尖閣列島問題とはどのような問題か

岩内 悠造

1 歴史的に見れば、少なくとも九州は中国の領土となる

現在の日本国の原形を作ったのは大和朝廷である。天下統一を成し遂げた豊臣秀吉ではない。

では何故大和(だいわ)なのか。それは、それ以前の和(倭)国を含めた地域を統一して平定した、和(倭)を越える大国、つまり大和の成立だからである。その範囲は、ヤマトタケルが平定した現在の九州から東北に及ぶ範囲であった。ところが実は、単なる部族社会の統一ではなく、中国領の一部の占領を含んでいた。その証拠は、文献では魏志倭人伝、物証では、福岡の志賀島で発見された「漢委奴国王」の金印である。つまり現在の福岡市にある那の津付近にあった国は、和にある国の一つであり、そこの王として漢の皇帝が承認したしるしである。そしてその和(倭)は漢の倭なのである。したがって漢の皇帝が倭(わ)としたのは、最低でも現在の九州がそうである。だから歴史的に見るなら、九州は中国の領土となる。

中国では、明の時代に釣魚島という表記がされており、それが日本で言う尖閣列島だから、釣魚島、つまり尖閣は中国の領土である、という教育が行なわれているそうだが、認識不足もはなはだしい。中国の歴史学会はいったい何をしているのか。それで国の禄を食むなど、官僚的中国公務員の怠慢もはなはだしい。中国には、沖縄も中国領だ、という意見もあるそうだが、それでも姑息で話にならない。

つまり、話にならない、愚にもつかない議論を、日中のばか者どもは行なっている。日本政府は、尖閣は日本固有の領土であり国境問題は存在しないと繰り返し主張している。日本共産党は、尖閣は日本領土であると言うことを「毅然」として主張している。ところがその日本にも、弱少の反動的左翼の中には、尖閣は歴史的に見て中国領だと主張するものもいる。日本政府や中国政府はもちろん、そうした全ての論者達は、いったいどのような目的で、「だれだれのものだ」と主張するのか?その動機はなにか?言ってしまえば、その不純な動機が明らかになれば、実に下らない争いを人類がしているかが、誰の目にもあきらかになる。

2 沖縄はどこの国に属するか

私の原則では、それは沖縄住民が決定することである。現在、人がどの国の国籍を取得するかは、大きな制約があるとはいえ、自分で決めることが出来る(帰化)。またどこに居住するかは、国籍以上に自分の意思で自由に決定できる。個人的にどの行政区に所属するか決めるについては、その行政区に居住することが出来る。そして、きわめて例外的ではあれ、地域がどの行政区に所属するか地区住民で決定する実例もある。グローバル化が進む現代世界に至るまでは、国家が形成され、拡大し、戦争時代に国家(国境)の再編成が繰り返し行なわれ、やがて人的、物的交流が進み、かつて強固な城郭であった国境は柔軟になり、国家は行政区に変化していくのが自然の流れと言うものである。ゆえに、平成の大合併で一部見られたように、地域住民がどの行政区に属するかは投票で決定するのが合理的である。

沖縄は終戦後アメリカの統治下にあった。そこで沖縄住民が選択したのは、日本に属することであった。それは、アメリカによる沖縄復興政策の結果であった。日本帝国を滅ぼすために沖縄住民に銃を向けたアメリカが、日本帝国主義の捨石にされた沖縄住民に同情し、心底から沖縄を復興させる政策をとれば、沖縄住民はもしかしたらアメリカを選択したかもしれない。しかしアメリカは、沖縄住民を日本帝国の構成員と看做し、被占領国民に対する非情な支配を行った。そのため、歴史と、戦後日本の経済的繁栄、そして米軍基地の存在が、沖縄住民の米国に属する選択を排除した。したがって沖縄住民は、ベターな日本を選択した。当時としては、中華民国(台湾)、もしくは中華人民共和国という選択肢は、それらの国情からして全く無かった。だが沖縄独立論者の小生の考えでは、ベストは独立であった。地の利を生かした、シンガポールのような国づくりを選択すれば、沖縄はもっと自由な地域運営で豊な社会づくりが出来たはずである。

沖縄には何十万もの人が住み、生活している。その必要に応じて生産し貿易をしている。それを、日本や中国やアメリカという部外者が、その生活を規制する権利は無い。

歴史がどうであれ、沖縄住民は日本に属することを決めた。したがって沖縄は日本国に属する。それは尊重されなければならない。私も、沖縄に居住するわけではないから、沖縄独立運動など起しはしない。

あらためて歴史的に見てみれば、沖縄や対馬などの、大国の狭間に位置する地域(小国)は、その面積の狭さや地形、気候などのために、自給自足が困難である。したがって自ずと地域経済を維持するために、貿易が主要な経済活動となる。事実、沖縄では琉球王が、対馬では豪族宗氏が、日本と大陸の貿易を取り仕切ることで、双方から独立的な(今日的用語で言うなら)自治政府を形成していた。

