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2004.09.30

 歯医者がまだ終わらない。篠田の歯医者恐怖症はほとんど恩田陸さんの飛行機恐怖症に匹敵するな、などと思ってしまう。あー、しかしとうとう京都の前までに終わらなかった。来週こそ麻酔かけられることになりそう。
 仕事の方は相変わらずじりじりと。一応4回目までは終わり。最後の回はCDが入手出来てからもう一度手を加えるというつもりで、取りあえずいま書き足し中。どちらにしろ建築探偵に本格的にかかるのは京都のぎりぎり前のつもりで、それまでは「龍」のその後のプロットの浮かんできた部分をメモしておこうかと思ってる。
 舞台はヴェネツィア、囚われのセバスティアーノ姫を救いに行く勇士透子のお話に吸血鬼が絡んでヴァティカンと三つどもえ、というような話になるんじゃないかなと思っておりますです。最近セバスティアーノに強烈なラブコールをくれている読者さんのサイトがありまして、なかなかにあおられております。好きだといってもらうと、そのキャラに関してお話がどんどんふくらむというのが不思議なことであります。

2004.09.29

 昨日は美輪明宏様のパルコ劇場リサイタル。残念なのはシャンソンやオリジナル曲が少なかったことで、シャンソンは「ボン・ヴォワイヤアジュ」「アコーディオン弾き」「愛の賛歌」の3曲。何度も聞いているけれどそこは生なことで毎回少しずつ違うところもあって、特に最初の曲は、以前はだまされて娼婦に堕ちて老いぼれた女がその男に捨てられる未練と悲惨の印象が強かったのだが、今回はそこを通り抜けて赦しの表情まで行ってしまっていた。最後まで自分を裏切る男を哀れみ、赦してしまう微笑み。それはもう観世音菩薩としかいいようがない。これと「愛の賛歌」については『美貌の帳』の中に登場するので、小説の読者とだぶっている方がひとりでもいらしたら、ここで美輪さんの歌声をだぶらせてくれると嬉しいな。しかし篠田がこの中で一番好きなのは「アコーディオン弾き」でして、娼婦とその恋人のアコーディオン弾きの話、楽器を操る男の指の動作が女の身体への愛撫に重なり、それがまた旋律へと還っていくイメージの奔流、そのエロティシズム、そして死別と老残という悲劇。ああもう、ことばが追いつかない。
 仕事の方は第四回分がほぼ終わろうとしているのだが、ここで突然「レクイエムが聴きたい、それもグレゴリアン・チャントのレクイエムが」ということになってしまい、いや、クライマックスで出るもんで、CDを探したんだけどアマゾンでも少し待たされるみたいなんで、まあそれが雑誌掲載されるのは来年だし、最終回分だけ原稿は少し待ってね、祥伝社Y様。

2004.09.27

 依然として『紅薔薇伝綺』の直しを続けている。勢いで書いたところに伏線を足したり、繰り返しを削ったり、まあいろいろ。京都行きの前には絶対終わらさないとなあー。
 明日は美輪明宏様のリサイタルですので、日記はさぼります。

2004.09.26

 すいません、話題がない。仕事しかしてないんだもの。『紅薔薇伝綺』赤入れ中。第一章102枚、第二章104枚で一応確定。これが終わるとイタリア編かな。ヴェネツィア、トリノ、ローマ。少なくともトリノとローマは取材に行かないと。トリノなんか一日しかいなかったから、いくらウソ八百見てきたようなの物書きでも、ちとウソの素材が欲しい。
 トウコ姉御がセバスティアーノの後を追ってイタリアへ。しかし、あのふたりは結局のところ頼りない弟をどつきたおしながら可愛がっているお姉ちゃん、にしかならないね。結局セバスティアーノって、なんだかんだいっても愛されてるんだけど、なぜかその愛され方がハードと言いますか、みんな「良い子良い子」って頭なでるんじゃなく、踏んだり蹴ったりしながら愛だけはたっぷり。って、当人にとってはちっとも有り難くない、愛されているという実感に乏しいかも。それも不幸かな。
 あとは洗濯。なぜこうも天気予報が外れるの、とぶちぶちいいながら、浴室乾燥使いっぱなし。

