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2005.06.30

 午前中は雨もよいで湿度は高いものの気温はやや低めでした。楽チン。じめじめも嬉しくはないが梅雨なのだからね。相変わらずのたのたと写真整理などで一日暮らす。仕事がなくてもすぐに食べるに困るわけではないので、まあのんびりしよう。
 昨日映画館で予告編に来春の「ナルニア国物語 第一章 ライオンと魔女」が出た。四人の子供たちがナルニアに行くまでがかなり長く描かれるようで、それはそれで悪くないと思うのだが、問題はやはりナルニアに行ってから。後ろ足で立って歩く動物たちがどう描かれるか、擬人化とリアルの折り合いの付け方はどうなるんだろう。そのへんは予告編ではよくわからなかったのだが、目立ったのは戦闘シーン。なんとなーく「ロード・オブ・ザ・リング」の柳の下臭いのだ。原作にも戦闘シーンはあるんだけど、そんなに印象が強くないのは『指輪物語』といっしょ。
 そして一番の問題は、ああ、ライオンのアスランでありますよ。ナルニア世界の神であるアスランが、もろにただのライオンじゃないですか。岩の上でがおーって、ライオン・キングじゃあるまいし。っていうか、どこかの映画会社の登録商標のまんまだよ。見に行くことは確かだけどね、それほど期待はしないで行こう、というのが結論であります。

2005.06.29

 「バットマン ビギンズ」を見に行った。わりと面白かったが諸手をあげて絶賛、とはいかなかった。そもそも元ネタはマンガなんだから、いくらリアルにキャラを掘り下げようといっても自ずから無理がある。要はリアリティとぶっ飛び性の折り合いをどこで付けるかということだ。ブルース・ウェインはいかにしてバットマンとなったか、どう持ってくるのかと思ったら、両親の死に悩んで世界放浪に出かけたあげく、なぜかチベットだかどこだかの刑務所に入っていて、悪の軍団にリクルートされる。行く先はヒマラヤでそこにいたのはニンジャ。親分は渡辺謙、というのでリアルさの程度はまあわかろうというもの(笑)。イーンドの山奥でー修行してー、という唄はなんだったっけ。悪の軍団を見限って親分を倒して逃げてくる、というのは仮面ライダーかな。
 リアルとか言わないでこの調子でがんがん行けっと思ったのだが、ゴッサムシティの造形はニューヨークに毛が生えた程度で、ティム・バートンの第一作の悪夢めいたグロテスクさには及ばないし、バットマンカーもリアルを信条としたせいかやたらとごつくて、逃走するときは「いったいこれで何人殺すの」だし、「派手にやればやるほど逃げきれっこないだろうね」だし、バットスーツにご当人自ら塗料を吹いてたりすると「すぐはげそう」とかつっこみたくなるし、まあとにかく見ているときはそれなりに楽しめるんですが、シリーズを重ねるほどに苦しくなる部分はあるんじゃないでしょうかしら。

2005.06.28

 いつから日本は亜熱帯になったんだろう・・・と嘆いても詮無いこととはいいながら、暑い。今日は写真の整理をする。小説の場合ほど頭を使わないからクーラー無しでいいやと思っていたら、ベランダで水やりをしたあとの汗が全然引かない。というわけで30分くらいだけぱぱっと冷やして、それからジムへ。しかし写真という奴は、撮って帰ったらせっせと整理しないとなんだかわからなくなってしまうなあ。同じところを何度も訪れたりすると、篠田のスクラップブック方式はうまくないんだけど。
 カッパノベルスの表紙デザイン案届く。ピラネージの牢獄の絵を使って、だから黒っぽく重厚なイメージかなと思ったのだが、そうでなくてもタイトルが長くてうっとおしいのに、デザインが黒っぽいとさらにうっとおしくなるということがわかったので、逆にすっきりと洒落た感じのデザインに落着しそう。これが読者にどうアッピールするかは、蓋を開けてみないとわからない。どきどき。

