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2004.04.29

 雑用でほとんど一日つぶれ、仕事は『聖なる血』の直しをちょこっと。しかし近いうちに『失楽の街』の再校が来るので、そしたらまたそっちに戻る。行ったり来たりで頭が混線だ。一年に一冊、ていねいに書くようなことが出来たらいいなあ、などとなまけものは考えるのだが、そういうことをしようと思ったら別に生業を持たないとね。

 読了本 今回はライトノベル
『神を喰らう狼』 榎田尤利 講談社ホワイトハート ボーイズラブのシリーズ魚住君でデビュー&ヒットの作家さんだが、これはばりばりのSF。ただし科学がじゃまくさいようなタイプの小説ではないので、SF嫌いという方も安心して読んで下さい。詩情とハードさが良い具合にミックスしてます。

『銃姫』 高殿円 MF文庫
『そのとき鋼は砕かれた』 高殿円 角川ビーンズ文庫 同じ作者だが前者は男の子向け、後者は女の子向けと、器用なところを見せている。しかしこの書き手は決してテクニックで突っ走るタイプではない。毎度ライトノベルにこれか、といいたくなるような重くて大きいテーマを持ち込んでくるところからも、篠田はそう見る。そしてそのテーマ性と、ストーリーとキャラがすべて過不足なく調和しているかというと、それに関しては満点を出しているわけではない。いかにもライノベの軽いノリのキャラや、ギャグがときにはテーマと弾きあい、すべってしまうと感じるのは、篠田が古い人間だからかも知れないが。ただし後者はシリーズの2作目で、最初の1作より遙かにキャラがこなれてきた。その分テーマ性もでかくなっているのが実に高殿、なのだが、彼女は発展途上の有望な書き手だと思う。この先二化けも三化けもするだろう。

 明日から日記は一応休暇に入る。友人が来たり、外で会ったりの予定が繋がって、そのまま有明のイベントになだれこむからだ。戻ったらお申し込みいただいている方の発送作業に取りかかる。というわけで、来て下さる方、楽しみにお待ちします。篠田はトイレ以外は席を離れぬ予定なので。差し入れはお気遣いなく。もしも下さるなら(催促ではありませんぞ)、甘いものは苦手なのでお茶の葉か珈琲豆を下さい。
 通販の申し込みをした方には、申し訳ないが会場に来ていただいても本はお渡し出来ません。それをやると送料をお返ししないとならないし、友人とお金の計算が混乱してしまうので。その代わりサインはいくらでもさせてもらいます。

 というわけで、日記はしばしさらば。

2004.04.28

 篠田はパソコンがないと仕事が出来ないのに、パソコンのスキルは無に等しい。なにかトラブルが起きると簡単にパニックする。そのくせへんなこだわりがあって、連載小説を本にするとき、建築探偵を文庫に下ろすとき、必ずデータでもらっていじり倒す。ところが講談社文庫からもらったデータをいじっていると、なぜか良く壊れる。どう壊れるのかというと、仕事を終わろうとしてファイルを上書きしようとすると、「書き込めません」といわれるのだ。それで確認タブを押したりすると、そのまんま消えてしまう。こつこつ手を入れた一日の仕事がその途端にパー。
 実はこれ、ちゃんと兆候はある。途中から自動バックアップが働かなくなっているので、つまりバックアップファイルにも頼れないということなのだが、バックアップをしているときは入力が出来なくなるから、それとしばらく出くわさなくなっていたらやばい、ということだ。しかし、忘れる。そんなことは。消えた仕事を嘆きながら、もう一度やり直そうとする。すると出版社からもらった元のフロッピーから、ハードディスクに落としたそれがもう書き込みできない。前にも同じようなトラブルが起きた経験はあるのだが、忘れている。
結局いつもよく判らないのだが、ファイルから貼り付け、をやって書式をもう一度設定しなおすと、どうやら書き込めるようになる。
 結局三分の二日(といってもその半分はパー)だけ『美貌の帳』の文庫下ろし直しをやって、三分の一日『聖なる血』のノベルス化直しをやって、そうしたら『失楽の街』の再校ゲラが出るらしい、早いっ。すばらしいっ。しかしいよいよ頭はゲラまみれで、脳みそのゲラ和えという感じになってきた。なんか汚らしいね。

2004.04.27
 
 今日は荒れ模様の天気。ベランダの掃除をする。篠田は園芸は全然趣味ではないのだが、仕事場のベランダが広いので、次第なんだかんだと植木鉢やプランタが増えつつある。ルッコラやパセリやミントと、食べられるものが多いのは無論食い意地が張っているからだ。
 推理作家協会の会報に載せるエッセイを書く。会報は会員しか手に入らないと思うが、協会のホームページにも掲載されるそうなので、ご興味をお持ちの方はそちらをご覧下さい。リレー形式で、西澤保彦さん/恩田陸さん/篠田と来て、次回は光原百合さんにお願いしようかと思っているのだ。
 午後になってミステリーランドの新刊『いつか、ふたりは二匹』西澤保彦作を読む。このシリーズは三ヶ月ごとに三冊配本なのだが、一回に必ず一冊は「子供のトラウマになりそうな」作品が入っているね、と担当編集者のUさんとお話ししたものだ。最初は島田荘司、二回目は篠田、三回目は竹本さんがさしずめトラウマ系。西澤さんはいかにと思ったら、とてもほのぼのな肌触りの作品だった。しかし犯人の描写はリアルで、けっこう怖いというべきか。ううん、実は今回はこれがトラウマ系かな。
 のんびりしすぎているのも落ち着かなくて、すでに届いている『美貌の帳』文庫下ろしのデータをいじりはじめる。例によっていじりまくるのだ。今回は特に単なる言葉の訂正以上に、いろいろ直したいところがある。それと、ノベルスの組と文庫の組は1行の長さが違うので、句点の位置を変えたり、というのもかなりある。自分としてはノベルスの組が一番合っている気がするのだが、作品に手を入れられる機会というのはやはり有り難いもので。
 昨日ちらっと書いた『アベラシオン』のラテン語ルビの件だが、ヴァティカンで歌われている教会式の発音に照らすと合っていない、ところがあるらしい。さすがに講談社の校閲も、ラテン語まではチェックが甘かったのかも。だが、これは増刷にはまずならないよなあ。

