今憲法改正問題はどのような情況にあるのか

2014年1月30日 岩内 悠造

九条改憲への道筋

 安倍政権はいわゆる九条改憲に向けて加速をつけ始めました。

 1月28日の国会の代表質問で民主党海江田代表は、「安倍総理のこの間の行動は近隣諸国との関係悪化をもたらしている」と批判しましたが、安倍総理は「丁寧に説明して、理解を求めていく」と応じました。しかしこの海江田代表の批判は全く生ぬるい。安倍総理のこの間の言動は、特に中国と韓国が激しく批判し、日本との対立を深めていくことを読みきっての挑発です。毛沢東の生誕記念式典の日に合わせての靖国参拝が、その意図をはっきりと証明しています。そして中韓の激しい批判と、尖閣、竹島問題での両国の行動のエスカレートは、安倍のいう中国の軍事力増強や中韓の関係強化が日本への軍事的脅威の増大である、という発言の真実味を高め、日本国民に不安感を高めます。それが集団的自衛権確立への国民の理解の拡大を生み、やがて九条改憲の実現にむけての道筋を開く、というのが安倍政権の戦略です。

 九条改憲へ向けての、国会の3分の2以上の賛成で発議するという条件は、きわめてハードルが高いように見えて、実は今ではほとんど無いようなものになっています。根拠は特定秘密保護法案への公明党の態度です。公明党は与党という立場で、特定秘密保護法への賛成の理由を探していた。実際党内の意見は分かれていた。それに対し自民党は、消費増税の低所得層への緩和措置の検討など、公明党の要求を交換条件として受け入れて、世論が圧倒的に審議不足と評価しているにも関わらず成立させました。同じことが今後他の野党に対しても行なわれれば、今の国会では3分の2は簡単にクリア出来ます。

 中韓との対立を、しかも此方は何時でも首脳会談に応じると公言しながら、先方が拒否せざるを得ないだろうと思われる言動を次々と繰り出す。年末の靖国に続いて、安倍の息のかかった経営委員会が選任したNHK会長籾井会長の従軍慰安婦問題での発言など。

 そうした仕掛けは国内世論誘導ではかなり成功しています。靖国参拝については世論調査では60%が支持していることになっている。そして、中韓を刺激することは良くないが、戦没者の霊にお参りすることに外国からいろいろ言われたくない、という参拝支持者まで含めると、実際の支持率はもっと高いものになると思われます。

 一方九条改憲については自民党支持者も含めて70%弱が反対です。だからこそ改憲には世論を動かすことが絶対に必用です。そしてそのために中国の軍事的脅威意識を日本国民に植え付けるための作戦が着々と進められようとしているわけです。日本の安全保障上の軍事行動における集団的自衛権の確立は中国にとって脅威となる。だからこそ中国は一層日本への批判を強める。そのことで日本世論は九条改憲へと流れを変える。世論が変われば九条改憲に批判的な野党は態度を変える。もちろん公明党も。

 すでに安倍総理の年末の靖国参拝への支持が多いことが、流れが始まっていることの証明です。

外から見た安倍外交とは

 日本の世論操作では安倍政権はたしかに成功しつつある。しかし、国際社会ではむしろ失敗しています。さかんに外国を訪問し、中国の軍拡の脅威を語っているが、外国の反応は「平和的解決を望む」という冷たいものです。しかも日本と中韓の外交関係の悪化は、その間の貿易額、観光客の往来の縮小をもたらし、アベノミクスの見せ掛けの日本経済の回復の化けの皮を剥がすだけでなく、日本経済の直面している困難をさらけ出すでしょう。目下の安倍内閣の高支持率は、安倍氏の瀬戸際外交にあるのではなく、経済が良さそうに見えることによるものです。今なら、景気回復が進まず、逆に日本経済が沈み込めば、安倍内閣はやがて退陣に追い込まれるでしょう。しかし、その前に瀬戸際外交による世論操作が成功すれば、九条改憲によって日本は世界の孤児になる、という道を安倍政権は歩かせようとしています。
多くの日本人が、世界はまだ冷戦が続いていると思っている。アメリカの敵がソ連から中国に変わっただけだと考えている。それゆえ、日本がアメリカを支持し、同盟関係を強化すれば、日本の地位は保たれると信じている。

