←2004

2004.05.31

 今日も暑い。仕事場のベランダには、園芸趣味はないもののいつの間にかプランタや鉢が増えている。とはいえ植わっているものはミントにパセリ、ローズマリー、スープセロリ、オリーブ、ラスベリーと圧倒的に食べられるものが多い。今成長中なのはルッコラ。昔イタリア旅行をしたとき、オイルをかけていないサラダにオイルっぽい味がしてとても驚いたものだった。そのころは日本にルッコラなんてなかったんである。

 『龍』のプロットがだいたい形になってきたので、積ん読本を少しでも減らすことに。いただきもののミステリがかなりの数あるのだが、この際はミステリ以外のものも読まないと。しかし「いま買わないとなくなるかも知れない」と思ってえいっと買った分厚い本、なんていうのは、何年経っても未読の山の中に埋もれていたりするんだよね。
 取りあえず今日は少しでも数を減らしてやろうと、薄いめの本から。ロンドン・ナショナル・ギャラリーのキュレーターが書いた額縁についての本と、女子少年院の法務官だった人が書いた本を読み、イスラム建築についての本を読みかける。我ながら、ジャンルめちゃめちゃであるな。

 明日は天気が崩れて気温も上がらないらしい。さて、山形に持って行く服はどうしたらいいんだろう。

2004.05.30

 なんだかむやみと暑いのである。篠田は夏が苦手だ。しかしいくら暑いといっても、五月にクーラーを入れるのもどうよ。というわけで、エアロバイクを漕いだら汗が止まらず、ぐんにゃり床に延びてしまう。延びたままだらだらと『龍』のプロットを作る。
 次回はやはり過去編ね、というわけで、世界史年表をひねくりながら当時の主要人物を決めて、その年代は1256年ということにする。なんでその年、というと、そこには一応の理由があるのです。前回みたいにハドリアヌス帝とか、聖徳太子とか、有名人は出てこないのだが、文庫クセジュの『カタリ派異端』をひねくっていて、面白そうな人物を見つけたので、その人物の息子ということに。面白そうといっても、性格付けなんかが書かれているわけではなくて、その人がしたことが理由付けなしであちこちにちらちらっと書かれているだけなのだが、そういう方が想像がしやすくて。
 まあそれはともかく、もともとは『薔薇の名前』のパロディをやろうという動機があったのですよ。だから舞台はアペニン山中の修道院なんですが、で、ある理由から物語の開幕は三月十日なんですが、そこまで考えてはたと気づく。それって何曜日? 
 だいたい教会や修道院というのは、教会暦に沿って動いておりまして、しかもそのポイントになるのは復活祭なのだが、復活祭は移動祝日で毎年日が変わる。えーと確か、春分後の満月の後の最初の日曜、だったかな。いま手元に資料がないので、間違っていたらごめんなさい。つまり簡単に計算できるものではない。しかもしかも、13世紀というのは現行のグレゴリオ暦ではなく、古代ローマ以来のユリウス暦だったのだよ。あせっ。しかし三月ならそのへんは四旬節の期間で、聖灰水曜日は何日か、復活祭まで後何日か、というのはやはり気になる。そんなこと気にするのはおまえだけだろうっていわれても、やはり気になるものは気になるんだから仕方がない。
 というわけでネットに向かいましたら、じゃーん、あるんですねー、これが。ユリウス暦1256年三月十日は何曜日で、復活祭まで何日か出てくるのです。しかも一緒にいろんな暦との換算が出来るようになっていて、フランス共和暦とか(フランス大革命に萌えると、あの革命暦のロマンティックなネーミングがぐっと来るんですね)、バリやタイの暦とか、ホビット庄暦まであるのにはたまげた。世の中には暦おたくもいるものと思われ。というわけでめでたく篠田の懸念は解消された。
 その後で『薔薇の名前』をめくりかえしたら、さすがエーコ教授、やることがそつがない。年は書かれていたけど、日付は11月のある日曜日から一週間で、このへんなら射程に入る行事は日付の固定した降誕祭だから、移動祝日に神経を使う必要はなかった。

2004.05.29

 愛川晶さんの文庫につける解説を入稿したところ、愛川さんからお礼のメールをいただく。篠田は例によってストレートな解説は書かず、ちょっとおかしな趣向をこらしたので、これでは困るといわれたらどうしようと少し心配だったのだが、幸いそういうこともなくてほっとする。それとともに『アベラシオン』に対するお誉めのことばも頂戴し、にやにやとやにさがる。物書きの幸せというのは、実にささやかなところにあるのである。
 山形取材が迫ってきたので、ガイドブックで目的地と開館時間などを確認。今回は完全に初めて行くところなので、当然ながら土地勘はなく、手元の資料が便り。それが終わって少しだらだらしようか、あるいは未読本の山を減らそうかなどと思うが、山形は6/2からでまだ3,4日もある。時間がもったいないような気がして、「龍」の新作のプロット作りなぞ始めてしまう。我ながら貧乏性のせっかちである。