帝国の時代においては、大陸の帝国・元は、日本征服に失敗した。対馬はそのことで日本領であることが確定した。

統一を成し遂げた秀吉から政権を奪い取った日本の徳川政権は、帝国としての領土拡大、固定化のために沖縄征服を行った。琉球王は日中両国の間で独立を維持しようとしたが、薩摩軍の前に敗北し日本に併合された。

3 尖閣や竹島はどうか

尖閣や竹島は無人島である。そこに生活の基盤を持つものは、島の外に居住する漁民などである。島そのものに居住権を有する者はいない。

ところが竹島の場合、今は韓国軍が施設を作り、観光ツアーも実施している。したがって日本政府が如何に固有の領土だと叫んでも、実効支配は韓国がしている。つまりそこに一つの生活が発生している。これは日本で言う居住権のようなもので、それを無条件で排除することは出来ない(九条の国日本は軍事力行使を自ら禁止している)。

竹島は、戦後の流れの中で韓国が領有を主張した。しかし周辺海域の漁場は、島根県の漁民が主に漁をしていた。その理由は、貧困、かつ市場の小さい韓国漁民は、竹島まで出漁する必要も船も無かった。この時代に日本が竹島に漁船の緊急避難設備でも作れば、北朝鮮との対応に忙しい韓国は、口では非難しても、実際には何も出来なかったであろう。ただ日本政府には、日本漁民の漁場を守ろうと言う意識は全く無かった。日本の領土であると主張しておけば、ことは穏便に進んでいくとでも思っていたのであろう。

魚だけでなく、海底資源などに関心が向くと、経済的余裕と南北の緊張緩和が進んだ韓国が領有権にもとづく行動を開始した。そのことで漁場から排除された島根県漁業者が声を上げたことで危機感を持った韓国政府が、陸上施設の建設に乗り出し、もはや国際司法裁判所での調停でも、日本領と認められるかどうか怪しくなった。この時点での日本政府のベターな選択肢は、島根県漁民の漁業権を既得権として認めさせ、その代わり領有権を放棄する、というのが最も現実的だったと思われる。しかし領有権に拘る余り、元も子も無くしてしまった、というのが現状である。

現在、尖閣列島近海には日本漁船はほとんどいない。漁をするのは中国と台湾の漁船である。日本船で尖閣近海にいるのは巡視船2隻である。それが、領海内に進入する中国等の漁船を追っ払う。これから先は想像だが、多数の漁船が領海内に進入すれば、おそらく巡視船でその全てを追っ払うことは不可能であろう。したがって、かなり日常的に中国等の漁船は尖閣領海内で漁をしていると思われる(多分北方領土近海で、日本漁船は同じ事をしているだろう。

漁民にとって魚が大事であり、国境は、例えれば、波の高さで出漁か休漁かを判断する、波の高さのようなものだからである。(最近北方領土近海では、日本漁船は、ロシア係官に賄賂を渡して違法操業を行っていたことが暴露された。)つまり領土問題を抜きにして見てみれば、尖閣漁場で生活しているのは日本以外の漁船である。橋頭堡を構えているならいざ知らず、日本の巡視船は中国漁船の妨害、嫌がらせをしているにすぎない。日本固有の領土であると主張するなら、きちんと管理し、利用するのが所有者の責任と言うものである。そうするどころか、漁船同士のトラブルをおそれて日本漁船の操業を事実上制限している。これは、間接的には「尖閣はいらない」と態度で示しているのと同じである。もし日本が、本気で尖閣を保有し続けようと考えるなら、避難港などの日本漁民の操業のためのインフラ整備を行うべきである。

最近の日本の論調は、中国は本気で尖閣を取りに来ている、とするものが多い。だが私にはそうは見えない。もし中国が本気で尖閣を確保しようと考えるなら、(私が中国の政策責任者であったら)私は次のような手段を用いる。尖閣周辺に中国漁船を大量に出漁させ、最初は領海内には入らず、巡視船を身動きできないように取り囲んで網を下ろし、操業する。巡視船は補給のために帰港せざるを得ず、持ち場を離れる。そうしたら今度は持ち場に戻ることを巧みに妨害する。当然日本政府は中国政府に抗議をするが、そこは漁民のことでコントロールが難しいとか何とか言って受け流す。

 相手は漁船である。日本政府は自衛権を発動するかどうかで思考停止に陥ってしまう。そこで漁民は上陸し、施設を作って「竹島化」をしてしまえば、九条の国日本政府は「日本固有の領土である」と負け犬の遠吠えを繰り返すだけで、手も足も出せなくなる。 当然日本国内では激しい反中国の運動が巻き起こるだろうが、どっぷりと中国経済につかった産業界は、事を荒立てることを恐れて、穏便にすますことを日本政府に求める。ここで私が中国の指導者なら、そのまま尖閣を占領し続けるのでなく、日本政府に「国境問題が存在する」ことを認めさせ、尖閣海域の共同利用という関係を作り上げる。そのほうが、中国の対米関係において、ヒートアップを避けられる。

