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2004.03.31

 光原百合さんと小金井のたてもの園に行ったのでお花見二連ちゃん。こちらは満開ですでにちらほら散り始めている。しかし小金井公園は桜の名所でもあるので、団体がことのついでにたてもの園に入ってくる。人を差別するつもりはないのだが、建築になんの興味もない、人の迷惑などいっさい眼中にないおばはんが、胴間声を張り上げて、どかどか上がり込んでくるのに行き会ったりすると、心底げんなりする。建物が傷むじゃないか。せめてもう少し静かに歩いてくれ。あたりには他の人間もいるんだから、せめて普通の音量でしゃべってくれ。あーやだやだ。

 明日から必死こいて『失楽の街』の直しをやらねばならない。タイムリミットは近づいている。

2004.03.30

 東京の桜は満開というのであわてて向島まで行ったのだが、隅田川縁の桜はせいぜいが五分咲きというところ。あせるほどのことはなかった。あいにくの曇天だが寒くはなかったので、長命寺の桜餅を雑踏する店内ではなく、川縁のベンチで食べる。甘党ではない篠田なので、桜の葉の塩味が大いに好ましい。戻って雷門前の藪蕎麦で樽酒を一杯。天ざるを一枚。つゆが大変に辛いので、一箸の下半分を浸してすすりこむと、最初に蕎麦だけの味を味わってから、つゆとともに口に入るのがちょうどいい。酒とのマッチングも最高で、最後に暖かい蕎麦湯で腹をぬくめながらだしのうまさを堪能した。
 お土産は言問団子でこれまた甘さ控えめの上品なお味。今日は何となく神代先生ツアーという感じでありました。

 週刊文春四月一日号に千街晶之氏による『アベラシオン』書評。戻れば大森滋樹氏より丁重なご感想のお便り。有り難く感涙にむせぶ。手に入らないとおっしゃる方、池袋リブロにどーんと平積みされています。返本されない前に買って下さい。柳川貴代氏の美しい装丁が傷んでしまうともったいないです。帯まで調和して、自分の本とは思えないくらいきれいなんですよー。
 読了本 『猫舌男爵』 皆川博子 講談社 これも柳川さんのすばらしい装丁がついた本で、中身はミナガワワールドのひとつの側面である奇譚性というか、哄笑性というか、「皆川先生すごすぎますー」と叫びたいような短編が堪能できる。この本についてはまた日を改めて書きたい。

2004.03.29

 削ったり書き足したりいろいろして、とにかく一応ラストにこぎ着けた。担当にメールで報告をして、ふと振り返るとまあ仕事場が汚いこと。12畳はある板の間のリビングの上に資料と本と地図とゲラがぶちまけたようになっている。あーあ、掃除しないと。でもさすがに今日は身体が動かない。
 そして明日は天気は悪いが桜が散らないうちに向島のお花見。ご存じでしょうか、名作『虚無への供物』で登場しているのですよ、ここの桜と桜餅が。篠田は甘党ではないが、それでも一度は食べてみたかったんだ、長命寺の桜餅。ムレタさーん、って、これは虚無の名探偵ね。クールなハンサム(極私的に決めつける)のくせに、ここの桜餅がお好きらしくて、番茶のお代わりをしてなかなか動かなかった、というんだから、婚約者がいらいらして大変。
 『AveMaria』の表紙デザインがメールで来る。元の写真は半沢氏が昔取ったもの。これまたかなりかっこいい。『センティメンタル・ブルー』から『angels』と並べると、また一段といいでっせ。
 山尾悠子さんから『アベラシオン』をお送りした礼状をいただく。嬉しいやら恥ずかしいやら。

2004.03.28

 375頁で一応ラストとしたが、最後の百頁ばかりはプリントしていなかったので、いま読み返し中。当然ながら真っ赤になっている。というわけで、一応の初稿終了は明日。何日かおいて読み返してから入稿としよう。六月刊行にはかなりぎりぎりなのだが、そんなわけで来週末かな、担当Kさんへ。

2004.03.27

 本日368頁で、本編はこれでおしまい。前からやってみたかったこと、京介に**を*せて登場させるをついにやってしまった。伏せ字にするととんでもないことをしたみたいだけど、別にそんなたいしたことじゃないし、必然性もあったわけですが、なんて書くと言い訳っぽいなあ。あと二ヶ月半経てばわかります。これにエピローグがついて、ほんとにおしまいになるはず。頭へろへろでなんかなにも書けませんです。明日にはもうちょっと立ち直って、『アベラシオン』におほめのことばをいただいたお礼とか書きましょう。

