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2005.03.31

 書き下ろしを見せた東京創元社の担当から、OKのメール。やれやれ。自分の作品というのは本当に、ちゃんと書けているか、狙いが成功しているか、全然わからない。今回のようにかなり頭で考えて作った小説のときは特にそうだったりする。自己陶酔がない分、書くのもしんどいばかりで。他の同業者様はその点どうなんだろう。

 と言うわけで今日は安心してDVDを見たのだが、特典映像ってなぜか見るのに時間がかかるんだよねえ。「王の帰還」の1枚めをほとんど意地で完全視聴。篠田は馬が好きなので、「ロード・オブ・ザ・リングの馬たち」なんて嬉しかった。アラゴルン役のヴィゴが馬の手入れをしているところとか、役者さんが乗馬の訓練をしているところとか。レゴラスは自分の白馬をなでなでしてキスを降らしてましたな。しかし馬の顔というのはでかいんで、なで甲斐があるんですよ。手触りも良いし、特にお口のあたりが柔らかくて良い感じ。ついさわりたくなる。下手すると噛まれますが。
 それだけで夕方になってしまい、残りはまたの機会。しかし借り物のレスタト第二作は返したいので見てしまう。うーん・・・ どうしてもトム・クルーズのレスタトのイメージが強すぎて、新しい俳優さん、どうにも顔つきが下品だ。アカシャ役の女性、確かこの後死んじゃったんだよね、はなかなかセクシーでしたが、シナリオがあまりに刈り込まれすぎているもんだから、やけにあっけない印象ばかり強くて。あとはレスタトのコンサート・シーンだけやたらと念入りに描かれてる。100分じゃ無理だよね、どうしたって。

 さて、明日から『紅薔薇伝綺』の直しだ。あ、でもその前に『薔薇の名前』のDVDを見ようかと思っていたんだけど・・・

2005.03.30

 決定稿にする前に見せて欲しいと担当からいわれたので、書き下ろしをメール送稿。しかし100枚弱の短編を書くのに一週間以上かかっているんじゃあしょうがねえな、と舌打ちしたくなる。
 でもまあ予定の時間内に終わったからいいや、というわけで夕方は途中になっていた「王の帰還」の特典映像を見る。でもまだティスクは一枚目だもんね。明日はDVD見てお休みします。

 しかし桜がそろそろというのに、なんだかやけに寒くないですか。うちの方は杉花粉は飛んでも花はまだまだつぼみが固いです。4月目前だっちゅーに。

2005.03.28

 92枚で一応ラスト。しばし虚脱するが夜になって赤入れを始める。一応今月中はこれをやる予定なんで、あと三日、書き直しをしよう。

 明日は同居人の都合で戻りが遅くなるので、仕事場で残業することにして日記の更新はお休み。

2005.03.27

 昼間は暖かいが夜は冷える。仕事場近くの公園は「さくらまつり」で夜店もぼんぼりも出ているのに花はちらとも咲かずである。今日はやっと83枚。明日ラストまで行くか。なんかけっこう手間どっとるなあ。
 『魔獣狩り』はいきなりオープニングからエロスとバイオレンス、濃厚とんこつしょうゆに焼き豚厚切り大盛りって感じで、この歳になるとちょっとついてけない。サイコダイバーの部分だけ読んだが説明はわりとあっさりで、しかしアウトドア派の作家らしく、他人の精神に入って病気の治療をすることを、「山に入って目当ての獣を狩る」ことに喩えている。特徴的なのはクライアントの方もそれなりに苦痛を味わう、という設定。『パプリカ』だとセラピストとクライアントの関係にしばしば起こる精神固着の連想からか、むしろ肉体接触のないセックスに近い深い快感がある、ということになっている。『ユグノーの呪い』の場合、なにしろダイバー(ここでは記憶療法士という名称)がもぐるのは一度パソコンに移植されたヴァーチャル空間だから、そういうふうな治療するものとされるものとの濃密な関係は最初から捨象されている。療法士は武器や武術で記憶空間に現れる敵と戦うんだけど、それもどこまでもヴァーチャルな戦いなわけで、結局ゲームのそれとなんら差異はない印象。しかしこういう方が好きだ、と思う人は当然いるだろう。まっ、時代だね。

