「反官僚革命」に潜む反革命
ポーランドの現状はいま何を提起しているのか

 80年夏に開始され、現在なお継続しているポーランド・プロレタリアートの闘争は、「ヘルシンキの平和」として表現されている現世界支配秩序に加えられた強烈な痛打であり、混迷の渦の中にあって一歩また一歩と後退を余儀なくされてきた世界プロレタリアートに新たな前進を呼びかける烽火であり、合図である。

ブルジョア国家ポーランド

 現在の危機の性格を明らかにするためには、まず第一に戦後ポーランド国家が如何なる階級闘争の結果として形成されたのか、この問題を解くことから始めなければならない。現実の階級闘争の歴史の結果として現在を把握し、その理論的総括を通して、はじめて確固たる将来の展望が見出せる―これが、われわれの方法である。

 現在のポーランド国家は政治的に独立した階級としてのプロレタリアートの解体状況を基礎とし、ポーランド・ブルジョアジーの完全な無能力を条件にして、モスクワ官僚の軍事的制圧の下に、そしてアメリカ・イギリス帝国主義の承認の下に形成された。

 ヨーロッパの「力の均衡の体系」という側面から見るならば、ポーランドはソ連邦の強い影響下にある緩衝国・衛星国として位置づけられた。ポーランド人の統一と独立は、ただモスクワのヨーロッパ政治における利害の枠内においてのみ容認されよう―これは疑いもなくポーランド民族主義の無力・無能に対する世界帝国主義の冷嘲的な最後の回答であり、「ヤルタの平和」はポーランド民族主義の創造性にとどめの一撃を加えたのであった。帝国主義はポーランドに独立と統一を与えるとともに、ソ連邦にその獲得物として下賜したこと、この「裏切り」に抗しようもなかったことが、現在のポーランド国家の出発点であった。ポーランド民族主義はこの上もない恥辱のうちに自ら死滅し、もはや再び甦ることはないよう決定されたのであった。

 ポーランド国家はプロレタリアートの社会革命が誕生せしめたものではない。プロレタリア大衆の反乱による旧来の諸関係の一掃、これを基礎として形成されたのではない。

 また、プロレタリアートの独裁による軍事的制圧が誕生せしめたものでもない。第二次世界戦争においてポーランドをナチス・ドイツから「解放」し占領したのは、十月革命を防衛し、その成果を拡大せしめた、かつての赤軍ではなかった。それは十月革命を内部から喰いつくしたテルミドール官僚に掌握されたソ連軍であり、このソ連軍自体、プロレタリアートの政治革命によって打倒・解体すべき対象であった。

 さらにまた、モスクワ官僚は占領地の一部を除き、自己の統合の下に置こうとせず、ソ連邦との内的関連を断ち切ることをもって、自己の外部に「自立」せしめつつその支配権を確立した。第二次世界戦争とそこにおけるソ連邦の勝利は、プロレタリアートの独裁が外延的に拡大した部分を、ほんのわずかにとどめたのである。

 ポーランドにおいて官僚は、ブルジョアジーを代理して国有財産を防衛している。

 ソ連邦において官僚は、プロレタリアートを代理してブルジョアジーから防衛している。

 いずれの場合においても、その方法は粗暴を通り越して野蛮であり、類似している。しかし、その階級的性格は完全に異なっている。ポーランド国家はブルジョア国家であり、ソ連邦(併合された占領地を含めて)はプロレタリアートの独裁の下におかれている。

 ソ連邦においてさし迫った革命はプロレタリアートの政治革命であり、ポーランドにおいては社会革命である。ソ連邦における権力の移行は、ひとつの階級内部で行われる。ポーランド革命は、権力をひとつの階級から他の階級へと移行させる。

 戦後ポーランドを通り抜けていった諸変革は、いかに巨大であり深刻なものであったにせよ、その社会的性格においては、ブルジョア的諸関係内部における政治革命である。

 国有財産制度、計画経済、外国貿易の国家独占、これらの諸指標は過渡期社会におけるプロレタリアートの独裁の当然にも担わねばならぬ諸機能である。しかし、これらの諸機能が確立されているから、その国家は自動的にプロレタリアートの独裁であるとは絶対に主張し得ない。