2004.04.26

 今日はジャーロの連載原稿を送稿した後、通販の発送準備をして部屋の掃除。長らく同人をやっている知り合いは、通販に手紙が入っていてもいちいち返事なんか書いたら時間がかかってしょうがないから止めた方が良いというのだが、篠田は読者からの反響が嬉しくてこんなことをやっているので、自分のやり方を変えようとは思わない。あるいはもっと簡略化して事務的に、その代わり大量の本を捌く方が手に入れられる人が増えていい、という考え方もあるだろう。しかしそれは考え方次第だと思う。100通そこそこの封筒を、ひとつひとつ名前を覚えるくらい眺めて、ひとりひとりのお名前を感謝を込めて書くさ。
 読者からのご質問 山尾悠子さんの作品が読みたいのだが、8800円の作品集を買うべきか悩んでいるとのこと。山尾悠子さんの旧著はすべて絶版で手に入らない。以前の作品を読みたかったらこの作品集を買うしかないです。そして装丁も美しく、値段だけの価値はある本だと思います。ただ、確かに高い本ではあるので、出来れば図書館で探して少しでも目を通してみることが可能なら、それもいいかと。本の値打ちというのは読む人次第で、山尾悠子さんという作家は読者を選ぶ部分もありますから。
 コーラスをやっておられる方から、『アベラシオン』のミサ曲のカタカナが一部違っているのではないか、というお手紙をいただいた。篠田もラテン語を正式に勉強したわけでもなく、CDを聞いてもちゃんと聞き取れているという自信はない。手元の本を丸写しにして、講談社の校閲も通したわけだが、絶対に間違っていないとはいいきれません。確認の上必要なら訂正を、といいたいところだが、増刷はかからないだろうなあ(苦笑)。

 仕事場の整理をしていて、ファンレターの箱を開いて詰め直す。面白いもので、一時期熱心にお便りを下さっては、いつの間にか途絶える、というのがほとんどの人のパターン。学校の先生はきっと、卒業する生徒のことを思うとこういうさびしさめいたものを感じるのだろうな、と思う。お便りが来なくなっても本は読んでいて下さると思いたい。そして中には文通を続けて、娘のような歳だけど、心の通う大切なお友達になった方もいます。

 通販、三通めの整理番号なし封筒到着。そういう人は小為替を紙にも包まず、メモも付けず、ただ封筒に放り込んで送りつけてくる。無礼者。手紙の書き方くらい勉強せんかい。こういう人は全部後回し。それが嫌なら知らせておいで。私は真心には真心で答えるけど、無礼にはそれなりの対応をするぞ。

2004.04.24

 通販の本申し込み封筒をいただいています。往復葉書を下さって整理番号を差し上げた方の分は取りあえず確保するので、速達を送られる必要はありません。というか、速達だといちいち配達員に玄関まで呼び出されるので迷惑。どうか普通郵便でお送り下さい。それと本日整理番号の記載のない封筒が2通届いた。さいたま市の方と川崎市の方。この場合葉書の控え100枚をすべてめくって名前を探さないとならないのでとても困る。というか、そんなことは出来ないので最後回しにさせてもらいます。ご自分のことだと思った方は、申込先住所まで葉書でお知らせを。大して複雑なことをお願いしているわけではないので、きちんとお願いは守って下さい。さもないと通販なんてとてもやっていられません。これからも番号のない封筒はすべて後回しになります。

 ジャーロの連載分を書き上げる。当初五回の予定だったが、今回予定していたプロットが入りきれなかったので、六回になると思われる。それ以上延びると他の仕事が押してしまうので困るのだが。

 他にも書くつもりの話題があったのだが、通販の一件でちょっと頭がいらついたので今日は止めた。明日も外出するので日記は休み。

2004.04.22

 やはり200では少なかったなあと思いつつ、いただいた葉書にお名前等を書いて投函。一度に30枚もだとけっこう時間がかかる。しかし例えば100部増刷するとしたら、と計算してみると1冊の原価が600円を超えてしまう。売値800円ではいくらなんでもきびしい。通常同人本は原価の倍程度を売値とするのが常識らしい。確かにイベントに参加したり通販をしたりすると経費もいろいろかさむので、それでとんとんくらいの感じなのである。それと夏コミの申し込みはしていないし、委託して知り合いに手間をかけさせる気もしないので、やはりここはひっそりと出してひっそりと消える、という線で行きたい。なにとぞご了承下さい。

 今日頂いた申し込みの中の手紙で、誤解していらっしゃる方がいたのであわてていいわけする。『失楽の街』は同潤会アパートと都市東京をモチーフとしています。中世末期云々というのは、龍の黙示録の新作の話です。建築探偵は近代建築から離れるわけにはいかないので、いくらなんでも伝奇ネタはやれません。

