2014年の展望

2014年1月10日 岩内 悠造


 2013年12月23日の平成天皇の誕生日に、天皇は、80年の人生を振り返っての談話で「一番心に残ることは、先の戦争で将来ある多くの命が失われたことです」と語りました。これは、安倍総理の暴走にたいする、政治的発言を禁止された立場で、可能な限りでの表現で危惧の念を表したものと思われる。

 同月26日、安倍総理は靖国神社参拝を行ないました。その日はまた、毛沢東の誕生日で、中国では国父生誕の記念式典を行なっていた日です。意図的にその日を選んだとは絶対に言わないでしょうが、これはあきらかに中国に対する挑発と断じざるを得ません。中国を挑発し、中国国民の反日感情を高めさせることで、中国政府の対日での強硬な発言や対応を引き出し、それを利用して日本国内に国家主義的、民族主義的世論の高揚をもたらして改憲を一気に推し進めようという策略です。

 マスコミの世論調査では、九条改憲については反対が70%ぐらいあるとされ、安倍の目指す改憲は簡単には出来ないように見えるのですが、この度の安倍の靖国参拝については60%が支持していることになっています。つまりすでに世論の多くが安倍の策略にはまってしまっているということです。

 戦前の日本国民は、今日のように情報が自由に得られる情況にはありませんでした。そのうえ、検閲によって歪められた情報によって全体主義に組み込まれました。ところが今日では、日本国民は、あふれる情報によって物事の真実を知る材料は十分に与えられているにもかかわらず、その理解力に於いて天皇よりはるかに劣っていると言わざるを得ません。ここにきて日本の改憲問題は一気に現実味をおびてきました。

もし四月の消費増税で支持率が下がっても次の参院選までは国会での自民党の絶対有利は変わらない。増税により景気回復に急ブレーキがかかり、再び不況になっても、その責任は消費増税を決定した野田政権に転化できる。それゆえに、これから3年弱の間に一気に改憲を進めよう、というのが、おそらく安倍を抱える政策集団の目論見だと思われます。
何故改憲を急ぐのか。また、改憲の結果とはどんな状況が予想されるか。などまだまだ曖昧なことは沢山あります。それらが十分検討されないまま、挑発によって作り出された集団ヒステリーで改憲が進んでしまうと、改憲派が当初想定した事態を超えた情勢が作り出されてしまう可能性が非常に高くなってしまいます。
そこで、いくつかの側面から現在の情勢について検討を試みようと思います。

1 日本の政治と経済、つまり日本が何処へ向おうとしているのか

 日本産業、特に工業の開発力と技術革新力は今でも世界トップクラスである。しかし実際に生産された商品の競争力は非常に弱い。近代産業の主力製品、いわゆる耐久消費材部門においてなお商品競争力を日本が確保しているのは車だけである。国内では競争力が維持できないので海外生産に移行する。それは車でも進んでいる。そしてそうした生産の海外移転によって、開発力、技術革新力でも外国企業は日本に追いつき、分野によっては追い越している。これには国内企業が雇用を縮小し、その結果日本の技術者の外国企業による雇用が拡大していることが大きく作用している。

 国内における製造業の技術者と労働者の雇用減少によって雇用構造が変わり、サービス産業化している。このことが、賃金抑制、終身雇用廃止圧力、成果主義賃金、労働評価のグループ主義から個人主義への移行、が進んでいる。これが格差拡大を進行させている。

 何故生産の海外移転が進むのか。

 賃金格差。労働力の需給関係や生活レベルによる労働者の生活費の格差などがある。

 環境に対する企業の取り組み。国内生産のための環境対策費は生産コストに大きな比率を占める。PM2.5や水質汚染など、環境対策費をかけない企業製品との競争では、日本国内製品が価格競争で敗れるのは当然である。この価格差こそが日本企業が工場の海外移転を行なう理由であり、経営者達は本質的に環境対策をネグレクトする(日本での生産コストについては、賃金には、高価格な食料、社会保障費が、環境コストにはインフラの整備と維持管理費が、また直接の生産コストには、原料、エネルギーの輸入コストなどが含まれる。経営者達は日本の高い事業税を大きな理由としている)。

 日本企業は、より競争力を確保できる工業部門、あるいは日本が今まで手をつけていない部門への参入によって生き残りをはかろうとしている。武器輸出と軍拡は、その製品価格と裾野の広さにおいて、販路の狭さを差し引いても、日本工業活性化の目玉となりえる、というのが産業界の考えである。原発を製造する重工部門は、軍事産業企業の生産品の一品目でもある。