2004.03.26

 疲労がたまってきているせいかどーも体調がいまいちで、ジムに行ったらへろへろになってしまった。そんなわけで350頁を目の前にして今日はストップ。うーん、明日には書き終わらないだろうな。いや、ラストまで来たってプリントして読み直せば絶対直すからな。というわけで、まだ予断を許さない。

2004.03.25

 大事がなければあと二日か三日で初稿は上がると思う。しかし体調がいまいちで、なんかへろへろしている。それでもとにかく書き終えられるという、それが目前に迫ってきているときというのは、熱が出ているような一種ヘンテコな気分なのだ。終わったらしばらく寝たい。怠惰にずるずると転がっていたい。しかし、まだ終わった後のことを考えている場合ではありません。

2004.03.24

 昨日よりもうちょっと浮上。321頁まで到達。それでもペースから行くと今月いっぱいぎりぎで、だけどまあ六月に出すことは可能か、という感じになった。
 しかし今日京介のシーンを書いていて、「あー、この人とお知り合いになりたくない」と痛感。なぜかというと身も蓋もないから。人間は本音を建て前で包んで暮らしているものでありまして、正論だからって本音だけぶつけ合うガチンコだと、たちまち傷だらけでしんどくてしょうがない。それを敢えてやってしまうのがしばしば京介で、そのくせこいつは蒼には絶対そーゆーことはいわないんだからね。いえば嫌がるような相手、それも自分より強い立場にある人間には、肉を斬らせて骨を断つ、捨て身でつっかかるほんともう嫌なやつ。でもそういうキャラに育てたのは、はい、私です。読者様に嫌われたらどうしよう、と思いつつ、いまさら性格は変えられない。本編は今後きっつくなる一方ってわけで、もう少し甘くて読みやすい短編なんかも書きましょうかね。

2004.03.23

 どうにか最低のどん底からは抜け出せたかな、という程度の本日であります。

 しかし週刊現代の書評の依頼というのが、〆切が先週末で校了が今日。週中に入稿していたのだが、ゲラがFAXされるのが〆切の前日で、その段階で60字ほど不足であるといわれる。この前はぎりぎりに書いたら削って欲しいといわれて往生したので、今回はやや少なめに書いたらその始末。別に余裕のあるときならなんでもいなのだが、頭がひとつ方向に行っているときにそういうことをいわれるのはかなり辛い。次からはもうお断りしようと思ったが、小説が売れなくなったら雑文ででもなんでも食いつながないとならないしなあ。と、我ながら未だに心は暗いめなのである。

2004.03.21

 基本的に夜は仕事しないことにしているのだが、昼間進まなかったので読み返しだけでもしようと思って書いた分の前半を持ってきて夕飯の後も読む。するとなんか全然ダメじゃんという気分になってきて、胃がしくしく痛んでくる。当然布団に入っても眠れない。プロになって10年、ついに破綻か、なんて思ってしまい、小説を書けない小説家なんて歌を忘れたカナリアより役に立たない、いっそ首でもくくるかなどとかなりマジで思う。思いながらぐるぐるぐるぐる書いている途中の小説のことを考え続け、次第にあたりは明るくなる。ついに完徹。クライマックスの絵がほの見えてきたことと、頭の部分の思い入れの強いところを思い切って削除することを決定。そのふたつでどうにか自殺は思いとどまる。
 当然のように頭はぼけているが、善し悪しが分からなくてもしょうがないんで、原稿の直しをやる。神代さんが養父の死でイタリアから戻って、お葬式に出た晩にお姉さんが、というシーンは自分でかなり気に入っていたのだが、今回はやむなく消す。またいつか、神代さん主人公の話とか書く日があれば、使えるかも知れない。そういう企画も実は一度出たのだが、全然進行せず。それはしかし篠田のせいばかりではない。

 そんなわけで明日は仕事場で夜中まで頑張ります。日記はお休み。

2004.03.20

 桜の開花宣言が出てから雪が降るというのも、珍しいのではないだろうか。いやあ、寒い。そのせいということもないけど、今日はあんまり原稿が進まなかった。いよいよクライマックス寸前なんで、明日はこれまでの分を読み返すことにする。
 西原理恵子『毎日かあさん』読む。うちは毎日新聞なんで掲載ごとに読んではいるわけだが、やっぱり笑う。