 明日は夜友人と飲みに行くので日記はお休み。

2004.04.21

 今日は担当が『失楽の街』のゲラと、『AveMaria』の表紙刷り見本を持ってきてくれる。表紙、すごくステキである。建築探偵では初めてタイトルが金の箔押しなのだ。鈍い青色とそのつや消し金色が実におしゃれな感じで、にやにやと顔がほころんでしまう。
 しかし二ヶ月連続刊行というのは、ずーっとゲラをやっている感じで、すごく忙しいというか、気が抜けないというか、きびしいのである。担当も忙しくて大変だ。というわけでジャーロをいったん停止してゲラをチェックする。
 そんなわけでジャーロは50枚まで。でもまあこれなら連休前に送れるな。

 呑気なことをいっていたら、一日で通販と取り置き葉書が40枚も届いてしまった。というわけで、申し訳ないが本日以降到着分については整理番号の配布をいったん打ち切ります。

 おはがきの質問事項。パラレルワールドものを書いて、本編とキャラが混乱しませんか?  うふふのふ。混乱しちゃったらパラレルは書けないですよね。微妙にキャラがだぶりつつ歴然と違うという、危なっかしい綱渡りがパロディの本領です。だからお願い、読む方も混同しないでね。あくまでパラレルはパラレルですよ。
 もうひとつ質問事項。同人作品をまとめて刊行する予定はないのですか? 商業出版はありません。自分ではそういう性質のものではないと思っています。そしてすみません、個人的には「篠田真由美の秘密の本棚」という同人本に大半の作品を再録して、すでに売り切りました。同人本というのは商業出版と違って、個人が世間の片隅でこっそり作って同好の士に配布するものですから、「知ったときにはすでに遅い」となることはいくらでもあります。篠田も買い損ねて悔しい本というのは、実はあります。でも、そういうのは運命とあきらめるしかありません。
 再版せよとはいわないで下さい。再版するほど印刷代は上がります。篠田は地味本をぎりぎりのお値段で売っているので、それも篠田がひとりで封筒を用意したり糊貼ったりしてるんで、あんまりやりすぎると本業に差し支えるし、これ以上はどうもならんのです。ご理解下さい。
 「天使失墜」も、100枚以上葉書がオーバーしたら仕方ないですが、その場合は値上げさせてもらいます。生活かかってるんで。

2004.04.20

 やっと右腕復調。本棚整理続行中。通販本とイベント販売本におまけにつけるペーパーの作製開始。パスタマシーンを買ったので手打ちうどんやパスタが作れる。というわけで仕事の合間に粉をこねたり、と我ながら忙しいというより自ら進んで忙しくしている感がある。いや、麺類好きなんだよね。

 しかしジャーロ連載中の、ジャンル名を付けようにも作者でもよくわかりません、サスペンスではあるが、うーんと、えーと、な長編『すべてのものをひとつの夜が待つ』の第四回を書き出すと、30枚も書いてしまう。話、進んでねえよ。というわけで、五回で終わる可能性はかなり低くなったな。ということは一部登場人物が延命したということだ。やはり人を殺すのは大変だ、たとえ小説の中でも。

 仕事場の書庫を整理していて、自著の在庫がずいぶんあるなあといまさらのように思う。正直な話じゃまくさい。そのうちサイトでプレゼントの募集でもしようかと思っている。特に文庫の『未明の家』が一番増刷になっているので、こればっかりたくさんあるのだ。つまりそれ以降はちっとも増刷になんない。わははのは。

2004.04.19

 案の定右肩右腕右手首がちがち、手のひら腫れ腫れである。鉛筆を持つのもちょっと違和感という情けない状態。しかしこれで書庫部屋が片づく、というか床が見えるようになるのはやれ嬉しい。とはいっても、本棚の前で配置を考えているほどの時間はないというわけで、ジャーロのプロット作りに入る。
 閉鎖空間の連続殺人サスペンス(本格とはもうしません)なので、死者は増えるしキャラの精神状況は悪化するし、正直言って気が重い。この次書くときは、これほど人を殺さずに済むような話にしようと心を決める。明日から書き出すぞ。しかし後二回で終わるのかよくわからない。200枚では少ない気がするが、300枚も要らない気もするのだ。

 通販の本申し込みが届き始めた。告知板の冒頭に届いた番号を書き並べるので、送られた方はご確認下さい。イベント後に発送したときは、また何番から何番発送、というふうに表示します。実は前回ペーパーの通販が届いていないという申し出があったので焦っています。取りあえず取ってある手紙を確認し、そこになければ篠田の手元に届く前に郵便事故、そこにあれば篠田の発送が事故と言うことになるが、幸い残部は少量あるので、いずれにせよ早急にお送りします。

 尼崎市のC.M.さんからのお便りの質問に答えます。ファンレターはワープロ書きでいいのか。もちろんOKです。ただ篠田は最後の署名だけは手書きします。欧米人はタイプで手紙を打っても、必ず最後に署名しますね。差し出しの名前までワープロというのはやはり味気ない。
 何行何字の決まりはあるか。投稿ではないのだからそこまで気にされる必要はないと思いますが、やはり読みやすいレイアウトというのはあると思います。メフィストの投稿原稿で「この人は読ませようと言う気があるのか」といいたいような、つまり字間が空きすぎて行間が詰まりすぎたのを見たことがあります。でもそれは、自分で打って読み返せばわかるのではないでしょうか。
 用紙は白い紙で良いのか。それもご自分のセンスですね。文字が読みにくいほど色の濃い紙は論外ですが、最近はプリンタを通せる和紙とか、いろんな用紙が売られています。私はさすがにファンシー文具を使う歳ではありませんが、紙や封筒、シールや切手をいろいろ組み合わせて使うのが好きです。それも表現のひとつ。お手紙を下さる方の人柄が偲ばれて楽しく感じます。
 それからやはり一度に何十枚もの用紙を詰め込んで、ぱんぱんにふくれた封筒というのも、あまり見よいものではありません。もちろんケース・バイ・ケースですし、一番大事なのは内容ですが、私がいろいろ指図するより、ご自分で工夫されるのも楽しいものではないでしょうか。すてきなお便りお待ちしています。

