←2002

2002.10.31

 このところずっと片づけていなかったので、仕事場の散らかりようがひどい.なまじスペースがあるので、散らかしてもいられるからなあ.午前中『リドル・ロマンス』の解説を書きかける.どうせ評論家のようなことはいえないんだから、と思って小説仕立てにすることに.午後はちらっとジム.夕方帰ってきて、解説をいちおう最後まで書き終える.書かないでおいて忘れてしまったらやばいから.

 というわけで、11/1から4まで篠田は上海です.日記の更新は11/5から.建築を見に行くので、たぶんカニは食べられないと思う.

2002.10.30

 『アベラシオン』を直してプリント・アウト.目が疲れてしぼしぼする.
 小説ノン、聖徳太子篇のゲラ.祥伝社さんはすごくたくさん鉛筆が入ってくる.ますます疲れ目でゲラが読めない.
 西澤さんの『リドル・ロマンス』ゲラを読む.解説の締め切りは11/20まで.書くことはおよそ決まっているのだが、目が痛くてパソコンを睨む気になれない.明後日から旅行なのでちらかった部屋の中を少しずつ片づける.
 柴田よしきさんの小説はノンストップで困ってしまう.自分が絶対書けないような世界だから、ひとりの読者に返って無心に楽しく読めるのだろう

2002.10.29

 やっと荷物を全部詰め終わった.傘をどうしようとかいろいろ迷っていたのだが、ヤフーの天気予報で上海を見て、傘は不要ただしちょっと寒いめ、と目算を立てた.ネットには欠点も数多くあるが、便利は便利である.
 『アベラシオン』は粗が目について嫌になるが、そうもいっていられないのでしこしこ直しをする.小説ノンのゲラも来た.これも旅行前に戻し.西澤保彦さんの連作短編集『リドル・ロマンス』に解説を書くことになり、それのゲラも来た.これは旅行後でだいじょうぶ.皆川博子さんの『彼方の微笑』の解説も書くのだがこれも戻ってから.年末二月けっこう忙しそうだ.
 忙しいといいながら原稿の合間に本を読む.柴田よしきさん『RIKO 女神の永遠』なかなかすごいです.篠田は女を書くのが下手だなあと、いまさらのように痛感.もっとうまくなりたいね.向上心だけは忘れぬようにしよう.

 今年は鮎川先生笹沢左保先生に続いて、山本夏彦さんまで亡くなられた.無論活字の上のおつきあいだが、うちは『室内』という山本さんがやっておられるインテリア雑誌の読者なので、もうあの文章が読めぬかととても悲しい.

2002.10.28

 『アベラシオン』が202枚で一応終わったので、プリントアウトしてから昨日読んだ『発掘捏造』の続編にあたる『旧石器発掘捏造のすべて』を読む.人を殺したわけでも物を盗んだわけでもないのだから、やった人をあまり責めるのもどうかな、という気はしていたのだが、そう簡単な話でもないなということをようやく理解した.捏造の規模があまりに大きすぎるのだ.なぜ捏造がばれなかったかというと、捏造された石器が標準となって研究が組み立てられる状況になってしまったため、偽物が偽物を補完することになってしまったらしい.殺したわけでも盗んだわけでもないといって、「自分の学者としての20年が無になった」と嘆く研究者を見ると、「少なくともこの人の時間は盗まれた、学問的な情熱は殺されたのだよな」と思う.
 しかし犯人にあたる人物が、自分の名誉のためにそれをした悪人である、という感じは最後までしない.ほんとの悪人ならこんな羽目になる前に、さっさと逃げ出せたのではないか.ずるずるとやばいところに手を染めて、後戻りできなくなって、自ら自縄自縛の罠に落ちた普通のおじさんなのだ.悪意などない普通のおじさんが、紛れもない悪を為してしまうことがあるんだ、ということをいまさらのように考えた.ロマン主義的英雄的な悪の対極にある、情けない、みっともない、いつか自分もやってしまうかもしれない悪の物語です.

 官能エロティカ『レディMの物語』のゲラを再読.さて、旅行前に返さなくてはならないのだからと『アベラシオン』のプリントを読み出すと、粗ばかり目についてめげる.めげているような暇はないんだけどさ.

2002.10.27

 消防訓練で逃げた茶店で赤ん坊に泣かれ、結局池袋まで逃亡.どこへ行くかって本屋.旧石器捏造事件のルポ本を買う.石器にあまり興味はないが、こういう馬鹿なことをしてしまう人間の心理、それを見抜けなかった心理に興味がある.

 『怪談徒然草』という本を読む.語り手の加門七海という人は、霊感のある人だそうで、自分が経験した怪談話はとてもおもしろい.私は霊感は無論ないし超常体験もない人間だが、知り合いでもない以上、それが実録だろうと創作だろうと読者には関係ないのだ.
 しかしここで以前「幻想文学」誌の座談会で、テープが廻っていなかったためにせっかくの話がパーになったというのが、あたかも怪異現象であるように語られているのには失笑してしまった.プロに聞けば座談会というのは必ずテープは二台回すものだという.それをしなかった編集者がどじなのである.これが怪異現象だというなら、篠田にだっていくらでも怪異現象はある.死んだ母親が夢枕に立ったことも、山で遭難しかけて奇妙な偶然で助かったことも.所詮怪異を信ずるか否かというのは、認識の方法に過ぎないといまさらのように感じた次第.それに霊感があったって、いいことなんてひとつもないようだしね.

