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2005.07.30
 落語通のすがやみつるさんのお世話で落語を聞く。たぶん日本一狭い席亭という、高円寺の「ノラや」という飲み屋というのか、スナックというのか。そこのカウンターの上に半畳の畳と座布団を置いて、回りを客が取り囲みつつ見上げてキャパ10人。ライブ感横溢。噺家さんは鈴々舎わか馬さんという二つ目の方。キッチュの雰囲気が楽しい「動物園」と、左甚五郎が出る人情話っぽい「ねずみ」。着物を着た男性というのは、なんでこうセクシーなのかなあ、などと思う。相客はほぼ作家。黒猫を連れた人とか。

読了本『ヒトラーの呪縛』飛鳥新社 日本中でたくさんの人がナチもののいろんな局面に萌えて打ち込んでいる、というのはわかったが、結局なんで自分が、ナチのどこに萌えているのかというのはよくわからんかった。でもこういう、ひとつのテーマの雑多な局面に
ついて、一定の価値観を打ち出すのではなくニュートラルに調べて書いてある本というのは、好きなんだ。面白かった。

2005.07.29

 ノンノベルのゲラは見終わって返送。『桜闇』の文庫ゲラに入る。ゲラ見は嫌い。校閲というのは重箱の隅をつつき回る仕事で、必要なものと解ってはいても重箱の隅をつつかれて嬉しい人間はいない。なんとなく姑に「あら、ここにも埃が」とかいわれているような気分になってしまう。
 読書は『ヒトラーの呪縛』続行中。日本にはナチ好きが多いんだなあと、いまさらのように思う。
 明日は夜お出かけなので日記の更新は休みます。

2005.07.28

 仕事は昨日の続行。あともうちょっと。ゲラで見てもなぜか気づかず、本になった途端に目に付く誤植、なんてのもままあるものだから、なかなか気が抜けないんである。

 『ヒトラーの呪縛』佐藤卓己編 飛鳥新社 という本を読み出した。日本におけるナチス・モチーフ受容の諸相。思想的なものもあるけど、戦争オタクとか制服フェチとかメカ好きとかその種の趣味的なナニまで。マンガでも敵役としてナチが扱われたり、ナチっぽい軍服や行動をする悪役がいたりするヒーローものやSFアニメ、というところまでカバー。フィクションも皆川博子先生の『死の泉』からコミケのナチ物同人本まで含まれる。
 篠田も少しナチ本コレクションをしていたり、『アベラシオン』でナチのオカルティズムをネタにしたり、ということはある。『意志の勝利』の映像を見るとやはり「かっこいい」と思ってしまう。でももちろんナチズムの思想に同感なんかしないし、映像はかっこよくてもよく考えれば北朝鮮のマスゲームと同じやんかとも思うし、軍服もいいななんては思っても、もっとリアルに、たとえばその軍服を着ている身長180センチの優良なアーリアン青年というやつを想像してみると、これはもうピンクの肌に金髪の産毛、ジャガイモで充填されたむきむきとした筋骨なんだろうなと考えれば、そんなものに萌えやしません。きもいです。そうすると果たして自分が「かっこいい」と感ずるその実体ってなんなのさ。よく考えると不思議。というわけで、この本がなんらかの考えるヒントになればいいなと思ってます。

2005.07.27

 ピーカンの晴天だが一日仕事場。『紅薔薇伝綺』の再校ゲラをちみちみと直す。指示代名詞のだぶり(「その」が2行に3つあるとか)形容詞のだぶり(「美しい」が4行置いて続くとか)など、まず普通の読者は気にも留めないだろうようなことを、見つけて直している。まあ、自己満足といえばそれまでな作業である。書いてるときに気が付かないのかって、うん、なぜか気が付かないんだよねえ、そういうの。

2005.07.26

 朝からひたすら雨と風。梅雨明け間もない7月に台風が関東直撃なんて、台風がこっちに来るのは9月か10月だろうに。ほんと最近の天気はなんでもありで、季節感も何もあったもんじゃない。
 ひとつ仕事に区切りがついたので、その関係で散らかった資料を本棚に戻して、写真を整理して、あとはジムに行って本日はおしまい。スローダウンした生活が身に付いてしまった感じ。まあ、家でじっとしていればそんなにお金は使わないし、と思ったのだが、アマゾンで調子に乗って本を注文したらけっこうな金額に。他の買い物はしないけど、ネット書店はやばいですな。

