←2004

2004.11.30

 上野の都美術館でやっている展示を見に行こうかと思ったのだが、朝起きると肌寒い曇りだったので、池袋で本を見るだけにする。本当は「小説推理」の1月号に『虚無への供物』の特集があるというので、それを買いに行ったのだがなぜかその雑誌がない。リブロにもジュンク堂にも。他のものをなんだかんだ買って帰って、ネットで検索をかけたら電子書店のbk1で売るというので申し込み。送料はかかるけど、あちこち探す交通費よりは安い。それにしてもなんで出てから時間も経っていない雑誌が、1冊も並んでいなかったんだろう。「小説推理」ってそんなに部数が少ないんだろうか。
 それから「館を行く」にもう少し手入れ。それでも書き直したラストが、字数が足りなくてきつい。雑誌はこういうとき融通が利かなくて不便だね。
 買って帰ったライトノベルを1冊読んで(松岡なつき『Flesh & Blood』第7巻、ちょっと話が停滞してきちゃったぞ)から、再び仕事。カフェ・バッハのコーヒーをていねいにミルにかけてていねいにいれて、プリントした建築探偵の手直し。頭の部分は特にこうやって、何度も何度も直すことが多い。でもやっぱりコーヒーの御利益はあらたかといいますか、気分が落ち着いて原稿に向かえる。それじゃここんところずっとの不調感というか、落ち着かなさはずっとまともなコーヒー豆を切らしていたせいですか。やばいな。切れると仕事にならないなんて、まるでヤクじゃん。

2004.11.29

 小説ノンの担当来訪、『紅薔薇伝綺』第二回のゲラをチェック。なにを書いたかは、ほんともうみんな忘れている。最近とみに、書き上げたら忘れる、が加速している感じ。しかし『東日流』を見直していたら、ことばのだぶりとかやたらと目について、「雑な文章書いてるなあ」と自己嫌悪。何年やってもちっとも進歩しとらんやないか、自分。
 『紅薔薇』のクライマックスに「レクイエム」が登場するのだが、日本でよく知られているのはやはりモーツァルトの「レクイエム」だろう。しかしここはグレゴリオ聖歌の旋律でないとまずいのだよ、と担当にCDを聞かせる。ひたすらドラマチックでオペラみたいなモーツァルトと比べると、グレゴリオ聖歌はわりとのんびりのどか、という雰囲気。そんなことが出来るものならノベルスにCDをつけたいくらいっす。
 建築探偵の書いてしまった頭の部分をまた手直ししている。そしたら「館を行く」の原稿にいまごろになって校閲から物言いがついたというので、ラストのオチの部分をまるまる書き直す。そこはまあ篠田が考えた部分というより、実際耳にして面白かった会話を再現して、ちょっと演出を加えた部分なので、自分の手柄ではないから仕方ないと言われればそれまでなんだけど。
 カフェ・バッハさんから新しいコーヒー豆も届いたことなので、また丁寧にコーヒー豆を粉にしていれて、というのを仕事を始める儀式として復活させて、真面目にやりましょう。この夏の暑さで、完全にだらけたまんまだったのでありますよ。

2004.11.28

 パソコンのプリンタを買い換えた。紙送りのローラーがすり減ったらしく、しばらく前からやたらと紙詰まりが増えてしまったのである。しかしパソコン屋で「ウィンドウズ95で使えるのはどれだ」と聞くと失笑される。ふん、そうかい。笑われるようなことなんかい。まあ、パソコンがなくては仕事にならないのは事実だけどね、書くための道具が1年や2年で古くなってたびたび買い換えなくてはならないというのはうっとうしい。

 天気が良いので府中の東京競馬場へ。昔乗馬をやっていたときは重賞レースくらいはみんな買っていたのだが、最近は年に一度ジャパンカップに出かけるくらい。ただし馬券はろくすっぽ当たらない。馬は世代交代が早いから、少し間を置くともう知らない名前ばかりになってしまうが、なあにせっせとレースを見ていた時代だって当たりゃあしなかったのだよ。我ながら博才もない。でも金持ちだったら馬を飼って暮らしたかったなあ。いえ、牧場をやるわけじゃなく、自分のペットとして飼うんです。可愛いんだもん、馬。乗るだけじゃなく、身体を洗ったりたてがみをくしけずったりなでなでしたりするのも楽しいんでありますよ。油断すると噛まれたりするけど。

2004.11.27

 『東日流』の文庫直しは一応昨日で終える。早くベトナムに行きたい。なんか落ち着かない。
 先日ホットケーキミックスを使ってバナナブレッドを作ったが、クルミが古くなっていて「こんなもの食ったら腹壊す」と同居人に言われたので、本日はリターン・マッチ。薄力粉にベーキングパウダーに卵泡立てて真面目に作る。クルミとラムレーズンも入れて、これが『失楽の街』に登場するリンさんのバナナブレッドです。見てくれは悪いけど味はいいのよ。いずれ建築探偵完結の暁には、「建築探偵お料理BOOK」を作りたいものだ。作中に出てくる料理にレシピとショートストーリーを添えて。といっても、あんまり大した料理は出てきてないけどね。