 原稿は197枚突破したがまだ終わらず.困ったもんだ.

 角川スニーカーのタイトルは『悪夢制御装置』だった.

2002.10.26

 午前中仕事しないで『聖なる黒夜』読了.だって止まらなかったんだもんね.それからこれは柴田さんデビュー作の「RIKO」シリーズから派生した話らしいってんで、あわてて本屋に行って角川文庫のシリーズ既刊三冊買ってきた.もちろんいまは読まないけど.読み出すとまた、止められない止まらないになりかねない.とにかく、『聖なる黒夜』はふふふふふ、でございますよ.

 原稿は181枚まで来た.あれえ、変だな.まだ終わらないじゃん.でもこの場面で最後なのは確かだから、190枚くらいで終わるかなあ.でも、明日仕事場のマンション、消防訓練なんだよなあ.茶店に逃げるか.

2002.10.25

 最近不眠ぐせがついて、一日おきに眠れない.昨日は熟睡の日だった.まあ、一日置きに熟睡できたら不眠症たあいわないね.
 前日から柴田よしきさんの『聖なる黒夜』を読み出した.分厚い二段組でなかなか読み終わらないのだが、これがおもしろいのだよ.やくざと警察満載で、どっちも苦手な篠田には手の出しにくいジャンルであったのだが、これは、途中で止めようったって止められない.ええもう、です.(なんのこっちゃ、笑)

 京都に行ったとき教会の隣の店で手に入れてきた十字架のために、ウッドビーズを買ってきてロザリオを作ったのだが、数珠みたいになっちゃった.ああ、篠田には美的センスがない.不器用だし.いじいじ.遊んでねえで仕事しろってか.

 読者情報により「東京人」を入手.同潤会特集である.いまやらなくてはならない仕事ではなく、そのいくつか先のプロットが浮かぶのが篠田の癖で、いまは建築探偵次回本編の同潤会をモチーフにした物語がふわふわしてきている.少なくともタイトルは決まった.『失楽の街』です.建築探偵の場合タイトルの回りに蛎殻のように物語がくっついていくパターンが多いので、タイトルが決まると順調に滑り出している気がするのだ.気がするだけだけどね.

2002.10.24

 渋谷のパルコ劇場へ、美輪明宏様のリサイタルを聞きに行く.恥ずかしながらこの人は、呼び捨てにする気がしない.前から四列目中央という好位置だったためもあって、そのほほえみは観音菩薩のごとく、拍手というより合掌したくなってしまう.シャンソンで今回初聞きは「枯葉」.原語だったので意味は最初に解説してもらったことしかわからなかったが、指がゆらゆらと宙を動いていく動作で、散っていく枯葉とそれを追う女の動きと、さらにその心理描写まで感じさせる絶妙のステージだった.
 前からの読者は疾うにご存じだが、この方が『美貌の帳』に登場する神奈備芙蓉のモデルであります.CDを聞くのは簡単だが、一曲に数十年のドラマを表現する美輪様のシャンソンは生を見ないと話にならない.しかもあの人の声域の広さ、高音の伸びのすごさは、ソプラノでガラスを割ったマリア・カラスもかくや.同時代に生まれて良かったなあ.
 夜は年に一度これで渋谷に来るときは必ず寄るワインバーで、高菜炒めや牛肉のタルタルを食べながらボルドーを飲む.至福なり.

2002.10.23

 最近皇なつきさんという漫画家さんの作品と出会った.前から知ってはいたのだが、篠田は中国にはあまり興味がないので手を出さずにいたのである.ところが角川のあすかミステリーDXで森博嗣さんの『黒猫の三角』マンガ版を見て絵のすばらしさに惚れた.惚れたとなると他の作品も読みたくなるというわけで、得意のアマゾンで検索をかけたが、なんとほとんどが品切れで手に入らない.ブック・オフをあさってもあまり目につかないところを見ると、部数も多くない作家さんなのかもしれないが、やむなく目についた本をあわてて購入した.来月あたり仕事が一段落したら、東京のマンガ専門店かまんだらけあたりへ探索に行くとしよう.好きな作家さんの本は新刊で買うのが良心だが、手に入らなければやむを得ぬ.

 今日も10枚ちょっとしか書かなかったのに、目が死んでいる.遅いデビューというのは、こうなるとつくづく考え物だ.しかしやっと連載の終わりが見えてきた感がある.今回も、200までは行かなくて180枚くらいで終わるだろうと思う.あと24枚.来週頭に書き終えれば、見直しして月末に送って、晴れ晴れと上海に行けるはず.

 というわけで、ではなく前からの予定で、明日は美輪明宏様のリサイタル.篠田は生ものには基本的に惚れないのだが、子供のころに「黒蜥蜴」でノックアウトされて以来美輪様だけは別.「花」を歌うあの方が生身の観音菩薩に見えて、涙が止まらなくなったこともあるのだよ.
 そんなもんですみません、明日の日記更新はお休み.見に来てくれる人に悪いので、お休みするときはこうして前日に報告しています.

