←2005

2005.01.31

 こんばんは、お寒うございます。皆様の小説家篠田です。ひたすら『すべてのもをひとつの夜が待つ』です。タイトルが長いんで書くのが面倒。
 蔵書の中に森真沙子先生の『青い灯の館』角川文庫を取り出してきました。ここについている東雅夫さんの解説が、ゴシック・ロマンスなる小説の的確な説明となっておりましたので、一昨日の篠田の不正確な文章はお忘れ下され。
 ウォルポールが『オトラントの城』を書いたのは1764年、それに影響を受けかつ超自然現象をトリックで解決する方向を示した女流作家アン・ラドクリフの『ユドルフォーの秘密』が1794年。19世紀より18世紀でした。しかしこの時代怪奇幻想小説とミステリ及びサスペンスは未分化で、「作品空間としての館・・・暗い森に囲まれた古城、廃墟と化した僧院、その尖塔や地下室、庭園や迷路、秘密の扉や牢獄」はどちらにも色濃く存在していました。で、それは『すべてのもの〜』にも、ちょっとゆがめた形で含まれています。
 篠田が書く建築探偵もまた、時には「館ミステリ」ということばで語られることがあるのですが、本格ミステリで「館」というと綾辻さんのイメージがあまりに強く、あちらとこちらをひとつにされるとちょっと違うよな、とは作者として思うところでした。なぜかといいますと綾辻さんの館は、基本的に現代建築なんですね。中村青司は戦後の人だし。篠田の場合戦後は専門外でして、建物の上に降り積もる時間が必須。だからどちらかというと、これはミステリの館というよりはゴシック・ロマンスの館なんだなと、いまさらのように自己発見をしたのでありました。
 そんなわけで篠田初のカッパノベルスは本年六月の刊行予定です。なんでそんな先の仕事をいましてるかって、いいんです、決まっているものは前倒しに片づけて、後は決まっていない仕事をしようというのが今年のモットーですから。

2005.01.30

 今日も寒いが晴れていたのでまだ気分が良い。朝仕事場に向かう路上で富士山を目撃。別になんの思い入れもないのに、なぜか見えると「あっ、富士山」と声を上げてしまうというのは、実に不思議だ。
 仕事はひたすら『すべてのもの〜』の直し。ふだん連載は苦手だ、といって先に書いてしまうことが多いのだが、季刊雑誌だとさすがにそういう気にもならないで、これは毎回書いたのだが、いやあ後で読み直すとミスがぼろぼろあるわあるわ。真面目に連載を追いかけて読んでいた方がいらしたら、ほんとすみませんってなもんである。
 で、昨日の話の続きなのだが、この話を書く動機のひとつはピラネージの「牢獄」という連作版画なのだ。ピラネージはイタリア人の建築家だが、実際の建物を設計したことはほとんどなくて、もっぱらローマで遺跡の版画を作ってグランド・ツアーでやってくるイギリス人の貴族の坊ちゃんに売っていた。だけどこの「牢獄」は、そうした遺跡、廃墟研究を背景にして描かれた幻想画でありまして、馬鹿馬鹿しいほど大きな石積みの内部空間、そこに柱が立っていたり、どこにもたどり着けないような階段が登っていたり、ロープが滑車から垂れていたり、「これが牢獄?」というような感じで、しかし重苦しく閉鎖されているところからすると確かに牢獄だなあ、と感じるような絵。
 普通牢というと、狭い独房が嫌だなあという感じでしょ。でもこういう、やたらと広くて、広いんだけど結局閉ざされていて、歩き回れば歩き回れるけど出られない世界というのも、すごく嫌そうだなあ、と思いまして、そのへんの悪夢っぽい怖さを書いてみよう、というのがひとつあったのですね。
 篠田は高所恐怖症でありまして、高いところは全然ダメ、足の下から悪寒が立ち上ってくるというくらいですが、閉所も好きではないなとつくづくいま改めて思っています。書いているだけで息苦しいような。でもまあ、小説家としては怖いものはたくさんあった方が、書くときにネタになります。と、ちょっとだけ負け惜しみ。この項、もしかしたら明日も続く。