2005.06.27

 今日はいくらか涼しいし風もあるから、とクーラー無しでいたら、仕事場の下の庭で立木の消毒作業が始まってしまい、うるさいわ薬臭いわで結局白旗を揚げてしまう。それでもどうにかこうにかゲラは最後まで終わった。明日は部屋掃除とジムだ。

 再読本 『安土往還記』辻邦生 高校生のときに担任に勧められて読んだ本。織田信長の話だが、イエズス会のオルガンティーノとともに日本に来たジェノバ人の船乗りの視点で描かれる、という点が非常に清新。語り手はイタリア人だが南米で傭兵隊長をしていたという過去の持ち主で、およそ宗教的な人物ではない。当然ながらそこに現れる信長の人物像にも一種独特のところがあって、印象深かった。篠田はこれを読んでから数十年後に『ドラキュラ公』を書くのだが、そのあとがきにヴラド・ドラキュラと織田信長とチェーザレ・ボルジアは似ていた、と書いている。そのとき念頭にあったのは、辻邦生の描いた信長だったのだな、と、いまさらのように思った。
 信長と言えば毎日新聞の夕刊に佐藤賢一が『女信長』というのを書いている。しかし私はこの作家の女性観が嫌いだ。品性下劣な印象がある。彼の書いたジャンヌ・ダルクは無能なヒステリー女だった。よほど出会う女性に恵まれていないのだろう。

2005.06.26

 ある程度の気温を超すと脳が夏休みになってしまうので、エコの神様には「ごめんなさい」をして朝からクーラーを付けてゲラに取り組む。小説を書くことよりゲラを読む方が、ある意味神経を使う部分はあるわけで、というのは自分では意味も物語もわかっているテキストを読み返して、ちゃんと日本語になっているか、誤解されずに話は伝わるか、といったことをチェックするわけだから、結構注意力がいる。原稿を書いているときのように、勢いでどーっと、というわけにはいかないんでありますよ。
 来週の水曜日はつれあいとバットマンを見に行こうねといっているので、それまでにはこのゲラを片づけるぞ。

2005.06.25

 恐ろしく暑いですね。クーラー付けずにがんばろうと思ったら、頭が全然仕事モードにならないんでやんの、もー。
 いまルイス・フロイスの『日本史』を読んでいて、やっと信長が登場した。安土桃山時代の日本人がかなりあっさりとキリスト教徒になって、その後未曾有の大量殉教者を出したことについては、昔から不思議ではあったのだが、それはともかくとして今回フロイスを読んでいていま思うこと。「現代の目から見ると、それもキリスト教徒でない日本人からすると、好き勝手にはるばる押しかけてきて、神の押し売りしちゃって、かなりはた迷惑な部分はあったよなー、こいつら」
 仏教徒を偶像崇拝者、悪魔の教えから離れぬ愚か者と決めつけられるのは、正直いってあんまり気分が良くない。最初ずいぶん迫害も受けたようだけど、洗礼を受けた日本人も春日大社の鹿を殺して食べたり、仏像に小便をひっかけたり、かなりのものだ。そのせいで日本人同士が争いになって、「バテレンなんかが来たからこういうトラブルも起きるんだ」と腹を立てる人間がいても、それは不思議じゃないよね。
 ただ若桑みどり氏も書いていたのだが、当時のキリスト教は「妻はひとりを守るべきである」と教えたことで、特に武士や富裕な商人階級の女性には救いをもたらした。キリスト教だって決して男女同権ではないんだけど、少なくともその時代の日本の現実と、それを肯定する当時の仏教よりは女性にとってましだった。「子殺しは罪である」といって捨て子を助けた。そのへんはキリスト教の優れていた点、といわれればまあ理解は出来る。
 でも、それくらいのことで「死んでも教えを捨てない」というところまで行けるか。それくらい、それまでの社会状況が辛いものだったということなのかなあ・・・

