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2003.09.30

 昨夜寝ている内にどうしても直したいところと書き足したいところが出てきてしまい、朝一番で仕事場に行って直す。もう6枚増えてしまった。もう直さないけど、「お話は続いていますよ」的なラストを付け加えてしまったせいで、続きを書きたい欲がうずうず。しかし身が保たないです。このへんでひと休みしなくては。
 午後から購入のDVDをいじって「指輪」本編を見始めてしまう。スペシャル・エクステンド・エディションなので、いろいろ見ていない場面があってどきどき。これは、原作好きにとって美味しい場面がずいぶん切られていたのねーっ、といまさらのようにびっくり。時間切れになったので、最後まで見たらその辺はまた報告します。
 ジムで運動して、原稿の打ち上げに外食。
 読者さんから金平糖をいただいた。ピンクのさくらんぼ味は京介で、薄い水色のソーダ味は蒼の見立てなよし。深春なら暖色系のオレンジかチョコで、神代先生は粋な抹茶でありましょう。

 明日は所用ありにつき日記はお休みです。

2003.09.29

 ちまちまと赤を直して最終回はいっぱい直して、あまり着地がぴたっと決まった気もしないし、そこら中八方破れやな、ではあるが、死力は尽くしましたって感じで680枚、終わりです。ちょうど丸一ヶ月。もう二度と、こんなせわしい仕事はしないぞ、って、別に〆切に迫られたわけでもないんだけど。まあ、来年ノベルスにするときに、ラストはもう少しいじるでありましょう。実は作者も思っていなかったことに、ヒロイン透子がむにゃむにゃでして。いや、死ぬとかそういうことではないからご安心。
 散らかった資料をまとめて他の部屋に移し、散らかった他の物も片づけ。長編が終わるとたいてい部屋掃除をして、気分転換を図ることになっている。これで二週間くらいはのんびりしようというか、床に寝転がるとそのまま動く気がせん、という感じである。でも明日はジムに行くぞ。

2003.09.28

 最終回は122枚で一応終わりとなったが、読み返しは第一回の頭から始めたのでまだ終わらない。なんやへろへろです。

2003.09.27

 107枚まで。別にわざと30枚で止めているわけではないのだが、時間的にそのくらいでいっぱいとなる。実働六時間くらいか。今回の話は決着を付けるべきことが多くて、クライマックスがぴしっと一本にならない上にエピローグがくっつく。それがうまくいっているか、急ぎすぎかだらけているか、書き終えて読み直してみないといまはよくわからない。すでにエピローグに入っているので、枚数はそれほど多くはならないだろう。明日はさいごまで書いて読み直しもできるかな。ああ、やれやれ。

2003.09.26

 今日も仕事しかしていない。77枚まで。ついに終わりが見えてきたという感じ。後はこれをきちんと組み上げるだけ。思ったほど長引きもせずに、6回目の枚数で収まりそうだと思うが、つくづく枚数を読むのが苦手な人間なので、実際のところは書き終わらないとなんともいえない、というところ。今日の仕事を終えた後も、展開の絵が頭の中にぬっと上がってきたりして、大変しんどい。整体の兄ちゃんが「疲れてますね〜」と呆れていたが、すべてはこれのためだ。でも充実の一ヵ月ではあったね。いや、まだ過去形ではない。

 講談社ミステリーランド『魔女の死んだ家』は、担当編集U山さんによると来月の今頃見本だそうだ。ということはやはり店頭は月末ぎりぎりくらいでしょうか。定価もまだわかりませんが、美しい装丁を見るためだけにもぜひお手にとって欲しいと思います。同時刊行ははやみねかおるさんと有栖川有栖さん。

2003.09.25

 整体に行く。篠田は基本的に健康体だと思っていたのだが、この前は骨盤がゆがんでいるといわれ、今回は首がひどいといわれた。なんかそう言うことを聞いていると、篠田アブナイかー、なんてちょっと思ってしまうね。
 少し残業したので46枚まで。