 プロレタリアートの敗北と解体状況、ブルジョアジーの政治的無能力の完全な暴露、スターリニスト官僚の軍事的制圧、力の均衡の観点からする帝国主義の放置と事後的な容認、これらの諸条件の組み合わせがポーランドの戦後における再建を決定し、最後のブルジョア国家としてのゴムルカ指導下のポーランド国家を生誕せしめたのである。この逆説的な、解き難い矛盾がポーランド社会全体をとらえていき、ついに現在の全面的破局へと導いてきたのである。

ポーランドの政治経済学

 ポーランドはブルジョア国家である。しかも、世界階級闘争の敗北的状況の下に、階級としてのプロレタリアートの解体とプロレタリアートの前衛の孤立分散を条件として、スターリニスト官僚の軍事的占領の下に再建された、特異なブルジョア国家である。それはモスクワ官僚の支配・従属下に置かれている。

 この事情はポーランドの物質的・経済的発展、資本の蓄積にとって、極端な限界付けが課されることを意味している。

 ほんのわずかの経済成長が、政権の敵対勢力を急速に公然と登場させずにはおかない。ここでは市場が計画を補足し、また命令を受けるのではなく、計画を補足し、命令するのは市場である。言い換えるならば、原始的であるとはいえ、ブルジョアジーとして最初に登場する闇商人が、そびえたつ計画経済当局の官僚機構よりも強力な存在として運命付けられている。当局の成果、その獲得物は決してそれ自身のものとならず、その敵対者として成長してくる都市と農村の承認の法外な利潤として転じさせられてしまう。

 鈍重で非能率的な官僚機構の間隙のすべてに闇商人は入り込み、さらに間隙を拡大し、無数に存在するピンホールから機構に浸透し同化する。官僚は「見えざる手」の導きに身をゆだね、市場の盲目的な力に従うことのなかに最大の利益を発見せざるを得ない。主観的にはどうあれ、計画経済当局は不可避的に無為・無能力の救いがたさの水準まで転落せざるを得ない。

 新規投資の極端な切りちぢめと、しまりのない過大投資との時期のサイクルとして現象するポーランド経済のけいれんてきな発展の深部には、単なる官僚の無能力さ以上のもの、このポーランド国家の特異なブルジョア的性格が存在し規定している。

 当局の無責任極まりない物価引き上げ命令は、隠されて進行しつつあったインフレーションに苦しむプロレタリアートを憤激せしめ、爆発的で巨大な闘争に立ち上がらせた。

 拡大進化するストライキに直面した官僚は、モスクワの軍事的介入の可能性という威嚇を振りかざしつつ、後退せざるを得ないことを悟らざるを得なかった。物価引き上げの中止、名目賃金の引き上げ、労働時間の短縮、労働組合の自立性の承認、そして全般的な民主化の漠然とした約束。

 官僚は挑発し、抵抗しつつ一歩また一歩と後退し、プロレタリアートの闘争のエネルギーが発散されつくし、激しい怒りが鎮静化に向かい、力が分散化するまでの時間を稼ぎ、反撃に転ずるタイミングをはかっている。

 そのなかで自らなした譲歩の約束を逆にとって、プロレタリアートをインフレーションの高波に溺れさせようとしている。官僚は賃上げと労働時間の短縮を、ただ紙幣の増発のみによって切り抜けようとするであろう。これはインフレーションの高進を必至のものとするであろう。

 また官僚は「民主化」の約束の名の下に、多数のブルジョア知識人を機構の内部に取り込み、過大投資の抑制と称して不況と企業閉鎖、そして大量解雇をもってプロレタリアートの闘争を解体しようとするであろう。実質賃金の激しい、より一層の引き下げをもって、新たな経済的前進のための確かな土台であると宣伝するだろう。

 ポーランド経済に関する政治経済学は、何故に計画経済当局が自らに敵対する力を自ら育て上げつつ、次第にそれに依存・融合を遂げねばならないのか、また、その矛盾の爆発的展開がプロレタリアート大衆の社会革命として実現するのかを、その生誕のときの刻印から解明できるであろう。