 読了本『百万の手』 東京創元社 ミステリフロンティア 畠中恵
 基本的にこのコーナーはお勧め本ということで、多少の文句はあってもまあ面白かった、あるいは篠田はいまいちでも面白く思う人はいるだろう、という本を取り上げているのだけれど、これはかなり微妙というか。つまり、微妙に「???」な気分が残ってしまう小説だった。内容紹介に書かれているからこの程度はばらしてもいいと思うのだが、主人公の中学生の男の子は、目の前で無二の親友が火事で焼死するのに遭遇してしまい、ところがその子が携帯から話しかけてくる、まあ幽霊になって特定の携帯に取り付いている、という状況になる。それで友人の死んだ火事が放火らしいから、その犯人と動機を調べよう、という展開になるわけです。で、この叢書自体ミステリの叢書だから、「こういうオカルティックな前提はありでミステリをやるわけね」と納得して読み進めるわけですが、この話がミステリとして全うされるかというと、どうもそうではない。
 先に行くに従ってSFじみてきます。露骨にSFではなく、微妙にSFチックになる。犯罪動機とかが。で、携帯の中の親友、という設定の重みは相対的に軽くなっていってしまう。世界観が統一されていない、といえばいいのかな。作品内世界は「携帯に取り付いた親友の幽霊」も、「ネタバラシになるからここには書けないけど現在の現実からは数センチ浮いてる微妙にSFなネタ」も、両方ありの世界。それがリアリティを持たずに、「ただのお話を進めるためのご都合主義」になってしまっている、といいましょうか。
 とにかく篠田的には、これが本にするに足る作品だとは思えませんでした。でも、もちろんこれは篠田の感想に過ぎないんで、こんな本は出すべきではないとか、そういうえらそうなことをいいたいのではありません。十何年やってきても、小説のことっていまだによくわからないなあと思うだけです。

2004.11.26

 宣伝。『黄昏ホテル』というオリジナル・アンソロジー本が出た。篠田も寄稿しているが、他の執筆者は山田正紀さん、皆川博子さん、笠井潔さんなど錚々たる方々。とあるホテルを舞台にしたミステリあり、ホラーあり、幻想あり。個々の短編はいずれそれぞれの作家の短編集に収録されるだろうが、企画ものとしての面白みはやはり元本を読んで頂くしかない。小学館から1600円ぷらす税。お手にとっていただければ幸いなり。

 読了本 『BG、あるいは死せるカイニス』 東京創元社 ミステリフロンティア いまのっている石持浅海さんの新刊。小説としてはどんどん面白くなっている印象あり。ただしこれはSF的な設定を用いたミステリ(西澤保彦さんのような)というよりも、ミステリ的な展開のあるSFといった方が良いと思う。ミステリ部分とSF部分なら、後者の印象の方が強く、その設定は「あり得たかも知れないもうひとつの世界」として興味深いが、ミステリの仕掛けに密接に繋がっているかというと、疑問無しとはしないのだ。さらにミステリとして大きな部分をラストに明かされる謎として隠しつつ書いているせいで、SFとしての書き込みはある程度制限されざるを得ない。純然たるSFとして構成されていたなら、篠田が疑問を覚えたある細部なども無論充分に書き込まれ、間然としないものに仕上がったことだろう。そのへんがいささか残念な印象だった。

2004.11.25

 神田からいなくなってしまったなじみのケーキ屋エスワイルが、後楽園近くに転居していたことがわかったので、つれあいとふたり出かけていく。うちはふたりとも決して甘党ではないのだが、11月だけ作るエスワイルのモンブランを年に一度楽しみにしていたので、執念深く追いかけていった。今回はシャルロット・サバイヨンとカフェ・ルーローという、エスワイルの定番を店で食べて、モンブランを買って帰る。帰りに歩いて江戸川橋に出るとき、同潤会江戸川アパートメントの跡地の前まで行ってみる。現在はマンションの工事中。もうなにもない。でも、なくなる前に見に来られて良かったな。
 戻っていつもの運動メニューをして、『東日流』の文庫直しを続ける。
 「ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還 SEE版にミナス・ティリスのフィギュア付き」という、これはもうオタク狙いとしかいいようのない商品の予約を入れた。篠田は建築オタであるから、フィギュアはキャラのよりこういう建築関係の方がよろめきます。そういえば「ロード・オブ・ザ・リング」のフィギュア付き本というのが前に出始めて、良かったらどうしよう、とドキドキしながら書店で見たら、これがすげえしょぼかったので安心して止めた、ということがあったっけ。やっぱりフィギュアは海洋堂っすよー。でもキャラの顔がからむと難しいと思う。その点での傑作は今市子「百鬼夜行抄」の尾白と尾黒フィギュアでしょう。って、なに語ってるのさ、篠田。