2004.04.18

 短いリクリエーションをしてきた。もういい加減ジャーロに入らないといけないのだが、通信販売で頼んだ本棚が来てしまい、それの組み立てで半日使ってしまう。木工屋の家族がこんなものを使うのか、というような合板を木ねじで止める安直家具。ドライバーを握ってひたすらネジネジ、ネジネジやっていたので、手のひらが腫れている。明日になっても手が痛かったらどうしよう。

 通販申し込みはがきにあったご質問の答えをひとつ。関西でサイン会などのイベントをする予定はありませんか、とのお尋ねでした。通常その種のイベントは、書店が企画して出版社に申し込むか、出版社が販売促進のために企画して書店に持ち込むか、です。作家から「やってくれ」とはあまりいいませんし、いったからといって実現できるものでもないのです。ですからその様なご希望があったら、出版社に希望の投書を送るなり書店さんに希望するなりしていただくしかありません。よろしくお願いします。

 読了本 『極限推理コロシアム』講談社ノベルス いよいよメフィスト賞に感覚がついていけなくなったなあ。どこがいいのか全然わからない。紙を切り抜いたような薄っぺらな人物に、現実性ゼロのゲームじみた設定。それでもそこで展開される事件が目新しくて、推理が興味深ければいいが、ぬるいのだ、ひたすら。もともと小説におけるサスペンスとは、作中人物に感情移入して初めて生まれるはずのもの。それが出来ない人物では、何人殺されるようと「へえ」としかいえない。意味ありげに示される「ヒント」の解決があれでは、某氏のアナグラム偏愛よりまだしょうもない。そしてオチそのものは先行作をたやすく想起させる。ただまあ、上手なシナリオライターが書いたら、テレビの2時間ものとしては面白いかも知れない。その程度。

2004.04.15

 通販のお申し込み、順調。今度は足りなくならないかと心配。でも試しに増刷の計算をしてみたら、100部ではとても800円では売れない。表紙の紙とか、箔押しなんかもしてみたんで。紙を安いのにして箔押し止めて遊び紙も止めても900円にはなってしまう。というわけで、やはり増刷はなし、間に合わなかった方はごめんなさいということでお願いします。

 『失楽の街』のゲラ、ぼろぼろになって終える。削ったところ少し、書き足したところたくさん。でも、直した方が確実に良くなっている、と自分で決めつける。さもなきゃやってらんねーよっ。
 しかしだらだらとゲラをいじっているうちに、ジャーロの〆切が背後からじりじりと迫ってきた。季刊の連載って、そのたびに気分がとぎれたのを繋ぎ直すところからしないとならないので、かなり嫌であります。なに書いてたっけー、という気分。何本も連載をこなしている人気作家さんなんて、頭の中はどうなっているのか開けてみてみたいっす。篠田はひとつの作品に入ってると、編集さんと電話で話すのさえ頭が働かなくて嫌ですから。そっちだけでメモリいっぱい。あーあ旧型だ。

 今週末はちょっと息抜きというわけで、金曜土曜日記休みます。日曜からまた仕事再開であります。あっ、来週は担当さんが来るから掃除しないと。

2004.04.14

 最近なんか疲れ気味なので、通販申し込み葉書の「一言メッセージ」がとても嬉しい。ファンレターは億劫、という方でも、気軽に一言二言書いて頂ける、というのがいいのかも知れませんね。通販でなくてもこういう形のご声援、とても有り難いです。
 いま30通を越えました。イベント前に100まで来たら、一度止めます。後については、イベントで残ったら再開と言うことにさせて下さい。通販の方がお名前が残るので、私も安心という気もしています。でも、交通費を使ってはるばる来て下さるのもとても嬉しいです。どちらにしても喜んで頂けると、「同人本、また作りたいな」と思います。企画はあるんです。建築探偵の資料本とか。手間がかかって大変そうなんで、踏み切れないんですが、シリーズ完結記念、なんてのはあってもいいかも。

 『王の帰還』の話もそろそろ一段落させようと思っているので、最後はフロドのことを。イライジャ・ウッド、評判いいですよね。ただ、原作ファンからすると、やっぱりこの人若すぎる、という印象が強いのね。ホビットの成人は33歳で、その歳にビルボから指輪を譲られて、旅に出るのは50歳のとき、というのが原作なんで、指輪の力で加齢は止まっているとしても、完全に大人のはずなんですわ。その点メリ・ピピはハイティーンという感じで、彼らとフロドの関係は「気の置けない親戚のおじさんと若者たち」というのが原作のイメージ。若者たちにしてみれば、お金持ちだけど結婚していない変わり者の、気兼ねなくつきあえる人。トゥックやブランデーバックは冒険好きの変わり者ホビット一族なので、そういうフロドに慣れ親しんでいた彼らが、フロドに従って勇躍冒険に旅立つ、というのは自然な流れなわけだ。
 それが映画だと、あの四人がそろっていると、フロドが一番年下に見えてしまう、というのが、まあ原作ファンにしたら違和感のひとつではあるんです。でも映像化した場合の間違っても彼らがフリークスっぽく見えるのはまずい、というので、ホビッツをとにかく若々しく設定したのであろうと、篠田は推測。それはまあやむを得ないところかな、とは思うのでした。
 ただ、もうひとつ残念なのは時間的な限界だろうけど、最後フロドがなぜ西に行くか、その理由が明確にされないまま映画が終わってしまった、ということ。原作読者には自明のことなんだけど、フロドは旅の途中で負った怪我の痛手にずっと苦しめられ続けていて、ホビット村の平和な生活を楽しむことが出来ない。なにより指輪に犯された痛みがなお彼の中で尾を引いている。それから逃れて心から安らぐには、西へ行くしかないんですね。そういうこと、映画だけ見ている人に伝わったろうか。
 だからどうか映画であの物語をお気に召した方は、原作を読んで下さい。そうして頭の中で補完しましょう。その方がずっと面白いから。