 しかし仕事しかしてないかというとそんなことはなくて、物書きのダルな日常をちらりと公開すると、いま凝っているのがパン作り。ホームベーカリー機械にはちと飽きてほったらかしてあったのだが、柴田よしきさんから国産小麦粉とイースト並みに簡単に焼ける白神こだま酵母というのをいただいて、面白くなってしまった。国産の粉はグルテンが少ないので、なかなか上手に焼けないのだが、なかなかうまくいかないというところがまた、挑戦心をかき立てるんである。
 国産粉が少なくなってしまったので、今日は日清のカメリアに足りない分だけ国産を混ぜて、ついでにプルーンのワイン煮をしこたまぶちこんで、最初のこねだけ機械、後は取り出してベランダの日向で発酵。やはり水気を控えなかったのが災いして、ふくらみは七割程度だったが、まず味はいいパンが出来た。粉をこねるのはストレス解消にもなるし、気晴らしとしては大いに悪くない。唯一の問題は、食べ過ぎて太ることっ。そりゃ大問題。

2004.05.28

 『聖なる血』の直しを終えてフロッピーを送付、取りあえずこの仕事についてはゲラが出るまではおしまい。6/2から「桜井京介館を行く」の取材で山形に行くので、旅行の準備と資料の用意をしなくてはならないのだが、なんとなく疲労感でうだっとした後はジムで汗を流す。

 イラクで日本人ジャーナリストが死んだ。篠田は西原理恵子の本をけっこう面白く読んでいるのだが、彼女の元旦那が「アジアパー伝」で書いていたフリー・ジャーナリストの橋田さんが死んでしまったのである。ニュースステーションで顔も見ていたし、いろいろとんでもないエピソードは上記本で読んでいたし、まんざら知らない存在ではないというか、お知り合いみたいな気がしていた人が、突然死んだんだなあとぼおっとしてしまう。
 それはもちろんリスクの大きいところに出かけていたわけだけれど、ニューヨークに飛行機がつっこむ現代なら、日本で暮らしていても絶対安全とはいえないわけで、だからどうするかというとどうもしないというか、イラクには行かないけど外国旅行を取りやめるようなことはしない。行きたいところを我慢して、びくびく長生きするよりは、危ない時代だからこそ後で悔いる必要がないように、やりたいことはやるのだ。
 それはまあ、建築探偵シリーズを書き終えないで死ぬとなると、1000人くらいの読者は恨んで下さるだろうから、それは申し訳ない。ともかく後数年、シリーズが終わるまでは気をつけてというか、そのことは気にしながら好き勝手にします(なんの反省もないな、おまえは)。

2004.05.27

 今日は仕事場から一歩も出ずに『聖なる血』のプリントアウトに赤を入れる。呆れたことにこれがまた、あちこち赤を入れずには済まないのだ。そんなわけで昨日届いた通販の申し込みはまだ投函していない。でも今日はもう届かないからな。残り六名の方、要らないですか。それなら他の人に回しちゃうよ。

 同業者の友人と旅行に行って、夜酒を飲みながら縷々話したのだが、つくづく思ったことは、「編集者を泣かせ、印刷屋を追いつめ、関係者の胃袋の三つや四つ穴を開けなくちゃあ人気作家とはいえないなあ」ということだった。篠田は自慢ではないが、〆切を破ったことがない。自慢するつもりでもなんでもなく、単に小心者なのである。だから間に合わなそうな依頼は最初から断ってしまうし、受けた仕事は前倒し前倒しで片づけないでは気が済まない。
 しかし一緒に旅行に行った同業者(名前を出してしまえば簡単なのだが、篠田とデビューはそれほど違わなくて、篠田よりずっと若くて、まず篠田の数倍は知名度と評価が高く、倍は軽く多く売れているはずだ)は、〆切破りの常習者なのだという。それでもその人が仕事を干されたなどということはなさそうだし、年中山のような〆切を抱えて「破りたくて破っているわけではなく、どうしようもないんだ」ということになっているそうだ。ああ、なんかうらやましい。
 これを読んでいる人で小説家志望の人がどれくらいいるのかはわからないが、その人たちにはぜひ忠告したい。もしもデビューしたらあれもこれもはやらず、ジャンルはひとつに固定すること。寡作過ぎてもいけないが多作すぎても舐められるから、文筆量はほどほどに抑えること。そしてほどほどに〆切は破ること。なんでも書く上に多作で速筆、なんて思われたら、絶対にその書き手は尊重されない。
 いまさらくっついちまったイメージは、ぬぐい去れないけどさっ。というわけで、今日はいささかブラックな篠田でした。