今、尖閣は中国領だと騒いでいる「反日暴動」のほとんどが、尖閣とは何の利害関係も無い内陸部である。奄美大島の住民が北方領土を返せと騒ぐようなものである。漁民を動かさない限り、中国が本気とは認められない。

 また、中国が、国境問題が存在する地域で完全に領有権を主張し、領土を維持し続けると言うことは、橋頭堡をつくるということである。当然日本だけでなく、台湾やアメリカと事を構えるということになる。頭が良ければ、そういう選択はしない。漁民に時々諍いを起させ、そのつど固有の領土だ、と言いつくろうのが中国政府にとって賢い方法である。

中国は、海底資源を確保するために領土拡大を目論んでいる、というもっともらしい意見もある。だが最近の探索の結果では、油田の埋蔵量は少ないらしい。天然ガスはかなり多いようである。では日本企業が今まで手を出さないのは何故か?日本企業にとって、沖縄の向こうまで行って油田なりガス田を掘削するメリットが小さいから、あるいはデメリットが大きいからである。メキシコ湾で外国企業に出資して石油を掘削したほうがよほどデメリットが小さく投資効率が高いと日本企業は考えている。

日本企業にとって、ライセンスを取得して採掘が認められればそこから利益を得ることが出来る。したがって鉱区がどの国の領土に属するかなど問題ではない。日本政府が当該政府と揉め事を起し、事業が認められないことのほうがよほど困るのである。

他に手が無ければ、つまり第二次世界大戦前のように経済封鎖を受けてでもおれば、日本は何より先にこの海域に手を出していたはずである。その程度の地域に中国が積極的に進出するのは、たしかにこの海域の既得権確保が目的だとは言える。そこで言えることは、日本が排他的経済圏を確定して中国の掘削を認めなかったとして、日本企業が掘削するかと言えばそうはしないだろう。したがって、日本にとっては、固有の領土を確定するより、中国の領土拡大を抑止すること、排他的経済圏の拡大を抑止することだけに力をそそげばいいのである。つまり、国境問題が存在するが、日本が実効支配している、という関係の継続により、事を荒立てないほうがよほどリスクが小さい。領土、国境を確定しようという政策のほうが、中国の危機意識を煽りたてる。その結果は、中国の軍事力増強をもたらし、反作用として、日本もまた軍拡を迫られるであろう。

あまり報道されていないが、香港の漁民が今回の事件を受けて尖閣海域に強行出漁しようとしたが、それは中国政府に阻止されている。つまり中国政府は、この機に乗じて一気に国境問題に片をつけようという考えは無いものと思われる。そして今は漁期が終わり、尖閣の海はしばしの平安を取り戻しているようだ。

今回の事件で、日本は領土問題にするつもりが無いから公務執行妨害で逮捕した。いきさつはこうである。

田中角栄が日中国交回復を行った時、尖閣の領有問題は棚上げにされた。ただ当時、尖閣は石垣島民の漁場であった。したがって、中国は事実上の日本の実効支配を黙認した。

鄧小平が来日した時も日本は尖閣の領有を確定しようとしたが、後の世代の知恵に任せよう、として、彼は確定することをやんわり断った。このことを、中国政府はしたたかだとか、ずるがしこいということも出来るだろう。

こうした経過を、特に尖閣問題に絶えず関わっている海上保安庁は十分認識していた。したがって海上保安庁は、国境侵犯でなく、公務執行妨害で逮捕したわけである。

ところが、そうした経過を知らないか、あるいは国境問題として、対中国関係を荒立てようと考えたかはわからないが、前原が日本固有の領土だと騒ぎ立てた。しかも日本政府は、公務執行妨害ならそれでビデオ画像を公開し、証拠を示せば良いものを隠したから、中国は日本が領土問題を争点にし始めたと思い、それに応じた。なによりニューヨークで温家宝が「領土については一歩も譲らない」と言ってしまったから収まりがつかなくなってしまった。したがって領土問題になってしまった。日本は領土問題は存在しないと言い続けているが、本心では存在していると認めているので、問題にしたくないから領海侵犯でなく公務執行妨害で逮捕したのである。もっとも、領海侵犯となると、場合によっては軍の出動と言う物騒な事件に発展する可能性があるからという一面もあることは否定できない。

だがここでよく考えてみよう。尖閣が、日中どちらかの領土と確定されたとして、一体だれが得をするのか。双方とも、政治のトップは自分の功績だと自慢するだろう。当該漁民はもちろん得をする。しかし中国内部の反日デモを行なっている連中や日本の都市住民がどれだけの得をするのか。もし油田やガス田開発が成功したとして、得をするのは特権階級(成功した企業と利害を共有する者)だけである。私は、特権階級に金儲けさせるために尖閣の領有を主張したくはない。尖閣も竹島も、かつて、また今、漁業権を持っていた漁民のために、日中、日韓が漁業協定を結び、漁業と資源保護のために手を結ぶシステムを、日中、日韓政府がつくることを希望する