 たしかにアメリカは中国の軍事増強を警戒している。しかし、貿易額も、市場としても、アメリカ国債保有額において、日米関係より日中関係のほうが大きくなってしまっているという事実こそが、最後の決定要因となることを見逃してはならない。日本と中韓との貿易の縮小があっても、その分日米の貿易額が増えるわけではない。むしろ米中の経済的相互依存が高まる。

 そういう情況の中で日本が国際社会から信頼される根拠は、実は憲法九条にある。冷戦時代まで世界は経済制裁、つまり貿易関係の断絶と武力戦争がほとんどつながっていた。しかし冷戦終息後は、資本は武力戦争とは無関係に国境を越えて往来している。そのことから、国際関係と国内治安の安定こそが、国際社会から信頼される条件なのです。
外交関係の緊張と貿易の縮小は、軍事産業だけを利する。集団的自衛権確立、中韓への挑発、特定秘密保護法成立、そして九条改憲と流れを共にする産業界の武器輸出解禁要求は完全に結びついている。

 安倍政権の挑発に中韓が乗らなければ問題は無いのだが、そうすれば中韓政府は国民から対日弱腰を攻められる。すでに国内での政権基盤が弱体化している中国、韓国は挑発に乗るしかない。今の所国際世論に訴えどちらがポイントを稼ぐか、という次元の問題になっています。

世論とは

 ここで留意すべきことは、国内世論、つまり国民の意見が、結局は政府の行動を左右するということです。戦前の日本の侵略は、天皇制や当時の軍部、政治家だけが悪いのではない。偏った情報によって世論操作されたとはいえ、日本は戦争に勝つと信じ熱狂した国民と、世論操作に加担したマスコミが決定的役割を果たした、と言っても過言ではない。

 同じように安倍政権の挑発を成功させ、日本を世界の孤児に導くかどうかについては、憲法九条を守り抜くかどうかの日本人の決断にかかっているのです。日本が戦前の愚を繰り返すかどうかは、安倍内閣ではなく、日本人全部にかかっているのです。情報化社会といわれる今日、日本国民が、国にだまされた、という言い訳は、今度は全く通じないことを心しておかなければならないのです。

 最後に、挑発はお互い様ではないか、という考え方もあります。むしろ将来の軍事的圧力を想起させる中国の軍備拡張こそが原因である、という見方も、それなりに説得力を持っています。ただ、この間の緊張関係、挑発合戦のエスカレートの始まりは日本の尖閣国有化にある。当時の野田政権は、挑発するつもりはなったと思われます。それにたいし中国が異常反応を示した。それを見た安倍政権は、中国の反応を逆用する挑発外交に踏み出した、と見るのが妥当です。

 なぜなら、それぞれの政府は、相手国の世論操作は出来ない。出来るのは国内世論操作だけである。とすれば安倍政権は中国国民に理解を得ようとしては行動しない。日本国内での世論操作を目的とした行動を行なう。そして安倍政府も習政府も、互いに軍事衝突を目的とはしていないし可能だとも思っていない。軍事衝突がもたらす予想のつかない事態に責任を取るつもりは無い。少々の不測の事態の発生は覚悟しているだろうが、それが政府によってコントロールできない状態に拡大することについては、中国政府は今の所そうならないように対応している。つまり一部の跳ね上がりが尖閣に大挙して押し寄せようというたくらみは、公式ではないが押し止めている。日本政府は、石原慎太郎の挑発を抑止するために「国有化」をおこなった。つまりそのほかに日本側からの跳ね上がり行動は起きないと看做している。

 不測の事態を待って(実は不測の事態を装って軍事衝突の拡大を図ったのは旧日本である)事態の深刻化を狙うのでなければ、目的は国内世論操作ということになる。というわけで、単純にどっちもどっちとはいかない。政府が相手国世論操作を出来ないように、国民も相手国政府の自粛を誘導することは出来ない。とすれば日本人にとって、安倍政権の挑発を抑止し、九条改憲を阻止することしかできないわけです。