2002.10.22

 仕事場に泊まり込んで原稿をやると、当日よりも翌日がはかどる.頭が仕事に固定されている分、スタート時の再始動がたやすいのだろう.というわけで145枚まで到達.当初今回は150枚くらいで予定のプロットが終わるかなあと思っていたのだが、いつものごとく書いていると枝葉が広がってきて枚数が増えていく.しかし200枚にはならないだろう.問題は次の一回で終わるかだが、これはもう作者に聞かないでくださいというか.でも今回はずいぶんと謎の解答が出てくる.ここまで明かしてなお最終回の意外性は確保されるか、だいじょうぶだと思いたいところですが.

 角川スニーカー・ミステリ倶楽部のアンソロジー『悪夢発生装置』は見本がまもなくという話なので、書店に並ぶのは来月かもしれない.篠田の作品は幻想ミステリ「ふたり遊び」.ミステリと幻想の混ぜ具合が自分的には楽しい.
 ミスデラ掲載建築探偵マンガの第一巻『井戸の中の悪魔』が四刷りになった.ありがたいことである.ありがたいついでに長編の漫画化もさせてくれたらもっと良かった、という気もする.
 メフィストに短編を載せたときは、キャラのイラストは描かないでもらった.以前講談社文庫でミステリ名探偵図鑑の小冊子を作ったときも、絵は描かないでもらった.どこかの雑誌に妙なイラストがあるのを見た気がするが、掲載本も送られてこないからこれは関係ない.とにかくそれくらいキャラの絵を描かないでもらっていたのは、読者のイメージを限定することを恐れたからだが、漫画化の話が来たときにこれは割り切ろうと思った.マンガで建築探偵に出会った人が原作に来てくれたら嬉しいし、もしもマンガが気にくわないのでもう原作も読みませんという人がいたら、それはもう篠田の負けなのでしかたないのである.
 それくらいの覚悟で始めたのだが、残念ながら長編はやらせてもらえなかった.ひとつくらいやってみても良かったんじゃないのかな.マンガ家は大変だろうけど、これくらい人気があるんだからさ.角川はなんだか知らないけど、もったいないものを打ち切るのが好きですね、といやみを少々.
 実は次のメフィストから始まる建築エッセイ「桜井京介館を行く」も、京介のイラストが入る.ひとりの人の絵でイメージが固定するよりも、違う絵があった方がいいだろう.ただしこちらは小説ではないので、京介のイメージがちょっと違う.『未明』のころの京介に近いんである.

2002.10.21

 朝から雨。大阪京都の好天がうそのようだ。

 読者からの手紙がたまってしまったので、返事を書く。ペーパーも新しいのは作っていないので、夏のやつをコピーしに行って、ついでに銀行、買い物、そんなことをやっているとすぐ昼が過ぎてしまう。嬉しい手紙、興味深い手紙、失礼な手紙、いろいろあって、失礼な手紙は説教してやろうと思ったが、無視することにした。説教してやるのも大人の義務かもしらんが、そうなにもかもしょいこむほど篠田は親切な人間ではない。
 手紙を読んでいて思うのだが、たかだか便箋一枚の手紙の書き方もわからない人間があまりに多い。それから篠田は読者を大切には思っているが、読者の友達ではないのだから、手紙でため口をきいたり、自分の都合を押しつけたりするのはルール違反だ。「がんばってください」は情状酌量の余地があるけど、「もっとたくさん建築探偵を書いてくれ」は禁句だよ。こっちは書けるだけのペースで書いているんで、読者だから、愛してるんだからなにをいってもいいだろうというのは甘えだ。そういう手紙には返事は書きません。もしも送ったけど返事をもらえなかったという人がいたら、胸に手を当てて書いたことを思い出すべし。

 エッセイ原稿、担当氏からOKが出たのでメールする。ついでに『仮面の島』の重版。しかし最近講談社も不景気なためか、部数が1500部というのでちょっと情けない。2000から500削ることに、どれほどの経済的メリットがあるんだろうか。

 今日は残業しますので、ここまで。

2002.10.20

 大阪京都では日に焼けそうなくらい暑かったが、今日は薄ら寒い天候で、そろそろ暖房が欲しいかという気分すらする.快い時期はまことに短い.
 11/1から上海の建築ツアーに参加するので、スカイライナーのチケットを買いに行く.明日雨が止んだらスーツケースを買いに行こう.前の安物は壊れてしまったのだ.
 午後からどうにか『アベラシオン』再開.しかし10枚で力尽きる.この調子では今月中に間に合っても、読み返しもしないまま送らなくてはならなくなる.それはちょっと情けないので、明日あたり残業をしようかと思う.

 祥伝社の400円文庫「孤島物競作」が四冊合本でノンノベルに入った.こういう売り方をするとは思わなかったな.これ以外の400円もそうするのだろうか.しかしノベルスの厚さからして、逆に400円文庫の紙幅の狭さを実感.4冊合わせて建築探偵よりずっと薄いもの.
 文庫の時に読んでいなかった「この島でいちばん高いところ」を読む.高校生の女の子たちがひどい目に遭う話.篠田にはこういうのは書けない.結局女の子を悲惨な目に遭わせるのが嫌なんだと思う.篠田の主人公や主要人物で女だと、みんなけっこうタフだもの.ひどい目に遭わせるのは男.ヤローならそれくらい耐えやがれってなもんで.

