←2001

2001.11.30

 11月も今日で終わり.いよいよ師走だ.建築探偵新作の骨格は、ようやく頭の中で立ち上がりつつあるが、そのことをここで詳しく書くわけにはいかない.ただ、日記を書かなくてはと思うと、一日怠けて過ごせない気持ちになる.日記しか見るところのないサイトに、アクセスしてくださる方たちには心からお礼を言いたい.
 今日は『アジアの水辺空間 くらし・集落・住居・文化』鹿島出版会を読んだ.東南アジア建築についての資料は無きに等しい.この本も建築それ自体よりは、そこに現れた文化について書かれた本なので、具体的に使えるわけではないのだが、いまは東京ともあまり遠くない大都会となったバンコクが、かつては運河によって結ばれた水上都市だったということを改めて教えられる.もっとも江戸だって、水運によって結ばれた都市ではあったんだが.

2001.11.29

 サントリーの前社長佐治敬三の自伝を読む.なにか参考になるかと思ったが、自慢話のようなもので参考にはならず.若き日の開高健のエピソードなどがいくらか興味深かった.
 午後角川ビーンズ文庫の担当と飯能で会う.かつて中公Cノベルスで出した『根の国の物語』を再刊の上、書き下ろしで続けるという話.あの舞台設定には未練があったのだが、いかんせんスケジュールがきつい.直しだけなら一冊一週間として、十月が一周年だからそこで出したいという.七月末にはスニーカーのアンソロジーにホラーを書くそれが七月末で、おまけに小説ノンの新連載を始めればここにかぶる.だけど祥伝社は、『幻想建築術』が七月刊になりそうだから、次は一月遅らすってわけには。ねえ、どうでしょう。これを読んでいるはずの担当Y様?
 『根の国』四冊が終わったところで、書き下ろしの予定なわけだが、売れなければそれもどうなるかわからないと、率直な編集さんのことば.ははは、そうですねー.率直なのは嬉しいけど、どうかそんなことがないように.仕事はきつくなるけど、仕事がなくなるよりはいいと考えなくちゃ.

2001.11.28

 昨日国会図書館でコピーしてきた資料と、三省堂で買ってきた本を読む.『赤紙』創元社、は、どこまで仕事に関わるかはわからないが、読んで良かった本だった.建築探偵の裏ストーリーを考えているうちに、その男が徴兵されたか、というようなことが気になってきて、ネットで検索して出会った本なのだが、なにしろ話が具体的であると同時に全体的な視野を持っているのが良い.
 戦争をやるのに必要なのは兵隊だけではない.武器も軍服も食料も要る.兵隊ひとりに銃後の労働者はふたり、というのが基本計算だそうだ.そうすると当然人口から考えて、総動員態勢にしても何人徴兵できるかは前もってわかる.350万人が限度、というのがひそかな計算だったというが、敗戦時点で徴兵令状は700万人に発せられていた.当然ながら末期には、徴兵しても着せる軍服がない、持たせる武器がない、だったのだ.そんな部隊を前線に送っても勝てるはずがない.
 篠田は小林よしのりの『戦争論』を読んで、「国のために戦った祖父さんたちを犯罪者呼ばわりするのが戦後教育だ、それが正しいはずはない」、などといわれて同意してしまったのだが、戦争で死んでいった人を悼むのと、戦争を肯定するのはまったく意味が違う.太平洋戦争の是非を、自分が決められる能力があるとは思わない.しかし昭和18年以降はもはや日本に勝ち目がなかったということは、数字からしても明確なのに、戦地に行かされて死んでいった人のことを考えたら、そういう戦争を押し進めた当時の軍部、政治家に対する怒りがこみ上げてきた.

