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2002.09.30

 相変わらず頭はぼけているが無理矢理復活.聖徳太子の成仏目指して書き続ける.これはなにがなんでも今週中に終わらせなくては.しかし諸悪の根元は睡眠不足.なのに昨日の夜も仕事のことを考えていたらなかなか寝付かれず.眠るにも体力がいるというのはまったくの真実だ.

 景気の悪いことばかり書いていても冴えないので、オススメ本の話.今回はマンガです.『西洋骨董洋菓子店』よしながふみ.テレビドラマになったので知名度は高いと思うが、篠田はテレビの方はほとんど知らない.しかしたぶんドラマでは、この作品の醍醐味は味わえないと思う.というのはこれ、すごい伏線ばりばりのミステリ的な側面を持っているからだ.頭のところで主人公橘の高校時代の話がちらっと出てくる.同性のクラスメートから恋を告白されて手ひどくはねつけるという、マンガならどこかで見たような気のするシーンだ.ところがこれ、見事に伏線.今回四巻目が出た最終回で、きれいにそれが繋がってくる.
 橘は財閥の会長の孫で、ハンサムで頭も良くてなんでもできるスーパー男だが、実は子供時代のトラウマを抱えていて、そのおかげで人生がゆがんでいる.そういう人物もマンガや小説で珍しくないが、「おっ」と思ったのは、物語の最後で橘がトラウマを克服するような事件に巡り会い、それを通過したにもかかわらず、やっぱり彼はそこから来る悪夢から逃れられない.それでも彼は「なんでえ、直ってないじゃないか」とぼやきながら、「さあ、今日もケーキ売るか」と起きあがる.トラウマからの癒しはそれこそありふれすぎたモチーフだが、人はそう簡単に癒されない、でも癒されなくたって前を向いて生きていける、という結論には心から共感させられた.

2002.09.29

 案の定というか、完全に脳が死んでいた.知り合いになった漫画家さんと組んで、マンガの原作を描こうというプランがあって、途中までシナリオを書いて放り出してあったのだが、催促をもらってあわててファイルを開いたものの、まるで脳が動かない.これではとても仕事にならない.理由が睡眠不足なのはもちろんだが、昼間眠ろうと思っても眠れないのでだめ.なんとか明日には復活しなくては.

2002.09.28

 五時までしゃべって、七時には別の友人に電話で起こされたから睡眠時間かろうじて2時間.その後もずうっとおしゃべり.しかしライト・ノベルの書き手の置かれている状況の過酷なことは、ミステリの若手を遙かに超えている.どこで迷惑がかかるかわからないので、具体的なことは書かないが、篠田はうかつにも印税というのは最低10%だと信じ込んでいたのである.実売部数の支払いというのはあったけどね.
 たった10年のキャリア、30点にも達さぬ著書しか持たぬ自分はいまだ小説家のスタート・ライン近くにしかいない、という自覚は自覚としてある.誰かのためになりたいなどというのは思い上がりでしかない、とも.しかし篠田は小説を書くことが好きであり、小説を書くことを好きな仲間達を愛している.だからこれからもときには誠実とは言えない出版社や編集者に対して口うるさいお局でありたいと思うのは、決して自分のためだけではなく、仲間達のためなのだ.
 どことはいわないが某社、「篠田を怒らせたくない」なら、篠田の同業者にもそれなりの敬意は払ってもらいたい.なにもお世辞を使えとか、接待をしろとかいうのじゃない.良い作品を書きたいという書き手の意欲を、土足で踏みにじるようなまねはするなというのだ.してほしいのは基本的なことだ.仕事上の約束はできるだけ守る、守れない場合は事情を説明する.良い作品を書くための、書き手からの要求に耳を傾け話し合いに応じる.情報公開を心がける.あなたがたが忙しいことはわかっている.しかし忙しいことを口実にして、誠実な対応を怠っていいものじゃない.そういうことをしていると、いつか泣くことになる.無論、そんな先には寿退社してますとでもいうならなにをかいわんやだ.止まれば倒れる自転車小説家に定年はないからね.

2002.09.27

 鮎川賞の授賞式パーティは、鮎川哲也先生への黙祷で始まった.そのせいかどうかわからないが、やたらと込み合ったパーティで、誰かを捜したり飲み物をもらいに行ったりするだけでかき分けかき分け状態だった.アフター・パーティはもっぱらライト・ノベル作家のお嬢さんたちとおしゃべり.職業を同じくしている人とは、20歳の歳の差でも意外なほど意志の疎通に齟齬を感じない、と思うのは単に篠田の頭が幼稚であるからか.