2004.05.26

 昨日までに届いていた通販の処理を済ませ、さらに〆切後に到着のはがきにお断りの詫び状を書く。最初に届いた五枚分はまだ保留にしてあるが、いまのところ申し込みが到着していないのは六冊分だけなので、五冊を切ったらこちらの方たちにもお詫び状を送るしかない。消印はきちんと日付が読み取れない場合が多いし、同じ日に転送されてきた中から当落を選ぶのは気が進まないから。それに、キャンセルだと思っていると遅ればせに小為替が届く、というようなことになりそうな気がするから。きちんとサイトを見てくれればわかると思うのだけれど、はがきだけくれてそのままというのは、本当に困ります。

 旅行中の洗濯をしていたらむくむくとパンが作りたくなり、柴田よしきさんにいただいた国産小麦粉と白神こだま酵母で、今回はパン焼き機を使わず手こね+オーブンで挑戦。気温が高いので発酵はベランダで。本の写真と比べると、最終発酵のふくらみは七割程度かな。でも美味しそうに出来た。味見は晩餐に。
 その後ちょっと横になったら夕方まで爆睡してしまった。明日はなにがなんでも『聖なる血』をやらなくては。

2004.05.25

 新緑の箱根を楽しんだ休暇、といっても芦ノ湖湖畔を二時間散歩した他は、観光もいっさいせず、ゲラを一本終わらせて、カタリ派に関する専門書を一冊読み上げて、さらに前から読もうと思ってなかなか手が付けられなかった創元推理文庫のサラ・ウォルターズ『荊の城』上下巻を一気読みした。この作者は去年読んだ『半身』が実に良かったので、大いに期待して読んだ。作品の凝縮度という点では前作の方が上だと思うが、今回の作品も二転三転するストーリーに翻弄されまくる。しかし、篠田はやはりイギリスは嫌いだ。気候が陰鬱で湿っぽくて、という描写を読んでいるだけで、なんともいやあな気分になってしまう。その「いやあ」さもサラ・ウォルターズの持ち味の内、というのはもちろんなんだけどね。どこまでもハート・ウォーミングで泣かせる話が好き、というような方には、絶対にお勧めいたしません。
 これから月末に向かっては龍シリーズの『聖なる血』を原稿チェックして入稿。来月初めにはメフィスト連載の「桜井京介館を行く」の取材が入るので、そっちはそれまでに片づけなくてはならない。六月は取材した後の原稿を書いてから、龍新作のプロット作りに入り、七月は来年の建築探偵出だし部分が京都になりそうなので、ついでに京都の近代建築を取材してくる。それと合わせてベトナム関係伊東忠太関係の資料を読んで、プロットを考え始めて、後半はジャーロの第五回を書く。八月には龍新作を書き始める。こういう予定の間に入稿した分のゲラや、なにか不測の事態、予定外の仕事なんかが入るだろうから、でもまあ冬にベトナムの取材に行くまでにだいたいプロットが立ち上がれば、来年は久しぶりに四月のフェアに間に合うかなあ。
 とまあ、こういうことをくどくど書いているのは、なにも「忙しいです」とアッピールしているわけではなく(むしろ人気作家の方と比べれば、暇ですといっているようなもの)、自分の頭を整理しているんである。忘れないようにね。

2004.05.22

 今日はまた肌寒い曇天。五月とは思えない天気にちょっと意気阻喪。「龍」新作のプロットをたらたらと進行させる。歴史物なので資料読みに時間を食われる。伝奇だからそんなに厳密な考証をするつもりもないのだが、資料によって百八十度違うことが書いてあったりすると、どうしようかと迷ってしまう。
 それと前回の過去編は龍が語るという枠の中で進行したが、今回は現在時点と過去が有機的に連動するような話が書けないだろうか、などと考える。あんまり複雑なことをして、わかりにくくなってしまっては元も子もないのだがね。その上普通の日本人にはおよそ興味もないだろうような、カタリ派異端とか十字軍とかがぞろぞろ出てくるので。うーん、趣味的に過ぎるか??

 明日から二泊三日で箱根に行ってきます。同業者(一部編集者にばれないように、特に名は秘す・笑)との旅行なので、昼間は宿で仕事なのだが、まあそれも楽しみ。というわけで日記の更新は火曜日までお休み。

2004.05.21

 台風が去って久しぶりの晴天。北海道の方ごめんなさい。関東の話です。昨日はとてもヘビイな話題だったので、今日は軽く。
 建築探偵のサイトを作ってくれている方が、『Ave Maria』で門野氏が作るオリジナルカクテル、「トワイライト・タイム」を試作してくれた。実のところ調べても名前のきれいな青色系統のカクテルがなかったもので、カクテルブックのリキュールのページをめくっていて、名前で見つけたパルフェ・タムールというのを使ってみただけ、というひどい話なのだが。

 カクテルグラスにグレナデンシロップを1ティースプーンたらす。
 冷凍庫でぎんぎんに冷やしたジン30ミリリットルとパルフェ・タムール10ミリリットルを、氷を入れたシェイカーでシェイクしてグラスに注ぐ。