2005.06.24

 梅雨はどこへ行った、で、朝から暑い。「こういう天気はパン作り向きじゃない?」などと、いそいそ小麦粉を棚から取り出してしまう。残り物のクルミと干しぶどう。白神こだま酵母のご機嫌もよろしい。しかし、こーゆーことをしているから体重が減らないんだよな。
 黒川博行『キャッツアイころがった』を読了。うーん、篠田は黒マメコンビの方が好きだ。この女子大生どもはあんまし好意を持てない。
 それからやっと『紅薔薇伝綺』のゲラを読み始めるが、恐ろしいことに気づく。セバスティアーノの属する修道会を、まったくの架空のつもりで御受難会、としていたのだが、実在するんだよね、これって。名前、変えないと。しかし名称って難しいんだよ。それらしい名前、どうもぴんと来なくて前に進めない。うううっ。

2005.06.23

 二泊三日の長崎旅行。今回はレンタカーで平戸に向かい、黒島、紐差、宝亀、山野、山田、田平の天主堂を拝観。明治、大正の教会が、どこも丁寧に使い続けられている。ひとつとして同じたたずまいはない。中でも白眉は50分かけてフェリーでわたった黒島天主堂で、島の赤土で焼いたという煉瓦のマチエールがすばらしい。色合いに微妙なグラデーションがあって、ときどき自然釉がひかっている。
 あとは、上五島と、島原天草、そしてひとつだけ離れている福岡県の今村が主な天主堂だけど、まあいつか行けるだろう。やはり交通不便なところが多いので、レンタカーが一番足の便は良い。
 しかし、旅行は好きだが「さあ、これで当面出かける予定はないし、パーティとかそういう用事もないぞ」と思えるのは妙に嬉しい。仕事場でゆっくり本を読んだり音楽を聴いたり、というのも非常に好きなんであります。というわけで、今日は『螺鈿の小箱』の訂正をしてメール送稿を終えた後は、遠慮無く昼寝。宿の布団が重たくて、よく眠れなかったんだよね。
 そして長崎帰りの喜びは、名産のからすみを使ったからすみパスタであります。

2005.06.19

 旅行の荷造り、あとはうだうだ。夕方になってやっと『螺鈿の小箱』のプリントアウトのチェックを始める。いい加減何度も見た原稿だっつーのに、ミスのたぐいがたくさんあって、我ながら嫌になる。今月中にこれを終わらせて、『紅薔薇』のゲラを戻せば、またしばらくはのんびり出来るというわけで。
 明日から連れ合いと二泊三日平戸旅行。戻りは水曜の夜だが日記の更新は木曜日からです。

2005.06.18

 今日はいささか体調不良につき、ほぼ前日陥没。仕事はカッパノベルスの著者のことばを書いてメールしただけ。篠田はあまりこういうところで、ハイテンションにぶちあげるのは得意ではないのだけれど、ノベルスもレーベルで客層が大きく違うのは以前から感じているところ。伝統のカッパノベルスはノンノベルよりさらに年齢が上で男性寄りという印象があるので、そういうこれまでに篠田の本を読んだことのない方にも「おや」と手にとっていただけたらという願いをこめて書いてみた。
 あとは表紙の出来に期待。カッパの新機軸装丁は、なにせ一番最初が石持浅海さんの『水の迷宮』で、これがあまりにさわやかなイメージで装丁とぴたりはまっていたせいで、「なかなかいいではないか」と思ってしまったのだが、なぜかカッパの主たる読者からは総スカンを食ったのだそうだ。篠田はデザインとしては悪くないと思うのだが、汚れやすく耐久性に乏しいという弱点はいかんともしがたいし、内容によって向き不向きもあるだろう。篠田の新刊もおせじにも「さわやか」な話ではないしね(笑)。いや、これまで書いたものの中ではもっとも死人が多い。後味も「いい」とはいえないかもしれないので、逆に前からの篠田読者は要注意である。