2002.10.19

 いつも旅行から帰ると翌日くらいは使い物にならないのだが、今回はそんなことはいっていられない.ホテルで下書きをしていた建築旅行エッセイを書き上げる.イラスト入りの六頁になるので、文字数がいまいちはっきりしない.イラストはどの程度の大きさで入ることになるのかも、まだわかっていないし.一回やれば詳細も決まるだろう.
 最初20枚くらいという話で、やはり18枚くらいかという話になったのだが、17.5枚ほど書いて、メフィストの字組、20かける25かける3段にしたところ、イラストを入れる余地がなさそうなので、あちこち削ってみる.普段小説は枚数の増減には寛容なので、ついつい長く書くくせがついてしまっているようだ.特に桜井京介が気に入った建築の話を始めるとわーっとしゃべり続けになる.本編と性格が違うみたい.というか、彼は「気の進まない探偵」なので、「探偵」的なしゃべりを嫌悪しているのだと思う.
 夕方終わった原稿を字組のままFAXするが、考えてみれば今日は土曜日でたぶん編集者はお休みだろう.

2002.10.18

 今日は一日純然たる休暇.一澤帆布でバッグを買う.イノダコーヒーの本店でコーヒーを飲む(なんで京都の喫茶店ではミルクと砂糖が最初から入っているんだろう.もちろん篠田はブラックでと頼んだ).錦小路の八百屋かね松でランチを食べ、京野菜のおみやげを買う.しかし腹は満腹なのに、食材の山を見ていると口中に唾が湧いた.

 というわけでまことに充実した二泊三日.そしてこれからは時間との戦い.しめきりとしめきりが手を繋いでやってくる.最近お便りを下さった方へ、すみませんが返事はもう少しお待ち下さい.

2002.10.17

 今回のコンセプトは「建築家安藤忠雄」、というわけでこの日は「光の教会」を見学するはずが、葬式が出るということで見学不可.やむなくもうひとつ予定していた大山崎山荘に行く.ここらの話もメフィストをご覧下さい.1920年代の別荘の庭に、安藤が建てた美術館があるのだが、ここの特別展のために「蒼の彼方へ」というカクテルがメニューに載っていた.篠田がそれを飲んだのはいうまでもない.
 京都に出て午後はまず同志社の洋館を眺め、京大はかなり広くて全部は回れそうにないので、「人文研」の建物を見に行く.これがすばらしい濃密なスパニッシュ.許可を取って是非もう一度なめるように見たいと思った.その後京大前の進々堂で一休み.昭和初期からある古風な喫茶店だが、建築はロマネスク様式を加味し、しかも後でわかったことだが椅子とテーブルは著名な木工家黒田辰秋の作品だという.まったく京都はあなどれない.
 祇園の奥に祇園閣という、山鉾をかたどったけったいな塔がある.建築家は伊東忠太.この人も妙な人だ.夕飯はこれまた洋館の順正という湯豆腐屋で食べるはずが、なぜか閉まっていて駄目であった.もっともこれは取材には関係ないし、篠田は前に来ているからいいんだけど.
 連載エッセイのタイトルは「桜井京介 館を行く」と決定.京介と篠田が掛け合い漫才をいたしますが、中身は建築エッセイです.

2002.10.16

 ひょうたんから駒状態で決まった新企画、タイトルも決定しないまま新幹線で新大阪へ.同行はK部長とA担当.難波でイラスト担当のI嬢と合流、私鉄で司馬遼太郎記念館へ.そこらの話は12月初め刊行のメフィストを見られたし.夜は大阪に戻って投宿.イタリアンの夕食の後カトリック教会のイメージをしているカフェ・バーというたまげたものに行く.同じ会社で巨大な仏像を飾ったカフェなどもあるそうで、さすが大阪というか、無宗教の日本らしいというか.

2002.10.15

 とみなが貴和さんのデビュー作『セレーネ・セイレーン』を読む.すごくちゃんとSFしているのになによりびっくりする.舞台は未来の月基地、登場人物はみな専門家、しかも視点人物はビューマノイド・ロボットという、けっこう難しい設定を難なく描ききっている.つまりこの人は基本はクリアしてしまっているので、問題はこの先だ.
 ロボットが人間化していく、しきれないで悩む、人間に特別な感情を抱いてしまう.というのは、あまり新しいモチーフではない.思い出すのはタニス・リーの『銀色の恋人』で、こちらはロボットと恋愛関係を築く中で成長していくヒロインがメインだが、本作はロボットの成長がメイン.しかしこのロボット、最初からきわめて人間らしい.自閉症っぽい子供が社会に対して自分を開いていくのと、そんなに変わらないのじゃないかという気がしてくる.
 人工知能と人間というのは、そう簡単に恋愛できないでしょう.そのへんをその気にさせてくれるのがフィクションの力なわけだが、ディテールをもう少し検討したら印象も変わったかも.いくら知識として持っていても、うにょーんと伸びるものの比喩を「ピザのチーズ」とロボットがいうだろうか.「霜柱を踏んだ感触」というのも、おいおい21世紀だろう、と思ってしまった.
 もうひとつ、ライト・ノベルだから仕方ないといってしまえばそれまでだが、ロボットが人間化するのは無前提的に決まった善か、という疑問もあるのだよ.人間化したロボットは使いにくい、という話は出てくるし.ヒューマニズム万歳で、ほら、このロボットの方がもっと人間的です、というのはセンチメンタリズムだ.21世紀において、我々が信ずる「人間性」とは価値を持ちうるのか、そういう問いがテーマとしてふくまれることで、小説はSFになるんだと思うんだが.
 あああ、またえらそうなことを書いてしまった.はい、篠田だってそんなの書けてません.『聖杯伝説』はファンタジーです.ぐっすん.