2004.09.25

 一応書き終えた後に手紙が回送されてきたので、ここらで前のと合わせて返事を書こうと思ったのだが、結局三通書き終えたところで11時近くなってしまって、これでは全部書いたら今日が終わってしまう、と申し訳ないがそこで断念。読み直しと赤入れの仕事をする。その内容に触れるわけにはいかないので、別の話題を。
 一昨日書いた『ゴシック・ハート』との絡みで考えたことなのだが、さる書評サイトに『アベラシオン』の感想がアップされていて、たぶん男性だと思うのだが、「藍川芹の常識的で正義感丸出しの意見が書かれるたびにしらける。今度はああいうの抜きで書いてもらいたい」というような主旨のことが書かれてあって、「ふーん」と思ったのだった。
 女性読者は「芹が好き」という人が多かったな、というのは別にいいのだけれど、篠田は根が「ゴシック者」でありまして、そっちへ行きっぱなしになることはちっとも難しくない。だけどそれで小説を書いたら、すごく狭い範囲の読者にしか届かない、自己満足か純文学みたいなものになってしまうんじゃないかな、と思うんだ。
 篠田はエンタメ作家として、間口の狭い行き止まりの小説は書きたくない。実は自分の楽しみのために読者を想定しない作品を書いたこともあるが、結局途中で止めた。篠田にとって「藍川芹」は自分と外部を繋ぐリンクであって、それなしでは小説にならないというか、そういうものは書いても仕方ないと思う。100万部売りたいとは思わないけど、1万部くらいは読んで貰える小説でありたいからね。
 逆に100万売れる小説というのは、またまったく違ったもので、たぶんゴシック者の趣味嗜好はそんなに売れることはないはず。それに日本の税制では、億単位の収入があれば9割は税金で取られる。そんな馬鹿な状態になるために、売れやすい小説を書くわけもないよね。だから、たまたま売れてしまった人はたぶん決して幸せではないと思う。

2004.09.24

 一応最後まで書き終えてほっ。しかし終えた途端に「あれもこれも書いてない」という気になる。ラストが近づくとつい筆を急いでしまうのだ。というわけで明日から書き直しをする。出来るだけ今月中に、は無理かもしれないけど、10月の第一週までには終わらせないと予定がつっかえちゃう。
 でも、ここらでひとつとっておいたいただきもの本を読もうかなと、恩田陸さんの『夏の名残の薔薇』を仕事場から持ってきたら、皆川博子先生の新刊『薔薇密室』が超ボリュームでどっかん。せっ、先生っ。なんでこんな分厚い本をばかばかお書きになれるのですか。篠田なんてもうへろへろですのに、篠田の母と同い年の先生が。もう、すごすぎますっ。しかし薔薇二連発ですな。そして篠田の「龍」次回作は『紅薔薇伝奇』と。でもこっちが本になるのは来年です。
 ところで『魔女の死んだ家』は有り難や三刷りになったのだけど、申し訳ないのはミスをそのたびに訂正していることで、しかも三刷り見本をもらって開いた途端にノーチェックの部分にミスが発覚。がびん。あたしバカよね。「ぼくは生きているものに」は「僕は生きているものに」ですわよ。正誤表配りたいくらいだわ。いい年して慌て者がちいとも治らない。このままつんのめるようにいっちゃうのかなー。

2004.09.23

 今日はエアロバイクさぼって、仕事場から一歩も出ずにパソコンに向かっていたおかげで、やっとこクライマックスだなあという感じが漂ってきた。枚数見てくるの忘れたけど。あと3日か4日で取りあえず初稿ラストまで、と行けるだろうか。今回は読み直して手入れする必要がありありだけど、最後が近づいてくるとほんとほっとする。