2004.03.19

 ジムに行った他は仕事。280越えたがまたちょっと戻って直している。六月に刊行するには今月いっぱいに上げないと、ゴールデンウィークが入るから苦しい、ということが判明。たぶん350頁までは行かないと思うので、間に合うかなあとも思うのだが、「王の帰還」を見に行こうというほどの余裕はない。ああ、「大脱走」のリバイバル上映も結局見に行けなかった。「ホテルビーナス」も見たかったのに無理。
 今回の話は三人称多視点であります。建築探偵は蒼の三人称一視点というのが一番多かったのだが、今回神代先生が視点人物になっているものの、それ以外の人物の一人称三人称が混在している。話が東京全体に広がっているので、どうしてもそうする必要があったのだ。今日はファミレスのウェイトレスさんがお客としてやってきた京介と遭遇して動揺する、というシーンを書いた。別に前もって決めてあったわけではなく、最初は茶店にするつもりだったのだが、夜遅い時刻ならファミレスの方がリアルだと思ったら、自然と若いウェイトレスが出てきた。こういうのは書いたことがないから、自分でもちょっと面白い気がした。読者がどう受け取ってくれるかは、わからないんですが。

2004.03.18

 今日は近所のスーパーまでは行きました。自転車は30分漕いで、完全な運動不足にはならないよう心がけつつ、本日は273頁まで。今回京介は出ていても無駄話をあまりしてくれない。その分蒼と翳が出張っている。
 読了本『黄昏の百合の骨』 メフィスト連載中から読んでいたが、恩田さんの小説はやはりまとめて読みたい。恩田さんというと少年たちのイメージがある気がするが、今回は怪しい40代の二人姉妹がなかなかの存在感を醸し出していた。親戚に欲しいタイプではないが、作中人物として実に突出していて、ヒロイン理瀬の影さえ薄くしている。建築フリークの篠田としては、舞台になっている洋館の描写がもっと欲しかったところであります。瀟洒な装丁と、タイトルがマッチしてあたかも一編の詩をなしている本。こういう本はぜひハードカバーで手に入れてください。

2004.03.17

 今日も仕事場から一歩も出ず。257頁まで。ここまで来たのに着地がきれいに決まる確信が持てない。かなりしんどい。
 しんどいのでつい逃避して、柴田よしきさんの新刊『水底の森』を読んでしまう。もったいないから毎日ちびちび読んでいたが、半分まで来たところで我慢しきれなくなった。柴田さんのミステリは巧緻なプロットと、キャラクターの厚みの希なる一致が魅力。しかしこの話は、救われなくてかなり辛い話だった。
 昨夜の読了本 トールキンによる『指輪物語』の図像世界 原書房 大変高価な本なので誰にでも勧められるわけではないが、トールキンの絵というのはなかなかに素人離れしている。それでいて上手い、といいきれないあたりの微妙な感じがなかなかにいいのであります。
 こういう本を見るとまた映画の『ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還』をつらつら思い出す。けなすつもりはない。ないけれど、1部2部であれだけどーんと扱ったサルマンを、3部でまったく出さないというのは、バランスが悪すぎるんでないかい、などと思うのだった。もちろん簡単に殺せもしないし、かといって最初からなしにするんじゃ話が変わりすぎるし、というのはわかるのだがね。そういう意味でも原作は、すばらしく良くできているよなあといまさらのように思うのだった。まだ読んでない人、映画だけでトールキンを語ったりしたらあかんよ。

2004.03.16

 昨日とまったく同じ、246頁まで。あと100頁は要らない、と思う。先の見通しはいつも甘い篠田である。考えてみたら今月は二度しか東京に出ていない。それも一度はパーティで、電車でまっすぐ往復したのみ。それでも翌日は仕事にならなかった。
 合間に本はぼちぼち読んでいるのだが、これもあまり進まない。『指輪物語』の作者トールキンが描いた絵を集めた本とか、柴田よしきさんの新刊『水底の森』とか、古本屋から送られてきた皆川さんの本とか、あちこち広げてでもやっぱり集中出来ないから。仕事が終わったら何日かは、いっさい働かないで本を読むぞ。
 角川のマンガ版建築探偵が台湾で翻訳出版されているのだが、その三巻目の見本が届いた。漢字だと妙に笑える。「捻れた塔の冒険」は「螺旋的塔之冒険」まんまやあ。