 明日から取材旅行で関西へ.日記再開は19日になります.

2002.10.14

 締め切りを気にしながら根を詰めて仕事するとテキメンに目が疲れてくる、というのはしかし、普段はあんまり真面目に仕事してない証拠やないかい、といまさらのように思う今日この頃.またまたエアロバイク以外は歩きもせんと、やっとこすっとこ『アベラシオン』第8回が92枚である.
 終わらせるまでにあいつとこいつとこいつも殺したろ、と思っていたところに、予定にない人物を殺してしもうた.うーん、このままでいくとラストまでで二桁の死体がころがってしまうわい.今回の話は篠田のミステリの中で一番長くなるのは確実だが、それだけでなく一番たくさん人が死んでいる.しかし我ながら心配になってきたのは、毎度死体と直面させられるヒロインの精神衛生.今回もそういうつもりはなかったのだが、ちょっと彼女常軌を逸してきてしまった.無事事件が終わっても、でいられるかしら.うーん、困ったものだ.

2002.10.13

 世間は連休でお天気も良くて、みんな遊びに行ってるんだろーな.篠田は仕事場にこもって仕事です.トイレと台所と机の間以外で歩いたのはエアロバイクに乗っていたときだけだ.健康にいいわけがありませんな.
 しかし今日はネットの利便さを痛感.原稿を書いていたら星座占いのことがちらっと出てくるようで、あわてて占いページを探して基礎知識を.それから一時間後今度はラテン語のことわざで「玉葱から薔薇は生まれず」というのを話題にするのに、日本のことわざでこれと同じような意味のがあったよなー、と思うのだが出てこない.これまたネットでことわざのページにアクセス.はい、わかりました.「瓜の蔓に茄子はならぬ」です.どっちも植物から血統の連想をしている.しかしなんつーか、日本のことわざはヌカミソ臭いですなあ.

2002.10.12

 原稿がなかなか進まない。
 書いていて小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』から引用しようと 思って、ところが記憶している当該箇所がなかなか見つからなく て、嫌になってしまう。
 昨日は資料本が見つからなくて部屋中探してしまうし、しょうも ない無駄な時間が多いんです、まったく。
 16日に出かける前に100枚は、ちょっと無理そうだなー。

2002.10.11

 篠田真由美は東京生まれの東京育ちだが、住んでいたところが本郷だからどうしても東京の東側に親近感がある.都電に乗って上野動物園に行くとき、不忍池の専用軌道に電車が音立てて入っていくときの心躍りなんてものは、妙に生々しく記憶している.というわけで「都市小説」といっても東京の東側が出てくるのが好きだ.先日の『夏休みは命がけ!』がまさにこれだったけど、古本屋でゲットした森真沙子『東京怪奇地図』も、東京の東に生きた文学者たちと、都市東京の交差で描く連作幻想短編集.既刊本が見つけにくいのは、森さんも皆川さんといい勝負なんで困ってしまう.
 昔々書いて某純文系新人賞に応募して二次選考まで残った幻想長編は、自分が生まれ育った本郷界隈から始まる話だったが、「都市小説」なんてものではとてもない.難しいなー、どうも.

 来週16から二泊三日で取材に出るので、その前にもう少し『アベラシオン』を進めておかないとマジまずい.というわけでここ数日、日記が短くなるかもしれませんがご了承くだされ.そうだ、本日のニュース.小説ノンが来年恩田陸さんと対談をさせてくれるという.これはもー、飲んだくれ対談ですね.

2002.10.10

 やっと『アベラシオン』を書き出したと思ったら、外出で一日さぼってしまった.困ったものである.

 先日とみなが貴和さんの都市小説のことを書いたが、いいなあと思うと自分もやってみたくなるのが物書きの野心.本格ミステリというのは閉鎖状況での事件が多い、というか、そうでないと犯人限定にロジックが使いにくいわけだが、建築探偵で都市小説というのはやれないものかしらん.大阪なら芦辺拓さんの『時の誘拐』『時の密室』が、時間軸を入れて大阪という都市を有機的に描き出していた.過去で言えば大乱歩の作品は都市論的な視点から語られることもある.できないことはないんじゃないかなあ.幸いと言うべきか、次回のモチーフは同潤会アパートメントだ.同潤会がなにかわからない人は、蒼が説明しているから「センティメンタル・ブルー」を読みましょう.都市東京を前提にして生み出された住まいだからね、うん、なんかよさそう.こういうことを考えている時点が、一番楽しいんだけどさ.実際書くとなると、楽しいだけじゃなくてねえ.