2003.09.24

 毎月月初めに配信される講談社のメールマガジン「ミステリの館」というのがあるんだが、来月号で建築探偵の記事を載せてくれるというので、コメントを書く。10月のイン・ポケットにも「もうひとつのあとがき」が載るので、内容だぶらないように気を付けて短い文章を書いた。
 それから第六回のプロットなのだが、仕事場にいると横になったまま動かないでぼーっとしているまんまなので、喫茶店に行って頭を叩く。展開や情景はちらほらしていたので、わりと短時間に昼飯のクラブハウスサンドを食べながらプロットが立つ。といっても、レポート用紙半分くらいの文字数なんだけど、これだって書くのは珍しい。
 座ったら立ち上がりたくないよー、というくらいしんどい身体を引きずって帰って、今日はどうにか15枚。これまでのペースで書ければ、最終回が多少長くなっても月内に上がるはず、というわけで、油断したらいっぺんでこけそうや。

2003.09.23

 なんかもうくたびれた。113枚で第五回を終わる。六回で終わらせる為には、もう少しまともにプロットを立てないとまずい。全部の伏線を回収しないまま終わらせてしまいそうだ。今回から準レギュラーという感じで加わったキャラが、けっこう見せ場を奪ってしまうもんだから、龍さんの影が薄いぞ。みんなで幸せにお茶会、まではまだけっこう遠い道のりだなあ。

2003.09.22

 自転車も漕がずに108枚。終わらせられるかと思ったが肩こり頭痛でこれが限界。しかし明日には当然終わる。そして第六回。絶対これで終わらせよう。身体も限界という感じだ。そうしたら一週間くらいは、つんどく本を読むことと部屋の掃除くらいしかしないぞ。でも、物語としては近来になく乗っている。乗りすぎというくらい。そして相変わらず見通しは立たない。エピローグはみんなでお茶会ですね、というくらい。
 装丁家の柳川貴代さんからお電話。すごく明るくかわいい声の方なので、なんとなくびっくりする。『アベラシオン』のデザインをお願いしているのだ。手間を掛け素材に凝れば当然定価は上がるが、そのへんの兼ね合いをどうするか、という話。なにせページ数が500ページ越すから、そんなに安くは済まないだろうと思っていたが、3千円超すというのはやはりやりすぎでは、という気がする。篠田の気分としては2千8百円くらいで押さえたいところだ。それにしても若い読者さんは買えないだろうな。みなさん、学校なり地域なりの図書館に購入希望を出してください。講談社11月刊行です。

2003.09.21

 急に寒くなって身体がびっくりしている。脚も相変わらず痛い。歳である。どこどこ進行するなんていっておいて、今日は進みが鈍い。しかし根性で74枚まで進める。ますます今回の話はフェミニズム伝奇だ。強くて偉そうな女ばかり出てくるんで、我ながら呆れてしまう。
 明後日には第五回が終わる勘定だが、本当に終わるのかな。でも六回で終わらせれば今月中に完結できて、十月は少しのんびりできるはずだよな。もうこれ以上仕事の前倒しはしないぞ。十月に異形の短編とジャーロの第二回を書けば、十一月から建築探偵の新作にかかれるじゃん。しかし書き出すまでに一ヶ月だよな。伝奇みたくはいかない。刊行は来年の四月でぎりぎりっしょ。

2003.09.20

 昨日の乱歩賞では作家の知り合いよりも、各社担当編集者に端からご挨拶という感じ。異形コレクションで「支那」オッケーの返事をくれた光文社の方、祥伝社の新人女性編集者、前々から懸案の長編の話をしつつ手も付けられない新潮社の方など。
 帰りはふたりとも出版社の頭文字はT、名前の頭文字はKという若手編集者と三人で駅まで帰る。このふたり、話がほとんどユニゾンで重なるのが抱腹絶倒。いわく最近のバックミュージックは石川啄木と宮澤賢治、じっと手を見たり、泣き濡れながら蟹とたわむれたり、雨にも負けず風にも負けずとつぶやいたり。エンドレスでかかる音楽はドナドナだそうだ。合掌。死なずに仕事してくれ。

 今日は雨。出かける気もしないから仕事。昨日の今日で脚がむくんで痛いよーといいながら44枚まで。それにしても、いよいよプロットが立たなくなってきた。立たない癖に原稿はどこどこと進行する。どこへ行くんだ、この話。すごく怖いぞ。