4 北方領土

 日本は北方領土返還を主張している。歯舞、色丹は主に漁業権の問題であり、尖閣、竹島と問題の性格は似通っている。したがって本当の北方領土問題は、国後、択捉である。日本でも、とりあえず2島返還という段階論と4島一括返還という二つの意見がある。どちらが現実的か、どちらが原則的か、などいろいろの立場からの主張があるが、交渉はいっこうに進まない。

ここでも歴史的に・・・という議論があるが、果たして国境問題は歴史で解決できるだろうか。実際には歴史で解決しないから第二次世界大戦まで軍事的に決着がつけられてきた。しかしそれではきりが無いから、非軍事的に決着をつける方法は無いか、と考え出されたのが国際司法裁判所であろう。ただしその場合、双方が国境線に対して対立する主張を持ち、裁判で決着しようと合意された時だけ実現される。実際には当事国同士の交渉による決着だけが有効である。そうなるとそこで、軍事力という問題が出てくる。

もし日露で、北方領土の帰属が軍事的に決着を図られ、日本が勝利したとしよう。そのとき現在そこに居住するロシア国民をどのように処遇するのか?かつてソ連軍が日本国民にしたと同じ仕打ちを行なうのか?そして軍事的にではなく、外交交渉で日本に返還された場合にも同じ問題は存在する。日本は北方領土から現住のロシア国民を強制的に退去させるのか?一体日本はどのような方針を持って北方領土返還を要求しているのか。

ロシアには、現に国後、択捉で生活する住民がいる。例えソ連の占領が日本の一部の主張のように不当なものであっても、住民は不法占拠したのではない。したがって、住民の居住権は認めざるを得ない。

一方日本には、ソ連に占領される以前に住んでいて、そこに資産を保有していた人たちがいる。この問題こそが、軍事的にではなく、法に基づき、かつ、話し合いと妥協で解決されるべき問題である。

もし日本に返還されたとして、どれだけの人が北方領土に渡って生活を再建しようとするだろうか。一部の漁業者は当然そうするだろう。だが農業者はしないだろう。住民の生活を基本に考えれば、戦前の日本が、失業者を開拓団として送り込むための地域確保をするような、切羽詰った情況はない。

 現在、北方領土のかつての住民である日本人は、墓参のためのビザ無し渡航が認められている。それを拡大して、観光客のビザ無し渡航を認め、次には観光客相手の事業者の居住を認め、漁業者の居住を認める、というように拡大していけばよい。かつての統制国家ではなく、基本的には自由主義経済である資本主義国家に変わったロシアで、しかも極東地域の自立的経済発展は、ロシア政府も歓迎するはずであるし、現住民も喜ぶはずである。そこでこの土地は日本のものだとかロシアのものだとか衝突すれば、問題は永遠に解決しない。憲法でも実力でも軍事的に決着がつけられない日本であれば、何が現実的かを考えたほうがよほど賢い。

国籍の違う住民が混在し、双方のルールを調整しながら生活するコミュニティーは作れるはずである。それが今国際社会が目指そうとしている開かれた国家である。

北方4島に大きなロシア軍基地は存在しないが、沖縄の例を考えれば、国後、択捉にロシア軍基地が存在しても不都合ではない。もちろん最後には、日系とロシア系住民が自主的な取り組みで社会のルールをつくり、非武装地帯化して、未来の国際化社会のモデル事業を形作っていけば、まさに平和な地球作りのパイロット事業として、世界に誇ることが出来るのである。

日本は海に囲まれ、国境を越えての通勤は難しい。しかしヨーロッパでは、ベルリンの壁が崩壊して以後、国境を越えての通勤は急激に増えつつある。それはそれで、税金の低い、物価の安い地域に住民が集中すると言う問題はあるが、それは、日本の都市と農村の格差問題と同じで、次の課題ではある。とはいえ、かつてベルリンの壁があった時代も、ソ連には北朝鮮からの出稼ぎが多かったし、フィンランドからソ連への越境通勤は存在した。そして日本では、国境を越えた通勤は物理的に困難だが、海外勤務や海外企業への勤務は日常となっている。南西諸島では、つまり国境地帯では、生鮮食料の流通は日常的に国境を越えて行なわれているし、日用品の台湾への買出しも多いと聞く。関空に荷下ろしして、通関手続きを済ませ、全国の市場に分配・配送するより、国境貿易を拡大したほうがよほど合理的で、経済的でエコである。

国境問題も、こうした国際社会の流れの中で、発想を変えて取り組まない限り、解決の目途は立たない。

5 映像を秘密にする理由は何か

最初、裁判の証拠として映像は公開しないことがきめられたという。それは当然のことのように語られているが、原則的には間違いである。裁判の駆け引きのため手の内を見せない手法は、認められないことは無いだろう。しかし民主主義の基本は、全ての情報が公開され、全ての人が知り、検討しあって、最後は多数決で決することである。だから裁判は、よほど特別の場合で無い限り傍聴が認められる。したがって、基本は、裁判の証拠も公開されるべきである。

さらに、逮捕された中国漁船船長は、処分保留で釈放された。ということは裁判はしないということである。であれば、当初の非公開の理由は失われた。釈放した理由を説明するためにも、また、民主主義の一般的原則を守るためにも、情報は開示されるべきである。だが政府は、映像の公開を拒否し続けた。何故か?