2005.01.29

 やたらと寒い日。近所のスーパーに行っただけで震え上がり、後はずっとパソコン前で『すべてのもの〜』の直し。まったくシリーズでない長編なので、読者もなかなか手を出してくれないかな、と少し心配なので、内容の話をします。無論ネタバラシは無しで。
 この話はミステリというよりはゴシック・ロマンです。ゴシック・ロマンというのは19世紀のイギリスで流行した小説ジャンルで、最初の作品はホレス・ウォルポールの『オトラントの城』といわれていますが、これはイタリアの古城を舞台におどろおどろのお家騒動と残酷劇が展開する話で、幽霊が出たり怪奇現象が起きたりします。だからテイストはどちらかというと怪奇小説です。しかしその後に出てきたゴシック・ロマンでは、同じくおどろおどろな展開でも、超自然現象無し、あったようでも後でちゃんと現実的なオチのあるタイプの話も多く書かれていまして、これはかなり現代のミステリに接近している気がします。
 で、『すべてのものを〜』はこの、超自然現象抜きの方のゴシック・ロマンです。閉鎖された状況で連続殺人が起こりますが、物語の眼目はWHO(誰が)やHOW(いかに)ではなく、WHY(なぜ)です。篠田は幻想小説が自分のベースにある人間なのですが、逆にその分幻想の使い方には禁欲的です。つまり簡単に「心霊現象でした」みたいなのは嫌なので、それくらいなら全部一応現実的な説明がつく、だけど読み終えたときにその説明の向こうからじわっと説明しきれないなにかが立ち上ってくるような話が好きなのです。
 そのじわっの根元は何かということを自分なりに別の言葉で言い換えてみると、それは「人間の夢見る力」なのですね。夢見るといっても決して薔薇色の夢なんかではない、現実と拮抗する捨て身の夢です。例を挙げればババリアのルートヴィヒ二世の描いた夢のような。彼は現実を否定して、国庫を傾けて夢の城を築いたあげく、その夢に殉じて狂死したわけです。篠田はいたって小心者で、王様でもないから、文章でノイシュバンシュタイン城をせっせと築いているようなもの、なんでありました。(この項続く。)

2005.01.28

 一泊二日温泉に入ってきました。今日は朝ジムに行って、午後は祥伝社の担当が来てゲラのチェックをし、それからようやくジャーロで連載の終わった『すべてのものをひとつの夜が待つ』の直しに手を付けました。これはかなりあちこち大量に訂正と書き足しをすることになりそうであります。しかし今年の予定をマッピングしていくと、時間がなくもなさそうなので、依頼のない原稿も視野に入れることに。いますぐ書かなくてはならないのじゃないものが書きたくなる、という癖は前からあるので、横にノートを置いておいて、資料本なんかも少しずつかき集めておこうというわけ。なんの話かというと、10年目のリベンジといいますか、フランチェスコ・プレラッツィの登場する話です。ええ、ミステリです。フランス革命前夜の中欧の小公国で一旗揚げようとする山師カリオストロとプレラッツィが出くわして、そこに怪しい事件が勃発し、カリオストロは競争相手らしいプレラッツィに罪を着せようとしたり、それがうまくいかないと共闘を申し出たり、じたばたしまくるんだけど、というような、ね。クライマックスに近いシーンの絵が昔っからあって、そこに結びつける話を書きたいと思っているんですが・・・
 まあ、当面はまじめに『すべてのもの』です。

2005.01.25

 気がついたらまた日記の日付が2004になっていた。ぼけとるんか、おまえ。うん、ぼけとるわってなもんで。
 活字倶楽部の05年冬号が出ました。冒頭5頁に蒼のカラーイラスト、6頁に同じ投稿者の方の『Ave Maria』のイラストが載っています。とてもお上手です、色合いも渋くて。9頁には装丁で『アベラシオン』が上がっていました。34頁にもアンケートで『Ave Maria』を上げてくださった方が。いえ、自分のタイトルは目に付くんです。山のように出ている本の中で、お心に止めて下さって有り難うございます。とても嬉しいです。
 それにしても蒼ってなぜか、出会う相手の素直な反応を引き出してしまうキャラなんだな、といまさらのように思います。カゲリは素直の反対、どっちかっていうと突っ張っている子でしたから、普通なら初対面同然のときに「君って露悪趣味?」なんていわれたら、むっとするくらいじゃ済まなかったのではないかと思うのに、なぜかそうはならなかった。そしてこういうせりふをずばっといってしまう、という意味では、蒼は決して「清らかな天使のような子」ではない、他人の本質を見抜いてしまうあたりはむしろ京介の薫陶だと思うのですが、それでも憎まれないのが蒼の才能というか。たぶんカゲリの胸には、蒼の言葉がすっと飛び込んで納まってしまったんだと思います。
 今回の建築探偵は、前作を読んでいただいている読者さんにはご存じの事情で一回お休みなんですが、本筋の前後にはちゃんと登場しておりまして、やっぱりこの三人は、三人でいるのが一番安定が良いなと作者も思ってしまったのでした。いや、だからってずっとそのまんまでいろ、といわれてもゴニョゴニョ・・・

