←2003

2003.08.31

 「龍」今日は少し残業して21枚まで。会話を書くのは得意なので、会話になると順調に進む。苦手なのはアクションかな。しかし伝奇だとアクション抜きともいかなくて、不得意ななりに努力せんとならん。
 
2003.08.30

 「龍」、登場人物を少し増やしたが、プロットは厳格には決めず、というかだいたいの里程標くらいで、書き出すことにする。伝奇の場合はたいてい、これくらいしか決められない。あまり綿密に決めると、かえって筆の勢いが死ぬ気がする。
 それでも書き出しのところはある程度「決まったぜ」という感じにならないと駆け出せないので、だいたいいつも時間がかかる。今回はイタリアから話が始まるので、読者を乗せる枕としてゲーテの話を持ち出すことに。だが、そうするとそばに資料がなくて、行きつ戻りつ。あまり直接関係のない話に深入りしてはいけないと、一度書いたところを消したりして、しかし10行でなく1行だろうと、無知故に間違ったことを書くのはみっともないからなあ。
 そんなわけで今日は2枚。当面外出の予定もないので、せっせとこれを進めることにする。

2003.08.29

 朝からピーカンで東向きの仕事場は暑い。夏はずっとこうだったのが、今年は珍しい感じ。数日書き続けてきた趣味の小説(発表する予定のない小説)を一応書き終え、ようやく祥伝社の担当とも連絡がついて、さあ、いよいよ「龍」を書くしかなくなった。たぶん11月売りの12月号から連載開始だろう。案の定、だんだん後ろにずれてくる。旅行中に書いたプロットを再読。悪くないと思うが、頭に浮かんでいるシーンとうまくリンクしないので、もう少し考えなくては。
 読了本『俳優のノート』山崎努 文春文庫 シェークスピア劇「リア王」に主演することになった彼が、戯曲を読み込み、思案を巡らして役を作っていく毎日から稽古、公演までをつづったノート。非常に興味深い。

2003.08.28

 朝は小川町の伝統工芸館で「彩の森から」の木工展示を見学。午後から東京に出て、上野の科学博物館に江戸博覧会を見に行く。からくり人形の展示だと思っていたが、他にも色々。平賀源内について読むと出てくる蘭学書やエレキテルも。しかし弓射り童子のからくりを見て「うーん、人が殺せる」とつぶやいてしまう、ミステリ作家の業は深い。
 夕方渋谷BUNKAMURAで建石修志さんの個展を見る。幻想文学の表紙を飾った絵など多数。思いがけず皆川博子先生や編集者のU山さんとお会いする。

2003.08.27

 部屋の中をざっと片づけ、いらないものを捨てて、終わった仕事の資料を別室に運ぶ。といっても、校了まではまだ資料が必要になることがないとはいえないので、山は山のまま。友人たちにペーパーを送ったり、デパートへ行って中国茶の急須を買う。茶壺と書いてチャフウと読む、四声はわからないが、響きはかわいいね。というわけで、手のひらに収まるくらいかわいらしい茶壺を入手。あとは小さな茶碗だけ買って、茶海のたぐいはあるもので済ませて、東方美人を楽しむ。ちゃんと美味しくはいった。
 問題は、多孔質の焼き物の茶壺は香りを吸い込むのでお茶は一種類にしろというんだけど、東方美人ってあんまり売ってないんだよね。50グラム1600円だから、かなり高い感じがするけど、でも美味。
 今日は晴れたけど、あちこちの窓を開け放ったら風が通ってクーラー不要。やはり残暑の雰囲気なり。「龍」手つかず。担当から連絡がないんだもんなあ。60枚で切らないとならないか、80枚書いていいか。やっぱり気分が違うじゃないか。

 明日はお出かけなので日記はお休み。

2003.08.26

 今年は冷夏でやっと暑くなったかというと残暑めいて、これで夏ばてしたら詐欺やんかという感じだが、夏ボケ発覚。昨日でイン・ポケの「もうひとつのあとがき」を一応最後まで書いたのだが、「なんか妙に多くないかい」というので先月号のイン・ポケを出して文字数を確認したところ、倍書いていたということが判明。19字かける50行といわれたのに、19字かける25行二段組み見開きの書式を作ってしまった。まったくもってアホの極みである。泣く泣く削りに削って、なにやら舌っ足らずな文章になってしまった。短い文章というのは、かえって難しいものだ。
 しかし今日『原罪』のゲラを戻したので、さて一段落。明日は部屋の掃除をして、手紙の返事を書いて、急須を買ってきて「東方美人」をいれよう。明後日はお出かけなので、明々後日からはいよいよ「龍」だ。
 いまごろになってSFマガジンの八月号に『唯一の神の御名』の書評が載っていたのを知る。友人が教えてくれたのだ。多謝。有明まで同人本を探しに来てくれるような読者さんもいらっしゃるようだし、さあ、がんばりますわよっ。

