは、一種の宗教的な慰めであるらしい。つまりアメリカで、キリスト教に限らず他の宗教も機能してはいないんだろうな。

 2005.08.20

 短編32枚まで。

 最近の読了本 『メビウス・レター』講談社文庫 『闇色のソプラノ』文春文庫 北森鴻の技巧派長編二連ちゃん。ただしどちらも技巧のうまさがやや突出しすぎている感がある。前者は叙述トリックの仕掛けがわかってみると、他のリアルな描写とそぐわない。せめて読み終えるまでは「不自然だ」などと思わないでいられるようにして欲しい。後者は民俗学的仕掛けが曖昧なまま流されてしまうところに不満が残る。
 
 2005.08.19

 パスポートの期限切れが近いので申請に行った。デジカメで撮った写真を持っていったのだが、結局それは画素が粗いとか瞳に光が入っているとかでボツで、写真を撮り直して申請する。
 戻ってから昨日の短編の続き。22枚まで。

 2005.08.18

 今日はホテル探しはひと休み。
 新しい短編を書き出す。15枚まで。
 9月に出る『桜闇』文庫版の表紙デザイン確定。これがなかなか美しいのでこうご期待。イメージ的にはノベルス版よりこっち。
 『アベラシオン』がノベルス版で刊行されることになりそうだ。その場合まだハードカバーは店頭にある(ところもある)ので、廉価版という位置づけで、テキストの手入れは最低限のミスのみ。その代わり作中に山と並んだ美術や歴史関係の固有名詞について、作者から補注の形で解説をつけてボーナストラックとしたい。あの作品については、細部について典拠があるのか、作者のヨタか、けっこう気にされた読者もいたようなので。皆さんが思うよりもヨタの部分は少ないはずです。篠田のイマジネーションは芥子粒ほどでも核があってそのまわりに衣を着せていく金平糖方式なので、それが伝奇ってやつですが、たいてい根も葉もないヨタということはないのであります。

 2005.08.17

 メールでトリノのホテルに当たり続けるが、なかなかこれ、という感じにならなくていまだに手をこまねいている。日本で支払いを済ませたいとなると、そもそも選択肢は広くないのだ。キッチン付きはあきらめるしかないだろうか・・・

 2005.08.16

 雨の中『桜闇』のゲラを戻して、郵便局で古本屋に支払いをして、銀行から金を引き出して、パスポートの申請用紙と住民票をもらう。今回はトリノだけに滞在してぼーっとしてくる予定で、キッチンの付いているようなところに泊まれたらいいなあと思ったのだが、日本でトリノのそういう宿を扱っているところがなかなか見つからなくて、ちょっと難渋している。居心地の良さそうなところが見つかれば、いっそ二週間くらい滞在してそっちで原稿を書き出してもいいと思ったのだが、さてどうなるか。田舎の町ならぶっつけで宿も探せるが、それなりに大きな都市ではそうもいかない。第一スーツケースを持ってうろうろしていたりすると不用心。

 2005.08.15

 60年目の敗戦の日(終戦記念日ということばは欺瞞的な気がして嫌い)。しかし自由業者の毎日には、休みもなければ変わりもない。『桜闇』の再校ゲラを終わりまでチェックする。まったく何度読み返しても、文章のキズというのはなくならないものだ。自分の下手さ加減に情けない気分。
 『月館の殺人 上』を読む。綾辻行人原作佐々木倫子漫画の鉄道ミステリという、なんだか不思議な感じのする企画だと思ったが、作品のテイストはもっと不思議。ヒロインの設定からしてトラウマっぽいところは「綾辻やー」という気がするのだが、そこに脱力系の佐々木味がつくから緊迫はちっともしない。笑ってしまう。つまらなくはない、というか大変に面白いのだが、どうしても「これってほんとに殺人?」という気分が消えないのはいいのか悪いのか。そして物語はこれでようやく第一部らしいのだが、続きの本はまた一年待たなくてはならないんだろうし、となると日頃ミステリを読んでも推理なんかしないあほ読者の篠田も、「これが伏線だとするとつまり・・・」などと考えずにはおられない。うーん、でも早く続きが読みたいですね。しかしうちは半端な田舎なんで、近くで掲載誌は売ってないと思うんですよ。