「反官僚革命」の反革命性

 現在、ポーランド・プロレタリアートの闘争は世界階級闘争の最先端に位置づいている。

 ドイツ帝国主義の驚愕と恐怖のあからさまな表白に示されているが如く、戦後世界支配秩序の真の姿を公然と暴露し、何びとにも否定しがたいものとした。ポーランドの闘争は巨大な大衆の行動をもって帝国主義とスターリニスト官僚の相互依存と対立が、プロレタリアートの世界革命の拡大を押しとどめていることを暴露した。

 それはまた、当然にもプロレタリアートの革命的前衛にとって、直面している尖鋭な危機的状況が如何なるものとして存在しているのか、を明らかにした。

 ポーランド経済の現状の深刻さは、その累積した対外債務額が230億ドルにも達している点に最もよく表現されている。人口一人当たりに換算するならば650ドルを超え、1977年のGNP(約1095億ドル)との対比では21%を占める。

 もし、経済上の危機がさらに深まり、その債務返済が不可能となるならば、世界「信用恐慌」を爆発させる引き金となり、歴史上、最大の規模の世界恐慌へ導くかもしれない。これは恐るべき苛烈な階級闘争の不可避的到来を予測せしめるものである。

 また、ポーランド危機は客観的な世界政治経済危機の構成のうち、そのもっとも弱い環をなすにとどまらず、ブルジョア・ジャーナリズムの言うところの「社会主義の正当性の危機」、ソ連邦とそれに結び付けられている世界プロレタリアートの内的意識的危機の、尖鋭な全面的開花としても存在している。

 しかし、われわれは客観的な政治経済危機、また主体の危機一般の指摘にとどまりえない。

 労働組合指導部として自己を限界付けることによって、闘争全体を袋小路に閉じ込めた『連帯』指導部の限界を指摘し、またその当然の帰結としての民族主義、あるいはカソリック協会への精神的依存等を指摘し、かつ、そこからプロレタリア党指導部の不在一般を導き出すことのみによっても、満足し得ない。

 徹底的に抑圧されてきた幾百万大衆が決起したとき、とりあえず労働組合主義や民族主義、あるいは旧来の信仰に頼ったとしても不思議はない。これを非難するものは嘲笑にしか価しない。

 われわれにとって、最大の、かつ緊要なることは『連帯』と結合しつつ、その力を拡大・強化せしめてきたKOR(社会自衛委員会=労働者擁護委員会)、とりわけその左翼的傾向としてのY・クーロンたちが、この間の闘争の高揚のただなかにおいて、何故に情勢に押し流され、右翼的・管理者社会主義的=ブルジョア・ナショナリスト的傾向への屈服を遂げざるを得なかったのかの解明である。

 ここで問われるべきなのは『連帯』=労働組合とその指導部の限界ではなく、闘争のなかで、最も左翼的であると思われたものが如何なる試練にさらされ、打ち破られたのか、これが問題なのである。

 危機はただ単に客観的な情勢の危機として進行しているだけにとどまらず、プロレタリアートの前衛の意識における鋭い危機としても同時に進行している。

 この危機の根源をなすものは、1964年、『ポーランド共産党への公開状―反官僚革命』を提示してスターリニスト官僚に対する闘争を開始したY・クーロン、K・モゼレフスキらのKOR指導部の『反官僚革命』綱領、その実践性における没階級性である。

 「反官僚革命」とは何か。
「官僚を打倒するために、すべてのポーランド人は団結せよ」
「ブルジョアジーと統一して官僚を打倒せよ」
「官僚対全住民の闘争としてプロレタリアートの階級としての独立した闘争を解体せよ」
「官僚打倒の闘争においてブルジョアジーにヘゲモニーを」
これがその実践的な帰結である。

 クーロンたちは官僚との闘争の出発点において、管理者社会主義をプロレタリアートの階級敵と把握することをもって、愚劣なブルジョア民主主義と手を切った。そのクーロンが闘争の頂点において語る言葉は「すべての社会勢力による民主主義的な討論」である。プロレタリアートの革命にとって、政治的民主主義は一つの条件であって、あらかじめ獲得しなければならない神聖なものではない。