憲法九条の意義と護憲派の責務

 心しておかなければならないことは、憲法九条は、日本国と日本人が(先の)戦争について心から反省しており、過ちを繰り返さないことを天に誓っている唯一の証拠だと言う事である。だが、戦争を知らない子供達はおろか、戦争を知らない子供達の子供、孫の時代になってそのことを十分理解していない日本人がふえている。さらに、もはや鬼籍に片足を踏み込んだ戦争を知る世代の中にもこのことを認識していない日本人が居ることも事実である。

 押し付けられた、あるいは与えられた憲法だから自前の憲法をつくりたいだけだ、といいながら焦点は九条になっている。これは、先の戦争を反省し、過ちをくりかえさないと誓うなら、押し付けであるかどうかではなく絶対に守らなければならない条項なのである。

 それを変えるということは、裏を返せば、日本国と日本人が、九条にこめられた誓いを破棄することである。

 慰安婦問題、強制徴用問題、南京大虐殺などの問題が、あたかも最も重要な問題のように語られているが、それは戦争が起きることによって生じた副産物の不祥事である。国内問題外交問題を軍事力で解決しようとした大日本帝国の思想と手法が問題の基本である。したがって、口先だけの反省、そしてそれを安倍普三が口先だけで継承するところの村山談話や河野談話、靖国参拝問題は、日本政府と日本人の心の本質の周辺問題にすぎない。

 中韓はもちろん、世界は、安倍政権が九条改憲を目論んでいることについては明確に危惧している。だが一方で、日本国と日本人が本当に九条改憲を行うかどうかについては結論が出るまで決めつけるわけにはいかない。また諸外国は、日本国と日本人に憲法九条を変更すべきではない口出しするわけにはいかない。日本に対する諸外国のこの疑念が、靖国参拝や慰安婦問題として日本に働きかけるという行動になっており、しかも安倍政権の対応がその疑念を膨らませるので、特に中韓の対応がエスカレートするわけである。

 憲法九条がある限り、日本人は大日本帝国の思想と手法を心から反省していると、どうどうと言うことが出来る。よしんば他の問題に対する対応が不十分であったとしても、である。だがそこで日本人が気がつかなければならないのは、中韓だけでなく、世界が憲法九条だけで完全だとは看做していないということである。何故そうなるのかといえば、戦争処理、特に日本を一旦滅亡に導いた当時の国家指導者と権力者の裁判を東京裁判に委ね、日本人自身が裁いていないためである。

 戦後処理の一部であるところの東京裁判や旧占領地で行なわれた多くの裁判に置いて、B・C級戦犯と呼ばれる前線の兵士や捕虜収容所の職員が、ジュネーブ協定違反という戦争犯罪行為で断罪、処刑された。日本の兵士教育は、「捕虜にならずに死ね」というものであり、したがって捕虜収容所でも、敵兵であっても捕虜になった奴は卑怯未練な奴だという考えに陥り、捕虜に対する人道的扱いが軽視された。また国民に対しても鬼畜米英という教育がなされ、撃墜された航空機乗員が住民によって虐殺されるという事件が多発した。これは日露戦争での捕虜が徳島県の収容所で丁重に処遇されたのとは全く違う。