 今年は仕事を抱えて正月も落ち着かなかったんで、二日だけ近場で遊んで、金曜日から仕事再開します。というわけで次の日記更新は金曜日です。

2005.01.24

 小説ノン2月号が発売になりました。龍のシリーズ『紅薔薇伝綺』第三回が載っております。今回のイラストはなかなかでっせー。セバスティアーノ入りのオルシーニ君を、龍入りのドラコが*し*してます。なんのことだかわからない? すみません。
 ペーパー一応製作。結局2頁のショートストーリーもつけて、12頁のぺらいコピー本になりました。頒布は4月、『胡蝶の鏡』を買っていただいてからということで。ショートストーリーも一応、本編のラストに連動してるんですよ。ネタバラシはないけど。
 内職を済ませたんで、今週の水木は遊びに出かけ、金曜日から仕事に復帰します。明日はもう一日本読んで暮らそうっと。

読了本『パリの断頭台』 フランスの処刑人一族として有名なサンソン一族の歴史を語るノンフィクション。やはり篠田は死刑廃止論に荷担するなあ。まともな神経と知性を持っていれば、死刑執行する側の心こそ病んでしまう。フランス革命時代を舞台にした小説、いつか書くつもりでこういう本も買ってあるわけだけど、こういう時代に想像力を持っていくのってかなりしんどいことになりそうですわ。切り裂きジャックとか、個人的な殺人というのはわりと平気なんだけど、社会が血に狂ってるような時代というのは、どうも・・・

2005.01.23

 ペーパーにする「『胡蝶の鏡』的京都ガイド、ハノイガイド」を試作してみるが、これは肝心の小説を読んでもらわないとあんまり意味がないということに、いまさらのように気が付く。ということは、本が発売になってから配布するべきか。無料配布のものならともかく、送料をもらってとなると、ただのガイドじゃ期待はずれかな、などと迷い始めて中断。

読了本『キルケーの毒草』カッパノベルス 大正時代を舞台にある男爵家で起こる大量殺人事件。「輝ける退廃の闇、おそるべき連鎖殺人」というのが帯の惹句だけど、残念ながら「輝ける退廃」というほどのものはない。オカルトじみた蘊蓄が長々と語られるが、それがすべて参考文献丸写しで、それも澁澤龍彦とか、わりと簡単に手に入る本を数冊読んで書き抜いただけなので、底が浅い感じしかしない。大邸宅もペンキ塗りの書き割りじみている。探偵する側も多士済々とはいえ、京極堂シリーズのような一癖も二癖もある人々ではないし、それほど筆に生彩があるわけでもないので、500頁を越す大作も冗長の印象しかない。誉めれば読みやすい。お金を掛けて映画にすれば面白いかも。

2005.01.22

 実に三週間ぶりに電車に乗って池袋に出て本屋に行った。昼にラーメンを食べて本屋で買い物をしてデパートの地下でちらっとパンとデザートを買ってとんぼ返り。仕事場の椅子に寝転がって読書。篠田の休日というのはせいぜいこんなもんです。あと数日は読書三昧で過ごすぞ。