2003.09.18

 あまり手を入れる箇所もなくて112枚になった第四回を送稿。プロットを立ててみるとやはり六回にしないとならなそうだ。とはいうものの、ぴっしりと筋書きが出来たわけではない。おおまかな流れはあるものの、肝心なところがよくわからないまんまだ。このお先真っ暗さ加減と筆の速さというのは通常対立するはずなんだが、今回は真っ暗だよ〜真っ暗だよ〜といいながら書けば筆は止まらない。かなり変な状態である。
 それとパソコン前を離れても、頭がそこから離れない。先のプロットなんかがふらふらと浮かんできたりする。普通は朝小説に入るときに少し時間がかかったりするのだが、今回はずーっとついてきている。こういうこともあんまりない。前に『この貧しき地上に』を書いていたとき以来かな。
 プロになって10年、ずっと小説を書き続けてきて、実を言うとこの1,2年少し息切れを感じるときもあった。なんか、小説を書くことが自分のルーティン・ワークになってしまっているなあ、と。それは嫌なものである。かつて喜びとともに行っていたことが、ただの作業になってしまうというのは。でも今回『聖なる血』を書いていて、まだ自分は喜びを持って小説を書くことが出来るのだと今更のように実感できている。それがすごく嬉しい。
 有栖川有栖さんからすばらしい解説を頂戴した。ぜひ『原罪の庭』の文庫版をお手にとって、それを読んでやって下さい。それから異形コレクションの担当者から、「支那」ということばを使うのは差し支えなしとの回答を頂けた。中国を意味するこの言葉は、差別語ということになっていてワープロでも出ません。しかし呉智英さんのように、確信を持って使い続けている人もいる。篠田は戦中の上海を書くつもりなので、当時の日本人は当然この言葉を使うはずです。

 明日は乱歩賞パーティなので、仕事、日記、ともにお休み。

2003.09.17

 篠田は「小説を書いているとキャラが勝手に動く」というのは得意らしくいうことじゃない、それは自分が書いている小説をちゃんと把握できてないということで、恥ずかしいと思っている。だから恥ずかしそうに言うのだが、透子さん、あんたが今日あんな事を言い出すなんて、そこを書き出すまではちいとも思わなかったよ。勝手をやってくれるねえ、まったく。それにしても「龍」のシリーズは、書くほどに透子の「漢っぷり」が上がって、かっこいいこと。これってフェミニズム伝奇小説だったのか。あるかい、そんなもん。

 ミステリーランドのイラストを担当してくださった漫画家の波津彬子さんから、中国茶をいただく。今日はコーヒーは止めて、いただいた白牡丹というのを飲んだ。前に買ったかわいい茶壺は東方美人に使ったので、白牡丹は蓋つきコップで入れる。波津さんには雨柳堂夢咄のシリーズに「午後の清香」という一作がありまして、第九巻ですが、これにイギリス人のグラント先生が買ったチャーミングな茶壺に、唐子のお茶の精がついてくる話なのです。このお茶の精がすごくかわいい。気に入らないお茶を入れると文句を付けて、最初は「次はもっとよいお茶を」なんていってるのが、じれて怒って茶壺をひっくり返したりするのです。会ってみたいな、お茶の精。ひっくり返されるのは困るけどね。

 「龍」は111枚で第四回を終わる。しかし、やっぱり六回かなあ。うーむ。

2003.09.16

 本を読んでしまったために、どうにかノルマは果たしたがエアロバイクを漕ぐ時間がなくなった。本は『東京・ディープな宿』泉麻人。期待したほどディープじゃなかったし、宿そのものへの言及も乏しくて、パーティの水割りみたいに薄かった。これで1500円は高すぎるよ。
 小説の方は85枚。特に何かない限り明日で第四回が終わる。それでも五回で終わるか終わらないかわからない。なんというお先真っ暗であろうか。まるで篠田の人生のようだ。いや、洒落にならねえ。