 グレナデンシロップの赤が夕焼けで、リキュールの青紫が暮れかかる夕空というわけ。
 サイトに載っていた写真はなかなかきれい。製作者によると美味であるそうな。ほっ。でも甘いらしい(笑)。リキュールというのはよろず甘いから、だろうなあとは思ったのですよ。たぶん秘書の美代ちゃんも、甘いものが嫌いなんでしょう。

 通販で質問ひとつ。小為替の受取人欄や委任欄はなにも書かなくていいのか。はい、書かないのが正解。受け取る当方が署名捺印して郵便局に持参します。といっても普通はなじみがないから、わからないよね。篠田も同人に脚をつっこむまでは見たことありませんでした。

2004.05.20

 『Ave Maria』にはたくさんのお便りをいただいています。いまはお返事を出している余裕がないので、八月くらいになったらとりまとめてペーパーも作り、お返事を出したいと思っています。今回は特に熱いお便りが多く、また表紙がご好評なのも撮影者の連れ合いともども嬉しいことです。
 今日また届いたお便りから、他の読者にも興味を持てそうな話題をひとつ。といってもこれはとても重い話で、現実で身近な人の死に直面したとき、フィクションで人の死を読んで喜ぶことに強い違和感を感じ、建築探偵も一時読めなくなった、という文面でした。
 これ、篠田にはものすごくよく判ります。書き手ですからよけいです。自分が想像して書いた事件とたまたま似た現実の事件があって、篠田が犯人にしちゃったのと重なるような立場の人がそれを読んだら、きっといたたまれないだろうな、とか。おまえは結局人生のもっとも厳粛なことを、飯の種にしてもてあそんでいるんじゃないのか、とか。そんなことを思ったのもひとつには、『美貌の帳』を書いている最中に、肉親の突然の死に遭遇した、その体験があるからです。肉親に死なれるというのは物理的にも大騒動で、肉体も精神もがたがたになります。篠田はそのときから精神的に動揺すると、手が震えて止まらなくなるようになりました。
 だから読者の方が「読めなくなった」といわれるのは当然だし、腹を立てるつもりもありません。そう思われるのは当然です。でも、篠田は書かずにはいられない人間です。職業でなくとも、物語が身内からあふれ出て止まりません。そして上記騒動の合間に久しぶりにパソコンの前に戻ったら、やっぱり原稿の続きは書けてしまって、書けたことが嬉しくて、自分はこれしかないんだといまさらのように思ったのです。読んだ人が腹を立てることがあれば謝るし、最悪石を投げられても仕方がないけど、そういう声にも耳をふさがずに、でも書くことは止められません。
 肉親の死にまつわるいろいろは頭にこびりついて、というか胸に刺さった棘みたいに痛み続けます。それでどうしたかというと、分かる人には分かる書き方で、肉親の死を作品のネタにしました。姉のひんしゅくを買いました。でも私はそれを書かずにはいられなかった。自分の胸の傷に塩をすり込むようにそれを書くことで、一歩そこから抜け出せたと思います。
 それが正しいことなのかどうか、なんてわかりません。私の行為はある意味、そこに書かれていたことを理解する人には冒涜かもしれません。でも言い訳はしません。私にはそれが必要だった。親しい人の死を乗り越えていくのはそれぞれの人の個人的な体験なので、絶対の正解なんてない、自分で自分の道を探していくしかないんだと思います。そして正しいのは、なにがあっても頭を上げて生き続けることです。

2004.05.19

 五月だというのに梅雨のような気候。雨の音を聞きながらコーヒーを飲んで小説のプロットを練るのも悪い気分ではない、というのは無理に出かけなくても済む人間のお気楽ではあるけれど。お仕事や学校でお出かけの皆様、ごめんなさいね。小説家の場合、身体がぐーたらしているときほど頭は忙しいのですよ。
 今年出る本についての仕事が一段落したので、来年の仕込みをしないとならない。というわけで、今日から本格的に「龍」の次のプロットを練り始める。この前一度少し考えてメモしたのに、そのメモがただの思いつきか、資料に根拠のあった史実かわからなくなってしまった。ぼけてる。
 本当をいうとこれよりも、もこもこと腹の底から湧いてきているゴシック・ホラーなプロットがあるのだが、「龍」は今年のうちに連載を始めないとならないということは、たぶん今年書いてしまわないとならないので、明らかにこちらの方が急ぎである。そしてなぜか、急ぎでないものが書きたくなるんだよね。

 通販の葉書がいまごろたくさん来ている。本当に申し訳ないけど増刷は出来ません。そういう方針で始めたことなので、心を鬼にしてお断りします。精神衛生上良くないのでこういう企画も今回限りにします。それと往復葉書で返信側のはがきに文面を書いている人がいました。これだと返信出来ませんよ。とにかくごめんなさいごめんなさい。

2004.05.18

 「アマデウス」見てきました。でも本の感想と違って、演劇は「面白かったから見てね」というわけにもいかないので、それについては書かないことにする。それと、チケット高いですね。ふう、といいたくなるお値段。1万円越してるんだもの、これと比べたら本って安い娯楽だな、と自画自賛。