2005.06.17

 創元の短編集の手直しを最後まで。本の最後に他の本の広告が入るのはどうも嫌だなというのがあって、(ノベルスや文庫は別に気にならないんだけどね)、ページをちょっきり16の倍数にすれば広告は入らないといわれたので、今回はその辺を気にしてみました。プリントアウトして、もう一度読み直すことにしてそれはおしまい。
 夕方、光文社の新担当と会う。出版社の人事異動というのは、作家にとってはやはりあまり嬉しくない話。特に長い物を連載させてもらったり、本にしたりというときには、編集者から戻ってくるリアクションは書き手にとって意味が大きい。篠田が今日まかりなりにもプロとして食べていけるのは、東京創元社T川氏、講談社U山氏、おふたりに拠るところが少なからずと思えばなおのことである。
 今回はカッパノベルスでは初の本だし、ノン・シリーズだし、というわけで、初めてというのは不安もあるが楽しみも大きい。しかし本当にあれに「館ミステリ」なんて帯をつけていいんですかい。読んで石を投げたくなった人は、作者ではなく編集部にどうぞ。作者は「ミステリというよりはゴシック・ロマンス」というております。メインは「なぜ」で、「いかに」でも「だれが」でもないのよ。

2005.06.16

 昨日友人から聞いた「肩こりに良く効く首の運動」をせっせとやっていたら、かえって寝違えたようになってしまった。アホである。
 午前中にカッパノベルスの再校ゲラチェック。午後祥伝社の編集が来て、今回は「龍」は『東日流妖異変』の文庫下ろしと『紅薔薇伝奇』のノベルスなので、ゲラもふたついっしょに来てしまう。だが文庫の方はノベルス時にきっちりやってあるしというわけで、鉛筆の指摘のところだけを見、『紅薔薇』の方だけ預かることになる。すでに話の続き分は入稿してあるので、その感想を聞かせてもらったり、そのほか四方山話をいろいろと。ヴェネツィア編は我ながら非常に気を入れて書いたので、編集者の受けも良くて嬉しい。このテンションを下げずにトリノ、ローマと繋いでいかなくてはな、と思うと少し緊張。出来れば9月あたりにトリノに行ってしまいたいものだ。ローマと併せて2週間もあれば目鼻が付くだろう。地中海性気候は秋は急速に天候が悪化するしね。
 しかしノンノベルの方はまだ少し時間があるというわけで、10月の東京創元社の短編集。その書き下ろしの一本を手直しして、枚数あわせをする作業から先にしてしまうことにした。装丁家の方に早めにお見せしたい、というところがあって。だってだって、憧れの中島かほる様なのだよ。皆川博子先生とか久世光彦先生とか、もうそんな方たちの装丁をされている方に、篠田ごときの作品をやっていただいていいのだろうか。なんかものすごーく緊張してしまうではないか。まさか箱入りではないけれど、『アベラシオン』に続いての美本となる気がする。そんなわけで値段は2000円台の前半になる模様。学生さんは図書館で購入希望を出して下さい。

2005.06.15

 友人と編集者が仕事場に来るので、昨日から掃除と模様替え。大したことをするわけではないのだが、仕事場にデンと居座っていたリクライニング寝椅子がじゃまくさいので、思い切ってDVD部屋に移そうとしたら、これは如何に、ドアのところでふん詰まってしまった。どうやら来たときは組み立てをしたらしいのだが、記憶は疾うにどこかに飛び去っている。連れ合いにSOSをして、どうにかリビングからそれを出し、せいせいと広がった床に向かってソファを据え、場所を変えたCDプレイヤーでグレゴリオ聖歌をかける。脳の襞襞がゆるんでいくような快感。
 友人とした話の98パーセントはオフレコなので、数少ないさしさわりのない話題を。カッパノベルスの装丁がふたたび変わるという。実は篠田はあの白いカバーにカラー帯というのがかなり新鮮に見えていたので、自分の本がそれでなくなるのはちと残念だと思っていたのだが、どうもあのカバー、耐久性の点で問題があったらしいのだね。色が薄いから汚れやすいのはもちろん、水濡れや破れにも弱い。「本を持ち歩くという発想のない人が決めたデザインだと思います」といわれて、なるほどと納得した。篠田も最近は家で本を読むことの方が多いので、そのへんを考え違っていたかも知れない。