読了本 『春季限定いちごタルト事件』 米澤穂信 創元推理文庫 青春ミステリかつ日常の謎派かつ短編連作。しかし帯にあるような「コミカル探偵物語」というので、ユーモア物を予想すると外れる。少なくともコミカルではない。青春が苦いように苦いのである。痛いのである。主人公は「小市民」を志向してとにかく目立たず外れずと自らを戒める高校一年生の男女だが、本当に普通の子は誰もそんなこと考えやしない。そこの非現実さがコミカルかというと、だけどちっともコミカルじゃない。妙にリアルで「こんなやついそう」という気がする。気がして共感できればいいのだが、どっちかというと「いそうな嫌な奴」であるから困る。しかもその「嫌な」感じは、いくらかは身に覚えのあるような嫌さでもあるから、さらに困るのだ。ミステリとしては「気の進まない名探偵」の一タイプなので、さらっとそう考えて読めばいいのかも知れないが。
『緋文字』 エラリー・クイーン 結末が意外、という噂に引かれて読んでみた。なにせ翻訳ミステリはろくに読んでいない篠田でありますから。確かに意外でした。殺人事件は350頁中の280頁を過ぎないと起こらない。といったらネタバラシに抵触するのかな。エラリーは名探偵というより、ばたばたとかけずり回ってようやく最後で犯人に追いつく凡人探偵に近い。なるほど、国名シリーズとは全然別のことをやっているんだね、後期のクイーンは、といまさらのようにうなずくのだった。被害者は最終的にエラリーのおかげで助かるんだけど、妙に読後感が良くないのはなぜ?

2005.01.21

 気になっていた手紙3通メール1通、書き上げて送る。小説を書いているとどうしても心の余裕がなくて、手紙の返事もしばらく後回しになってしまう。今回は年賀状で勘弁してもらった数通の後に来たものに返事を出しました。
 それからのろのろと部屋の片づけ。腕時計がどこかに隠れてしまった。年末以来外に出ていないから、つまりその間腕時計を使っていないわけ。ぼーっとぼけています。本日はその後ジムに行って汗を掻いておしまい。
 しかし頭の中にはまだ書き終えた小説のことが残っていて、ここまで来ると「建築探偵」は長い一続きの物語だ、というのが自分でもはっきりしているので、「ああ、そうか。ここのラストでこの人物がこういう心境でいることが、次の話に繋がってくるんだ」などとひとりで納得する。後付の理屈というか、別に深く考えずに決めていたことがちゃんと伏線に繋がるということがままあるのだけれど、今回もそれで。しかしこうなってくると、「終わってないじゃないかっ」「これで後一年待てと言うのか」みたいな非難囂々になりかねないんだな、今回はともかくこの先は。いや、非難して貰えればまだいいんで、「ふーん」とかいわれてかえりみられないままになったらどうしよう、とか気弱な物書きは書いてもいないものについて、くよくよしてみたりもする。でも、だからってもっと読者に親切な展開にしよう、とかは思わない、思えない。そりゃもう仕方がない。終わったらうんとほっとして、うんと寂しいに違いない・・・

2005.01.20

 終わりましたっ。本文302頁、前作よりは少し薄いめだけど、話がシンプルだから。その代わり伏線が終局できれいに回収されていく、ミステリらしい快感がありますぜ、と自画自賛しておこう。
 原稿はデータを送ればいいんだけど、今回ルビがけっこう多かったので、後で面倒だとプリントアウトを宅急便で送る。そうしたら頭がぼわっと、ねじがゆるんだようになってしまい、もうなにもする気が起こらない。仕事場の寝椅子に転がってしばらくぼんやりとしていたら、寒くなってきてしまいじっとはしていられなくなったけど。
 あまりにもあたりが散らかっているので、少しずつ資料本をとりまとめ、しまえるものはしまい、という作業を途中までする。この後ゲラが来て校閲から疑問が付いたりすると、また資料をチェックしないとならないことがあったりして、あまりきっちりしまいすぎるのはまずいのだが、この後の仕事はジャーロで連載していた話の手直しで、こちらはこちらでまったく違う資料を出して並べることになり、さしも十数畳のリビングもじゃまくさいことになるから、それに気分転換ということもあるので片づけはしないとならない。床のほこりもいい加減たまっているし。
 でも数日はぼんやりするつもりだ。そういうときは新しい本は読まない。古い本、気に入りの本を再読するのが頭休めには一番いい。

 時間があれば2月にペーパーを作ります。送料はどうしても80円かかるので、普通のペーパーと『胡蝶の鏡』完成記念京都+ハノイ舞台案内、A3を2枚でお送りすることにします。コピー代が20円、封筒が15円ほどしますので、80円切手2枚と宛名カードを送ってもらうことになります。出来上がりましたらこちらで告知するのでよろしく。