 つまり日中、日米戦争時における兵士教育と国民教育が多くのB・C級戦犯を生んだ。その責任は当然軍上層部、日本政府にあるわけである。

 ジュネーブ協定違反の直接の「下手人」は処刑されたが、それを生み出した責任者についてはあまり聞かれない。戦後戦争体験について沈黙を続けたという士官級戦争体験者の存在は知られている。一方では戦死者への生き残った後ろめたさ、という根拠が語られているが、同じかそれ以上の大きさで、戦争犯罪への加担の隠蔽があるものと思われる。
戦争中に青年期だった世代には、特に特攻隊の生き残りの人には、戦友の死に対し、自分だけが生き残ったことへの申しわけなさの心情が日本人の思いやりとして語られる例は多い。何十年も戦死した戦友の墓参りを続けるなどの美談?が語られる。そのように戦友を思いやるなら、何故自らが、あるいは戦友が殺した敵兵や、外地で暴虐した一般人のことを思いやらないのか。最近10年ほどになって、ようやく自らの軍隊生活の中で行なった非人道行為について重たい口を開く人が多くなった。今まで口をつぐんでいた理由は、自分がそんなに残虐な人間だと、家族や社会に見られたくない、とか、家族が戦争犯罪者の一員と看做され、社会から差別を受けないか、などという心配からだという。確かにそういう一面はある。だから東条英機の孫などは完全に開き直っている。その場合は処刑されたとはいえ、財産が没収され、お家断絶となったわけではないから、下級士官や兵士のように、社会からの仕打ちによって生活が出来なくなるということがないから開き直れたのである。そういう事情を理解できないではないが、そこにこそ憲法九条だけでは日本と日本人が世界から完全に信頼されるに至っていない理由がある。

 特に知られているのは、生体実験などで捕虜や中国人に、病原菌を投与したり、生きながら解剖などしたとされる734部隊の生き残りは、戦後GHQなどの追及を、日本の農村などに身を潜めて生き延び、後に大学などの研究機関に復帰している。GHQは、研究資料の引渡しと交換に、関わった人物の訴追を放棄したという噂もある。そして墜落した航空機の乗員の虐殺については、明らかになれば当然死刑者も出たはずだが、日本社会はそれを隠し通し、誰かが死刑になったという話は聞かない。もっとも、死刑になるべきだった、というのではない。混乱期に自らが犯罪に手を染めさせられた、そういう情況を繰り返さないという決意を持った生き方こそが、人類社会の明日に明るい未来を希望させるものであり、日本人にもそういう生き方を求めるものである。

 だが、規模がどうだったかは議論の残ることであったとしても、南京大虐殺はでっち上げだとか、ヨーロッパ帝国主義からのアジアの解放の戦いだったと正当化する発言が繰り返し出てくることで、まだ口先だけで押し付けられた反省をしている日本人が少なくないことが示されている。

 つまり憲法九条は、法的に日本国と日本人を縛っている。しかしその裏づけはどうかというところでは不十分である。
 日本国を滅亡に導いた、また多くの戦争犯罪者を生み出した当時のリーダー達の責任を問うというところに置いて、日本自身が決着をつけていない、と言う問題がその最重要部分である。

 昭和天皇は、憲法上は日本の最高権力者であった。戦国時代なら彼の切腹で家臣たちが断罪を免除される、という存在であった。しかし実際には彼は主戦論者ではなかったので、彼を処刑しないという判断は間違いではなかっただろう。しかし、責任を取って「退位」するということがされておれば、世界は憲法九条をいただく日本への疑念を小さくしただろう。
 歴史に照らして、日本国の崩壊、分散化とバーバリズム化を防ぐ、日本の戦後秩序の回復のために、連合国による東京裁判では昭和天皇は断罪されなかった。それだけでなく、天皇は疲弊した日本の各地を訪問することで、秩序の回復に寄与という役割をあたえられた。これは、敗戦によってでも、現人神と教え込まれた日本人の信仰心が完全には壊滅させられていなかった為に有効であった。連合軍の武力によって日本人が暴力的に支配されてしまうことと比べれば、自らの意思で復興に立ち上がらせたこの措置は正しかったといえる。しかし一方で、責任者が処罰されず、命令に従ったものが重い処罰を受けたことに対する怨念は日本人の一部に残された。

 大日本帝国軍は明らかに侵略先で多くの一般市民に多大な危害を与えた。また相手が兵士であっても、攻撃されたから殺害したのでなく、諸外国に攻め込んで殺害した。戦争だから敵兵を殺すのは当然だという理屈は、先の戦争にかぎっては全く通用しない。それにも拘わらず多くの日本人は、戦後被害者意識を強く持っていた。侵略先での日本兵の非道を、報道管制や虚偽の大本営発表で知らない日本人は、米軍の無差別爆撃や原爆投下を非難する者が今でも多い。その点では、被爆者の犠牲者に対する誓い「過ちは繰り返しません」は、原爆投下をしたアメリカを一方的に攻めるのではなく、原因の半分は自国にあることを認めることで、歴史に対する最も真摯な反省の言葉である。その持つ意味をもっともっとかみ締める必要がある。