2004.03.15

 今日も仕事のみ。あー、日記に書くことがない。でも233頁。とんでもなく延びないで済むなら今月中にどうにかなるだろうか。「王の帰還」ももう一度見に行きたいけど、時間がないよう。といっても丸一日パソコンにしがみついているわけではなく、そんなことをしていたら目が死にます、部屋の片づけとか雑用を半日して、本も少し読んで、午後の六時間程度キーボードの前に座ってます。やはりミステリの場合はノベルス10頁が適量のようであります。
 作家で友人の光原百合さんから、『アベラシオン』読了のメール。彼女が一番乗りである。有り難い有り難い。

2004.03.14

 昨日は仕事場からの帰りが予定より遅くなってしまい、日記を書く余裕がなかった。しかし昨日も今日も『失楽の街』の続きを書いてました、というだけなので。昨日は12日の日記の少女へ冥福を祈る気持ちを込めて、ロ短調ミサ曲をかけながら先のプロットを作り込む。かなり時間を掛けて段取りを考えていたはずなのに、結局書きながら考える状態になってしまった。いつものこと。
 ところで小説という奴は、書くのに要する時間と読むのに要する時間が極端に違う。いや、別にそれは小説に限らないわけだが、小説のことが篠田には一番わかりやすいので小説のことを書きます。つまり来る日も来る日もそれを書いていると、「なんかテンポ鈍くないか」「読者が退屈するのでは」といった不安に襲われて、つい場面転換などをしたくなってしまう。ぱっと場面を切り替えて、印象的な絵を、そこから回想で戻って、というのをやりたくなるんだな。
 しかし昨日は神代教授が立ってある場所の風景を眺めているシーンから始めたら、そこの直前の回想が入り、また現時点に戻ってきたら京介がやってきて、昨日の回想ということに。しかも最初の回想より後の回想の方が時間軸はさかのぼっている。人間の頭というのは別にこれくらいのことはするものだけれど、読者にとって親切か否かと考え直してすっぱり回想は止め。昨日の場面、今日の朝の場面、その後の場面と順に書き直した。こういうときワープロは便利である。
 しかしアマでこつこつ書いているときは、いくらでもそういうことをしていたなあ、と今更のように思う。いまは、読者に読んでもらいたいのは話の内容だ、と思い定めているから、内容にたどり着くための障害は極力排除しようと心がけている。なあに、それでも自分で「これは書きたいぞ」と思ったこと、建物にまつわるエピソードなんかは断固として入れ込んでしまいますがね。

2004.03.12

 仕事をしている。今月いっぱいというか、『失楽の街』が終わるまでは、これしかいえないだろうな。三月一杯に終われば御の字なんだけど。

 今日は読者からいただいたお便りで、ショックというのではなく、粛然とした気持ちにならざるを得ないことがあった。友人が亡くなった葬儀の柩に、『angels』が入っていたのだという。友人が建築探偵を読み出したことは知っていたけれど、その話をゆっくりしたいと思いながら、するより前に亡くなってしまったのだそうな。そんな若い少女がどんな死因で亡くなられたのかは、手紙に書かれていなかったのでわからない。せめて彼女が『angels』だけは読み終えてくれていたらいいな、と思う。そして「人間に生まれてきて良かった」という蒼たちの会話に共感してくれていたらいいな、と。
 篠田は決して楽観的な人間ではないけれど、やはり小説のことばはプラスのことばを使おうと、改めて思う。否定的な文言を並べてシリアスを描くより、女子供のお楽しみだと笑われても、「生きているってのは悪いことじゃない」と思えるような物語を。

2004.03.11

 『魔女の死んだ家』が台湾で翻訳されることになった。篠田の小説が翻訳されるのはこれが初めてである。ミステリーランドの凝った造本がどうなるかまではわからないが、波津彬子さんの美しいイラストがなくなることはよもやあるまい。なかなか楽しみであります。建築探偵のマンガ版は前に訳されたことがあるのだが、ちなみに中国語だとタイトルは「建築偵探」となる。

 篠田がネットの買い物で一番利用するのは本だが、ありがたみをひときわ感ずるのは古本屋。「日本の古本屋」というサイトがあって、タイトルや著者、キーワードでひくことが出来る。送料や送金手数料がかかるので決して割安ではないが、どうしても欲しい本の場合はそれもいたしかたない。篠田は皆川博子先生の本をずっと探し求めているので、ときどき検索する。本日は一度もお目にかかっていない一冊『みだれ絵双紙 金瓶梅』を発見。ああ、後は『あの紫は』が欲しいよう。