2002.09.26

 鮎川哲也先生の訃報が届いた。
 馬鹿なことをいうようだが、初めてお顔を拝見したときからそれなりの年輩の方は、ずっとそういうお歳のような気がしてしまうし、未来永劫お元気でいて下さるような気がしてしまう。つまりそれは願望なのである。さっさと死んでくれといいたくなるような年寄りも、まさか亡くなられるとはと呆然としてまう方も、人間である以上いつかは逝く。無論あなたも、私も。

 本日半沢氏の木工展閉会。我が仕事場で打ち上げ。

 明日は鮎川賞授賞式とパーティ。篠田が栄えある最終候補に残って落選でパーティに出たのが1991年。
 あれからなんと12年も経ってしまったのだな。というわけで明日の日記は休みます。

2002.09.25

 西澤作品読み直しシリーズはタック・シリーズを順に行こうということにして、昨日は『彼女の死んだ夜』を再読.この話のひっくり返しは、再読でもちゃんと驚かされる.いや、篠田の記憶力が怪しいだけなんだけどさ.それにしても西澤さんは、登場人物に対して情け容赦がないなあ.見習わなくては.
 本棚に行って探したら『仔羊たちの聖夜』がない.もしかすると読んでいないのかも.がびん.あわてて本屋へ.幸い仕事場の近所の本屋は、篠田の本など全然置いてないのに角川文庫の西澤作品は完璧.忘れていて初読だとしたら、なんか得した気分である.
 今日は祥伝社の担当Y氏がゲラをもって来訪、こちらも聖徳太子編の第一回プリントアウトを渡す.多量のルビがメールでは消えてしまうからだ.出ない文字もあるし.聖徳太子編は三回分で終わる予定.いま書いている第二回までを書き上げておいて、『アベラシオン』をやらないとならないので、最後の回は12月で間に合うという話になった.五回分でノベルス一冊分には十分なる.ただし、来年は出版社の都合で刊行は五月なんである.短い書き下ろしの「番外編の番外編」をつけようか、という話をする.
 しかし来年の仕事を数え上げていったら、前半だけでかなりの仕事をこなさないとならないということがますます明らかに.自分ではまったくそういうつもりはないのだが、篠田はもしかしてワーカ・ホリックなのかしらん.

2002.09.24

 この前西澤保彦さんが仕事場に来たとき、ビールを飲みながらさまざまのよしなしごとをくっちゃべって、その中で彼が言った「小説家になったら楽しんで小説が読めなくなった」ということば、篠田もおおむね同感なのだが、最近は「いやあ、それでも小説読むのは楽しいよ」という気もしてきている.「楽しめない」理由というのは自分の仕事に引き比べて「うまけりゃ悔しい」「粗は目につく」ということだろう.だからまあ、引き比べなければいいんである.なにを読んでも「これはこれ」「我は我」で.もっとも「粗が目につく」方はいかんともしがたい.人間年を食えばそれだけ気むずかしくなるというものだ.
 だから、若い人たちに声を大にして言いたい.いまのうちに本を読みなさい、なんでもいいから貪欲に、かたっぱしから読みなさい、と.若いときの読書は、40代の読書とはまったく違う.それはもう、作家になろうがなるまいが、世知にまみれた大人ではどうしても「粗に目がいく」ものなんだ.だけど、子供の時はねえ.全身全霊で本の世界に没入して、「ご飯ですよ」といわれると母親に殺意を覚えたりして、試験だろうが真夜中過ぎだろうが、ひたすら読む.そういう至福の体験が、結局の所いまの篠田を支えていると思うのだ.ルパンが好きで、ジョン・カーターが好きで、ダルタニャンが好きで、って、篠田の親父好みが露骨に現れてるけど、篠田は彼らに感情移入しとったんです.不屈のヒーローだけど人間的な弱みもある、というタイプが好きだったんだな.ともかく幸せな記憶は、いまそこから遠く引き離されていても、そのいまを温め、明るませてくれるだけの力がある.いまはもう篠田は10代のときのような本の読み方はできないけれど、誰かが自分の書いたものをそんなふうに一生懸命に読んでくれている、と思ってがんばるのでございますよ.

 龍の黙示録連載第四回、粛々と進行中.怒濤のようにとはいかないが、とにかく歩いていけばいつくかは着くさ、ゴールに.聖徳太子編膨張中.仕事場から戻ると長らくおなじみの読者からファンレターが.ありがとう、奈良県のFさん.お便りは物書きのカンフル剤です.冬に有明でまた会いましょう.『篠田真由美の秘密の本棚』お楽しみに.