2003.08.25

 あ、暑いっすねー。
 仕事中は暑いと眠くなってしまうから、クーラーかけないわけにはいきません。だからついクーラーなしの暑さを忘れて、外に出てひええっ。
 『原罪』のゲラを読みつつ、インポケの「もうひとつのあとがき」を書く。ゲラで、元本からの誤植というか、ミスタイプを発見。これまで校閲の目もかすめて生き延びてきたミスは、なぜか今回もチェックされていなかった。ううう、恥ずかしい。さて、そのミスとはどこでしょう。正解をお手紙で寄せてくれた読者には、文庫版『原罪』をプレゼントします。正解者多数の場合は抽選で。最近ちっとも手紙が来ないんで、篠田はさびしいんでありました。

2003.08.24

 クーラーつけずにだらだらしているとちっとも仕事にならないので、今朝は朝からつけてしまう。健康的でないなあと思いつつ、『原罪の庭』のゲラを読む。『アベラシオン』の後で部屋を片づけていないので、やたらとちらかっている。こっちを終わらせたら「龍」を始める前に、やっぱりいろいろ片づけないとまずいよなあ。
 明日中にゲラ読みを終えて、イン・ポケのエッセイも書く予定。8/28は雑誌幻想文学の表紙や中井英夫の著書の装丁などで知られた建石修志さんの個展のオープニング。それまでに一仕事終わらせて、掃除して、九月から「龍」だ、るんるん。
 しかし不安のひとつは、最近小説ノンが薄くなってるんだよなあ。連載の枚数もみんな少なくなってるみたいだ。こっちはわがままいって100枚とか書かせてもらっているので、短く切れるとなったらそこで区切りを入れるように書かないとまずいわけで。まあ、担当に聞いてみるしかないんだけど。

2003.08.23

 暑くない暑くないと文句を言ってきたが、暑くなったらやっぱり暑いねえ。仕事にならない。
 夏休みはしながわ水族館で魚の腹を見て(トンネル水槽が売り物だから)、水上バスに乗って船の科学館に行って北朝鮮の工作船を見て、横浜に泊まって夜はイタリアン、翌日は中華街で魯肉飯(豚バラと卵の煮たのどんぶり)500円なりを食べた。その後最近中華街で増えた中国式の喫茶店、茶藝館で中国茶を飲む。これがとても美味。特に「東方美人」オリエンタル・ビューティという紅茶に近いお茶は、すごく美味しくて良かった。

 オール読物九月号の「偏愛読書館」というエッセイ・ページにエッセイを書きました。『指輪物語』に関してです。
 今日から『原罪の庭』ゲラ読み。ただ校閲から一点ついた注文で、ちっょと納得できない気がしてむかむかしている。結局これも差別関係ということなのかな。

2003.08.20

 今朝の二時まで仕事をして、それから寝たので睡眠時間は足りているはずなのだが、なんとなくぼけている。『アベラシオン』入校。つくづく1000枚を超すミステリは書きたくないと思う。さらにミステリの連載もしたくないと思う。読み直しているとそこら中に、ぼろぼろミスがあるんだもん。恥ずかしいったら。
 ゲラに入った校閲は、そういうミスにはいっさい気が付かないで、ルビを増やすことと用字の統一にだけ憂き身をやつしている、という感じだった。用字は統一しない、ルビは減らす、と注文を付ける。

 午後も虚脱。明日明後日は一泊二日の短い夏休み。休みから戻ったら『原罪の庭』のゲラを読む。それと久しぶりに「IN☆POCKET」の「もうひとつのあとがき」の依頼が来たので、それも書かねばならぬ。書き終えたらやっと「龍」。
 コミケで建築探偵のサークルをやっていて、「龍」の本を作った人がいて、その本を「このシリーズすごい好きなんです」といって買っていってくれたお嬢さんがいらしたそうだ。有り難いことである。次の話もがんばるぞ〜。問題は、そろそろ一冊では終わらなくなりそうな気がすることです。伝奇って長引くんですよ。

 次の日記は土曜日になります。

2003.08.18

 『アベラシオン』を今週水曜に編集者に渡すことになったので、必死こいて直しを進めるが、まだまだ終わらず。まったくよくもまあ、こうあちこちにバグがあるものだ。というわけで、明日は仕事場で残業するので日記はお休み。

 お勧め本ひとつ。柴田よしきさんの『フォー・ユア・プレジャー』がようやく講談社文庫に入った。柴田さんはお子さんもいらっしゃるのに篠田の10倍くらいは生産量が高いすごく勤勉で筆力ある作家だが、作品のすべてが書店ですぐ買えるというわけにはいかない。これは新宿で無認可保育所を営む花咲慎一郎を主人公にしたハードボイルド物で、前作に『フォー・ディア・ライフ』がある。篠田は文庫でこれを読んで、すぐにこちらも読みたかったのだが、元版はすでに品切れなのになかなか文庫に入らなくてじりじりしていたのだ。なにしろ、面白いのである。テンポがよくて、キャラが良くて、どんでん返しが何重にもあって、悲惨な状況もあるのに最終的には人間を信じたくなるハート・ウォームな側面もたんまりある。
 そしてこの作品は柴田さんのデビュー作から続くシリーズ、緑子ものとリンクしているので、共通する登場人物も出てくる。一冊だけでも充分楽しめるが、知れば知るほど面白くなるのである。