2005.07.25

 台風が来るらしくて湿度がやたら高い。
 『紅薔薇伝綺』の「作者のことば」を書いてメール。篠田はもともとあまりテンションは高くない人間なのだが(小説の中のキャラのテンションが高くとも、それは作者とは別物だからね)、伝奇の場合は特に意識的にテンションを上げて「作者のことば」を書くようにしている。そのへんはノンノベルの先達菊地先生や夢枕先生に倣うことにしているわけ。それはまあお客様に読んでいただくのに、「つまらないものですが」というわけにはいかんわね。
 その後やっとこすっとこ短編を最後まで書き終える。あーやれやれ。これで安心してゲラ読みに入れるぞ。仕事を並行してやるのが非常に苦手な人間だもんで。

 杉浦日向子さんが亡くなられたそうな。篠田はお目にかかったことはないが何冊か本を持っているので、まだお若いのに、とかなりショックである。江戸ものを書くつもりはないけれど、東京生まれ東京育ちの人間として、やはり彼女が生き生きと表現してくれた「江戸」はルーツのひとつではありました。

2005.07.24

 本格ミステリ作家クラブの執行会議に都心へ往復。会議の時間は1時間余なのだが、往復時間を足すと4時間。それが一日の真ん中に入るので結局他は何もできず。長い車中でいただきもののファンタジーを読み終える。
 短編が終わらなかったけど、明日からはゲラ読みをしないといけない。本が出来てから思わぬミスに気づいて切歯扼腕、なんてことにならないように、落ち着いて再読致しましょう。しかしゲラ読みが嫌なのは、「なんてへたくそなんだろう」とか「全部書き直したい」とかいうような、後ろ向きの感情に襲われることがままあるからだ。

2005.07.23

 長編二本のゲラがたまる。なんでここに来てだぶるんだよッ。まあどっちも再校だから、そんなにあせらなくていいや、というわけで、ほっといて本読んだりだらだら。午後になってやっと短編をもう一度いじり出すが、結局今日も終わらず。なまけぐせがついたな、自分。
 東大生産研の村松伸助教授から「建築史とは何か」というゼミのゲストに来てくれないかというお話をいただく。建築探偵シリーズを頭から読んでいます、桜井京介の生みの親に会ってみたくなったので、といわれて、一も二もなく「行きます」と答えてしまう。まあ、東大の方たちにはミステリ書きなんて物珍しいだろうからさ、見せ物になりに行って、ネタのひとつも拾って来ますわ。でもそれが10/6なので、トリノに行く時期がまた難しくなるな。9月中に行けちゃったらいいんだけど、忙しいなあ・・・

 読了本『弥勒の掌』 我孫子武丸 文藝春秋 面白いんだけど、登場人物全員がすごく嫌な奴なんで、しみじみと後味が悪かったりする。きっとこの後こいつらはもっとひどい目に遭ったりするんだろうが、いい気味だとしか思えない。それと、この叙述のしかたは篠田的にはややアンフェアみたいな気がするんだけど、いまはもうそういうことは問題にならないのかな。よくわからん。

2005.07.22

 昨日はジムに行って、デジカメ買って、夜はおつきあい。今日は酒のせいではなくやや体調不良のため、一日沈没するつもりだったが、イスタンブールの友人から二年ぶりにメールが来ていたので、急遽新刊を送るために郵便局の本局まで。その後原稿の続きをやるが、少し頭の調子が悪くて着地がうまく決まらない。
 9月の文庫のゲラが来た。明日あたりはノンノベルのゲラも来る。それから小説ノンのゲラも来るらしい。連載8月からなんだけど、とっくの昔に入稿していたんで忘れていた。というわけで、そろそろ暇で困る日々も終わりか。