2002.09.23

 家の近所が曼珠沙華の群生地なので、年に一度いまの季節だけは駅と道路が混み合う.混んでいるだけではつまらないので、朝食後散歩に行く.朝八時台だというのにもうかなりの人出、観光バスもついていた.ただし花の方は、毎年見ているからなんてことはない.かたまって真っ赤っかになっているより、畑の縁などにぱらぱらと咲いている方が緑との対比できれいに見える.山グルミを拾う.植木鉢に植えたら苗が出てくるだろうか.
 観劇の後で『麦酒の家の冒険』を読み返し、今日は『七回死んだ男』を再読.だいたいにおいてディテールは記憶から飛んでいるので、読み返しはとても楽しい.今夜は『解体諸因』か、『ストレート・ノー・チェイサー』にするか.鬼畜な西澤作品に慣らされた読者は、特に後者を読んでラストで悶絶すべし.あ、これほめことばですよ.
 料理の本を読むのが好きである.外国旅行するとその国の料理の本を買ってくる.今回は雑誌に書評が出ていたフランス家庭料理の本『修道院のレシピ』を購入.ネット本屋は味気ないという人が多いが、まともな本屋がないところに住んでいて、欲しいと思ったらすぐ買えるというのがとてもありがたい.さっそく「ブフ・ブルギニヨン」を作った.牛肉の赤ワイン煮、本来的な意味ではブルゴーニュ・ワイン煮だろうが、安イタリアワインでも上々の味となった.
 もちろん仕事はしています.龍の4「唯一の神の御名・中編」粛々と進行中.この回が終わったらいったん中止して『アベラシオン』に行く.そっちが終わってから後編を書いても間に合う、はずである.うん、たぶん.

2002.09.22

 e-novelsの連作企画「黄昏ホテル」をどうしても書きたくなってきてしまったので、急遽そちらにとりかかり、ともあれ25枚書き終える.これまで書いた中では一番短かったので、かなりきゅうくつな気がした.気持ちとしては皆川博子先生の「雪ものがたり」のようなのをやりたかったのだが、とてもとてもそうはいきません.気持ちはそうなんです、ということでご勘弁.

2002.09.21

 上京中の西澤保彦さんを迎え、半沢氏の木工展からそばのランチ、篠田の仕事場で篠田推奨銘柄「よなよなエール」で乾杯.ビール好きの西澤氏のためにビールはたっぷり用意してあったのだが、彼は前夜の放蕩がたたって調子はいまいち.
 新宿へ出て西澤氏原作『麦酒の家の冒険』の劇を見る.なかなか楽しませてもらったが、いわゆる論理の魅力はやっぱり原作を読み返したくなる程度にはもどかしい.
 打ち上げは劇場の半分が押し掛ける盛況だったので、そちらはパスして高田崇史さんなどとワインをいただく.

 読了本『毒入りチョコレート事件』、六人の探偵役が毒殺事件の謎を解くべく順番に推理を発表していく話.討論ではなく発表と検討なので、西澤氏のミステリの魅力であるダイナミズムには乏しい.古典的作品ではあるが、マニアではない読者には強いて勧めるほどのものではない気もした.

2002.09.20

 九月もいよいよ下旬なので、小説ノンをさくさく進めなくてはならないのだが、e−novelsの連作、第二回の笠井さんはもう書いてしまわれた.篠田は第三回で、書くことは決まっているし、締め切りは12月なので急ぐ必要はないと思っていたのだが、ひええっ、となんかあせる.設定の方をA4一枚半書く.アールデコのホテルだといっておいて、ホテルの意匠とかあまり書けなかった.資料調べまでしている暇がない.それにきっと倉坂さんや牧野さんが壊すんだろうし.
 今日はそれでもノンの第四回が35枚まで.一日20枚近く書くと目がしぼしぼする.古代風のせりふも難しくなって、子供のけんかなんかまるっきり今風のせりふになってしまった.まあ、真面目な歴史小説ではないので勘弁.とはいえ昨日ジャーロで外国人作家のルクレツィア・ボルジアが出てくる短編ミステリを読んだら、どうしてもそれが現代の話にしか読めなくて変な感じだった.
 仕事のかたわら、太田忠司さんの『紫の悲劇』を読む.霞田志朗は推理機械ではない人間的な探偵役なので、事件に関わるたびにとても苦しむ.それがとても痛々しい.
あまりそういうことを気にするのも、犯人が魅力的で、そのへんをもっと読みたいと思うのも、ミステリの正しい読み方ではないだろう.本格ミステリというのは、犯人が描けないジャンルだし、謎解きのゲームを楽しむには探偵はマシンである方がふさわしいんだから.とはいいながら、人間でない探偵も犯人も書きたくないんだよなあ、篠田は.

 明日は西澤保彦さん原作の『麦酒の家の冒険』を見に行くので、日記の更新はさぼります.日曜月曜はまじめに仕事しますので.

2002.09.19

 祥伝社の担当から、「篠田さんは30字詰めで原稿を作っていますね、20字詰めにするとページが減りますが」といわれる.確かにこれまでは30かける40の一枚1200字を、400字3枚に数えていた.手元のデータを書式変更するとなるほど一割程度減る.ノベルスや文庫の場合はページ立てて打っているが、雑誌の場合は気にしてもしょうがないのでそうしていた.まずいのでこれからは20かける20で打つことにした.しかし応募原稿の枚数制限の場合、こういうのはどうしているんだろう.普通ワープロ原稿は400字では打たないだろうし、かといって一割違えば大きい.今度他社の編集者にも聞いてみるとしよう.
 e−novelsの連作は、とりあえず篠田なりに「黄昏ホテル」と呼ばれるにふさわしい設定を作ってみることにした.枚数制限は25枚なので、細かいことはなにも書けないし、後から書く人は変更まかり通る、だからどうなるかわからないが、考えているうちにどんどんおもしろくなってきて、ひとりで悦に入っている.実際に書き出すよりも、こうやってああでもないこうでもないと考えているときが楽しいんですな.
 夕方家に戻るとライトの書評を書いた雑誌HOMEの見本誌が届いていた.いくら見てもデザイナーや建築家が読むようなおしゃれでハイブロウな雑誌で、賭けてもいいがここに篠田の読者はおるまい.しかし偶然今回の巻頭には、『綺羅の柩』の泉洞荘のモデルにした軽井沢の三五荘が載っている.もしも本屋で見かけることがあったら、手にとって写真を眺めてください.すごくすてきに映っています.