2001.11.27

 国会議事堂の隣にある国立国会図書館のことを、一度も行ったこと無い人に説明するのはかなりの字数がいる.図書は基本的に閉架だからカードを出して30分は待たなくてはならない.昔は入館者番号をいちいちマイクで読み上げたから、読む方も大変だったろうが、待つ方も聞き逃してはいけないと神経を使ったものだ.いまは電光掲示板に番号が出るから、その点はだいぶまし.
 しかし出てきた本は貸し出しはされないから、その場で読むかメモを取るかコピーするかしかない.ところがそのコピーというのが、即日できるのは一度に80ページを5回だけ.しかも著作権の関係で本の半分以下しかできないということになっている.絶版の本でもそれなのだから、必要なら二日に分けてすることになり、有名無実建前と格好だけの規定だ.
 おまけにそのコピー代というのが、驚くなかれ一枚30円プラス消費税なのだから、いい気になってコピーしているととんでもない金額になる.手に入る本なら買った方が安い.手に入らないものだから、泣く泣くその値段でもするわけだが.
 というわけで今日は一日朝から、図書と雑誌の貸し出しカウンターと、それぞれ別の複写受付の間を行ったり来たりでくたびれた.しかし日本人は明治時代からタイへ養蚕指導に行っていたということが判明.おいらの嗅覚も捨てたものじゃないや.

2001.11.26

 篠田が建築探偵を書くときは、まずストーリイのバックグラウンドを考える.現在にいたる過去をまず作って、それから現在時点のプロットを立てていく.というわけでいまは、ジム・トンプソンとタイ・シルクと日本人を結びつけるため四苦八苦.日本とタイの交流の歴史はどうなっているんだ、とか、太平洋戦争で『戦場にかける橋』はタイの話だけれど、そうやって戦争に行った日本人がシルクに触れるチャンスはあったろうか、とか、そもそも徴兵というのは何歳から何歳だ、とか、考え出すと気になることだらけで、ネットで調べるのも限度がある.というわけで明日は国会図書館へ行って来ます.

2001.11.25

 浦和に住んでいたときは数年乗馬をやっていて、同時に競馬もG1レースくらいは買っていた.それが引っ越してそれまでの乗馬クラブから遠くなると同時に止めてしまい、競馬の方もだんだんと疎遠になって、いまでは年に一度ジャパンカップを見に府中の東京競馬場まで行くだけだ.
 幸いの上天気に、草の上に座って生ビールを飲みつつサンドイッチを食らう.人波の間からパドックの馬を眺め、人波の間から目の前を駆け抜ける馬を眺める.珍しいことに馬券が当たった.
 この前に買ったのは四年前のピルサドスキーで、これが忘れられないのは馬券を買ってからパドックに行ったら、「ひえー失敗」という状態だったのに勝ったから.なに、馬の出来の善し悪しなんて素人にはわかるものじゃない.そのときのピルサドスキーは馬っけを出していた.つまり巨大なモノをおったてて、下腹にぶつけていたんである.普通こういう馬は走らない、ということになってるんだけど.
 本日はなにせ馬に思い入れがないから、硬そうなところを三点馬連で買ったら、そのひとつが当たったというだけでした.なまじ思い入れなんかあると、当たらないものなのでありましょう.ああ、今日は仕事に関係のない日記だった.

2001.11.24

 まことに当然のことながら、仕事にしてしまえば楽しいとはいえなくなる.またしても小説を書くことに関するぐちなので、軽く読み流してください.つまり次作のプロットがうまくころがってくれないんだよん.ほんとは篠田はプロットなんか立てないで、頭の場面ができただけで書き出してしまいたい方なんだけど、さすがにミステリでぜーんぶそれをやる度胸はない.もう少しは決めておかないとね.取材も行くんだし.なんか毎日同じようなことを書いてるなあ.
 小説ノンの12月号を読んだ連れ合いが「おかしいところがある」という.そんな馬鹿なと思って読み直したら、ほんとにおかしかった.ああ、原稿送る前ならさりげなく直せたのに.まあ、まだゲラで間に合うけど、忘れないようにしなくちゃ.
 ミステリマガジン1月号のクリスティ特集にエッセイ.子供の頃から知っている雑誌に、自分の名前が載る不思議さよ.

2001.11.23

 小説家というのは走り続ける自転車だと思う.止まったら倒れる自転車同様、書かない小説家は小説家ではない.
 本日、ノンノベルのあとがきを書き終えて宅急便で送る.二月頭発売のあすかミステリーデラックスに掲載されるまんが「捻れた塔の冒険」のネームをチェック.今年中にあげなくてはならない仕事は、保留付きで、というのは話せば長くなるので今日はパス、ほぼ終わっている.来月の取材のために次回建築探偵のプロットを立てようと思ったものの、頭が落ち着かず、来年の予定を手帳に組んでみたら、すでに一年ほぼ隙間なく埋まっていることが判明.少なくとも自転車は取り上げられずに済んではいるが、漕ぐのは自分の脚しかない.倒れれば私はもはやなんでもなくなってしまう.ああ怖い.