 この点で産業界と安倍自民党は考えが一致している。したがって安倍は、集団安保や特定秘密保護法など、九条関連の改憲へ向けての補完作業を急いでいる。

2 日韓、日中関係と日本外交の行方

 意図したかどうかはわからないが、尖閣国有化は日中間の最も大きな争点を領土問題にした。領土問題は、抑制した対応が行なわれないと最も軍事的衝突を生みやすい事案である。日本にとって、現行憲法の建前からそれに対応することは出来ない。ただし領土問題こそが日本の軍事力増強への世論形成にとって一番の追い風となる。だが領土問題の紛争を今以上高めることは、アメリカ頼みの日本の軍事態勢からも避けざるをえない。

 とすれば、靖国参拝によって対立を歴史認識問題で高め、日本の世論操作、危機感を高めて軍備増強に向わせる、最も都合のよい作戦といえる。中国は(韓国も)総理が靖国参拝をしたからといって軍事的プレゼンスを強化するわけにはいかない。口撃をエスカレートさせるだけである。したがって早急に日本が軍事増強をする必要もない。相手のもっとも嫌がる(本当に嫌がっているかどうかは別にして、中韓共にこれまでの経過から、最も嫌がっている事案である、という前提で行動せざるを得ない)ことをやっておいて、話し合いましょうと、ぬけぬけと呼びかける安倍の態度には、もし靖国などたいして問題にしていない者にとっても、嫌悪感を抱いてしまう。

 但しこの作戦は、全くの安倍の独りよがりでもある。日本の九条改憲そのものが戦後体制の変更と理解される可能性は低くなく、アメリカを巻き込んだ対日包囲網が生まれ、日本外交が暗礁に乗り上げる可能性がある。いずれにしても、米中の経済的相互依存は公然の事実であり、米中軍事衝突は、現在のアメリカにとって最も避けなければならないことであって、その関係を脅かす日本の外交は、日本が信じているアメリカ依存、すなわち中国と敵対するアメリカは日本の希望に沿って行動する、というわけには行かない。

 自民党は党是である「改憲」の絶好のチャンスを得て目がくらんでおり、改憲の最も大きな障害である日本の選挙民の政治意識さえ変えられれば突破できると考えている。

3 日米関係

 シリアにおける政府軍の反政府勢力に対する毒ガス兵器攻撃にたいし、オバマ政権は軍事介入を示唆した。これに対しロシアが反対し、イラクでは有志国連合に加わったイギリスも議会で拒否されて参加出来なかった。このことで、オバマ政権の指導力の低下、アメリカの国際社会での地位の低下が指摘され、近年の世界情勢の大きな要因とされている。
 9.11以後アメリカ社会は、ブッシュ政権の「テロとの戦争」論を受け入れ、軍事行動を繰り返してきた。ビンラディンを匿ったタリバーン政権とのアフガニスタン戦争は一応国連決議による介入であったが、ロシア、中国などの主要国の不参加も多かった。

 イラク戦争は、アメリカ政府内部にでも慎重論がおおく、アフガン戦争の司令官パウエルも反対したがブッシュ・アメリカは強行突破してイラク攻撃を行なった。背景にはイスラエルロビーの働きかけとアメリカ産軍複合体の後押しがあったからだろう。ただアメリカは、イラクが大量兵器を隠し持っていることを口実に、有志国連合攻撃を開始したが、実際には何も発見できなかった。このことはアメリカ世論の政府に対する不信感を一気に高めた。その一つの結果がシリアへの介入についての議会の拒否である。外交、特に軍事力の行使は、武装自体の強弱よりも、世論の合意形成こそが決定的であることが示された。アメリカの弱体化とは、アメリカ社会が、政府や経済界が軍事行動を起そうとしても、アメリカ社会が簡単には騙されなくなったということであろう。

 ちなみに日本は、アフガン攻撃には給油で加わり、イラクでは復興協力ということで地上部隊を派遣した。これは湾岸戦争で多額の戦費を提供しながら復興事業への日本企業の参加が認められなかったことから、財界が自衛隊の海外派遣の解禁を強く求めたからである(財界は世界中共通で、安定した取引が出来る場合には平和主義だが、それが脅かされると戦争を後押しする。日本財界は、展開先の平和を求めるが、新たな商機を獲得する為には、国家に準軍事行動を要求する)。