2002.09.18

 仕事場に戻って、乱歩賞受賞作『滅びのモノクローム』を読了.さらさらとは読めたが、正直な話好きな小説ではない.基調はリアルなのに、政治家の裏で使われる殺し屋の設定がひどく漫画的.社会派風のテーマを使っているが、これって小説を書くために探したテーマなんだろうな、という気がして、共感はさっぱり.おまけに主要登場人物にまったく魅力がない.脇役はそれなりだけど、それは儲け役的な位置づけだもの.そして主要登場人物のひとりの生死が不明のまま終わるっての、なんだか読者を馬鹿にしてるみたいな気がした.
 睡眠時間4時間くらいなんで、頭ぼーっとしたまま一日過ごす.来週祥伝社の編集がゲラを持ってくるので、第三回をもう一度手直しし出す.なんとか「アベラシオン」にとりかかる前に、こちらのかたをつけたいものだ.

2002.09.17

 乱歩賞パーティの前に、篠田の好きな帝国ホテルのバーで、漫画家の今井ゆきるさんと会い、冬コミに発刊する同人本の原稿を託す.パーティはとりあえずわき目もふらずに食事をすることにしているのだが、今回は山田さん浅暮さんと連作の話.浅暮さんの次は笠井潔さんで、篠田は三番目なので、そこで好きなようにやっていいということになる.その代わり後の人が設定をひっくり返しても文句は言えないということ.
 アフター・パーティは評論家の千街さんや編集者とお話.鬼畜な小説を書く牧野修さんは、とても笑顔がかわいらしい方で、その落差に感動.牧野さん、言い忘れたけど篠田は牧野さんの作品は『王の眠る丘』から読んでますよ.
 東京創元社から、「創元推理」に代わる新雑誌が刊行されるのだという.予定は春で、最初は季刊、一年後には隔月刊の予定だという.篠田はここでデビューさせてもらって、その後久しくご無沙汰している.それにはそれなりの理由はあったけれど、恩義と後ろめたさを忘れたわけではない.というわけで、短編書きましょう、と返事してしまう.良い編集者というのは、なにより書き手を乗せることができる人だ、という気がする.原稿やゲラをもってお使いするだけなら、アルバイトと郵便で十分だものね.
 というわけで、来年もひしひしと予定が詰まってきているのを感じる篠田だった.増刷もなかなかかからないし、ひたすら働くしかありませんわ.

2002.09.16

 今朝も朝から雨もよい.さわやかな秋晴れはどこにいったのだ.やっとこ第四回を書き出す.じりじりと進行中.なんとなくいまの感じだと、聖徳太子が死んだ後龍さんはアラビアにすっとんでムハンマドと関わって、その後また日本に戻ってくると、聖徳太子の息子の山背大兄皇子と再会して、蘇我入鹿による一族殺戮まで行くのだと思う.なんか彼って、関わった人間の死を見送るばっかり.2000年もそんなことやっていたら、それは虚無的な気分にもなるわなあ.

 e−novelsから短編の依頼.今月の「遊歩人」に第一回の浅暮三文さんの短編が載っている.「黄昏ホテル」という共通モチーフで行くらしいのだが、彼の第一回を読むとどうもいまひとつ納得できないところがあって(普通なら誰が気にするかってような、五階建てで20室では客室数が少なすぎるとか、そういうこと)、メールで浅暮さんともうひとり責任者の山田正紀さんにわいわいいう.ダブル受賞者に対して篠田、態度でかすぎ.でも、明日がちょうど乱歩賞のパーティなので、会ってお話しましょうということになる.きゃっ.なんかミーハーに嬉しい.『ミステリ・オペラ』持参してサインしてもらおうかしら.

 というわけで明日は日記の更新休みます.

2002.09.15

 今日から半沢氏の木工作品展が始まった.というわけで若い友人をひとり案内、その後仕事場でくっちゃべってお茶と酒.リンゴがあまっていたのでアップルパイを作った、とはいえ手抜きで皮は冷凍物.