 通販のパネトーネ主体天然酵母を使ってパンを焼いた。昨日から元種を仕込んで、強力粉が足りなかったので地粉を四分の一使って、パン焼き機から生地を途中で出して整形発酵はオーブンで。わりとうまくいったみたい。機械にまかせると角が丸いパンになっちゃう上に、羽根の穴が開くからそれがイマイチなんだよね。って、わかんない人にはごめんなさい。

2005.03.26

 3月も下旬だというのに妙に寒いよな、今年は、と思うのは気のせいか。がんばったつもりでも61枚。それというのも『パプリカ』現在新潮文庫で読めます、を読んでしまったからだ。女性誌に連載されていた小説のためか、ヒロインがやたらと理想化されているのがちょっと笑えるのだが、小説のパワーは実にもって圧倒的で、サイコセラピストのヒロインがクライアントの夢を探るシーンが強く印象に残っていたのだが、作品全体では新発明のセラピー機械をめぐって研究所内での陰謀と内紛が渦巻いて、夢と夢が入り交じり、悪夢が現実を侵犯するすさまじい状況が出現する。どう考えても荒唐無稽なシチュエーションをぐいぐいと読ませてしまう筒井の筆力はそりゃもう圧倒的である。
 『ユグノーの呪い』はサイコダイブするにあたっての方法を、クライアントの無意識を一度コンピュータに移植してとか、ダイバーの身体能力や携えていく武器のこととか、細かに設定しているのだが、気の毒にそういうことをやればやるほど物語はリアルから遠ざかりパソコンゲームの似姿になってしまう。無意識のより深いところまで下降していくというのも、ゲームのステージをクリアしていくようにしか読めない。
 それじゃパソゲー以前の『魔獣狩り』はどうかしら、というわけで昨年ノンノベルから合本が刊行されたのがあるんだけど、これ全部読んだら仕事に絶対差し障るんで、サイコダイブの部分だけでも明日拾い読みすることにします。

 尼崎のMさん、お便り届きました。目の病気お大事に。篠田も早く新しい眼鏡を作らないとなあ。

2005.03.25

 書き下ろし、今日で44枚。この調子ならなんとか3月中に書き終えられるかもしれない。しかし近所に買い物に出たので、エアロバイクをさぼってしまった。

 読了本『ユグノーの呪い』 光文社 つまらなくはないが要するにサイコダイバーの話。それじゃあ元祖の夢枕獏よりも面白いかといわれると、うーん? フロイドっぽさを加味しているのが獏先生と違うというなら、筒井康隆先生の『パプリカ』という大傑作がある。待てよ、それじゃもう一度『パプリカ』を読んでみようというわけで、本屋で買ってきた。
 しかしメディチ家の直系はとっくに断絶しているんだけどな。そもそもトスカナ大公国を治めていたメディチも傍系で、カトリーヌとの血のつながりはそんなに濃くない。聖バルテルミーの虐殺がメディチの子孫のトラウマになると言う根本の設定自体がリアリティに欠けすぎていると思う。それから固有名詞だけど、フランス語読みならカトリーヌ・ド・メディシス、イタリア語読みならカタリナ・デ・メディチ。いくら桐生操の読み物本が『カトリーヌ・ド・メディチ』なんてインチキな名前を使っていたからって、それくらい校閲でチェックしろよ、と思うのは篠田がイタリア好き人間だからか。
 それ以外にも納得できない点が散見された。こういう空想的な物語ほど、設定は矛盾がないように、ウソに混ぜるマコトの純度は高く心がけないと、砂上の楼閣にしかならないよ。

2005.03.24

 書き下ろし、今日で28枚。果たして100枚で終わるのか、例によって確信が持てない。単行本書き下ろしでなんで枚数を気にするかというと、後ろに広告が入るのが嫌だから、なんだけどね。他社の単行本はそんなに広告入らないのに、なぜか東京創元社は何頁も入るでしょ。16頁単位だからっていうんだけど。