2003.08.17

 昨日は雨の中コミケに行った。もうそろそろイベントでもないだろう、というような気持ちがなかったわけではないのだが、やっぱり行きたくなってしまう。ひとつには、こういう機会でもないと読者との距離が開きすぎる気がするのだ。普段会うのは編集者と同業者ばかりだし。
 幸い友人で建築探偵サークルをやっている秋月杏子さんはまだ当面活動を続けるらしいので、彼女に便乗してサークル参加することはできる。ただ、やっぱりなにか自分の売り物が欲しいところだ。仕事でお尻が焦げ付いているのに、どうもそういうことを考えてしまいますなあ。なにか決まったらもちろんここで発表するけれど、基本的に通販はなし、イベント売りのみとなると思う。申し訳ないけど、通販はとても手間がかかって、あれをしなければならないなら本なんか作れない、ということになってしまう。怒らないでください。

 友人で同業者の光原百合さん(推協賞作家を同業呼ばわりもずうずうしいかな)と、メールで本の話をしていて、最近お互い読了した『陰魔羅鬼の瑕』の感想を言い合う。篠田が読んでなんとなくひっかかったところのひっかかる所以を、彼女がさくっとことばにしてくれて、名探偵の解説を聞いたような快感を味わう。その辺の話も書きたいところだが、なにを書いてもネタバラシになるので、全然書けません。しかしひとつだけ。私は関口が嫌いだ。自分の中にも関口がいるから、それがゆえにものすごく嫌いだ。

2003.08.15

 今日も雨である。寒いったら。コミケ参加の皆様大変でしたね。って、明日も雨か。
 やっとこ『アベラシオン』の直しを終えて、欧文ルビを手書きで入れて、さてもう一度読み直して来週入校。ジャーロのゲラは今日投函。
 今日のへこみ。増刷になったのは『未明の家』ではなかった。担当が書名を取り違えたのである。なんとなく面白くない。
 今日の幸せ。野阿梓さんからおはがきをちょうだいした。篠田は野阿さんはデビュー作「花狩人」から読んでいて、いまのところの最高傑作はやはり『凶天使』だと思うが、偏愛するのは『武装音楽祭』。美貌のテロリスト、レモン・トロツキーが好きで好きでたまりません。残念ながら早川文庫たぶん全部品切れです。古本屋か図書館で探してください。探して読む価値はあります。
 『指輪』話も終わらせよう。第三部の予想だから、知りたくない人は読まないように。
 原作では戦乱編の方はゴンドールへ駆けつけるガンダルフとおまけのピピンで終わり、第三部はミナス・ティリスを巡る戦いにローハンの王が駆けつけて、そこにメリーとエオウィンがからんで、戦争はいったん人間の勝ちに終わるが、ついでモルドール目指して進軍した彼らは黒門の前で敵と遭遇する。一方指輪編では、フロドが化け蜘蛛に刺されてオークの捕虜になってしまう、という恐ろしいところで終わっていて、第三部はサムのフロド救出劇から、地獄を素足で行くようなふたりの苦難の旅路がついに任務の達成で終わり、長いめでたしめでたしの末に今度はホビット庄で一騒ぎ、そして最後にフロドの海への旅立ちで終わるんだが、これだけのボリュームを映画はどう縮めて見せるだろうか。
 戦争は大好きな監督のことだから、きっとミナス・ティリスの攻防はねっちり描くに違いない。へたするとホビット庄の戦いはすっぱり省略してしまうかもしれない。ばたばたと終わって、ばたばたと旅立たせてしまうのじゃないかなあ。なんかあんまり期待してはいけない、という感じだよ。でも見るけど。原作は噛めば噛むほど味の出るスルメなので、その上澄みで作ったスープはスープとして、味が浅いとか、香辛料がきついとか、いわないで楽しむべきなのでしょう。長きに渡った『指輪』映画と原作の対比話も今回にてひとまず終了。DVDを見たらまたなにか書くかも。第三部見てからも。
 明日は日記お休みします。有明にまいります。雨よ止んでくれ。

2003.08.14

 土砂降りの雨である。あまりの雨に昼飯を買いに出る気も起こらぬくらいの土砂降りである。そして涼しい。湿度が高くてもクーラー入れられないくらい涼しい。関東の夏は結局2.5日くらいしかなかった。今年の日本はどうしちゃったのだ。ビールはどこへ行った。って、おまえは結局それかい。
 担当と話をして、『アベラシオン』のゲラは来週返すことにする。それまでにもういっぺん読み返せるだろう。それからジャーロをやっつけて、『原罪の庭』をやって、それから出来るだけ早く「龍」にかかるのだ。「龍」と「建築探偵」はどっちも書きたくなるが、気持ちは違う。「龍」の方が心安らかにるんるんと書きたくなる。「建築」の場合は骨身を削るっていうか、苦労の度合いが違うもんで。しかしいまごろになってノベルスの『未明の家』に重版がかかる。文庫よりノベルスがいいのかにゃ。新しいお客さんかにゃ。でもとにかく嬉しい。
 ああ、今日も頭が壊れてます。『指輪』延期。