 読了本『ゴシック・ハート』 高原英理 講談社 いまはなき雑誌幻想文学の新人賞でデビューした小説家、評論家の長編書き下ろし評論。いわゆるゴシック・ロマン文学から乱歩、澁澤、現代のマンガ、アニメ、人形、廃墟趣味と、現代に於ける「ゴシック的なもの」のカタログと世界地図で、趣味が大いに重なる篠田にとっては、自分の立ち位置を改めて確認する書物だった。第四章様式美 の項に、現役作家で「ゴシック耽美」として肯定できる人、というくだりで、皆川博子様や山尾悠子様などと並んで篠田の名前も挙げてもらっていて、とても嬉しい。ゴス・ロリだけじゃない、ゴシック的な美学と世界に興味があるけどなにから手を付ければいいのかわからない、という初心者にもブックガイドとしてお勧めしたい一冊。ミルキィ・イソベの装丁も黒と銀でなかなかにゴシックしています。

2004.09.22

 朝は歯医者(まだ終わらない・涙)、午後はジムで、その間に原稿32枚。ああ、まったく話題がなくてごめんよ。

2004.09.21

 喫茶店に行って第五回のプロットを立てる。最近睡眠の質が低下していて、頭がいまいちしゃっきりしないので、コーヒーをお代わり。この話は結局セバスティアーノがふんぎりを付ける話、なんだなといまごろになって納得。しかし光原百合さんからも「いいよね」といわれたセバスティアーノ、作者的には「鬱病ぎみのネズミ男」なのだが、「多少美化しています」とのこと。小説の場合、読者がそうして想像でおぎなってくれるので、それはそれでどうぞお好きに、という感じ。しかし光原さんも含め、セバ・ファンは皆様「いじめられっ子」だとおっしゃる。うーん、そう?
 15枚書いたところで力尽きた。なんとかちゃんと眠らないとな。

2004.09.20

 取り次ぎの日販から送られてくる新刊のPR誌に喜国さんの『本棚探偵の回想』発売中と書いてあったので、急遽仕事を休みにして池袋のリブロまで行ってきたのだが、まだ出ていなかった。ぶちぶち。まあ、他の本を買ったから良いけど。それでレジをするとき、どうも店員さんがこちらとの顔を見て微笑んでいるようで、別に感じが悪いのではないのだが、なんとなく「?」という気分でいたのだが、途中で気が付いた。こないだここの店頭でサイン会をしたときに、顔を覚えられた可能性あり。ひょえっ。何かやばい本は、ないな、うん、ない。いや、別にいいんだけど。自分の嗜好隠してないから。でも、やっぱりなんとなく変な気分だよね。自分が知らない人が、一方的にこっちの顔や名前を知っているというのは。テレビのタレントなんて職業の人はそれがきっと当たり前で、逆に気づかれないと「あ、落ち目かも」なんてがっくりするのかも知れないけどね。

 読了本『魔王城殺人事件』歌野晶午 ミステリーランド ちゃんとミステリしていて、かつ魅力的な児童文学だなあ、と感動した。自分が書いたのは「どこが児童文学」だったもん。あ、でもね、あれは少女小説なの。最近絶滅して久しいジャンルという気がするけど、吉屋信子とかそのへんの流れを引く、耽美な少女小説だと思ってやってちょーだい。