2004.04.13

 『失楽の街』のゲラに取り組んでいる。しかしなんか今回、めちゃ疲れるのだ。ゲラが出てからも試行錯誤っつーか。ふだんなら一発で決まりそうな部分も、しつこく書き直したりして。どこを直したか、までばらすのは止めておく。そういうのってつや消しだよね。ほんとはあんまりこうやって、創作の状況なんか垂れ流すのもどうよ、とは思うのだが、自分が読者の立場の場合はそういうの知りたい気もするんで、まあぼちぼちと。

 通販のお葉書いただいています。変に足りなくなったりしませんように、とどきどきしております。作品の感想お便りなどもいただいていますが、ちょっといま返事を書いている余裕がない。京都のNくん、いつも細かな作品評をありがとう。私こそいくら感謝しても足りないくらいだよ。君のように真摯に読んでくれる読者がいると思うと、肩が凝ろうが頭痛がしようが、いい加減なものは出せないといまさらのように感じるんだ。函館のHさん、夢野久作の『ドグラ・マグラ』について京介がどんな感想を持っているか、ですね。お便りの返事を書くときにちゃんと書きますが、取り急ぎここでは簡単に。「非常に興味深い作品だと感じた記憶はあります。しかし、読み返したいとはあまり思わない。小栗虫太郎の鬼面人を驚かすたぐいの趣向と違って、夢野の作品には僕の精神を蝕む狂気の淵のようなものを感じてしまって、ときどき不愉快になってしまう」だそうです。

 『王の帰還』の話、もう少し。エオウィンは最初ミスキャストだと思ったんだよね。あまりにも丸顔で割れ顎っていうのもどーよとね。しかしDVDまで見ていると目が慣れてきたせいもあって、あんまり違和感が無くなってきた。もともと原作でもエオウィンの描き方はあんまり上手いとはいえない。一方的にアラゴルンに恋い焦がれて、振られて、自暴自棄でナズクルの王を倒して、その後もしつこく落ち込んでいたのにさらっとファラミアに心を移しちゃう。その変心が妙に唐突なの。だからこの人は映画の方がうまく描けてるといえるかも知れない。アラゴルンに惹かれていく描写もこまごま入っていて、でもそれだけでなく彼女とセオデン王との心の交流も描かれているんで、王が死ぬ場面が感動的なのね。後に取り残されるのが嫌で無理矢理ついてきたというより、アラゴルンに振られたからというだけでもなくて、「愛する人たちのために自分も戦いたい」というのは、やはり現代的な解釈なわけだけど。それと戦闘シーン、メリーが手綱を握って馬を動かし、エオウィン二刀流というのは面白かったし、もっと見たかったほど。あとはDVDでどれくらいフォローがあるか、だなあ。

2004.04.11

 今日は本格ミステリ作家クラブの執行会議があったので、行き帰りの電車の中でずっとゲラを読んでいたら肩が凝って気分悪くなってしまった。
 他に話題もないので『王の帰還』本日はガンダルフ話、行きます。
 白のガンダルフより『旅の仲間』の灰色のガンダルフの方がイアン・マッケランはまっていた、というのは衆目の一致するところ。篠田もそう思う。いかにデネソールがふぬけでも杖をふるって殴り倒すのはあんまりだし、凶暴なトロルが城門を破って来るのに、ただの人間の兵士に「城門を死守しろ」と叱咤するのは、無策に過ぎるという感じがする。魔法使いなら魔法使ってよ、と思うのだが、この物語に登場するウィザードはどちらかというと賢者であって、超能力者ではないということだから、致し方ないというべきか。しかしガン爺、今回は特に肉体的な暴力ばっかしだよなあ。
 それでも「すてき(はあと)」と思えたのは、ピピンが「これで終わりなんでしょうか」というようなことをいったとき、「死は誰にでも訪れる通過点に過ぎない」というようなことをいう。それも悲観的にでも厳かにでもなく、すてきな秘密を話すように目元に笑みを浮かべて。私の友人はイアン・マッケランに厳粛さや高貴さがないとくさしていたけれど、逆境で微笑むことの出来る明るさというか、ユーモアというか、はやはりガンダルフらしさというべきで、それにはイアン・マッケランいいですよー、と思うのだった。めげそうになったピピンも、彼の言葉を聞いて「そいつは、悪くないですね」と笑う。
 しかし海を越えてたどり着く白い砂浜というのは、明らかにエルフたちが帰っていくヴァリノールの祝福された地の描写で、誰もが行ける浄土ではないんだよね。ガンダルフはそりゃあそこに帰るだろうけど、ホビットも人間も行くところが違うんだよなー、とそれだけは少しひっかかるのだった。そう、この世界では死によってさえエルフとそれ以外のものは平等ではない。ガンダルフもエルフではないけどマイア(天使のようなもん)だから、西に行けるけど、ピピンは死んでも白い岸辺は見られないんだよー。