2004.11.24

 「ジョバンニ」を見てきたのだが、これは歴史オタクのための映画というより、ルネサンス戦争オタクのための映画と言いますか、つまりえらくツボの狭い映画だった。なにせ渋い。渋すぎる。華麗なる歴史絵巻の対極で、物語は傭兵隊長ジョバンニの死に至る直前の数日間を淡々と描く。それが雪の中の戦場で、鉄の鎧がさぞかし冷たくて寒いだろう、というのがやたらひしひし来る。派手な戦闘シーンもあんまりなくて、軍中で自分で髪を切るジョバンニのそばに、焚かれたストーブの上で洗濯した靴下が下がっていたり、鎧を脱いだり着たりのシーンで「ああ、一番の重武装は鉄板鎧の下に鎖帷子でそれから革の胴着なんだけど、鎖帷子抜きで行くこともあるのね。兜の下は毛織りの帽子なのね」なんてのが事細かに描写されている。いや、それはそれで面白いよ。映像は地味だけどきれいで、突撃してくる騎兵を迎え撃つ歩兵の長槍がジャッ、と斜めに突き出される絵は「ウッチェロの絵だな」って感じだし。
 だけどイタリア映画だからだろう、イタリア人にとっては著名なジョバンニ・デ・メディチだから、彼のおいたちとかいろんなことは全部省略されてしまっている。あれじゃ予備知識がないで見たら、どこの誰かもはっきりしないっす。それとジョバンニ役の役者さんはなかなかいいんだけど、どうも内省的過ぎる気がするんだよなあ。そりゃまあ、雪の中の戦争が長引いて、軍資金も不足して気が滅入っていたのかもしれないけど、カテリーナ・スフォルツァの勇猛さを受け継いだといわれる彼らしくはない、あんまり。
 もひとつ。篠田はルクレツィア・ボルジアの三人目の夫になったアルフォンソ・デステをわりと好きなんだけど、この話では彼が自分の最新式大砲を神聖ローマ帝国軍に譲ったせいでそれが使われて、ジョバンニは怪我して、敗血症を起こして苦しんだあげくに死ぬ、という悲惨な結末なんで、うーむ。史実としてもそうなんだろうか。科学技術によって戦争がより残酷なものになっていった、その悲劇。テーマはそういうことらしいんだが、どんな武器を使ったって戦争は戦争、悲惨なことに変わりはないべ。まあ、傭兵同士の戦争だとお互い殺し合うのは損だっていうんで、適当にお茶を濁して済ませたり、両軍激突して死者一名なんてこともあったらしいですが。

2004.11.23

 仕事は昨日とまったく同じ。『東日流』は背景になっているキリスト教のこととか、いまひとつ未整理でわかりにくい部分があるので、そのへんをこの際できるだけわかりやすく書き直そう、ということもあって、案外手間取っている。建築探偵はだいぶ形になってきたかな、という感じ。ひとりでハノイに行って、ひとりで夜遊びするわけにもいかないから、夜はホテルの部屋で原稿書くことになるでしょう。毎食ご馳走なんか食べていると、テキメンに腹をこわす根っからの貧乏人なんで、一食分はバインミー(ベトナム風フランスパンサンド、大好きなんです)の買い食いぐらいがちょうどいいよ、たぶん。コーヒーや紅茶をかついでいくかな。ビールは現地調達して。
 シャンテシネで「黒隊のジョバンニ」を主人公にした歴史映画をやっているようなんで、明日見に行くかも。この人は父はフィレンツェのメディチ家の傍流で、美男の誉れ高かったジョバンニ、母親はマキャベリがイタリア第一の女性と呼んだかのカテリーナ・スフォルツァ。傭兵隊長で勇猛さと聡明さを兼ね備えた名将として知られていたんだけど、28歳の若さで死んでしまって、彼が長生きしたらイタリアの歴史も少し変わったろうなんてもいわれるんだけど、息子はフィレンツェに返り咲いてトスカナ大公コジモ一世となりました。ロレンツォ・イル・マニフィコの直系が途絶えた後に復帰したわけですが、彼は幼くして父を亡くして辛酸をなめたんで、いささか猜疑心の強い暗い人物になってしまった、といいます。我ながら歴史オタクね。黒隊のジョバンニ、バンデネーレは名前だけなら『仮面の島』にちらっと出てきます。

2004.11.22

 午前中は『東日流妖異変』の文庫直しをやって、午後は建築探偵をやる。どっちも少しだけ進行。小説ノンが出ました。龍の新作『紅薔薇伝綺』の連載が始まっております。しかし丹野さんたら、セバスティアーノ君を後ろ姿にしちゃったな。自分的にはとっくに書き終わったものなので、これから読者のお手元に届く、というのがなんか不思議な感じ。気分的にはすごくタイムラグがあるのです。しかもノベルスになるのは来年の八月だそうなんで、作者としては「えーと、なんの話でしたっけ」みたいな。単に忘れっぽいだけじやないかって? そらまあそうだ。