 前から気になっていたホワイトハートの「法廷士グラウベン」を読む.とみながさんといっしょにアマゾンで取り寄せたのだ.これ、架空歴史小説というにもかなり無理筋というか、無茶筋.中世の神聖ローマ帝国に皇帝の認可を得た法廷都市があって、教会権からも独立した裁判を行い、法の正義を求める人々がやってくるという.人権宣言もない、国際法も存在しない時代に、そんなものが存在し得るはずがないというのも、無論作者は百も承知でやっているわけだ.しかしこれ、いっそ異世界ファンタジーにすれば良かったろうにと思う.西欧史の根幹をひっくりかえしているわけだから、歴史に近寄ろうとすればするほど、「無茶」が際立ってしまう.だから、そういうものが存在していた架空の過去、架空の歴史、パラレル・ワールドをやってしまえばよかったのだ.
 そういうものです、というには歴史のモチーフを使いすぎる.だから史実との相違が違和感となってしまう.ジャンヌ・ダルクは生前ジャンヌ・ダルクとは名乗らなかった.それを敢えて「ジャンヌ・ダルク」と連呼するのはわかりやすさのためか.よもや編集者の指導か.
 国境を超えた権力といえば教会だけであって、世俗はもっと小さい範囲の権威しか持たなかった.法廷都市が万が一神聖ローマ帝国の皇帝に認可されたとしても、それがブルゴーニュ公国まででばってくるはずもない.国が変われば世俗法も変わる.フランスでは女性が王権を継ぐことはなかったが、イギリスではそれがありだ、というように.
 それからここでも視点が入り乱れている.誰の主観か一瞬わからないし、落ち着かないったらありゃしない.日本語のおかしさ、特に形容詞の不的確も目についた.たとえば暖炉に火が燃えている様を「煌々と」とはいわない.そういうのは編集者と校閲の役目だと思うけどね.ま、とにかく、勇気あるチャレンジは良いと思うんだけど、それにしてはテクニックが不足すぎる.ここまで歴史を改変するなら、世界そのものを作ってしまった方がよほどいいと思うんだが.


2002.10.08

 仕事をしなければならないとわかりつつ、未読の本があればついつい手が伸びる.というわけで、前から気になっていたとみなが貴和さんの『EDGE』三冊を爆読.先日は同じ作者のスニーカーの新刊『夏休みは命がけ!』を読んで大いに楽しんだ.都市小説でライトノベルという発想のおもしろさと、キャラクターのクールさと、ほのかに香るユーモア、そしてお茶の水ニコライ堂(コンドル設計)と上野の国立博物館(渡辺仁設計)という東京の名建築の中でアクションをやらせるという思い切りのよさ.おーお、壊してるよ、と.
 で、ホワイトハートの『EDGE』を読んでわかったこと.都市小説というのはこの人の基本的技である.しかしこちらの方がプロファイラーを主人公に、メガロポリス東京を舞台に跳梁する犯罪者と四つに組む物語なので、都市小説にはふさわしい.しかし、都市小説としてのおもしろさが際だっているのは明らかに『夏休み』の方なんである.
 プロファイラーというのが、ミステリや犯罪小説の中で「よく見る者」になってしまっているというのが、ひとつ弱点だと思う.作者のせいではないけどね.主人公は非常に魅力的.キャラのクールさ、というのもこの書き手が持っている良き個性だろう.篠田が書いたらもっとホットになってしまう.しかしこの主人公、プロファイリングの天才なわけだが、それほど派手に活躍している感じがない.犯人側と捜査側が並行して書かれるので、主人公の手腕によって犯人があぶり出されていく、というスリルに乏しい分、主人公の能力の印象も弱まってしまう.しかしこの話、主人公が天才的能力者でないと成り立たないようにもなってしまっている.シリーズ物として見た場合、犯人像が似通っているのも弱点だ.
 けなすようなことばかり書いてしまったが、どうか誤解しないでほしい.この作者は非常に力がある.作者の個性と、プロットと、キャラが、うまくかみ合えばもっとすごい傑作を書いてくれるだろう.デビュー作を除いて既刊の全部、四冊読んだわけだが、最新作である『夏休み』の進歩は著しい.うまくなる人はデビューしてからみるみる上手くなるものだ.そしてシリーズの中では第二作『三月の誘拐者』が篠田は一番好きだ.特に誘拐される少女の描き方がすばらしい.続きは出ないんだろうか.

 えーと、本を読んでいるばかりじゃなく、ちゃんと仕事もしてます.やっと書き出しました、『アベラシオン』の第七回.がんばりますよ、もー.はい、「がんばる」ということばは篠田の場合、こういうふうに使うんですね.気合いを入れるのに自分のほっぺたを叩くのはありだけど、人から叩かれるのは嫌でしょ.そういうこと.
 本日のニュースは、活字倶楽部三度目のインタビューが決まったということ.来年の、一月二十五日発売号に掲載されるそうです.
 それから明日の日記はお休みです.ごめんなさい.