2005.07.20

 82枚。終わりません。90では終わるんではないかと。なんて枚数が読めない物書きだろ。それでもプロか、おまえ。はい、まことに。
 アマゾンで「修道士カドフェル」のDVDを買ってしまった。「薔薇の名前」に続いて西洋坊主の世界に浸るのだ。原作も読み返そうかな、るんるん。やっぱり篠田は西洋時代劇が好き。現代のことはわかりません。いまだに携帯も持っていないし。ああ、こうやって世の中に取り残されていくのね。
 明日は久しぶりに夜のおつき合いなので日記はお休み。でもその前に取材用にデジカメを買うのだ、ついに。ずっと愛用してきたミノルタTC-1は手放さないけど、やはり望遠や接写が欲しいの。

2005.07.19

 62枚まで。80枚くらいで終わるかなー。神代先生の高校時代というのが間接的ながら出てきて、もしかすると先生のファンは失望するかも。かなりいまとはイメージが違う。野生の悪ガキというか、剣道は強かったけど自分でも「頭がかあっと熱くなると後先考えない猪突猛進型」だったといってるし。そもそもなんでこんな人が西洋美術史なの、ヴェネツィア派なの、という疑問は、いつの日か明らかにされる、かも知れません。彼の留学時代の話とか、そういうのも書けたら書いてみたいですし。
 それはともかく今回の話は1991年ですので、神代さん45才。蒼は12才、京介22才。みんな若いです。頭をそのへんまで引き戻さないとならなかったので、最初なかなか進まなかったんだけど、どうにかなりそうな感じ。

2005.07.18

 いよいよ梅雨が明けたらしくて、暑い。篠田の頭というか身体と言うかには、仕事モードと仕事でないモードの間に摂氏何度か知らないけどラインがあって、それより気温が高くなると本は読めるけど、他のことも出来るけど仕事は出来ない、ということになる。働きさえしなければクーラーをつけなくてもいられるのである。地球にやさしいためにはなまけているにしくはないんだけど、怠けてばかりいるとご飯が食べられないだけでなく、自分の存在意義も揺らいでしまう気がするので、地球さんごめんなさいと頭を下げつつクーラーを入れてパソコンに向かう。それでも出来るだけつけまいと頑張ったのだが、今日は45枚まで進んだのでお許しを。できるだけだらだらとは働かずに、短時間でばばっと進めて、後はクーラー無しでへばっている、というのがいいかもしれないね。

2005.07.17

 昨日は京都で吉田直さんの一周忌思い出を語る会に出てきた。思い出を語れるほどの深い縁でもなかったんだけど、ご両親に一度挨拶しておきたかったから。半分は大学の時の友人で、もう半分は仕事関係、K川書店関係の人間だった。篠田はほとんど読者代表のような立場だと思ったので、そういう意味のことをいってきた。『胡蝶の鏡』に直という名前の子供を出したことに気づいて感想の手紙に書いてくれた人はふたりだけだったけど、たぶん他にも気づいてくれた人はいたと思うし、これを機会にもう一度トリ・ブラを読み直しますといってくれた方のことばは、ちゃんとご両親に報告してきましたので。
 それ以上のことはもうここに書くつもりはないけれど、早死にするいい人より嫌な奴でも生き延びる方が人間として正解だと痛感したことだけは書いておく。だってほら、自分にひどいことをしたやつらが、葬式で笑いながら飲み食いしているところを想像すると、すごーく腹立たしいでしょう。そういうやつらよりは長生きしないとさ。

 今日は精神的疲労が尾を引いてほぼ沈没。

 読了本『ヴェネツィア刑事はランチに帰宅する』 ダナ・レオン 講談社文庫 面白いです。しかしこういうトリッキイではないタイプのミステリの場合は特に、解説や表4で展開をばらすのは止めて欲しいなあ。
 『腕貫探偵』 西澤保彦 実業之日本社 シリーズ物連作短編ミステリの見本のような、ウェルメイドな一冊。西澤さん流の「毒」もわりと希薄でどなたにもお勧めしやすい。ミステリならこういう短編を書きたいなと思うのに、自分は逆なことをやってるよなー。いや、そもそも建築探偵の脇キャラで、と考えること自体問題をややこしくしているだけだとは思うんだけどね。