2003.09.15

 休んだ翌日というのはどうも調子に乗らないもので、今日もかなりもたつくが、どうにか53枚まで。早く始めても順調に進んでも30枚書くと時間いっぱい、というのは、しかし奇妙なものだね。別に40枚書いたってかまわないんだが。
 井上雅彦さんから久しぶりに異形コレクションのお誘いが来る。テーマはアジアン・ゴシックだそうで、ちょいと食指が動かないではないんだが、スケジュールは決してゆるくない。ついては「差別語を使ってもいいかどうか編集者に聞いてくれ」と申し入れる。頭にちらりと浮かんでいるモチーフは、言葉狩りとなれば絶対ひっかかる、パソコンで打っても出ない、しかし本当に差別語かというと疑問はあるし、歴史的に使用された言葉なんだから書くなと言われたらその時代が書けないよ、ってなものである。白土三平のマンガで農民に「相手は目の不自由な人でないか」といわせたような改変を迫られるくらいなら、頭の中に寝かせたままにしておく方が精神衛生的によほど有り難い。さて、光文社はどんな回答をよこすだろうか。もっとも、「いいよ」といわれてもいざとなったらひよるかもしれないから、全然油断は出来ないけどね。

2003.09.14

 神楽坂の街をちらっと見て、神田川に突き出たカナル・カフェでビール。暑すぎずさわやかで、川向こうは中央線が轟音を揚げて駆け抜けているが別天地の趣。本屋で東京人のバックナンバーを買う。今は亡き山本夏彦翁が東京言葉について書いていて、そこに使ってみたいがまだ使う機会のない言葉として「桜井さんという方がいらしっているはずだが、おいでか」という例が載っていて、にやにやしてしまう。
 駒場東大前の小劇場で劇団桃唄309の「貝殻を拾う子供」を観劇。相対性理論の構築、原子爆弾開発から原子力平和利用まで、人間の知の功罪という馬鹿でかい問題をテーマにした寓意劇。しかしテーマがでかすぎると思うよ、これはいくらなんでも。すでに原子力の平和利用は、新たなトラブルの種にしかならないということが我々にはわかってきてしまっているからね。

2003.09.13

 午前中はだらだらっと過ごす。昼前に外に出て茶店でプロット作り。今回はぴしっとは決まらないが、冒頭あたりはかなり見えているので、かまわないから書くことにする。というわけで今日は21枚。やはり五回では無理だろうなあ。六回こういうことをやるのはしんどいけど、増えた脇役にも見せ場を作ってやらないとならないし、今回は三人称多視点的な書き方をしているから、ちゃんと決着をつけてやらないといけない脇役もいる。でも今の回でひとり殺してしまおうかな。

 明日は光原百合さんとお芝居を見に行くので、午前中は神楽坂へ取材の予定。というわけで原稿は一日お休み。

2003.09.12

 昨日というか今日の朝一時半までかかって109枚で第三回ラスト。朝はマッサージをしてもらいに出かけて、骨盤がゆがんでいるといわれる。シーン。喫茶店でプリントアウトの手入れ。帰宅して直し。1から3を一気にメール送稿。二週間で330枚というのは、自分としてはけっこう記録かな。でもまだ終わらない。後何枚で終わるんだろう。

 読了本。恩田陸『まひるの月を追いかけて』文藝春秋 恩田流旅情サスペンス・ミステリといいますか。舞台は奈良大和路。学生時代幾度も通った場所がたくさん出てきて、なんとも懐かしいがそれだけではなく、恩田さんの読者を引き込む語りはすでに名人芸。

2003.09.10

 64枚まで。でも今日は書いた部分にあんまり確信が持てない。というわけで明日は仕事場に泊まって一気に第三回を書いてしまうことにした。そんなわけで日記は明日はお休みです。

2003.09.09

 なんか、かなり大変なことになっている。書き終えるまではゆっくり休ませんもんね、という感じで朝の六時から目が覚めてしまった。布団からは出なかったけど、篠田はだいたいそんなに寝起きのいい方ではないはずなのにだ。午前中喫茶店でプロットを作ると、第三回分がささっと出来てしまう。しかしじゃあ先もと思うとこれが依然五里霧中。クライマックスもラストも鮮明な像を結ばない。お先真っ暗状態で突き進むしかないというわけで34枚まで。今度の日曜日は観劇なので、それまでに第三回を書き終えてちらりと神楽坂にも行ってみよう。でも果たして夜も書き続けたら、一日何枚書けるか試してみたい気もする。そんなことすると翌日は目と肩に来てバッタリになるだけだろうけど。