2002.10.07

 昨日は勢いにまかせて、せっかく手紙を下さる方に文句を付けたりして、ずいぶん失礼だったんじゃないかいと遅蒔きながら反省する.でもほんと、「がんばれ」はともかく、「早く次を書け」は嫌なんです、辛いんです.わかってやってください.

 『法月綸太郎の功績』を再読する.だいたいミステリのトリックは読むそばから忘れるので、まことに経済的である.そのたびに新しい感動がある.それはともかく「これってまさしく本格だなー」と心から感動してしまった.本格ミステリの定義は人の数だけあったりするが、これこそ本格のはえぬきでどまんなかである.シンプルで無駄が無く、トリックは効果的でそのくせ情感にも欠けていない.基本的に安楽椅子探偵なのに、こじつけや退屈とも無縁.ミステリとはいえこれの対極にあるようなのしか書けない篠田は、いまさらのようにため息をつくのであります.
 仕事もしていますが(その無駄だらけのミステリを)、目玉が疲労気味なのでそのへんの報告は明日に回します.

2002.10.06

 編集部から回送されて来た手紙の消印を見ると八月だったりして、どうもまことに申し訳ない.篠田の手元に届けばよほどのことがない限り数日中にはお返事を出すのだが、編集部も篠田の受付だけしているわけではないから、そのへんのことはご勘弁下さい.サイン会以後にいただいたお便りについては、今日の夕方発送しました.
 しかし「初めて」という方のお便りが多いと、何度も同じことを書く気がしてくるので、近いうちにこのサイト内に「建築探偵告知板」みたいなページをもうけて、平均的な質問事項に答えておくことにしたい.おまけのお楽しみ記事も載せていくので、ちょっと待っていて下さい.
 それからね、篠田は別に自分が読者の平均年齢よりも20歳以上年上だからって、「先生」と崇め奉れなんてはいわない.エンタテインメントの書き手は、職人で芸人だと思っています.でも20歳近くなったら、ちゃんとした日本語でちゃんとした手紙を書くよう努力しようよ.敬語は敬語として使わないと、あなたの気持ちは私の所へ届かない.いまはもう当たり前になっちゃったから、これくらいならいちいち目くじら立てないつもりでいるけど、「がんばってください」は目上の人に使うことばではないのよ.目下の人への激励のことばですよ.
 そして「がんばってください」は、あなた自身がいわれたときにどう感ずるか、少し考えてみよう.別に目下の人間からでなくても、あなたが必死に勉強したり、仕事をしたりしているときに「がんばってください」といわれたら「もうがんばってるよ、これ以上がんばったら倒れるよ」と思わないか.「がんばらないとなあ」とわかっいていても、いろいろわけあってなかなか動けないよ、という気持ちの時に、「がんばってください」といわれたら「せかすなよ、わかってるんだから」とムッと来たりしない? 篠田は、「がんばれ」ということばは基本的に他人には使いません.自分に対してだけいいます.篠田はすでに自分にできる範囲でベストを尽くしています.建築探偵を年に一冊しか書かないのは、決して怠慢のためではなく質を保つためです.あなたが篠田の作品を愛してくれるなら、見守ってください.応援してください.でも、圧力を掛けたりせかしたりはしないでください.それだけで十分私は、「みんなが待っててくれるからがんばらないとなあ」という気持ちになります.

2002.10.05

 友人が来て一日しゃべっていったので、本日は仕事もお休み.昨日講談社からファンレターが数通まとめて回送されてきた.明日はまずこれに返事を書くことからしなくてはならない.だけど、ああ、時間はどんどん経っていくのに『アベラシオン』には手も触れていないぞーお.

2002.10.04

 朝の内に小説ノンと愛川氏の新刊推薦文を書き上げメール送稿。
 ノンの方はクライマックスに入っていく寸前というところで100枚越えたので、半端といえば半端だが、けっこうくたびれたのでここらで水入りも悪くないという気分。推薦文の方はちっとも推薦文らしくない。内容に触れるのはちょっと難しいので、違うところから書いたんだけど、「こんなんじゃだめ」といわれても不思議はない。
 昨日スキャナで取り込んだ「柘榴の聖母」を、仕事用の旧型NECで見直すが、そこら中欠点だらけというか、少々の手直しでは話にならない気がしてきて、放り出す。まったくもー、九年前の篠田よ、十五世紀のフィレンツェにはたぶん馬車は走ってないよ。いや、馬車というと我々は「古い乗り物」と思いがちなんだが、歴史は意外と新しい。サスペンション発明以前の車輪を使った乗り物が、しかもろくな舗装もない道で、乗り心地がいいわけはないやね。日本の平安時代だって、しょっちゅう牛車がトラブってます。
あれは楽だから乗ったわけじゃなく「徒歩でいくなんて下品だから」使ったわけ。騎馬も牛車よりは下品です。
 当時も「まあいいか」くらいの気持ちで書いたと思うのだが、情景を思い浮かべると違和感がある。なにも厳格に史実にこだわらないとダメというんじゃないんだが、ルネサンスに馬車を走らせられないのは、フィレンツェに「ジョン・スミス」がいたら嫌だというのと同じこと。イギリス人の傭兵隊長ジョン・ホークウッドは、ジョバンニ・アクートと呼ばれていました。