 今日は『美貌の帳』の改訂版を全部読み直して訂正し、打ち直す。フロッピーは編集部へ、プリントアウトは解説をお願いする西澤保彦さんへ。というわけでちょっとやれやれして仕事場の中を片づけてみたり。

 通販、キャンセル待ちでいいです、という葉書がたくさん来てしまった。こうなるといっそキャンセルというか、申し込みをくれない人が出ることを望んでしまう。最悪自分の分1冊だけ残して、後はみんなお売りしてしまうとしても、かなりキャンセルにしてくれないと間に合わないようだ。

 お便りの返事。神戸に旅行したこと、あります。異人館街に行って、「異人館まんじゅう」「異人館サブレ」「白い異人館」の看板に爆笑しました。京介が眉間に縦皺を寄せている顔が見えたからです。風見鶏の家は立派でしたね。それと篠田のお薦めは、芦屋に建つ淀川製鋼所有のライト建築です。アメリカに行けなくとも、ライトの邸宅建築の精髄を見られます。

2004.05.16

 『聖なる血』、ラストに到達。今回はいままでで一番長く、本文がノベルス字組で373頁。あとがきと「著者のことば」も書いて一応おしまい。けっこう面白く書けているかな、と自画自賛。しかしくたびれた、というわけで今日の仕事はそこでお休み。来週同業者と箱根に行くので、その前に目の前の二件がラストまでたどり着けて良かった。といっても箱根は観光するわけではなく、昼間は仕事をするのです。夜は飲む。

 ファンレターの宛先はそれぞれの出版社に送るべきですか、というご質問をいただいた。担当編集者はやはり作家に手紙が来れば、支持されているな、と感じて嬉しいらしいので、出来ればそうして欲しい。だが建築探偵と龍と、両方の感想を書きますというのに、わざわざ手紙を別にするのもご負担だから、その場合は講談社に送られても差し支えない。ライトノベルの編集部では手紙を開封するところもあるらしいが、大人のエンタメ系ならそういうことはないので、趣味の小説の感想を書いても、人生相談をぶちかましてくれてもそれはOK。
 ただしファンレターといっても手紙なのだから、手紙のマナーは守って頂きますように。封筒には必ずあなたの住所氏名を書き、初めての方は簡単な自己紹介も入れて頂けると有り難い。学生さんか働いている人か主婦か、そういったことがわかる方が、作品の感想も読んで受けとめやすいからね。それから拝啓で始めて敬具で終わらせる必要は全然ないけれど、前略は本当をいえばNGです。なにが前略といえば「ビジネス文書なので、あるいは急ぎのことで礼儀を守っているような場合ではないので、挨拶の前文を省略させてもらいます」というのが前略だから、ファンレターには変でしょう。
 それと内容はもちろんどんなことでもかまわないけれど、篠田も人間ですから、誹謗中傷、からかいやタメ口は慎んでいただきたい。出来る限りお返事は出していますが、目に余るような文面の場合は無論パスします。今回の趣味の本へのご反響は、通販終了後にまとめてペーパーなど作製してお返しする予定です。質問事項などで、サイトで返事していいものはあまりお待たせしないように、このページで返事していきます。

 明日は舞台の「アマデウス」を見に行くので日記はお休み。昼間は混んでいて席が取れなかったので。しかし前からずっと見たかった演劇なので、とても楽しみであります。

2004.05.15

 『聖なる血』の直し続行。この作品は680枚を20日間で書き上げてしまうという、我ながら疾風怒濤のような執筆ペースだったので、いま読み直すと文章が粗い粗い。語彙のだぶりなんかそこら中というわけで、「うわー、プロの文章じゃないよ」と冷や汗を掻きつつ手直ししている。でも、内容は面白い、ちゃんと。自分でいうかって、だって面白いもの。なんていうか、勢いがあります。勢いしかありませんか、そーですか。でも伝奇だし。篠田の本領はやはりこのへんよね、なんつって。
 評論家筋の評価をもらおうと思ったら、絶対ジャンルはひとつに固定して書き続けるべきなんで、篠田のようにミステリも書くホラーも書く伝奇も書く、書きたくなったらボーイズラブまで書いてしまう、というのは決して得策ではない。そんなことはわかっている。でも、ミステリしか書いてはダメだといわれたら、とっくにげんなりして行き詰まっていただろうと思うのだよね。だって、篠田が書きたいのはなによりも『物語』なんだもの。

 本格ミステリ作家クラブの大賞が決定した。歌野晶午『葉桜の季節に君を想うということ』文藝春秋 これもミステリというより優れた物語だと篠田は思う。本格ミステリという意味では、次点だった有栖川さんの『スイス時計の謎』の方が本格ミステリしていて、篠田もこちらに投票したのだけれどね。まあ、今年はそれでも妥当だな、という決着だったと想うのであります。
 評論賞は千街晶之『水面の星座 水底の宝石』光文社 これも読んでとても面白い評論。「名探偵とは物語の結末を遅延させる装置である」といった刺激的な知見に満ちております。