2003.08.13

 昨日の夜京極さんの新刊を読みかけたら、やっぱり京極さんは二段組の各段の最後、つまり見開きで四カ所でセンテンスを終わらせる、を励行していた。篠田もいつもはそれをやっているのだが、今回『アベラシオン』ではちょっとくたびれて、左頁ラスト行が次ページにまだからなければいいや、ということにしてしまったのだが、「これではやはりいかん」という気が勃然と起こってきて、全部直すことにした。あほやけど、これでまた仕事が延びた。コミケ前に終わらない、かな〜
 ちょっと今日はそんなわけで、目玉が過労なので、『指輪』の話は延期します。悪しからず。

2003.08.12

 後ちょっとで『アベラシオン』直しが二度目のラストに到達する。でもそうしたら今度はまた前に戻って、ルビを全部入れていかないとならない。そうしたらもう入校してしまおうっと。『原罪の庭』文庫版とジャーロのゲラも来てしまうのだ。なんかもう、わあわあわあああっ、という感じなのだ。夏に小説は書きたくないよお。
 『指輪』談義、そろそろ終わりかな。人間篇その2。
 セオデン王は原作と違ってまだ脂っけのたっぷりある中年親父です。原作は枯れてしまった爺様なので、メリーの忠誠の誓いを受け入れて「殿を父ともお慕い申し上げます」「しばしの間なりとな」ということになるのですが、これが中年親父だとこういう渋い味わいは出ないと思うんですがいかがでしょう。あまりに爺だらけなので、絵面の関係からも王様を若返らせてしまった、のかもしれませんね。
 エオウィンは、いいなと思うところ、剣をぴっぴっと振り回してアラゴルンと会話するところなんかね、もあるんだけど、やはりあの幅広い顔がなあ。これも「王の帰還」に見せ場のある人なんで、そこの活躍に期待したい。
 ファラミア、前にも書いたけど原作から映画で地盤沈下の著しい人。「いまこそ我らは理解し合えた」というせりふは、原作だとフロドの任務と指輪の存在を知ってしまったときに吐かれるわけですが(つまりひとつの指輪は破壊されねばならぬ、という認識はファラミアのものでもある、ということ)、映画だと「指輪はゴンドールに持っていくもんね」といって無理矢理オスギリアスまで連れて行って、そこで黒の乗り手に襲われて、フロドがおかしくなって、なんだか知らないが急に気が変わって、そこで出てくるのね。だから「好き勝手にフロドの邪魔をしといて、いまごろ改心したからって、なにが理解し合えただ、なんやねん。おまえずうずうしいわ」ということになる。
 ファラミアも第三部で重要な人なんで、こんなわけのわからんふらふら人間にしてしまって後でどうする気だろう、といささか心配にもなる。
 やっぱり明日「第三部予測篇」をやっておしまいにするかな。映画だけ見ていて、先のことは知りたくないという人は、気を付けて読まないように。

2003.08.11

 暑くなったのに身体がついていかないようで、クーラーを入れずに仕事していたらやたらと眠くなってしまう。というわけで、やはり涼しくしないとダメでした。
 『指輪』談義、今日は人間篇その1。アラゴルンは原作に出会ったときから篠田のラブな人でした。馳夫、という翻訳もいいですね。登場シーンの彼は「見かけは悪く感じはいい」人でした。映画のヴィゴ・モーテンセンは、かなりいい線だと思う。いささかハンサムすぎて線が細いけど。それと原作ではアラゴルンの悩みとかラブ・ロマンスとかは全部テキストの背後に隠されていて、読者はそれを想像したり、追補篇でやっと知って「そうだったのか」と思うだけなんだけど、映画ではそのへんが剥き出しになっている、というのが多少評価の分かれるところでありましょう。エンタメである以上、ハンサムと美女のラブ・シーンは抜かせません、というのならしゃあないわ。
 ボロミア、評価が分かれます。原作が頭にあると、妙にいい人間になっているので「あれれ」とはまず思ってしまう。しかし後半になってボロミアのことをピピンたちが懐かしがったりするので、懐かしがるに足るエピソードを入れましょう、というわけでメリ・ピピに剣を教えるエピソードなんかを入れたんでしょうね。原作のボロミアはプライドが高そうで、ここまでなじんでいたとは思えない。それから映画の、雪の上でボロミアが指輪を見て、「こんな小さなものが云々」とつぶやくのは、やがて来る彼の変心の伏線というわけだけど、二度目に見て「あれ」と思ったのは、エルロンドの会議のシーンで彼が「It is a gift.」と嬉しそうな顔をしちゃうこと。もうこのときから彼は、指輪が欲しいみたいじゃない。
 原作だと彼は「敵と戦うのはなによりも我々ゴンドールの武勇」「そんな魔法のしろものが役に立つとは思えないけど、あんたらがそんなに大騒ぎするならそれを使えばいいじゃないか」という態度なんだ。つまり指輪を全然重大視してない。危険も理解しないけど、効果の程も疑っている。彼は体育会系の人だから、武勇しか理解しないし価値も認めないわけだ。そんな彼が自分の本心に気づかされたのは、ガラドリエルと出会って彼女によって本心をあばかれたから。彼の認めたくない「ゴンドールの没落」とセットになって、「使える武器としての指輪」が浮上しちゃうわけ。
 映画だとここでボロミアとアラゴルンの語らいが入って、ボロミアのゴンドールに対する愛と、アラゴルンを王として認めたい気持ちの表明が描写されるわけだけど、こうなると映画版ボロミア、精神的に矛盾してないか。アラゴルンを認めることと、指輪を利用することは二律背反だもんね。それでいきなり次のシーンでは、ボロミア、フロドを襲ってしまうもんね。どこでボロミアが決定的に指輪に魅せられたのか、ということがなんか納得できないわけだよ。原作ではちゃんと通ってる筋が、ボロミアを好意的な人格にシフトさせることで、明らかに矛盾を来しているだろうと。
 映画がラブ・ロマンスと戦争アクションよりになってしまうのはいたしかたないとして、このへんもーちょっとどうにかならんかったの、と篠田は思ってしまうのでした。