 内地に居て被災だけの戦争体験者達。当時まだ子供で、親兄弟を戦争で失ったり、戦後栄養失調に苦しんだりした世代。そうした日本人の被害者意識が、実は世界が憲法九条だけで納得しない根拠になっている。戦争を知らない以後の世代が、日韓、日中国交回復で反省の意を表し、総理大臣が何度もお詫びの談話をしてもなお、慰安婦問題などで日本を非難する中韓にたいし、一体どうすれば納得するのだ、と不快感を持つのは分からないではないが、その奥に潜む日本への不信感に気がつけば、どう対応すべきかを見出すことが出来る。

 最初に述べたとおり、安倍首相は改憲の意図を隠さない。そうした人物を総理に選出した日本人に対して中韓が大いに危惧するのは当然である。安倍総理の支持率が下がり、次の選挙で退陣することになれば、今の中韓の危惧は和らぐことになる。ただそのとき、もっと強硬な改憲主義者が総理にでもなれば、おそらく日本国と日本人への不信感は、簡単には拭えない決定的なものになるだろう。それは中韓だけでなく、世界を相手にすることになる。
 安倍内閣はそのことを認識していない。冷戦時代の対立構造をいまだその頭の中に描いており、日中対立に対しては日米同盟によって有利に対処できるとしか考えていない。それが、中韓を挑発して、国内での改憲ムードにつなげようという策略を生んでいる。

 ついでに安倍は、中国包囲網をつくるために、中国の軍事的進出の脅威を国内外に喧伝して、外国訪問に置いて、包囲網を呼びかけている。もし諸外国がこれに応じるなら、世界が中国の軍事的進出に脅威を感じている証拠となり、国内での改憲ムードを一気に盛り上げる機会となるであろうが、世界は安倍の目論見に完全に冷たい対応をしている。世界は、日本の経済支援を求めるから安倍の中国脅威論を言下には否定しないが、平和的解決を望むとやんわり否定している。まだ世界は、安倍だけが日本ではないと理解してくれている。その世界の理解を日本人が裏切ることになれば、憲法九条は絵に描いた餅になるのである。

護憲派の責務とは?


 日本の憲法改正のハードルは、手続き上は非常に高い。九条改憲派は何とかしてそのハードルを下げようとしている。一方で日本の外交関係に軍事的緊張を、しかも言葉の上だけの脅威ではなく、実際に作り出すことで日本人のなかに民族主義と排外主義を醸成し、改憲の雰囲気を作り出す作業に着手した。それが、「村山談話を継承する」という口先だけの談話と、毛沢東生誕の日に靖国参拝を行なうという挑発の目的である。九条改憲派は、中韓の対応を分かっていて、意識して挑発を繰り返している。それは思想信条の自由とか、戦没者の例を弔うとかいう単純なものではない。中韓の反発に対し、日本人の中に中韓に対する反発を呼び起こそうというものであり、北朝鮮の瀬戸際外交に匹敵する。

 NHK新会長は、安倍の息のかかった経営委員会が選出した。そして彼は、記者会見で、慰安婦問題などで中韓の神経を逆撫でする発言をおこなった。その上で撤回すると嘯いた。神経を逆なでしておいて、言葉だけ撤回するという、傲慢極まりない言動である。おそらく今後は、NHK番組制作でも、九条護憲に利する番組への規制が強化されていくことは間違いない。つまり特定秘密保護法は、このようなところから一気に日本社会の世論操作を強めていく有効な道具となるはずである。

 日本国および日本人が、心から先の戦争について反省しており、過ちを繰り返さないことを天に誓い、それが世界、そして中韓に認められるには、以上のことから九条護憲だけでは不十分だと知る必要がある。
 憲法九条を世界が信頼するものにするために、そしてそのことの意義を日本人自身が認識する為に、護憲派が行なうべきことを二点だけ示しておきたい。