 というわけで、篠田は数日ぼけます。

2005.01.19

 読み直して細かいところでことばの訂正や打ちミスをチェックして、データを直して最終章だけ残ってしまった。参考文献表も書き足し。これも誤解されている人がいるかも知れないが、巻末の参考文献はなにも物書きの見栄や伊達のためにあるのではありません。篠田は調べものをするときに、巻末の参考文献を活用します。本から本へさかのぼるのですね。今回は森達也著『ベトナムから来たもう一人のラストエンペラー』角川書店 という好著がありまして、作品の中にはこの本のテーマになっているグェン朝の王子で日本で死んだクォンデ侯のことは出さなくなったんだけど、参考文献から拾った本を何冊か読んで面白かったです。植民地時代のベトナムを旅行したフランス人の旅行記なんて、時代の空気が感じられてなかなか興味深かったし、犬養道子さんの本もこれの参考文献で知りました。結局は使わないものもいくらでもあるけど、小説の場合そういう無駄が作品の質に無関係ってことはないからね。そして読者も作品のモチーフに興味を持ったら、参考文献から自分で探してみる、なんてことをしてくれていいですよ、というのが巻末の書名の羅列なわけです。
 ああ、目玉が疲労してます。明日こそ「終わりましたっ」といえるかにゃー。

2005.01.18

 一応最後まで直しました。本文300頁です。ぜい。あとがきなども書きました。事実と虚構が入り交じっている話なんで、多少のつや消しとネタバレは目をつぶっても、ここまでは事実、こっからはフィクションと鮮明にあとがきで書いておくことにしました。前にフランク・ロイド・ライトに殺人の疑惑をかけるというフィクションを書いたら、それを本気にしちゃった読者がいて「わあ、まずいっ」となりましたから。いや、自分としてはちゃんとウソと分かる書き方をしたつもりなんですが、そのへん微妙だったかも、と反省。
 全体を読み直して書きミスなどを直せば入稿出来ます。わあい。しかし気がついてみれば仕事場に散乱した資料本の山、どーよ。この大量のベトナム本をどうしてこますかが目下の悩みです。まあ、校了するまではとにかく置いておくしかないけど、問題はその後だよな。こうやって何万円分も本とコピーをかき集めても、使うのは半分以下で、本文に反映されるのはさらに氷山の一角なんでありますが。
 まっ、ともかくこれで東京に直下型地震が来て講談社がつぶれない限り四月に出ますです、『胡蝶の鏡』。

 つれあいが見つけたサイトで、関西のミステリファンの方で、昨年10月の花園大学での近藤史恵さん、佳多山大地さんとのトークのレポートを載せてくれている方がいました。実をいうと篠田はこの日あんまり体調が良くなくて、なぜか話している途中で猛烈な偏頭痛に襲われたりして、記憶があまりちゃんとしていないのです。だからこの方のレポートを読んで、「ああそうそう」とか、「ううん、そういえば」とか思いました。失礼にも近藤さんの某作品のプロットのネタバラシをやるというドジを踏んだことまで、すっかり忘れておりましたです。ご興味がおありの方はどうぞ。
 http://www.kisweb.ne.jp/personal/ao-neko/index.html 青猫屋敷

2005.01.17

 昨日は一時過ぎまでかかってノベルス30頁書いて一応ラスト。仕込んだ伏線を回収しつつどーっと畳み込むラストは、ミステリ書きの快感。そこまではひたすら忍耐という感じがする。もっとも読者様に忍耐させてはまずいので、そのへんの書きようがむしろ小説書きの腕ですね。
 そして篠田の場合エピローグがある。蛇足と言われようがなんだろうが、ミステリとしての決着の後に物語としての決着が要ると固く心に決めてる、わけでもないけど、そうなってしまうんだよ。不要だという人は読まねばよろし。
 直しをやって、また全体を読み直してチェックしても、今週中には終わるでしょう。はあ、やれやれ。間に合ったわい。いつもいつも薄氷を踏む思いでありますよ。いや、油断は禁物だ、まだ終わってない。

2005.01.15

 雪だ雪だと脅かされていたんで、今日は仕事場から帰れないかなと思ったら、幸い雨のままのようです。子供のときは雪が降ればワンコのように喜んだものですが、この歳になりますと「わあ寒い」「わあ雪かき」なんてことばかり考えてしまいますな。
 建築探偵は260頁まで来まして、やはり300前後でラストだな、とようやく見えてきた感じあり。この週で決着をつけます。まだいっぱい直さないと駄目なところがありますが、どうにか終わりそうでやれやれ。
 終わったらペーパーを作りたいなと思ってます。今年はもうコミケでペーパー配布というのはしない予定なんで、その代わり希望者には送料プラスアルファと宛名カードでお送りする、ということにさせてもらうつもり。出来ましたらサイトで告知します。
 そんなわけで明日は仕事場に泊まってきます。最後まで気を抜かないように、と自分にばしばし活を入れつつ。