 読了本『インディゴの夜』加藤実秋 東京創元社 去年の短編賞受賞者 最初に読んだときから達者だな、と感心した。ただこないだの『れんげ野原』のときも思ったことだが、この人も、果たしてミステリを書きたいのか、ミステリを書くことが本人の資質にマッチしているのかと考えると、いささか疑問を感じてしまうのだ。これなんかどっちかというと、小説すばるあたりに載る方がふさわしい感じがする。東京創元社の叢書だというと、どうしても読者は「ミステリが読みたい」と思う人が「ミステリだ」と思って買うだろうし、ミステリは嫌いという人は最初から手を出さないと思うんだよね。その結果、創元のお客には「ミステリとして物足りない」と思われてしまい、こういう都会的で若者風俗たっぷりのサスペンスを喜んで読みそうな読者の手には届きにくい、という結果になってしまうんじゃあ・・・
 どうすればいいか。そりゃあもっとふさわしい媒体の編集者が、彼女を見出して仕事を依頼すればいいんですよ。

2005.03.23

 ようやく書き下ろしを書き出す。目が悪くなっていて眼鏡が合わず、あんまり長時間仕事が出来ない。というわけで今日は10枚書いてギブアップ。これなら眼鏡無しで、ディスプレイに顔を近づけてやった方がましかも知れない。

 ノンノベルの発売は8/31くらいになるそうです。いままでずっと8月8月と思っていたのだが、実質9月というわけ。ややこしいね。

 疲れ目であまりパソコンに向かっていられないのでつい本に逃げてしまう。
 読了本『遥かなる時空の中で 花がたみ』近藤史恵 コーエイ 元ネタのゲームは知らないしなあというわけで、いただいておきながらなかなか手が伸びなかったのだが、びっくりした、これってミステリです。さすが近藤さん。それが意外だった分よけいに驚かせて貰えた。
 『新・世界の七不思議』 鯨統一郎 創元推理文庫 中ではストーンヘンジの謎を扱った第二話が一番好き。それにしても静香という女性は非常に頭の良い人だという設定なのだが、なんで宮田に対してはズベ公のような下品な口をきくのだろう。愛故の屈折というにしても度が過ぎていて聞き苦しい。

2005.03.22

 頭を切り換えて創元の書き下ろしに入る。わりと正統派の怪談風の作りにして、ただしラストは幻想の方に振れる予定。ページ数をきっちり合わせないとならないので、今回はある程度プロットを組んでから書き出すことにする。

 小説ノンの4月号届く。これにて『紅薔薇伝綺』連載修了。ノベルスは8月だと聞いていたが、雑誌の広告は9月になっている。あれれのれ。明日確認します。

 友人の翻訳家柿沼瑛子さんから「おもしろいのよ」と借りた高木彬光『わが一高時代の犯罪』を読む。雰囲気が『摩利と新吾』か『どくとるマンボウ青春記』かって感じ。ワトソンの松下君鈍すぎだし、ミステリとしてはトリックがしょぼすぎるけど、まあ楽しめますね。冒頭の 追憶とは美しいものである。 は、思わず「ぷふ」だけど。しっかし神津恭介って美青年だったんだなあ、といまさらのように思いました。そして恭介と京介はまったくの偶然です。意識していたわけではなく。

2005.03.21

 今日は暖かく晴れたがどうも心身共にしゃっきりしない状態のままで、のったらのったらしている。泡坂妻夫の『奇術探偵曾我佳城全集』文庫版を入手したのでだらだらと読む。泡坂さんの長編『乱れからくり』は篠田のミステリ・オールタイムベストの5番目までに必ずはいる作品だが、短編に関してはいまいちだなと思いつつだらだら。
 午後からは教文館で買った本が届いたので早速『隠れキリシタンの聖画』を読み出す。禁教時代に書かれたらしい「天地始之事」が全文掲載されていて、旧約の創世記ちょっぴりに新約の福音書をミックスして記憶で再生したらしいもの。キリスト教の教義が日本化されていたり仏教化されていたり、ラテン語が仮名文字化されていたり、書いた人のことを考えれば面白いなどといったら罰が当たりそうだが、面白く読めることは間違いない。処女マリアが「びるぜん丸や」virgin Mariaのことです。Santissima もっとも聖なる という意味のラテン語が「三ち島」という地名になっていたりする。
 で、そういうのが小説に直接関係あるのかもといわれると、うーん、あるようになるかならないかは全然まだわからん。関係なくてもついつい調べものに淫するのがサガなんだもん、しかたないじゃん。でもそろそろ、目前の仕事じゃないことはまとめて後に回さないとなあ。