 ペーパー応募のお手紙4通発送。出来れば今月中にお願いします。

2005.06.14

 午前中『桜闇』の手直し原稿を担当に送る。巻末の作品年表は、ノベルスの新作も入れて拡充。しばしば回想や、プロローグ、エピローグで時間軸を変えるということをやっているので、改めて書き出してみるとずいぶん複雑だ。自作解説も書き足しをしたので、ノベルスしか買っていない人もちょっと見てくれると嬉しい。広告です。
 夏としか思えない暑さのせいか、どうにも身体がだるくて頭が重くてぼーっとしている。それでも今日久し振りにジムに行って運動したら、ずいぶんましになった。エアロバイクを漕ぐだけでは足りないらしい。
 昨日書いた天草四郎の十字架の件はやはりどうも虚構臭いのだが、「金田一少年の事件簿」に出てきた暗号の秘められたクルスというのは実在するらしく、いや、小説に使うわけじゃないんだから、あんまり深入りするつもりはないんだけどね。
 またペーパーのお手紙が数通。ショートストーリーは「お花見に行こう」という話なんで(本編のラストに対応しているわけです)、そろそろ季節はずれだなー、という気がしてきている。コピーなんで作ることは出来るから、別にいいといえばいいんだけど、そろそろ終わりにさせてもらおうかと思ってます。
 9月には初めて「龍」のペーパーを作るつもり。主人公のプライバシーを公表するのはたぶん作品にはそぐわないので、ここはやはり彼の出番でしょう。「フラ・セバスティアーノにずばりお尋ねします」というような企画はいかがでしょうか。彼に聞きたいことがあったらお手紙で篠田宛よろしく。講談社のアドレスでオッケーです。どこまで答えてくれるかはわかりませんが・・・

2005.06.13

 急な暑さと週末の疲労残りでほぼ沈没。午後は寝椅子で爆睡してしまう。
 教文館の買い物が来たが、秀吉の指に関する叙述は4巻か5巻でないと載っていないことが判明。信長編と銘打たれた1〜3巻までしか買わなかったのだ。といっても途中から読み出すのもどうかと思うし、まあぼちぼち旅行のときにでも持ち歩こうというわけで、4.5巻をアマゾンで注文。ついでに他の本も頼んでしまったりして。
 いまちょっと気になっていること。堀田善衛が島原一揆を描いた小説『海鳴りの底から』を再読したとき、元の有馬藩士である男が原城に黄金のクルスを持って現れる、というくだりがある。これはローマ教皇が天正少年使節に託してキリシタン大名の有馬(あっ、名前を忘れた)に贈った純金製の品で、天草四郎の胸にかけられ、その後1951年まで発見されなかった、とさらっと書いてある。だもんだから「ほーっ、じゃあそれはどこか天草の博物館にでも展示されているんだね」と思ったのだが、こないだ読んだ『クアトロ・ラガッツィ』にはもちろん、他の本には全然出てこない。つまり小説家の虚構だったのだろうか。それにしてはなんのフォローもないんだけど・・・ なんか細かいことが気になる性格だもので、気になって仕方がない。

2005.06.12

 6/11 午前中銀座の教文館に「レクイエム・ハンドブック」を買いに行く。「龍」のノベルスに出てくるレクイエムに、やはり仮名を振った方がいいかも知れないと思い、それなら間違えないようにちゃんと文献で確認しようと思ったのである(実をいうと『アベラシオン』では一部間違いがあります。反省)。しかし案の定それでは済まず、フロイスの『日本史』(文庫で訳が出ていたのを知らず原文に当たらなかった怠慢を、これまた反省)やら、キリシタン双書の高い文献やらどおっと買ってしまい、時間切れでデパートでやっていた友人の手織り布の展示には行けず。すまぬ。
 飯田橋にとって返しエドモントにチェックインしようとしたが、時間が早すぎて荷物を預けることしか出来ず、パーティ用に用意した服もアクセサリも全部そのままにして日本出版文化会館へ。まあいいや、予想以上に蒸し暑いし。1時から執行会議で打合せ。3時から本格ミステリ作家クラブの総会。あまりに波乱がないので、眠気をこらえている人あちこちにあり。やはりもうちょっと盛り上がりが欲しいのだが、どうすれば総会ってのは盛り上がるんだろうか。5時から授賞式とパーティ。そのへんのレポートはどなたか作家さんのサイトでも探して下さい。7時半から二次会。9時半から三次会。