2005.01.14

 今日も代わり映えのしない篠田です。建築探偵書いてます。神戸取材の予定も決まりそうなので、建築が終わればちょっと一息ついて、行けたら一泊くらい温泉に行って、それからジャーロやろうかなと。間に神戸の取材結果でメフィストの「館を行く」を書いて、ベトナム行くまでにジャーロの直しが完了すればブラボーで、ゲラなんかがまた来ますから、まだ完全に手を離れはしないですが、時間が取れたらふっふっふ、「龍」の続きを書きますよ。
 篠田ったら建築探偵はけっこうしんどいけど、「龍」は書きたくて萌え萌えなんですもん。いまはまだ雑誌連載は13世紀のイタリア修道院ですが、次回はその続きでヴェネツィア編をやるんです。耽美ーな美少年吸血鬼と、我らが鬱病気味のネズミ男セバスティアーノが絡むんですもん。肉体的な意味ではありませんぜ。セバ君は真面目な修道士なんで、モノホンの童貞であります。女性にも吸血鬼にも操は明け渡しません。

 なんだかせわしないですねー。でも篠田は現在仕事しかしないで済む人間なんで、他の雑用はほとんど家人が肩代わりしてくれるもんですから、仕事仕事仕事ちっょとだけお休み、くらいのペースで充分なんであります。手と目さえ疲れなきゃいくらでも書きたいよ。

2005.01.13

 講談社の担当がまるっきり音沙汰ないので、どうしたんだろうと思っていたらやはり風邪だったそうで、今年の風邪は腹に来るのだそうです。皆様お変わりありませんか。篠田は運動不足でいまいちですが、幸いいまのところ風邪だけは引いてません。で、今日も建築探偵です。後一週間くらいでどうにか、と思うとります。
 実を言いますとメフィストのことを最近まで完璧に忘れておりまして、去年も長崎へは2月に行ったじゃないですかー、というわけで月頭にはどどどどどっと取材に行って書かないとならないです、「館を行く」。今回は神戸です。異人館街じゃ当たり前過ぎるから、違うところに行きますが。
 まあ、あと一週間で『胡蝶の鏡』が書き上がれば、月末には一息つけるし、「館を行く」をやってから『すべてのものをひとつの夜が待つ』の直しをやって、2月末にはもういっぺんベトナム行って表紙の写真撮って、3月から別の仕事、とまあちゃんとスケジュールどおりに行きそうですね。長編があと三章書けば終わる、という感じになってきたので、我ながらいくらか展望が明るいです。
 なんとか良い感じに書き上げて、行けたらどっか近場の温泉でも行きたいです。はあ、ほんとに寒いね。地震の被災地の皆様に比べたら、罰が当たるとは思うのですが。ごめんなさい。

2005.01.12

 のろのろと書いてます。はあもう、それしか日記に書くことはないです。篠田は活字中毒ですがこういうときに新刊は読めないので、気晴らしの読書は再読。近頃は『指輪物語』をちょこっと読んで、『シルマリリオン』を読んでます。これが終わったら『終わらざりし物語』を再読しよう。
 冬コミで指輪本を何冊か買いまして、そのほとんどは映画ビジュアルなんですが、中にはそうでない人もいて、マニアックにエルフの脇役なんかを動かしてくれたり。その中で篠田のごひいきは、サークル名も麗しいのでございます。「爺茶屋」さんという。爺本あさりの篠田ですから。
 「王の帰還」のスペシャル版特別上映の前売りも買いに行きたいんですが、いまは無理だ。スペシャル三本ぶっとおし、というイベントもあるそうですが、そんなの見てしまうと数日は死にそうだし。まあもうとにかく、滅びの亀裂に向かって一歩一歩歩いていくフロドの旦那の心境でがんばります。サムはいないけどさ。