2003.09.08

 午前中はちょっとひと休みという感じで、エアロバイクを漕ぎ、創元推理文庫の『髑髏城』を読了してコメントを書いてみるが、K君よ、20字から30字ってマジですか。200字から300字の間違いではなくて? だってさ、「かつて本格ミステリの世界で、かくも妖美にして蠱惑に満ちた建築が描かれたことがあるだろうか。」これで45文字だよ。20字から30字って、ただのコピーじゃん!!
 午後から重たい腰を上げて第二回を読み直し、書き足しもあるが削りもあって、結局110枚で終わり。明日からすぐ続きが書ける、かなあ。いささか不安。


2003.09.07

 昨日ウィンドウズの文字化けについて嘆いたところ、さっそく複数の方から解決法のメールをちょうだいした。日頃メアドを公開していないのに、こんなときだけ来訪者の好意に甘えるようなかたちになってしまって、なんだか申し訳ない。さっそく対処してきれいに戻りました。お心遣いいたたいた皆様に、纏めてで失礼ですが、心から感謝申し上げます。

 第二回、今日も自転車さぼってしまって、108枚で一応ラスト。しかし第一回にもまた伏線を足したいところが出てきてしまったし、今日はずいぶん書き急いでしまったので、明日たくさん直さないとダメだろう。自転車も漕がないとね。

2003.09.06

 誰かパソコンに詳しい人教えてくれないかなあ。私のネット用パソコン、ウィンドウズMEなんですが、右上のボタン、バッテンや拡大をするボタンね、あれが変な数字になってしまって、他のバーの所に小さな数字が入ったり、という変な具合になってしまったのだよ。スキャンデスクしても戻らず、なんか気になって、どうしたらいいんでしょう。

 『聖なる血』第二回、75枚。今日は節の順番を入れ替えた。今回は三人称多視点的な書き方になっていて、なにも考えずに時間順に書いていたのだが、読者にサスペンスをもたらすには、逆にした方が良さそうだと気づいたのだよ。そんなことしていたので、自転車漕ぎさぼったのにぎりぎり30枚。しかも第二回は、100枚では終わらなそうなんだなあ。うーむ。小説ノンは前もっていっておけば150までならといってくれたんだが、つい数日前「一回はやっぱ100枚で」とかいったばっかりなんだよね。なんという見通しの利かなさ。わははっ。笑い事じゃないか。

2003.09.05

 第二回、45枚。今日はジム行って運動してきたのに、早いなお前、と誰も誉めてくれないから自分で誉める。でも相変わらずというか、ますます、お先真っ暗状態は続く。脇役の人間が生きるか死ぬか、ちっともわからない。考えていてもしょうがないから、どんどん書いてしまう。へたな考え休むに似たり。行ってまえーっ。

 東京創元社の秋のフェアで「創元推理文庫私の一冊」という短いコメントを求められる。20字から30字。短い方が難しいんです。でも今年は細かい仕事づいているから、いただけるものはなんでもします。前から好きだと行っているディクスン・カーの『髑髏城』でというんで、読み返さないと。

2003.09.04

 『聖なる血』第一回、109枚で終えて、さすがに疲労というか頭がぼんやり。すぐに続きを書く気がしなくて、ポール・ウィンターとザトウクジラのCDを聞く。非常に好きな一枚で繰り返し聞いている。そういえばこれ、『原罪の庭』の中で京介が蒼に聞かせていたもの。私は非常に深い安らぎを感じるのだが、うちの猫はびりびりっと緊張していた。生き物の鳴き声には、やはり反応したくなるのか。
 気を取り直して、第二回では神楽坂が登場するのだが、取材に行っている暇がないので、地図を見たりサイトで呼び出したりして、いくらか頭が動くようにする。自転車こいで汗まみれをシャワーして、午後から近所の喫茶店へ。仕事場があるのに茶店に行くのか、といわれそうだが、茶店なら横になって寝ることは出来ないからね。だいぶプロットが変わってきそうなので、このへんで整理しておこうとしたのだ。
 その最中に、第一回ラスト近くに伏線をひとつ入れようと思いつく。よしよし。しかしプロットの方は第二回分がどうにかこうにか。我ながら全く、書いてみないと分からない状態はまだ続く。帰って第一回手直し、結局110枚。それから根性入れて第二回に着手。神楽坂といっても、どうせ幻想の神楽坂だし、まだ後からも出てくるからそれまでに行ければいいや。というわけで本日は13枚。初日にしたらいい方でしょう。
 『原罪の庭』の表紙案が来たので、ひとつ選択。たぶん純白の表紙になります。