2005.03.20

 朝方目が覚めてしまったので、一日ぼやっとしている。本当は3月の後半は東京創元社の短編集用書き下ろしをやる予定だったのだが、担当編集者がなにもいってこないのでなんとなくモチベーションが下がってしまい、次のジャーロのために考えていた長崎県の島を舞台にした長編のプロットを考えつつ、長崎のガイドブックなどを眺めてルートを考える。平戸のあたりというのはけっこう不便で行くのが大変なのだ。いろいろ考えたが、結局長崎空港からレンタカーで上がるのが一番早いようだ。
 実をいうと平戸のあたりを舞台に、というのは次の建築探偵にも繋がっている。建築探偵の作中時間は次回2002年春からだが、ジャーロの方は1980年頃の近過去の予定で、いわば建築探偵の前日の話になる。といっても京介たちが登場するわけではなく、舞台と関係者に多少ダブル分がある、というだけのことなのだが、なんでそんなことになるかというとせっかく設定した舞台を一度きりで終わらせてしまうのはつまらないなあ、というけちくさい考えがあるからだ。まあ、ミステリ的に関連を付けるわけではない。その分取材が厚くできるな、というのはある。今回のベトナムはかなりせわしなかったから。
 しかし今年はかなりゆっくりスケジュールを組んで、依頼の来ないミステリでも書いてしまおうかなどと思っていたのに、いざ光文社さんと会うと「次はいつ」といわれて口ごもってしまうのは、建築探偵を完結させるまでは本当の意味の気持ちの余裕なんてないんだなあということをいまさらのように感じるからだ。徐々に強くなってきていたプレッシャーは、第三部を開始してからいよいよ重い。といってもこれは誰のせいでもなく、いうなれば自分の気のせいで、もうひとつは桜井京介の呪いでありましょう。あの男が、作者だけ安穏としていることを赦すわけがないんである。ああ、どうしてあんなにめんどくさいキャラが出来てしまったんでしょうね。この先は絶対に、もっと脳天気でお気楽な主人公にしますから。

2005.03.19

 久し振りに週末の東京に出た。といっても直通の地下鉄でまっすぐ銀座に着いて、キリスト教書籍を扱っている書店で買い物。長崎の教会の写真集やカクレキリシタンの納戸神の写真集など、かなり濃い文献を手に入れて、送ってもらえるのにほっとして、プランタンの地下で夕飯用のパンとお土産のケーキを買って姉のところへ。というわけで本日はほぼ全休です。

2005.03.18

 野間さん解説を書き上げて送稿。光文社カッパノベルスの担当さんと会って『すべてのものをひとつの夜が待つ』のフロッピーとプリントアウトを渡す。編集長から「早く次を」といっていただいて、嬉しいが申し訳ない。なにしろ来年再来年は、「建築探偵」と「龍」がどちらも山場を迎えるわけで、そうすぐはいはいと請け合うわけにはいかない。しかし書きたい話はすでにある程度浮かんできているので、さわりのあたりをお話しして「ゆっくりふくらませた方が絶対面白くなります」とお答えしておく。
 読了本 『遺品』若竹七海 角川ホラー文庫 館もののホラーらしいというので、アマゾンで取り寄せた。この館のモデルは明らかに、すでにつぶれた石川県の某ホテルに違いない。綾辻さんの『鳴風荘事件』テレビ化のときのロケ場所だ。引き入れられて面白くあっという間に読了したが、怖くはない。なにせヒロインが元気が良すぎるのだ。恐怖ではなくパニック小説、だがヒロインは断固として戦ってしまうので、ホラーにはならない。どうすればホラーになるかの、反面教師的な部分はあったな。