2003.08.10

 台風一過の晴天。洗濯機を廻しながら部屋の片づけ。余勢を駆ってパン焼き機でケーキを作る。そんな場合ではないんですが。『アベラシオン』まだまだ続行中。
 『指輪』談義も終わり間近。今日は魔法使い篇。ガンダルフのイアン・マッケランに気品がないと友人は言うのだが、確かに「白」になった彼を見ると「灰色」の方が似合ってるじゃん、といいたくなるところはある。モリアでのバルログ対決とか、「灰色」の見せ場はたくさんあって、じじい好きの篠田は萌えまくりました。「白」になってアリャ、でしたが、「二つの塔」の「白」が初めて顕現するシーン、アラゴルンたちがたまげていると、目で「びっくらしたじゃろ?」というような可愛い表情の演技をしてくれるのだね。これがとってもラブリィであったので、許そう、という気になったです。しかしシナリオからして「起きろ。トゥックの阿呆息子め」はやってくれそうもないのが残念。
 サルーマンのクリトファー・リー。これはもちろんはまり役です。しかし、問題はシナリオじゃあ。だいたいサルーマンは原作では、サウロンに恭順してるわけではないのだ。パランティアであちこち見たり、指輪のことを研究したりしているうちに、あまりにもプライドの高いサルーマンは「わしだったらひとつの指輪だって使いこなせるぞっ」というおごりに捕らえられてしまったのだね。「わしは普通のやつとは違う、わしならサウロンなんかよりよほどましに指輪を使えるぞ」とね。ところがそうやって彼が大改造したイセンガルドは、結局サウロンの闇の塔のちゃちな模倣でしかありませんでした、と原作者はきっぱり書いている。きっついねー。
 クリストファー・リーはそういう誇り高すぎて罠に落ちてしまったサルーマンに実にふさわしい演技をしているのに、なぜか監督は「はい、サウロン様」なんていわせて、裏表なきサウロンの下僕にしてしまったというのが、実に気にくわんというか、わかってねーよというか、なんであります。
 あとは人間編を二回にわけたら終われるかな。DVD見られたらまた書こうっと。って、結局なんだかんだって、わし、映画も大いに楽しんどるんね。

2003.08.09

 台風のせいですごい湿気と雨と風。
 『指輪』談義、今日からキャラ編やります。最初はホビットたち。ビルボ、映画版なんかあんまり好きでないな。顔が陰険っぽいんだもん。もう少しさらっと演じて欲しかった。フロド、ほんというと若すぎる。原作じゃ50才だよ。でもイライジャは、かなりイっちゃった雰囲気が出てるね。サム、あんなにデブじゃないと思うんだよ。原作のサムは夢想家の部分とサンチョ・パンサ的実際家の部分と、お人好しと、向こうっ気の強さと、両方備えているんだからなあ。ファラミアに食ってかかったりする。映画版はお人好し性ばかりが前に出てる感じ。メリーとピピン、いまのところ個性が二人一組って感じね。でも、原作にもその傾向はあるからなあ。
 原作ファンの友人が「ホビットを子供のように表現しているのが違う」といっていたが、これはやむを得ないと思うのだよ。へたするとフリークスみたいに見えてしまうだろうから。
 ゴクリは、実によろしい。気持ち悪くてかわいらしくて哀れで憎らしい。二重人格演技も、原作におけるゴクリの二重性を理解しやすく表現していて、映画のキャラで一番成功しているのはこいつかなあ、という感じ。
 ドワーフのギムリ。映画ではドワーフでまともにせりふがあるのはギムリだけなので、彼がドワーフの代表になってしまってるけど、原作では「若いドワーフ」なんだよな。だからあそこまで、老けメイクではなかった方がいいと思う。DVDではガラドリエルからプレゼントをもらうシーンがあるそうなので、そちらはまだ見ていないから期待してます。でもあの顔ではなあ。
 エルフ。それはまあ人間が演ずるのは難しいと思うよ。でも、全般にいまいちだね。最悪はエルロンドで、ハルディアの肉厚な顔も「おいおい」だし、アルウェンも肉感的過ぎると思う。ガラドリエルは超はまり役だけど、声がいまいちだみ声。
 レゴラスはひたすらアクションの軽やかさでエルフらしさを出しているので、これはかなり好き。原作のレゴラスは脳天気でいまいち変なやつなんで、映画はそのへん違うんだけど、これはこれでいいんじゃない、という気がしています。原作のより好きになれるキャラに仕上がってます。これはとても珍しい。
 明日は魔法使いと人間をやります。