2002.09.14

 龍の中編歴史物シリーズ、第一回第二回古代ローマで、次はイスラム教の起源にしようと思ったら、資料は山ほど買ったがどうも気が乗らなくて、結局聖徳太子にして、それの前半が本日112枚で一応終わり.といっても「さあどうなる?」というところで切れているが、前後編で終わるのか三回に分かれるのか、作者もよく分かっていない.プロットを作らず書いているせいもあってね.毎度スリルとサスペンス.
 今回たまげたのは、聖徳太子と龍がラブラブなんだわ、これが.いいのか、いいのか、小説ノンでこんなことやっていいのか、なんて思いながら、本日抱き合ってしまいました.とはいえ、ほんとに抱き合ったというか、龍が太子を抱きしめただけです.相手は49歳三人の妻と14人の子持ちの病弱なおっさんで、こちらは600歳の妖怪なんだから、いくらラブラブといったって、結ばれるわけもハッピーエンドになるわけもにゃあです.
 あっと、病弱というのはでっちあげですが、あと一年しないうちに太子様亡くなるので、体の具合が悪くても不思議じゃない.で、昔昔に買った読んだ松本清張の古代史ルポをねたにしましたので、このへんの決着もつけないといけない.蘇我馬子がゾロアスター教を日本に持ち込んでいた、という話ね.益田岩船という謎の石造物が拝火壇だったというのはなかなかいいなあと、奈良通いしていたころに思ったもんで、それを使ってしまう.
 こうなったらやはり彼の死と、彼の息子一族の滅亡まで書かないとだめだなあ.どうにか山岸涼子さんの描いた美少年厩戸皇子のイメージからは離れられました.聖徳太子を前後の皮に、イスラムをあんこに、というのがいまのもくろみだが、聖徳太子よりまだ書きにくそうなムハンマド.
 ああ、それにしても二度と歴史物中編連作なんてやりたくないわ.一本書くのに短編だって中編だって、長編並の資料買って読むことになるんだもの.本棚と財布がパンクしちゃう.

 明日は日記の更新さぼるかも.

2002.09.13

 なぜか五時前に目が覚めてしまい、おかげで昼間はずうっと眠い.こういうときに書いた原稿は、ひょっとすると使い物にならないかも.96枚まで来たのだが、今度はどのへんで切ろうか悩んでしまう.聖徳太子と同時代がムハンマドなので、主人公に飛鳥からメッカまで飛んでもらおうかと思っていたのだが、だんだん聖徳太子の方がおもしろくなってきてしまい、そちらが長引きつつある.だけど、イスラムの資料はいっぱい買ったから、使わないのはもったいないもんなあ.なんて貧乏性.
 それにしても古代日本をやっていると、つくづく漢字が出なくて困ってしまう.仏教関係の字はやはりダメか.ゾロアスター教の中国名けん教のけんの字も、そんな複雑な字ではないのに出ないのだ.かくてそこら中虫食い状態.おまけにルビも多くて、固有名詞だけでなく「大臣」は「おおおみ」だし「国民」は「くにたみ」と読んで欲しい.「厩戸皇子」は「うまやどのみこ」なのだ.かえって普通に読める漢字の方が、やっかいかも知れない.

2002.09.12

 半沢氏の展示が15日から始まるが、明日明後日が会場の喫茶店の休みなので、今日の夜になって飾り付けに行く.ささやかな空間だが、やはり住居とは違って天井の高い、展示を意識した空間なので、木目の立ったむく材の作品には向いていると思う.むく材の作品というのは、しばしば主張が強すぎて、インパクトがありすぎる.つまり、置く場所によっては浮いてしまうのだね.10/26まで展示は続くが、半沢氏はふだんはいないので、もしも作者と会いたい人は前日までに電話するよーに.篠田は基本的に電話してもらってもいられない.小説ノンの原稿がまだ80枚も行かないのだ.聖徳太子は難しい.資料貧乏まっしぐら状態である.

2002.09.11

 ぼおっと生きているとときどき夢と現実がごっちゃになる.昔ある古本屋に夢の中で行って、探している本を見つけたような気がしていたが、後でよく考えるとそれは夢ではなく現実だったのだ.探していたくせに買い逃したのは、現実でもいっしょだったが.
 前に図書館で表紙見返しのあらすじだけ読んで、後でその本がどれだったかわからなくなって困ったことがある.ミステリに詳しい知人に聞いても「わからない」という話だったので、それこそ夢かと思っていた.なぜ気になったかというと、そういうプロットのミステリを書こうと思っていたからだ.強盗が侵入して制圧された別荘の中で殺人事件が起こるが、という話.建築探偵の『仮面の島』である.
 今日、やはり自分が目撃した小説は存在したのだということが判明.東野圭吾さんの『仮面山荘殺人事件』である.篠田の当初の予定では、もっとこっちに似ていた.ただし幸いなことに、ミステリの肝の部分は、構想もできたものも別に似ていない.こちらの肝は『花嫁の叫び』『そして扉が閉ざされた』の系譜に属する大業で、シリーズ・キャラの目立つミステリには向いていないのだ.もっとも近いのはアガサ・クリスティの『終わり無き夜に生まれつく』か.あーあ、ネタバラシだ.