2005.01.11

 考えてみたら年が明けて、まだ一度も電車に乗っていない。東京にも出ていない。そのおかげで風邪もひかないようです。マジ引きこもり。仕事のみです。本日やっと230頁を越えまして、300で終わりならあと2章と少しだなあという感じがしてきました。なんか今回は実に異例ずくめでありまして、三分の二が経過してやっと殺人というのもそうですが、他にもいろいろ。
 第三部に入ってきたせいですか、やはり京介の様子がいつもと違います。『失楽の街』あたりから少し違って来てましたが、今回は蒼がいないせいもあって、いつもの彼じゃないようです。って、決めて書いていることもありますが、今日なんか書いている篠田が「あれっ、どうしたんだろう」とか思ってる。うーん、変ですねえ、そういうのって。
 でも書き終えたらやっぱ次の仕事の前にひと休みしたいので、来週あたり仕事場缶詰をやろうかと思うとります。3日か4日仕事場から出ない。温泉からのダイレクトメールを見て身もだえます。雪見の風呂に入ってあったまって酒飲みたいよお。ひいい〜

2005.01.10

 ほんとに代わり映えしません。仕事しかしてない。今日も運動はさぼり。やばいなー。もう少しせっぱつまってきたら、書き上がるまでは仕事場泊まり込み、をしなくてはならんでしょう。来週あたりには、たぶん。

 いただいたお便りに「篠田が建築探偵の短編を書いた同人本をネットオークションで購入して読んだのだが、この内容は本編とは全然別物なのだろうか」という質問がありました。いささか誤解があるようなので、以前書いたこととだぶりますがお答えします。
 篠田真由美が篠田真由美の名義で書いた同人短編は、基本的に本編と矛盾しない内容になっています。ただし、ミステリではなく、いささか趣味性が強いので、本編を味読する上で必要になるわけではありません。そこに書かれている設定が、後で本編に登場することもあり、しないこともあります。具体的な話はするつもりはないんで、わかりにくい説明でスミマセン。
 たぶん今後同人活動をするか、といわれれば、しない可能性の方が高いと思います。本業で書きたいことが増える一方なので、そっちをさくさくこなしていきたい気持ちの方が強いのです。どうしても書きたいものを出版社が書かせてくれない、そして仕事がない、というような状況があったら、また話は違ってくると思いますが。

2005.01.08

 えー、仕事してます。代わり映え、ありません。じりじりと210頁。
 迷宮シリーズの文庫既刊4冊さっそく送られてきたので、ぱらぱらと読み返したりしつつ。明日は仕事場に泊まるかもしれないので、日記の更新はお休み。どうせ仕事だけで書く話題もないしなー。

2005.01.07

 今日は晴れていくらか体調も上向いたのだが、今度は目に来た。疲れ目。それでも目薬さしたり遠くを見たりマッサージをしたりして、どうにか201頁。はい、事件が起きました。まだ死んでないけど、間もなくお亡くなりになります。ぜいぜい。

 本日新しいお仕事。白泉社文庫迷宮シリーズの解説を書きます。作者の神谷悠さんからのご指名だということなので、これはもう喜んで書かせてもらいます。本格ミステリ命の男の方は特にご存じない向きも少なくないと思うが、神谷さんは野間美由紀さんと並んで、「金田一少年」なんかよりずっと前からミステリマンガを描き続けてきた方。そして、野間さんにも言えることだがトリッキーです、かなり。ドラマの部分とミステリの部分の絡み合いも練達の士という感じ。絵柄やコマわりはかなり少女マンガなんで、読み付けていない人には取っつきが悪いかもしれないが、だからといって読まないのはもったいないですぜ。

2005.01.06

 本日は体調が悪くて一日ほぼ沈没。おまけにやたらと寒くて、エアコンをつけた上にデロンギのそばにひっついてぼーっと寝転がっていた。ぼけ老人のようである。しかし明日にはどうやら人が死にそう。いえ、建築探偵で。そうしてもうひとつ事件があって、それから解決編が。300頁くらいで終わる、かなあ。

2005.01.05

 今日は買い物にも出ず、自転車も漕がなかったのに、188頁までしか進まなかった。そして現在時の殺人事件は、やっぱり200頁にならないと起こらないですね。いままでで、一番事件が起きるのが遅い建築探偵。はああ〜