2001.11.22

 『東日流』をプリントアウト.最近プリンターの紙送りが摩滅したらしくて、一度に150枚もプリントすると、紙が詰まったりしてまいる.続けてあとがきを書こうとするが、いまいちぱっとしないので今日の所は中止.
 講談社の担当が来て『アベラシオン』のゲラを渡す.来月11日から16日まで、次回建築探偵の取材に行くことになった.出かけるまでにプロットをある程度組んでおきたいが、まだタイトルも決定しない.「なんとかのなに」というタイトルの縛りもけっこうきついものがある.


2001.11.21

 私はひとつの仕事にかかっていると、それ以外のことに手を伸ばすのはめっぽう億劫になってしまう方だ.つまり頭の切り替えがへたで小回りが利かない.何本もの月刊連載をかかえて、なんてことは絶対に無理だ.って、そんな依頼来ないけどさ.
 まあともかくやっと『東日流』の書き直しが終わりかけてきたことと、明日は講談社の担当が取りに来るので、『アベラシオン』のゲラを見る.毎度のことながら、書いているときは五里霧中だが、読み直すとけっこういいような気もする.もっとも、キャラたちが事件の推理を話し合うような場面を書いていると、あとで読み直して「あれっ」といいたくなることもある.だいじょうぶかなー.
 『東日流』も終わりかけ.クライマックスはけっこう大変だった.

2001.11.20

 しばらくやっていなかったが、さいきんまたバタバタと、仕事の合間に菓子を作っている.大して凝り性ではないので、デコレーションするようなものには手をつけず、本日はオートミール・クッキーを作った.胡桃とチョコチップが入っていて、見てくれはぱっとしないが意外と美味.しかしできあがったやつを、パソコンに向かいながらついつまんでしまうので、体重が心配である.
 仕事の方は『東日流』の直し続行.まったくあちこちで時間の食い違いとかあり、雑誌掲載の時に編集さんにもチェックしてもらっているのだが、いまさらのように冷や汗もの.しかし、泡食って書いた分頭からは消えているので、「そうか、こんな話だったか」「へへえ、けっこうおもしろいじゃん」などと自分で思っている馬鹿作者なり.

2001.11.19

 午前二時半から10分ほど、自宅のベランダで流星を見る。もっと広いところへ行こうかと思っていたが、いざとなったらものぐさで、寝間着の上にコートを着て、それでもかなり見られました.
 本日はひたすら『東日流』の直し.かなりどどどどどっと書いてしまった原稿なので、そこら中に矛盾やミスや不出来な箇所が残っている.でも、建築探偵なんかとは違った意味で爆走した作品.篠田はいろんなジャンルに手を出しているが、結局一番資質にあっているのは伝奇物らしい.

2001.11.18

 最近やたらと眠い.夜は11時前に眠くなり、朝は今朝など八時過ぎまで寝てしまった.さすがにこれだけ寝ると、昼間は眠くならないけど.
 今日は雑用の片づけ.郵便物を出して、来年二月に出るコミックのあとがきとか、アンケートの回答とかを書き、今年の残り仕事をメモして、先に渡さなくてはならないのは『アベラシオン』のゲラだが、時間がかかるのは当然『東日流』の方.フロッピーが見つからなくて30分くらい探し回り、冷や汗を掻いたが無事発見.というわけで本日から手を付けた.

 東京創元社のホームページに、知人のかふさんが本年鮎川賞パーティの報告をマンガで描いています.篠田もちらっと登場.パーティの楽しい雰囲気が伝わってきますので、ぜひご覧下さい.