2005.03.17

 今日はまた寒い。野間さんの解説を夜までかかって一応書き上げたが、いまひとつ論旨が明快でない気がするので明日さらに書き直すことにする。

 読者様からお便り2通。上記解説文が完成したら返事を書きます、松戸のOさん、滋賀県のIさん。それから料金不足のお便りは開封せずに返送しますので、悪しからずご了承下さい。会社を通さずに直に届いたということは、これまで何度もお便りのやりとりをさせてもらっている方ということなのだけれど、けじめとしてそうさせてもらいます。親しき仲にも礼儀ありっていうでしょ。差し出し人住所氏名を明記することなんかとともに、料金確認も手紙の礼儀の基本ね。注意しましょう。

2005.03.15

 野間さんのまんがを読み直していたら終わらなくて夜になってしまった。読み口がいいもんで後引き豆みたいに終わらなくなるんです〜 夜になってやっと下書きを始めた。

 NHK−BSで「熱中時間」という番組があって、そこに登場する建築家がミステリに出てくる建物を図面に起こすのが趣味だとかで、十角館やなんかといっしょに『玄い女神』の恒河館を取り上げるという話が来た。この建築家さんのホームページに行くと図面が見られます。「天工舎」とヤフーで打つと行けます。

 読了本『雨恋』松尾由美 新潮社 『幽霊刑事』みたいなせつない系ミステリ。しかし帯にはラブストーリーとしか書いてないので、読まないところだった。ミステリと書くよりラブストーリーと書いた方が売れるってか。ちょっといやだね、そう思うと。

 明日は友人の所に遊びに行くので日記はお休み。

2005.03.14

 仕事がひとつ終わったので、いただきものの本を読み、お礼の手紙を書く。読者の方にも2通ばかり書く。封筒に自分の住所氏名を書いていない人がいた。建前では読まないことになっています、こういう封筒は。だから返事も出せません。手紙に関する常識はいまや日本社会から消滅しつつあるようですが、知識が無くとも想像力があれば、してはいけないことは自ずと解るはずです。あなたなら、誰から送られたのかわからない封筒を平気で開けますか?
 午後、野間美由紀さんの白泉社文庫の解説依頼。神谷悠さんのときとは違う編集プロダクションだが、同じ文庫から立て続けにとは面白い。というわけで「パズルゲームハイスクール」文庫版を取り出して再読を始めてしまう。野間さんのミステリマンガは後引きだ。次々と読みたくなる。それというのも余分な情緒を抑制したクールな語り口だからでしょうね。いうなれば辛口の白ワインかマティーニか。

 読了本『夜夢』 柴田よしき 祥伝社四六判 柴田さんのホラーは篠田にはマジ怖い。女の生理から来る恐怖が描かれているからだろうと思う。篠田はいわゆる女性性をかなり大きく欠落させている人間なので、そのへんに根ざした恐怖や異常心理は『異物』的に怖いのである。たぶんこの作品集を読んで、男の人は「怖い」女の人は「この感じわかるわ」というんじゃなかろうか。

2005.03.13

 夜までかかって『すべてのものを〜』の直しを完了。

 読了本『レンゲ野原のまんなかで』森谷明子 東京創元社 たぶんこの作者は、いわゆるミステリを書くことにはあんまり興味がないんだろうと思う。他の部分は明快なのに、ミステリに関わる部分だけ微妙にフォーカスがずれているような曖昧さ、ぼけ感が終始つきまとう。無理にミステリにしない方が、いい小説を書ける人なんではないだろうか。若い女性向けの恋愛小説とか、そういったものを。これは決して否定的な意味合いではない。篠田には恋愛小説なんて逆立ちしたって書けないんである。