 昨日犬養道子『花々と星々と』中公文庫 を読了。昨年紹介した『ある歴史の娘』の前作にあたる、幼年時代の記憶を語るノンフィクションだが、政治家の息子であることを嫌って家を離れ白樺派の作家をしていた父の健が、犬養毅が首相になることでその父を助けるために政治家の道を進むことになり、しかし軍部の圧力は日々強まる一方で、ついに現役軍人によるテロ、5.15事件が起きる。それがクライマックス。『ある歴史の娘』では、「舅を見殺しにした」と事件に立ち会ってしまった道子の母は、犬養家の人々からいびりぬかれることになるのだが、そのときなにが起きたのかはやはりこっちを読まないとわからない。
 同じ「戦前というのはどんな時代だったか」を語る本でも、今は亡き山本夏彦翁の作品だと、「戦前真っ暗、暗黒時代だったというのは戦後のマルクス史観の虚構だ」ということになるのだが、全面真っ暗でもなかった代わりに、かなり暗いところもあったのはやはり本当だと改めて思う。軍の暴走を押さえようと奔走し、死を覚悟し、ついにテロに倒れた犬養周辺、その最後の数ヶ月の首相官邸は、マジで暗かった。暗さを通り越して「澄んだ死の覚悟」みたいなところまで行ってしまっていた。やっぱり日中戦争に突っ込んでいく頃の日本というのは、やばい時代だったんである。数十年後に、2005年頃もやばい時代だったんだね、などといわれるようなことにならないといいんだけど、たぶんしばらく時間が経ってみないとわからないことというのは、あるんだろうな。
 あっ、この本は絶版です。篠田はサイトの古本屋で購入。もしも探される場合は初版のハードカバーでなく文庫を買って下さい。5.15事件の章は文庫で書き足されたものらしいです。

2005.01.04

 朝から通常通り原稿書き。またほとんど本も読めないし、運動する時間も惜しいような毎日が続く。日記も書くことがなくてすみません。当面こんな感じだと思います。

2005.01.03

 サイトをご訪問下さる篠田真由美読者の皆様、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
 さて、例によって篠田は寝正月でした。12/31は雪のため半日で仕事を切り上げたので、予定していた読書は無事この朝で終了。本日から仕事に復帰し、小説ノン誌上で連載中の『紅薔薇伝綺』第三回のゲラをチェック。これが本年の仕事始め。続いて建築探偵の原稿書きを再開しています。予定通り四月刊行のためには、なにがなんでも今月中に原稿を上げなくては、というわけで当面は休み無しです。

 正月中読了本『暗黒館の殺人』 力作であることは疑いないけれど、篠田的には「本格ミステリ」ではない。なぜという理由を述べるとネタバラシになってしまうのでここでは書かないけれど、もともと綾辻氏の作品には「ロジックですべて割り切れない謎」が残る場合が多く、それでもこれまでは篠田大好きの『水車館の殺人』や『霧越邸事件』も含めて、「本格ミステリ」の範疇に収まっていると考えてきた。ただ今回については、そこがちょっと違うと思う。どう違うかはネタバラシです、はい。
 『薔薇密室』 皆川博子 眩惑的な幻想小説であり、作品構造そのものが薔薇の花弁のように重層しあい迷宮化している。中心部に密室トリックがひとつ含まれているのだが、作者はそれを出して間もなくあっさりとネタを割ってしまう。皆川さんといえば、物語の語り手としては毎度読者をいい意味で裏切って、地獄に突き放して悶絶させてくれる方だが、『冬の旅人』あたりから、地獄は見せても最後にほのかな救済の明るみめいたものを感じさせてくれるようになった。今回もラストにはかすかだが希望が見える。
 『楽園の鳥 カルカッタ幻想曲』 寮美千子 篠田も訪れているバンコクやカルカッタの描写に生彩がある。ただしこのヒロインは正直いって耐え難かった。篠田はなにが嫌いだといって、だらしのない男女が一番嫌い。37才の美しくもないおばさんが、ハンサムな不良外人に入れを上げて貢いで逃げられても追いかけていって、今度はカルカッタでアル中のオランダ人とひっついて、殴られても泣かれれば赦してずるずると共依存。あーいやだっ。そのくせこの女が妙にもてて、やたらと男に親切にされて、その中でも最悪な男に繰り返しひっかかってそのまま終わり。作者の自己愛と自己弁護を読まされたみたいで、他の小説的美点も全部すっ飛ぶ。
 というわけで、読み残しの犬養道子を読んで口直しをしなくては。