2001.11.17

 夕方までかかって『ルチフェロ』の直しを一応終える.前に書いた原稿を見直して直すというのは、あまり嬉しい仕事ではない.特にその内容がまったく頭から離れてしまっているときは.それはそれとして手を付けないというのもひとつの見識かと思うが、篠田はどうしても未練がましくいじりまわしては、果たして直したことで良くなったかどうかわからない、という始末だ.
 夕方メールをチェックすると、西澤保彦さんから誕生日おめでとうのメールが届いていた.誕生日自体それほど嬉しくはないけれど、こうして友達からメールをもらえるとやはり嬉しい.
 さて、これで明日から『アベラシオン』のゲラと『東日流』の直しに取りかかれる.特に後者は来年のサイン会のこともあるので、顔を合わせる読者の人たちに恥ずかしくないよう、いい本にしたいと思う.

2001.11.16

 午前中は耳鼻科とジム.運動機械に年齢を入れるとき、ひとつ年取ったことを再確認.
 午後からは仕事.メールを開いたら学研の編集からメール.やはり伝奇文庫は40かける17が正しい由.こちらがいわれたことを忘れていたのだから、仕方がないといわれればその通りだが、すでに39字で190ページまで進めてきたのでやはりがっくりする.結局この午後は『ルチフェロ』の再直し.
 そうでなくとも、切り裂きジャックをやると差別語のことにどうしても触れることになってしまうというのが気が重い.当時の現場付近は、いわゆる食肉処理場があって、処理される牛や豚の悲鳴がしょっちゅう響いて、生臭いは血は垂れてるは刃物持って手に血を付けた人は歩いているは、という状況だったのだが、それを指し示す日本語が差別語だということでワープロにも出てこない.トサツバ、トサツニン、が.ホフる、も出ないぞ.
 しかし近頃の切り裂きジャック本では、これがそのまま使われているので、原書房や河出書房はいいのだろうか、などと頭が悩むのである.食肉処理業に携わる人間を差別する気持ちなど、ごうもないが、イーストエンドの殺伐とした空気を描写するときに、食肉処理場というのは、言語感覚としてどうも気持ち悪い.

2001.11.15

 11月15日といえば昔は七五三いまはボジョレー・ヌーボーの解禁日だが、実は昔も今も篠田真由美の誕生日である.なんと48歳になってしまった.生きていれば歳は取るものだが、まことに恐ろしい.かつてはよもや自分がそのような歳まで生き延びようとは思いもしなかった.しかしいまとなっては染み白髪四十肩にも耐えて、もうしばらく生き恥をさらそうと思っている.それくらいなら死んでしまいたいと思う若い人もいるかも知れないが、どうか自殺だけは止めてもらいたい.あれは生きている人間に対して失礼である.生き残る者の身にもなりなさい.

 午前中は河原でサンマを焼いて誕生パーティ.午後は仕事.やりかけの『ルチフェロ』をもう少し続けたくなってやっていたら、とうとうメフィストのゲラも来てしまった.しかし、おととい祥伝社にも「11月中に戻します」なんていっちゃったんだよねー.それを全部片づけて、建築探偵次回作の目処も立てて取材に行けるのか.おまけに担当の健康具合も気にかかる.篠田は肩こり以外元気だけど.というわけで2001年も終わりが見えてきたのに、事態は混沌としているのだった.あ、官能物は来年に持ち越しね.

2001.11.14

 本日は季刊幻想文学62号・特集魔都物語が出来上がったので、発送の手伝いにアトリエOCTAまで行って発送のお手伝い.そこがどんなオフィスかというと、皆様のご想像におまかせいたします.うーん、でもきっと誰も当たらない.
 それはさておき、ここでは篠田が「理想の都市をめぐる断章」というエッセイを寄稿しております.発行人は誤植をやってしまったので気に病んでおりましたが、篠田も早速それ以外の誤植発見.なんと自分の著者紹介の記述に.
 誤植というのは自分の本にあると嫌なものですが、人の作った本だと笑い話だったりします.今回の誤植も思わず爆笑.「こーゆーの書こうか、マジで」.いえ、著書のタイトルふたつが合体してしまった、というだけなんですが、妙にはまっていまして.気になる人は本屋さんで探してみてね.