2002.09.10

 試験前になると本が読みたくなって、というのはよく聞く話.篠田は最近仕事が詰まるとお菓子が作りたくなる.食べたくなるのじゃなく、作りたくなるのだ.というわけで今日は、さつまいもとアーモンド粉と卵のケーキ.バターを入れ忘れたが、食べられないことはないので良しとする.
 仕事はようやく46枚.龍に付き合っていると、世界の宗教史を勉強する羽目になるのだ、ということにいまごろになって気がついた.遅いのである.

2002.09.09

 関東地方土砂降りに雷と、秋とは思えない気候であります.やっと涼しくなってきて、ゆるゆると味の濃いビールなどすすろうかなと思っていたのに、そんな気分になれない.気温は低いようで蒸し暑くて.

 さて、仕事の方は聖徳太子です.わりと最大公約数的なお方になってしまった.こちらはなんといっても主人公が人間じゃないので、どうしても相手役はわりとちゃんとした人間、という感じになってしまうのだな.ともあれゆるゆると進行中.9/17が乱歩賞のパーティなもんで、それまでに一回分が書き上がるというのが目標.150枚までは許されるそうだから、それを越したら二回分、かな.歴史物は長引きやすい.結局一冊では全然現代までたどり着けそうもない.
 なんでも来年は五月にフェアをやるそうなので、ノベルスの刊行はそれまで伸びることになる.ほとんどの読者は雑誌まではフォローしてないと思うので、ちょっと申し訳ない話だが、それは篠田の都合ではなく出版社の要請です.

 先日読者から面白い情報をもらった.栗山深春が山梨県の葡萄農家の息子だというので、それが勝沼町だと、出ている高校が公立の場合特定できるのだそうだ.その読者さんがそちらの高校の卒業生で、しかもその高校、昔の旧制高校みたいなバンカラな校風があり、学ランを着た応援部なんてものがあったそうだ.深春には非常に似合うではないか.というわけで個人的に大受け.

2002.09.08

 やっと龍の3続きを書き出す.しかし聖徳太子だよ.ハドリアヌスには日本人のほとんどがあまりイメージを持っていないと思うけど、聖徳太子はけっこうあるだろう.あった方が書きにくいことは確か.他にも山岸涼子の『日出る処の天子』なんてのもありましたしね、まさかああいうとんでもない太子は書けないと思うと、わりと普通の人物になってしまう.
 しかし気になるのは言葉遣い.「日本書紀」を読むと、少なくともかなり古い時代の日本語はわかるんだけど、それ書いても読者にはぴんと来ないわけ.そんな難しいことは考えなくとも、たとえば一人称や二人称をどうするか.「あなた」の意味で「汝」と書いてルビに「いまし」なんてのが、けっこう古そうでいいなとか思うのだが、毎度毎度ルビを振るわけにもいかないし、かといってルビを抜いたらみんな「なんじ」と読んでしまうでしょう.

 講談社ノベルス『迷宮学事件』秋月涼介、良くも悪くもわりと普通.キャラは森博嗣さんのVシリーズみたいで、感じはよい.しかしこういう設定は、架空の新興宗教といっしょで、ミステリのために好きに設定できるわけだから、ご都合主義感がどうしても強くなる.どんな小説だってみんなご都合主義ではあるんだから、そのへんを感じさせないのは技術力だ.それと蘊蓄というのは、読者がそれを知らない場合にのみ効果を発揮する.いまさら「イニシエーション」の説明をもったいらしくされても、としらける人間には逆効果なんだね.これ、自戒です.

2002.09.07

 やはり今日は沈没.それでも郵便を出しに行って、聖徳太子の資料をまた少し買ってくる.今月中にかたをつけたい.しかし井沢元彦の「逆説の日本史」はひどかった.聖徳太子編のくせに、おくりなに「徳」の字が入るのは怨霊化を懸念された死者だというので、天皇で「徳」の字がついた人について延々と脱線して終わってしまう.昔梅原猛の『隠された十字架』を読んだときは、すごく衝撃だったんだけどね.
 『灰色の砦』文庫版出来.書店に並ぶのは月半ば.鷹城宏さんの解説が、モチーフにした建築からの分析になっていて、けっこうおもしろいものです.原書房『本格ミステリ・クロニクル300』篠田のエッセイと、ブックガイドもあり.

2002.09.06

 朝から雨.午後池袋で「猫の恩返し」を見る.良くも悪くも他愛ない、かわいらしいお話.どこにも深刻な苦悩や悪はなく、ヒロインは淡く悩んで、偶然と勘違いからトラブルに巻き込まれ、やすやすと助けられる.ただ、ヒーローのバロンはかっこよかった.
 サイン会の時間になっても雨は土砂降り.これはもう、知り合いの編集者しか来ないだろうと覚悟を決めていたが、うれしい誤算.一時間をわずかにはみ出すくらい、人が並んでくれた.まして建築探偵ではない、わりと重たい幻想小説である.とはいっても、篠田の書くものだから暗いまんまでもない.篠田作品のエッセンスが詰まった、お得な一冊と宣伝しておこう.
 編集者に連れられて、昔から知っている古本屋の上にあるバーへ.乱歩の「うつしよはゆめ」の色紙を眺めながらカクテルを.