2005.03.12

 午前中暖かく、しかし午後から雲が出てきて気温が下がってくる。どうも安定しないお天気です。『すべてのものをひとつの夜が待つ』直しを続行中。
 エアロバイクを一時間漕いで、その間に本格ミステリ作家クラブの評論賞候補『子不語の夢』を読む。大正から昭和、日本のミステリ勃興期に江戸川乱歩と小酒井不木が交わした往復書簡集だが、これが無類に面白い。賞の候補にならなけりゃ読まなかったろうからもうけた気分。ただし普通の読者にはCD-ROMは要らない。値段が高すぎる。

 「王の帰還」SEEの話を書こうかと思ったが、前に書いたこととだぶってしまいそうだ。大画面で印象が強かったのは、ローハンの騎士たちの騎馬の勇姿がえりゃあかっこよく見えたこと。ひかわさんは幻獣萌えの方で「ナズクルがあ〜」とひたすら感動しておられたが、篠田は馬です。馬萌えです。ためらっていたセオデン王がミナス・ティリス援護を決意して、辺境国の騎士たちに招集をかける。彼らの装備はゴンドールの戦士たちのそれより明らかに野性的で、でもこっちの方がかっこいい。そういう、国によっての文化の差異までがきっちり描写されているところは、さすがおたくだぜPJ。
 SEEの追加場面では、倒されたサルマンの足のアップに引っかかる他はあの場面はおおむね満足。他では思ったより少なかった療病院のシーンだけど、ファラミア君もお株が上昇してまあ良かったね。意外と好きなのが体育会系のエオメル君で、倒れていた妹を見つけて手放しで号泣するところが可愛い。しかしあなた、亡くなられたセオデン王にもちゃんと敬意を払いなさい。
 ああ、でも映画しか見ないみなさん。やっぱり『指輪』の原作を手にとってもらいたいのです。旅の仲間達の最後までちゃんと設定された追補編だけでいいから、映画から落とされたその部分を読んでおいてくれといいたいくらいです。メリ・ピピは晩年ふたりでまた旅に出て、ローハンでしばらくエオメル王と暮らして、彼が亡くなるとゴンドールに行って、最後はアラゴルンと同じ墓所に葬られるのです。サムはホビット庄のマスターを何期も務めた上で、妻のロージーが亡くなるとあの書き継がれた本を娘のエアノールに渡して、灰色港からフロドの後を追って海を渡る。アラゴルンが逝った後でレゴラスはギムリと、これも海を渡っていくのです。ギムリはガラドリエル様と再会するために。篠田にとって、そこまで含めての『指輪』なのですよ。