2004.05.14

 通販、100番以前でも申し込みが届かない人が残ってしまって、正直困惑している。この前に同じ方式で「秘密の本棚」を売ったときは、そういうことはまったく起こらなかったもので、〆切を書かずにはがきを戻してしまった。その点については当方のミスだけれど、郵便局で定額小為替を買うというのはそんなに大変なことだろうか。大変だとしてもそのへんは承知してはがきをくれたものとこちらは思っているので、出来なかったらそれは本が手に入らないというだけでなく、こちらにも相応の迷惑を掛けているのだということは承知して欲しいのだ。私はあなたたちの親でも先生でも保母さんでもない。無償で迷惑を掛けても許してくれるのは基本的に肉親だけだよ、甘ったれないでくれ。

 『聖なる血』の直し続行。来週初めに最後まで行ったら、『美貌の帳』の直しを読み返して、こっちも読み返して、前者は解説をお願いした西澤保彦さんにお送りして、後者は祥伝社に入稿して、そのころには文庫『龍の黙示録』のゲラが来るはずだから、そのゲラを持って同業者の友人と箱根に行く。観光はせずに昼間は仕事をするのだ。夜は飲むけど。六月は「館を行く」の取材と執筆。今回は山形市と鶴岡市に行く予定。それから愛川晶さんの文庫解説があって、本格ミステリ作家クラブの総会とパーティがあって、その後やっぱり京都に行こうかなーと思っている。次回建築探偵はベトナムだとして、枕の部分に京都が出るような感じなんだよね。しかし今度の話も資料代と取材費がたくさんかかるよー。
 というわけで篠田はいろいろ大変なんだ。頼む、さっさと通販を終わらさせてくれ。

2004.05.12

 昨日でひとまず『美貌の帳』を最後まで直し終え、今度は『聖なる血』の直しを始める。これと、ジャーロの連載ゲラと、『龍』第一作の文庫下ろしゲラと、やれば取りあえず一段落?
 と思っていたら、昨日は講談社の担当と会ったのだが、「篠田さん、六月に〆切がないと書いてましたが、メフィストの次の取材ですよ」といわれて愕然。なんかこないだやったばかりみたいな気がするのに、もうかい!! 今度は山形の洋館を見に行くつもりなのだ。一度行って事情がわかっているところは安心だけど、初めての場所はなにが出てくるかわからない分新鮮で楽しみでもある。
 七月に『聖なる血』のノベルスが出るのだが、同じ月に柴田よしきさんもノベルスが出るので、小説ノンで対談しませんか、といわれる。人前に出るのじゃないから気が楽だ。それが六月中に入るらしくて、しかし、あーっ、なんか忙しくないかい? 旅行する暇なんかないじゃないか。でも、京都も行きたいんだよね。京都の洋館の載った本を買ったのだ。そういうのもあって。

 通販、申し込みが止まってしまった。まさか、残りみんなキャンセル? それってすごく悲しいんだけど。感想のお便りもいくつか届いていて、有り難く拝読。趣味の小説を誉められるのって、本業より妙に嬉しいのはなぜ。いちいちにお返事を書く余裕がないので、全部終わらせられた後で、手紙を下さった方にはなにかペーパーかなにかお送りしたいと思っております。

 明日は本格ミステリ作家クラブの公開開票会なので、日記はまたまたお休み。

2004.05.10

 『美貌の帳』の直しを続行。後ろを振り返るのは苦手なので、自分が前に書いた小説を読み返すのは、本当はあんまり好きではない。だけど直しもしないで文庫に下ろすのはやはり嫌、というわけで未練がましくいじり回す。今回の訂正点は、蒼が「坊や」と半分馬鹿にして呼ばれたときに、ノベルスでは「坊やじゃなくて蒼です」といっていたのを、「坊やじゃなくて薬師寺香澄です」といわせたこととか。この時点で篠田、まだ名前の考察が浅かったな、と思った次第。

 あまり話題がないので、今日いただいた申し込みの中のお手紙から話題をもらう。
『月蝕の窓』の松浦が、京介と似ているとは思えません。蒼たちと出会わなくても、京介は松浦みたいなせこいやつにはならなかったんじゃないでしょうか、というご意見です。主人公を弁護していただいて有り難いのだが、「似ている」といっているのは当人たちで作者ではないのです。京介は極端に自己評価の低い、自分に対して嗜虐的なところのあるやつなので、平気で自分をおとしめます。でも京介が松浦よりましなのは、墜ちるなら自分ひとりで墜ちるだけの覚悟はあるということで、松浦はひとりで墜ちたくないから京介を巻き添えにしようとしたんですね。そういう意味では確かにせこい。
 少し大きな話題になるが、篠田はミステリを書く以上犯罪や悪を描かないわけにはいかないのだけれど、そのとき犯人を英雄的に書いたり、持ち上げすぎたりしてはいかんといつも思うのです。基本的に犯罪というのは、怪盗ルパンみたいな物語の中の存在がするのでない限り、割に合わない、そしてせこい、悲しいものです。そのへんを押さえておかないとまずいと、最近特に考えています。もっともうちの主人公は、ひとつ間違うと暗い暗あいところにずんずんはまって行きそうで、そのはまり具合は『月蝕』を読まれたらわかりますよね。ああいうことにならないようにしないと、ほんとに松浦の二の舞になりかねない。でもな、これからいよいよ第三部だからな。京介悲惨なことになりそうで嫌だな、って、作者がいってどうする。だけどもうこうなると、あの人をコントロールする自信ないです。どうなるのっ、と聞かれても当人に聞いてくれってなもんで。決して責任逃れでいってるわけではなないんですよー。