2002.09.05

 どうやら午前中で同人本作りを一段落.表紙は友人に頼むつもりなので、あとは「あとがき」と「奥付」それにノンブル・シールを貼るだけ.といいながら見直したら、打ち間違いなどが見つかったりして.「小説講座・視点の問題」はけっこう小説を書きたい人以外にも面白いんじゃないかな.

 夕方からやっと小説ノンに手を付ける.ムハンマドの話にしようとしたら、世界史年表を東にたどって、聖徳太子の話になってしまった.でも、気がついたら地図がない.斑鳩と二上山が、どれくらい離れているかわからない.というわけで、明日は地図を買うのもしなくちゃ.でも、今回は嬉しいことにしょっぱなから龍が出ている.そして若返った龍はワイルドである.殺気むんむんである.おかげで話が進みやすい.不老不死とはいえ、彼もかなり年取っていたんですな.子供の時ハガードの『洞窟の女王』を読んで、死ねない存在の精神的疲労に驚いた記憶があります.

 明日は夕方六時から三省堂神田本店でサイン会.雨だそうなので、人出はあまり期待できない.だれもいない机に座って、後ろで本屋さんの呼び込みを聞くのか.ううう、みじめだなあ.でも昔、やっぱりサイン会だったんだろう、宇野千代さんがひとりで座ってらしたの見たものなあ.篠田ごときが文句いっちゃあかん.というわけで、明日の日記更新はお休みします.

2002.09.04

 すみませんすみません.といったって誰が赦してくれるわけじゃなし、第一赦してもらったからってどうなるもんでもない.とうとう今日も同人本作りに明け暮れてしまった.小説講座は二度書き直して、台割を作ったらコラムが7本要ることになってそれも書いて、おまけにページ数を八の倍数にするためにもう一本書き下ろしを書かなけりゃならなくなって、もうどうしましょっだ.
 もうこうなったらあきらめて、作業が一段落するまではこっちをやろう.って、小説ノンの担当者、これ読んでるのかなあーー.お願い、怒らないでっ.

2002.09.03

 仕事しなくちゃならんというのに、篠田はまだ冬コミに出す本にかまけているんである.朝小説ノンの第一回ゲラを返送して、戻ってからは書き下ろしの短編を仕上げて、エッセイを直して、書誌データを入れて、結局まえがきと目次まで作った.小説講座も書いて、小説の扉を必ず左ページにしたいので、間に入れるコラムも作ることにする.ああ、もう、明日からは真面目に仕事に戻ります.ジブリの映画だってまだ見てない、歯医者にも行かないとならない.パーティはある、お芝居はある(『麦酒の家の冒険』見に行くのです)、あわわわわの大変です.

2002.09.02

 今日も依然として暑い.ようやく『根の国』の手入れが最後まで行った.これはこの状態でしばらく放置することにする.年末に出す本にはこれまで秋月杏子さんの同人本に寄稿させてもらった作品を改稿収録するので、一本書き下ろしを入れようと思っていた.それが頭に湧いてきてしまったので、とりあえず仕事は中断してそっちを放出する.本編では書けないあたりと、京介の秘密を先取りして、とはいっても決定的なことはなんにも書かない.これを読まないと本編を楽しむのに差し障りがある、なんてことになったら本末転倒だからね.

 昨日も書いた小説講座、視点の問題篇.自分でもおもしろくなってきたので、これも本に入れようかと思う.で、今日はその追補.
 「三人称多視点」で、なぜそこにいる人間の内面描写を並行してやって、結果的にマルチ視点にしてしまってはいけないのか.昨日はそれをするとリアルでない、といった.しかしそれだけではないことを思い出した.読者はひとりの視点人物に感情移入すると、もっぱらその人の立場で対する他の人物を見る.当然ながら彼らの内面を予測しながら読むわけだ.しかし他の人物のことは、類推するしかない.ああもどかしい.早く彼が本当はなにを考えているか知りたい.それは読者を引きつける牽引力となるであろう.つまりそれがプロの技である.
 もうひとつ、一人称と三人称一視点ではどう違うか.前者はもっぱら視点人物からの描写以外できないことになっているが、後者だとさりげなく外面からの描写をまぜることができるから、自由度が高いのだ.実例を挙げよう.
「ぼくは悲しかった.涙があふれてきた.それは真珠のようにきらきらひかりながら頬を伝い落ちた.」こういうのはどうだろう.自分の涙を「真珠のように」と描写したら、その人物はずいぶんとナルシスティックなやつやなあ、と思わないだろうか.
 しかしこれを「彼は悲しかった.」にしてみる.すると「悲しかった」は明らかに視点人物の内面描写であるのに、さりげなく「真珠のように」は外面描写に見せられて、彼の内面と同時に外から見た印象も読者に伝えることができるのだ.
 これは小説を書く上のテクニックだけど、熱心な読者は一度「視点人物」と「内面・外面描写」に注目して作品を読んでみるといい.建築探偵は当初はほとんど蒼を視点人物とした「三人称一視点」で、そこに「完全客観三人称」ってこれは篠田の造語だけど、が章を変えて混じっている.主人公達が立ち会えないような場所で事件が起こったとき、人称を統一するためには伝聞にしたりしないとならないのだが、それだとどうしてもまわりくどくて印象が弱まるからね.深春、神代氏などの一視点もあり、第二部に入ってくると京介の視点が入ってくるのはご存じの通り.しかし『月蝕の窓』は京介の内面にどっぷり入り込んだ一視点で、さすがに疲労困憊いたしました.だれもいってくれないけどさ、ハードボイルドじゃないミステリで、探偵役の一視点って難しいんだよ.まあ、途中から深春視点も入れてるけど.短編では「一人称」も使っている.