 明日は帰りが遅くなりそうなので、日記はお休み。仕事場で仕事してます。

2004.04.10

 『失楽の街』のゲラが来たので、まずこれを読まなくては。『AveMaria』はほぼ手が離れたと思う。
 中世末期の事件というのは、十字軍の遠征に、南フランスのカタリ派異端虐殺に、中東の暗殺教団に、テンプル騎士団の壊滅に、という、西洋伝奇に興味のある人間にとってはやたらと濃いモチーフがこんなに固まっていたのねえ、という話です。興味のない人には「それがどーした」かな。
 今年も篠田の手紙をお守りにして受験突破、というお便りをいただいた。イワシの頭も信心からです。ともあれ受かったのはあなたの実力。九州のN君おめでとう。
 「趣味の小説」のお葉書、順調に届いています。まさかイベントで売る分がなくなることはないと思うけど、「イベントに行って買うけど確実に欲しい」というお葉書も受け付けます。その場合、引換証のようなかたちで葉書を返しますので、それを持って買いに来て下されば、いらっしゃるのが午後でも問題ありません。でも、二時くらいまでに来て頂く方が確実です。最近午後はお客が少ないので、混雑前に帰ってしまうことが多いのですよ。

 まだ書くか、『王の帰還』話。今日とあるファン・サイトを見ていて、「映画は現代的な解釈としてキャラの人間的な弱さをふくらませている」という意見が書かれていて、それはかなり納得できるな、と思った。確かに原作だとアラゴルンが王になるのは彼が正統な血筋を持っているから必然的にそうなのだし、なぜ王の血筋が優れているかというとエルフと交わってきた長い歴史や神話から、疑いもなく決定されてしまっているわけ。それは現代の人間には受け入れにくい、ということで、弱さと迷いの中で自ら選んで責務を負う王、というアラゴルンの肖像が出来上がる。これは賛成。
 でも、やっぱしデネソールに関する改変は度が過ぎていると思うぞ。あいつがあんまり嫌な奴で、ひとかけらの同情も出来ないから、ピピンが彼に忠誠を誓うのも「なんでや」だし、ガンダルフがファラミアに「父上はあなたを愛している」といっても「うそお」という気分だし、ガンダルフが二度にわたってデネソールに暴力を行使するのも、「もっとやったれ」という気分になっちゃうしね。いくら口で言ってもわかんないとしても、かりにもミナス・ティリスの執政に対して、ガン爺やりすぎだと思う。
 というわけで、明日はガンダルフのことを書きます。他にもエオウィンのこととかフロドのこととか、書きたいことはまだまだあるなあ。

2004.04.09

 ジャーロをやらないといけないのだが、建築探偵のゲラも気になるので、ゲラ待ちの間だけと思って「龍」の新作のプロットを立てている。「薔薇の名前」のパロディで簡単な感じでやろうと思っていたのだが、中世末期ルネッサンスの前あたりの年表をマッピングしていたら、1000年から1250年あたりってすごいんだ。事件目白押し。その話は明日にして、今日はもう少し『王の帰還』話。キャラにこだわるならアラゴルンの次はメリ・ピピのホビッツたち。
 篠田は原作命だから、『旅の仲間』のどさくさ紛れに旅の一行に加わって的な始まりはあんまり感心できなかった。ボロミア兄貴との楽しいエピソードは悪くはないけど、どうして監督はこんなにボロミア好きなんだ、という疑問が強かった。オリジナルのシーンで良かったのは、フロドを逃がすためにわざとオークたちの囮になる最後の当たりくらい。
『二つの塔』だとエントとのエピソードが、やっぱり原作との相違点で気になった。ところが『王の帰還』のオリジナル・エピソード、オルサンクのパランティアを覗いてしまったピピンをガンダルフがミナス・ティリスに連れて行く直前、メリーとの別れのシーンがなかなかに良かったんだ。ふたりの友情がきらきらっとね。
 ただ絶対削っていると思うんだけど、ピピンがデネソールに忠誠を誓うシーンが唐突なのね。そうでなくてもデネソールは原作より遙かにダメ人間になってるから、唐突な印象しかないのね。原作だとピピンは孤独な老人の頑迷さにいらだちともどかしさを覚え、息子ボロミアが命を賭けて救ってくれた自分が無価値な存在でないということを相手に示すために、己れの誇りにかけて剣を捧げるんだわ。そこがとてもいい場面なんだけどねー。

 通販のはがきが9通到着。びっくりした。ほんとにいいのかなー。

2004.04.08

 庭園美術館で「ベル・エポックの美術」展を見て、目黒区美術館で「建築家村野藤吾の旧千代田生命本社ビル」展を見て、恵比寿の写真美術館で「ロバート・キャパ」展を見てきた。
 でも今日はもう少し「王の帰還」のことを書きたい。やっぱり今回はアラゴルンですね、というわけで。原作を読んだとき、粥村の酒場に現れた野伏の馳夫に惚れて以来、長い恋である。原作は人物描写に禁欲的だから、その間隙を想像力で埋めると映画のアラゴルンは篠田的にかなりいい線だ。第三部で目に残ったディテールでいうと、狼煙が点ったのを見つけて(あの狼煙はどうやって次々と燃えるんだ、という疑問はさておき)ローハンの村を駆け抜ける彼のロング・ショット。足が長いんだ。ああ、これが「長脛彦だわ」って感じ。エルロンドが鍛え直した剣をかついで陣地に現れたとき、ベッドから駆けつけた彼は長めの赤いシャツ姿で、これが妙に可愛かった。ミナス・ティリス前の合戦はレゴラスの奮戦の方が目立ってしまったが、黒門前でのスピーチが非常にかっこいい。(あら、でも「サウロンの口」が出なかったな)。それと、彼のヘアがちょっと違っていたんで注目していたら後ろで髪を少しまとめてましたね。戴冠式のシーン、歌声はビリー・ボイドほどの美声ではなかったが、その直前のためが良かったな。彼はここで王であることを全面的に受け入れて、その代わりいろんなものをあきらめたんだろうな、と思いました。放浪者の自由を王の責任に変えてしまうことの重みが、その一瞬の感じられましたです。