あたかも中国との関係悪化を防ぐためのように言われているが、それはあきらかに嘘である。中国で反日デモが再び燃え上がるから、中国政府の立場を慮って公開しないような言い方を仙石はしているが、全くの詭弁である。むしろ最初に映像が公開されておれば、中国の官・民はあそこまで手を振り上げることは出来なかったと見るのが正しいだろう。要は、日本政府、特に仙石の不手際を隠したいがために映像公開を拒否している。実際には映像は漏出し、日本政府の不手際は誰の目にも曝された。したがって不手際の責任を、特に仙石が取らされるのは時間の問題である。

 そして、政府の不手際を隠すための映像非公開であるから、この映像を公開した行為は、立派に内部告発の要件を満たしている。

菅直人は、世論をおそれて反小沢の仙石と手を結んだのが最大の失敗である。と共に、しゃべりすぎてその信念のレベルの低さを自己暴露した鳩山同様、菅は自分の方針を持たないことを自己暴露した。国会内や官僚との間、世論との間で右往左往している。だが、このような自分を持たない人物が必ずしも総理不適格とは言えない。周囲を固めるブレーンの質がよければ、むしろ独断専行よりいい場合もある。

尖閣問題についてはあきらかに菅内閣の不手際である。だがその本当の原因は、国境問題を軍事力でなく交渉によって解決すると決断した日本国憲法第九条に基づく外交とは如何なるものか、そのことを深く掘り下げず、主観的思索だけを繰り返す日本の、政・官・民の意識の低さにある。

6 アメリカが得をした 

普天間問題を巡って日米間はギクシャクしていると言われていた。特に鳩山政権の、普天間は「最低でも島外移転」という公言は、基地撤去を望む島民の気持ちを高ぶらせた。結果は逆効果だったが、それでも島民はより声高に基地撤去を叫び始めた。

アメリカ当局にとってこれはストレスの種である。一方日本政府は「なるようにしかならない」と本気で取りくむ気持ちを完全に放棄した。そういう状況下での日中間の緊張は、中国の太平洋への進出を強く印象付けた。それは当然、沖縄にある米軍基地の役割を、否が応でも引き立たせた。アメリカの関心は日本より中国だという論調は多く、したがって日本はアメリカに見捨てられるという危機意識を植え付けようというプロパガンダが行なわれている。確かにこの事件で菅内閣の政治姿勢は、一気に日米同盟重視へと傾いた。

アメリカの中国重視は、日本切捨てとは限らない。日本が独立性強化をアメリカに対して要求すれば、確かにアメリカは日本を見捨てるだろう。しかし、日本が日米同盟強化を選択すれば、それがアメリカにとって、中国との均衡を保つ上でベストである。沖縄問題は、この事件でアメリカ政府に安堵の日々をもたらした。

それにしても民主党政権のだらしなさが目立っているが、そこには官僚のサボタージュが大きく影響していることを見逃してはならない。今回の政権交代は、日本の民主主義を一歩推し進めたし、万年与党だった自民党の驕りを厳しく断罪した。

しかし、民主の失敗が選挙民の諦めを生むとしたら、日本の政治的冬の時代はいよいよ深刻な事態を呼ぶであろう。選挙における政権交代が、本当に日本の政治的成長をもたらすためには、政権交代後は、官僚のトップの首を全て挿げ替え、トップの派閥を冷遇する人事が必要なことを教訓とすべし! 民主主義の聖地を自認するアメリカでは、大統領が交代すれば、大臣だけでなく官僚のトップも入れ替わる。戦前の日本も、政権党の交代で、官僚や知事などは総入れ替えされた。ところが今の日本では、官僚トップ、つまり事務次官人事は、政権交代とは無関係に、省庁内部のローテーションで行なわれている。政治からの役人の独立が確保され、その結果官僚独裁と揶揄される体制が出来上がっている。

 長妻厚生労働大臣の挫折。 仕分け作業の立ち往生。 民主党政権が突き当たった官僚独裁の壁を曝け出した事例は数多いが、尖閣問題もその大きな一例であり、問題の最大の本質はそこにあることを認識されるべきである。官僚は、前原や仙石の暴走、政府の対応の一貫性の欠如を放置し、民主党政権を危機に追い込んでいる。

<補論・「土地は誰のものか」>

領有しておれば、全く何人にも気を使うことなく、自由に、(放置することも含めて)利用していいということは、絶対に認められるべきではない。私有財産制の意識が、この世の全ての思想・思索の根本原理となってから、日本では実は65年しか経っていない。しかし個人にとって実に居心地のよいこの基本理念を、今の日本人は、そして多くの先進諸国(特にアメリカ)住民は、まるで人類発生以来の根本原理と思い込んでいるように見える。だが、尖閣問題のような国境問題だけでなく、この思想が、現代社会の進歩の障害となり、人類社会の衰退の原因となっていることに目を向けるべきである。