 2005.08.14

 『桜闇』の再校ゲラを読み出す。この期に及んでもまだ直したいところが出てくるというのは、我ながらまことに往生際の悪いもんである。
 それ以外の時間ではいろいろ気の向くままに本を読んでいて、昔読んだ気はするのだがアイザック・アシモフの『黒後家蜘蛛の会』を読み出した。安楽椅子探偵の原点に戻ろうというもんである。いや、時間的にはもっと古い安楽椅子探偵は、たぶん他にあるんだろうと思うんだけどね。で、篠田は忘れっぽい人間なんで昔読んでいてもなにも覚えていないのだが、これはすごく構造の単純なショート・ストーリーなんだね。女子禁制のクラブで月に一度夕飯を食べながら好き勝手な話をする男どもが、そこに提示された謎をああでもないこうでもないと肴にする。いじりまわしてますます混迷した謎を、控えめな給仕のヘンリーがさらりするりと解いてみせる。毎回ほぼそれだけ。殺人事件なんてのもめったになくて、特にヘンリーがするのは推理というより頓知に近い。1アイディアの機知の効いた落とし話、落語めいている。うーん。ここまでシンプルなのは書けんなあ。篠田はもっとこう、出てくる人物の背景やなんかを書き込まずにはいられないもんね。

 2005.08.13

 今日あたり有明では夏のコミックマーケットが開かれているわけだが、今年はとうとう一般でも足を踏み入れないことになった。考えてみれば最近7〜8年間は夏冬ともほぼ参加していたわけだから、カタログも買わなかった今年は「たばこを止めた」みたいな欠落感がなくもないけれど、無理して欲望を抑えているわけではなく、なんとなく「もーいーか」という気分になってそのまま、という状況だから、まあ「少し口寂しい」ってな程度である。
 だいたい篠田はこれまでほとんど、克己心を持ってというか、無理してなにかする、ということはあまりしてこなかった。外部から強制されて従うしか選択肢がない学校時代、なんてのは別だけど、それ以外、それ以降は「自分でやりたい気持ちの方が、やりたくない気持ちより多いこと」だけをしてきた気がする。それで人非人にも犯罪者にもならず、この歳まで無事に生きてこられたのだから、超ラッキーなのだろう。小説も、ひたすら努力、なんてことは全然なくて、書きたいときにしか書かなかったから、やっとデビューできたのが40目前で、たった10年のキャリアで老眼に遭遇して呆然としたり。でも、無理して努力したところで早く芽が出たかどうかは全然わからないのだし、後悔は別段無い。
 だからまあ、金輪際コミケには足を向けない、などということは全然なくて、行きたくなればまた行くだろうし、唐突に「本が作りてえっ」と思ったら作ってしまうだろうし、そんな先のことは決めるつもりもない。風の吹くまま気の向くままである。再来年あたりまで仕事の予定は立っているので、それ以上先の未来予測は要らない。あっ。でも建築探偵を完結させるまでは死にたくないし、世界が終わって欲しくもないけどね。

 2005.08.12

 昨日は本屋で資料探しなどをして、光文社さんとお会いする。カッパノベルスは増刷はまだかからないが、次も書かせてもらえることを確認し、ジャーロの連載開始は来年の秋号からとお約束する。この秋にイタリア取材をして「龍」をもう一本。その後に建築探偵。それが終わればそっちにかかれるから、まあ大丈夫だと思う。
 どうしても外出した後は疲労残りでうだうだ。つくづくこの夏は怠けモードだ。
 読了本 北森鴻特集 『顔のない男』 文春文庫 『共犯マジック』 徳間文庫 いずれも技巧を凝らした連作短編もの。特に後者の、日本の戦後犯罪史とミステリをからめた趣向は秀逸の一語だけれど、さて、いまの若い人たちにはどう受け取られるのかな。そのへんまで書き込んでいくと大変なことになっちゃうのはわかるけど。