 明日は夜出かけるので日記は休み。

2004.05.09

 天気は悪いが今日は幸いそんなに眠くない。というわけで通販処理。昨日までに到着した分についてはすべて発送完了。〆切をいままで書いてこなかったのに、早くしろとせき立てるのはいけないことかも知れないが、ひとつには部屋が散らかるんです、通販って。切手とか、封筒とか、糊とか、そういうものがずーっと出しっぱなしで片づけられないというのが、なんかじゃまくさくて、早くすっきりさせたいよーっ、という気分になってしまう。そんなわけですみませんが、お早くよろしく。
 それと今回は表紙に黒いつやつやのLKカラーという紙を使って、それに銀の箔押しでタイトルという、自分ではかなり気に入っているのだが、この紙傷みやすいっ。最初は傷んだのはよけてお送りしていたのだが、足りなくなりそうなので、早く申し込みを送られた方がいいと思う。

 通販の後で『失楽の街』再校ゲラを最後まで直す。我ながら未練がましくいじりまくっているのであった。今回レギュラーでは神代先生が出ずっぱりで、京介深春蒼は場面的には少なめなんだけど、いずれも印象的なシーンになっていると思います。午後に宅急便で送り返して、やれやれ。その後秋に出す『美貌の帳』文庫版のための直しを再開する。ほんとは『聖なる血』の手入れの方が急ぎなのだが、どちらにしろ間に合うから、いまは頭が建築探偵しているので、そっちを優先。
 いま読み返してみると、このときの蒼がやたらと子供っぽく感じるから奇妙なものだ。高校に行き始めたといっても、『美貌』のときは学校になじめなくて悩む蒼だからな。彼は高校に適応してから、急速に大人びていったらしい。
 もしかすると六月は、久しぶりに〆切のない月かも知れない。七月刊の『聖なる血』の校了が入るし、本格ミステリ作家クラブの授賞式もあるから、なんの予定もないというわけにはいかないのだが、今月もう少しがんばれば案外時間があるかも、と思ったら、旅に出たくなった。ああ、行けるとしたらどこへ行こう。ひとり旅だとどうせ貧乏旅だから、だけど一週間程度じゃヨーロッパは忙しいし、東南アジアなら行っていないチェンマイかスコータイあたりにでも。うー、そんなこと考えるとお尻がむずむず。

2004.05.08
 今日はやたらと眠くて、『Ave Maria』の見本刷りが来たら、それを読み返しながら眠ってしまう始末。とうとう通販の処理もほとんど出来なかった。仕事も。歳は取りたくないものであります。
 しかし『Ave Maria』の表紙はとてもいい。惜しむらくは、どピンクの帯が活かさない。まあ、目立つけどね。というわけで買ってくれたら帯は外そう。建築探偵初の金箔押しタイトルが利いている。
 というわけで久しぶりに自分の書いた小説を読み直して、細かなことはさておき、自分としてはまあ満足のいく出来だと思った。ただ、読者はこれをどう読むかな、とも考える。なぜなら読者の印象では、どうもいまだに「京介に愛され守られる蒼」が圧倒的であるらしいからだ。『Ave Maria』でも最初は、蒼自身がそんな昔のイメージを思い出すところから始まるのだが、それはもう蒼にとっては「自分を支えてくれる幸せの記憶」であって、大事な思い出ではあるが完全に過去のことだ。
 もちろんいくつになっても蒼は自分の感情に素直で、親しい人の前では涙を流すこともある。しかし読者はこれまで知らない蒼の顔を、この作品の中で見出しもするだろう。蒼は心優しく傷つきやすい若者であるのと同時に、不正なものに対しては怒ることも、戦うことも出来る勇気を持っている。「守られる無垢」がツボである読者にとっては、もはや蒼はお好みには合わないのではあるまいか。
 だが、残念ながらそれは作者の篠田にもどうしようもないことだ。蒼は成長することを望み、愛するもののためには戦うことを選んだ。人間はひとりの中に実に多様な顔を持ちうる。蒼が多感であると同時に、人生のファイターであることはなんら矛盾しない。魂の無垢を保ちつつ、人間的な成熟を遂げていくことは不可能ではない。人間を描くことを主眼に置かない小説では、煩雑になるからもっとシンプルで一面的な性格付けをしてしまうが、現実はそれよりはるかに複雑なことは、自分自身を考えてみれば誰でもわかるはずである。
 もちろん建築探偵シリーズは蒼のためのみに存在しているわけではない。キャラクターを描くことだけを目的にしているわけでもない。『Ave Maria』は主観描写とクローズアップの連続だが、来月に出る『失楽の街』はかなり大きな舞台と大きな問題を扱うために、思い切ってカメラを引いてある。そこには蒼も無論登場するが、それはまた『Ave Maria』とは違った印象を読者に与えるだろう。蒼にはかわいそうだが、彼の見てくれは内面ほどには成長していないようで、外部から描写するとどうしても「かわいい蒼」に見えてしまう。だが、そんな外見も、京介たちがいないところでひとり「敵」に立ち向かう蒼も、同じ人間の多様な側面なのだと考えて読んで頂けると有り難い。次の物語では、過保護過干渉な保護者たちが、果敢な蒼に助けられて「あれあれ」みたいな場面も出てくるかも。