2004.09.19

 今日はエアロバイクは後回しにして原稿をやる。104枚で一応第四回が終わり。その後で一時間バイクを漕いだらかなりくたびれた。今日も暑い。
 祥伝社からファンレター2通回送。どちらもおなじみさんだった。いまちょっと返事を書いている余裕がないので、こちらでお礼を。兵庫県のC子さん、いつも丁寧なご感想有り難うございます。吟味して下さる便箋なども含め、楽しく拝読しています。10/9にはわざわざ京都までお越し下さる由、有り難うございます。お目にかかれるのを楽しみにしています。
 群馬県のA子さん、篠田も今年の夏は取りあえずビールの後は焼酎でした。あっさりとした麦や米も、匂いが個性的な芋焼酎もどちらも好きです。泡盛もいいです。それから深春と京介のことですが、お互いの「特別感」は『月蝕の窓』あたりで相当出ている、と作者は思っています。あれ以上書くとボーイズラブみたいになっちゃうし、そもそもノンケの男はそういうことはあえて意識に上せはしません。
 それからレゴラスとアラゴルンですが、友人と話していて「なるほどっ」と最近思ったこと。レゴラスは「小さいものが好き」なんだそうです。で、裂け谷で育てられていた子供時代のアラゴルン、幼名エステルを猫の子みたいに可愛がっていた。だから王様があんなばっちい大人になっていても、彼の目には「ちっちゃくてかあいいエステル」が見えている。そのへんの流れでホビットも好きだし、ギムリもカワイイんだって。不老不死のエルフからするとすぐ大人になってすぐ死んでしまう人間は、愛すると後が辛い。つまり我々がペットを愛するときと似ている。別にバカにしたりさげすんだりしてるのじゃなくとも、それくらい違った存在ではある、と考えると目から鱗でした。この友人は某有名ファンタジー作家様ですが、ご当人の希望により特に名は秘す、です。

2004.09.18

 今日は久しぶりに暑かった。朝一で運動を終えたらぐったりしてしまって、結局始動が遅くなってしまう。セバスティアーノの口にする祈りのことばを決めるのに、あっちをひっくり返しこっちをひっくり返し。誰もそんなの気にしやしないのにな。しかし小説ノンにラテン語が載るというのもこれが始めてなんでは。
 なんだかんだで79枚。明日には第四回終了といきたい。五回で終わることはまず間違いないけれど、五回目はいくらか長引くかも。エピローグが必要だからな。とにかく9月いっぱいアップを目指してがんばります。

2004.09.17

 今日は一日ひたすら仕事。午前中にとんとんと10枚ほど進んで、これは良い具合だと思ったら、買い物をしてきて、自転車を漕いで、昼を食べて再開したらガタピシしてしまって、あげくは途中で道行きを間違えて5枚ほど無しにして戻った。相も変わらず見通しが立たないことおびただしい。そしてなぜかその日の仕事を仕舞おうというあたりになって良さそうなことを思いつく。今日は55枚まで。悩める修道士セバスティアーノの明日はどっちだ、というようなお話です。かなりマニアック。次回はまた派手にドンパチするから、今回はマニアックな番外編ってことで赦してちょ。

2004.09.16

 久しぶりにパンを作る。天然酵母でライ麦とプルーン入り。しかしパン焼き機でなく手で生地を扱うと、パン焼き機用のレシピでは生地がやわらかすぎて、肉まんみたいな格好のパンになってしまった。
 仕事は『紅薔薇伝綺』第四回を28枚。

 今日の朝刊は例の長崎の事件で、加害少女に対する審判が出たという報道。2年間というのが長すぎるのか長くないのかは、専門家ではないしわからない。ただ、「2年間というのは事件が大騒ぎされたから長くされたのではないか」というようなことをコメントしている人がいて、でもひとりのここまで大きくなってしまった人間を「変えよう」というのだから、2年が長すぎるとは思えないな、と感じた。そ22年間が実りあるものになるかどうかは、これから次第だろうけど。
 被害少女の父親の「一線を越えさせたのはなんだったか、ついにわからなかった」という感想。それは被害者の遺族としては当然だろうけれど、たぶん特定の要因はないんだろうな。死の実感に乏しいとか、他人との共感性に欠けるとか、感情を言語化して表現する能力が未発達とかいわれても、自分が子供の頃はどうだったか。死はすでに病院の向こうにしかなかったし、家が愛と共感に溢れた暖かい親子関係で満たされていたとは到底思えない。私は満たされないものをひたすら読書と空想で埋めていた。友達とうまくいかなくてやりきれない思いを抱えたり、悶々と悩んだりした。なんで誰も殺さないで済んだか。ある意味私はラッキーだったのだ、そういう悪しきチャンスに恵まれなかったことで。それだけだという気がする。
 世の中には理由のないことはいくらでもある。とにかくなにか理由を付けて、つまり犯人捜しを無理矢理して、気持ちを落ち着けるというのはひとつの方法だろう。加害少女の指導のように、ある程度は出来ること、というのもある。だがそれは「ひとつの方法」で「ある程度」でしかないと相対化しないと、自縄自縛の罠に落ちる。それがイヤなら人間は、無意味であること、不条理であることの苦しさに耐えなくてはならない。生きるというのは、意味もなく殺されるかも知れないリスクを承知で、なお人間であり続ける、そういうことなんだから。