2004.11.21

 今日は喫茶店に行って建築探偵のプロットをやっと少し進める。しかしどうしてもハノイに行ってからの話は、向こうを見てから書きたいので、そう思っていると場面が見えない、物語が転がらないということになってしまう。
 いつまでもそんなことをいっていると怠け癖がついてしまうので、旅行から帰ってのスケジュールがきつくなるのは仕方ないとして、他の仕事を少しやってしまうことにする。とはいっても新しいものを書くのはちょっとしんどいので、龍の文庫下ろしの直しに手をつけた。これをいまのうちに終わらせておけば、来年建築探偵とカッパノベルスが手を離れたところで、さっさと次回の龍が書き出せるというもの。前倒しに仕事を片づけて、来年こそは真夏は東北の温泉に湯治に行きたい。無理かな。温泉で何日か逗留はしたいんだけど、毎回自炊はめんどくさい。でも旅館飯の大ご馳走が何日も続いたら腹がおかしくなるしなあ。コンビニ付きの自炊宿というのは、ないか。
 まあ、温泉はともかくそれくらい早く書きたいんだよねー、ヴェネツィア編。建築探偵はこれから話が暗くなる一方なんで、それとは対照的にドンパチやれる世界を書くのは、ほんと楽しい。文庫下ろしでも、少しトウコのせりふ回しを変えたりしてます。透子姉御男前一直線。そんなわけで建築探偵しか読んでない読者様も、ぜひお試し下さい。ノンノベル&ノンポシェット(文庫)の『龍の黙示録』シリーズ。おもしろいでっせ。本日は身も蓋もなく広告でした。

2004.11.20

 駅前に買い物に行ったついでに本屋を覗き、読むものはたくさんあるのに『謎物語』北村薫 角川文庫 を購入。ついつい読み出し、読み終えてしまう。本格ミステリと、謎と、物語に関するエッセイは、短く薄くすぐ読めてしまうが、内容の凝縮というか、文面の背後にあるものがかなり大きいので、実は見かけよりずっと手強い。
 そんなことをして、今日も仕事はほとんど進まず。いかんなあ〜

2004.11.19

 紅葉を見に出かけた。人の多いところは苦手なので、埼玉から山梨へ、そして東京の奥多摩へ。高度によってもう裸木になってしまったところも、いまが盛りのところも。常緑の杉の木がびっしりと並ぶ植林の山は眺めてもつまらないが、一山越せば金茶色の落葉松が並び、あるいは緑の松の中に赤や黄色が入り交じり、山それぞれの趣あり。

 休んだ後はどうも仕事に頭がなじまない。建築探偵のプロットは少しずつ姿を現しつつはあるのだが。

2004.11.16

 昨日のところに少し書き足して90頁。91頁目にしてようやく京介・深春コンビ、ハノイへ旅立つことに。しかしガイドブックを読んでいて、はた。現在は成田/ハノイが週に6便飛んでいるが、物語の現在時は2001年。当然フライトスケジュールは違う。空港も途中で改修されているらしい。
 篠田は秋月杏子さんと「塔の中の姫君」漫画化のための取材で01年の2月にベトナムには行っているのだが、そのときは関空経由だった。確か成田/ホーチミンはそのときすでに飛んでいたと思うのだが、空港の様子までは覚えていない。どんどん変わる国の場合、ほんの数年の違いというのがなかなかに気になるものである。
 でもまあ、街の様子はそのときの記憶をなんとかよみがえらせて、書くしかないなあ。少々事実に合わないところがあっても、そのへんはどうかお許しあれ。それともベトナムから戻ってくるまでは、他の仕事をやっていようかしらん。ちと悩むところなり。

 明日明後日は仕事お休みにするので、日記の更新も次は木曜日。

2004.11.15

 本日は篠田の誕生日。正確には午後10時くらいらしいので、もう少し後ですが、今年で15歳になりました。ウソです。51歳です。いえ、来年には使えないギャグなんで親父ですが失礼。
 建築探偵やっとこ87頁。今回は蒼が一回休みで、神代先生も『失楽の街』で出ずっぱりをした後なんで、京介と深春の漫才シーンが多くて、それはそれで久し振りなんで書く方もなかなか楽しいです。前作のエピローグの雰囲気を引きずって、わりと明るいめの京介。それで安心かっていうと、ふだんと違う京介って別の意味で不吉な感じがいたしませんかしら。そこは皆様の期待を裏切ることが信条の、意地悪作者のことでございますからね、おほほほほっ。

 私信です。尼崎のMさん、返事は土曜日の午前中に出したんで、今日か遅くとも明日には着くと思います。いろいろお気遣いさせてしまってすみません。でも、あんまり気になさらないで下さい。気を遣いすぎるとお互いくたびれてしまいます。軽ーく肩の力を抜いて、その分末永くおつき合い下さい。