 プロレタリアートの社会革命にとって政治的自由は目的ではなく、ブルジョアジーとの公然たる闘争のための手段である。

ポーランド革命のダイナミクス

 急速にポーランド経済をのみ込みつつある「市場」、したがって急速に拡大しつつあるブルジョアジーのなかに、官僚機構は莫大な政治的・社会的予備軍を見出しつつある。支配機構を打倒するためにこそ、ブルジョアジーに完全に対抗し、それから分裂し、打倒する闘争が必要である。

 プロレタリアートを威嚇する官僚の地政学とやらは、ポーランド・ブルジョアジーの戦略である。ソ連邦の保護下におけるポーランドの資本主義的発展の道、資本蓄積の戦略こそ、その「特別な地政学上の位置」なるものの本質的な内容である。しかし、ポーランドにおけるソ連邦の支配は桎梏となっているが故に、その展望は根本的には閉ざされている。

 官僚に対する反逆をポーランドに対する反逆へとすりかえる、この地政学への屈服は、実はポーランドのブルジョア的発展に対する闘争の放棄、プロレタリアートの社会革命の展望の放棄から必然的に生じてくるものである。

 ポーランドはブルジョア国家である。プロレタリアートの戦略目標はブルジョアジーの打倒である。ポーランドにおいて、スターリニスト官僚はブルジョアジーの代理として国有財産をプロレタリアートから防衛している。その代理の方法は粗暴、野蛮かつ非人間的である。現在では、それはポーランドの社会的・経済的発展の可能性のすべてを閉ざしている。

 「改革」はもはや不可避である。あるいはプロレタリアートの社会革命が不可避である。

 しかし、現在の瞬間、ポーランド官僚はプロレタリアートの繰り返される攻勢に対抗しつつ、ブルジョア改革派を分断し、その一部、あるいは大部分を取り込み、その攻勢を抑圧することができるし、またしようとしている。巨大な勢力であるカソリック教会も全力を挙げて官僚機構の防衛に加担し、さらに力を増そうとしている。すでに死んだはずの反動的な民族主義も、大役を果たしたがって地底から這い出してきた。何よりも、ポーランドのブルジョアジーは官僚の強権の下に隠れつつ、その振りかざす棍棒に守られつつ、かつその改革を通して莫大な利潤を存分に追求する機会を見出すべく、完全な準備をととのえている。

 もしも、プロレタリアートが階級として独立した政治的表現を十分になしえないならば、言い換えれば、ブルジョアジーに根本的に敵対する党を発見できないならば、官僚機構の部分的な改革運動の渦のなかにのみ込まれ、敗北せしめられるであろう。

 クーロンたちは自らの意図に反して、全力をもって敗北に至らしめようと「闘争」している。すでに『連帯』は熱情的なプロレタリア大衆の闘争機関であることを中止しはじめ、労働組合として固化しようとしている。クーロンたちはそれを全力をもって促進している。

 明白であるのは、ストライキ闘争の継続・拡大・深化を自己目的化することではない。今日と言わずとも、明日にも支配機構を打倒できるという幻想を煽ることではない。決定的であるのは政治的任務の明確な把握であり、それはブルジョア民主主義との闘争のためにプロレタリアートの最も先進的な部分を明瞭な輪郭によって結集することである。

 ポーランドにおいて、官僚が打倒されたとしても、それに引き続いてプロレタリアートの社会革命が発展しないならば、それはブルジョア支配の枠組みの内部における一種の「政治革命」にとどまる。そして、この過程は漸進的・有機的・平和的な諸改革の拡大・深化としても可能である。

 卑屈で狡猾なポーランド・ブルジョアジーはかつてツァーリズムの圧政下での繁栄を夢見たことがあった。今日、その子孫はモスクワ官僚の寛大さをあてにして、肥え太りたいと渇望している。「ポーランドの有機的発展の道」の再版、これはまた、その背後に存在する世界帝国主義の固めつつあるポーランド政策でもある。

 しかし今日、幾度もの、また如何なる敗北をもはね返しては闘争に決起してきた、強靭な背骨を持つポーランド・プロレタリアートが存在している以上、必ずや、これら歴史のクズどもが望みを達することは不可能であろう。

 (1981年5月)