2004.09.15

 一月遅れの夏休みという感じで、葛西臨海水族園に行ってきた。呼び物はマグロの回遊大水槽。アルミニウムのかたまりのような光沢のある流線型がぐるぐる回っていて、カーブしたりブレーキを掛けたりするときは第一背びれと第一腹びれがピッと出る。他にもここはサンゴやイソギンチャクに力を入れていて、植物とも動物ともつかぬものが水の中で微妙にうごめいているさまは玄妙不可思議。ミズクラゲの半透明の繊毛がゆららゆららとするのを眺めているとトリップしそうになる。マリンスポーツに興味はまったくないが、水族館は好きなのだ。

 今日は歯医者を済ませて(まだ終わらないけど、次回の予約の1週間後までは忘れていよう)、喫茶店で『紅薔薇伝奇』の続きのプロットをやる。明日には第四回を書き出して、今月中アップが希望的な予定。5回で終わるつもりだけど、終わらなかったなんてことにならなければ、まあ多分大丈夫。ノベルスはほんと売れなくなった感があるけれど(売り場が減っていたり、裏の方に移されたりしているのです)、幸い『聖なる血』に増刷がかかったのでほっとしている。建築探偵だけでなく、龍も篠田のシリーズ作品として認知されつつあるのならとても嬉しい。ヴァティカンを書くならこういうキャラも、という程度の考えで出したセバスティアーノがなぜか一部で人気らしく、カワイイ、などといってくださる方も。当人が顔を赤らめているのが見えるようです。あまりもてた経験がない人なので、からかわないで暖かい目で見守ってやって下さい。

2004.09.12

 朝まずペーパーの発送をする。10数通たまるとやはり何通かは手紙のルール違反が混じってくる。でもそれについては告知板に「ローカル・ルール」を書き出したから、もう繰り返しては言わない。返事にいろいろ書くこともしない。あっさりと済まさせてもらう。
 同人本用のペーパーというのは五月に出した同人本を購入した人以外に意味がないものなのだが、そうではないらしい人からも申し込みが来て、その分には理由を書いた紙をつけて80円切手を返却する。そのことは書いておいたつもりなのだが、もう消してしまったし、明らかに書いておいたことでも誤解する人は必ずいる。要するに少々ややこしい設定をしたこちらが悪いので、誤解されるのがイヤならそんなややこしいことはしなければいいのだ。
 というわけで、今後はペーパーの有償配布もやらないというか、出来ない見込み。ペーパーを作るのは簡単だが、後の作業に時間が取られてしまう。そんな時間があったら原稿を書こうと思うので。もともとイベントで来てくれる方に、なにもさしあげるものがなくて申し訳ないというのが動機だから、イベントに出ることもなければそれも必要ないわけです。感想のお便りを下さった方に、返事代わりとしてペーパーを送ることは今後もあるかと思うけれど、それはあくまでもお便りを下さった方へのお礼としてで、バックナンバーもなしということでよろしく。