2005.07.15

 暑い。仕事ちびちび。今書こうとしている短編は実のところ建築探偵ものの番外編で、それもこれまでとはちとスタンスの違ったものなので、その辺の説明をどの程度していいのかというのが自分でも迷ってしまうのだ。あまりそっちに深入りするのはどうよ、というわけで一度書いた部分をごっそり削除して書き直す。わりと短く終わりそうな気がしてきた。

 明日は所用で京都まで日帰り。本当は一泊くらいしてこようかと思ったのだが、宿全然取れず。考えてみたら祇園の宵山なだけでなく、連休じゃないか。新幹線が取れただけでも良しとしなくては。というわけで明日の日記は休みます。たぶんくたびれているだろうから。

2005.07.14

 昨日は午後から東京に出て、陶芸家の友人が自宅アトリエでやっている陶芸展を見、しばらくおしゃべりを楽しんできた。小学校中学校時代の友人だが、その家に行く途中は子供の時の通学路を通って、小学校と幼稚園の前を通る。40数年前の道でもまったく面影がないということはなくて、同じ場所に畳屋やうなぎ屋があるのはタイムスリップしているような感覚だ。そして彼女の家は文京区西片町、神代先生の家のある界隈。といってもこのあたり、今見ると驚くような大邸宅だらけで、神代邸のような平屋の木造小住宅などまず見つからない。
 夜は石神井公園の好きな店で焼酎を飲んだので、今日はあんまり仕事に乗れず。カッパノベルスの新刊見本が来た。『すべてのものをひとつの夜が待つ』 表紙は白っぽくてなかなかさわやかな印象だが、話はいつもの篠田作品よりダークである。どうかそのつもりでお手に取り下さい。ただし帯を見て、「これがなんで館みすてりじゃあっ」と思ったら文句は光文社編集部へどうぞ。

 読了本『雨の午後の降霊会』 創元推理文庫 いやあな話である。印象がいやすぎるところまで行かないように、作者は登場人物の性格を慎重に調整しているが、それでも考えれば考えるほどとんでもない話であるには違いない。実にイギリスらしい、じめじめさむざむとした物語。大嫌いだとはいいませんが、読み直したいとも思わない。しかしこれ、決して否定的な見解というわけではない。小説として優れたものでということは認めざるを得ないわけです。でも、いまのような梅雨の季節に、それも気持ちが沈んでいるときには特に、読まない方が良いよ、落ち込むから。

2005.07.12

 朝地元の図書館に行って1991年の新聞縮刷版を見る。篠田のようにわりと近い過去の日本を舞台にすることが多い人間には、新聞縮刷版は実に有り難い資料である。たとえば『灰色の砦』の中で栗山深春は東大安田講堂陥落の日の新聞縮刷版を調べているが、これは同じように小説を書こうとしている現在でも読むことが出来、あの当時の騒然たる空気をタイムカプセルのように示してくれる。無論社会的な事件以外にも、広告があり、テレビ番組表があり、訃報欄があり、それをていねいに見れば見るほどこれはこよない資料である。というか、他に縮刷版てなにに使うんでしょうね。自分がすでに新聞を読んでいるはずの時代でも、細かい事なんて忘れているから、そりゃもう面白い。
 ところが1991年というのは、紙面を見ても意外なほどいまと変わらない。15年も前だというのに広告のデザインも大して違わないし、不動産広告を見ても値段はそう極端な違いはなく、テレビ番組だって水戸黄門とか。そしてニュースも、「イラク」このときは湾岸戦争で多国籍軍だけど、なんかいまも似たようなことしてる、だし、早稲田の学生がパキスタンでボート下りをしていて武装強盗団に誘拐される事件とか、妙に既視感が強い。このころ篠田はなにをしていたかというと、3月末〆切の第二回鮎川哲也賞応募のための原稿を必死に書いておりましたね。
 しかし、現在と大きく違っていることはあった。「やさしい文字で気持ちを伝えられる細丸ゴシック体を装備した高機能・簡単ワープロ 東芝RUPO JW88FX 165000円」はい。いまならパソコンが買える値段ですね。篠田も某社のワープロで原稿を書いていて、〆切直前になって外付けのフロッピーディスクドライブがぶっこわれて、原稿を切り貼りコピーする羽目になりました。というわけでやはり15年という歳月はちゃんと流れておったわけです。