2004.03.10

 『AveMaria』の校閲ゲラをチェック。かなり細かくつっこまれて、やはり楽しいものではない。だけどこっちのミスも無論あるから、やらないわけにはいかない。しばしば迷うのは言葉遣いの正確さのこと。文法的には正しくなくても、話し言葉や一人称の地の文はそれで押し通すことが多い。だが例えば「あれは*年前のこと」という場合、正確に数えて「9年半前」だったら「10年前」といってしまう場合が多いだろう。どの程度だったら「10年前」という表現が適切と言うことになるのか、考え出せば難しい。
 あとは『失楽の街』の続き。新刊が並んでいる様子を見にくい暇はとても無い。というか、本が出るときは作者にとってそれはもう過ぎたことという感じになってしまう。今書いているもののことで頭がいっぱい。

2004.03.09

 今日もしこしことお仕事。警察を書くのは苦手だけど、閉鎖空間じゃなければ事件があるのに警察が出ない、というわけにはまいりませぬ。やっと172頁。
 今日はそのほか『AveMararia』のゲラが来たのでゲラ読み。ゲラ読むのは嫌いだよー、といいつつチェック。読者が面白いと言ってくれるのかどうか、書いた方はよくわからないのである。その種の不安はいつになってもなくならない。
 ニュースを見ると鳥インフルエンザの話題がずっと続いている。小松左京『復活の日』というSFを皆様ご記憶だろうか。前に角川が映画にした人類滅亡もの、といっても全部は滅びずに南極大陸の一万人は生き残るのだが、それ以外の人間はみんな死ぬ。その死因というのが驚くなかれ、インフルエンザなんだよ。もちろん通常のウィルスだと全員が死に絶えるというわけにはいかないので、宇宙空間で採集されたウィルスに生物兵器としての変異が加えられたものを、スパイが盗み出したけれどその飛行機が墜落、アルプスから水に混じって流れ出て、となるんだが、動物もかかる。七面鳥業者が雛の集団死に遭遇して呆然とするシーンがあって、現在のニュースとかぶってすごく怖いです。ハルキ文庫あたりで読めるんじゃないかな。ええ、マジで肝が冷えますぜ。

2004.03.08

 しこしことお仕事。早い書店だと今日あたりから『アベラシオン』が店頭に並ぶらしい。もちろん篠田在住の田舎では、いくら待っても出現する見込みはない。見るためには電車に乗って東京に出ないとならないが、本屋に並んでいれば並んでいたで「ああ全然売れていない」、ほんの少ししかなかったら「ああ配本はたったこれだけか」。どちらにしろ精神衛生上よろしくない。というわけで、新刊の出ているときは出来るだけ本屋には行かないようにしている。馬鹿みたいでしょう。自分でも馬鹿だと思う。
 知り合いが「講談社のサイトで申し込んだ」というので、ためしに講談社BOOK倶楽部というのに行ってみる。新刊を買える頁があるのだが、なぜか「残部僅少」。愛用のアマゾンに行ってみたがここではまだ載っていなくて、bk1だと取り寄せ1〜2週間。たぶん単価が高いから、在庫として用意してないんだろうなあ。新刊のときは書店にばらまかれているから、返品が来てからということになるのかも。
 

2004.03.07

 未読本の山がやたらと膨張してしまったので、少し減らそうと思い、どうせならかさばっている本をというので、『彩紋家事件』上下を手に取ったが、申し訳ないがこれは篠田向きの作品ではなかった。清涼院流水氏の本を篠田は最初の頃は読んでいて、好みに合うか合わないかは別として、これをいいとする人はきっとそれなりの数いるだろうと思った。その後の氏の活躍からして、この予想は当たったわけなのだろうが、今回の作品は残念ながら初期作品の縮小再生産でしかない。編集者を登場させる楽屋落ちも、アナグラムと語呂合わせの偏愛も、元からあったことの繰り返し。増えているのは分量で、なにによって増えているかというと、今回は奇術の描写と後は歴史の蘊蓄。自分も蘊蓄だらけの長編を書いておいて言ってしまうが、お勉強したものをそのまま全部書くのは小説ではありません。ただの孫引きの垂れ流しです。そういうのを全部飛ばして読んだらあの二冊が二時間で読み終わる。そんな読み方をしたからつまらないのだといわれればそうかも知れないが、もうこの人の作品を読むことはないだろう。
 そんなこといってるより仕事を進めろよ、と自分で自分につっこんで今日はおしまい。