2004.11.14

 柴田よしきさんちの男猫ぴー太くんが大往生。なんと18歳だという。すごい。そんな話をネットで拝見したので、自分の家に前いた猫のことばかり一日考えていた。うちのは同腹の男と女で、男は黒猫でライル、女は黒虎でムチャチャ。ライルはアラビア語で「夜」という意味で、ムチャチャはスペイン語で「女の子」という意味。どちらもネーミングとして非常に気に入っている。ライルはいまや「龍」シリーズのキャラとして再生しているが、実は篠田のデビュー作『琥珀の城の殺人』でしっかり黒猫として登場している。ムチャチャも使ってみたいと思いつつまだ果たせない。
 そんなことを考えながら一日過ごして(ちなみに仕事としてはベトナム本を読みつつプロットを練っていた)家に戻って、読み忘れていた朝日新聞社のPR誌「一冊の本9月号」を開いたら、なんたる偶然、村田喜代子さんのエッセイに死んだ飼い犬の話があって、そこに式亭三馬の「浮世床」でおばあさんが死んだ犬の霊を口寄せしてもらう話とか、飼い猫が口を利いた話なんてのが出ていた。ネズミを逃がして「残念なり」とつぶやいた猫、なんてあまりにもリアルだ。
 実は篠田の家の猫も口を利いたことがある。いや、理性的に考えれば寝ぼけて聞き間違えただけだとは思うのだが、ライルとムチャチャが健在だったある冬、ふたりはしっかり篠田の布団に入ってきた。人間もふたりいるのだから、別々に入ってくれれば狭すぎないしお互い助かると思うのだが、ときどき兄妹喧嘩して大騒ぎになるくせに、ひとつ布団に入りたがったんである。眠る前にムチャチャはライルを舐めるのが日課でした。特にライルが面倒がってあんまりきれいにしてない耳の中なんかを。
 で、まあ、そのままあったかくてこちらもうとうととなっていたら、そのときムチャチャがライルに話しかけたんです。「もう寝たよ」 あんまり驚いてこちらの身体がびくっとなったんで、ムチャチャもびくっとなって布団から飛び出してしまい、誉めれば剛胆けなせば鈍感なライルはそのまんま寝てました。久し振りに思い出したよ。
 ライルは太く短く7年、兄に死なれて一時引きこもりやってたムチャチャは14年生きました。愛しい猫どもよ、君たちはいまもわしらの記憶の中に住んでいるよ。

2004.11.13

 昨日書き終えた部分を修正して79頁。次の章を1頁だけ書きかける。だが、やはりここは落ち着いてプロットを立てようとパソコンを切って、『龍臥亭幻想』を読んでしまった。つまらなくはない。頭の部分はなかなか読みづらかったが、上巻の半分を過ぎると先が気になってくる。ただまあ、本格ミステリとしてはどうなんだろう。
 今年は本格ジャンルの大作が次々と刊行されて、たぶんマニアな読者は嬉しい悲鳴状態というところだと思う。篠田は年間ベスト10のたぐいには一切投票しない。本格ミステリ大賞の場合、先に候補作を決める作品アンケートというのがあって、その後5作程度に絞られた候補作を会員が読んで投票する。会員として名前を連ねている以上投票は義務だと思うし、5作ならなんとか読んで読めないことはないから、その場合未読本は購入して改めて取り組むことになる。
 だが取りあえずまだ候補作が決まらない段階で、寄贈を受けていない本格ミステリを購入して読むかといえば、今年はもう読む余裕はないな、というのが偽らざるところだ。仕事が死ぬほど忙しいわけではないが、老眼の進行で読める本は減る一方だし、そうなるとミステリ以外に読みたい本はいくらでもある。仕事関係で読まなければならない本もたくさんある。そろそろ、死ぬまでに何冊読めるかを考えなくてはならない段階が来ているなあと思うのだよ。

 読者からのお便り回送。とても心が温かい。返事はちょっと遅くなると思うので、ここでまとめてお礼を申し上げておきます。ただ、プレゼントをいただくのはなんだか申し訳ない。本を買ってくれて、読んでくれて、その上感想のお便りをいただけるというだけで充分すぎるくらい有り難いので、どうかお気遣いなく。

2004.11.12

 どうもまだ体調がいまいち。胃が変。建築探偵続行77頁まで。これで出来ていたプロットの分を書き終えてしまったので、明日からはベトナム部分もふくめてプロットを作らないとならない。取材から帰ったら年末年始を挟んで休みを除いても一ヶ月くらいはあるから、まあどうにかなるんではないかな。

 神田から消えたケーキ屋エスワイルは春日町に移転していたことが判明。ついでに回れる場所という感じではなくなってしまったが、くやしいのでなんとか買いに行ってやるぞ。

2004.11.11

 光文社の担当さんと話す。ジャーロ12月発売号で完結する『すべてのものをひとつの夜が待つ』のカッパノベルス版は、来年六月になる可能性が高くなった。建築探偵は四月予定で『紅薔薇伝綺』は八月でほぼ確定なので、そうかなー、という感じ。来年の日程もだいたい決まってきた。今年同様、わりとのんびり仕事が出来そう。
 ちなみのこのジャーロ連載作は、ジャンルわけするならゴシック・ロマンに入れるのがよいのではないかという気がする。閉鎖状況での連続殺人ものだが、犯人は予想の範囲内に落ち着くので、読みどころはそこじゃないのだ。どっちかというとたっぷり伏線を引いた「背後の謎」に眼目がある。そういうくくりではまだ書きたいものがあるので、編集部のお許しがいただければ再度挑戦することになるだろう。
 なお、あまりジャンルにとらわれないような書き方をしている篠田だが、よく考えてみれば分類は不可能ではない。建築探偵や『アベラシオン』はミステリで、超自然的要素は無し。龍は伝奇アクションで超自然あり。ホラーは超自然ありだが、前者ほどあからさまでなく、戦略的に曖昧。ゴシック・ロマンは伝奇に近い部分もあるが、最終的には超自然的要素は排除される。これはイギリスではどっちも、幻想要素の近い作品と、合理に落ちるミステリに近いものと両方ある。篠田の場合は後者で、ではミステリとゴシック・ロマンの差はどこかというとロジックの有無である。