 なんとか今日中に『紅薔薇伝奇』の第三回を書き終えてしまいたい、というので、ペーパーを発送したあと昼飯も食べずにがんばって、98枚で一応終える。あと200枚かな。
 明日明後日は息抜きにつき、日記の更新は水曜の夜。しかし水曜は歯医者にいかなくてはならないので、いまからちょっと憂鬱だったりして。

2004.09.11

 昨日の夜寝室に蚊が入ってきて電気を消した途端にぷーん。かゆくて寝ていられず起きること数度。おかげで今日はへろへろしている。原稿は73枚まで。月曜日はまた出かけるので、明日で第三回を書き終えたいのだが、ちょっと無理かな。龍がセバスティアーノをいじめてる〜
 9月に入ってからいただいたペーパー請求手紙は今日まとめて転送されてきた。出来るだけ明日投函するようにしますので、もうしばらくお待ちを。手紙の書き方はくれぐれも告知板をご一読願います。変な書き方の表書きがありましたよ。

2004.09.09

 本日はジムに行ったので原稿は44枚。いつも変化のない日記でまことに相済まぬ。
 明日は所用で外出するので日記の更新はお休みです。

2004.09.08

 今日はやたらと暑かった。さすがにクーラーなしではいられない。エアロバイクも40分で息が上がってしまい、その後はひたすら仕事。第三回24枚。今回は五回で終わらせられるかな。わりと地味な話だからな。

 夕刊を開いたらチェチェンのあの事件、ビデオ映像が公開されたとかで、すし詰めにされた人質の姿に悪寒がする。普通ハイジャックとか、人質事件というのは、人質を殺さないようにしないと犯人も自分たちの身が危ないというので、そのへんは紳士的というか、情状酌量の余地がある犯罪、という印象があったが、これは大量の人質を使い捨てにするというか、千人いれば半分死んでもまだ五百人、という計算で行われたとしか思えない。その残酷さはナチスのホロコーストの残酷さとも少し違って、すでに正気の装いを投げ捨てた狂気の域に足を踏み入れている。ほとんど成算がないという意味で、ポル・ポトの虐殺に似ているかも知れない。
 普通テロというのは弱者がやむを得ず走る政治闘争の過激化、とこれまでは思われてきたけれど、どんなに弱者で、どんなにひどい目にあったんだという動機があっても、赦せる範囲をとっくに超えている。「そこまでやったら人間としての約束を踏み越えてしまったことにならない?」と、聞きたい気分。一瞬の殺人なら激情に駆られてやってしまうことはあり得ても、子供たちが目の前で弱っていくのを何十時間も、犯人たちは平然と見ていられたんだろうか。人間の堕ちる地獄は限りがないね。

2004.09.07

 第二回を98枚で終わらせてひと休み。読み返しは後にして第三回のプロットを立てる。まあ順調。
 ノンノベルには巻末に100字書評というページが昔からあって、そこを切り取って編集部に送るようになっている。先日もらった『聖なる血』の分で、70歳過ぎの男性から、「とても面白いので長く続いて欲しいが、自分の年齢で最後まで読めるかと思うと悩ましい」といった主旨の文章をいただいた。最高の賛辞だと嬉しく思うのと同時に、せつないような気分も味わった。
 しかし、ミステリは着地が決まってなんぼ、というものだけど、伝奇小説の場合は必ずしもそうではない。むしろ気持ちよく風呂敷の広がるのが楽しいので、畳み方はいまいちで「無理に完結しなくても良かったのに」というようなシリーズもあったりする。というわけで、どうかあまりラストは気になさらずにそれぞれの話をお楽しみ下さい。なにせ主人公は不老不死ですから、うまく終わらせる方が難しいと思います。

2004.09.06

 うちの近所で曼珠沙華が咲き出した。いよいよ秋である。しかし歯医者に定期検診に行ったら、虫歯があるから通えと言われて憂鬱な篠田。おかげで原稿の進みも鈍い。やっと93枚。これじゃ9月中に終わるのは難しいかな。
 花園大学の公開講座の詳細が決まった。京都近辺の方、おいでいただけると大変に嬉しいです。それまでに歯医者が終わるといいな。