2002.09.01

 まったく暑いっちゃない.今頃になって夏ばてしそうである.仕事の方は依然変わり映えしないので、8/30に書いた小説作法の話から、「視点の混乱」のことに的を絞って少し書いてみることにする.なぜかというと、最近の読者は、そして趣味で小説を書いている人も、そのへんにあまり頓着しないようになっている気がするからだ.
 小説の視点には「一人称」「二人称」「三人称」とある.基本的には同一の作品なら、同一の視点を使う.「私は」で語りだした話は最後まで「私は」で書ききる、という意味だ.「二人称」は特殊なので説明を省く.もっとも昨今は一人称と三人称が併用される小説はめずらしくもない.サイコ・ホラーで、捜査側を三人称、犯人の独白を一人称で交互に使う、というようなパターンだ.
 ところで「三人称」というのは一種類じゃない.「三人称一視点」「三人称多視点」「完全客観三人称」ざっと上げてこれくらいはある.「一視点」というのは、「彼は」で語るにしてもずっと語りは「彼」によりそい、「彼」の内面描写もする.「彼は悲しかった」というたぐいの.これに対して「完全客観三人称」は内面描写をしない.「彼は走った」「彼の目からは涙があふれていた」とは書いても、「悲しかった」とは書かないのがこれ.問題は「多視点」のケースである.
 この場合、場面場面で視点人物が変わる.視点人物になった人間は内面描写もありである.すると最初の場面では、ひどく悪くて冷酷な人物とそこの視点人物の目に映っていた人間が、今度彼が視点人物になったときは、単に外面が悪い気弱な人間だった、ということがわかったりする.世界の広い、ダイナミックな物語にはこれが向く.本格ミステリには向かない.なぜかって、読者が注意深く読めば、内面描写の出てこない人物こそ犯人だ、と思われてしまうから.それを逆手に取ったミステリも無論あって、泡阪妻夫の名作『花嫁の叫び』なんか.ねたばらしになるので詳しいことは書けない.
 さて、篠田が何度もいっている「視点の混乱」とは、「無自覚に書かれた三人称多視点」であります.無自覚に、というところにご注目いただきたい.通常の「多視点」は、視点人物が取り変わるにしても、せめてひとつの節は同じ人物で、という原則がある.なんでそんな原則があるかというと、ひとつにはわかりにくいからだ.特に日本語の場合、必ずしも主語はなくていいんだし、内面描写が誰のものかわからなくなる可能性がある.しかしこれはどっちかというと、消極的な理由だね.もっと積極的な理由がある.
 通常小説を読むとき、あなたは誰かひとりに感情移入して読まないだろうか.その人と同化したとき、その人の心情は当然ながらわかる.しかしその人と向かい合った誰かの気持ちは、絶対わかりゃしないのだ.人は人の心をわからない.それが我々の生きている世界だ.だからひとりの視点人物に感情移入しているときは、相手の気持ちは推測するしかないのがリアルなんだ.それで場面が変わって、その相手の心情が描写されれば「あ、なるほど、そうだったのか」とそこでひとつ腑に落ちるわけだね.
 ところがこれがひとつの場面で、わずか数行の間に会話するふたりの心理描写が並列されていたとする.我々はひとりに感情移入するのじゃなく、いわば「神の視点」に立たざるを得ない.これは、どっちかというと小説を読む楽しみをそぐのじゃなかろうか.もちろん「神の視点」の楽しみはそれであるんだけど、それならもう一度読み返せばいいんだからね.
 というわけで、篠田は「視点の混乱」には反対します.無論それを意識的な手法として用いる、というのはありだと思う.だから「無自覚」に異議を唱えるわけ.それはね、この人の気持ちも書きたいし、こっちの人の気持ちも書きたい、というのはわからないじゃない.でも、それは純然と書くことの快楽だけを優先させたにすぎず、「おもしろい小説」を書くにはいい手法ではないのだ.
 あー、あたしゃなんでこんなことを熱弁してるんだろ.小説教室の講師でもないのに.