 そのほかは体調がかなり悪かったので(二日酔いではない)沈没して読書三昧。
 読了本『水の迷宮』 石持浅海 カッパノベルス これまでの3作の中では、これが一番面白く感じた。着実に上手になっているな、と。本格ミステリとしてのとんがり方からいって前作『月の扉』の方が良いと思う人も少なくないとは思うが、篠田はやはの小説としてのバランスの良さからこちらに軍配を上げたい。
 日本の古本屋というサイトで、ついでがあったので森真沙子さんの『青い灯の館』と『東京怪奇地図』を購入。前者はまさしくゴシック・ロマンで、後者は幻想ミステリ地霊つきとでもいいたい短編連作の名品。角川はこういうすばらしい作品を埋もれさせておくんだから赦せないよっ。

2004.11.10

 日比谷へ「笑の大学」を見に行く。とても面白かった。笑って、最後は泣いた。最も篠田は涙もろいので、すぐに泣くのである。それから神保町へ行ってなじみのケーキ屋エスワイルに入るつもりだったら、店が消滅していて愕然。しかたなく神楽坂の喫茶店に行ってお茶と焼きりんごを食べ、石神井公園の居酒屋で夕飯にして帰宅。今日は一日全休。

2004.11.09

 昨日の図書館での調べものの成果をすでに書いてあった部分に入れ込んで手直ししつつ原稿を進める。そんなことをしている間に、ページは65頁まで来たのにいまだに京介と深春は京都にいる。ヴェトナム編と銘打ってきたわりには、皮が厚くてあんこがちょっぴりのおまんじゅうになってしまうのだろうか。いや、飛行機はすでに取れたというので、12月にひとりで行ってきますよ、ハノイ。なんとかなるでしょう、たぶん。それに海外編って、苦労する割には反響が今ひとつ。でも今回ヴェトナム関係の本をまとめてよんだおかげで、あの国の近代史がだいたい頭に入ったというのは、ほんと良かったよ。雑貨買いに行くお嬢さん達も、戦争のことくらい頭の隅に止めておきなさいよ。

 今日は読了本も一冊あるのだが、つまんないっ、というほどでもなかった代わりに、おもしろかったっ、ともいえないような小説だったもんで、それについては書くのは止める。でも自分でお金出して買ったなら、「えー」と文句いいたくなったかも知れないな。作者からの贈呈ではなく、出版社からもらった本なので、でも身銭を切ったわけではないので、けなすのも止めておきましょう。
 明日は映画を見に行くのであります。三谷幸喜の「笑の大学」、るんるん。

2004.11.08

 国会図書館まで行って、伊東忠太が設計に関与したかどうかいまいち不明確な、かつて芦屋にあった大谷光瑞の別荘二楽荘のことを調べてきた。1999年に芦屋市立美術館で「二楽荘と大谷探検隊」という展示をやったというのがわかったので、しかし残念ながら図録はすでに売り切れていたから、その図録を見に行ったのである。これまで妙に伝説めいた語り方しかされていなくて、幻想がふくらんでいたのだが、鮮明な写真を眺めるとこれはどうやら忠太は設計には噛んでないのが正解だな、と思うにいたる。外観はなかなか様になっているのだが、設計図は残っていなくて、推定平面図は凡庸だし、中国室、インド室、アラビア室、エジプト室などがあったというインテリアも、てんでいまいちなんである。忠太ならもっとうまくやれたはず、という気がする。しかしまあ、確認してきたので安心して書ける。もともと忠太は素人には手の届かない未刊行資料が多くて、全貌はいまひとつ把握しづらいのだが。