2005.03.11

 雨が降って肌寒い。こういう日は眠いのだ。一時間エアロバイクを漕いで、あとはたらたらと仕事。『すべてのものをひとつの夜が待つ』の仕上げにかかる。

 神谷悠さんのミステリマンガ迷宮シリーズの文庫解説が刊行。『風迷宮・聖迷宮』です。篠田の名探偵論でもあります。我が田に水を引いております。

 昨日ひかわ玲子さんからご教授いただいたこと。トールキンと『ナルニア国物語』の著者C.S.ルイスがオクスフォードの同僚で友人だったことは有名だが、人当たりの悪いトールキンに対してルイスは性格も良く誰からも好かれた。どうやらトールキンは『ナルニア』で文名を高くしたルイスがうらやましくて、『ホビットの冒険』を書き『指輪』を書いたらしい。だがルイスはわりと早死にで、『指輪』刊行の前に没してしまった。友を見返してやりたいというトールキンの野心は空しくなったのだ。
 ところで教授時代のトールキンはなかなかの美老人。貴族的、といいたいような近寄りがたい雰囲気がある。彼自身の出身階級は中の下あたりで、オクスフォードの教授になるというのはかなり頑張って社会的地位を上昇したとはいえるわけだが、(だからこそ過剰に貴族的に見えるのかもしれないが)それはともかく、するとサルーマン様はトールキンの自己像を投影したキャラではないか、という気がしてきた。当然誰からも愛され、勤勉なルイスはガンダルフ。そう考えると、なんか萌えない?
 もう少しまともな話も書いておこう。原作『指輪』と映画の間には意図的な変更が数多くあるが、物語の中心に位置するひとつにはアラゴルンの性格的改変があるだろう。原作のアラゴルンはどこまでも、いずれ王たるべく雌伏の時を過ごしている英雄で、自分がやがてゴンドールの王座につくことに疑問を抱いてはいない。その根拠は、彼が王の血を嗣いでいるからというに尽きる。だが映画のアラゴルンは迷っている。祖先であるイシルデュアは指輪を葬るべきときに葬れず、現在の苦難を招いた元凶だからだ。彼にとってイシルデュアの血は、「正しい王の血」以上に「王であるにもかかわらず人間的な弱さを抜けられなかった罪人の血」なのだ。
 そんな彼が恋人アルウェンに尻を叩かれ、死にゆくボロミアに後事を託されて、大きすぎる責任を引き受ける覚悟をつける物語。それが映画版だ。確かに現代の我々から見れば「王様ってきっとすごく大変」だし、「血筋が正しくても能力と責任感がない人じゃダメじゃん」だし、原作の迷い無くまっすぐ進むアラゴルンでは感情移入出来ないってことはあるだろう。そのまんま描かれたら平板な人物にしか見えなかったかも。で、英雄譚の主役にしては優柔不断すぎる現代人アラゴルンを動かすと言う役目が、ボロミアに与えられた分、彼のキャラも原作よりいいやつになった、ということなんだねー。
 しかし戴冠の直後、国民に向かって振り向く直前に「ふう」とひとつため息をついたアラゴルン。きっと「あーあ、これからも楽じゃないよな。めでたしめでたしじゃ済まないよなあ」と思ったんだろうな。そういう描き方が篠田は好きです。『指輪』の現代的解釈として、良かったんじゃないかと思います。トールキンが見たらきっと、山ほど文句があるだろうけど。
 指輪話は明日も書くかも。

2005.03.09

 朝から掃除機とクイックルでフローリングの掃除。人間というのは生きているだけで大量の抜け毛をまき散らすものだな、といまさらのように呆れる。ミステリで犯人が自分の痕跡を消そうと掃除機をかけたりするけど、鑑識がその気になったら髪の毛一本見つからないということはまずないだろうな。だったら最初から全身を脱毛して、頭も剃って犯行をするとか。などとしょーもないことを考えつつ。そういえば昔読んだミステリで、抜け毛が一本も見つからなかったことから、登場人物がかつらをつけていたことを推理する、という展開があったっけ。
 講談社の担当にゲラと表紙写真を渡して、一応『胡蝶の鏡』は手を離れた。明日はひかわさんと濃ゆい指輪話が出来るだろうとわくわく。本棚からひかわさんのファンタジー『銀色のシャヌーン』のシリーズと、『闇の守り』を取り出す。今夜はこれを楽しもうっと。そんなわけでもしかしたら明日の日記はお休み。

2005.03.08

 今日は一日『胡蝶の鏡』の再校ゲラを読み直し、鉛筆の指摘の他にさらに十数カ所の手直しをする。大半はほんの些細な直しで、形容詞がだぶっている、というようなのが多い。つまりたとえば「少し」という形容詞が、一行置いてふたつ近くにある、というような問題。勢いで書いた文章というのはしばしばこういうことが起きて、最初は気が付けないのだが、後で読み直すとどうにも気になってきてしまう。たいしたことではない、ともいえるが、やはりそういうのが頻出するとあんまり頭の良さそうな文章に見えない。もともと頭の良さそうな文章じゃないって?
 明日は担当にこのゲラと表紙写真を取りに来てもらうというわけで、夕方になってからごそごそ仕事場の片づけ。一日過ごすリビングは12畳あるので、さすがにそう簡単に足の踏み場もないということにはならないのだが、たまには人が来てくれないと掃除も片づけもしないので、当然見苦しいことになる。
 木曜日はひかわ玲子さんと映画を見に行くお約束が出来た。るんるん。「王の帰還」を見て指輪を熱く語るのじゃーっ。