 中学教育課程に、日本近現代史を1課目として、通年の授業を行なうこと。今中韓が日本帝国主義の悪行としてそれぞれの国内で学校教育で授業を行い、日本では反日教育として理解されている事件などについても、それを忌避せず、相互に研究を行い、日本人として辛い問題にも正面から向き合うこと。つまり、義務教育において日本が正面から取り組んでいないことが、中韓の不信の根本原因であり、歴史認識の欠如と非難される根拠である。中韓が日本に謝罪だけを求めていると考えてはならない。謝罪だけなら・・談話で口先だけで乗り切れる。しかしそれは、日本人自身にとって歴史を安易なものと考えてしまう過ちを犯させる。例えば、かって日本が朝鮮半島の民に強制した創氏改名は、立場を置き換えたらどんなものか、夫婦別姓ですら簡単には決められない氏名へのこだわりの強い日本人だったら理解できるはずである。自虐史観などといって不都合なことに目をつぶり、隠し立てする卑怯未練な態度からは、お互いに許しあい、親交を深める、つまり憲法九条が求める世界などは生まれない。憲法九条は、今の所、日本が開き直る為の、思い上がりの一国平和主義の論拠としてしか効果を有していないのである。

 その上で、新憲法の民主主義の真髄について改憲の必要がある。民主主義の思想はギリシャ、ローマ時代に世襲王政ではない政権が作られたことに始まるが、その形と意義は時代と共に変化している。戦前日本が独裁体制であったかといえば、立憲君主制であり、最高権力者天皇は独裁者ではなかった。総理大臣を頂点とする内閣と議会の決定を、形の上で天皇の命令として実行するその制度は、民主主義の訓練を受けていない日本の行政として好都合であった。その歴史の中で軍が政治を武力で抑圧し、民の自立が破壊された。したがって戦後の民主主義とは、そうした何らかの民衆を抑圧する、擬似独裁に対する反語として用いられた。だが本来民主主義とは、「全ての構成員が同等の権利を持ってコミュニティーの運営に関わることが認められている」ということである。そうすることでまた、全ての構成員が責任を負わされる。戦前も戦後も、象徴天皇制として天皇は責任を負わされなかった。それは天皇の影響力の大きさを恐れるその時々の権力者の陰謀でもあったとも言える。戦後自ら人間宣言をし、同じ立場で社会に関わろうとするなら、当然同じ責任を負わせるべきであり、そのためには選挙権、つまり人権を天皇に付与しなければならない。そうしてこそ、埒外に置かれてきた天皇家の歴史的教訓を日本人が共有することにもなる。そしてこれは憲法に規定されていることだから、日本が現行憲法の精神を本当に実現する為には、護憲という曖昧な対応ではなく、第一章改憲でなければならない。

 歴史を見れば、天皇、軍部、政治家だけに戦争責任があるのではない。それを容認した国民も大きな責任を負わなければならない。ただ、軍や権力の暴力によって抑圧され、それに付き従ったり迎合した一般国民によって排除抑圧され、権利を剥奪されたことで、確かに責任を取る必要のない国民も居る。だが、実際には国民の多数派が戦争遂行を支持した。その国民とそれを煽ったマスコミも同じ責任を負っている。実際には全国民とマスコミを裁判にかけることは物理的に不可能だが、少なくとも多くの戦犯裁判と断罪は、全ての国民と、そして昭和天皇も自分の問題として受け止めなければならない。そうすることによってしか、日本は民主主義国家だと自負することは出来ない。

(補足)
 現在の護憲派が以上のような意識をもって取り組まないとしたら、いずれ安倍の、中韓の反日的対応の強化を誘導する挑発によって、一層日本と中韓の緊張関係が深まるであろう。不測の事態、部分的軍事衝突が起きるとなれば、国交は縮小されてしまい、お互いに軍備強化を行い、緊張はさらに高まる。それは九条改憲派にとって思う壺である。

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