 ともあれご感想をお待ちしております。

2004.05.06
 5/3の有明ではたくさんのご来場有り難うございました。差し入れを下さった方、お手紙を渡して下さった方、お話しできた方、どなたも心から感謝いたします。実のところまだ疲労残りで、ゲラを読みながら眠ってしまうような状態ですが、通販の発送も始めています。申し込みされている方は告知板をご確認下さい。

 さて、久しぶりにイベントに参加して本を売り、通販もやり、という中で感じることがさまざまにある。だがなにより嬉しいのは、読者からの便りを受け取るチャンスが増えるということだ。こういう機会でないとなかなか書けない、というのはよく判る。往復はがきでの一言メッセージも、バラエティに富んでいて読んでいて飽きなかった。
 知り合いでは特にヤングアダルト系のプロ作家で、同人活動もしているという人が何人もいる。だが彼らは篠田のように、通販の処理を全部自分の手でする、というような非能率的なことはしない。最近は同人本を委託販売する店があちこちにあって、そこで通販も扱ってくれるそうなのだ。当然手数料は取られるが、作家は本を作る手間だけで後は時間を取られずに済むし、篠田のように「マナーが悪い」「書類が不備だ」とブツクサいうこともない。それなら売れるだけ多めに印刷して、価格も売れ残っても損をしないくらい高めにつけて、ということも出来るだろう。
 正直な話、心が動かないではない。特にいずれ来る建築探偵シリーズの終了時には、なんらかの記念本を出したい気持ちがある。今回のようなやや特殊な趣味のパロディ本でも200部が充分売り切れるのだから、もっと一般的に作った記念本ならその数倍は売れると考えられる。だがイベントに出るのはとても体力を消耗するので、通販の方でさばこうとすれば、どう考えても篠田の労力をオーバーする。しかし、業者の手にそれをゆだねるということは、読者との交流という篠田にとって大きな意味のある部分を完全にあきらめるということだ。そうまでして同人本を作る意味はあるのか? と考えてしまうのだ。
 そもそも建築探偵シリーズは、テキストこそ篠田が書いているが、それを本にして世の中に送り出しているのは、講談社のノベルスなり文庫なりの編集部に、校閲に、デザイナーに、印刷に、という多くの人々だ。篠田がひとりで作る本は当然のように、そうした多くの人の労働の上にある本からすれば質的に劣る、ただその分手作りの感覚のある、趣味的な作物ということだ。そうしたものを業者の手を借りて、個人では不可能な部数さばくというのは、古い人間かも知れないが、篠田のバランス感覚では「ちょっとどうよ」なのだ。「秘密の本棚」はそれでも数ヶ月かけて600さばいたが、それが限度というか、ひとりで出来ないことはすべきではない、という気がしてならない。
 いずれそのときが来たら、記念本を講談社の商業出版ベースで出してもらうことは出来ないか、編集部に交渉してみようと思う。手作りの部分をあきらめて、その代わりもっと多くの人に、公平にお届けできるようにする。それが次善の策だと思う。同人本は、また作るかもう作らないかはわからない。でも、今日も嬉しいお便りをいただいた。お仕事に疲労して、小説を楽しむ気力まで消耗してしまった方が、小説ノンの『聖なる血』連載を読んで、また物語の世界に没入する喜びを思い出された由。篠田も昔高校受験の勉強に疲れて、本の虫だったはずが「なにを読んでも面白く感じない」とおびえた覚えがあるから、この方の呆然とした気分はよく判る。ともあれ篠田の小説が、お心の疲労に効いて良かった。そしてそういう手紙を読むと、小説家の疲労に良く効きます。

 しばらく日記をさぼったので、書きたいことがいろいろあるけれど、明日はちっょと遅くなる予定なのでまたお休み。ごめん。