2005.07.11

 昨日ビデオに撮ってあった12チャンネルの「クラシック・ホテル特集」を見ていたら、愛川晶さんのミステリにネタとして使われていたソール・ナンチュアという、いま普段はメニュに載せられていない手間のかかる料理が登場して、思わずにやりとした。どの作品でどういうふうに使われていたかを説明すると、ネタバレになってしまうから以下は省略。普通では知られていない知識をネタにしてミステリを書くというのは、ひとつ間違うとアンフェア感ばかり強いつまらない小説になってしまうので難しいんだが、あの短編は驚きと興味が実に良い具合に案配されていたな、と思うのは必ずしも篠田が食いしん坊だからではない。

 やっと短編を書き出す。11枚まで。たぶん70枚くらいになるだろう。でも明日はやはり図書館に、新聞の縮刷版を眺めに行くとしようっと。しかし仕事を始めると気分が上昇するというのは、要するに貧乏性だってことか。精神の貴族にはほど遠いですなあ。

2005.07.10

 友人と吉祥寺で観劇。友人ごひいきの劇団桃唄309公演「ブラジャー」 毎度「こんなものが芝居のモチーフになるのか?!!」と驚かせてくれる劇団である。今回はいまだコルセットの時代に女性を自由にするブラジャーを考案した女性から、戦後の日本でブラを手作りして会社を興したある男から、さらに現代の日本で下着屋を起こそうとする女性たちの群像に、それら三つの時間軸を貫く古いミシンの物語を絡めて進行する。女性の自由と社会進出という側面から見ればはなはだフェミニズム的な芝居であり、同時に「女性を美しくする下着を売る会社」を育てる男のエピソードは、異性の目から見た下着の美学や危ういエロティシズムも視野に入れつつ、プロジェクトXっぽくもある。変わりゆく近代に第一次大戦の塹壕の中の兵士たちを併置し、ブラジャー考案者の女性と現代の起業を目指す女性たちの困難をパラレルに見せ、さらに商店街の若者たちの町おこしをからめるなど、極めて複眼的に物語を進行させながら演劇の特性を活かして観客をほとんど混乱させることなく、なおかつ古いミシンと生き別れたボビンケースの再会という、奇想天外で同時にベタな純愛物語で泣かせるのだから恐れ入る。この時間と空間を自在に操り、人間と無生物を交歓させる魔術に比べれば、なんと小説というのは不便さの多い表現手段であることか。

2005.07.09

 今日は気温が低い。でもまあ暑さの苦手な篠田は低い方が良い。ホットコーヒーを入れて短編の設定を作る。あまり作りすぎると書く気がしなくなるので、書き出しのセンテンスが決まったところで来週からはこれを書くことにする。少し鬱気分は薄らいだ。やはり仕事をしないと、自分が無用者になったような気がして落ち込むのだろう。
 通販生活のカタログで、出来心で電子辞書を買う。たちまち届く。マニュアルの厚さにたじろぐ。使いこなせるだろうか・・・使いこなせるかといえば、携帯ショップの前に行くと、脅迫されているようでつい目をそらしてしまう。そんなやっかいなものを身辺に増やしたくない、と思うのはもはや許されないのか。

 読了本『ラインの虜囚』 田中芳樹 講談社 ミステリーランドの新刊。こちらは麻耶作品とは対照的な、ウェルメイドの児童冒険小説という感じ。昔読んだ『厳窟王』や『三銃士』のような香りもある。だが、どういうものか魂にまでは響かない。あまりにも予定調和でなんのサスペンスもないし、キャラに感情移入も出来ないのだ。そんな文句を付けるのは自分が年取ったせいかもしれないけど、いま上げたデュマの作品にはもっと毒があったね。もちろんそれは児童文学として書かれていたわけじゃないけど。
 ひとつ気になったこと。本の挟み込みが講談社の文芸書、つまり大人向きのそれなんだよね。ミステリーランドもこれだけ既刊本が増えたんだから、独自の挟み込みくらいあってもいいだろうし、それは当然もっと楽しくわくわくするような空気をはらんでいて欲しいわけだ。それをこんなふうに、なんだかもうどうでもいいよ、みたいな。それはないぜ、講談社よ。