2003.08.08

 台風のせいですごい湿気と雨。
 そろそろ終わらせたい『指輪』談義。よく考えたら誰が読むんだ、こんなもん。「二つの塔」のフロド・サム・ゴクリパート。キャラのことは後でまとめて書くとすると、苦難の旅については死者の沼地にはまったフロドが例によって白目を剥いた以外はまあいいや、という感じ。黒門の描写は、やっぱりこの監督こういうの好きですねー、という感じ。でもサムが無鉄砲やってあわや、というのは映画の演出。
 それより文句はファラミアだ。なんだよー、あのファラミアは。いくらボロミア兄さんが好きだからって、弟をあそこまでぱっとしない馬鹿にすることはないだろう。ファラミアは武張った兄さんと違って、ガンダルフとも仲が良くて、古代の血をいまに伝えた英雄のひとりなんだぞ。ほんでフロドたちを否応なく連行したりもしないし、旅の意図がわからなくてかなりしつこく質問はするけど、サムが口をすべらせて「指輪」なんていっちゃっても、愕然とはするものの、ふたりを行かせることにちゃんと同意して、食料の補給なんかもしてあげて、旅立たせてくれるのだぞ。
 それが映画版では、いきなりひっとらえの、指輪はゴンドールへの、オスギリアスまで連行しておいてわけのわからん翻意をしての、唖然とするしかありませんでした。あんなのファラミアじゃないやい。というわけで、その部分については篠田かなりがっくりです。「いまこそ我らは分かり合えた」というせりふは原作にもあるんだけど、それは指輪の存在を知ったときのせりふです。
 ファラミアがそういう人だから、ゴンドールの執政デネサールと兄弟二人の葛藤もあるわけだし、ボロミアに死なれた父の嘆き、弟の悩み、それがラストに繋がってくるんだっちゅーに。『指輪』はでかいプロットの他に、そういう細かいさまざまな人間ドラマがちりばめられているんだぞ、わかっとんか、こら監督。

2003.08.07

 昨日は夕方池袋に出て、コミケ・カタログを買って姉貴とベトナム料理を食べる。いまのところ一番気に入りの店。飾りっけはまったくないが。

 昨日の昼間仕事用の眼鏡のフレームを踏んで折ってしまった。度が進んだらしくてそろそろ眼鏡屋に行かなくてはと思っていたので、本日は意を決して前に住んでいた浦和のイワキへ。結局近眼用、室内用、そっちが出来てくるまで古い眼鏡を使うのでフレームだけ新調というわけで、すごい散財である。

 今回コミケは一般参加なので、ペーパーは作らないつもりだったが、カタログを見ていたら久しぶりの知り合いが何人か目に付いたので、やはり急遽作ることに。欲しい方は講談社文三気付でお便りを下さい。