 2005.08.10

 『姑獲鳥の夏』原作を再読。原作のダイジェストとはいえ、かなり大きな部分に改変があったことを再確認。映画にする場合の改変にはいくつかパターンがあって、まず細部を省略する。これはいうなればいたしかたない。また『木曜組曲』のようなラストの改変。これは明らかに名のある女優を起用したために役のやりどころを増やしたため、と思われる。それから『ロード・オブ・ザ・リング』のアラゴルンの性格の改変みたいに、原作の現代では受け入れにくい部分を変える、なんてのがある。しかし『姑獲鳥の夏』の場合は、映像では表現しづらいところを安易に回避した改変で、そういうことを平気でしてしまうあたりがこの監督が一流でない、と感ずるところなわけ。どっと説明したいんだが、そうすると原作のネタバラシになってしまう。
 原作を読んでいる人には自明の話だが、あれは『十角館』を映像化できないのと似たような意味で映像化できない部分があって、そこが話のキモなんだと思う。でもそのキモは絵にならないので仕方なくごまかし、他の部分を肥大させているもんで、映画『姑獲鳥の夏』は、なあんだ、いまさら**人格オチかよ、ということになってしまうんですね。そうではないところがキモだからこそ、京極堂は怒濤のようにしゃべりまくるし、榎木津はあんな能力を持っているように設定されているし、なんだからさ。

 明日は夜の用事があるので日記はお休み。

 2005.08.09

 映画「姑獲鳥の夏」を見に行く。感想その1、やはり実相寺昭雄という監督は一流の監督とは言えないな。その2、やはり原作のある映画というのは原作のダイジェストにイラストをつけたようなものにしかならないな。その3、原作の魅力は文章の魅力によるところが大きくて、それをはぎ取ってしまうとかえってがっかりしてしまうものだな。
 というわけで、原作を読み返してみようと取り出して冒頭の部分を読んでみた。眩暈坂の描写からだ。この関口の主観が加わった、うねうねとのたくるような坂の描写を、いくら美術家が黒土と砂で誠実に手作りしたからといって、それを映画を見る者に感じさせられるかと言えばそれは無理。改めて小説の力というものを思い出させてくれる、という意味はあるね、確かに。

 2005.08.08

 帰ろうと思ったらすごい夕立。ガラスを閉めてクーラーをつけていると雨の音にも気がつかない。
 今日はだらだらと新しい短編のプロットを練る。まだちゃんと形にならない。安楽椅子探偵ものをやりたい気持ちはあったのだが、これは案外難しいもののようだ。純然たる安楽椅子は、探偵役は話を聞いたそのデータだけで答えを出すわけで、下手をするとただのへりくつ、あるいは「こうも考えられる」というだけになってしまう。おまけにそれが唯一無二の真相だ、と登場人物と読者を納得させるだけの理屈、論理、展開というものが必要だから。『桜闇』に入っている「オフィーリア、翔んだ」はまあ安楽椅子ですね。

 2005.08.07

 小説ノンのゲラを返す。あとはだらだら読書。
 ここ数日の読了本 『触身仏』 北森鴻 新潮文庫 『メイン・ディッシュ』 北森鴻 集英社文庫 小説巧者の作者の本は、どれを取っても「金返せっ」などと叫ばないで済む分、真夏の読書にはもってこい。
 『ニセモノ師たち』 中島誠之助 講談社文庫 これも北森さんの骨董ものに触発されて手に取った本。篠田は身の回りに物を貯めるのが嫌いなので(本は貯まるが貯めているわけではない。どこまでも読むためのものだし)、アンティークに固執しかつそれをたくさん買い集める人の気持ちというのは想像するしかない。本当に気に入ったものひとつだけを、どんなに高くても買って手元に置きたい、というのならまだわかるんだけど、数を集めたい、次から次へと欲しいというのがどうもぴんと来ないんだな。しかしたぶん数を見る、見るだけでなく身銭を切って手に入れる、ということでしか見いだせない真実みたいなものもあるんだろうな、ということはじわっと想像できる。この本を読んでいると。北森さんの小説に登場する骨董屋や骨董マニアより、実在の骨董界の人々はもっとすごそう。

 2005.08.06

 昨日は東京創元社の担当K君と打合せ。彼の鋭い現状分析に感心することしきり。
 今日はさすがに耐えきれず朝からエアコンを入れてゲラ。ノンノベルの新刊が出るのは8/31か9/1だが、なんと「龍」の新シリーズは小説ノン今月売りの9月号から連載が始まってしまうのだ。これは、たぶんいままでで一番面白い。
 夜は家の近所で小規模の花火大会。距離が近いのが最大の利点で、火薬の煙は吹き付けるは燃えがらは降ってくるは、でなかなかデインジャラス。