2004.03.06

 外出した翌日はどうも調子が出ない。ほんとにパーティはもう全部止めるしかないな、という感じ。じりじりと仕事を再開。パーティでファンタジー作家のひかわ玲子さんと『ロード・オブ・ザ・リング』の話をしたので、またそのへんのことにも触れたいのだが、いまは気持ちの余裕がない。
 月曜日には大都市の書店では『アベラシオン』が並ぶかも知れない。当面東京に行くついでもないので、店頭の様子は見られないですが。

2004.03.04

 バイオリズムの曲線が知力体力ともに底を打ったような一日。こういう日は小説を書こうとしてもろくな文章が出ないので、昨日もらった書評の仕事をやる。しかしミステリの紹介に6枚はいくらなんでも多い。ネタバラシは出来ないということは、どこが面白いかは語れないまま、なんとなく面白そうに書かなくてはならないのだが、他の貫井作品について語るにも篠田は彼の本をそんなに読んでいない。というわけでSFミステリについて語ってページを埋めた。一応書き終えたが〆切は遙か先なので、もっとぎりぎりになって送ることにしよう。
 『アベラシオン』の見本がダンボールで届いた。ほとんどは編集部から贈呈してもらうのだが、他についでのある人や手紙を付けたい人の分は自分で送ることにしたのだ。しかしいまさらのようにかさばった本。弁当箱ということばがあるが、これはどちらかというと箱です。宝石箱ならいいんだが、ガラクタ箱では困るね。やっとこ六冊包装して、宅急便にする以外のものはポストに入れてしまえと思って、少し多めに切手を貼って担いでいったら入らない!! 郵便局に向かって歩き出したらそちらへだいぶ行ったところで、すでに五時を回っていることに気づく。仕方なく六時までやっているショッピングセンター内の郵便局まで行く。一冊の包みが1キロ近くあるので、四冊も担いで歩くとげんなり。
 しかしさすがに装丁は美しいです。上品でシックです。作者のイメージにはおよそそぐわないけど、作品のイメージとはそんなに遠くない、かな。実を言うともう少しおどろおどろしい世界ではあるのですが、最終的に救いのほの明かりは射してますので。

 明日は徳間のパーティに行くので日記の更新はお休み。しかし体調は回復するかいな。

2004.03.03

 今日は仕事場から一歩も出ないで仕事。やっと136頁。こうなると30分のエアロバイクが唯一の運動である。やらないよりはましでしょう。
 週刊現代で貫井徳郎さんの新刊の書評をやることになった。篠田はライターではないので、書評の仕事をもらっても万歳ということはないのだが、仕事は仕事である。自分が書評してもらう方がもちろん有り難いが、そういうことはめったにない。
 こちらは有り難い話。『龍の黙示録』ノンノベルが4刷り。累計4万を超えました。待てよ、誤植はなかったかな。

2004.03.02

 昨日やっと『ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還』を見てきた。内容について云々するのは、いまは止めておく。ひとつには未見の方の興を削がないため、もうひとつは時間の関係で省略してしまってわかりにくいところは、たぶんDVDのロング・バージョンを見れば納得がいくと思うからだ。劇場公開版でちゃんとしてなくちゃダメじゃん、というのはその通りなんだけど。
 ただもっと根本的な疑問というか、原作を知らない人に伝わっているんだろうかという疑いを覚えてしまったことはある。原作のテーマの非常に大きな柱は、「人間は死すべき運命をいかに受け入れるべきか」ということだと思うんだね。そのために「人間」と「老病死苦」を免れたエルフというものがいて、人間はエルフをねたむと堕落する。ゴンドールの祖先のヌメノールはそのために海に沈んだわけです。人間とエルフの混血であるエルロンドはエルフの運命を選んだけど、彼の子供はやはりどちらを選ぶか選択できるので、アルウェンは人間として死ぬことになる。エルフは死ぬ代わりに西の浄土へ渡航する。エルフ以外のドワーフやホビットも人間と同様死ぬ。
 この辺の話を始めると非常に長くなるので今日は止めるけど、こういうところがわかっていないとラストシーンの意味ってわかりにくいんじゃないのかな、と思った次第。