 6/12 光原さんと待ち合わせて吉祥寺へ。東京創元社の元編集長で私もデビュー時にお世話になった戸川さんが、TRICK+TRAPというミステリ専門書店で店番をしておられる、そこを有栖川有栖さんご夫妻も含めてお訪ねする。こじんまりとした空間にはミステリがみっしりと詰まって実に良い感じ。しかもそこのサイトには作家の来店予定が書き込まれているので、それを目当てに来られる読者は大喜び、というわけで、明治大学ミステリ研のお嬢さん方を始め何人もの読者さんとお目にかかる。
 しかし「小学校の時から講談社ミステリで育ちました」「最初は『十角館』です。でも文庫でした」といわれると、改めて流れた歳月の大きさに愕然。もうじき読者が娘達ではなく、孫達になるのだなあ・・・
 東京近辺でミステリの好きな方、サイン本も売られることがままあるようで(篠田もたくさんサインしました)、それ以外にも珍しい本は多く、行く価値は大いにあると思います。所在地や営業時間に関しては、ヤフーあたりで検索してみてください。地方の作家さんなら、出席しそうな文学賞パーティの頃にチェックするとよいかも。だけど店番さんがひとりしかいないお店なので、店の予定を確認してから行かれるのがベターです。

2005.06.10

 「館を行く」第9回を書き上げ送稿。やれやれと肩の荷を下ろして写真を整理し始める。篠田は基本的に写真は、A4のスクラップブックに貼る。構図なんかをいろいろ考えて貼るのが結構楽しいのだ。そしてこういうことはまだ気分がホットなときにするに限る。時期を逃すと手を付けられないまま、写真はただの山と化す。しかしエアロバイクをさぼったのに、最後まで終わらなかった。帰り際に地方税の納付書を見て気分が悪くなる。労働意欲を削ぐことはなはだしい。

 明日は本格ミステリ作家クラブの総会と授賞式なので、日記はお休み。来週はずっと仕事場に真面目に出勤の予定。

2005.06.09

 長崎県五島から昨日無事帰着。羽田から長崎へ一時間半、さらに福江島へ30分足らずだから、乗り継ぎの時間を別にすればそんなに時間がかかるわけではないが、心理的な遠さというのはなんとも。しかしその内容については「館を行く」を書き出しているので、いまここでは書かない。しかし、なんだって長崎の食べ物はああ甘いのだろう。醤油だけでなく味噌も甘い。佃煮もたくわんも絶句するほど甘いのだ。ああ、ここには住めない・・・
 そんなわけで疲労残りで、すぐさま仕事に取りかかる元気がなくて、白神こだま酵母にくるみとありあわせのナツメヤシをいれてパンを焼く。パン生地をぐいぐいこねているのは、気分転換になって良いのだ。
 それからやっとこさっとこ原稿を書き出す。この調子なら多分、明日には書き上げられるだろう。

2005.06.05

 今日もたらたらと、エアロバイク1時間漕いだ他はプロットやっていただけ。もらいもののミステリも1冊読んだのだが、いまいち肌に合わなかったというか、おもしろがり方のポイントがよくわからなかったもので、書名は書かない。こちらの頭のせいかもしれないし。相変わらず脳内は魑魅魍魎どもに占拠されていて、主要人物だけで十数名の集団ドラマじみてきてしまい、おまけにすったもんだの超能力戦みたいなもんで、「うわあ、すげえ苦手なもの書いてるぞ、篠田」と思いつつ、だってそういう話なんだからしゃあないじゃん、とにかくローマ編が完結するまでは、という状態です。
 バックミュージックはあいかわらずグレゴリアン・チャントというわけで、久し振りにバッハかけたらえらいモダンな気がした。いよいよアナクロに拍車がかかってますな。しかし今日気が付いたんだけど、頭の中でセバスティアーノのことを思い浮かべるとき、なんかヘアスタイルがトンスラになっているような。キリスト教の坊さんや修道士は、昔はトンスラといいまして、脳天部分だけ剃っていたんでありますね。『薔薇の名前』など見ますと、いたいけなといいたいような見習い修道士のクリスチャン・スレーターが、しっかり脳天に毛がない状態で、あれはなかなか珍なもの。かつらなんか使わせなかったよ、と監督が豪語していたから、しっかり剃られたんだね。前から見るとただの短髪だけど、後ろから見るとカッパ以外の何物でもないというわけです。セバ君は美形でないので、別段カッパでもいいんだけどさ。
 あと資料としては青池保子さんの『修道士ファルコ』という、坊さんだらけの中世活劇マンガがあります。このへんでビジュアルを入れて、ミステリの「修道士カドフェル」シリーズなんか読んでいただくのはお勧め。あっ、いまはDVD出てるのかな、イギリスのテレビシリーズ。