 アメリカの軍事行動には、常に国民世論誘導の謀略説がついてまわる。日本の真珠湾奇襲の成功ですら、アメリカは察知していながら、米国民の反日意識を高める為に奇襲を許した、という説が今も語られ続ける。
 ベトナム戦争での北爆開始の口実となったトンキン湾事件はジョンソンの陰謀とされている。ケネディ暗殺は、東西の雪解けを阻止する為に、軍事産業の意図を汲んだジョンソンの犯罪とさえ言われている。このジョンソンに関しては信憑性は高いようだ。

 9.11についてもアメリカ謀略説が語られるのはこうした歴史があるからである。事実9.11以後アメリカ政府はかなり大胆に軍事介入を続けた。日本ですら、アフガンでは給油を、イラクでは復興支援に自衛隊を派遣した。事実は陰謀論者のシナリオそって進行したが、これはシナリオがあったからそうなったのではなく、後付のシナリオに都合よく事態が進行したのであって、歴史に対する政治的解釈にはこのようなことはよく起きることである。

 シリアへの介入の見送りは、必ずしもアメリカの弱体化とは言い切れない。戦後の先進国合意事項である軍事力による国境線の変更禁止の枠組み内でのアメリカの作戦に世界が気がつき、リビアや今回のシリアのように、諸国の利害が対立する国連の査察を受け入れることで、イラクのフセインのようになることを避けられることを学んだからである(これまでは、アメリカは武力での世界支配を目指しており、アメリカの侵略に備えた軍備をしておかなければ植民地かされてしまう、という、古い帝国主義論で世界の国家指導者は外交を行なっていた)。

 アメリカの財政事情からも、軍事介入は簡単なことではない。冷戦体制のように、緊張が高まれば国民が納得して増税に応じ、兵士の募集や軍備拡張に対する米国民の圧倒的な賛同が得られるという情況がなくなり、戦争実行の一番の要素である国民の合意が難しく、最大の障害要因である民意の分裂が簡単に克服できる情況ではなくなっている。つまりアメリカの国際社会での影響力の低下とは、アメリカの工業製品の競争力低下とか、例えば北朝鮮の核開発のような、軍事力の格差縮小などは、要因の一部、しかも余り大きくない一部にすぎない。

 かつて帝国主義は、原料と市場を求めて、軍事力で領土を拡大した。しかし今やアメリカや日本は、工業製品輸出によって国民経済を豊にする体制には無い。資本輸出による利ざや稼ぎが生業となっている。兵器産業は戦争を求めるが、それはアメリカや日本が直接戦争をするということでなくても良い。一方金融資本は、単純に投資先の安定を求める。直接の関係国の安定、つまり日本や中国、韓国、ヨーロッパとその間の安定があれば、アメリカとの関わりの低い地域の紛争は大歓迎というのがアメリカの基本的立場である。そこからアメリカ外交の基本方針が打ち出されるために、日本が考える「日米ががっちり手を組んでおれば中国の進出には十分対応できる」などとは考えていない。日米双方の外交に関する認識の違いが、関係悪化には結びつかないが、日本はおそらくアメリカの対応に失望し続けるだろう。

 安倍自民党は、アメリカに強く言えばアメリカは対応を変えると考え、日米同盟を強化し、米軍との共同行動を行なえれば、低下したアメリカの地位回復になり、世界への日米の主導権は回復すると考えているから日本への依存度は高まると思い込んでいる。そして、場合によっては日本と手を組むことでアメリカの地位はさらに低下するかもしれないとアメリカが考えることにも留意しておく必要がある、ということに全く気づかないでいる。

4-1 改憲問題。九条

 九条改憲の目的は、日本共産党は「戦争できる国家」を目指すものだと指摘する。だが安倍自民党は戦争をするつもりは無い。財界と安倍自民党が共有するのは、武器輸出と紛争地帯への自衛隊派兵である。確かに中国の拡大主義に対して軍事的に対応できる準備をするという名目はある。だが、米中と同様、日中もまたたとえ小競り合いであったとしても軍事衝突が発生すれば、世界経済の循環は断ち切られる。日本の財界は絶対にそうなることを認めるわけにはいかない。安倍の暴走が進めば、財界は反安倍自民へ転進し、政界再編成ということになる。

 但し財界も安倍自民も、九条改憲自体が戦後世界レジームの再編になると世界が認識していることを全く理解していない。つまり世界は、日本には、強かった戦前への回帰思考が残っている部分が、情況によっては再び中心的政治勢力になる可能性がある、と看做している。むしろ、石原慎太郎や田母上あたりはそんことを認識し、目的としている。