 読了本一冊。『ある歴史の娘』犬養道子 中公文庫 5.15事件で暗殺されたときの首相犬養毅の孫娘が、少女時代から思春期への心の形成を語る回想記。少しだけヴェトナム関連で読み出したのだが、これがめちゃめちゃ面白い。「話せばわかる」といった犬養に「問答無用、撃て」といって反乱将校が射殺したというのが定説だが、この定説は正確ではない、という推理など、母の証言から当時を知る人間の日記、さらに孫娘ならではの故人の性格分析などを含めて妥当な解釈にいたりつくところはミステリのようだ。
 建築に関心がある身としては、5.15当時の犬養邸がライトの弟子遠藤新の設計したもので、これが恐ろしく住みにくく、犬養亡き後そこに越してきた息子一家(道子の両親兄弟たち)が心底閉口して、しばらく後に軒が落ちたら「さあ、これで建て替えられる」と快哉を叫んだ、などというエピソードにニヤリとさせられる。
 しかし犬養の長男である父がリベラルな政治家、知識人として、日中和平工作に奔走しながらついにそのもくろみ空しく、ゾルゲ事件にフレーム・アップされた悲劇、その周辺にいたいくたの日本人、中国人たちの横顔を語って彼女の筆はよどみなく、そうして歴史の闇に消えていった人々の無念に落涙しかかる。
 敗戦前夜、人生の意味と無意味に呻吟し続けた道子は、ついにキリスト教へとたどりつき洗礼を受けることになるのだが、篠田は残念ながらそこには共感できなかったものの、読むべき価値のある一冊、とひさびさに心から感じられた本だった。ちなみにまだ絶版ではないようです。

2004.11.07

 仕事してます。建築探偵。55頁。ああ、他に書くことがない。国会図書館にもう一度行かないとな、という感じになってきてしまった。明日、行くかなー。めんどいけど。仕事なのにそんなこといっちゃあアカン。

2004.11.06

 仕事してます。建築探偵。46頁。それ以外なにもしていないので、書くことがないのであります。ベトナムに行けるのは12月に入ってからなので、物語の方もなかなかベトナムに行かないまま進行することに、なってしまいそう。季節の問題があるから、やはり作中時間に合わせた季節に行きたい。って、それなら1年前から計画して取材するようにしないと、かえって段取りが悪いぜ、ということになってしまいます。反省。まあ、数年前の記憶を無理矢理引っ張り出して書き進めようか、です。

2004.11.05

 建築探偵ベトナム編をぼちぼち書いている。ところでやはり書ける速度は伝奇とミステリだと前者が圧倒的に速い。いばるようなことでもないけど、ミステリの方が伏線とか一応考えるから、前日書いたところにまた伏線入れるんで戻ったり。それとこれは伝奇でもあるけれど、描写を後で戻って足すことが多い。先に話の筋を書いて、それから「ああ、周囲の風景なんかも少しは描いておいた方がいいのでは」なんて戻ったり、「初登場の人だから顔の描写ももう少しね」と戻ったりする。
 どっちにしても頭の方が書くのは遅い。長編の場合、前半分については「書いても書いても終わらないよお」とべしょべしょいいながら書く。伏線を回収しながらクライマックスに向かうあたりになると、やはり早くなってちょっとだけは気持ちよかったりする。坂道を自転車で滑り降りるような気分だ。でも『失楽の街』のときはクライマックス手前で苦しかった。三人称多視点で、事件が東京のあちこちに広がっていたから、それをだれずにラストまで畳み込む道行きが決まらなくて、眠れなくなって、でもベッドの中で悶々としていたら、明け方近くなってようやく筋道がついて「ああ、だいじょうぶそうだ。どうにかなる」と思った。
 そうなるまでがしんどかったが、いまはまだその遥かな手前だ。しんどさの頂点のときは小説書くのがマジでイヤになる。もうこんなしんどい思いするのは嫌だと本気で思う。でもいまさら潰しの利かない身なので、他に就職先が見つかる歳でもないし、少しずつ売れなくなっていっても首を切られるまでは、ノトノトと書き続けるしかないんだろうな、と思う。そして「もうあなたの原稿は要りません」といわれるときが来たら、きっとあきらめ悪く「いいもん、同人本で出すもん」とかいっちゃうんだろうな。

 文章のトーンが暗くてすみません。ちょっとだけ疲れているみたいです。でも、たぶんなんとかなるでしょう。作家の仕事場はある意味戦場だけど、テロリストはいませんから。

2004.11.04

 実のところイラクで殺された彼のことをまだ考えている。週刊誌あちこちの広告にタイトルが出ていたので、立ち読みしてみたがろくな情報はなかった。ただ彼の言動らしきものが描写されているのを読むと、いかにも最近の若者、他人の善意を平気で信じてしまう人の良さと甘えが感じられる。篠田が貧乏旅行をした当時に旅先で出会った連中とて、考えてみれば危ないことをしないわけではなかったが、もう少しはしたたかだった。
 アンマンで出会った日本人映画監督はことばを尽くして引き留めたが、「なんとかなりますよ」というばかりだったという。それまでは確かに「なんとかな」っていたのだ。だからこの先も「なんとかな」ると彼は無邪気に思い、ビザも取らねばホテルも決めず、情報を集める努力もせず、たった15000円持ってイラクの国境を越えた。その馬鹿さ加減を篠田は「反吐が出る」と書き、それにはあまりきつすぎることばだという反発も受けた。だが避けられるはずの死をみすみす自分で招き寄せてしまったその行動に対して篠田は、たとえ死んだ被害者である彼の墓につばをかける行為だとしても、それ以外の表現がない。
 テロリストは、あれはもう人間ではない。イスラム教にはジハードの教義はあるが、あのようなためらいもない残虐を正当化することはない。十字軍の時代、より残酷で無秩序だったのはキリスト教徒であり、イスラム教徒ではなかった。かつての十字軍がそうであったように、あのテロリストたちは殺人行為を宗教で正当化することで、生きながら「人であること」から堕ちてしまった。彼らに対しては、「反吐が出る」ことすらない。深い嫌悪と恐怖があるばかりだ。
 しかしあの青年には、死ぬまでに彼が味わったに違いない恐怖、絶望、人間に裏切られたという思いを想像するだけで戦慄が湧く。思えば思うほど彼が哀れでならない。この世界にはなんともならない、善意や信頼の通用しない場所が、なんともならない相手がいるのだということを悟って、生きて帰ってきて欲しかった。