戦前の日本の農村生活者は、地主、小作人、自作農民であった。言うまでも無く地主は大富豪で、多くの小作人を雇い入れ、大規模農業を経営していた。自作農は家族労働が基本で、農繁期には作業者を雇い入れたとしても、それは地主と小作人のような固定された社会関係ではなかった。 地主にとって、所有地の隅々まで利用することが利益の増加に直接結びつく。したがって小作人に対して、その貸与地の放置を認めないし、小作人も、地主に支払う小作料のほか、少しでも生活の余裕を得るために、それこそ「猫の額」に例えられる狭い土地でも耕した。

戦後、農地解放で農民の自作農化が推進された。小作されていた土地は、強制的に小作人に売り渡された。そのため、かって無資産であった小作農民は資産を得ることが出来た。永久的身分差別が廃止され、平等社会は一歩進んだ。

ところが今、この自作農制度、農地の個人所有制度が日本の農業改革の最大の障害となっている。グローバル化社会では、日本の農業競争力は弱く、日本農業は壊滅すると言われている。対策として、農業事業の大規模化推進計画がある。ところが、この農業の大規模化に最大の障害として立ちふさがっているのが、個人資産としての土地所有制度である。

 都市近郊では。地価が高く、大規模化を目指して土地購入を目論む農業者にとっては、取得に成功しても、その投資が経営を圧迫する。また、すでに農業経営を断念した農家にとっても、土地は資産であり、うまく行けば巨額の儲けが転がり込むから、簡単には手放さない。

 都会から離れた地域では、高齢化により放置された耕作放棄地が急激に増加している。そうした土地も、資産であることと、農地法により譲渡や貸与に制限がかけられているため所有権移転が進みにくい。それが、大規模化を目指す農業者や、定年退職後、悠々自適の余生のため「趣味としての農業」をやりたいという人たちの土地取得や借地を阻んでいる。その結果として、耕作放棄地は猪の住処となり、獣害は、いよいよ高齢化した農家の耕作放棄を促進している。そして、現在埼玉県に匹敵する面積の農地が、耕作放棄地となっている。 

固定資産税を財源とする地方自治体にとっても、農地や山林は課税額が小さく、税金が滞納されても財政への影響は少なく、したがって耕作放棄地を放置する。最近津市では、かつての豪商の旧居跡が市へ寄付され、その利用法を市民に公募しているというニュースがあったが、過疎化の進む自治体では、その後の管理が出来ないという理由で、自治体自身が土地の自治体への寄付を拒んでいる。その結果、所有者の所在が不明だし、自治体もあえて税金を求めない、全く宙に浮いた土地が、耕作放棄地と共に増えている。このままだと、耕作放棄地は、いずれ宙に浮いた土地化していくことになる。

 つまり、日本は、国境地帯の尖閣だけでなく、国内に、日本人が利用しない土地を抱え込んでいる。

さらに細かいことを言えば、私有地の所有者の利用(非利用を含めて)方法は自由だという意識が、環境破壊の大きな要因でもある。あたかも悪質業者の不法投棄だけが問題のように言われているが、耕作放棄された私有地は、所有者のゴミ捨て場となっている。現地に行けば分かるが、山中や耕作放棄地に、産業廃棄物かと思うような物が捨てられている。そういう場合、付近で聞くと、「こんなところまでわざわざ捨てに来るバカはおらんだろう。土地所有者に決まってるじゃんか」という答えが返ってくる。自分の土地を大切にし、他人がゴミを捨てようものなら、血相を変えて怒ったかつての日本の農民が、自分の土地に、電化製品やプラスチックゴミを捨てて平然としている意識の源泉は、戦後の自作農制度、土地私有制のもたらしたものである。

ここで小生は、戦前の制度が良かった、とか、戦前の制度に返せ、というのではない。戦後の制度の欠陥を克服する新たな制度を生み出すべきである。現在個人が所有している土地は、所有者は先祖伝来の土地と言うであろうが、時代と共に変わる制度の中で、たまたまその人の手に、今あるだけである。先人が手をかけ、愛情を持って育ててきた土地は、次世代が有効に利用できるように譲り渡す方法を、早急につくるべきである。

原理的に言うなら、土地は本来私有制の対象から外されるべきである。戦前でも、地主は、「土地は自分のもの」という意識は持っていた。しかし原理は、天皇陛下から(貸し)与えられたものであり、建前としては、天皇の土地であるから大切に利用する、ものであった。そこでは、放置された土地は、天皇(国)に返納されるものであった。戦国時代には、土地は大将のものであり、大将は論功行賞により部下に分配したが、時には部下から召し上げたり、大将の都合で再分配した。つまり大将でなければ、土地を私有することはなかったのである。現代人のほとんどが先祖伝来の土地と言っても、たかが最近65年のことでしかない。しかし北海道のように、戦後開拓に入った人たちは、国有地の払い下げを受け、自分で開拓して土地を手に入れた。その人たちが私有に拘る心情は理解できないではない。だが、私有することで、せっかく開拓した土地が宙に浮き、誰も手がつけられず荒地と化していくことが、実は日本の今日の政治的混迷の根本原因であることを理解してもらうしかない。