 自宅に戻ると今月の講談社ノベルス到来。ありました、『陰魔羅鬼の瑕』。分厚いですう。とってもいまは読めません。

 本日はちょっと疲れたので『指輪』談義は休みます。

2003.08.05

 どしゃばしゃの雷雨である。仕事場が二度停電。幸いパソコンは使ってなかったが、明かりも消えて暗くて、クーラーも止まって、ああ、電気なしではどうもならないぞお、という感じ。
 今日も行きます『指輪』談義第十一回。ローハン編その後。エドラスから女子供を連れてヘルム砦へと向かう一行を、魔狼というのだがどっちかっていうと猪みたいな獣に乗ったオークの一団が襲う。どうせやっつけるつもりなら、砦に入られる前にここでけりをつけた方がいいのでは、などというのは野暮な話なんだろう。監督戦闘シーンは好きなので、ここでも楽しくやっていますが、なぜかアラゴルンが崖から落ちて川流れ。アルウェン姫が夢に出てきて、キスしたと思ったら馬に舐められて起こされた。このエピソードはなんだかなあ。
 まあとにかくアラゴルンは一足遅れでヘルム砦に着き、レゴラスとはエルフ語で無事を喜び合ったりしてます。しかし年寄りか子供しかいない砦で戦えるのか、皆殺しだ、と突然レゴラスが切れる。ふ〜ん。で、その後でアラゴルンに「赦してくれ」なんていって「赦すことなんかなにもないよ」。要するにふたりがラブラブだって話?(違うか)
 ヘルム砦の構造が、本丸が城壁から外に出ているのは変であろうと思ったが、これはトールキン自身が絵を描いているのでこれでいいんでしょう。エルフのハルディアがエルフ軍を率いて参戦する、というのも映画だけ。しかしハルディア、あんたローハンの国境警備してたはずなのに、ここでは「エルロンド殿からの伝言を」なんちゃって、命令系統混乱してないかい。ハルディアは少し後でねっちりと殺されます。
 オーク対砦防衛軍の戦争で一番楽しかったのは、城門を攻撃する敵を倒すために脇から忍び出たギムリがアラゴルンに「投げていいぞ」というシーン。「この距離では飛べないから投げてくれ。しかし、エルフにはいうなよ」「一言もいわないよ」。これは第一部のモリアの橋で、投げられそうになって「飛べる」と怒ったギムリ君のエピソードに繋がっているのですね。こういう演出はよろしいよ。
 映画ではガンダルフが追放されていたエオメル軍を連れてきて、オークを挟み撃ちして勝利します。でも、エオメル軍ってそんなに数多かったっけ。オークものすごい数なのに。なんかこの勝利、唐突で説得力に乏しくないか。原作だとエオメルは砦にいて、ガンダルフは人間の領主の援軍と、イセンガルドからフォルンを連れてきて、そのフォルンにオークは食われてしまうのです。フォルンというのは年取って樹のようになってしまったエントで、とても気が荒くて二本足で歩くものたちへの憎しみにあふれているそうです。ガン爺はエントの木の髭からフォルンの一部隊を借りてヘルム峡谷に駆けつけた。というわけで、エントの扱いが軽いからそのへんがなしになっちゃったよー、というのが篠田の文句なんであります。

 明日は夜出かけるので日記はお休み。『指輪』談義も後はフロドたちとゴクリ、ファラミアの話をやって、今後の展望に触れて、あとはキャラ造形のよしあしにでも触れて、おしまいかなあ。

2003.08.04

 今日も暑い。アイスコーヒーを飲み過ぎて気分が悪くなった。トランプでひとり遊びをしたカードを散らかしたままにしておいたら、カードが一枚どうしても見つからない。そうしたら、それは背中に張り付いていたのだった。あほの極みである。
 『アベラシオン』読み直し開始。道は遠い。
 そしてほとんどやけくそで『指輪』談義第十回。復活白のガンダルフとアラゴルン、レゴラス、ギムリがローハンの王宮に乗り込むシーン。ここを「水戸黄門」と名付けたのはかの大森望さん。だってガンダルフが話してる間に背景で、三人が襲いかかるやつらを素手で倒してます。これは笑えたからいいけど、原作にはありません。
 それからセオデン王にサルーマンが憑依してました、というのも映画だけ。原作では王様はひたすら悲観的になって頑なになっていただけで、あそこまでヨイヨイではなかったのです。映画では死にかけの老人が、復活したら老人というよりは壮年になってしまいましたね。そのくせ頭の中身は頑なで悲観的。戦うより逃げようというので、人々を連れてヘルム砦へ逃げ出します。アラゴルンに「ローハンの王は私だ」なんて突っ張ったりする。原作だと王様やる気になってます。都はエオウィン姫に託して、戦うためにヘルム砦へ向かう。まあ戦略として、戦闘員が出かけた後の都をまず焼き払うというのもあり得たわけだから、住民全員を待避させるというのもありかも知れません。
 原作と映画が違うのはそんなわけで、エオウィンがいっしょに行ったことと、エオメルがいっしょにいないこと。ガンダルフの不在はエオメルを探して連れ帰る、という理由になっているわけだが、原作の場合はイセンガルドを攻めているエントたちに連絡をつけに行ったのです。ひとつの理由で、篠田は原作の方がいいと思うのだが、その理由はまた後で。
 監督は戦う姫君がお好きなようで、アルウェンも剣を取るし、まだ戦闘態勢に入らないはずのエオウィンも剣の素振りをしたり、その能力があることをアッピール。これも映画版は悪くないと思う。第三部で彼女は男装して従軍するんですから。
 今日書いた辺りでひとつ気になったのは、アラゴルンがご飯を食べてるそばでレゴラスは食べずに立っている。エルフだってご飯食べますよ。なぜ食べさせなかったのかな。そうでなくとも映画のエルフは原作よりずっと人間くさいのに。まさか、オーランド・ブルームがご飯の食べ方がへただったとか?(冗談っすよ)