2003.09.03

 原稿続行。105枚で一応第一回を終わらせて赤入れ。少し増えて終わりそう。透子の登場シーンは特に筆が速い。しかしこのキャラ、けっこう意固地でそばにいたら大変でないかと思うのだが、なぜか支持者は多い。今回は最初の一冊の電話で登場した彼女の大学の先輩と酒を飲んでいるのだが、どうも先輩のせりふ回しがどこかで聞いたことがあるなあと思いながら書いていたら、ボアン先輩そっくりだった。うわあ、西澤保彦さんごめんなさい。ボアンほどいい男ではないですから。

2003.09.02

 今日は前の分を読み直して手を入れていたので、30枚は無理かなと思ったのだが、エアロバイクに乗るのをさぼってどうにか84枚まで。結局第一回は100枚前後で終わる模様。100枚というのは連載のペースとして、自分に一番しっくり来るみたい。でも一日30枚というのは、さすがにマキシマムだね。パソコンに向かっているのは実質5時間くらいだから、物理的にはもって書けるはずだけど。

 昨日はビデオに入れておいたウミウシの生態物を見る。奇怪千万で非常に面白かった。背中の触手に植物を寄生させて日向ぼっこし、光合成のエネルギーをわけてもらうとか、他の軟体動物の刺細胞を食って横取りして、それを自分の武器にするとか、SFを読んでるみたいだった。

2003.09.01

 飛ばしまくってます。というわけで本日は54枚まで。一日30枚ペースがどれくらい続くか、というとそれはちょっとわからない。でも書く内容がかっきり決まっている内は大丈夫でしょう。別に疲れてないし。

 読了本『安楽椅子探偵アーチー』松尾由美 東京創元社
 安楽椅子探偵というのは現場に出かけていったりしない、純粋に伝聞情報だけで推理するタイプの名探偵なわけだが、この作品は安楽椅子が探偵。こういうとくだらないだじゃれみたいで、かえってまっとうなミステリ・ファンが二の足を踏むのではないかと心配だ。これは意識を持ってしまった椅子と小学生の子供が心を通わせるという点ではファンタジーな、しかしミステリの側面では完全に理性の通った直球勝負の安楽椅子探偵ものであります。
 ところで安楽椅子探偵ものは、日常の謎と親和性がある。そうでない場合もあるが、せっぱ詰まった、まだまだ人が死にそうな連続殺人事件では、それを現場に行かない探偵に語ってお伺いを立てる、というような悠長さがあり得ないからだろう。
 で、日常の謎というのは難しい。首切り殺人と馬の人形紛失事件では、どう考えても前者の方が小説的な緊迫感は出しやすい。日常の謎では「それがどうしたの」といわれてしまったらおしまいなのだ。
 さらに安楽椅子探偵というのも難しい。連作になれば不自然さが際立ってくるし、どうしても純粋な推理だけで事件を解明させるとなると、ひとつ間違えば「こじつけ」「ただの推測」「飛躍しすぎ」になりかねない。かといってまったく飛躍がない方がいいかといわれれば、それは退屈な小説にしかならないだろう。二律背反の難しさだ。
 この本には4編の中編が収められているが、その中では「外人墓地幽霊事件」が一番出来がいいと感じられた。現象の不可解さと推理による解明、さらに最後のひやりとした感触を残す落ちが、日常の謎ミステリにありがちな「みんないい人」みたいなぬるさを排除している。その分日常の謎から大きくはみ出した「緑のひじ掛け椅子の謎」では、やや不自然さが目立って、短編では処理しきれない事件を無理にその枠の中に押し込んでしまったような読後感があった。
 子供をワトソン役に使うのも、制約が多い反面ささやかな日常の謎に重大性を付け加える優れた発想だろう。次はこの設定で長編が読んでみたい。