 2005.08.04

 ここ数日の読了本をまとめて。
 『蒲公英草子』 恩田陸 集英社 泣けます!
 『花の下にて春死なむ』 北森鴻 講談社文庫 北森さんの小説を少しまとめて読もうかなと思って改めて購入したもの やはり表題作が優れております
 『ニッケル博士の心霊現象謎解き講座』『新・トンデモ超常現象56の真相』 太田出版
  子供の頃、よろず超能力や超常現象に胸をときめかせたもののナレノハテとして、この手の身も蓋もない神話解体を大いに楽しんでます
 『ザ・ウェーブ』新樹社 先日読んだ『ヒトラーの呪縛』で教えられた本。カリフォルニアのハイスクールで熱心な歴史教師が、子供たちにファシズムの恐ろしさを教えようと、突然規律、スローガン、絶対服従、独特の敬礼といった単純な模倣行為を子供たちに方向付けたところ、それがたちまち彼らを引きつけて校内に蔓延してしまう、という現実に起きたことを元にした小説。残念ながら小説の技術が拙劣なので、『蝿の王』のような恐ろしさには遠く及ばないのだが、やはりそれが寓話でもSFでもなく実際に起こった、ということがよく考えるとかなり怖い。

 明日は日記の更新はお休み。

 2005.08.03

 今日はいくつか嬉しいこと、めでたいことがあったのでその話。
 9月に出る「龍」文庫第二弾『東日流妖異変』の解説を、担当が同じご縁で菊地秀行先生におねだりし、無事原稿を頂戴した。嬉し恥ずかしお誉めのことばは、ぜひ書店でお手に取り下され。
 期を一にして出る『紅薔薇伝綺』の表紙ラフをいただく。「龍の美形度がアップしてます」という担当の言だったが、ほんとです。丹野忍氏ご自身ともやや似ております。というわけでどうかご期待下さい。
 建築探偵シリーズの刊行部数が、ノベルスと文庫併せて100万部を突破した。最初の『未明の家』以来12年、こつこつと書いてゆるゆると売れ続けて、ちりも積もれば山となるといいますか、ようやくそんな数字になりました。賞をもらったわけでもなく、どこかで提灯を持ってもらったわけでもなく、ただ読者に選ばれて読み継がれた結果というのが、作者にはなにより嬉しいことです。当初予定の本編はあと4冊ですが、それが終わったからといってあの世界が消滅してしまうわけではありません。彼らはこの先もずっと私たちのそばで生き続けます。ただひとつの区切りが訪れるというだけです。そんなわけで取りあえずの区切りまで、いましばらくおつき合い下さい。

 2005.08.02

 毎日楽しみに見に来て下さる方には申し訳ないが、基本的に物書きの日常は単調である。『桜闇』のゲラ直しなお続行中。午後から週に一度のジム。夜の喜びは冷えたビール。まことにもって事も無し。

 2005.08.01

 8月になったが、「すっごく暑いーッッ」というほどでもない、よね。今日も昼間はエアコン無しで暮らしていた。仕事は『桜闇』のゲラ直し進行中。
 カッパノベルスの新刊で、「館ミステリの真髄という帯に惹かれて買った」と日記に書いている人がいて(書評や感想をわざわざ探すことはしないのだが、偶然出会ってしまった)、あっ、まずい、と思う。そして「トリックが小粒」「平面図がなくて状況が解りにくい」と書かれているのを見て、ああやっぱり、と。ゴシック・ロマンスです、ということばには、ひとつはミステリではありません、トリックで読ませる小説ではありません、という意味をこめていたのであります。それと平面図がないのは故意にです。登場人物達は満足な平面図もないまま、状況を把握できないまま閉鎖空間をさまようわけで、信頼するに足る平面図が掲載されていたら感情移入できないです。でもまあ、ミステリでないだろう、金返せ、といわれないでよかった。いや、本心はわからないけどね・・・

 読了本『フロイト先生のウソ』文春文庫 心理療法の虚偽を暴くノンフィクション。すごく意外とか創見に満ちているとかでもなくて、ああやっぱりそうなんだろうな、という感じの本ではあります。あっ、でも私は16重人格のシビルという女性の話を書いた『失われた私』というノンフィクションが、でっちあげだったというのは知りませんでした。『月蝕の窓』も文庫に下ろすときに少し直さないとな。まあ、あれは多重人格障害を虚偽だとする立場で書いているから、全面的に修正する必要はないけど。
 『陰陽師』12 岡野玲子 いよいよ次巻で最終巻なんだそうです。夢枕獏の原作から離れて、なにがいいたいんだかよくわかんなーい状態は以前継続中ではあるが、これはもう最後まで読むしかないなという感じ。