2004.09.05

 「龍」82枚。例によって先行きには漠然とした予想と、もっと漠然とした「いまのところ歩いている道は正しい」という感覚があるだけ。13世紀の修道院やってるけど、語り手は基本的に一部で人気のセバスティアーノなので、「その時代の人は知らないこと」とかいったことは気にしないで済むのが楽。
 しかし篠田は時代劇が好きなので、せりふも「兄上、お会いしとうございました」なんていうのを書くのが妙に快感である。しかしそれもなぜか、西洋時代劇でなくてはならない。チャンバラは、排斥するつもりはないけど自分で書きたいとは思わない。いまのところ日本を舞台の歴史小説で、いくらか読んだのは司馬遼太郎。時代小説なら池波正太郎だけである。
 それじゃチャンバラになくて西洋時代劇にはあるものはなんだ、というとどうもフェティシズムの原点はマントらしいんですね。背中に襞となって波打つマント。原点は『リボンの騎士』あたりかも知れませんが、ドレスじゃなくて主として男性衣装のマントというところが、いかにもでしょうか。文字からだと断固としてデュマの『三銃士』。鈴木力衛訳の「ダルタニアン物語」です。まあ、なにせ修道院ですから騎士はひとりだけで、後はトンスラ、というのは脳天の部分だけ剃り上げたキリスト教の坊さんの髪型です、あれがうろうろしているはずなわけだけど、ビジュアル・イメージは映画『薔薇の名前』と、青池保子さんのまんが『修道士ファルコ』あたりでおぎなって下さい。

2004.09.04

 昨日は祥伝社文庫版『龍の黙示録』の打ち上げということで東京へ。装丁家の柳川貴代さんとごいっしょする。作品のイメージとぴったり合う、楚々とした美しい方である。デザイン関係の方というのは、わりと作品とご当人がシンクロする気がする。その点小説家はあまり一致しない気が。いや、誰よりもそのへんの落差が大きいのはかく申す篠田ですが。
 深酒はしなかったはずなのに、出かけた翌日は疲労残りでのったらのったら。「龍」はやっとこ60枚。10/9の京都での講演会のため、相方の近藤史恵さんが整理してくれた「話題」に対する答えをおおざっぱに書き出す。わざわざ足を運んで下さる方に、つまんなかったー、とはいわれないようにしたいものだ。
 同人本を買ってくれた方へのペーパーで、唯一の自作ボーイズラブ(というよりジュネといいたいような傾向の作品ですが。つまりライトでない)小説、『この貧しき地上に』全三巻、講談社ホワイトハートのタイトルを上げさせてもらったのだが、これが手元にすでに2組みしかないので、少し買っておこうかとアマゾンで検索をかけたら、なんと品切れ。絶版の連絡はもらっていないが、いつの間にかひっそりと入手不可能になっている模様に、イーブックオフへアクセスしてみると、一冊100円也。これはもう後がないな、というわけで注文しておくことにした。
 そんなわけで『この貧しき地上に』を読みたいと思われた方、新刊で見つけるのは難しいようですので、イーブックオフでの購入をお勧めします。篠田も新刊書で手に入らない本についてはイーブックオフもブックオフも利用します。新刊書店で買える本は、マナーとして買いませんけれど、あっという間に手に入らなくなる本がこれだけある以上、新古書店を否定しても仕方がないです。
 それでも「図書館で読んでます」というお便りをもらうと、ちょっとため息が出ますけどね。私たち、これでご飯を食べないとならないんで、読者様が本を買ってくれる、その10%の印税をちゃりんちゃりんと空き缶に入れてもらって(ここ、古典的漫画的な乞食のイメージ)、「お有り難うございます〜」といって暮らせる、わけです。
 図書館大好きだし、その存在を否定するつもりなんて毛頭ありませんけど、普通に本屋に並んでいる新刊のそれも読み物を貸し出すというのは、無料の貸し本屋以外のなにものでもないという気がします。新刊については何ヶ月かの貸し出し猶予期間を設ける、という推理作家協会からの提案は、決して無理なお願いではないのじゃないか、と思うのですが、いかがでしょう。本を買えない低所得者から読者の楽しみを奪うのか、とかいわれそうだけど、それいうなら新刊だけが本じゃないですよ。