2005.07.08

 気温が高いわけではないが、高湿度のせいか頭も身体も重い。全身がたっぷり水を含んだタオルを、絞らずに台の上に置いたみたいな、だらあっとした感じ。頭が働かない。
 パソコンで名刺を作る。毎回前の作ったデータを呼び出せず、また新しく作り直してしまう。
 来週の京都行きのために新幹線のチケットを買う。ついでに1泊くらいしてこようと思っていたが、もろに祇園祭の最中なのでとてもまともな宿は取れない。しかたなくとんぼ返り。まあ、暑いのと人混みは大の苦手だから。

 読了本『マリオネットの罠』 赤川次郎 つくづくこの作者は意地悪で、黒いものを胸に秘めた人だなあと思う。この手の残酷さはとても真似できない。
 『神様ゲーム』麻耶雄高 講談社 子供たちが複数で探偵として活動する、という設定の作品はこれまでミステリーランドの中にも複数あったが、これが一番残酷で救われない上に、どう解釈すればわからないような「いやあ」な終わり方をする。これこそトラウマ系の作品と言うべき。でもまあ、読書体験がトラウマであるというのは幸せなうちだ。

 足立区のMさん、宛名カードを入れ忘れです。

2005.07.07

 やっと写真の整理が一段落。もう一冊分あるのだが、さすがにもうげんなりした。ヴェネツィアの写真にも説明が書いてないのだが、それもいいやという気分。明日から頭のたがを締め直して、前から書くつもりでいた短編に取りかかる。ミステリ。といっても、いわゆる本格からは、ずれたものになるはず。

2005.07.06

 雨もよいだが朝から外出。吉祥寺に向かうも、中央線の事故でずいぶん時間がかかる。昼食を取ってから、まだ中央線は怪しいので井の頭線京王線埼京線を乗り継いで浦和へ。別所沼のほとりに建つ「ヒヤシンス・ハウス」を見に行く。これは夭折した詩人で建築家でもあった立原道造が生前自分のために設計していた別荘を、そのプランに沿って実現させたもの。去年11月完成。こぢんまりとした、だが実に良い感じの家であった。こんなのが景色の良い場所に書斎としてあったら、どんなにか仕事が進むだろうと思わせられるような家。
 数日前から写真整理の合間に中井英夫の文庫全集をひもといていて、彼が生前北軽井沢に山荘を建てて夏の暑さから逃れて仕事をしようとしたのだが、結局客だらけであんまり仕事にならない、という日記を読んでいた。なのに彼は客がいないと寂しくてつまらないと思ってしまうのだ。その辺の心理は実のところよくわからない。篠田は決して客が嫌いではないけれど、ひとりで部屋にたれ込めて読んだり書いたりしている方と比べてどっちがいいと聞かれたら、ひとりの方が10倍は好きですと答えるだろう。

2005.07.05

 写真整理、ヴェネツィアの分がまだ終わらない。撮りすぎである。この他に熱海の起雲閣の写真があるのだが、さすがに飽きてきたのでヴェネツィアが終わったら今回は止めにしよう。明日は外出予定。

2005.07.04

 久し振りに仕事。「館を行く」の第9回のゲラをチェック。今年の冬号の第10回で完結し、来年は単行本化の予定。シリーズもいよいよ〆にかかってきたので、建築探偵読本的なものが作れればいいなと思っております。
 今月はミステリーランドが2冊出た。田中芳樹『ラインの虜囚』と麻耶雄高『神様ゲーム』
それから『DEATH NOTE』の新刊が出た。しかしこっちは際限のないルールの後出しに、ちょっと気分しらけ気味。別に本格ミステリとして書かれているわけではないから、アン・フェアだというわけにもいかないんだけどね、こういう仕組みにしておけばいくらでも話が引き延ばせるな、という感じがちょっとね。