土地に関する(宅地についてはその上に建つ建物を含めて)個人の権利は、所有権でなく、独占的利用権(使用権)と規定されるべきである。そして、利用する目的や能力が失われた場合は、独占的利用権(使用権)は消滅する。そうすることで土地は次の利用者へと引き継がれていく。

土地私有制の発展にはいくつかの要因があったが、利用できる土地の狭隘化も大きな要因の一つである。 その結果として、市場原理に基づく土地循環は景気過熱をもたらした。ある意味で、投機目的の土地取得は、土地循環を促進するが、地価低迷は放置された大量の土地を生み出した。それは結果として逆に土地狭隘化を促進し、それが経済活動の障害として立ちはだかっている。

尖閣問題から始まって、土地に関する個人の権利の問題に論が及んだが、要は、半世紀以上前の個人と土地の関係でなく、国際化社会における関係を築くべきである、という立場から尖閣問題を見直さない限り、結局は力による外交と言う二十世紀前半の時代に逆戻りするしかない。

あとがき

何かと言えば「くに」と「国境問題」は、支配者による共同体への求心力の核心としてつねに共同体構成員に突きつけられます。それが世論を大きく揺さぶる情況を放置することはどういうことか、を考えねばならない。

マルクスは、共同体のそうした外形的要素と、秩序維持の内的要因を含めて、国家は階級支配の道具である、と看破したわけですが、日常、国家など意識せずに生活していて、突然国家が目の前に現れる現実に直面した時、国家とは何かをとっさに見抜くことは非常に困難です。現実に存在して生活を支配する国家について、ある人々は絶対的なものとしてとらえ、またある一部の人々は、内部にあっても、絶対的敵ととらえる。そこに、そうではなく国家自体が時代的現象であり、相対的存在であるから、その存在から目をそらさず、その時代に応じた合理的存在としての改革の対象である、と納得させることは大変な作業となる。

領土問題(国境問題)について言えば、国家という事象にとって、今、本質的な問題のように語られているが、実はごく一部の要素でしかない。そのことは歴史的にも証明可能だが、領土こそ国家の根源と思い込んでいる「世間の常識」にたいし、そうではないと説明することは、一方で、大変な誤解をうみだします。

国境はどのようにして決まるか。例えば竹島は日本が先に日本の領土だと宣言し、抗議が無かった、というのが日本の主張です。一方その時代、韓国は、そのとき国内情勢が不安定で抗議が出来なかったので、日本の宣言は無効だと主張するわけです。この方式は、大航海時代、冒険者たちが未知の島に上陸し、国旗を立てて、自国王の所有物だ、と宣言したその方法の踏襲です。

帝国の時代には、したがって大航海時代よりはるかに昔から、国境は戦争によって決まった。これこそが(戦争こそが)、国境の歴史的根拠です。したがって今尖閣で、日中が歴史的に自国のものだ、と主張しあっているのは、単なる軍事力による領有の正当化の下準備でしかない。ただし戦争によって決まった国境は戦争によって常に変更される。固有の領土、固有の国境線は、隣接する主張者相互の合意でしか決まらない。それに加えて、金銭的売買も安定的国境線決定の方法の一つである。国境線については、交換という方法も安定的国境策定の一方法である。

つまり交換を含む話し合いか、売買による相互の承認がある以外には、固有の領土、国境は無い。日本の、竹島、尖閣、北方領土主張者の持っている国家、国境に対する概念はそこのところで完全に間違っている。

ところが、現在の尖閣、竹島問題などについてこのことを指摘すると、おそらく独自の防衛力強化、と言う方向に世論を誘導する可能性がかなり高くなる。悩ましいところです。

ついでに言っておきます。

領土問題は、土地私有の問題と、理論的にも実態的にも非常に似ている。領土問題では、実効支配という概念が国際法的に規定されている。日本の土地所有に関する法律でもこの規定は存在する。誰かの所有地に無断で建物を立て、20年間抗議が無ければ、その土地は、裁判によっても、無断で利用した人の物になる。大阪の「おおだこ」問題は、市有地を20年以上使用し続けた「おおだこ」に対し、市は黙認していた。しかし現市長になって、市は返還要求をした。「おおだこ」はこの規定を利用し返還を拒否した。しかし裁判では、「おおだこ」が屋台で営業していたので、市の勝訴となった。もしおおだこが建物を建てていたとしたら、大阪市はこの建物の買取をせざるを得なかった。あるいは土地の所有権を放棄せざるを得なかった。

日本の土地私有制については、実態としては、農地は戦後の農地解放、都市では地価上昇と高い相続税で現在の形が出来上がった。(*)