2005.03.07

 菊地秀行先生の五月の新刊『夜怪公子』ノンノベルに推薦文を書く。吸血鬼物なんであります。ゲラを読ませてもらったが、実はまだ完結していない。それをこれから完結させて五月に本にしてしまおうというのだから、担当編集者Y君はしばし綱渡りの危ない日々が続くのでありましょう。無事でいてくれよ。
 その後建築探偵の再校ゲラを読み出す。なおも未練がましく文章を直す。まったくもって篠田は未練がましいんであります。これが終わったらカッパノベルスの原稿をチェックして入稿して、それからやっと短編集用書き下ろし中編に取りかかれる。まあ、時間は充分にあるんだけどね。つい長編は入稿するとそれで終わった気になってしまって、その後ゲラが来るんだよというのを失念してしまう。何年この仕事してるんだ、と思わず自分で自分につっこんでしまうよ。

2005.03.06

 今日もめちゃ寒いけど、友達と池袋の某イベントへ。やっぱり人混みは苦手だ。

 前から買い続けていた伝奇小説のシリーズ「封殺鬼」が終わってしまった。ああ、もう聖に会えないのかと思うととても悲しい。やっぱり伝奇の王道は日本物、陰陽師物なんだろうな。だけど、読むのは好きだが書けはしない。なぜかと思うのだが、ひとつには篠田はお寺は好きでも神社はいまひとつぴんと来ないんだということを、いまさらのように思った。「封殺鬼」の作者霜島ケイさんという人は、きっと高田崇史さんと同じくらい神社が好きなのに違いない。でも神社になにがあるかというと、基本的には「神様の名前」だけなんだよね。寺には仏像というフィギュアがある。キリスト教会に神の像があるように、と考えると、なんだ、おいらは偶像崇拝者なんか。

2005.03.05

 めちゃめちゃ寒いのである。ホーチミンシティから実に気温差30度。それでも帰国日が3/4だったら、下手したら飛行機が降りられないなんて羽目になったかも。

 昨日は徳間のSF大賞授賞式。ここでしか顔を合わせない知人がいるので、まだ出席しているけど、それも今年までにしようかと思っている。皆川博子先生のお顔を見に行っていたムー伝奇大賞もなくなってしまったし、吉川賞や乱歩賞はもう前からパスしてるし、あとは本格ミステリ大賞と鮎川賞だけで、これはまあ同業者とのおつきあいだから。なんでって、単純に二時間立ちっぱなしでいるのが苦痛だからなんだけど。

 『龍の黙示録』と『東日流妖異変』のノベルス版がそれぞれ増刷。マスコミで取り上げられているのでも、えらい批評家先生が絶賛してくれているのでもない、おそらくは書店店頭での一期一会で一冊一冊と売れていく本の有り難さよ。篠田はたぶんこの先も腰が抜けるほどの大ベストセラーを書くなどということは金輪際あり得ないけれど、おかげで一冊一冊の有り難みを忘れることもまたない。自分が学生や勤め人であったとき、限られた予算を念頭に面白い本、好きな本を選ぼうとしていたあの楽しくも悩ましい時間。そうしてあなたの手に届く本の積み重ねが増刷になり、書き手に勇気を与えてくれる。空評判や、みんなが読んでいるから、で売れるのではない重さを常に覚えていよう。

2005.03.03

 どーもっ。ベトナム帰りの篠田です。ハノイはヤフーの天気予報全然うそじゃん、で、肌寒いったらないのでした。気温は20度代の下の方で、それよりなにより連日どど曇り。陽が出ないのがうすらさびしい。ホーチミンは30度ちょっと上くらいで、風があるもんだから意外に快適。しかし日本人観光客少ない少ない。
 旅行記を書くほどの旅でもなかったので、旅日記のページに「2005年ベトナム雑感」をアップします。皆様を旅心に誘うような文章ではないので、その点悪しからずお赦し下さいませ。
 明日はパーティがあったりして、またちょっとバタバタします。来週月曜日からは、仕事も日記も平常状態に復帰の予定です。