 明日から二泊三日「館を行く」の取材です。戻りは水曜の夜なんで、たぶん日記の更新は木曜になると思われ。

2005.06.04

 今日は一日のんびりと、旅行用の荷物を詰めて、資料をコピーして、あとはエアロバイクを漕いで風呂に入って髪を染める。湯に浸かっていたらトリノ編のクライマックスの絵が浮かんできた。小説書きというのはヤク中にも似ておるな。
 ところで以前イタリアで出るアンソロジーに短編が載ったという事を書いたけど、そのアンソロの次が企画されているそうで、そこにも短編を入れて貰えることになった。そういうつもりで送ったのではなく、「いまはどんな仕事をしているんですか」と翻訳担当のイタリア人作家マッシモ・スマレ氏に聞かれたので、「こういう話なんですよー」と送った短編。プレ「龍」ともいうべき、昔小説ジュネに載せてもらった、イエスの血を吸った吸血鬼の話である。まじめなカトリックの人に、罰当たりと怒られたらどうしようといったら、マッシモ氏「だいじょうぶですよ、いま罰当たりっていわれているのは『ダヴィンチ・コード』です」だって。やっぱり怒る人いるんじゃん・・・
 でも「イエス、あなたを愛している」なんてせりふがイタリア語になるのね、と思ったらかなり作者としては萌え、です。

2005.06.03

 『桜闇』の手直し一応終了。巻末の作品年表には2005年現在の全作品を記入し、作品解説も一部書き改めた。ちょっと根を詰めてやりすぎたせいか、右腕がだるいので後は少しだらだらとして、コーヒーを飲みながら「龍」トリノ編のプロットを考える。
 月曜日から「館を行く」の取材なので、荷物を詰めたり持っていく資料を用意したりしないとならん。

2005.06.02

 雨もよいだが電車に乗って横浜へ。神奈川近代文学館の「三島由紀夫ドラマティックヒストリー展」を見に行った。彼の生涯を丁寧になぞっていく展示で、文学者が時代のスタアであり得たのはこのころまでだったなあといまさらのように思う。現代はどれだけ売れる人でも、どれだけ有名な人でも、小説家は小説家でスタアじゃないものね。というか、昔のような意味での「スタア」なんてものは絶滅してます。
 篠田は三島の小説は「豊饒の海」4部作と後少しくらいしか読んでいないんだが、いずれ落ち着いて他のものも読んでみたいなと思った。小説の文体というものを考えるとき、念頭に浮かぶのは三島と開口健。真似できるものじゃないのは百も承知で、でも少なくとも文体に無神経ではありたくないと思う。小説を読むことは文章を読むことで、話が面白ければ文章なんてどうでもいいというのは、料理には栄養さえあれば後はどうでもいいというのに等しいと。
 中華街でランチを食べて、少しだけ食材を買って帰宅。一時間ほど『桜闇』の改稿を進める。
 読了本『館島』 東川篤哉 東京創元社 けっこう面白かった。この人のユーモアは平俗ではあっても下品ではない。館もののでっかいトリックというのは、ユーモアの衣を着せるのにふさわしいと改めて思う。ただまあ、道行きはちょっと退屈。

2005.06.01

 歯医者。麻酔が切れなくて往生する。朝の10時過ぎに打たれたのが、4時頃になってもまだ痺れている、というわけで昼飯食い損ねる。仕事は『桜闇』の直しを黙々と続ける。明日は出かけるので仕事は休みだ。ほっ。