 (*)戦前の大都市では、急激に増加する人口に対して、昔からの地主が貸家を建てて対応していた。また、郊外に広がっていく住宅地では、農地の地主が新たに貸家の経営者に変わっていった。公務員には国や地方自治体が官舎を、企業は社宅を建てて従業員の住居とした。したがって都市住民の多くが、借家住まいであった。今日のように、一般市民がマイホームや分譲マンションに住居するようになったのは1970年代以後である。

実効支配という概念に対し、私有財産権という対抗軸が生み出されることで、地価が暴騰し、公共事業や農業改革が阻害され、今日の国家財政危機の原因を作り出している。

戦後の土地私有財産制の普及は、土地の流動性を拡大し、ブームを生み出し、日本経済を大きく成長させたが、それが今日本国家の財政危機の原因でもある。

単に財政危機の原因であるだけではない。経済構造改革、あるいは成長政策を実行するに当たり、土地私有制の結果として、インフラ整備のための土地取得費用が高額となりすぎ、日本は行き詰った経済を立て直すための如何なる手立ても打てなくなっている。一方、土地国有制度の中国は、次々とインフラ整備事業を推し進め、経済の高度成長を進めている。

歴史的に見れば、土地国有制、あるいは共有制が正しいとばかりは言えないが、その問題はあらためて検証する必要がある。ただ、現状を見れば、土地私有制による分割の完成は、社会の経済活動を終焉に導く(だろう)ことが示されている。

所有と言う概念の基本は、労働の生産物の当初の所有権(処分権)は当該個人に属するということである。であれば、あるがままの土地は個人の所有物ではありえない。耕すなりその上に建物を建てるなり、そうした労働の結晶が個人に属する、つまり所有物でありえるわけである。したがって、土地自体の所有権ではなく、利用権(日本の法理論では地上権)としてのみ所有権が及ぶ、という原理に基づいた「地権」を、歴史(時代)に整合する形でつくりあげなければならない。

人は、日本政府が「固有の領土」論で国境問題は存在しないという立場を取っていることには納得していない。固有領土論は、国境線を話し合いで決めようとする(決められると思い込んで入る)。結果として、軍事的緊張を高める政策には反対し、九条護憲につながるが、同時に結果として日米安保依存強化になる。

政府の固有領土論に疑問を持つと、軍事力決定論になる。軍事力決定論に立つことは、今は日米同盟基軸論とその強化は当面の政策であるが、防衛力強化、毅然たる外交論になる。当然九条改憲にも結びつく。

国内の論理はこの二つに分化しており、その二つに対抗する理論を打ち立てない限り、日本経済の危機の進行と共に、後者が優勢になり、左翼の住むところは無くなっていくだろう。

したがって、尖閣問題と共に浮かび上がった領土問題、国境問題については、次の時代にどのような考えで臨むべきか、明らかにしておく必要がある。

ロシア、かつてのソ連外交の基本は平和共存であった。それは、一国における社会主義の勝利が国際社会の共感を生み、さらに社会主義の優位性により、社会主義国家の帝国主義国家への政治的経済的勝利が確定し、やがて社会主義革命の波が帝国主義諸国家のなかで広がり、社会主義国ソ連と帝国主義国間の戦争をもたらすことなく世界社会主義革命が進行する、というものである。その理論的背景は、帝国主義国による侵略、支配にたいする恐怖がある。この恐怖心は、二十世紀の共産主義運動にとってDNAとなっている。かつてのソ連と毛沢東が、あるいは他の共産主義運動が、たとえお互いに批判しあっても、その帝国主義に対する認識は同じである。そして今日も、その意識が中国の指導部を支配している。

一方アメリカも、一時は共産主義による世界支配に対する恐怖心を抱いていた。ただしアメリカの恐怖心は、むしろそれを煽り立ててビジネスに結びつける軍需産業の企業戦略という要素が大きかったとも言える。それは冷戦という軍拡競争にソ連を巻き込み崩壊に導いた。そしてそこからは、二十世紀前半の、制圧と支配という帝国主義の国境再編成は起きなかった。しかし、ソ連邦の崩壊は、一世紀前の帝国主義支配こそはもたらさなかったかもしれないが、民族対立と格差の拡大による政治的、経済的、社会的混乱を、20年を過ぎた今日でも維持、拡大し続けていることもまた、見逃してはならない。

アメリカ帝国主義による市場再編成は、二十世紀前半の手法とは違っていた。そのことに気がつかない中国が、アメリカは張子の虎という豪語とは裏腹に、アメリカ帝国主義に対する恐怖心を募らせている。経済成長と世界市場との結びつきを拡大するにしたがい、中国もまた、自国の安全保障という幻覚の下で、軍拡競争に引きずり込まれていくだろう。

逆にそれが中国の脅威として、かつての冷戦の恐怖と同じように、日本と世界の民衆の意識を支配することになる。袋小路にはまり込んだ資本主義の生き残りの最後の助け舟として。