 明日友人が来るので片づけ。机周りと周囲の床に山積みになっている資料を、別室に持っていく。一仕事終えたら掃除、というのはいつものことで、それからのんびりしたいところだが、そんな暇はない。それでも岩波新書の新刊「メッカ」を読む。昔行ったシリア、ヨルダンあたりの、イスラム教国の緊張感をそぞろ思い出す。イスラム関係の書物を読むと、イスラム賛美というか、イスラム弁護というかがかなり多いのだが、そしてもちろんそれは一理も二理もあるとは思うものの、どっかすっきりとうなずけないのは別に9.11のせいとかではなくて、昔の旅行でいろいろ嫌な思いをさせられた記憶のためでしょう。親切にしてくれた人も、もちろんたくさんいたんですがね。

 ともかくも日曜日からは『アベラシオン』をやらないといけない。しかし自分の書いたものを読みたくない気持ちがそぞろ。あーうー、わんわんわん。

2002.10.03

 「聖徳太子編」の第二回、ほぼ終わり.ほぼというのは、以下次号の続きのあたりの文章がぴたりと決まらないため.自分の締め切りとして明日までということにしておいたので、明日また考えることにして、昔々「創元推理」に書いた短編、例によってデータがないのでスキャナで取り込みをする.するとまたまた電波系の文章みたいに文字が化けるは化けるは.これ、いっそ故意にやってみたらどうだろう、なんぞと考えたくなるほどである.
 おまけに93年の作品だから、読み返していると気に入らないところがそこら中にある.とりあえずテキストにしてそれから直そうと思いながら、直す文章を直さないままにするというのが、またなんとも「ぐるるるる」ってな気分です(なんのこっちゃ).
 鮎川賞パーティで愛川晶さんから「新刊の推薦文を書いてくれ」と頼まれていて、そのゲラがさっそく送られてきた.ううむ、ミステリの表4というのはやはり特に難しいです.ダメなら没にして、というつもりで書くことにした.
 『レディM』のゲラも届くようである.やはり年内ではなく、来年のバレンタインデーあたりになりそう.しかし、さっぱり『アベラシオン』に行けないなあ.ひょっとして、かなりピンチでないかい.

 明日は都合により戻りが遅いので、日記は更新できないかも.

2002.10.02

 台風一過のさわやかな晴天.どうもこういう天気の方が仕事が進む気がする.もっとも「旅行に行きてえ」病がうずくことも確か.「聖徳太子」の方は奈良のガイドブックを地図代わりに使っているので、ついつい関係ない方まで読んでしまう.ずいぶん奈良もおしゃれになりました.篠田が夏冬通っていた頃は、全然そういうふうじゃなかったけどね.
 鮎川哲也先生追悼文集のエッセイを仕上げ.思い切って当時の選評を引用する.マイナス点を付けられたのが「舞台が過去の外国で登場人物が全員西洋人」というところだったというと、最近の読者は「なんで」と思うかも知れない.篠田だって思いましたもの、そりゃあ.たった11年前はそういうふうだったんです.もっとも同じ時の紀田順一郎先生の評には、もっとたくさん具体的に篠田の作品の足らざるところが指摘されているので、決して「外国」だけで落ちたわけでないのは承知しております.
 「聖徳太子」は明日で連載の切れ目に到達しそう.そうしたらここで止めて、「アベラシオン」をやらないとならない.「じゃじゃーん、どうなる」で話を切るのはきらいじゃないけど、頭の切り替えが下手なので、こういうのはちょっとしんどい.そのたびにテンションを上げるのが大変なのだ.でもまあ、日本書紀と格闘するのも疲れたから、ここらでイタリアにまいるのもいいかも.

2002.10.01

 台風が来てひどい雨である.どうも気持ちが集中できない.知人で今日引っ越しという人がいるのだが、果たしてこの天候の中で無事終わったろうか.
 11月にある鮎川哲也先生を偲ぶ会で配布するという本のための原稿を書いてみる.篠田は決して先生と個人的に親交があったわけでもなく、先生の熱狂的なファンだというわけでもない.以前に原書房の「鮎川哲也読本」で短いエッセイを書いたが、それでネタは尽きている.というわけで、かなり苦し紛れの文章.自分でもいささか嫌気が射す.『琥珀の城の殺人』の選評を読み返すが、どの先生もかなり手厳しいもので、いまさらのようにめげたりする.
 祥伝社の原稿は今週中に上げる、というので自分を納得させた.問題はこれでいよいよ『アベラシオン』がきつくなるということだ.二回で終わらせる予定を三回に延ばして、書く量をへらさせてもらう、というのもひとつの手だが、結局自分の首を絞めるだけという気もする.
 初めて書いたミステリを最終候補に残してもらったことが、果たして幸運なのかどうかもわからず、途方に暮れていたのがわずか12年前.将来自分がしじゅう締め切りに追われて「あーあ、もう書きたくない」などということになるとは、当時夢にも思わなかった.初心忘れるべからずというけれど、当時のよるべない気持ちは忘れたくとも忘れられず、あまり思い出したいものではない.でも、他のなにをするより小説を書くのが好きなんだから、やっぱり「書きたくない」なんて口が裂けてもいっちゃいけないんだよな、うん.