2004.11.03

 昨日は昼間は講談社の担当とベトナム取材の打合せをして、夜は祥伝社の担当とヴィスコンティの『山猫』を見てきた。アラン・ドロンの美男っぷりより、クラウディア・カルディナーレのむちむちより、バート・ランカスター演ずる老いた雄ライオンのようなシチリア貴族がなんとも良かった。3時間退屈するかと思ったがとんでもない。シチリアの赤土の大地や、パラッツォの内装や、街のたたずまいや、衣装を舐めるように見ているだけで快感。そして自らの老いと階級の没落に思いを馳せる公爵の涙に、共感は出来ないけどぐっと来ました。いいですなー、ヴィスコンティ。昔岩波ホールで『ルートヴィヒ 神々の黄昏』を見たときは、このドイツ中のドイツという話に耳に聞こえるのがイタリア語だよ、というのがどうも気になったものだが、今回はシチリアだし。『地獄に堕ちた勇者ども』が見たいなあ。『ベニスに死す』ももう一度見たいなあ。

 今日は建築探偵を書き進める。24頁まで。ここしか出ないよ、の蒼の会話部分を。

 読了本。『アルファベット・パズラーズ』大山誠一郎 東京創元社 ミステリ・パズルとしては良く書けている。でも「これぞ本格ミステリ」といわれるとそうか? と聞き返したくなる。なぜかといえばここでの「謎と解決」は、リアルの水準を甘くすることでのみ成り立つものだからだ。具体的なことをいうとネタバラシにしかならないので、やむなく比喩的に言う。つまり「金田一少年の事件簿」みたいです。自殺を考えていたら天涯孤独の人間と知り合ったので、そいつを身代わりにして身分証明を強奪した上殺人、さらに整形手術で別人になってその人物が云々。これはこれで江戸川乱歩の通俗長編みたいに奇想天外で面白いけど、そういう趣向がわりとリアルな設定の物語に混ざり込んでいるとすごく変。「あるか、こんなこと」といいたくなるのを目をつぶってリアルの水準をあえて甘くすれば「そういうトリックはまあ成り立ちますね」ということ。奇想天外でありそうもないことが小説としてダメなのではなく、作中世界全体の整合性というあたりに無理がかかっている。ゆえにこれは本格ミステリではなく、小説風に書かれた本格ミステリ・パズル。もちろんこういうのが好きな読者はたくさんいるに違いない。

2004.11.01 

 国会図書館でコピーを取ってきた『貿易風の仏印』という本を読む。1938年にフランス人が植民地であるインドシナを旅行したその旅行記。ベトナムで売られていたのを日本人が買って翻訳して、1942年に刊行したものだ。当時日本軍は北からベトナムに侵攻してフランス植民地政府と並立しているような状態だったから、日本でも関心を持たれるだろうという意味で出したのだろうが、これがなかなか妙な本で。いやもちろんフランス人としては、植民地支配を悪いこととは思っていない。民族自決なんて観念のない時代だから、植民地政府は地元の人々を文明に導く善行をほどこしている、というのが大前提なわけだ。
 それでも車を雇って南から北へインドシナ半島を駆け抜けようというくらいだから、けっこう冒険野郎なわけで、風景に感動したり、フエの王城や墓地を訪れてはその美に感銘を受けたりはしている。同時に歴然と黄色人種差別を垂れ流したり、箸を使ってご飯を食べるのを「奇怪な習慣」といって、一応試してみるけど使えなくてギブアップしたり。昔の人の価値観を知るという意味では面白かった。しかしよく考えてみると、いまイラクにいるアメリカ兵なんかだって、善行を施すつもりで爆弾蒔いてる可能性が高いし、フランス人だけでなくベトナム戦争にしてからが結局それでしょ。最近のアメリカ見ていると、ベトナムの教訓をこの人達きれいに忘れてるね、という感じで、なんともはや。
 主人公たちがベトナムに行くまでの部分はもう書けるな、というわけで今日から書き出してしまった。建築探偵新作。タイトルも本決まりしてないんだけど、頭は京介の独白から。なんかもう、ほんとマニアックなところにどんどん入っていく感じなんだけど、読者様はついてきてくれるかしら、後5冊。出すたびに部数が減ったりしたら、超悲しいな。11頁まで。
 明日は夜不在なので日記は一日お休み。