2004.04.07

 今朝になってとーとつに「次の龍はやっぱり『薔薇の名前』のパロをやろう」などと思い、原作本は持っているけど映画のヴィデオもあった方が良いな、とアマゾンにアクセスするが、DVDはなし、ヴィデオはユーズドの出品ものが14800円などという馬鹿値段なのでさすがに怒り、この前教えてもらった楽天を覗くと、レンタル流れが2100円というまずはリーズナブルな値段で見つかった。
 水曜日はレディスデー映画1000円で、今週で終わってしまうのでもう一度「王の帰還」を見に行く。文句はある。それはもう多々ある。デネソールの描き方がひどすぎるというのは初見のときに書いたが、それ以外にもたくさんあるぞ。なによりいくらモルドールの投石機が巨大でも、一発当たったくらいで城壁が崩れたらいけません。そりゃミナス・ティリスの難攻不落の城壁が泣く。それからこのへんのガンダルフはひたすら兵を叱咤する将軍様で、「城門を死守しろ」とかわめいたって、全然勝ち目なくて死人が増えるばかり。魔法を使え魔法を、とかなりいいたかった。監督は戦争シーンが好きらしいが、概して攻城戦より外の合戦の描写に生彩がある。ロヒリムとモルドール軍の会戦はやはり迫力がありましたが。
 しかし今回もぐっと来たのは、もうちょっと細かい場面だった。前半はなんといってもピピンがデネソールの前でアカペラで歌う場面。ビリー・ボイド声いいよ、すごく。でもそれがなんか悲しいメロディの歌で、サントラ買ってきて調べたら原作に登場する歌の歌詞を一部分変えて使っている。それも「旅の仲間」第一巻の、みんなが屈託なくホビット庄の中を徒歩旅行しているシーン。だから、原作者のイメージしたメロディはもっと明るいと思うんだが、とにかくメリーの歌が良いのでここは許してしまう。
 「エルフの隣で討ち死にするとはな」「友達の隣でならどうだい」「それは悪くない」なんてレゴラスとギムリの会話に思わず頬をほころばせると、今度はサムがフロドにホビット庄の美しい自然のことを語り聞かせる場面。そして「あなたのために(指輪を)運ぶことは出来ないけれど、あなたを運ぶことは出来ます」なんてあたりでぐさぐさ来ました。
 篠田、正直いってボーイズラブは好きですが、やおい的な発想って「友情」も「信頼」もすべて「性をともなう愛情」に読み替えてしまうんだよね。そうして楽しむ回路は理解できるし、自分の中にもあるけれど、本当のツボは「友情以上恋愛未満」の心の結びつきなんだなあといまさらのように実感。つまりルーツはなにかというと、子供時代に愛読した少年マンガのニュアンスなんだな。ちばてつやの『紫電改の鷹』なんていって、いったいどれほどの方が「ああ、あれ」といって下さるかわからないけど。
 レゴラスとギムリは対立久しい異民族が友情によって差異を超えて結びつくわけだし、サムとフロドは階級差を越えてそれこそ友情以上の深い魂の結びつきに達する。だからねえ、と、ここからは文句だ。原作だとフロドはサムと灰色港で別れるとき、「いつかおまえの番も来るからそのときは渡っておいで」というのだ。それでサムはたくさんの子供を育て、村長を務めた長い歳月の後、妻を見送ってから主の待つ西へ渡る。レゴラスとギムリもアラゴルンやメリ・ピピが老衰して亡くなったあと、ふたりで西へ渡るんだもんね。結局トールキンにとって、妻子たちとのつながりは現世のことで、魂の結びつきは彼岸まで続く。いわば木原敏江の『摩利と信吾』のラストです。

2004.04.06

 長編をやっている間中ほっておいた手紙の返事などを書いて投函、スーツをクリーニングに持って行く、久しぶりに30分自転車を漕ぐ。少し部屋を片づける。それから『AveMaria』の文章をいじる。結局ビートルズの歌詞を原詩のまま引用するのは良いが、勝手に訳詞をつけるのはまかりならんということで、じゃあCDについている訳詞を載せるのはいいのかというと、それは管理が別だからダメなんだそうで、そのへんを蒼が歌を聴いていて心に浮かんだ情景という形で、つまり原詩そのままでなく少し変えて書くということで、行くことになった。後でなにか問題が出たりしないだろうなあ、といささか不安ではある。
 愛川晶さんの光文社文庫の解説、この前書きかけたやつを一応完成させる。でもこれは〆切が六月なので、このまま置いておくのだ。あまり早く入稿すると、書き直しをさせられるかもしれないから。後は少し疲れ気味なので、『最後のアジアパー伝』を読む。面白うてやがて悲しい世界。