2003.08.03

 『アベラシオン』やっと最後まで直し終えて、あとがきと参考文献を書く。しかし最近文章が一度でぴたりと決まらないで、直してばかりいる。明日からプリントアウトを読み直して、全部赤を入れる作業開始。
 さて『指輪』第九回、「二つの塔」の二回目。シナリオは場面があわただしく転換するので、シナリオにそってではなく原作ベースで話すことにする。オークの群がローハンの騎馬部隊に襲われ、その混乱を利用してメリーとピピンが森に逃げるあたりは、ほぼ映画も原作のまま。しかしそこに登場するエントには山のように異論あり。だいたいエントの形象が「妖怪樹爺」みたいでなんともいただけない。オークにあれほどエネルギーを使うなら、エントにももう少し注意を払って欲しかった。なにせ「大昔からの記憶と悠長で不動の考えがいっぱいつまった深い井戸」のような目だってんですからね。
 さらに頭に来たのは、エントがイセンガルドに戦いを挑むことになる過程。原作では長い寄り合いが続いてホビットがぴりぴりしていると、ついに彼らが決意して、勇壮な歌を歌いながら進軍することになるのですよね。ところが映画では結局「わしらの戦いじゃない」といって、ホビット二人を送り返そうとするのに、むっときたメリーがエントをイセンガルドの近くまで導いて、樹を全部切ってしまったりしたその暴虐ぶりを見せたので、エントはかっとなって戦いを始める。なにこれ。なんでこんなふうにするの。これじゃ叡智の存在であるエントがただの馬鹿でしょう。その分メリーの策略は際立つけどね。要するに監督はエントには興味がなかったのだね。
 「旅の仲間」のラスト、原作ではフロドは誰にも告げずに姿を消すのだが、映画ではアラゴルンにも見つかるし、メリ・ピピにも見つかる。だけどそこにオークが殺到してくるので、ふたりはフロドを逃がして囮になる。これはね、いいと思うんだよ。スリルもあるし、ふたりのユーモアと勇気も見せられるし。だけどなあ、エントはなあ。
 それでどうやらふたりは映画ではエントに復活白のガンダルフを引き合わされるみたいなんだけど、これも原作は違う。エントのイセンガルド制圧後、騎馬のガンダルフがすごい勢いで現れて、ピピンはたまげるんだけど、ガンダルフは「起きろ、トゥックの阿呆息子が」とわめくのね。ここも好きなんだけどなー、PJとは趣味が合いません。

2003.08.01

 まだ最後までたどりつけない『アベラシオン』。仕事ばかりしていると他に楽しみがなくて、つい食べ過ぎて体型はホビットまっしぐら(大泣)
 だからまだまだ書くぜ。『指輪』第八回、だよね。今日から第二部「二つの塔」だ。
 さて原作未読の方には飲み込みにくいだろう映画だが、このへんからさらにわかりにくくなることは必定。旅の一行は「旅の仲間」のラストで三分裂。モルドールめざすフロドとサム、オークにさらわれたメリーとピピン、ふたりを取り戻すべく後を追うアラゴルン、レゴラス、ギムリの三種属連合軍の3パーツをカットバックで見せられる。そりゃまあ原作だって前半はアラゴルンたちとホビットたちで2章ずつ場面が変わるし(そして後半はずっとフロドたちの旅になる)、地図をかたわらに置いて読んでも、するするっと頭に入るというわけにはいかない。ただし次々と新しい敵や味方が登場して、退屈している暇はないことは確か。しかし今回も映画ではかなりの改変がある。それも第一部では明らかに短縮するためのカットが多かったが、第二部は監督の趣味による改変と感じられる部分が多くて、原作読みとしては首をひねらずにはおれないのだ。
 原作は望みのない追跡行を数日にわたって続ける三人を、かなりていねいに描写する。三者三様の個性が出ておもしろい。ギムリとレゴラスはロスロリエン以来すっかり仲良しになった模様だが、それでもお互いに「エルフというのは変わってる」「ドワーフは変人だ」と隠しもせずに口にする。そういう口をきけるようになった、というのが仲が良くなかったということなんだろうね。ところでみなさん知ってましたか。エルフって目を開けたまま眠るんです。私もすかっり忘れておりました。
 で、ここらでローハンの都と黄金館が登場。館のデザインは騎馬の民っぽくてなかなかいいと思いましたが、都は都になってないです、映画。原作読み返したらもう少し造作がしてあったよ。道も舗装されてたし。でヨレヨレパーのセオデン王と邪悪な蛇の舌、エオウィン姫がここで出てきます。セオデンのもうろくぶりははっきりいってやりすぎ。監督の下品でしつこすぎる芝居癖がもろ出ているなあ。蛇の舌は実にいやらしくて、役者のりのりという感じですが、エオウィン姫がねえ。私はかなり疑問だが、いいという人もいるのでこれは好みということに。そして問題は彼女が蛇の舌にねちねちとせまられて、顔とか触られて、触らせてるんだよっ。彼女のように誇り高く美しく孤独な女性が、蛇の舌の邪恋の目で見つめられただけで傷つくだろうような人が、触らせておくかっ、とこれはもう大文字でいいたいですね。
 ああ、先が長いなあ。
 明日は近所でささやかな花火大会があるので、日記は休ませてもらいます。