2001.11.13

 朝から『ルチフェロ』の直しを続ける.自分で書いておいていうのもなんだが、これは実におかしな小説.切り裂きジャックの話なわけで、リッパロロジストの仁賀克雄先生にもお誉めをいただいたりしているのだが、読み返してみても何で自分がこんなふうに書いたのかよくわからないところも多い.
 そういうものをいまになって手を入れることが正しいか否か、むしろそのままにしておくべきではないかという考え方もあるとは思う.しかし四六判の本が消滅したわけじゃなし、文庫だからといって後からの版が永劫残るとも思われないし、こちらはこちらで新しいバージョンです、ということにさせてもらう.
 祥伝社から『東日流』のフロッピーが届く.となればやっぱり、こちらを優先しないわけにはいくまい.悪いけど催促されないところは、まだいいんだなと思ってしまいます.

2001.11.12

 さすがに疲労残りで寝坊.仕事の方もだらだら.とりあえず官能物は中断して、『ルチフェロ』の直しをやっている.しかし明後日あたりには『東日流』のフロッピーが来るそうなので、こちらを先行しなくてはならない.先日日記に書いた来年二月の菊池秀行先生とのトークショウとジョイントサイン会の件だが、2/9か10あたりに、いつものノンノベルの発売日を繰り上げて行う線が濃厚になってきた.ということは当然、締め切りも早まるわけっすよねー.

 読者からの手紙に質問事項があり、日記を読んでくれている人なのでここで回答させてもらいます.
 『月蝕の窓』に登場した輪王寺綾乃の血縁の雪乃とは、ホワイトハートで刊行した『この貧しき地上に』に登場した雪乃と同一人物です.霊感を持つ女性達と彼女らを道具にする男達の伝奇小説輪王寺家の物語というのも、ありだよなー、なんて思っております.綾乃が本編に再登場するかどうかは未定です.書きたい気持ちがなくもありません.
 現在書きかけの官能物『レディM』は、お察しの通り『この貧しき地上に』に登場したレディ・マーガレットとバロンのラブ・ストーリィです。もっともかなりエロティックな物語なので、広くはお勧めしません.
 というわけで、読んでもらえたかな。純子さん。

2001.11.11

 帰りに伊東で東海館という、古い旅館だったのがこれまた市に買い上げられて公開されている建物を見る.木造三階建ての上に望楼が乗っかっている.
 帰りは東名で事故渋滞に遭遇.帰宅が夜八時を回ってしまった.

2001.11.10

 熱海起雲閣に.大正時代に内田某氏が別荘として建て始め、東武鉄道の創業者根津嘉一郎によって建て次がれ、その後旅館となって経営されていたが最近廃業、熱海市が買い上げて公開されるようになった.ミステリ・ファンには、島田荘司『龍臥亭事件』の旅館をちょっと連想させられますよ、といっておこう.次々と建てられた建築が敷地をぐるっと取り囲んで、中央に庭があるかたち.
 夜は下田泊.

2001.11.09

 活字倶楽部に書く「今年と来年」のアンケート。今年印象に残ったことといわれれば、きっとみんなあれをあげるんだろうなあ。あげるよね、どうしたって.
 官能物の続き.あまり進まず.でも150枚くらいで終わらせるなら、まあ三分の一ってとこ.あんまりねちねち書かない予定だから.
 三時からジム.午後に学研から改めてフロッピーが来たので、戻って開いてみる.しかし字組が40かける17になっている.39字になったんじゃなかったっけ.手元にある学研の文庫は39なので、間違いだろうと39に直して始める.しかしやはりこれを書いていたとき頭に入れていた資料とか、ほとんど消えているので、読み直さないと無理である.そんなことをしているうちに、メフィストのゲラが来たりノンノベル用のデータが来たりして、また手をつけられなくなるのかなあ.せめて年内にはどうにかしたいけど、取材もあるし、その前には頭を建築探偵にしておかないとまずいし。あーあ。

 明日は朝日カルチャーセンター主催で、写真家増田彰久先生と熱海の建築を見に行くツアー.夜は泊まって遊んでくるので日記の更新は日曜になります.

2001.11.08

 今日は仕事場から一歩も出ずに仕事していたので、書くべき話題がない。官能物、あまり長くはなりそうもないので、祥伝社の400円文庫にならった36字かける15行にしてみた.