 購入本紹介 『同潤会に学べ 住まいの思想とそのデザイン』 内田青蔵 王国社
 『集合住宅物語』 植田実 みすず書房
 どっちも書いていた長編に関係ありそうな本だけど、もう書き終えてしまったのだよ。だからといって買わないでおくと後悔することになりそうなので、やはり買ってしまった。こうして本はどんどん増えていく。

2004.04.05

 昨日はいきなり日記を休んでしまってすまぬ。どうしたかというと泥酔していた。いい年こいて、である。あーあ、我ながら言い訳する気も起こらない。

 今日は二日酔いだけど仕事。『AveMaria』の再校ゲラ。今回ビートルズの歌の歌詞を引用したのだが、なぜか問題になったのは原詩ではなく、篠田がでっちあげた訳詞の方。それならCDに載っている訳詩そのままならいいのかどうか、そのへんがはっきりしなくて。取りあえず内容的なものを地の文に繰り込んで、これでどうにかなるだろうという話になっているんだが、やっぱりよくわからん。
 それとお手紙をいただいてそのままほっておいたのに、ようやく返事を書く。いつもなら仕事の途中でも、ちょこちょこっとお便りの返事くらいは書いたのだけれど、今回はつくづく余裕がなくてどうにもならなかった。でも考えてみたら建築探偵の長編執筆期間が一ヶ月半というのは、とっても早いのだよ。去年の秋から、龍を3週間、『AveMaria』を一ヶ月、『失楽』を一ヶ月半。俺、働き過ぎかも。
 趣味の小説の題字をパソコンで作って、明日入稿することに。ほぼ一ヶ月前ですな。

 購入本ご紹介 つまりまだ読み終えていないんだけどね。
『飛田百番』 橋爪紳也 創元社 大阪の遊郭建築の写真集 いまは料亭になっているらしい。豪華絢爛きんきらきん、日本のバロック建築です。「館を行く」で取り上げてみようかなあ。
『間取り百年』 吉田桂二 彰国社 おもしろ間取り本が大ヒットしたけど、こっちはわりと普通の建築本。明治中期から現代にいたる日本の住宅の変遷を追っている。住まい方に重点を置いて書かれているので、日本ではかなり後まで寝るときは男女別だったこと、つまり夫婦が並んで寝るのではなく、夫は男の子と妻は女の子と同じ部屋で寝ていることとか、台所にガスが入っていても、流しはだいぶ後まで座り流しだったこと、など、知らなかったなー、というようなことが書かれている。

2004.04.03

 気が変わって東京の本屋へ。家の周辺にはまともな本屋がないので、東京まで出るかネット書店になる。取り寄せしてもらうくらいならネットが便利だが、書店の店頭で本を見るのはもちろん楽しい。というわけで今日は、仕事中切り抜いておいた書評を手に東京へ。結果的に候補に上げていた本はみんな見られて、八割は買った。二割は今回は止めておいた。積ん読本ばかり増えるのもどうかと思うので。
 今日買った本を少しご紹介。
『野又穣作品集 視線の変遷』東京書籍 幻想建築をスーパーリアルなタッチで描かれる画家さんです。実は数年前横浜のホテルで、レセプションにかけてあった絵に目を惹かれたことがあって、それがこの人の絵だったことが今回判明。新聞に小さな写真が出ていたのですが。小説の表紙に使いたいというか、モチーフにして作品を書きたくなる、イマジネイティブでミステリアスな画風です。
『父の縁側私の書斎』壇ふみ 新潮社 いわずと知れた壇一雄の娘で女優さんが、自分たちの棲んだ家のことを間取り図入りで語っているエッセイ。実は篠田は壇一雄の小説は一編も読んだことがないのに、彼の『壇流クッキング』という本を大学時代から熟読して実践していたのだった。よく考えると変な大学生だ。うちの親は保守的で変わったものは食べたがらなかったので、早く独立して自分の台所を持って、好き勝手なものを作って食べたいといつも思っていたよ。

2004.04.02

 取りあえずどうにかこうにか入稿。しかし、頭の切れが良くないなあという感じで。もうなんにも考えられないもんねー。まるまる一ヶ月くらい休みたいよお。建築探偵次回はたぶん間が空くからそのおつもりで。あっ、もう、先のことなんか考えたくないよ。

 前にちらっと書いた趣味の小説本、やっぱり作ることになりました。5/3有明におります。残部は通販もさせてもらいます。その表紙を作らないと、というのが目下の急務でありました。明日は部屋の掃除とそれかな。

2004.04.01

 ついうかうかと二日も遊んでしまったら、入稿まで時間が無くなってしまった。しかもそれが終わったら、『AveMaria』の再校戻しが迫ってきている。遊びに行くのではなく、家で好きな本を抱えて何日もぼーっとしたい。
 そんなことを思っていたら、『AveMaria』で引用するビートルズの歌詞の著作権問題でクレームがついてしまったようだ。まだ抜け道があるかも知れないので、そのへんはなんともわからないのだが、正直な話気が滅入る。

 読了本『海の稜線』黒川博行 創元推理文庫 ここの文庫に入った黒川氏の警察小説はみんな読んでいて、いずれも凝ったプロットが楽しい。だが今回は作者が意図したという「比較文化論的要素」がいささか疑問だった。東京人・キャリア・東大出の坊ちゃんと、大阪人・ノンキャリア・たたき上げの刑事の対比が、いくらなんでも図式的すぎる。その上坊ちゃんの使う東京弁が、なんだかべちゃべちゃして、オカマ臭くて、はっきりいって変なのだ。だけどこちらが関西弁を書いたら、きっとこんな変なものになってしまうのだろうな、と自戒する。