4-2 改憲問題。天皇

 戦前の天皇制を絶対王政になぞらえる考えを持つ人は多いが間違いである。象徴天皇制の一形態である。憲法上は天皇は国権の最高機関であった。しかし実際にはそれは名目だけで、天皇が国家の政策を決定したことはただ一度、ポツダム宣言受諾を決定した時である。当時の日本政府は、全ての政策の名目上の指揮官を天皇とした。したがって国民は、憲法の規定を信じて、多くが戦争の最高責任者を天皇であると勘違いした。その結果戦後は天皇制廃止論や、天皇の権限縮小論があり、結果として現行の象徴天皇制が作られた。GHQもまた、戦前の天皇制について本当の所を理解していなかった。日本人は天皇を神と信じ込み、如何なる不合理な指図にも従うと思っていたのである。

 昭和天皇に戦争責任があることは否定できないが、それはむしろ憲法の権限を利用し、軍と内閣を押さえ込み、戦争回避をしなかったことである。つまり象徴天皇制の立場をわきまえ、抑制した行動をとったことによって、多くの将来ある命を救わなかった。そしてポツダム宣言受諾の決断は、その反省の上に立ったものと思われる。

 戦勝した連合軍が天皇を処刑しなかったのは、一説には日本人を従わせることの出来る唯一の存在が天皇だからそうしたといわれるが、結果論かもしれないが、天皇の戦争責任の度合いからすれば正当な判断といえる。ただ、天皇の権限を制限することで象徴天皇制を据え置いたことは、象徴天皇制の本質を理解していなかったからである。

 戦争犯罪について言えば、捕虜虐待や占領地市民への暴行略奪などで多くの下級兵士が処刑されている。彼らは命令に従っただけだが実行犯として刑に服した。そして彼らに命令を下した上官が逃げ延びた例もある。戦争に関する国際法教育が全く行なわれず、「鬼畜米英」と叩き込まれた下級兵士の犯罪の本当の責任が誰にあるのか。東京裁判だけが勝者による国際法を無視した判決だとして否定する見解も多いが、では果たして日本国内の裁判官によって国内法で裁かれたとしたら、当時の日本でどれだけ公平な裁判が可能だったか。最高責任者天皇を断罪しない日本の裁判では、A級戦犯が、直接の国際法違反ではないとして無罪となった可能性のほうが強い。そうなると、犠牲者である日本国民は正義を信じることはなくなるだろう。もっともアメリカはそうした批判を聞き流しただけではなく、国際法でも裁けるフセインの処罰を、イラク国内裁判に委ねた。

 象徴天皇制とは、形の上では国権の最高機関、最高責任者としながら責任を問わないことである。そして天皇の責任を問わないことで、本当の責任者達の多くが、その責任に対する処罰を緩和されている。つまり権力者の責任回避のための装置が象徴天皇制である。戦後はそれをもっと明確に、責任を問えない制度に改めたに過ぎない。

 天皇は戦後人間宣言をした。それを実体化するには象徴天皇制を廃止し、天皇にも日本国籍を持つ、基本的人権を認め、そうすることで責任を問えるようにしなければならない。

 少し天皇制の歴史についてふれておきたい。

 平安時代に事実上の二重権力が作り出された。そのときに天皇家は一方の権力者でありながら、実際の行政権力者の正当性を付与するという役割を与えられることで、行政上の実権を放棄し、その結果国内権力闘争から隔離された存在になった。歴代の征夷大将軍は、天皇の命令によってその地位に着いたのではなく、権力闘争に勝利した結果、天皇によってその地位が認知されるという形をとった。
 南北朝時代といわれる天皇家の分裂と、群雄割拠の戦国時代は藤原氏の栄華をもたらした統一日本が分裂した時代であった。その後生まれた徳川幕府は、今の言葉で言えば地方分権、あるいは合衆国や連邦のような国家連合であった。織田信長が統一を成し遂げておれば二重権力は廃止され、今日の形での天皇家は残されなかったであろう。しかし徳川家康は、連邦国家としての統一と属国間の平和維持のために天皇家を維持した。

 明治政府は地方分権的連邦国家を中央政権国家へと作り変えるために明治天皇を徹底的に利用した。明治天皇は全国を巡行し、そのとき初めて今日の天子様が、日本国家の統合の象徴となった。それ以前の、つまり江戸時代の、特に地方の庶民にとって、天皇は八百万の神の一つ以上の意味を持たなかったと思われる。

 全国を巡行した天皇は、伝説上の景行天皇と、中央集権確立に利用された明治天皇。そして敗戦で国家存亡の危機において全国をまわった昭和天皇であり、今日ではそうした役目は終わっている。


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