2001.11.07

 朝は目黒雅叙園.普段は見られない保存建物が生け花展に使われるので、見られるということで出かけていく.アニメ『千と千尋の神隠し』の油屋のインテリアのモデルになったというので、子供が多いかと思ったがさすがにそんなことはなく、カルチャーおばさんの団体が何グループも来て、あまり広くない日本建築は芋洗い.しかしまあ、どういうものかということはわかった.漆に金蒔絵に螺鈿に多色彫刻、ひたすら装飾過剰.トイレまでドアが螺鈿であった.
 まだ時間が早いまで、午後は文京区の鳩山会館へ.大正期の邸宅は明るくてこじんまりしてなかなか良い.これが明治だと、ひたすら厳めしくてえらそうで居住性には乏しい.ディクスン・カーの殺人劇の舞台になりそう.例を挙げれば駒場東大前の旧前田侯爵邸.その点大正は、いわばアガサ・クリスティでしょうか.

 『そして二人だけになった』どんでん返しのあげくの真相より、一歩手前の解決の方が良かったんじゃないかと思った.
 『アイ・アム』菅浩江 祥伝社400円文庫これまで読んだ中でベスト.

2001.11.06

 午前中は美容院.午後から、迷ったあげく講談社文庫書き下ろしの官能物を書き出す.二年くらい前からの約束で、『この貧しき地上に』講談社ホワイトハートのサイド・ストーリー.タイトルは一応『レディMの物語』.
 しばし書いて、こっちも気になるので学研『ルチフェロ』の直しも並行して進めようかと、もらったフロッピーを開くが読めず.一太郎文書にしてくれたのだが、バージョンが違って読めないらしい.篠田はなにせ五年前の一太郎7を使っている.ネットとメールに使っている新しい方のパソコンならたぶん読めるが、仕事用のハードはネットを繋がないことにしているので、担当にメールしてこちらは一応お預け.やはり書きかけた小説を先に終わらせよう.
 しかしそのうちにノンノベルの直しや、メフィストのゲラが来るな.というわけで、11月もあっという間に過ぎそうだ.

 明日は目黒雅叙園の保存建物を見に行くので、たぶん仕事はお休み.せめて今月は少し余裕をもって働こう.

2001.11.05

 『アクアリウムの夜』の解説を書く.予定通り解説ではなく、エッセイぽく思わせておいて、ホラー短編風に持っていく.10時半講談社ノベルス担当氏来訪.『アベラシオン』はルビがめったやたらと多いので、テキストファイルを送っても落ちてしまうルビを手渡す必要がある.時間があったときは書き出して別途に送ったりしていたのだが、今回は力つきてそれもできず.ついでに次回建築探偵のためのキャメロン・ハイランドとバンコク取材の打ち合わせ.
 彼が帰ったところで解説を仕上げてFAX.あんまり妙なしろものなので、一応読んでもらうことにした.1時半祥伝社の担当来訪.『東日流妖異変』の4回5回のゲラチェック.これもあわてて書いたので、文法的に変なところがたくさんあって冷や汗.ノベルス刊行は来年二月.それに合わせて菊池秀行先生とトークショウサイン会をやらないかというお話.考えただけでちょっとドキドキ.正式に決まったらここで予告します.
 角川スニーカー担当から電話.OKが出たのでやれやれ.早速再度チェックの上メール.本日の仕事はここまで.

2001.11.04

 昨日の日記に書いた『アクアリウムの夜』の解説の資料にしようと、友人石堂藍の作ったサイトから記事をプリントする.本当をいえば篠田にはこの作品を論ずる能力なんぞない.作者はおそらく篠田の100倍以上の知識と能力を持つ人だと思うので、解説もおぼつかないのだが、スニーカー文庫をさりげに手に取る坊ちゃん嬢ちゃんを掴み止めて本を買わせてやるにはどうすればいいか、それだけを考えることにしよう.
 昨日読みかけた本のネタは、次回建築探偵に入れるのは止めることにした.ちょっと材料が多すぎて、せっかくのジム・トンプソン・ミステリがお留守になるといけないので.その本は『リンドバーグの世紀の犯罪』、大西洋単独横断飛行で名を馳せた戦前アメリカの英雄の幼い息子が誘拐され、二ヶ月後に死体で発見、犯人は逮捕されて死刑にされたが最後まで無罪を主張したという有名な事件の、驚くべき真相本.いつか使うかも知れないので、真相の方は書きません.
 行方不明だった次作のメモ無事発見.使い終わった『月蝕の窓』のノートの中に書いてあった.脳細胞かなり死んでおります.