2004.09.02

 「龍」第二回36枚まで。一応しこしこと進行させている。

 書きかけの仕事の内容をばらすのもどうかと思うので、違う話をしよう。昨日は防災の日で、つまり81年前関東大震災が起きた日だ。篠田の大学の卒論は「関東大震災朝鮮人虐殺と日本人の差別観」というものだった。虐殺のきっかけとなった流言、「朝鮮人が暴動を起こしている」「井戸に毒を入れた」といった噂の発生元はどこだったのか。自然発生か、それとも官憲の工作か。左翼系の執筆者は常に後者の立場を取る。そこで噂の初聞きと記録されている記事をピックアップして地図上に配置し、「これが源」といわれているポイントより前に噂が聞かれているところが何カ所もあることを明らかにして、流言はいくつかの災害地からほぼ同時に自然発生し、難民の移動と共に広まり、それを官憲が追認して流布させることで虐殺にいわば公の認可を与えた、つまり民間と官の意図せざる共作だったと結論づけた。この結論は正しいといまでも思っている。
 この虐殺について『失楽の街』でちらっとだけ触れたら、読者からのお手紙で「そんな事件があったとは知りませんでした」と書かれていて、うーん、そうか、といまさらのように思った。まあ、太平洋戦争についての知識すら危うくなりつつある時代、それより前のことが知られていなくても当然とは言わないが、あり得る話かも知れない。
 この事件については語り出したらそう簡単には済まないというので、ほんとの一行話のついでのように登場しただけなのだが、そういう部分について「知らなかった。こんなことがあったんだ」と驚きと共に受けとめてくれる若い読者がいる、というのがとても嬉しい。こういう重大な事件を、たかがミステリの刺身のつまみたいに扱っていいのか、というためらいは常にあるので、その刺身のつまに啓発されてくれる人が一万人にひとりでもいてくれたら、それは無駄ではないなあと思うのだ。
 そんなわけで、特に実際あった歴史的な事件や出来事に関する叙述には、出来る限り事実の裏付けを持ちたいと思っている。

 明日は夜用事があるので日記の更新はお休み。でも、当面は仕事です。

2004.09.01

 台風一過で暑さぶり返し状態のまま9月となりました。皆様お元気ですか。篠田はどうにかまあまあです。本日から「龍」新作の第二回に入り18枚まで。12世紀の修道院なんてのが舞台なので、ディテールの説明でけっこう文字をたくさん使ってしまいます。退屈とか思われないで済む範囲で、雑学というか無駄知識というか、そういうものがイヤでもたくさん入ってくるお話になります。そんな中になぜか一部で人気のセバスティアーノが。はい、驚いたことに彼が好き、といって下さる読者さんがいらっしゃるのですね。全然美形でもハンサムでもない、どっちかというと悪役から転落した三枚目、根暗なネズミ男といいたいようなキャラなんですが、でも書くのは好きです、この人。奇妙に可愛いです、龍にいじめられたり引きずり回されたりするところが。まだ「筆が走ってる」という状態にはならないのですが、まあまあどうにか「正しい道を進んでいることはわかるけど、先が見えない」状態になってきましたので、当面このまま進行いたします。

 告知板ページに「手紙の書き方 ルールとお願い」をアップしました。篠田に手紙を書いてやろうと思って下さる方は、その前にご一読願えると感謝感激です。本当はもっと一般的に使える「お手紙のマナー」を書きたかったのですが、すでに篠田の考えるマナーは古いのではないか、というような疑問も湧いてきましたので、この際は「うちにだけ使えるローカル・ルール」として書きました。よろしく。