 読了本 『砂楼に登りし者たち』 獅子宮敏彦 東京創元社 基本的に伝奇小説と本格ミステリというのは、合わないと思う。伝奇は拡散に向かう小説で、本格ミステリはひたすら収束を目指す小説だから。山田風太郎だって、伝奇に多少謎解きの要素をからませることはあっても、このふたつを全面的にミックスすることはしなかった、はずだ。この作品でも山風を思わせる、忍者と超人的戦闘者の戦いなんぞが描かれるが、そこで起きる「不思議な現象」が本格ミステリのトリックによって説明されることで、物語は面白くならない。まったく逆である。

2005.07.03

 自家製佐世保バーガーは篠田作のパンにのみ問題があった。やはりバーガーのバンズはバタや卵の入ったものではなく、もっとシンプルなものでなくては、というわけで次回を期する。しかしちゃんと作ったハンバーカー、ビーフ100%のハンバーグにベーコンとチーズ、オニオン、レタス、トマトは、非常に美味でした。

 未整理の写真、1996年にイギリスとイタリアに一週間ずつ行ったときのがもっとも古くて、キューガーデンという古い植物園でやたらと温室を撮りまくっている。と思ったら97年に篠田は『原罪の庭』を書くもんで、そのための資料として写真を撮っていたんだね。しかし撮って使ったかといわれると・・・
 結局そんな古い写真を、いまからスクラップしてもという感じになって、イギリス、イタリア、それぞれポケットファイルに整理していいことにする。その後二回分ヴェネツィアがあって、特に99年のヴェネツィアはヴェネツィアだけで10本以上も撮ってあって、あーあ、我ながら撮りすぎ。しかしこれだけしつこく行ったおかげで、今回「龍」を書くときぱかぱか舞台が思い浮かんだんだもんな。すでに『仮面の島』の構想も浮かんでいたんで、使う場所のチェックもしているし。いや、それで未整理のままほっといたんだろ、といわれると、その通りなんですけどね。

2005.07.02

 今日もたらたらと写真の整理。イタリア二回分という大物がまだこの後に控えている。ためとかないで整理しろよ、自分と、反省を胸に。でも今日は読み出した本が止められなくなってしまった。感想は下記。あっと、バーガーはこれから食べるので結果は明日です。

 読了本 『狐闇』北村鴻 篠田は北村氏の良い読者ではない。たぶん全作品の三分の一も読めていないだろう。だが美術や古物には関心があるので、骨董業界を扱ったシリーズは興味深く読める。歴史の謎が現代の事件に絡む、といったタイプのミステリは、しばしばふたつの謎が分離していて絡み合いに必然性がない。『狐闇』はそんな不満はなくて、しかも最後に現れる真相のスケールのでかさには唖然とさせられる。ただ問題は伝奇ミステリには共通の弱点だと思うのだが、その真相がどうしてもラスト近くにならないと見えないので、「ええっ」と驚いたと思ったらもう話がおしまい、あ、なんだかあっけない〜になってしまうということだ。いや、たぶん『すべてのものをひとつの夜が待つ』を読んだ読者も、そう思うんじゃないかな、と。

2005.07.01

 やっと梅雨らしくなってきた今日の関東、じっとりとした湿気だが今日はじっとしている分にはクーラー不要。写真整理継続。合間にパン焼き。白神こだま酵母だが、こねは機械にまかせる手抜きでロールパンの生地を作り、丸いバンズを焼く。先日九州に行ったとき、佐世保で佐世保バーガーというのを食べた。米軍基地からの食文化なのだろうが、ここではハンバーガーはスローフードである。けっこう待たされる。だが美味。マックのような人工的な味とは比べものにならない。かといって「また食べたい」といって出かけるには遠すぎるぞ、佐世保。というわけで「家で作ればいい」という話になった。中身は真面目にハンバーグを作ればいい。問題は美味しいパンだ。マックのパンはあれはパンではない。なにか見かけだけ似た偽物である。というわけで、美味しいバーカーが出来たかの報告は明日いたします。
 読了本 『電送怪人』『謎のジオラマ王国』 芦辺拓 学研 「ネオ少年探偵」と銘打った子供向けミステリのシリーズ。汚れちまった五十代にはちと照れくさいくらい健全なミステリであります。これを読んで「自分の推理能力は小学校六年生くらいだ」と痛感した次第。ロートルには懐かしいが、子供には新鮮。イラストもいい。