2001.11.03

 昨日は家に戻ると祥伝社の400円文庫全13冊が来ていて、とても全部は読めないのでざっとより分けさせてもらい、残した方から二冊斜め読みする.なんというか、それほど感銘は受けなかった.400円だから気軽に買ってもらえるかも知れないが、結局気軽に読み捨てられる、一昔前の新書という感じ.しかし篠田の最新刊も500円の中編文庫だ.読み捨てられるのは辛いなあ.
 今日は予告通り虚脱するつもりだったので、来月のミステリマガジン、クリスティ特集のエッセイゲラを直して戻した後はつんどく本から二冊読む.
『ハムレットは太っていた!』
 タイトルで期待したほどおもしろくはなかったが、シェイクスピア当時は肉付きの良い、どっちかっていうとでぶな男性がすてき、といわれたので、ハムレットもおそらくそういうタイプが演じたので、「青白き憂愁の貴公子」というイメージは違います、という話.そうはいわれても、ムキムキマンなハムレットは嫌だなあ.
『偏執の芳香』
 牧野修さんは文章力の確かさでは定評があって、いつも舌を巻くのだけど大好きとはいえない.好みの問題だけどこれもそうでした.

 三冊目を読み始めたら、これは次回の建築探偵の裏ネタに使ってやろうと思ったので書名は秘す.前に書きかけたプロットのメモが見つからず愕然.この前の行方不明本は翌日落ち着いて探したらちゃんと本棚にあったので、これも見つかると思いたい.

 家に戻ったら角川からスニーカー・ミステリ倶楽部が5冊.いつまで経っても読み終わらないよお.一月刊の『アクアリウムの夜』というファンタジーがスニーカーに入るので、解説を書くことになっている.これは疑いもなく傑作なので、皆様忘れずに買ってください.

2001.11.02

  朝は耳鼻科に行ってその後ジムに廻るが、疲労感が強くて運動する気になれない.別に肉体的に疲労しているはずはないのだが.
 仕事場に戻っても長椅子でうとうと.読んだ本のことを書いておこう.
 『美の魔力』
 ナチス政権下のドイツでオリンピックの映画「美の祭典」や党大会映画「意志の勝利」を取ったことで知られる女性監督レニ・リーフェンシュタールに関する詳細な論考.ナチスの美がいまなお人を魅了するのは、実は彼女が撮影した映画の映像の魔力だという指摘に目を開かれる.つまり彼女は、あまりにも美しい絵でファシズムを語り残したがゆえに、そしてそのことを悔いるポーズすらしないがために、非難され続けているわけだ.
 『皆川博子作品精華 ミステリー編』
 篠田は知らない古本屋を見るたびに飛び込んで皆川作品を探すくらいのファンであります.しかし古本屋を探さなくてはならないくらい、新参のファンでもあります.こういうかたちで入手できない刊本の作品と出会えるのはとても嬉しい.ただ、皆川作品が渡辺淳一のように売れまくることはないだろうな、と改めて思う.秘蔵の作者を自分だけのものにしておきたいというわけではなく、あまりにも皆川作品は毒が強い.これと比べたら赤江瀑もなるいというくらい.そして毒に惹かれる人間よりは、毒を恐れる人間の方が多くて当然だから.それはもう人間の、動物としての本能なので.
 ただ、だからといって毒を抹殺されるのは困る.毒を徹底して排除したのがナチスの思想だった.健康美こそ彼らの理想だった.これを押し進めると絶滅収容所に行き着くのだということを、我々はもう知っているのだから忘れてはいけない.

2001.11.01

 本日ようやっと『アベラシオン』第五回脱稿.400字で214枚はこれまでで最高の量である.出来の方は自分ではわからない.しかし「本になってから読みます」という人が多くて感想が聞けないのが悲しい.もっともこれは毎度毎度その回の分で全力投球というか、毎回長編を一本書いているに近いくらいくたびれるので、とても続けては書けないと思う.
 午前中に書き終えたが、案の定午後からは頭が脱臼ぎっくり腰状態で使い物にならない.月曜日までは虚脱することを自分に許そうと思う.